月に3回、ウクレレを習いに出かけているのですが、最近は一緒に練習している仲間の方々ともども、けっこう力がついてきておりまして。
TAB譜という、ウクレレ専用に書き直された楽譜なら、全員、かなり初見で弾けてしまうのですね。まぁ、先生から譜面を渡されても、一週間あれば、弾くだけなら、まずたいていは1曲全部弾けるようになっております。
はじめて覚えた曲が、まるまる一年かかってやっと全部弾けるようになったと言うことを思い起こせば、自分的にも大進歩なのであります。

ということで、うちのクラスは全員がそこまでは到達してるので、逆に先生が僕たち生徒を「お手本演奏の弾き手」として利用する、というところに至っておるんですな、これが。

うちの先生はアンサンブル(合奏)のスコアも書ける人で、よくオリジナルで合奏用の楽譜を書いてくれるんですが、これが単に「伴奏とメロディライン」というような単純なものではなくて、3パートあれば、それぞれに伴奏に回ったり主旋律に回ったりと、見せ場や難しい課題とかを織り込んで、振り分けて楽譜を書いてくれるわけです。
だから、どのパートを練習しても、まんべんなくいろいろ練習できるようになってる。

で、そういう「教材」を作ってくださってはいるんですが、いかんせん、初心者には譜面だけを渡しても、合奏の完成した姿はわからないわけです。和音を上のパートと下のパートに分かれて弾くところとか、実際に弾いた曲を聴かないとイメージが湧かないわけです。

で、それを先生が弾いたところで各パート別々にしか弾けないわけですよ。完成した合奏の姿にはならない。
だから、その「お手本演奏」を、我々のクラスでまず弾かせて、その録音素材を、他のクラスの授業で使おう、という魂胆なわけです。(笑)

でまぁ、曲にもよりますが、細かな修正やらスピードの調整などを含めて1曲あたり1ヶ月、3回くらいの練習で録音してしまうと。
その録音データの共有にDropBoxがけっこう活躍してるわけなんですね。

いままでは、録音するとなると、まず教室備え付けの機材か、MP3レコーダーかを用意して、録音した後それを聞こうと思ったら、教室に行くか、CDに焼いてもらうかしないといけなかったわけです。もちろん、録音した素材をパソコンにアップロードとかもするんですけど、そうなると家でしか聞けない。そんなこんながあって、録音から最低でも一週間、悪くすると数週間たってから「この間の録音持ってきました」だの「アップロードしときました」だのという話になるわけです。

ところが!
このたび、先生が携帯をiPhoneに変えて、DropBoxを導入までしたものだから、そのあたりがものすごく効率化されてしまったのですな。

まず、先生の生徒たちはみんなDropBoxユーザーになってしまいました。で、先生がDropBoxにデータを上げたら、みんなが一斉に自動的にそれを聞ける。
これだけでも便利なんですが、DropBoxはiPhone用のアプリも出てますからiPhoneでも聞けるし、データのアップロードもできるわけです。

昨日など、うちのクラスのお手本演奏を先生がiPhoneで録音、それをすぐにドロップボックスにあげてくださったので、帰宅途中に自分が演奏したデータが聞けたわけです。
いやー、なかなか画期的であります。

実際、各パートの練習にしても、アンサンブルの全体イメージにしても「お手本」があると、学習進度はものすごく速いんですよねぇ。ほんとうにDropBoxさまさまなのであります。

いやぁほんと、DropBoxは便利ですなぁ。

一日に2アーティクルも書くのは珍しい事なのですが、今日は表題のウクレレのコンサートに行って参りまして、なかなか良かったもので、ちょっと書きたくなったのであります。

ウクレレ・スーパージャム 2009
http://tomorrowhouse.show-buy.jp/ukulelesuperjam/news.html
出演者
http://tomorrowhouse.show-buy.jp/ukulelesuperjam/lineup.html

ずっと東京でやってたイベントらしいんですが、今年は関西初上陸ということで、かの「ウクレレの神様」ハーブ・オオタ(オータサン)と、その息子であるジュニアの共演が目玉。

しかし、その他にも、フラリーパッドやT.T.CAFEは出るし、なにより、カナダのウクレレの王子様、ジェームス・ヒルが出る。
ということで、出演者がかなり良いので、出かけたのであります。ウクレレ教室のお仲間も、「この出演者は良いですねー」と一緒に行くことになったのであります。

いざ行ってみると、会場には関西のウクレレショップとしては有名な、あの岸和田のウクレレ店「オハナ」がブースをかまえていたり、関西の個人でやってるウクレレ製作工房の人たちのウクレレの即売会もやっていて、それだけでもなかなか楽しかったのであります。けっこう自由にさわれたし。

で、また、演奏がどれもこれも、それぞれに個性的で、すごく魅力的。みんなウクレレを使ってるんですけど、やってる曲とかスタイルとかに共通項がまったくないのですなぁ。みんなそれぞれに自分のスタイルでやってるっていうのが良くて、とにかく飽きない。

4時開演で、20時までの4時間という長丁場だったのに、ちーとも飽きなかった。いやー、良かったですな。

なんというか、「ウクレレ」という、ソロから伴奏まで、なんでもできるけど、何をやっても全部中途半端にしかならないとう楽器の特性が、逆にそれぞれのアーティストの個性を際だたせるんでしょうね。「限界があるなら、アピールしたいのはここだ!」という割り切りが出てくるというか。
とにかく楽しいイベントでした。

で、やはりすごいのは、神様オータサンですなぁ。やっぱりスターやなぁって思います。
たとえばジェームス・ヒルなんてチェロとコンビで出てくるし、ギターとウクレレのフラリーパッドとか、それぞれに演奏自体に工夫をこらしてて、楽しませる演奏が続いた後に、ひとりでふらりと出てきて弾き始めるわけですが、最初に一言、

「僕の演奏は地味だから」

と、こうくる。
オータサンのパフォーマンスを見るのは二回目なので、このオッサンギャグにも慣れたものなんですが、今日は演奏がはじまって、途中まで弾いたところで、弾きながら「ね、地味でしょ」とかまで言ってる。(笑)
会場が、ドッと笑いますな。
それだけで「つかみはOK」って奴ですよ。
あとは、珍しい曲を弾いては「みなさんこの曲、知らないでしょ? だから僕が手抜きをして弾いていてもわからないね。」とかギャグばっかり。
でも、いざ弾き始めると、やっぱ色気が違うんだよなぁって思う。
テクニック的には、ほかのアーティストの方がうまいのかも知れないけども、やっぱり曲、音楽として良いのですなぁ。そこがすばらしい。

いやー楽しかった。

これに加えて、途中で抽選会があって、指定席の番号でいろいろプレゼントがあったんですが、なんと恐ろしいことにその景品の中にフェイマスのベビーウクレレが10台とか、とんでもないものがあったりして、より一層びっくりなのでありました。
一緒に行った人がきっちり当たって、ウクレレもらってましたけどね。あーすご。

ともあれ、なかなか良いイベントでありました。

うーん、ウクレレ好きの人間にしかメリットのない情報だなぁ。まぁいいか。
ま、そんな事で。

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●失敗を生きる
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ウクレレをやっていて、いちばん大きく学んだことは、「失敗を生きる」って事だと思う。

ウクレレという楽器は弦が4本しかないんですよね。で、本来はあくまでフラの伴奏用として発展してきたから、サブの楽器であることが使命で、この一本で何かがどうにかできるというものでは、本来ないんです。

単純に言ってしまえば、コード。
コードというのは、通常は3音でひとつの和音となっていて、(ドミソでCコードだとか。)それに7thとか6thとかの音が上乗せになり、また基底音としてのベース音が必要なわけです。(ドミソならドの音がベース音で、一番低い音になってる方が安定性は良いとか言うこと。)

でも、ウクレレは4本しか弦がないので、ちょっと凝ったコードとか弾こうとすると、キチンと基本に則った和音構成にすることができないわけです。

とくにハイGチューニングって言って、もっともポピュラーなチューニングのウクレレだと、4本の弦があっても、1弦と4弦のカバーする音の差がすごく小さく設定されてるんですね。ソとラだから隣同士の音と言っても良いくらい近い音になってます。(で、だからユニゾン的音の響きがあって、そこがウクレレの可愛らしさの秘密だったりもするんだけど。)

