昨日の話なんですが。
日曜日だし、天気もいいし、ちょっと仕事もあったので、事務所まででかけたのです。

そしたら!

なんと、同じような自転車乗りが多かった事か!

みんな日曜日には自転車に乗るんだねぇ。
会社によっては自転車通勤禁止なんとところもありますから。だって通勤途上で交通事故に遭ったら労災とかややっこしいでしょ? しょうゆうこと。(BY村上ショージ)

「なんでこんなに多いねん!」と、日曜日だからと気付く前は不思議に思っておりました。

一番印象的だったのは、自転車カップルでしたねぇ。
二人とも28Cとか細いタイヤでドロップハンドルのロードレーサーなんよねぇ。かっこいいよなぁ。彼の方はもう、バリバリの自転車乗りスタイルで、彼女の方は、ごく普通の服装で。
つかず離れず。
いや、良いものを見させていただきました。
なんせ、こっちも同じルートを走ってるので、ずっと見てしまうのですよ。
抜きつ抜かれつ。

でも、あれ、彼が彼女にスピードを合わせてたんでしょうな。だって、僕が追いつくんだから!
こっちはかなりヘナチョコ自転車乗りですから。
まだ恥ずかしくて「自転車乗りです」とか言えないレベルですから。
ロードレーサーなんかがいたら、ものすごい勢いで抜かれてしまいますから。
30km/h出すのがなかなかできないんだから情けないよなぁ。せいぜい25km/hです。

道に迷ってどうとか言ってましたけど、基本、体力不足ですから。

今後がんばります。

押忍(おす)!

自転車で走ってると、いろんな事が見えてきます。

まず、一番は、自分の体力の無さ。

いやもう、ロードバイクに抜かされること抜かされること。
速いよなぁ、あの方たちは。ビンディングペダルとかも使ってるかもだけど。

●ビンディングペダルは、専用の靴でペダルに固定するタイプ。踏み込みだけでなく、足の引き上げ時にも力が入るのでエネルギー伝達力が上がって速くなる。

なんか60歳はゆうに超えてるぞ、てなおっちゃんにヒョロ~っと抜かされていくのだからたまらん。そういう人はたいてい、28cの細いタイヤだしねぇ。僕みたいな完成車・ツルシの自転車じゃなくて、フレームからホイール、フォークまで、きっとパーツを選んで組み上げていったんだろうなぁって思う。それもやりたいけど、金がかかるんよねぇ。何十万になっちゃうし。

まぁそれでも、やっぱり、まずは僕の体力がないのが一番の差でしょうな。

と言いつつ、自転車が良いのは「ああ、しんど」と休んでいても、いちおう車体はどんどん前に進んで行ってくれるという事です。これがランニングであったらなら、道の脇に座り込んでる状態で、一歩も前に進んでないってことなわけですから。なんせ、椅子に座ってる状態ですぜ、あなた。なのに、まぁ15キロくらいの速度でなら前に進んでくれる。

ありがたいですなぁ。
ほんとうに自転車は素晴らしい。
へなちょこ野郎に、なんて優しいのかと思う。

で。

そんなヘナチョコでも、街を走っていると、実に自転車にとって理不尽なことが山のように、この国には山積されてるなぁって言うのを感じざるを得ないのですよ。
道路の設計やら、法律やら、あるいは交通マナーというか「常識」の部分とか、とにかく、いろんな矛盾を、いちばんモロに受けてしまってるのが自転車だよなぁとつくづく思います。

言い出すとキリがないんですけどねぇ。

だいたい道路の設計からして、自転車は排除されてるよなぁって思うところがしばしばありますな。自転車で渡れない交差点とかさ。せめて自転車向きに案内板が出てるとかなんとかしとけばいいのにとか、いや、そんな事言い出したら、本当にキリがない。自転車に関しては行政なんてないに等しいですわ。

だいたい駐輪場がないし、あっても形状がママチャリに合わせてあるから、あんまり意味ないとかね。

普通のスポーツ自転車はクィックレバーっていうのがついていて、ホイールは簡単に外せてしまうんですよね。だから前輪だけロックして留めるとかしてもクイックレバーを外されたら前輪以外は全部持って行かれてしまうんですよねぇ。
まぁチェーンロックをフレームからホイールまで通してかければそれで良いってことなんだけど、なんていうか、もうちょっと違う形のやり方があるように思えて仕方ない。

で、街中を走ってて思うのは、自動車優先の思想が、あまりにキツイよなぁってことです。とにかくクルマ。クルマ最優先で街が作られてるんですね。法律から何から。

でも、市街地走行なんて、40キロも出せれば充分なわけですよ、自転車であろうが自動車であろうが。これは皆が縦横に走らねばならないのだから、信号が不可欠で、構造的な必然なわけです。

なのに、ちょっとでも自動車で速く走れるようにとか考えて「大きな交差点」には信号がないとか自動車優先で道路構造を作ったりとかしてるんですな。

でも、実は、そういう交差点が一番自動車が混んでる。
だってみんながその交差点に集中するんだもの。
実に馬鹿馬鹿しい話です。
頭悪いっちゅうか、バカっちゅうか、狂ってるっちゅうか、キチガイっちゅうか、低脳っちゅうかって事ですなぁ。

ものすごく手間かけて、人間と自動車を分離して、で、結局どっちにも不便にしてしまってるんですね。

「自動車なんて、市街地では40キロ以上スピードが出ないようにすればいい、高速道路に乗る時だけ、特殊なカードを入れてガンガンにスピードが出るように、最初から作っておけばいいんだ」と、自転車乗りのエンゾ・早川さんは言っておられますが、まさにその通りですなぁ。

もう、ほとんど滑稽話だと思うのですよ。道路を自転車で走っていて、僕より速いロードバイクのおっちゃんに抜かされて行くと。
いらんやん、クルマ。いやほんまに。
ムダやん。
実際。

こんなヘナチョコ自転車乗りでも、地下鉄より速くに自宅と事務所を往復できるんですぞ。あのロードの人たちはどうなってるのか? っちゅうことですよ。
それを想像すると、実にこっけいなんです。

たとえば、車道を走っていて、道路の脇に駐車されている自動車をよけるために、僕が膨らんで追い越しをするしかなくなるでしょ? そうすると後ろのクルマは前に自転車がいて、待たなくてはならなくなって、パパパパパァーってクラクションを鳴らすわけです。

