ISBN:4088599012 コミック 井上 雄彦 集英社 2002/04/25 ¥23,512

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とーとつではあるのですが、急にどうしてもスラムダンクを紹介したくなりました。

それは表題にもある「出来の悪い自分」を知る大事さについて語りたかったからであります。

このコミックスにおいて、主人公、桜木花道が、まさにそれを地でやっていて、僕的にとても好きな話だからなのです。

主人公の桜木花道(さくらぎ・はなみち)は髪の毛がもともと赤っぽい色をしているせいで、中学の時から不良扱いされてしまった粗暴な男です。腕力だけは自信があってケンカばかりしている。

それが高校に入って、可愛らしいハルコさんに誘われてバスケットをするに至ります。女目当て。向上心なんかさらさらない。

ところがここに恋のライバルとして、バスケットのプリンスとも言うべき流川楓(るかわ・かえで)という男が出てくる。まずシュートがうまい。しかもハルコさんがあこがれる。

花道は焦りますが、周りから「でかい体を利用してダンクをしろ」と言われて、その「ダンク」とやらの練習をします。これはジャンプ力がある花道ならでは。ボールを投げてリングに入れるのではなく、リングの下でジャンプして、手で直接ボールをリングにたたき込むやりかたです。

身体能力の高い花道は、ずっとこのダンク一本で勝負を続けるのです。それでなんとかなったから。(フンフンディフェンスというのもあったが、それはまぁオマケ。)

点取れるしね。もう、これ一本で「天才!桜木花道」と自分で言う。バカだから。

そして、もうずっと流川楓と張り合い続けるわけです。同じチームなのに。ひたすら流川を敵視する。

でまぁ、ずっとそのまま話は続くんだけど、途中で、練習の過程で、「ロングシュートのフォームをビデオに撮る」って言うのが出てくるんですよね。選手それぞれの。

で、それを花道は見るわけだ。花道はダンクはできても、ロングシュートとか全然できませんからね。

これがひどいわけです。
もう、型になってない。
どうしようもないわけ。

それを、花道はガーーーーンと、ショックとともに知るわけですよ。「なんだ、俺のフォームは!!!」って思うわけ。

ずっと流川を敵視してたから、流川の美しいロングシュートのフォームをよーく知ってるわけですよ、花道は。
それと自分の姿を比べて、あまりの違いに愕然とするわけ。(まねごと程度はやっていたりはするわけ。でも入らない。当然ですね。練習してないもん。入るわけない。)

で、実は流川という男は、もともとバスケットに対する才能がすごくあるうえに、キチンと練習もこなし続けてきてる正当派のバスケ人間なわけです。だから当然フォームも美しい。

で、花道は自分のシュートの姿も、その流川なみに美しくなっていると思ってたわけですよ。普段見てるフォームが真の天才流川が努力して身につけた最上のフォームだったから、それが「普通」と思ってたわけですね。
で、「ヤツと俺は、そんなに変わらんわい」と思ってたわけです。

でもビデオに撮って見ると、その差は歴然なわけ。どうしようもないくらいの差。あたりまえだけど。

花道にすれば、ショック。ショック。大ショックなわけです。自分の出来の悪さを、嫌でも知るしかなかったわけ。

で、ここで花道は「負けたくない」と思った。で、どうすればいいのかをコーチの安西先生に聞く(んだったと思う。うろ覚え。)。

そしたら、「練習です」って言われる。うんと練習しなさいって。追いつけるかどうかわからんが、とにかく練習せよと。
で、花道の偉いところは、ここからシュートの練習を始めるわけです。題して二万本シュート。

いやまぁマンガだからね。いきなり二万本とかの話になっちゃうけど、ようはここで、花道は「出来の悪い自分」の「受け入れ」をやってる訳です。

はっきり言ってね、この「出来の悪い自分の受け入れ」ができない人は成長はありえないんですよ。

もうずーーーーーっとダンクだけでどうにかしようとしてしまう。

もし自分のレベルを上げようと思ったら、この「出来の悪い自分の受け入れ」をするしか他に方法はないんですね。

ガーンと落ち込んで「わしが間違ってた」と自分の愚かさに気づく他に道はないわけです。こればっかりはしょうがないんです。

で、この「わしが間違ってた」と思えない人は、もうずっと身体能力にかまけたダンク狙いしかできず、敵チームにダンクを防がれただけで「能なし」になるわけです。もうそれはしょうがない。