だから、実質、ウクレレは3弦しか弦がないのとおなじなので、まともな音楽をかなでる事ができない、もともと「失敗している楽器」なわけです。

なんせ、楽譜・楽典上は、まったく別のコードなのに、ウクレレで弾くと、弦の数の少なさから、「同じ押え方やん!」となってしまうコードがかなりあるのです。作・編曲者の意図を無視してます。
ちゅうか、意図をキチンと再現できません。(笑)

でもね。

だから良いのだ、っていう部分があるわけですよ。

それは、「最初から失敗しているのだから、もう失敗のしようがない」というような安心感なわけです。

どんなコードを弾いても、似たような音にしかならない。だから、気合い入れて頑張っても、気を抜いて適当にやっても、出てくる音に、差はあまりない。みたいなところがウクレレにはあるわけです。

でもね、だからと言って、努力してその努力が報われないか? というと、これがけっこう、そこそこ報われたりするんですよね。

それは、ウクレレの神様と言われてるハーブ・オオタさんのソロ演奏なんかを聴いてると感じる。「こんなハンデのある楽器で、ここまでできるのか!」って言う驚きというか。

ちゅうか、多分、音楽の事を全然分ってない素人が聞いたら、たぶん「普通の楽器が普通の演奏している」ってだけにしか感じないだろうなぁって思う。
でも、しかし、そこが本当はすごいわけなんだよね。

でも、そういう「上」の世界はあるけど、「下」は本当にどうしようもなく「失敗」している楽器だから、まぁそれはそれで、失敗そのものを受け入れて生きる、というのが、この楽器好きの基本的態度になっていくわけです。

そういう部分から学んだ事は多いのですよね。

●できない事はあきらめる。
●できることは、より上手にやる。

みたいな事でしょうか。
そういう事がすごく大事なんだよなぁ。
生きていく上で。

それはたぶん、「限界があるなかで精一杯生きる」ってことなんだろうなって思う。
この「限界を知った上で」って言うのが、かなり大事な事なんですよ。
その限界を身近に感じておくこと。
それが幸せの秘訣なんだと思う。

所与の条件というものが人間にはあるんです。こればっかりは仕方ないって思う。アダルトチルドレンの話でも同じ事。親の人格その他に問題がある、なんてことはザラにある。だから、そういう所与の条件として「私は基本的な生きるスキルに不足部分があるぞ」とわかった上で生きるってのが大事なんですよね。

限界を知った上で努力する。

そうすると、ウクレレの神様、ハーブ・オオタさんが弾く演奏のように、パッと聞くと素人見には「普通の楽器やん」ってところまでは行ける。
いや、そこまで行けなくても、フラと一緒になれば伴奏楽器として、とても重宝されるわけです。

この他者と補い合うってところも、ウクレレを習いに行って学んだ部分ですなぁ。
合奏がね、良いんですよ。
とにかくいい。

個々のパートは、さして難しくないんだけれど、だから簡単に弾けてしまうわけですが、それが一曲にまとまると、ハーモニーになる。

よく「なんちゃらとなんちゃらのハーモニー」なんて言いますけど、自分で実際に弾いて、それでハーモニーを感じると、本当に幸せ感が大きいのですよ。

ひとりひとりは限界があってもいい。
ただ、やれる範囲の事をていねいにやるって事が大事なんだよなってつくづく思う。

ウクレレはピアノじゃないから、低音から高音まで全部が出てくるようなアレンジは無理。
そこを理解した上で、先生はアレンジ譜を書いてくれるし、その範囲で充分に楽しい。

でも、世間の人間には、ウクレレはピアノみたいにすべての音が出ないからダメとか思っちゃう人も多いよなって思う。
あるいは、自分がウクレレなのに、必死になってピアノ曲の楽譜を弾こうとして失敗してる人とか。

この手の失敗は自分が下手なのでもないし、楽譜が悪いわけでもない。自分の持ってる楽器がウクレレなのだと気付いてない事が問題なわけですよ。そこに気づきさえすれば、可能性はいくらでも広がっている。

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●難しい課題と失敗と練習と。
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それと、ウクレレから学んだ事で、かなり重要だったのが、「難しい課題に挑戦する意味」なんですな。

簡単な曲とか難しい曲とか、世の中にいろいろありますけど、やっぱり課題の中には難しいものもあるわけです。コードの押え方がしんどいとか。

ま、それは聞いてる人にはわからない事で、そういう難しいところでつまづいたとしても、逆に聞いてる側は失敗とは気付かない、てな事もあるわけですよ。だから、そこはできる範囲でサラッとスルーしても別に悪くはないわけです。

でも、やっぱり一曲の中で2、3カ所難しいところがあると、それはなんとか弾けるようになりたくて必死に練習するんですね。

で、練習するとどうなるか?

これが素人の僕程度では、そう簡単には克服できないわけです。(笑)

弾いても弾いても、同じところでつまづく。難しいところは、やっぱり難しいんだよねー。

でも、そうやって弾いていくと、簡単なところはどんどん上手くなるんですな。リズムキープするとか、和音の響きがキチンと出るようになってるとか。

それは、自分にとっては、「すでに出来ること」だから、あんまり進歩の実感がないわけです。「そのくらいはできらーな」と思ってる部分なわけで。こっちとしては克服したいところが克服できてないのだから、意味がないわけです。なので、また難しい所を含めて頭から練習するわけで。

で、結果、難しいところは弾けないんですよ。でも、素人の人間が聞くと「おお、えらい上手くなったなぁ」って思うわけです。「どこがどうとかわからんけど、上手くなったよ。」ってほめられる。

そういう事なんですね。苦手克服にチャレンジするって事は。
別に苦手が克服できなくても良いのです。出来ることが上手になってるなら。
でも、その「出来ることをより上手にやるために練習する」なんて事を、実は人間はあまりやらないのですよ。だって「すでにできてる」と思ってるから。本当は「キチン」とはできてないんやけど、そこには気付けないのですなぁ。まぁそういうもんなんです。

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●島国文化のこと。
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で、こういう限界を知るって部分は、ウクレレがハワイという島国で生まれたという事と無縁ではないって気がするわけです。まさに「島の文化」だなぁって思う。

日本は島国ですが、ほんとうの小島に行くと、島国がいかに視界が良いかが良く分かる。瀬戸内海の小島に遊びで移動したら、四国も神戸も大阪も広島も全部見れたんですね。でも、そういう視界の良さを、それぞれの都市の人はあまり知らないのです。

島国文化というと狭苦しい、偏狭さを持っているように感じるけど、それは半分当りで、半分は間違いなんだよなぁって思うのです。

日本の固有の音楽は、ヨナ抜き音階と言って、ドレミファソラシという7つの音のうち、4番目のファと7番目のシの音を抜いたスケールになってます。だから、ドレミソラドの音だけで曲を作ったら、すぐに演歌っぽい曲が作れる。

これは西洋音楽からしたら、特定の音を抜いてるだけだから、すぐわかるし、幼稚に見えることだろうと思います。

で、沖縄の音楽は、「ニロ抜き」でレとラを抜く。「ドミファソシド」です。

日本人はいまや、ヨナ抜き音階なんて忘れてるけど、沖縄は小さな島だから忘れてない。

「島唄」を作った宮本誰だっけ?は、だから、当初は沖縄の古老たちからは嫌われたらしい。出だしと最後はいいけど、真ん中の「ウージヌ森で、あなたと出会い」のところは沖縄音階ではないのですな。だから「この歌は沖縄の歌ではない」と言われた。

でも教科書とかにも載ったらしいんだよね、この歌は。だから若い世代が「島唄」も沖縄の歌だ、沖縄の人間ではない人が沖縄を愛してくれて作ったのだから沖縄の歌だと言って、いまでは沖縄でも認められてるそうです。

でも多分「○○抜き音階」っていうのは「○○がない」って所に存在価値があるわけだから、他の音が入ってしまったら、それは雑音なのであって、美しくなく、音楽自体でなくなってしまうのだろうとも思う。音楽の概念そのものが変質してしまう危機なんだろうなぁと。