で、この駐車してる車も、後ろから来るクルマも、普通の人が普通に乗ってる「自家用車」だったりするわけですよ。

いや、邪魔なんは、君らの方やから。
はやいとこクルマからおりてくれたまえ。
と、紳士的に申し入れをしたくなってしまうわけです。

なってしまうけど、「でも、世の中の仕組みが、そういう【自家用車オーナー】を作るように出来てるわけやから、彼らに責任はないよなぁ。」って思うしかなくなるわけです。

自転車に乗ってると、そういう事をすごく思う。思索的になる。
なんせ「存在してないかのような扱い」を受けてるポジションの乗り物だからなんですね。

「ああ、この人のパパパパパァーは、この人は自分がイラついてると思ってるんやろうけれども、でも実は都市設計や安全思想がトンチンカンで、そのせいで『怒らされている』のだとまでは気付いていないのだなぁ、ああ可哀想だなぁ。」という感じになるわけです。

ほんと、ママチャリより圧倒的に速いクロスバイクに乗っていて、なのにロードバイクにバンバン抜かされていくという体験を普通に味わっていると、そういう感想にならざるを得ませんねぇ。

自動車なんて大量に安売りとかしたらアカンよ。もっともっと値段を上げて、何もわかってない一般人が乗れないようにしなくちゃいけませんわ。そういう存在であるべきですな。いやほんと。場所食うばっかりで意味ないもん。ほんまに。

仕事で疲れたら、瞑想しよう。 1日20分・自分を浄化する習慣
最近、世界的大恐慌のおかげで、取引先からの仕事が激減しております。
まぁ、欧米に進出してる取引先が多いので直撃なんですけどね。まぁしゃーない。

仕事が減ると、不安になるもので、この心の焦りを、いったいどうしたものかと考えてたんですが、そんな時に書店で見つけたのが、この本です。

●仕事で疲れたら、瞑想しよう。 1日20分・自分を浄化する習慣
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797346558

もともとは、いま使ってる手帳、

●マンダラ手帳
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B001GOL602

の活用法を書いた、

マンダラ手帳術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4798020621

という本を読んでいたら、そこに「座禅・瞑想をしなはれ」って事が書いてあって、ああ、これは良いかもな、と思ったという事なんですね。
座禅をして、何やら観念・想念が湧いてきたら、バケツにたまった水のように思って、バサっと捨てる。でまた湧いてきたらばさっと捨てる。これを繰り返しなさいと、まぁ、簡単に書いてあったんですね。
で、実際に試してみると、なかなかに良い感じ。こわばってしまっていた、自分の心がほぐれる感じがあったわけです。

で、そういう状態を一度体験してから、書店をブラブラしてたときに、この「仕事で疲れたら瞑想しよう」を見つけたわけです。

この「仕事で疲れたら…」の方には20分という、ひとつの大きな目安が示されていて、これがなかなか魅力的でした。まぁ実際には30分以上、できれば1時間とか、そのくらい座り続ける、あるいは瞑想し続けるのが良いのでしょうが、藤井さんは、それよりも20分くらいを毎日続けるのが良いとおっしゃるわけです。いやまぁ続くのなら5分でもいいよ、長く続けることが大事だ、とお考えなわけですね。
ただ、実際に瞑想をやって、湧いてきた雑念を払って、ある程度「心の洗濯」ができたかな? と思えるようになるまで、まぁ20分くらいはかかるんじゃないの? という事なんですね。

なので、いまも毎日やってみてるんですが、どうもこれ、すこぶる調子が良いです。
あまりクヨクヨもしないし、自然と前向きな気持ちになるし、いろんな事がうまくかみ合っているような感覚になってきますね。

著者の藤井さんという方は外資系企業の社長も務められた方で、海外の経営トップで瞑想を実践している人は想像以上に多い、という話なんですね。
で、実際に瞑想をしているトップで有名な人間というと、アップルのスティーブ・ジョブスだったりするわけですよ。

おおお、そうなのか!ジョブスがやってるのか!なら真似しよう!って感じであります。
ミーハーなのよ、私。すんません。(笑)

でも、やってみると、これはかなり効果が高いと実感するんですね。
で、ちょっと瞑想関連の書籍とか書店で調べてみたんですけど、意外に書籍自体は幅広く売られているんです。なのに目立たない。

なんで目立たないかというと、いろんなジャンルに分散してたりするからなんですね。
心理学・宗教・精神世界・スポーツ関係の、それぞれの棚の隅に「瞑想」と名の付く本が置いてあったりするという感じなんです。

この本の著者の藤井さんも書いておられますが、「瞑想」と聞くと、日本人はどうしてもすぐに宗教的なイメージで判断してしまって、怖がるか、バカにするか、のどちらかの態度を取ってしまうんです。(そうでなければ盲信するか、なんですが。)

これはもう本当にもったいない話で、恐がりも、馬鹿にもせず、ありのままを試すという事をしてみないといけません。どんなものなのか、「わかってない」のだから「わかろう」とすることですね。なので僕は試してみた、という事なんですが。

で、数冊立ち読みして、「瞑想を人に勧めたいのですが、良いのでしょうか?」というFAQの載ってる本がありまして、「どんどん勧めなさい」と書いてあったので、この文章を書いてる、というところがあります。

「どんどん勧めなさい」と言ってたのは、アルボムッレ スマナサーラさん(スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老なのだそうです。よーわからんけど。)なんですがね。前に「怒らないこと」という本を読んで、けっこう感銘を受けたので、この人が「勧めてよし」というなら良いだろうと、そう思ったわけです。こういう心に関する事って言うのは、意外に「勧めずに、相手の自由意志にまかせてあげなさい」って言うのが多いし、それが普通なんですよね。でも、そう言うことを一番言いそうな、スマナサーラさんが、積極的に勧めなさいと言ってるんだから、やっぱり瞑想はそういう「誰もに勧めてかまわない、どんどん勧めるべき技術・ノウハウ」なんだなぁと確認できた、ということです。

まぁあれです、確かに、ヨガとか、そういう体操系とは違って、ただ座って自分の心を見つめるだけですからね。副作用もあるわけないし、どんどん勧めたらいいんだと思いました。
良いものは共有しましょう。
瞑想は良いです。

