任天堂の岩田社長の話が、RYOさんとかにウケたみたいだったので、もうちょっと書いてみることにする。

で、やっぱり日本のゲーム業界を考えると任天堂の前社長、山内溥氏の判断や言動が業界を大きく動かしてきたことが良く分かるのだが、正直言って、いまのゲーム業界の落ち込みもまた、この山内社長がやってきたことが原因なのだと、いまにしてはっきりわかる。

素人の僕から観てもはっきりと山内氏が間違った判断をしたと思えることが三つある。あれはどう考えても間違った判断だった。

それは、

●ファミコン→スーパーファミコンの転換点でPS2のような上位互換を持たさなかった事。
●スーパーファミコン大ヒット時にCD-ROM付きマシン(計画名プレイステーション)を出さなかった事。
●NINTENDO64をディスクメディアマシンにしなかったこと。

の三点だ。

この三つの大きく間違った判断をしたが故に、ゲーム業界の現在の落ち込みがある。それも長期にわたりダメになる判断だったと言わざるをえない。

上記三点は、単に経営的観点から見れば失敗とは言い難い。事実、ファミコンからスーパーファミコンへの移行時には、上位互換性を持たさなかったことで、マシン本体の価格が安くなり、新機種が驚異的に売れたのだから、山内氏は「名経営者」として高く評価されている。

しかし僕はそんな事、まったく、一切、全然、ちーとも信用しない。経営者として優れていたかも知れないけれど、ゲームというものそのものを愛していないこと甚だしいから、どうしようもないと思うのだ。

つまり。

上位互換をなくすことで、昔のゲームを、新しいユーザーが楽しむ機会がなくなってしまった、ということなのだ。要するにゲームが「文化」になる、重要なチャンスを逃してしまったということである。これはまさに「ゲーム」という表現メディアを「愛して」いなかったからこそ成された間違った判断である。

愛がない判断は、おしなべて間違いなのだと私は思う。

上位互換をなくすことで、あのドラゴンクエストでも1〜8までを常に通しで遊ぶということが出来なくなった。マンガで言うなら1巻から8巻までを通しで遊べず、つねに市場に最新刊「のみ」しかないという状態のままだったのと同じことである。

これで「新規顧客」が開拓できるわきゃないのである。より広い層にユーザーが広がるわけがないではないか。火を見るより明らかだ。

しかし、山内氏は、そんなことより新技術の新奇性のようなものを大切にしたのだ。山内氏が「ゲームはハードやおまへん、そふとですわ。」と何度も発言していたから、誰もこういう肝心のところにまでは考えがいたらなかった。

でも実際には山内氏は「ソフトが業界を牽引する」ということはわかっていても、「ソフトを最優先にした経営」は一切やらなかったのだ。

なぜそうなったのかというと、山内社長の若き日のアメリカ研修旅行というものが大きく影を落としているのだけれど、それはまた書くことにして、もうひとつの本質である「山内氏はクリエイターではなかったから」という点だけを、ここでは書いてみたい。

このあたりはホリエモンのジャーナリズムに対する発言とかと似てる。「ものづくり」「創作する」という事の現場感というものを持たないから「文化」にまで思い至らないんだと思うのだ。

創作物に対する愛情なくして、文化は育たない。経営発想だけではダメなのだ。父親も子供も、ともにチープな画質のドラゴンクエストを発売時のままに経験できてはじめて、ゲームは「文化」になったはずなのだ。それは「こち亀」の両さんの第一巻の絵が、いまとは似ても似つかないというのと同じことで、そこに「歴史」をかいま見ることこそが文化なのだ。

父親が愛したものを子供も愛するからこそ、より広い人材市場から物作りをしようとする次の世代の「質」が上がるのである。「世代を超えて愛されるゲーム」を作ろうとする人材がやってくるのだ。

しかし、いまのゲーム業界は「自分が楽しんだゲームみたいなゲーム」を作りたいと思ってやってくる視野の狭い人材しかいない。だからゲームづくりのクリエイターがどんどん高齢化していて業界が四苦八苦することになるのだ。

非常に大きな失敗を、山内氏はやってしまったということである。

山内氏はいまだにゲーム業界では「カリスマ経営者」とされているけれど、僕はそここそ、ゲーム業界のダメな点なんじゃないかと考える。

やっぱりあの人には「愛」がなかった。百歩譲って、名経営者だったと言う評価は認めたとしても、良き「作り手」ではなかったと思うのだ。

新しいメディアが出てきた時は、つねに「キワモノ」として蔑まれるものだが、山内氏はこの「キワモノ」であることこそが大切と考えた。その方が短期的には耳目を集めることが出来るからである。

しかし作り手の場合はそういうことは耐えられない。自分の作ったものが「蔑まれる」という事自体が辛い出来事なのだ。

この温度差がある。
そして、この温度差こそが決定的な違いだろう。

これは、舞台の芝居に対する映画、映画に対するテレビ、あるいは小説に対するマンガの世界などを見れば簡単にわかることだ。

新しいメディアは、つねに世間の非難の的なのだ。珍しいものだからこそ耳目を集めるし、だからこそ強烈な批判をつねに浴びるものなのだ。

しかし、その強烈な批判に耐えて、「社会」に溶け込んでいこうとする姿勢があってはじめて、メディアは文化になっていく。そんなこと、もう、あらゆるメディアで繰り返されてきたことなのだ。

このあたりは、マンガの神様と言われた手塚治虫がマンガの描き方を指南した著書「マンガの描き方」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334722636/503-9526396-1855936
の中で「一般人の表現技術としてマンガを活用しよう」という提案をしていることや、おなじくマンガの王様と呼ばれた石の森章太郎が晩年、マンガを「萬画」と呼び、その表現媒体としての幅そのものを広げようとしたこと、そして日本の歴史を「萬画」化したこととも通じる。

もっと言うならカラオケの発明者井上大佑が、とどのつまり自分がバンドマンであり、その生き残りのためにカラオケを発明したということにも通じる。

「ソフトが大切」と考えるのなら、その「作り手」のサバイバルを考えなければウソなのだ。それこそが愛なのだ。とどのつまり人を愛するというスタンスがなくて、大きな市場は作れない。そして悲しいかな人間は「他人のために考える」ということはできないものなのだ。自分のため、自分が「作り手」として生き残ることを考えてはじめて「愛」が作動するのである。

だから、山内氏がいまのゲーム業界の冬の時代を作ってしまった張本人なのだ。彼はクリエイターではなかった。だからこそファミコンの上位互換機能はスーパーファミコンに装備されなかったのである。

(本当は先にも書いたアメリカ視察こそが重要なのだけど、それはまた今度。)

この項、また「つづく」です。CD-ROMの話もできてないし。

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