これが本当の意味でのアイデンティティの崩壊なのだろうと思うのです。いままでなかったものが存在することで、ある体系が壊れてしまうのだ。

ウクレレで言えば、実はウクレレの神様と呼ばれるハーブ・オオタさんは、それまで伴奏楽器でしかなかったウクレレでソロを弾いて、それでソロウクレレというジャンルを世界に広めた偉大な人なんだけど、多分、そういう事はハワイでは最初、「ウクレレの本道を外してる」と言われたに違いないって思う。

なにせウクレレは、本来伴奏楽器だったのだから。
ハワイにはフラという「言葉」があった。
踊りじゃないですよ。言葉です。

その言葉によるメッセージを補強するというのが楽器の役割だから、ウクレレが一人でしゃべったら、そらアカン、という事になるんやろなぁって思う。

でもハーブ・オオタさんはそれをやぶった。

やぶったけど、島国に住んでる人たちは、島国から抜け出る事はできないのです。

と言うことは、世界を席巻している標準的な音楽の考え方を、甘んじて受入ながら、それでも、「○○抜き」ではなくなった音の世界で、なんとか「○○」を抜きながら、自分たちの文化を上手に守っていくしかない。それは「○○」の音を受入ながらね。

ハワイの音楽はエルビスプレスリーのブルーハワイでもそうですが、アメリカ本土でも人気が出て、アメリカの作曲家が「ハワイ風の曲」というのをいくつも作って、そんでまた、そういう曲が人気が出た。アメリカン・ハワイアン。

だからハワイに旅行に出かけた人は、そういう事も知らずに、「あの曲やって!」とか言うだろうし、それを多分ハワイの人は、だまって受け入れて、ちゃんと弾くんだろうなって思う。

でも、そうやって旅人と仲良くなっても、別れの時には絶対アロハ・オエだ。別れの曲は、アロハ・オエというハワイの心の曲でないと許されない。旅人は、やってきて去る。どんなに良い関係を結べていても、島国に来た人は去る。だからアロハ・オエは大切な島の歌なんじゃないのかなって思う。

島国の人たちは、自分たちの世界が狭い事を良く知っている。だから、自分たちの文化が翻弄されても、もっと広くて大きな社会の流れの中に、なんとかゆったりと抵抗しながら付き合っていくしかないと言うことを、良く知っているのだろうと思う。

島国は回りを見渡しやすいのだ。本来は。

でも、日本はダメよな。大国日本だとか勘違いしてる。本当は小さいのに。もっとハワイや沖縄の人たちの生き方から学ばないとダメだろう。

ハワイの人がアロハ・オエを守るような事ができてないって思う。日本人は。
世界の真似は一生懸命やるけど、「それでも残さなきゃ」という、アロハ・オエがない。
そこは、やっぱりちょっと寂しい。

それもこれも、結局は「限界を知ってる」かどうかだと思うのです。

ウクレレしか持ってないのに、ピアノ譜を見て「弾けない!何故?」とか言ってるのが、やっぱり今の日本人なんだよなぁっていうことを、すごく強く思います。

それは自分を含めてなんだけど。
日本は超大国? そんなんホンマか?
で、そういう超大国であることが幸せにつながることなんか?
ほんまにピアノ譜、弾けるの?
ウクレレ用のアレンジの方が良くない?

とかって思うんやけど、なんか日本人ってアメリカン・ハワイアンみたいな曲ばっかり弾いてるよなぁって思う。それがアメリカン・ハワイアンやと気づきもせずにさぁ。

ああ、なんかウクレレから学ぶというより社会時評になってきたので、これでやめます。

昨日は、ウクレレの仲間うちで練習。

9月に発表会があるのですが、もうあと4回しか練習の機会がない。その割には仕上がりが実に悪い。やばいよねぇって事になって自主トレをすることになったのであります。

僕らの自主トレは、いつもカラオケルームなのでありまして。
みんな仕事の帰りに集まるのだから、時間が自由に設定できて、軽い食事などもその場でとれるカラオケルームは、大変にありがたいのですね。

最近、どうにも先生の課題がキツイわけです。今回の曲も、いつもなら、「どんな曲がやりたいですか?」と聞いてくれて、あれをやろう、これをやろうとひとしきり話をするのだけれど、今回は数ヶ月前から、先生の方でオリジナルの総譜を用意されてて、「譜面書いたし、これをやりましょう」って感じだったのですわ。

で、これがまた、タンゴでありまして、リズムが難しい。

何が難しいって、リズムみたいな、基本的なところをキチンとやるのが一番難しいのですな。いや、ほんとに。
うちのウクレレ教室の先生は、そのリズムに実にうるさい人で、いまだに授業の最初の数分間は運指とリズムの基礎訓練をやるのです。

で、これがまた、半年単位で、ちょっとずつ難しい基礎訓練に変えていたりする。「今回からは、このチームの基礎練習はこれでいきます。」とか。常に課題を少しだけ高くしてるわけです。

いや、しかし、このやり方は実にまっとうなんですけどな。一気にやるより、少しずつちょっとずつ負荷を高める方が良い。長続きするし、長く続けた時の効果がすごいわけです。

でもまぁ、自主トレは先生がいないので、基礎練習はなし。(笑)
だって、発表会まで時間ないし。とにかく通して弾く。

で、まず最初の一回目を録音しておいたのであります。
一番下手な状態を、まず知る。

で、みんなで聞く。

「ボロボロですねぇ」って話になって。

これは実はTOEICを受けて学んだ事なのですね。
TOEICと資格試験は考え方自体が違っていて、資格試験だと「合格」しないと意味がありません。
でも、TOEICは、「現在の実力値」を指し示す「ハカリ」なわけです。減量するのに、体重計に乗る、体重計と同じ事。現実の自分の英語力を測るのに最適なモノサシなわけですね。

だから、TOEICは、いちばん成績の悪い時に受けるのがベスト。なぜなら、次に受けた時の「伸び」が楽しみだから。

という事と同じで、後の伸びが楽しいと思ったので、自主トレの頭一回目を録音しといたというわけです。

が、しかし、ほんまに、あまりにひどかった。ボロボロ。

ちゅうことで、けっこうみんな真剣に練習するようになりまして、とりあえず、個人のパートをガンガンにそれぞれに練習。

で、そのあと全員で合わせる事数回。そろそろ利用時間いっぱいになってきたので、最後の一回だけを、また録音して終了。

これをネットでHPにあげておいて、みんなで聞くという事にするわけですが、聞き直してみると、やっぱり、最初のボロボロ演奏に比べると、格段にそろってるし、まともに聞けるものになってる。

考えてみると、たかだか1時間半とかの練習時間で、これだけ合うっていうのも、先生が基礎にうるさい人だからでしょうねぇ。
多分そういう事だと思うのだ。
やっぱり基礎に勝るものはない。付け焼き刃では音楽とかをキレイに演奏するのは無理なんよなぁ。やっぱし。

ちゅうことで、多少は進歩が見られて、ちょっとほっとしている私ではありました。
ウクレレの事をもう少し。

ウクレレ大好きで、日々ずっと楽しんでる訳ですが、このウクレレが、どうにも楽しくない時が一時期ありました。

そりゃもう、何をどうやっても面白くないんですな。弾ける曲を練習しなおしても面白くないし、簡単な基礎練習をやっても面白くない。

で、面白くないとミスが増えます。で、ミスが増えるとよけいつまらなくなる。

なんだぁこれは? と、もう大変悩んでおったわけです。

悩んでいた時はウクレレ教室に通い出して三四ヶ月たった時だったから、何をやっても楽しかったし、いろいろ課題も見えていた時期で、「あれも練習したい、これも練習したい」と、いろいろごちゃごちゃとやっている時でした。気持ち的には飽きるはずがない、というような段階だったわけですね。

でまた、仕事も忙しくて、山のように原稿を書いてもいたんですね。だから合間の楽しみであるウクレレが「楽しくない」ものになってしまうと、それこそ面白くなくて「うーん困ったなぁ」と思っておりました。

が、しかし、なんで面白くなかったのかは、それからしばらくして判明することになったのでありました。

ある日突然、腕が痛い。手が痛い。
腱鞘炎であります。
まぁ二週間ほど右腕が全然使えませんでした。(笑)

ウクレレどころではなくて、仕事もできない。しょうがないので音声入力ソフトは導入するわ、慣れた愛着のあるJISカナ入力とはおさらばして、ローマ字入力に転換するわ、仕事の環境の大変な大変更までせねばならなくなってしまったわけですが。