で、この「仕事に疲れたら」の「はじめに」に書いてあった事を、ちょっと引用します。

(引用開始)----------------------------------
 瞑想という大きな助けが、あなたの目の前にある。それを活用しない手はない。
 実際、瞑想には驚くべき効用がある。
 まずストレスを解消する。ストレスのせいで発揮できなかった能力が目覚めてくる。集中力が向上し、創造力が増してくる。アイデアが浮かぶ。人間関係がよくなる。そして運がよくなる。
 これらが一連のまとまりとして自分の身の上に実現するのだ。
 しかも、何の道具も、お金もいらない。危険はなく、努力さえ不要である。
「でも瞑想って宗教っぽい」「何となくうさんくさい」と誤解しているとしたら、あまりにも、もったいない。
 瞑想は科学的技術だ。安心していい。疑うことなく、静かに座って瞑想を始めることをおすすめする。これらは、自分の体験からいえることだ。
 私は、瞑想の達人でも何でもない。気軽に二十数年間、毎日、瞑想を通じて自分の存在と静かに対峙(たいじ)してきただけの人間である。
 自分で決定したことが、「自然」に助けられて実現するようになったのだ。人生の転機を、瞑想が、いつも大いなる伴侶として助けてくれた。瞑想が人生を幸せなものにしてくれたといえる。
 瞑想を気軽にやってみることだ。あなたの人生が瞑想によってよりよい方向に変わって行くことを、私は強く確信している。
(引用終了)----------------------------------

とまぁ、こんな感じなんですがね。
もう、まさに、この一文がすべてだと思います。
瞑想はかなり良いですね。
何がどういいのかっていうのは、あまりに個人的な感想になってしまって、言ったところで理解不能になると思うので書きませんけど、とにかくいいです。

この一文で、最後の一行に「私は強く確信している。」というのがありますが、こういうところに「強く」という強調文を入れることは珍しいです。
多分、絶大な威力を感じておられるから、「強く」とあえて強調されてるんだろうなぁと思います。

で、僕自身の実感で言うと、とにかく背筋を伸ばして座って(椅子でも良いそうですよ。)、「雑念捨て」という基本さえ守れば、はじめて瞑想した、その日から効果があるように感じます。人にもよるんでしょうけど、僕はそう感じましたね。

ちょっと深い話になるので、項を分けようかと思ってたんですが、ちょろっとだけ書くと、ようは「思想や考えは、道具ではあるが、あなたではない」って事なんです。

主義主張や、あるべき姿、その他いろいろありますが、思想でも考え方でもなんでも良いのですが、そういうものは道具としてはとても便利で、自分の幸せを実現するためには役立てれば良いわけです。

しかし、その便利な考え方に囚われてしまって、「この考え方が私を支えているのだ」とか「この考え方こそが私だ」と思ったところから、不幸が始まるんですね。
「考え」は、「私」ではありません。「考え」は道具です。
だから、自分と道具がくっついてしまって、一体化している部分を、毎日洗って、ちゃんと分離しとく作業というのが、瞑想だと思うと良いと、僕は思います。

下着に洗濯が必要なように、心にも洗濯が必要で、それは毎日やらなくちゃいけないよ、という事です。
毎日お風呂に入って、体を清潔にするのが、あれほど気持ちよくて、健康にも良いのだから、心もお風呂にいれてやりましょうよ、ということです。

そういう意味で、瞑想はよろしいな。
最近で言うと、自転車、MVpen、瞑想のみっつが大のお気に入りです。

その中でも、この瞑想はお金もかからないし、危険もまったくないので、一番のお勧めだ、ということになります。

瞑想。ぜひやってみてください。
僕も「強く」おすすめします。

考えたら、もう12月なのに、「10月に読んだ本」をアップしてなかったんですよね。
でも、ちょっといま本の読み方が変わって来てるので、いろいろ悩みも多いんですが。

とりあえず読んだ順で。

・利益の方程式
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4492556060
・願わなければかなう5つの真実
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4877951407
・フォーカスリーディング
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4569701620
・恋愛の達人
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4899760310
・デザインのデザイン
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4000240056
・東大合格生のノートはかならず美しい
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163706208
・文房具フル活用術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4777805476
・大人のための自転車入門
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4532165253
・愛子とピーコの「あの世とこの世」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163698000
・マンダラ手帳術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4798020621

です。

あー、うーん。
この中では「フォーカスリーディング」と「愛子とピーコの『あの世とこの世』」の2冊は紹介したいかなぁ。
他は、個人的にはいろいろ感ずるところも多かったのですが、紹介するなら、この2冊かな。

ということで、それはまた随時やります。

あと、「大人のための自転車入門」は、なかなか良かったです。と言っても、自転車に興味がない人にはどうでもいいだろうしなぁ。

あと、11月は2冊しか読んでないんですよね。読み方がすごく変わってしまったから。
うーん、このあたりはまた。
今回はあっさりです。

恥ずかしのヘルメット。
自転車用のヘルメットは、実に悩ましい存在だなぁって思う。
日々、走っているとなおさら思う。
自転車買った時に、良いのがなかったので、買わなかったんだけど、その状態で街を走ると、なおさら悩ましくなる。

まず、自転車に乗っていて、かぶっていないのは、恥ずかしい事なのです。これは正しい自転車乗りとしては当然。
でも、街中を走っていると、かぶるのもまた恥ずかしく感じるようになってきたりもするんですね。
なんせ、僕よりうんと早く走ってる人がメットかぶってなかったりするから。

自分の体力の無さを思うと、カッチョ悪くてヘルメットをかぶれないよなぁという気になってしまう。
というのは、基本として、自転車乗りのヘルメットって言うのは、クルマに対する「私はスピードを出す自転車です。無理な追い越しはしないでください。」というアピールなのだ、という点がかなり要素として大きいからなのですね。

で、もうひとつ言うと「私は正しい自転車乗りなのです」という宣言でもあるわけです。もっと言うなら「クルマから降りろ、自転車に乗れ!」というアピールでもなければならないわけです。
でもって、本当にもう、ぐっちゃぐちゃな自転車環境というものの中で「それでも俺は筋を通すぞ」という表明でもあったりするわけです。

だから、けっこう敷居が高くなっちゃうのよねぇ。

けどもまぁ、かぶってもかぶらなくても恥ずかしいのなら、かぶった方がはるかに安全なのだから、とにかくまぁなんでもいいやと、Bellのベンチャーとか言う7000円のにしときました。安いのでいいのだ、こういうものは。

