でかける事と学ぶことは同じ。
2006年1月25日 ●じぶんの心マップちょっと発想と歩くことの話をしたので、でかける事と学ぶ事の共通項についても書いてみたい。
たとえば、海外旅行に行くなら、一度出かけた人に話を聞くのが早い。
行ったことがない場合は、行ったことのある人の話をキチンと聞いて、それを「地図帳」にして行動するのが吉というものである。
しかし、これを「行ったことのない人」に相談しても、まぁ意味はない。堂々巡りをするだけだ。
まだまだ経験の浅い人間なので、僕はいろんな「行ったこと」のある人の話を頼りにする。10人聞けば10人分、情報は正確になってくる。
勘違いや特殊な条件でそれぞれの人の言ってることは、ちょっとずつ違うことも多いけれど、数多く話を聞くほどに、「重要なこと」は共通してるよなぁって思うことが多い。
これは考えてみれば当然で、目的地である「海外の土地」は一カ所だからだ。大事なところは、同じ事実を基盤に語られるから、同じ結論になることの方が圧倒的に多いのだ。
このあたりは、「積み重ねたら、大事なことはだいたい一緒。」というタイトルで、去年の12月21に「三色ボールペン情報活用術」の感想として書いたことと、同じことだ。
本を読んで、「個人的に興味を惹かれたところ」に緑、「ここは大事だ」と思ったところに赤の線を引いていくと、緑はそれぞれにバラバラだけども、赤の線は、慣れれば慣れるほどに同じ場所に赤線が入る。
つまり「大事なところは、だいたい一緒」ということなのだ。
これは自然と決まってくることで、それは恐らく、生きていく上においても同じことだろうと思う。人生が旅なら、出かける先はみな同じ、大事なことっていうのも、だいたいみんな同じなんだということだろう。
で、この緑と赤を間違えたらあかんと思うのよな。
赤は赤として厳然として存在している。
でもそれは緑を否定して存在しているのではない。
ところが、緑と赤の違いを理解してない人は、赤の大切さを伝えると「自分の個性を否定された」と思いこむので困る。
なんちゅうかね、それで私を「決めつけの人」とレッテルを貼って安心しようとするのだねぇ。「ああ、シゲさんは頑固だ」とか。違うっちゅうに。まったく。
それはあなたが緑しか知らないだけじゃん。無知。それだけのことだよ。と私は言いたい。つまんないなー、ほんとに。赤も緑もあるっちゅうに。
そんなもんね、個性なんか、否定してもしゃーないよ。個性なんかあるに決まってるやん。それをわざわざ「みんなそれぞれ違うんだ」と強調しないといてられないってことの方がよっぽど不幸だっちゅうに。
それより、そういう「個性」とは別に、誰もに役立ち、守り、活かせば、大きな幸せが得られる「大事なこと=赤」の部分を、「一度出かけた人」から学ぶのが賢いってことだ。
それこそ、何人もの人の話を総合して学習していくと、共通した「大事なこと」というのは見えてくるものなんよなー。
「おお、そうか」と思う。
赤線を引こう。緑線とは別に。両方引いたらいいんだ。そんなもの。
世の中には赤線だってあるってことです。はい。
ところが、とにかく、この赤線を否定しよう、否定しようとする人がいて困るの。なんなんやろなー、あれは。ほんまに困るわ。
本を読まずに批判するとか。たいていは「レッテル貼り」で「見ざる、聞かざる」をやってるってことだけど。「あの人は右らしいから話しを聞かない」とか「あの人は頑固で決めつけ多いから聞かない」とか。
何言うてんねん。あなたが知らんだけやんか。それは。知らないでおこう、知りたくないと虚勢を張ってるだけ、って思うんだけどねぇ。ほんとに、ただそれだけでしょ? ああ、つまんねー。
まぁどうでもいい。大事なことは大事なこととして、わかってる人の間では、ちゃんと確かに共有されてるんだから、それでいい。最近はつくづくそう思う。知らない人間が知らない同士で堂々巡り論議をやってるのが、一番つまらん。
ありとあらゆる学問も、規範も、歴史も、人類の英知の多くは、その「共有」された部分からこそ生まれてるんであって、それを「私の個性を否定するものだから聞かない」と言っても、意味がないのは自明だもの。
なんかそういうことを思う人は、赤線が緑線を否定するって勘違いしてるらしいのよなぁ。
あのなぁ、この世って、そんなチンケでちっぽけなもんじゃねぇぜ、って言いたい。
そんなもん、赤と緑は完全に別。完全に両立します。あたりまえでしょ。この世はもっと豊かで自由ですよ。そんなこともわかってない自分を恥じなさいって言うの。個性の違いなんかあって当たり前。わざわざ言うよなことではないよ。
そういうこと。
でもなぁ、最近、この「緑と赤」の区別が、世の中にはあるんだ、ということすら分ってない人が大半であるという事実に気づいて、私は愕然としてるんですけどね。
当たり前やと思ってたけど、世の中、緑と赤の区別がついてない人のほうが普通やったんよなー。
赤線の存在を知れば、幸せなところに行くのは、それこそ電車に乗るようなもので、とっても簡単になるんだ。公共の交通機関は使うためにあるんだから使わなきゃ損だっつーてるの。なんでわざわざ「全部歩かないと出かけたことにならない」って思うかねぇ。ほんとに。
このあたり、わかってない人が多いということが、私にはとても生き辛いのである。電車くらい使えよー。便利やから。ほんとに。