仕事でキーボードは打つ、仕事につまったら気分転換にウクレレを弾くという事で、心の気分転換はできていたけれども、指の肉体的休息は得られず、全然休むヒマがなくて指や腕が悲鳴をあげてたんですね。ようするにやる気が出なくなっていたのは、「疲労」のせいだったわけです。

肉体的な疲労が、ゆっくり、うっすらと蓄積していて、「気分」にまで影響していたわけです。

ははぁ、こんな事もあるのか。

と新たな発見をしたものです。気分として楽しいものだから、自分が疲労してるんだという事に気付かなかったわけです。精神的には楽しくてしょうがないんだけど、体が拒否反応を起こしていたわけで。

なんと言うのでしょうか。やっぱりバランスなんですね。つねに「全体を見渡す意識」というのが必要なんです。

で、前に紹介しました岡本浩一さんの「上達の法則」
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8A%E9%81%94%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87%E2%80%95%E5%8A%B9%E7%8E%87%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%84%E5%8A%AA%E5%8A%9B%E3%82%92%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/4569621988

の続編とも言える書籍、「スランプ克服の法則」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E5%85%8B%E6%9C%8D%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/4569629814

という本を読んだら、ちゃんとスランプの原因のひとつに「肉体的疲労」がリストアップされていて、「肉体疲労に気付かないこともあるから注意が必要だ」という事までキチンと書かれてあったのでした。

まいった。やっぱり岡本さんの本は優れている。大したもんだと感心したわけなんですが。

そう考えてみると、ウクレレ教室のカリキュラムの組み方が実にうまい。基本が「月に3回の練習」となっているのですね。

月曜日が練習の日なので、「毎週月曜を練習とかすりゃぁいいのに、なんで中途半端に月三回なんだよぉ」と思ってたのですが、どうもこれ、こういう教室運営の長年のノウハウの結果であるように思えるんですね。

一ヶ月というのは、4.5週ですので、月曜日というのは4回から5回あることになります。で、僕のクラスの場合は「第一月曜はお休みで月三回」となっておりまして。

ようするに「お休み」が計画的に組み込まれておるわけです。この予定の組み方だと二週間あるいは三週間くらい休みになる事も出てくるわけですが、これが逆に「月のリズム」になってくるわけです。

単に「毎週月曜」だけだと、「週のリズム」しかないんですね。でも、月に一週は最低でも休みがあると「月のリズム」が組み込まれることになる。視点が一段階、上のレベルに上がるわけです。

具体的にはそんな難しい事までは考えてなくて、こういう変則的なスケジュールの中に身を置くと、それこそ機械的に「毎週行けばいいんだ」という単純な発想にはならずに、いやでも「今日は練習のある日だったかな?どうかな?」と考えざるを得ないのですね。教室で配られた予定表(名刺サイズの予定表をくれるので、それを財布に入れておりますが。)を見て確認する作業が必要になるわけです。

で、この「今日はどうだっけ?」と確認する作業が、まさに自分を振り返る行為そのものになってるわけです。お休みがあるから、その間の週にウクレレ以外の事もできる。肉体的にも精神的にも余裕が生まれるわけです。ここが思ってた以上に重要なわけです。

自分との対話、ですね。

何かをやってる自分、というのは、それはそれで偉いのですが、ちゃんと休んでる自分もまた偉いわけです。休息を取るということは必要な事であって、その必要な事をキチンとやっているかどうか、という事です。

だから長く続けるには「休みの管理」というのが必要で、それは言い方を変えるなら「計画的にサボる」という事でもあります。

まずは、これが必要なんですね。何事をするにしても。
この「計画的にサボる」という事無しに、何事かを長期的に成し遂げるというのは、相当に難しいようだ、というのが、この時に気付いた出来事でした。

楽しい気分を維持するためには、「計画的にサボる」という事が必要なわけです。

ものすごく抽象的な言い方になりますが、「やっていないことが、やってる事になる」とでも言いましょうか。「『やらない』をやっている」と言いましょうか。そういう気分が大切なんですね。

もっとひっくり返して言うなら、「休む」から、「続けるかやめるか」を自分に問いかけることができる、とも言えるわけです。単に毎週やるだけというのは惰性にしか過ぎません。

愛情と惰性は違う。違うけれども、じゃぁどう違うのよ? って事でもあります。

惰性でやってると、本当に自分がそのことを「好き」なのかどうかも、よくわからなくなってくるんですね。だから好きなことを、いったんさぼって、「続けるのか、やめるのか」を自分に問いかけないといけないわけですね。さぼる事も大切な意志なわけです。だから、本当に愛情があるなら、上手にサボらないといけない。

まぁ、さぼり過ぎるのも問題なんですがね。
去年の年末は仕事が忙しすぎて、二回連続してウクレレ教室をお休みしたんですが、そうすると一ヶ月休んだことになってしまって、久しぶりに教室に行ったら、指ならしの基礎練習で、すでに腕が痛い。なまってたんですねー。腕が。それも筋肉ごと落ちてる。握力が落ちてるからネックを握る力が落ちてたわけで。

どっひゃーでしたな。
あんまりさぼると、こういう揺り戻しがあるのかぁ! でありました。
やりすぎもいけないけど、さぼりすぎもダメって事ですな。

ともあれ、続けるというのは「日常」にするという事ですから、無理して続くわけはないのであります。どう上手に生活に組み込むのかが大切。で、そのためには、まず「休み」をちゃんと組み込むこと、というのが大事なわけでありました。

ともあれ、趣味は自分の楽しみでありまして、まさに自分を愛することの基本であります。
そこから見えてくる事は多々あるなぁと感じております。
久しぶりに、ウクレレの話が書きたくなりました。
趣味として長々続いてるわけですが、なんだか知らず、やたらと楽しいです。

ウクレレ教室に習いに行ってる訳ですが、ここのチームもまた、仲が良くて。

決して「超うまい」というわけではないんです。素人ですから。でも、まぁ、簡単な楽譜なら初見でそこそこ弾ける人たちばかりなので、何をやっても楽しめるんですね。レベルが似てるから楽しいのかも知れない。

もともとウクレレというのは、最初から「ヘタレ」の楽器でして、頑張るような楽器ではなくて。そういう意味で言うと、教室に来てる人たちも「そこそこでええやんか」という幸せな発想をしてる人たちばかりで、そこがまたいいのかも知れない。

ウクレレという楽器は、本当に軽い楽器でして、何と言っても有名なのは、「やんなっちゃった節」の牧伸二さん。漫談で使ってるのはやっぱり調子が軽いからですね。

一時期牧伸二さんも流行に遅れを取るまいとギターに持ち替えてネタをやったらしいんですが、ギターは大きいし音が重い。それでネタがどうしても重くて暗くなっちゃうので、結局ウクレレに戻ったんだそうです。

僕たちの教室でも「ウクレレをやりたいって人に重い人とかいてないよねー、ワハハ。」とか言って笑っております。

うちの教室は他にフルートだとかサックスだとか、いろんなコースがあるんですが、その他の楽器とのコンビでの発表会とか企画されてました。で、それに出るかどうか、という話で、、「うーん、他の楽器の人たちとやっていけるかしら?そこが問題やわね。」という事で、参加は難しいのではないかと、みんな意見の一致をみました。

「だってあたしらええかげんやもんねぇ」って事なわけですが。(笑)
「キチンと真面目にやるような人ならウクレレなんかせぇへんもんねぇ」って話でして。
いやまぁウクレレでも、けっこうな事はできるんですけどね。ウクレレで二重奏でバッハのメヌエットなんかやったら、なかなか良いものなんですが。それはそれとして。

ともかく、軽くて、ええかげんで、そういうところが楽しくて続いてるという感じ。長い人は4年。僕で3年を超えました。今後も、このメンバーで行きたいよなぁって感じであります。

ウクレレを好きな人はえてして、こういう軽くてええかげんな人が多い。そこが良いわけでして。

そういう意味では、牧伸二師匠が、坂上二郎さんが脳梗塞で倒れたときにやった事の話が、すごーく好きでして。

ゴルフ場で倒れて、一命はとりとめたものの、半身不随とかの可能性もあって、精神的に落ち込みかけていた二郎さんの枕元に、牧伸二師匠は「心に太陽を」って書いて置いておいたって話でね。