Bell ベンチャー
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B000BPF1PS

でも、いまネットで見たら、これの白もあったんだなぁ。店頭にはなかったので、黒にした。
うーん。黒だとアピール力(=安全性)が弱いよなぁ。まぁ、しゃーないか。

ほんとにね、たぶんやっぱり、みんなあんまりヘルメットをかぶらないんだと思いますね。実際たかだか25キロ出せるかどうか、というヘナチョコ自転車乗りがかぶってると、ちょっとこっけいという感じもある。
で、法律的にはかぶらなくて良いという事になってるし。

でも、正しい自転車乗りは、声を大にして「かぶらなきゃダメだ!」と強く言うに決まってるんです。当然です。はい。ごめんなさい。

でもねぇ、品揃えが少ないのよ。このベンチャーにしても色も豊富にあると言うのに、店頭には一個しか置いてないのよね。もっと上のクラスのもあるけど、それも一個だけ。ようは売り場面積自体がすごく小さい。

でもなぁ、服と一緒だし、長く使うんだし、もっと選べるようにしてくれなきゃ買うのに躊躇するんよなぁ。
でも、あんまり売れないから売り場も小さいんだろうし。ちゅうか「ヘルメットは絶対!」と思ってるからこそ、売り場を広く、品揃えも豊富にした結果が、あの少なさなんだろうなぁと思う。
お店の最大限の努力で、あの少なさなんだろうなと。
やっぱり、こんな発砲スチロールが7000円もしたらいかんよなぁ。
うーん、でも、安くなるためには、法律で義務づけられて、国産の安いのがドーンと出てこないと無理だよねぇ。

ああ、悩ましい。

ということなのです。
子供向けの方は、親の「努力義務」が明記されたらしいので、それなりにカラフルに揃ってるんですがね。大人向けは少ない。
空気入れはスポーツバイクの専門店よりヨドバシで買う方が安いのに、ヘルメットは専門店の方が安いのがある。そういう状態ですからなぁ。
つまり誰も「かぶらないと恥ずかしい」とは思ってないわけですね。
だからなおさら、正しい自転車乗りは、強く「ヘルメットは絶対!」って言うんよね。

●いま、ここにスポーツバイクがいるんだ! 世の中は変わってきてるんだ!

とアピールするための、政治的道具だから。

で、実は、政治的道具だから、かぶるのが恥ずかしいって部分もあるんですよねぇ。
ああ、悩ましい。

自転車って本当に悩ましいですわ。

で、政治的にも、いちおう「正しい自転車乗り」の側に立ちたいので、買ってかぶったわけですが。

ヘルメットかぶって自転車に乗ると、なんかただそれだけで「正しい自転車乗り」になれたみたいな気分になって、ついスピードを出したくなっちゃうんですよね。

よけい危ないやん!
逆効果やん!

とか思ってしまいましたが。

ま、しばらくは、地味な黒いメットで目立たずアピールという中途半端な感じで行こうと思います。
あーやれやれ。悩ましすぎる。





●自転車:ひとよみにっき内実用体験レポート-----------------(2009.09.29追記)

▼基礎的書籍紹介:自転車関連の情報をまとめておきます。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909290836391467/

▼自転車本体:TREK クロスバイク 7.5FX
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811231655512820/

▼地図:自転車とストリートビューと旧街道。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811280158586303/

▼階段克服:道、間違えました。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811291203343466/

▼ヘルメット:恥ずかしのヘルメット。

▼ライト:手回し充電ライト
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812071125466947/

▼下着:【あったかい!】ミズノ ブレスサーモ アンダーウェア 半袖Vネック A92LN-502
http://hitoyomi.diarynote.jp/200901171257308230/

▼ブレーキ:衝突回避の秘密。(あ、自転車の話ですよ。)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200902190451325362/

▼天気予報サイト紹介:雨が降ると自転車に乗れない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903021357063086/

▼輪行:はじめての輪行。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908011355319224/

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●「ひとよみにっき」の自転車関連書き込みのみ表示
http://hitoyomi.diarynote.jp/?theme_id=7
●役人はほんまもんの馬鹿である。

やっぱりなぁ、当然よなぁと思った記事があったので、紹介。

(引用開始)-------------------------------------------
受け取り拒否でも免除なし、候補通知未開封で返送の人も
12月5日16時13分配信 読売新聞

 来年5月に始まる裁判員制度で、裁判員候補者名簿に登録された人が、先月末に最高裁から郵送されてきた通知を開封せず、送り返すケースがあることが分かった。

 候補者が通知の受け取りを拒んでも、今後、裁判所からの呼び出しが免除されることはなく、最高裁刑事局は「通知には調査票が同封され、辞退を希望する月を2か月まで書き込める。まずは通知を開封してほしい」と呼びかけている。

 裁判員候補者への通知は先月28日、普通郵便で全国の候補者約29万5000人に送られた。ただ、普通郵便は開封しないまま「受け取り拒絶」などと書いてポストに入れると、差出人に返送される。北海道在住の30代の男性は「自分には人を裁く資格などない」という考えから、未開封の通知を最高裁に返送したという。

 最高裁は、受け取り拒絶で通知を返送した人については調査票への回答がなく、辞退を希望する時期がないものと見なすとしている。

最終更新:12月5日16時13分
(引用終了)-------------------------------------------

この記事にある、「自分には人を裁く資格などない」という考えこそ、まともで普通な、日本人の態度だと僕は思うのですよ。

陪審員制度なんて、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のように「神の裁き」が最終的には待っているのだ、という文化なくして成立するはずもない制度だからです。

本当に正しい裁きは、最後の審判で「造物主」さまがやってくださる。だから、現世では、たとえ間違いがあっても、我々人間が、出来る範囲の愚かしい判断で、とりあえずの審判を仮の裁きとしてやっておきます、というのが陪審員制度の基本的心情なわけですよ。

おろかな人間がおろかな判断をする。

という大前提があるわけです。そういう前提もなしに裁判員なんかできるわきゃない。人の命を奪ってしまったり、罪を確定してしまったりするんですよ? そんなもん、私は嫌です。やる気もないし拒否しますわな。拒否するのが当たり前です。キリスト教徒でもないねんから。

そういう大前提も考えずに、こういうアホな制度を作るから、一般人の方から拒否されるのです。

逆に言うなら、です。

そういう「裁き」には神のありようまで、宗教観にいたるまでの、深い見識がなければつとまらない、と言うことなんですが、そういう見識すらない、完全なるパァーこそが、こういう裁判員制度みたいなことをアメリカの真似をして取り入れてしまってる、ということなわけですから、日本の司法のレベルが、いかに、いかに、いかに低いかというのがチョンバレということなわけですよ。

