ついでなので、ごく当たり前のゲームにまつわる歴史みたいなことを書いてみます。

ゲームというとファミコンというイメージがあって、いわば代名詞的に思っている人も多いと思うのですが、これが意外に代表例でもないって話なんですね。

少し前の2003年にファミコン発売20周年があって、「インタラクティブメディア20周年だねぇ」とか言ってた人もいたんですが、いやいや、そりゃおかしいって思ったんですね。

ある程度PCの歴史などを見ている人ならやはりエポックメイキングな出来事というと1974年のインテルの8080の発売や、その前々年1972年のアタリ社の創設およびアーケードゲーム「ポン」というものの存在が無視できない。
そこから考えると、インタラクティブなメディアは、どうみても30年の歴史はあるんです。

ファミコンの登場は1983年ですから、その間、なんと10年。ものすごい期間があるわけです。

その10年の間に何があったかというと、それこそ実にアタリの家庭用ゲーム機の勃興と消滅という一大ドラマがあったわけですが、この重要事項は日本人には、ちょっと実感できないんですね。

世界初の家庭用ゲーム機の登場は1972年のODYSSAY(マグナボックス社)だろうし、アタリの大成功した家庭用ゲーム機ATARI 2600の登場でも、1977年ですからファミコン登場の5年も前なんですね。ATARI 2600はアメリカの家庭の30%に普及したそうなので、当時としては、とんでもないヒットということになる。

そして同時に日本で起きていたのが「スペースインベーダー」の大ヒットです。これが1978年の出来事。日本人においてはインタラクティブなメディアというと、まずインベーダーでしょう。これを外すことはできない。レジャー産業の市場規模を示す数字を見たことがあるんですが、とにかく1978年だけが異様に突出していたのを忘れられません。

その後、数年して、アタリショックと言われる米国ゲーム業界の死滅が1982年のこと。ファミコン登場の前年という流れになります。

ファミコンはインタラクティブな楽しみが家庭に入ったという点でゲーム好きには非常に親しみ深いものですし、その後のゲーム好きの多くは、新型ゲーム機が出るたびに購入したことでしょうから、ゲーム好きの人から見ると、非常に画期的なイメージがあるのかもしれないんですが、実はごく一般の人から見るとそうでもないってことになっちゃうんですね。

とくに「広く一般」と言った時、「ゲームをしない人」にとってのゲームの代名詞は、なんと言っても「プシュンプシュン」なんです。つまりはアーケードのシューティングゲームってことになる。

で、このアーケード市場においては任天堂はまったく影も形もありません。スーパーマリオとドンキーコングが一時期アーケードゲームとして投入されたことがありましたが、結局は任天堂はアーケードからは撤退しました。

(このスペースインベーダー後にアーケード撤退をしたということが任天堂のすごいところなんですけどね。ちなみにこの逆、ファミコン大ヒット時にファミコン市場に一切入らずアーケード一本にしたおかげで成功したのがカプコンなんですが、それはまた別の話。)

特に女性層で多少なりともゲームに触ったことのある層を考えるとテトリス・ぷよぷよなどの「落ちもの」系が無視できない存在としてあるわけですが、これがまたやはり、UFOキャッチャーとセットになったアーケード環境というのが大きな存在としてドーンと横たわっています。

家でまでゲームをしたいとは思わないが、街なかでは「落ちモノ」は遊ぶ。そういう層が意外に厚く存在していて、その層ではファミコンの影響力はあまりなかったりするわけです。

そう考えたとき、やっぱり岩田さんのアプローチというのは正しいよなぁって思うわけなんです。

ゲーム好きにとっては家庭用ゲーム機、あるいは携帯ゲーム機を「買う」のが当たり前なんだけれども、たとえば子供はゲーム大好きでファミコンでゲームをするけれど、自分自身はゲームをしない団塊の世代も、「ファミコン」という名前より、「プシュンプシュンっちゅう奴な」という言い方の方がはるかにしっくりくるというのがあるわけです。

岩田さんの戦略は、そこまでひっくるめて見ているなぁというのを感じさせてくれて安心感がありますねぇ。

僕はゲーム好きではありますが、家庭用もさることながら、スペースインベーダー登場からファミコンが登場するまでのアーケード環境時代に、そうとう大きなノスタルジーを持ってる人なので、家庭用ゲーム機だけがゲームという感じはしないんですね。もっといろんなアプローチがあっていいだろうって思う。

ま、てなことで。

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