いい話だなぁって思うのです。

大事なのは、心に太陽があるかどうか。そして、その太陽は、自分でともす灯りなんですね。

これがまた「書いてあった」というのがいい。形にして残してるっていうのがね。だってずっとそこに置いておくじゃないですか。ということは、ずっと励まされるってことでねぇ。で、読むのも簡単だし、書くのも簡単だ。でも、シンプルだけど効果がある。お金も全然かかってなくて、見方によったら、すごく「ええかげん」。でも、それなりにちゃんとお見舞いの効果はある。ね?
まるでウクレレみたいなお見舞いでしょ。

ああ、しかし、いい話だなぁと思って。
昭和九年会の芸人さん、ほんとに仲いいですよねぇ。うらやましい。

なんとなく、ホワッと、そういう話が書きたくなったので、書いてみました。
今日はミクシィでも書いた日記を、こっちにも転載しとく。
なんちゅうかなー、すごく大事というか、多くの人に知って欲しい「感覚」の話なんで。
「感覚」なんだけどコントロールできるというか。

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1998年にウクレレを買ったから、ウクレレとのつきあいも七年になる。

でもこれが、本当にいい生活のペースメーカーになってるよなぁと、つくづく思います。

なんて言うのかしらん…。気分をプラスにしてくれる魔法の道具、みたいな位置づけになってるんですねぇ。

ほんと、一日にそれこそ五秒でも弾いてると、その瞬間から後が違う。気分的に前向きになってるんですよねー。

楽器というのはどれでもそうでしょうが、練習するとそれなりに上達はするもので、それが心の糧になっているという部分が大きいと思う。

でも最初の三年くらいは全然進歩しなかったんですけどね。それこそ週に一回触るかどうか。そんな感じだった。
でも、それが良かったように思います。最初に頑張りすぎると後が続かないんですよねー。ウクレレという楽器はヘッポコを許してくれる軽薄さがあって、そこが良いのです。

「別にうまくならんでもええよ。人間生きてりゃいいんだからさ。」と語りかけてるようなところがあって、そこが魅力なんですね。
で、そういう「ええかげんさ」があるからこそ、もっと上手くなりたい、とかいう気持ちも出てくる。そんな気がしますねー。

で、その実、ウクレレってギターに比べるとフレットの間が狭くて、多少指の動かし方が複雑な曲でも、あまり無理なく弾けたりするので「ソロ」なんかもやりやすい、つまり自分一人で深めるというのもちゃんとできるというところが、これまた良いわけで。

ウクレレでソロ弾くのは、いや、なかなか楽しいですよ。「虹の彼方に」とか「星に願いを」とかは暗譜してて、通して弾くのもよくやります。

ほんと、この「楽しい気分の持続機能」というのは、なかなかのもんだよなー。
積み上げがそのまま活きて、しかもそれを実感できる。

良いものです。

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とまぁミクシィで書いたのは以上。
でも、こっちだともうちょっと書かないと気分が伝わらない気がする。

ミクシィだとコミュニティとかあるし、ウクレレ好きの人が読んでるとかあるから「だよねー」で済んでしまうんだけど、こっちだともうちょっと言わないとなー。

五秒弾いたら極楽、みたいな感覚は弾いてる人にすれば当然のことで、一種の習い性みたいになってるんだと思うのだけど、その「五秒で変わる」という感覚自体が、やってない人にはわからないと思うのだ。

結局、楽器をやるというのはカラダを動かすことで、スポーツに近い。スポーツをやる人も、同じような「感覚」を持ってるんだろうなとは想像できるんだけど、カラダを動かすことで「感覚」やら「気分」がガラリと変わるということは知っておくと、自分をコントロールするのに効果的なんだよなー。つくづくそう思う。

ま、このあたりは補足しとかないとちょっと伝わらないかなぁと思ったので。

しかしミクシィだと、この辺説明なしでもオーケーという感じなのがうれしい。なんかあそこはウクレレ好きが異様に多い気がする。そんなことないのかなー。うむー。
久しぶりにウクレレの練習日。
発表会の次の日に練習があって、それから二週間ぶり。
みんなと顔をあわせるのも久しぶりなのであります。

でもなぁ、この二週間、とんでもなく忙しかったから、あんまり課題の練習が出来てないのよなぁ、と思いつつの出席。

で、基本練習とか、音階練習とかしてると、先生が「あ、そういえばね」と雑談を始めた。

「このあいだやったビタースィートサンバね、なんか聞いてた人たちから、『あの曲がやりたい』という声が出たらしくてね、『譜面はないですか』って問い合わせがあったんよ。」

というお話し。楽譜はCDから先生が耳コピーして起こしてるから、まぁ、問い合わせないとないよね。

「んー、こういう問い合わせがあったってことは、やっぱり大成功だったんじゃない?そういうことだよ。」とのこと。なかなかうれしいもんである。

で、どこのチームから問い合わせがあったのかと確認してみると、参加メンバーの中でも、すごくうまいチームからの問い合わせだったとわかり、なお感激でありました。
「おー、あのチームからかいっ。わしらも捨てたもんやないで。」
てな感じですな。

先生たちの間で評判良かったというような話はちょっと小耳にはさんでたけど、こういう事実で、その評価がわかるというのは、よりうれしいものであります。
マネしたくなるくらいカッコ良かったってことだもんなぁ。客観的評価だし。いや、うれしいもんであります。

とまぁ、そこまでは良かったのだけれど。

んー、どうも、演奏した僕らよりも、指導した先生の方がうれしいらしく、この日の練習がきつかったこと、きつかったこと。

とにかく、まずスピードが速い。
「え、うそ。まだ一回目やのに、このスピードでいくの?」とか、そんなんばっかし。
生徒全員、心の中で「は、は、速いぃぃぃ。」と叫んでるのがわかるような演奏。ついて行くのに必死。
まぁそういうような練習になりまして。
忙しくてちゃんと練習してこなかった僕などは、楽譜見ながら、それらしい音を出すとか、あるいは、変な音は出さないように気をつけるのが精一杯だったのでありました。
もうガタガタ。

「速いですよ、先生。」とか言っても。
「えっ? そうかな。」とか全然平気なのよね、先生。
舞い上がり過ぎ〜。
指導も「ちゃんと音が出ている」だけでは全く満足されません。
「これ、三拍子だしね、強拍のところは強く、弱いところは柔らかく弾いてね。そうしないと三拍子の良さが出ないし。」
とか、いつもだと全然指摘しない高度な表現のニュアンスにまでうるさく言ってるのですねー。

げーーーーっ、て。
先生、舞い上がり過ぎ〜。って。

まぁそんな事を思いつつ、練習が終わっての帰り道。みんなで「今日の練習、ちょっときつ過ぎですよねー」って話をしてたわけです。

そしたら、メンバーの中の男の子が一言。
「前回、先生、32/33ページまでが課題って言ってましたよね。でも今日34/35までやってたじゃないですか。」
と。

えっ。
ああ、そういえば。
いやまぁ、同じメロディの繰り返しが多い曲だから、出来なくはないんだけど、言われてみればそうよなー、練習してないところまで先に進んでたんやんかぁ!