ですから、裁判員制度を良い取り組みだと評価してる人の大半が、まぁ、たいていはマヌケだと思います。
(ただ、どうせどっちもマヌケであるなら、司法にまかせてるより、一般人が判断した方がよっぽどマシ、という意味で裁判員制度を評価してる動きもあって、それはまぁそれでわからなくもないとは思うんですが。)

ともあれ、「自分には人を裁く資格などない」というのは、日本人の精神構造として至極まっとうだと思うので(逆に最近は、こういうまともな感覚もなくなってきてるのかもしれません。個人的な好き嫌いで人を裁いて「あー気持ちいい」とか思って、そのために「裁判員をやりたい」なんていう、どうしようもない馬鹿もかなりいてるんじゃないか? という気もしてます。)そういう拒否反応を想定してなかった役人たちは、もう、本当にどうしようもない馬鹿だと思いますけどね、私は。

ま、そんな事を考えたニュースでした。

手回し充電ライト
ママチャリで3駅通勤をしてた時から、自転車用のライトは、ずっとこれを使っているのです。

LEDダイナモフラッシュライト(手回し充電ライト)
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B0019BUQA8

これのブラック。
値段も安くて2000円くらいだし。
僕的にはかなりお勧め。
取り外しもできるので、緊急時の懐中電灯にもなるし。

自転車は無灯火は法的にはダメ、ですからな。この無灯火はダメっちゅうのは、「行く先を照らす」という事より、「ここに自転車がいます」という情報発信のために重要って事なんですけどね。でも、車道を走る場合には、前方向のライトは、対向車に対してだから、あんまり必要ないのよなぁ。どっちかと言うと生活道路とかそういう人と自転車が混在してる場所を前提にしてるんでしょうね。十字路で自転車の存在を知らせるとか。

でも、生活道路で、そんなにスピード出したらあきませんから。ゆっくり走る方が優先ですから。人間が歩いていて、それに自転車がぶつかるとか、そっちを気にしないといけません。十字路飛び出しなぞ論外やと思うのじゃが。

ともあれ、このライトなら、1分手回しで、点滅表示が80分くらい持つそうです。なら40分の自転車通勤用として充分じゃん! と思って買いました。

自転車は、本当にガソリンをまったく使わないというところが素晴らしいので、こういうライトもやっぱり持続可能性の高いものが似合うと、僕は思うのですよ。

でも、けっこういまは電池式の超明るいのが人気みたいねぇ。みんな生活道路でスピード出したいとか思ってるんやろなぁ。そやから超明るいのが人気になるんでしょう。困った事やと思いますが。ゆっくり走れば、そんなに強力なライトはいらんはずなんやが。まぁ、それはそれとして。

結局、現在のところ、我がTREK 7.5FXについてる電池はスピードメーターの電池だけですな。こればっかりはしょうがない。

で、いまはまだテールランプを買ってないのでいずれ電池は2個という事にはなるんやけど、ああ、早く買わねばと焦ります。実際、テールランプは付けてないと危なくてしょうがない。無灯火を取り締まるのも大事やけど、テールランプの方を本当は義務づけるべきなんよねぇ。車道走行ではテールランプの方がはるかに重要です。

本当はウィンカーが欲しいのだけどね。車道にクルマが停車していて、向い側からルール無用のママチャリが逆走してきた時は死にそうなほど怖い。本当に怖い。勘弁してくださいよ、おにいさん、おねぇさんって思う。こっちが車道側に膨らむしか手がなくなるんだし。そういう時にウィンカーが死ぬほど欲しい。ママチャリの車道逆走だけは、本当になんとかして欲しいですなぁ。助けて~!

(警察も無灯火を取り締まるより、ママチャリの車道逆走を取り締まって欲しいんやけどねぇ。歩道を走っていて、歩道に人が大勢いたときとかに車道に出るわけですよ、ママチャリライダーは。で、歩道は左側通行の原則とか法的に決まってないから、気軽にひょいと車道側に出るんでしょうな。それが車道逆走になるわけですわ。うーん。本当になんとかしてくれ。自転車の歩道走行を許してるというのが、根本問題なので、本当は法改正からやらないといけない問題なんですがね。あー、本当に自転車は虐げられてるなぁと思います。)

自転車のライトと言うと、昔の(というか、今でもあるが)前輪の横にダイナモをつけて点灯するタイプのものが主流でしたが、あれはいきなりペダルが重くなりましたからなぁ。あれはあれでエコで持続可能技術で素晴らしいものだし、最近では抵抗の少ないのも出てきてるらしいのですが、ま、私は取り外しが出来てお気軽という点で、これを推します。

ただまぁ、この製品を作ってるメーカーさん、ママチャリとかも作ってたりして、ちょっと自転車マインドは低い感じなので、実際に自転車に取り付けると、けっこうボコンと存在を主張する不細工デザインになってしまうんですがね。

でも、それをさっ引いても、この手回しは買いです。あんまり他に見ないのよなぁ。手回し充電式のライト。これくらいしか知らないのです。良いのがあったら教えてください。

ちゅうことで、お勧め商品でした。




●自転車:ひとよみにっき内実用体験レポート-----------------(2009.09.29追記)

▼基礎的書籍紹介:自転車関連の情報をまとめておきます。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909290836391467/

▼自転車本体:TREK クロスバイク 7.5FX
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811231655512820/

▼地図:自転車とストリートビューと旧街道。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811280158586303/

▼階段克服:道、間違えました。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811291203343466/

▼ヘルメット:恥ずかしのヘルメット。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812050904248688/

▼ライト:手回し充電ライト

▼下着:【あったかい!】ミズノ ブレスサーモ アンダーウェア 半袖Vネック A92LN-502
http://hitoyomi.diarynote.jp/200901171257308230/

▼ブレーキ:衝突回避の秘密。(あ、自転車の話ですよ。)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200902190451325362/

▼天気予報サイト紹介:雨が降ると自転車に乗れない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903021357063086/

▼輪行:はじめての輪行。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908011355319224/

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●「ひとよみにっき」の自転車関連書き込みのみ表示
http://hitoyomi.diarynote.jp/?theme_id=7
うーん。

最近、手に入れたものが、どれもこれも素晴らしくて、うれしくて仕方ないですな。

●スポーツ自転車
●MVpen
●瞑想

です。ああ、考えたらどれも日本の文化ではない! そうかぁ。ちょうど日本文化で、ポコンと抜け落ちてるところを、うまく穴埋めしてくれる道具だから気に入ってるのかも。
どれもこれも「自分の力を活かす道具」なんですよねぇ。まず個人ありきという、そういう道具なんだなぁ、多分。和=輪の発想では、ちょっと思いつかない道具なのかも知れない。

