えー、「自分のこころ」について考えていて、ふと思ったので書きます。

頭を使うとか、考えると言うことは、たぶん部屋の中にこもっていたのではできないのだと思う。

表題に「足で考える」と書いたのを見て「ああ、出歩いていろんなモノを見て刺激を受けろとか、そういう事を言いたいのだろう」と思った人もいてるだろうけど、まぁそれは三分の一くらいしかあたってない。

もうね、純粋に「足が考える道具なのです」という意味なんです。別に何かを体験するとか見聞きする、見聞を広めるとかは関係ない。

いやいや、もちろんいろんなところに出かけた方がいいに決まってるのだけれど、それよりもっと物理的に「歩く」という運動が頭にも、心にも良いに違いないという健康法的発想の話なのであります。

なんちゅうかね、歩かないのはダメだと思う。心が濁るっていうかねぇ、何かといろいろ「溜まって」くるのだ。ダメダメ。

昔、フリーになったばかりの頃、出る金を抑えるために自宅でずっと仕事をしてたのだけれど、一年ほどして、何かと鬱屈してきて、嫌になって事務所を借りることにした。

いや、そうしないともうダメだったと思うのよなぁ。精神的に。

で、その時、「歩く」ということをする機会が増えたわけです。自宅から最寄り駅、最寄り駅から事務所。その間、ずっと歩く。

体を動かすとね、いやでも血流が変わるしね。気分だって一気に瞬間に変わっちゃうわけです。

でも、このすごい効果を、自宅でシコシコ仕事してると気づくことすらできなくなってしまうんですな。

足は第二の心臓とも言われていて、足を動かすことで血の流れが全然変わってしまうから、この筋肉が衰えるとほんとにダメなんだよなぁ。

年寄りでも、歩かなくなると、途端に弱る。足が大事なのだ。

僕に言わせれば、足は第二の脳みそで、これを使わないのは、ちょっとまずいと思う。バカになる。車・電車・バイク・エレベーター・エスカレーターその他、全然足を使わなくていい環境がどんどん整ってきてしまってるけど、やっぱり人間は足だと思う。

歩かないとダメだ。

いまの環境だと、自宅から駅まで10分。事務所の最寄り駅から事務所まで10分足らず。合計20分を往復なので、最低40分は毎日歩いておりますが、これだけでは全然歩き足りなくて、行きか帰りかのどちらかで、梅田あたりをブラブラすることがとても多い。

まぁやっぱ、一日最低でも一時間半は歩かないとダメだよなぁ。もの足りない。座って考える仕事なので、とにかく歩くとかの体を動かす作業をしないと、イライラしてダメなのだ。

で、歩くのがいいのは、ようするに「一人の時間」を持つことになるからなんだと思うのですね。
この孤独の時間をキチンと持たないというのは、よろしくないように思う。自分との対話の時間というか、すごく大事なんだよなぁ。足というポンプが血液を頭に供給しながら、つらつらと、この世のことどもを考えるというのがいい。

特に歩く速度というのが、身の回りのものの細部を観察しながらも次々に変化していくという特徴を持っているので、これがまた良いのです。木々の変化や、街の中の人の表情や持ち物、ポスターに書かれた情報などなどをキチンと捉えながら、それらが連続して、「この世」になっているのを感じ取れる。

これがいい。

家の中にしかいないと、家族という関係性しか見えなくなって家族バカになるし、仕事場だと同じ構造で仕事バカになるわけですが、そのどちらでもない中間部分、個人と社会をつなぎ止めている接着剤部分を、たんねんに体感することで、部分と全体がくっついて、この世を生き生きと感じ取れるっていう風に思う。

で、それを「生き生き」と感じ取れるのは、やっぱり「足を動かす」という第二の心臓、第二の脳みそを活躍させているからで、これをちゃんと毎日動かしてない人は、どんどんストレスがたまってどうしようもなくなると思うのですよね。

鬱病とか、その他各種の精神病のリハビリにも作業療法とか使われるけど、基本的には同じ事ですわね。体を動かすことで、体のサビを落とすというような、そういうことです。

で、この効果はすごーく大きいと思う。

なんか最近、自転車がブームで、知り合いの制作会社の社長さんも自転車に乗ってるというのをブログで書いていたり(なんと輪行までしてる!→輪行:自転車を分解して電車に持ち込み電車と自転車の両方を使ってサイクリングすることらしい。よくわからんけど。)、mixiのほうでも、知り合いの同年代の人が自転車通勤をしていたり、あのアイデアマラソンの樋口さんが世界最軽量の自転車での輪行されていたり、この日記でもRyoさんが自転車に乗っていたりで、なんかみんな足を使ってるんだよなーって思う。

なんちゅうか、実感を持った上で、停滞することなく、前向きな生き方、考え方をする人って、足を使っている気がするのですよ。

それは「考える」ということが、歩く、生きるということとつながっていて、そのつながり感が社会全体を「どのくらいの力でどのくらい移動できるか」という「体のモノサシ」で計測しているから、無理なくコントロールできているというような、そういう健全さがあるせいなんじゃないかなぁと思う。

なんでもないことのようだけど、すごく大事な気がするのですよ、このことは。

ちなみに、私、仕事が忙しくて、事務所にお泊まりして作業するような時に、事務所の中で、それこそ檻の中の熊みたいに、机の周りをエッチラオッチラ、歩きながら考えてたりするんですな。

やっぱり足で考えてるんだと思う。血液を足のポンプで頭に送って。

こうすると発想が出やすいんだよなぁ。
表に出て行って歩けばいいってなもんだけど、外に出ると、ひらめいたときに、すぐにパソコンに向かえないというのが辛いわけです。事務所の中だと、すぐに机に戻れるからいいのです。

で、この効率の良いやり方は、一人で事務所にいるときしかできないわけで。
だって、事務所の中を誰かが歩き回ってたら迷惑でしょ?
ほんとね、毎日でも、この方法で仕事したいくらいなんだけど、そうもいかないもんなぁ。

ま、ほんと、みなさん、歩いてください。自転車でもいいし。
(ちなみに私は、引っ越しした当初10分の徒歩を短くするために自転車に乗ってたのですが、すぐに駅に着くのが面白くなくて徒歩に変えてしまいました。徒歩の方が楽しい。ずいぶんと。自転車なら、事務所まで自転車通勤だろうなぁ。)

で、日々、何かイライラすることのある人。ぜひ「歩く」環境を生活の中に取り入れて見てください。毎日でないとダメですよ。週に一回とかじゃダメ。
ホント、いいものです。

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