というのがわかりまして。

先生、やっぱ舞い上がり過ぎ。
ひどいね、どうも。
そら練習してないページやもんなぁ。
途中でつっかえたりどたばたして当たり前やわなぁと、改めて思ったのだけれど。

でも、考えてみると、そうなると全員今日の課題曲の後半は、初見で弾いてるんだと思うと、そら恐ろしくなったのでありました。
こんなに底力がついてきてる人たちと、一緒にやっていけるかしらん。
えらいこっちゃなぁ。

いやほんま。

そんな恐ろしさを感じた日でありました。
本日は、年に一度あるウクレレの発表会の日。

関西一円の音楽教室のウクレレ好きが30組も集まって一組一曲ずつ弾くというイベントなのですが、会場が野外でなおかつ海辺なので、夕方とか、なかなか雰囲気があって良いのです。

今年は習ってるウクレレ教室でクラス替えがあったので、ちょっと長年やってる人たちのクラスになりまして、なかなかに楽しいのであります。やっぱりちゃんと練習する人と一緒でないと面白くない。

とはいうものの、発表までの時間が意外に少なかったので全員揃っての練習が全然足りなくて焦りまくりだったのですね、みんな。発表の前々日にやばいと思って全員でカラオケにでかけて自主練したくらい。それでなんとか間に合わせようという付け焼き刃でして。

でもまぁ、みんな、個人で練習はしてる風だったし、いざ本日の会場での最終の仕上げ練習の時には、みんなちゃんと仕上がってるのよな〜。すごいすごい。

で、衣装も事前に「赤のTシャツで揃えよう」と決めてたので、けっこうサマになってたのだけれど、いざ舞台に出るときには、全員が「もう、譜面台いらないですよね。」って事になった。
ようするに全員暗譜してるのですわ。

いや〜、これはいいよ。
なんせ、他にそんなチームないし。
ということで、全員がスタンダップ。
椅子にも座らず、立って弾く。
総勢7名。(うち一人は講師の先生ね。)

カッチョ良い。
カッチョ良いのだ、これは。

で、曲がけっこうスピード感のある、「ビタースウィートサンバ」(某深夜ラジオ番組のテーマ曲として有名な奴。吉本オールスターズが歌詞つけて歌ってたこともある、あの曲。)だった事もあって、会場から自然と手拍子が出る。
この自然とってところが、良いのだ。うむうむ。

で、なおかつ、この曲、途中で転調するし、そこのフィルインがけっこうかっこいいので、相当にウケた(らしい。後から聞いた。)

で、終わって気持ち良かったんだけど、一番ウケてたのは、先生だったなぁ。「いやぁ良かったよ。立って弾いてたのウチくらいだし、手拍子まで出たもんな。」って。

やはり弟子が成長するのはうれしいものであるらしい。だわなぁ。

ま、ひいき目に見ても、けっこう決まったように思うので、これは中々に良かったのではないかと思っております。

練習不足だったので、家族も呼ばず、彼女も呼ばず、一人で出かけたんだけど、これならみんな呼べば良かった。
ま、しゃーないか。

とりあえず、大満足の一日ではあった。
長らくずっと、ウクレレに関する話題を書いてませんでした。
人によっては、もうやめたと思ってる人もいてるかも。

いえいえ、とんでもありません。
もう、ほんと、楽しくて楽しくて、ずーっとやってます。

で、最近思うんですね。
練習することというのは、失敗することだよなと。

「あ、あかん、いまのところ違う。」
「あ、また間違えた。」
「ええい、くそ、もう一回最初からやり直しや。」

とまぁ、自分が下手くそであることをずーっと意識し続けることになります。
それでも耐えて、やる。

実は、これがいい。
やってるうちに、失敗することを嫌とも思わなくなりますな。

だってはじめて弾く曲なんて弾けなくて当たり前だもん。失敗して当然。

あと習いに行ってるんですが、この先生がまぁそこそこ厳しい。いやまぁ、あまりに下手な人にはそれなりに優しいんですが、ある程度できてくると、より高い課題を割り当ててくる。

しんどい。

でも、だから良いのですなぁ。

あかん、あかん、あかん。
できん、できん、できん。

そういうシビアな現実認識をずーっとやり続けることになる。
全然弾けてないやん。
あかんやん。
まるでダメだよ。
うへー。

もう二年習いに行ってますけどね、ずーっとこればっかし。

でね、それでも二年もするとね、自分でもうまくなってるのがわかるわけです。

ほんのちょっとなんだけど。

これがまぁやたらとうれしい。
「ああ、成長してるやん、俺。」って思える。
こういうのが生きてる喜びだと私は思っているので。

楽器の合奏とか、音楽理論とか、そういう突き詰めたことに関しては、欧米がとても優れていて、邦楽の世界は理論はからきしです。

でも、楽器を弾く、練習するというような「大衆化」の部分においては、日本人は相当に好きな人が多いらしいんですね。
そんな貴族でもないのに楽器を弾くとか、そういう人は海外では少ないらしい。

なんと言うのでしょうか。
こういう「積み重ねていくこと」「技を磨いていくこと」みたいなことこそが、日本人が精神的にも安定感を持ちながら、堂々と世界、社会と渡り歩いていくための基礎体力になるんじゃないかなぁと、よく考えるんですね。

ほんと、こういうのは大事だと思う。

勉強法についてもちょっと書きましたけど、勉強も同じなんですよねぇ。ちょっと学んでは「あ、違う。この考え方より、こっちの方が断然優れている。」とか、「うわー、そうやったんか、わしが知らんかっただけか。」とか、間違いとか勘違いとか修正して「アカンなぁワシは。まだまだですから。」と思い続けることこそが学習の本質ではないのかという気がしますね。

練習するということと学習するということは似てるなぁ。
それをつくづく思います。

で、この「あかんなぁ」と思い続ける回数っていうのが、練習・学習する前と後では全然違うわけですよ。

もう二桁くらいは違う。らくに。三桁違うか。違うな。うん、三桁違う。

練習する前はちょっと練習したらできるようになるとか思ってる。でもやり出すと百回やそこいらでうまくなれるとか思わなくなる。

本当に楽器練習をするとか、勉強しようと思う人とかは、この違いをわかってる。そんな簡単と違いますよ。ヒマがあったら練習、ヒマがあったら学習ですよ。

とにかく、やらないとダメだもん。やらずにゴチャゴチャ言ってても全然意味ないし。世界が違うもんなぁ。

英語の勉強をやりかけた時もそうだったし、楽器の練習を始めた時もそうだったけど、「こんな調子で練習していたら、一生の間にどの程度できるのかしらん」と考えて気が遠くなって、打ちのめされてしまうわけですね。

でも、だからこそ、もう大急ぎでやらないとダメなわけです。次から次へと練習する。学習する。それこそ、それが大事。迷ったり文句言ってること自体が時間の無駄。人生の無駄遣いだと思う。

練習、練習。勉強、勉強。

で、こんな風に書くと、しんどいばっかりと思うでしょうが、やっぱりやる限りは何らかの充実感は欲しいわけですから、基本はやっぱり、志高くなんですね。

目標が低かったらがんばらないんですよ。高め高めに設定する。それではじめてたくさん練習するし、成長速度も高まるわけですから。

自分に厳しく。なんですね。
それしかないですよ。

練習しない、学習しない、だと、そのままですから。
そのまんまじゃつまんない。
やっぱり。

生き生きと生きていくために必要なこと。
それは、こういうことなんだなぁとつくづく思うわけであります。
いやー、感激した。
これはいいわー。
いまいちばんのお気に入り。

サンディーさんという歌手のことも知らず、インスツゥルメンタルのアルバムに違いないと、勝手に思い込んで、間違えて買ってしまったんですがね。これ。
いやー、いいですなー。ほとんどの曲が、ウクレレ伴奏だけで、そこにこのサンディーさんの歌声がかぶさるだけ。すごくシンプルなんだけど、これは良いわー。

ウクレレ奏者も神様ハーブ・オオタさんから、その息子のジュニア、日本のウクレレムーブメントをコツコツ作り上げてきたサザンオールスターズの関口さん、IWAOさんとか有名どころが顔を揃えてるし、なによりアレンジがいい!ウクレレを好きな人がウクレレの伴奏楽器としての良さを生かしながらアレンジしてるんやろなー。楽しい。良いです。

基本中の基本かも知れないですが、ウクレレ弾く人はテクニックで聞かせるとか、たいそうな演出をするとか、そういうことではなく、「ウクレレ好き〜」という気分でプレイします。
その「●●好き〜」という感覚があふれているアルバムという感じがしますねぇ。

サンディーという歌手の方ははじめて知りましたが、これまた「歌うことが好きっ」て感じで歌ってて、なんつーかウクレレとぴったり合うのよなー。ちょっとクセのある声と歌い方ですが、楽しんでるから心地よいってかんじで実に良いです。

それと、選ばれてる曲が60年代ポップスの有名どころばっかりなのも良いのよなー。ウクレレで弾くと、このあたりの曲のなつかしさと癒される感じの音とがあいまって実に良い。

去年の秋に竹内まりやが60年代ポップスばかりを集めた「Longtime Favorites」というアルバムを出しましたが、(この日記でも紹介しました。)それと曲目が何曲か、かぶっててその聞き比べができたのもマル。竹内まりやも良かったが、こっちのほうがうんと好きだなぁ。シンプルだし。なによりウクレレだし。(笑)