自転車に乗っていると、実は疲れます。

なので、「今日は乗るのやめようかなぁ」とか思うんですがね。でも、「じゃあ電車で出かけて、駅から先は歩くわけ?」と想像すると「わ、それ嫌やなぁ。」とか思ってしまう。
もう、いつでもどこでも自転車のスピードで移動するのが良いわけですよ。チンタラ歩いたりするのがうっとおしくなってくるんですね。
なので、そういう日は「あ、そうか! ゆっくり走ったらええんやんか!」と思い直して、やっぱり自転車で出かけます。別にゆっくり走っても何の問題もないんやしね。

で、MVpenは、
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811221324249838/

でも紹介しましたが、手書きのノートをデジタル化してくれる、極めて優れたツールでありまして、ここ2週間ほど使ってるけど、ちょっとこれは手放せないかなぁと思っております。あと2、3個買って、事務所と部屋に常備しておきたいくらい。かなり良いです。

なんせ、私、この1~2年で、紙のノートを何冊も使うようになってきましたからな。何か続けて書く事が出てきたらテーマを決めて専用ノートを作って、そこに書き足すような形で書いてるわけです。
これが実に快適で。
自動的に見える化してくれるし、整理も自動的にされてるわけだから、とてもラクなのですよ。いろんなサイズの紙のノートを平行して使ってるわけです。

しかし、これらの欠点は、それをデジタルの世界に展開するというのがしんどい点なんですね。ノートの下書きを見ながら原稿を書くとか、再入力するとか。

でも、MVpenなら、そういう手間が必要ないですから。手書きの文字が、まず「画像」として、そのままデジタルになってるから、それだけでもけっこう活用手段があるのです。
手で適当に書いた図形とか仕組み図とかそういうのもデジタルで残る。
それだけでもいろいろに活用法はあるんですが、(昔流行ったfaxでのやりとりみたいな事がメールで簡単にできます。)それだけじゃなくて、この図形がパワポとかでも充分使える。
なんせストロークデータですから。ペタペタ貼れる。これがまた便利。

それに加えて、書いた文字がテキスト化できるわけですよ。変換してやれば、まぁ変換率はそれほど高くないけど、でも手書きで再入力する手間を考えるとはるかに簡単で快適。

で、パソコンと違って、「書いた途端にプリントアウト」されてるのと同じですからな。「見える化」効果は、はっきり言って紙のノートの方が圧倒的に高いですから。普段づかいの保存・保管・閲覧・活用には、紙のノートの方がノートパソコンよりうんと便利なんです。

とくに、「これは大事だ!」と思った事は大きく書いたり、あるいは、文字の勢いで、その時の気分を思い出せるとか、そういう情緒的な情報も、紙のノートなら残っていて、いったんメモしたノートを見ながら、発想の展開を続けていくのは、より新しい発想が湧いてきて、とっても良いのです。

(これがテキスト化されて、無個性なフォントになってしまうと、そういう「気分」が抜け落ちてしまって、「あ、そうだ!」という展開発想が、なかなか湧いてこないんですねぇ。)

この紙のメリットにデジタルの便利さを加えてくれるのがMVpenなわけで、これが実にありがたい。しかも、持ち歩きもせいぜい50gとか、そんな程度の重さですからなぁ。

で、これで、自転車による移動の快適さと、MVpenによる発想展開の自由さを手に入れたわけですが、(自転車は体の健康というもっと大きなものもくれるわけですが、まぁそれは、そのうち書くとして。)これらの部分メリットを下支えしてくれてるのが「瞑想」なんですねぇ。

このあいだ、紹介しましたけど、まぁ読んでみてください。損はないです。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812031223251154/

瞑想はいい。

ほんとうにいい。

あんまり気分的に落ち込まない人間になれます。
そこがとっても良いのです。

自分を頼りにできるようになる。

それが本当に良いです。

人間別に一人で生きてるわけではないから、自分だけ良くてもしょうがないんだけど、それでもやっぱり、まず自分の面倒は自分で見ないといけなくて、自分の心に穴ぼこが空いているからと、それを何か別物で埋めるということをしてはいけないわけですよ。

依存症とかは、まさにそれですね。心に空いた穴ぼこを直視しないように、わざわざ横を向いてる作業ですからなぁ。
まぁ、そういう事も必要ではあるんだろうけど、とりあえず僕は、もういいや。瞑想を知ったし。無理なく前向きになる「技術」ですからな。こういうものを知ると、実にありがたいです。

まぁ洗濯機がなくて洗濯するっていうのは手間ですし、圧力鍋がなくて煮込み料理を作るのは大変なわけですよ。

だから、上記の3つの神器も、そういう「道具」にしか過ぎないわけです。
でも、ほんとに使い勝手が良い「道具」たちばっかりなので、うれしくなってしまうって事ですねぇ。

自転車を担いで、自宅の3階までの階段を毎日上り下りしてるわけですが、(エレベーターはないのです。)でも、10kg程度だから、別にしんどいとも思わない。道を走っていて、大きな道路で、先に行けないのなら、陸橋とか、自転車を担いで登ります。軽い自転車はそういう意味でもすごく自由にどこにでも行ける。(軽い分盗まれる心配がありますが。)

ノートも、まぁ、最初にMVpenを取り付ける手間はあるものの、何冊も使ってる、どのノートでも、あまり気にせず、どんどんデジタル化してます。一度「自動的に手書き文字がデジタル化されている」という環境にはまると、再入力とか、すげー面倒くさく感じてしまうんですなぁ。

あと読書ノートとかも、自分の「覚え」用に抜き書きしてた文章も、そのままブログとかに掲載できるわけですよ。(まぁ、そういう使い方はあんまりしてないけど。)そういう事を考えたら、とにかくMVpenで入力したくなってしまう。

で、そういう便利さの下支えしてくれるのが瞑想という技術の良い点ですわねぇ。
なんでも前向きに上手に活用する方法を思いつくというか、そういう感じがあります。これは瞑想のおかげだわなぁ。

スポーツ自転車が欧米の文化です。
MVpenはイスラエルの技術なので、いわばユダヤ人の発想でしょう。
で、瞑想はもともとはヨガですから、インドの文化が根本でしょうね。