ハルコさんの気持ちを動かそうにも、ハルコさんは「地道な練習の結果としての楓のシュートフォームの素晴らしさ」に心を奪われてるのだから、ダンクしかできない花道には同情はしてもらえても、あこがれてもらうことはできない。

だから花道は二万本シュートをするわけです。それは、ビデオが示す「出来の悪い自分」を、進んで受け入れるということです。
それはケンカで勝つことしか頭になかった花道にとっては、すごい屈辱なわけです。嫌で嫌でたまらない。

でも、花道は受け入れた。二万本シュートをした。
だから最後の盛り上がりのところで、シュートを決めるんだよなぁ。まぁ、これは付け足しみたいなもんで、本当に重要なのは「出来の悪い自分を受け入れる」というところ。

ここが本当にいい。
素晴らしい。

スラムダンクってマンガは、ようはこのシーンだけだと僕は思ってる。
ここにすべてがある。
他の話は、まぁどうでもいいや。山王とか敵チームの人間描写とかどうでもいい。
もうひたすら花道の「出来の悪い自分の受け入れ」、これにすべてがあると思う。

ここではたまたま完全版を紹介しましたが、もともとのジャンプコミックスは全31巻でね。連載されてた時も、ほぼ最初からずっとリアルタイムに読んでたのだけれど、あとで一度漫画喫茶で全巻通して読み直したら、「なんてすごいマンガなんだ」とあらためて思ったわけです。

で、その一番すばらしい、核となる話が、この「出来の悪い自分の受け入れ」って話だよなぁって思うわけで。

この後、作者の井上健彦は、宮本武蔵を題材にした「バガボンド」に行くわけですけど、そらもう、絵といい表現といい、神が宿ったかというほどにすごい。それはやっぱりこの「出来の悪い自分を受け入れる」ということの大切さを井上健彦が良く知っているからこそなんだと思うのよなー。

たぶん井上健彦も、自分なりの「二万本シュート」をしているはずなんだよ。で、それはどこかで「出来の悪い自分」の受け入れをしたからなんだよなー、きっと、って思う。

「出来の悪い自分の受け入れ」というのは、それほど重要なことなのだ。「受け入れ」だから、「否定」ではないのだよ。わかる?

「いまは出来が悪い」だ。
「でも明日はわからん」だ。

だから練習なのだよ。勉強なのだよ。そこが重要なのだ。

「出来が悪いからダメだ」は自己否定にしかすぎないので、意味ない。「出来の悪い自分の受け入れ」は、事実を事実として認識した上で、頑張るのか頑張らないのかを自己決定するってことで、これが「幸せ」につながる。

「出来が悪いから、もう練習はせず、バスケを辞める」というのも選択肢ではある。それでもいい。でも「二万本シュートをする」という選択肢もある。そこは自己責任、自己決定をするしかない。

で、その決定を責任持ってできるかどうかは、まず「出来の悪い自分」を認めてやることが先なわけです。愛情持って自分の現実を受け入れる。ありのままの自分を知り、それを愛するということです。

これこそがすべての成長の基本の基本だと思うのだ。

だから「君は間違っている」と指摘された時などは、大飛躍の大チャンスなのだから、素直に受け入れないとダメ。
ここで「受け入れ」もできないのは、単なるガキ。話にならない。バカです。

僕が本を読むというのは、結局いつも「自分の間違った認識をいかに修正していくのか」のために読む。勘違いしてるんだよ。人間は。花道みたいに「俺のフォームは素晴らしい」とか、勝手な妄想だけを頼りに生きてたりするんだ。

その「妄想」を修正するためにこそ、本を読むのだ。そこにこそ本を読む意味がある。で、そういう修正を正しく行うためには先にも書いたけど、「大事なところは赤線で。個人的に面白いと思ったところは緑線で」という区別が必要なわけです。