ともあれ、これはウクレレとか興味ない人にも大変お勧めできます。なかなか良いアルバムです。はい。
ウクレレ教室で新しい曲の楽譜を手渡されたのだが、よくよく考えると、ダカーポだのトゥーコーダだのコーダワンだのとかの楽譜を読む順番がよくわかっていなかった。

いやわからなくはないし、いままで順番を間違えて読んだこともないのだけれど、じゃあ説明せよと言われて説明できるかというと、これがよくわからない。とくにD.C.とto CODA との関係がいまひとつ把握しきれていなかった。

なので書店で「はじめての楽譜」という書籍を買う。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4522210027/qid=1076843179/sr=1-25/ref=sr_1_0_25/250-7392994-7690603

読んでみると「ははぁそういうルールなのか」と納得である。
楽しみで演奏するとかしかしてないから、こういうところがおろそかなのである。

この本は僕がいまいちちゃんと理解してない和音の話とか音階の話とかもしっかり書いてあるので買った。まだ読み終えてないけど(2004/2/15現在)これはなかなかに勉強になる感じ。

こういう音楽知識がしっかりあるかないかというのは、ウクレレ学習とかにもけっこう大きな影響があったりするのよねー。ま、コツコツやります。
自分のウクレレ演奏の録音をして聞きなおして練習するというのが非常に効果的であることがわかり、何曲か録音してみる。

単に録音するだけなのに、いきなりプレッシャーがかかり、何度も何度も録音しなおすことになる。

ええい、くそっ、また失敗したやんけ。最初からやり直しじゃ〜。

とか、ひとりごとまで飛び出してしまう。

自分ではまぁまぁ弾けてるつもりなのだが、いざ録音してみると音楽になってないってなことになる。なので、またまた頭からやり直し。その繰りかえし。こんなハードな練習も、そうそうあるものではない。

ということで、とりあえずウソでも頭から通して一曲弾けたものを録音し終えると、すごーーく充実感がある。

やったー。最後まで弾けた〜。

てなもんである。本当の練習は、ここからはじまるのだけれど、とにかくそれでもつまらずに最後まで弾けただけでもうれしいもので、そのデータをパソコンにコピーして保存しておく。

ん?
しかし、これ、mp3とかに変換したら、ネットで公開できるんと違うんかい?
とか思う。

あ、そうや、自分のウクレレ演奏を公開するページとか作ったら面白いんと違うん? 練習のはげみにもなるし。

とか思う。

ので、この日あたりからシコシコとウクレレホームページ作成計画が進みだしたのでありました。
新しいウクレレを買ったので、練習するのが楽しい。

教室に習いに行く前は、ソロ曲などは覚えたいなぁと思いつつもなかなか覚えられなかった。

なぜ覚えられないかというと、苦手個所にくると、そこで暗譜作業が止まってしまってたからなのですな。

しかし、「おぼえちゃうぞ」という気持ちがあると、「苦手なところはまぁいいや、飛ばして先を覚えよう」という気持ちになる。この違いがえらく大きい。一度暗譜してしまえば、楽譜を見なくても練習できるので、それこそベッドに寝っころがって練習するのもできる。

5年もウクレレ持ってたのに、弾ける曲は一曲だけという人だったのに、この一二ヶ月で、とりあえず暗譜してる曲は4〜5曲くらいにはなった。いやまぁ弾けているとはお世辞にも言えないのだけれど。

で、暗譜してるのだから、つまりながらでも一応最後まではやれるので、一度テープに録音して通し練習をすることにしてみた。

手持ちの電子手帳のCLIEに、ちょうどボイスレコーダー機能がついているので、それを使ってみる。
なかなか良い。

(しかし、CLIEもよく使ってるよなー。なんでもクリエだなぁ。
このあたりのこともこの日記に書かないといかんねー。)

ともあれ、通して一回最後まで弾いてみるというのは、なかなかに大変な練習であることがわかった。すげー緊張する。何回やってもうまくいかない。ひっかかっちゃう。
これはなかなか良い練習方法を見つけたのかも知れない。うむ。
休みとはいえ、自宅にばかりいてると飽きてしまうので、少し外に出る。街には新年らしい雰囲気もあり、気分を楽しむというのも目的のひとつ。

歩いていて、ふと楽器店が気になり覗いてみることにする。

というのも、新しいカマカのウクレレは、まだ標準のハイGのチューニングのままで、教室ではローGチューニングで習っているから。せっかくのカマカなのだし、練習だってそれでやりたい。なのでローG用の弦を買いに行こうと思ったのだ。

こうして時たま楽器店に来るけれど、なんというか音楽好きばっかりが集まってる感じ自体はとても好き。客も店員も楽器好きだから、どっちもギター弾いてたりとかして、客なんだか店員なんだかわからないって感じ。これがなかなか楽しい。

でも実は、そんなこんながあるので楽器店の中というのは、いつもたいてい何かの音が流れていてウルサイというのはある。なんせ初心者とかそんな人ばっかりだからワンフレーズしか弾けないとかそんなんばーっかしだしねぇ。この日はアンプのテストとかしてたからたまらんかったよ。
あーやかましい。

ともあれ、弦を買い、ついでにウクレレ用のソフトケースを買い、もうひとつついでに譜面台も買ってみた。

いままで楽器の練習なんていうのは、適当にベッドの上に譜面を広げて横目で見ながら適当にやるとか、そんなことしかしてなかったので、譜面台なんて欲しいとも思ったことがないのだけれど、やはり教室とかに通うと「譜面通り」に引かないと合奏もできないってなことになる。なので自宅用の譜面台があってもいいかなぁと思ったわけで。

ひとそろい買って、帰宅し、弦も張り替えたところで、譜面台を出してみる。

いやー、良いですなー。弾きやすい。いや、当たり前なんだけどね。いままでベッドに座って自分の横に譜面広げて譜面集とかの冊子ものなら財布とかを重石に使って練習とかしてたんですが、そら練習しにくいわなぁ。譜面台があると、ちゃんとページの固定もできるし、いちいち体を曲げて譜面を見るとかしなくていいしラク。

なにやってたんでしょうねぇ、私。
まぁ楽しみのための趣味なんだから、それでいいと言えばそれでもいいわけだけど、やっぱりキチンと基本からやるというのはマトモでよろしいですな。いやほんと。

今日の買物の中では譜面台が一番刺激的でありました。うむ。
俺たち、やるだけやったよな。
ああ、やったやった。
そうだよな………。

と、なぐさめるしかないような状況ではあった。
企画書は追加情報が来たのはいいけど、とんでもない量で、とてもじゃないがまともなまとめ方ができたものではなかったのである。

かといって投げ出すわけにもいかず、とにかくできるところまで形にはした。
形にはしたけど……。

もう言うのはやめよう。ははは。

というような力のないような状況であった。あんまり寝てないしさー。とりあえず3時過ぎにはこっちの作業そのものは終わって企画書は提出されたのだ。もう考えてもしょーがない。
来年また続きをやらねばならんだろうなぁ、尻拭いというか…。

でまぁ、そういう感じで、とにかく今年の仕事は全部終わり、ではまた来年という感じになったのである。

ということで、帰路についた。眠いしどうにもうまく行かなかったという気落ち感とであんまり良い感じに年が終わらない雰囲気だったのだけど、まぁしょうがいなよなーと思ってたので、まっすぐ帰るのもいまひとつ乗らない。なので梅田で少しぶらついてみることにした。

と言っても別に目的があるわけでもないのでなんとなく歩く。

あ、そうだ。
こういう時は音楽、音楽。
と思ってちょっと楽器屋に寄ってみることにした。
ウクレレでいいのが出てないかなーという感じ。

ウクレレは確かに良いのが一本欲しいなぁとは思ってるんだけど、一番欲しいタイプのウクレレがなかなか店頭に並ばないのだ。

ハワイの有名メーカーでカマカというところがあるのだけれど、そこのソプラノ(スタンダード)ウクレレが欲しいのだ。
カマカのソプラノなら、まぁたいていどこででも手に入るのだけど、僕はそのソプラノでも少しフレットの多いのが欲しいのですな。そういう変則的なのはあんまり売ってないのです。なんせ輸入して仕入れるしかないから。