そういう雑多な出自の「技術」を、活用してるということな訳です。
「あー、これは日本人には思いつけなかっただろうなぁ」というのは、しみじみと感じてしまうんですけどね。
それでも、こういう雑多なものを、雑多なままにスッと受け入れてしまうところこそ、島国日本文化の良さかも知れませんなぁ、という話なわけです。

ま、出自なぞどうでもよろしい。
便利でありがたいものは、どんどん使いましょ、という話なわけですよ。

ああ、ありがたいなぁ、うれしい、うれしい。
そんな気分なのであります。

■自転車周りの法律はあまりに未整理すぎる。

自転車で道路を走っていると、いかに法の不備が大きいかを実感します。

なんちゅうか、法律自体が矛盾してる。
自転車は原則車道を走るべし、となってるのだけど、その実、「大半の方は歩道を走ってください」というわけのわからなさで、なにより警官は、必ずと言って良いほど自転車で、歩道を走る。

警官が歩道を走るな! いくら官製自転車が重くてスピードが出ない自転車ではあろうとも、夜になったら、昔ながらのダイナモしかついてなくて、無灯火が法律違反だから必ず灯火していて、よりいっそう重く、全然スピードが出なくて、とてもじゃないが車道を走っていたら、クルマの迷惑になるだろうけど、それでも自転車は原則車道! まず警官が車道を走れ! と思う。

警官が原則を守らなかったら、「原則」が全然世の中に出現しないじゃないか!
警官こそが「原則の守り手」にならんかぁ! ボケナスが! と、つい吠えたくなってしまう。

日本はアメリカにクルマを売って儲けていて、そのおかげで食えてたから、とにかくクルマ優先の法律が出来てしまって、「法」が本来達成すべき「弱者優先」の思想が根本的にない。

自転車にはベルの取付け義務があるけど、これ、「強者優先」の思想ですからな。あのチリンチリンは「オラオラオラオラ、歩行者は、そこどけ!」という思想ですから。歩行者に対しては自転車は「強者」ですから、歩道を本来は走ってはいけないんです。仮に走るにしても、時速10~12Kmまでだわなぁ。で、前に人がいたら「すみません、通してもらえますか。」と声をかけ、ゆずってもらえたら「ありがとう」と言って去る。これです。

でも、こういう発想を「ベルの取付け義務」が否定してるわけです。法が「強者優先」の思想を体現してるんですよね。
だからクルマが自転車に向かって「パパパパパァー」ってクラクションを鳴らすし、それが当たり前と思ってしまうわけで。
違うんですよ。法律が間違ってるんです、これに関しては。

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とは言うものの、法律が適当なおかげで、助かっている部分も実はかなりあるわけですな。
本来、自転車が歩道を走る、なんてことは許されるべきことではないんですが、日本では走っても良いことになっている。

なので、「自転車の走るべき道」がキチンと確保されていない日本の道路事情では、かなり助かる事は助かるんです。

(でも、やっぱり本来は自転車専用道路をキチンと確保すべきだろうなぁ。それが筋です。2車線あったら、1車線は自転車用に空けておく。それが本来ですわ。
で、それをやろうと思ったら、やっぱり「自家用車」というのは都市部においては、かなり厳しく制限しないとダメですわね。)

あと、かなり適当な法判断だとは思うけど、それでもやっぱり助かるのが、「自転車を除く一方通行」ですな。
一方通行の道というのは多いのですが、一般道路(生活道路であることが大半)は、自転車の一方通行は、ほぼ無しなのですよ。なので、幹線道路以外は自転車は走り放題であります。

これもねぇ、もう少し一方通行でなくて良いという部分と、自転車も一方通行ですという道の違いを、正しく精査しないと逆に危ない部分をたくさん含んでいる法律なんですけど、それでもやっぱり、助かるのは助かる。

いやね、幹線道路の車道を走っていて、何が怖いかというと、ママチャリ連中が向い側から逆走してくる事なんですよ。本当に。これがものすごく怖い。何度も書いてますが。
後ろから自動車が来ていて、前から自転車。よけるとしたらこっちが自動車側に膨らんでいくしかないわけですよ。これがたまらん。

でもね。

この車道逆走のママチャリというのは、ようは「自転車を除く一方通行」に慣れてるからこそなわけです。
このあたりがねぇ、本当にグチャグチャなわけですよ。
だいたい、自転車が歩道を走る際には、法律的には、道路のどっち側を走るのが正しいのかとか決まっていないわけです。

あくまで車道の流れに沿って「自転車は、原則、車道を走る。歩道を走るのは緊急避難。」という事なら、法的にも「自転車は車道の左側部分の歩道を、車道の進行方向に沿って走る」というようにルールづけておいてもらわないと困るんですが、そういう決まりはない。北に行こうが南に行こうが、歩道を走る限りはどこをどっちに走ってもおとがめなし。というのが日本の法律で、実は警官も、そういうルールで歩道を走ってるわけです。

で、これに慣れてるから、ママチャリが「わ、歩道が人でいっぱいや」とか「わ、歩道に荷物がぎょうさん置いてある」という時に、ひょい車道に降りるわけですが、その車道が逆方向な事がちょくちょくあるわけですよ。つまり結果として「自転車の車道逆走」になるわけです。歩道を走る方向に規定がないから、こうなるんですね。

でも、これが、本当にかなわん。

だからねぇ。

良くできてる部分もあると思うのよ、日本の自転車周りの法律は。でも、やっぱりグチャグチャはグチャグチャなんよねぇ。
原則は原則。運用はそれとは別。というのが、あまりに無軌道でねぇ。

本当にどうしたら良いのか、考え込んでしまいますなぁ。

あまりにグチャグチャになってしまってるので、整理のしようがない感じ。


でもやっぱり、自転車の車道逆走だけは、なんとかして欲しいよなぁ。
で、そのためにはやっぱり警官が歩道を走るのはやめてもらいたい。ほんとに。
あれはイカンと思うわ。ほんまに。

ああ、あまりに現状がグチャグチャなので、何が言いたいのかわけのわからん文章になってしまった。いやホンマ、自転車に乗ると、こういう混沌状態が、嫌でもわかってしまいます。それも体で。あー、やれやれ。

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そうそう。とかなんとか色々言ってますが、良い自転車を買うと、こういう日本の道路事情の無茶苦茶さも、自転車のおかげでクリアできるという部分はあるんですな。