で、頼むから緑と赤の区別くらい理解してくれよ。最低限でっせ。ほんとに。
つくづくそう思う昨今である。
たとえば、海外旅行に行くなら、一度出かけた人に話を聞くのが早い。
行ったことがない場合は、行ったことのある人の話をキチンと聞いて、それを「地図帳」にして行動するのが吉というものである。
しかし、これを「行ったことのない人」に相談しても、まぁ意味はない。堂々巡りをするだけだ。
まだまだ経験の浅い人間なので、僕はいろんな「行ったこと」のある人の話を頼りにする。10人聞けば10人分、情報は正確になってくる。
勘違いや特殊な条件でそれぞれの人の言ってることは、ちょっとずつ違うことも多いけれど、数多く話を聞くほどに、「重要なこと」は共通してるよなぁって思うことが多い。
これは考えてみれば当然で、目的地である「海外の土地」は一カ所だからだ。大事なところは、同じ事実を基盤に語られるから、同じ結論になることの方が圧倒的に多いのだ。
このあたりは、「積み重ねたら、大事なことはだいたい一緒。」というタイトルで、去年の12月21に「三色ボールペン情報活用術」の感想として書いたことと、同じことだ。
本を読んで、「個人的に興味を惹かれたところ」に緑、「ここは大事だ」と思ったところに赤の線を引いていくと、緑はそれぞれにバラバラだけども、赤の線は、慣れれば慣れるほどに同じ場所に赤線が入る。
つまり「大事なところは、だいたい一緒」ということなのだ。
これは自然と決まってくることで、それは恐らく、生きていく上においても同じことだろうと思う。人生が旅なら、出かける先はみな同じ、大事なことっていうのも、だいたいみんな同じなんだということだろう。
で、この緑と赤を間違えたらあかんと思うのよな。
赤は赤として厳然として存在している。
でもそれは緑を否定して存在しているのではない。
ところが、緑と赤の違いを理解してない人は、赤の大切さを伝えると「自分の個性を否定された」と思いこむので困る。
なんちゅうかね、それで私を「決めつけの人」とレッテルを貼って安心しようとするのだねぇ。「ああ、シゲさんは頑固だ」とか。違うっちゅうに。まったく。
それはあなたが緑しか知らないだけじゃん。無知。それだけのことだよ。と私は言いたい。つまんないなー、ほんとに。赤も緑もあるっちゅうに。
そんなもんね、個性なんか、否定してもしゃーないよ。個性なんかあるに決まってるやん。それをわざわざ「みんなそれぞれ違うんだ」と強調しないといてられないってことの方がよっぽど不幸だっちゅうに。
それより、そういう「個性」とは別に、誰もに役立ち、守り、活かせば、大きな幸せが得られる「大事なこと=赤」の部分を、「一度出かけた人」から学ぶのが賢いってことだ。
それこそ、何人もの人の話を総合して学習していくと、共通した「大事なこと」というのは見えてくるものなんよなー。
「おお、そうか」と思う。
赤線を引こう。緑線とは別に。両方引いたらいいんだ。そんなもの。
世の中には赤線だってあるってことです。はい。
ところが、とにかく、この赤線を否定しよう、否定しようとする人がいて困るの。なんなんやろなー、あれは。ほんまに困るわ。
本を読まずに批判するとか。たいていは「レッテル貼り」で「見ざる、聞かざる」をやってるってことだけど。「あの人は右らしいから話しを聞かない」とか「あの人は頑固で決めつけ多いから聞かない」とか。
何言うてんねん。あなたが知らんだけやんか。それは。知らないでおこう、知りたくないと虚勢を張ってるだけ、って思うんだけどねぇ。ほんとに、ただそれだけでしょ? ああ、つまんねー。
まぁどうでもいい。大事なことは大事なこととして、わかってる人の間では、ちゃんと確かに共有されてるんだから、それでいい。最近はつくづくそう思う。知らない人間が知らない同士で堂々巡り論議をやってるのが、一番つまらん。
ありとあらゆる学問も、規範も、歴史も、人類の英知の多くは、その「共有」された部分からこそ生まれてるんであって、それを「私の個性を否定するものだから聞かない」と言っても、意味がないのは自明だもの。
なんかそういうことを思う人は、赤線が緑線を否定するって勘違いしてるらしいのよなぁ。
あのなぁ、この世って、そんなチンケでちっぽけなもんじゃねぇぜ、って言いたい。
そんなもん、赤と緑は完全に別。完全に両立します。あたりまえでしょ。この世はもっと豊かで自由ですよ。そんなこともわかってない自分を恥じなさいって言うの。個性の違いなんかあって当たり前。わざわざ言うよなことではないよ。
そういうこと。
でもなぁ、最近、この「緑と赤」の区別が、世の中にはあるんだ、ということすら分ってない人が大半であるという事実に気づいて、私は愕然としてるんですけどね。
当たり前やと思ってたけど、世の中、緑と赤の区別がついてない人のほうが普通やったんよなー。
赤線の存在を知れば、幸せなところに行くのは、それこそ電車に乗るようなもので、とっても簡単になるんだ。公共の交通機関は使うためにあるんだから使わなきゃ損だっつーてるの。なんでわざわざ「全部歩かないと出かけたことにならない」って思うかねぇ。ほんとに。
このあたり、わかってない人が多いということが、私にはとても生き辛いのである。電車くらい使えよー。便利やから。ほんとに。
で、頼むから緑と赤の区別くらい理解してくれよ。最低限でっせ。ほんとに。
つくづくそう思う昨今である。