これはまさに「自分の妄想」と「ビデオの視点」の区別をちゃんとやるってことだ。それなしに本を読んでも意味ない。

実際花道だって妄想だけじゃダメだもん。「俺はきっとシュートフォームも素晴らしいに違いない」だけじゃだめってことです。

「じゃ、花道、お前、試合でロングシュート決めたことあるか?」と言われたら「ない」と答えるしかないわけでね。で、それは、もうシュートの型がなってないということそのものなわけ。

で、なにより重要なことは、その型がなってないということは、自分以外の他の人たちは、もう、みんな知ってるってことなわけ。「こいつにロングシュートはできねぇよな。」ってわかる。当人より周りがわかってる。チョンばれ。当人だけがわかってないんだよなぁ。

なのに、自分だけが「俺のシュートのフォームは素晴らしい」と思いこんでいて、それに気がつかない。
まさにバカです。かっこ悪いことこの上ない。恥ずかしくないのかねってことでして。いやまぁ気づいてないから恥ずかしくないんだろうけど。周りは気づいてるから、周りが恥ずかしいよなぁ。

で、その自分が気づいてないことを、教えてくれるのが、「叱ってくれる人」なわけなんだけど、バカはそこで気づくことができないのよなぁ。フォームの汚さを言われてもわからない。それこそビデオで自分で見るまで、全然気づけないわけだ。まぁ可愛らしいっちゃぁ可愛らしいが、迷惑この上ないわね、これ。

関係ない他人なら、「しゃーない」で済むけど、たぶん一緒に試合するチームの仲間だったら、ものすごく怒るよな。現実では。スラムダンクはマンガだから周りに叱る人が出てこないけど。
ほんと、叱られているうちが花ってやつです。

人間、誰にでも「出来の悪いところ」というのは永遠に存在し続けるのだから、一生、日々「出来の悪いところ」を愛して受け入れて、修正したいところは修正する、伸ばさないところはさっさと諦めるとか、日々自己決定していかないと、そら幸せにはなれないって思うのですよ。

だからまず、自分のありのままの姿、「出来の悪い自分」を認識するってことが大事だと思うのよなー、ほんとに。
これのできない人はダメだと思う。本当にだめだ。

僕的には、そういう人とは、付き合いたくないのですよ。だってずっと「俺のシュートは素晴らしい」みたいな妄想につきあうとかしないといけないってことだから。それ、時間の無駄だもん。ものすごーーーーいムダ。人生を棒に振る。そんなことやってられんもんなぁ。

「お前、それ間違ってるん違うん?」「何々どこが? ああ、ここか。自分ではわからんかったわ。さんきゅ。」「おうよ。俺も間違ってたら教えてな。」「わかった。まかせて。」

こういう関係の人としかつきあいたくないわけですよ。少なくとも、いま身の回りにいる人はそういう人ばっかりなので楽しいですが。

でもこれが「お前、それまちがってるん違うん?」「間違ってないよ。」「いや、間違ってるって。こっちから見たらようわかるもん」「そっちから見た言い方だけされても、こっちからは間違っているとは感じられないんだから間違ってないよ。」とか言われると、もう匙を投げるしかない。

勝手にやっててちょ、って思う。親切で花道における「ビデオの役目」をやってやってるというのにさ。まったく。
どうでもいいやって思う。

とにかく花道君は偉かった。自分の「出来の悪さ」を即受け入れ、それの修正に努力した。で、そういう努力は、経験から言っても、まぁ成功する。正しく自己認識できれば、努力のあり方も正しくなるものなのだ。自己認識もできてなくて修正努力をあれやこれや、いろいろやっても、すごーく遠回りなだけだ。

英語でもそうなんよなぁ。TOEIC受けるまでは、なんだかんだいろいろやってたけど遠回りばっかりだった気がする。まぁ、これはまだ結果でてないからなぁ。まだわからんけど、でも点数という「ビデオ」があるのはいいね。ほんとにそう思うわ。

ともあれ、スラムダンクは、ひたすら、このビデオのエピソードが好き。ひたすら好き。素晴らしいと思います。これぞ人生というものの縮図だと思う。

ま、そんなことで。

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