アダルトチルドレンだの何だのと書いているので、人によっては「親をうらんでいるのか?」と思っている人も、もしかしたらいるかも知れないと思ってふと気になって書くことにしました。

うちの親は典型的なギャンブル依存症だったので、ダメな親だなぁとか、ちょっとなんとかしてよとか、そういう情けない気持ちはすごく強かったけれど、基本的に「恨み」というような感情は全然なかったなぁと思うのです。

依存症の人間はおしなべて反応が同じなのですが、親子関係で依存症者の「対応」が問題になるのは、子供が親の助力を必要としている時に、「子供の側を向かない」「子供の言うことを聞かない」という部分です。

遊んで欲しいのに遊んでくれないとか、話しかけているのに完全に無視されるとか、そういう「コミュニケーション不全」が普通であることが問題なんですね。

「どうして話しているのに答えてくれないの?」という、まぁ素朴ないらだちでしょうね。話しかけているのは答えてくれるという信用・前提のもとに行っているわけで、そこが無視されるのが辛かったということです。

父の話からはちょっとズレますが、アダルトチルドレンの中でも重症になりがちなのは異性の親に問題があった場合で、女性なら父親、男性なら母親が依存症だったりすると端的な影響を受けることになります。

でも、僕の場合は同性だったので、親の内面心理も理解しやすく、比較的軽症で済んでいるのでしょう。異性だと内面が理解できなくて自己欺瞞も強烈になるようです。僕の場合は軽症なので、親への愛情はあるが、無視されるのは嫌という感じになったのです。

で、軽症だから、気づいたらすぐ修正できたわけですが、気づくまでに時間がかかった。これが大問題でした。ずっと自分を「まとも」だと思ってたんですね。

でも実はそうではなかった。感情の根っこのところで、「私は、肝心の時にうまくいかない人間なのだ」という無意識での刷り込みがされてしまっていた。そういう「刷り込み」は、親の態度に対して自分がどう反応し、親の態度をどう自分が解釈しているか、ということなので、基本的には自分の内面の問題でしかないんです。でも、そういう自分の問題の直視が大切なのであって、「親を恨む」とか「許す」とかで、自分の問題を見えなくさせる方がよほど問題なんです。

それはともあれ。

父という人は、前回書いたように、とても不幸な星のもとに生まれてきた人でした。人間は生まれてくる前に、「乗り越えるべき人生課題を自分で定めて、それを乗り越えるべく、この世に修行にやってくる。」という、「生きがいの創造」の考え方を適応すれば、実に苛酷な課題にチャレンジしている大した人だ、ということになります。

でも、その課題を乗り越えられたかというと、ちょっと乗り越えられたとは言えないだろうなぁ。

母親に捨てられた状態になった父は、祖父母(僕からするとひいじぃちゃん、ばぁちゃんということになります。一度会ったことはあるはずですが顔も思い出せない。)に育てられます。

が、この祖父母がどうも、もともとバクチ好きだったらしいのですね。父は子供の頃からバクチをするようになってしまいます。

ここでちょっとバクチとは何か? ということについて少し学問的解説をしておかねばなりません。

バクチをするお金が欲しくて泥棒した人の事を「遊ぶ金欲しさの犯行」などと言うことがありますが、あれは正確な表現ではないのですね。ゲームのことについて書いた先日の日記

http://diarynote.jp/d/12917/20060107.html

にも書きましたが、「遊び」というものは、現実社会と切り離された、別個のルールを守り、勝ち負けなどの結果を経て、きちんと「終わり」があるもののこと。遊びとは、その時間だけが独立し完結しているもの、なのです。

でもバクチは、「お金」という現実のルールがまとわりついてしまった不完全な形態なので、残念ながら「遊び」ではありません。バクチは単に、現実の世の中を取り仕切る「お金」というルールの破壊行為でしかないのです。「遊び」はルールを守るもの。ルールの破壊は遊びではないのですね。

バクチをして面白がっている人は、基本的に「お金」のルールを破壊して喜んでいる人なわけです。単純に言ってしまえば「世の中全体に対する反抗」でしょうね。そういう気持ちがベースにある。

この世には思い通りにならない事がある。その不満を、この世を支配する「お金」のルールを破壊することで肩代りしよう、というようなことです。

父の場合は、自分の母親(僕にとっては祖母)に捨てられたのだ、という現実の受け入れができなかったんでしょう。バクチの世界に足を踏み入れ、ひと時、「この世の憂さ」を忘れることが、どうしても必要になってしまったのだと思います。

まぁ、あんまり簡単には直視できないですわねー、親に捨てられた、なんて。

だから、もうそれはしょうがないって思う。課題がちょっとキツすぎたんだろうなぁ。乗り越えられなくても、こらしゃーないわって思う。

(ただし、しゃーないわとは思うけれど、乗り越えられない課題ではないのですよね。そこは勘違いしてはいけないと思う。世の中には本当の本物の「捨て子」という人がいて、親の顔も見たことがない、わからないって人がいてるのです。で、そう言う人が、素晴らしい人間になるという事も意外に多いのです。すべては学習なんですね。当人次第なんだ。)

ともあれ、子供のころの記憶をたどってみても、少なくとも僕が三歳くらい、第一次反抗期に入る前くらいまでは、自分が疑問に思ったことをキチンと教えてくれる、とても良い親だったという記憶が強いのですね。そういう父が大好きだった。

ただ、ひとつはっきり覚えているのは、父に答えられないような質問をした時の父の態度です。何を聞いたのかは覚えていないのですが、キチンと答えられなくなった父はプイと横を向いて答えをはぐらかしてしまったのです。

これはすごく良く覚えている。質問したのに答えがない気持ち悪さが、とても嫌でした。「あ、わからないから無視したんだ」と、子供心にもわかっていたように思います。

その後、もう少しして大きくなってから、「どうしてああいう時に無視するんだろう。わからないならわからないって言えばいいだけなのに。」と、実にまともな考えに至りました。そして「わからないのなら『おとうちゃんにはわからんけど、一緒に調べてみようか。』と、調べ方を教えてくれるようなそんな大人になりたいなー。」という僕なりの理想の父親像がイメージされたんですね。

このあたりは、いまでもいろいろ影響をおよぼしていて、わからないことをわからないと言えない人は、本当に嫌いです。

「わからない」ことがいけないのではなくて、そこにコミュニケーションを取ろうとしている人間がいるのに、それを無視していることが、とても悪いことなのだ、ということが分ってないわけで。

まぁ、でもそこで自分を見つめられないというのが、人間というものなのかも知れないんですけどね。

ということで、また3000字に近くなったので、続きはまた今度。

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