ということで、楽器店にはたまに寄るんだけど、
その欲しいカマカのソプラノのフレット多目のがないので、冷やかししかしない。二十万とか三十万とかするような高級なウクレレを「ちょっと弾かせてもらえる?」とか言って弾いてみて、で何も買わずに帰るのである。

今日もようするにそういう冷やかしをするつもりで覗いたのだ。

そしたらね。
あったんですよ。
カマカのソプラノ。フレット多目。

なんちゅうか、燦然と輝くように飾られてるのだ。

あーまいった。どうしよう。欲しいのがあるよ。うげー。

8万もしたからちょっと迷ったんだけど、ハッと気づいた時には買ってました。ははは。

もうそこからは寄り道とかなしね。まっすぐ帰宅、即ためし弾き。

いい。
これはいい。

まず音の量が違う。大きな音が出る。それだけでもうれしい。
それから音の伸びが違う。良く伸びる。
いままで弾いてたウクレレがトーンだったとしたら、こいつはトーーーーンという感じ。
いままで使ってたウクレレだと、そういうきれいな音を出すためには、よほど指のポジションをしっかりさせて、強く弾いてやらないとダメだったのに、こいつは違う。とにかく軽くポンと弾けばトーーーーンと音が鳴ってる感じ。

試しに弾きなれた曲を一曲弾いてみる。
すると、いつも指がウクレレ本体にあたってカチンと音が出てしまって失敗してたところが失敗しない。

ありゃなんで?と思って、前のウクレレと比べてみると、弦の高さが少し高い。本当に一ミリもない程度の差なんだけど、それが違う。
おおー、こんなわずかな差なのに、えれー違いだぁと思う。

いやー、良いなぁ。
これは良いなぁ。

たぶんしばらくお小遣いなしになるけど、まぁいいや。

落ち込み気分で年越しになるかと思ってたけど、最後の最後で逆転だね、これは。
うんうん。
そういう気分になれた一日でありました。
ウクレレ教室も年内は今日で終り。

先週、先輩の生徒(と言っても歳は僕よりかなり下でしょうが。)が先生に(と言ってもこれまた僕より多少は年下でしょうなぁ多分。)「今年もクリスマス・ソングを教えてくれなかったじゃないですか」と文句を言ってたのです。

で、先生はそれを気にしてか、今日、12月22日になって、「きよしこの夜」の楽譜を配ってくれる。
楽譜っつーかTAB譜ね。たぶん先生のオリジナルアレンジなんだろうなぁ。手書きのちゃかちゃかっとしたものでしたが。

いやまぁアレンジそのものはシンプルなのにウクレレの音の響きを良く生かしたもので、なかなか良かったんですけどね。

でもあれです。12月22日に配られてもねぇ。クリスマスまでには間に合わないでしょうが、と思いましたが。

「いや、必死になって練習したらね、まぁ二日あれば弾けるようになるよ。これは簡単だし。」

とか言ってるんですけど。

無理です。
はい。
今日は忘年会であった。

いやー、実は、この当日を迎えるまでが大変だったのであります。

数日前に忘年会をすることになって、いっしょにやってるデザイナーのAさん(48)が「今年はひとり一芸な」とか言ってたのであります。

ま、この人、洒落やら冗談を良く言う人だから、洒落でしょと思ってたわけです。

だって、若いデザイナーの女の子に向かって、「俺は小唄歌うから、お前はマジックな」とか言ってたから。当然その彼女はマジックなんかしません。いやまぁ、そのAさんは小唄も習ってるし胡弓も習ってる人なんだけどね。

だからまぁいつもの忘年会でしょとタカをくくってたんだけど、忘年会の二日前になって、「俺は胡弓弾くからシゲくんはウクレレ弾いてくれよ。俺の知合いのFはギターでなんか一曲やってくれるって言ってたから。」ときた。

ちょっと待て〜。
マジっすか。
洒落じゃなかったんすか。

「いや、ちゃんとみんなの前に出て演奏できるように譜面台も用意するから。」

てなことをおっしゃる。

いや、知らんがなそんなこと。
みんなの前でって、それはアカンやろ。
あがりまくりますがな。

聞けばこのA氏、前に胡弓の発表会で数十人を前に演奏して、ボロボロだった経験があり、その「発表」の練習のためにこういう機会を利用したいらしい。

うー、いやまぁ、その気持ちは良くわかりますけどね。でも私を道連れにせんでもええでしょうに。

確かに「しげ君。忘年会ではウクレレ頼むよ」とか言われてたから、まぁ、自分の席で軽くポロンポロンくらいは弾いてもいいかなとは思ってたのでそのくらいはするつもりでいたのだけれど、前に出て譜面台まで用意してとなると、これは半端ではないのでありまして。

ということで、この16日と17日は必死の練習と練習不足をごまかすためのアイディアの練りこみで時間が思い切りとられてしまいました。

冗談ではなく仕事をしている場合ではない。(笑)

手持ちの楽譜の中で比較的ラクで、なおかつ場の盛り上げに貢献できるものは何かないかと見てみると「ホワイトクリスマス」がピッタリであった。

が、しかし、ソロで弾くには難しすぎる。何度か練習してみたけど「これは二日では仕上げられん」と、まぁ最初からわかってはいたけど諦める。

なのでコードでの伴奏だけにして、歌ってごまかすことに決定。でも歌だってうまくはないのだし、場がしらけるのはいやだったので、急遽歌詞カードを忘年会参加者分コピーして、みんなで歌いましょうというノリにすることに変更した。

うーん、これならラクだ。

ついでなので英語の歌詞そのままにして、日本語で「あいむどりーみんぐ…」とか書いておく。これなら誰でも歌えるし、歌詞を読んでる間、私のウクレレの音など聞きはすまい。ぬふふふふ。

ということで、どこがウクレレ演奏やねんという舞台にすることにしたので、ずいぶん気が楽になりました。

いやまぁ、唯一暗譜していてアホほど練習している「クレイジーG」だけは弾きましたけどね。短い曲だし。
それとウクレレの魅力をひとくさり演説もしましたが。
いやホンマ、どこが「ウクレレ演奏」なのかよくわからん舞台でありましたが、まぁ三分なり五分なりという時間、間は持ったという気はします。

残るおふたりはマジメに一曲弾こうとして、「ごめん、失敗した。もう一回最初からね。」とかやっておられましたが。

「結局、ふたを空けてみたら、しげ君がいちばん本番に強かったやないか。」とA氏。

いや、だから、時間なかったから、目標さげたんですって。ほんまにもう。
思い切り下げたもん。マジの準備期間は二日しかなかったし。ほんまに。
だいたい、もともと実力ないし。力のない人間はテキトーさで切り抜けるのだ。たぶん、そういう気の抜き方、目標の下げ方が良かったんでしょう。きっと。はぁーしかし疲れた。

もう年内、仕事する気になれまへん。はい。
今日は大阪市長選挙。
入れる人がいない。
でもいちおう投票には出かけた。

書店売りしているCD付きのウクレレ教則本というか楽譜集というか、そういうのを一冊買う。
かの有名な大橋英比個さんのもの。

ったって、ここを読んでる人で知ってる人がいてるとは思えないけど。(笑)
思い切りウクレレ業界に特化した話題になっとるなぁ。たはは。

ともあれ、良いです。ハッピーバースデーを四拍子に変えてジャズ風に弾いてたり、癖は強いけど、どれもこれもカッチョイイ!
一曲でもまともに弾けるようになったら、これはかっこいいよなー。

と、思いました。
今日はまたウクレレの日。
いやー、今日は良かった。アンサンブル曲の練習だったのですよ。アンサンブル。つまりウクレレ2台での合奏ですな。

合奏。

良いなー。これがしたかったんだ、とか思った。

まずみんなでAパートの練習。初心者向けだから、TAB譜どおりに弾けば、すぐに弾けるような簡単なもの。曲はオーシャンゼリゼね。
あっと言う間にAパートが弾けるようになる。だってほとんどメロディーラインだけだもんなぁ。

そこに先生がBパートを弾いてアンサンブルの仕上がりを聞く。
いやー、良いです良いです。
二台以上のウクレレの音が響きあってハーモニーになってるの。

これはいいなぁ。
楽しいなぁ。

ほんとマジに喜びにうちふるえるという感じで楽しかったです。
一人じゃできんもんなぁ、アンサンブルは。
うーん、楽しい。

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