というのは、昨日も大きな交差点を斜めに渡りたかったんですが、自転車は直角横断しないといけないわけです。

でも、この交差点には、そういう信号がありません。まぁひどい話です。右折したくてもできない。代わりに大きな歩道橋があるわけですよ。歩行者はみな歩道橋で渡る。
自転車はどうすんねん! ちゅう話です。まったく、本当にひどい話で。
で、もひとつ言うなら、こういう場所は、クルマと歩行者の分離のために、車道と歩道の間に鉄策があるわけです。なので、自転車は車道を走っていても歩道に逃げることができず、歩道を走っていても車道に降りられずで、道を知らない場合は行き止まりになっちゃうわけです。ぐるっと回って遠い横断歩道まで回り込まないといけなくなる。
そういうところって、けっこうあるんですよねぇ。本当に近づきたくなくなる。

でも。
軽い自転車なら、歩道橋は担いで上がれますから。「あ、しもた!」と思っても、サッサと歩道橋に登っていきます。タッタカターです。毎日自宅で自転車持って3階まで上り下りしてますからな。持ち方も堂に入ってますよ。コツがあるんです。持ち方に。右手はシートチューブを持って、左手はハンドルを登る時は逆手、下るときは順手に持つ。で、登るときは左手をアゴまでひきつけ、逆に下るときは腰近くまで押し下げる。
それだけの動作で、階段の上り下りはラクラクです。

いいよなぁ、スポーツ自転車。こういう時は、ほんとにほれぼれする。
法の矛盾を体で乗り越えるっちゅう感じ。
道具が法を超えていく。
そういうのがあるなぁと思いますなぁ。いやほんとに。

ネットを見てたら、麻生太郎ちゃんの、読み間違いをまとめてたとこがあって、見てみて唖然としました。あまりにひどいなと思ったので、勝手に転載。

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      正しい読み   あそう読み
・有無:  うむ       ゆうむ
・措置:  そち       しょち
・踏襲:  とうしゅう    ふしゅう 
・詳細:  しょうさい    ようさい 
・頻繁:  ひんぱん     はんざつ 
・未曽有:  みぞう     みぞゆう 
・物見遊山: ものみゆさん   ものみゆうざん
・実体経済: じったいけいざい じつぶつけいざい
・思惑:  おもわく     しわく
・低迷:  ていめい    ていまい
・順風満帆: じゅんぷうまんぱん じゅんぽうまんぽ
・破綻:  はたん    はじょう
・焦眉:  しょうび    しゅうび
・詰めて  つめて    つめめて
・怪我:  けが   かいが
-------------------------------------------

太郎ちゃんは、マンガも読んでないというのが、これではっきりしましたな。
アキバでのアピールもカッコだけのパフォーマンスっていうのが丸わかりです。

だって少年マンガにはちゃんとフリガナが振ってあるんだもの!!!
あの大人向けマンガのバガボンドでも「上洛(じょうらく)」とかにはフリガナが振ってある。

どこかの政治評論家だか政治家だか、誰か忘れたけど「マンガばっかり読んでるから漢字が読めない」とか言ってたけど、その批判こそバカの極み。

子供のうちにマンガをキチンと読むから、漢字の読みを覚えるのですよ。少なくとも日本の子供は。そういう仕組みでこの国の言語世界は成立してるの! そうでなければ、こういう批判も出てくるはずもない。

首相もバカなら、批判する奴もバカって事だなぁと、それも困った事だと思いました。

まぁ最近は、テレビとアニメとゲーム「しかしない」子供も増えたから「文字」の読めない子とかも出てきてるんでしょうがね。

しかしない。
鹿竹刀。
歯科市内。
しかし ない。

誰も本を読まん。

ああああ、やれやれ。

スポーツ自転車というかスポーツバイクというか。
世界標準の自転車と言うべきか。

とにかくそれらと、日本でのみ特異に増殖してきた「ママチャリ」という存在があまりに違うモノなので、最近、この事をどうとらえればいいのかが、よくわからなくなっております。

平均時速で倍ほど違うと思うのですよね。多分。
ママチャリだと12Km/時くらいだと思う。でもスポーツ自転車(世界標準バイク)だと22Km/時くらいじゃないか?巡航速度で25Km/時で、当然ママチャリと同じように12Km/時でチンタラポンと走る事はできるし、それもまた自転車の楽しみだから、厳密な平均時速で言うと16Km/時くらいになると思うんですがね。

それでも、ママチャリで16~18Km/時のスピードを出そうと思うと、かなり、相当にしんどい。立ちこぎをして、体全体を使って、ヒーハー言って、やっと20km/時を超えるかどうか。そんなところでしょう。

このふたつの乗り物は、実は似て非なる物と言うことを、感じざるを得ないんですよ。ほんとに。法的にも、マナー的にも、完全に分けて、別物にしてしまった方が、よほどすっきりする。
そう言い切って良いくらいに違うんですね。平均時速が倍違うというのは、そういう事なんです。

ところが、これが、線引きが難しい。
というか、ほとんど無理なんですよねぇ。

見栄えや装備では一切区別できませんから。最近では「見た目マウンテンバイク風ママチャリ」とか、「どうみてもスポーツバイクにしか見えないママチャリ」なんてものもボコスコ登場しているらしいから。

強いて言えば重量で区別するくらいしか手はないわけですが、じゃあ取締をするのに、いちいち自転車の車重を測るハカリを持ち出すのか? という話になるわけです。何かシールでも貼って区別するとかしかないわけですが、果たしてそんなものをルール無用のママチャリ族が貼ったままにしておくかしらねぇ。

で、もひとつ言うと自転車には基本的に免許がいりません。

これがまた話をややっこしくさせるのですなぁ。

街の中を走ってると、よく思うのが、クルマの運転免許を持っている人間と、全然持ってない人では交通法規をベースにした共通ルールというのが作れないってことなんですよ。
単純に言うなら、車道を逆走するママチャリ族は、元からそれが危険な行為であるという認識自体を持ってないわけです。拠って立つところが違う。

で、最近ではジャイアントとか、ネット通販でスポーツ自転車が買えてしまうんですよね。それも5万円~10万円の間で。

そうなると「ママチャリ族」が、その法規知らずのままにスポーツ自転車で街中を走り回る、なんてことが普通に起きる。

だからもう、何がなんだか分らない世界に突入してしまってるわけですよ。ちゃんとした「正しい自転車乗り」っちゅうのは、何かの自転車クラブにでも参加している特殊な人しかいないって感じなわけで。それはそれで中心として必要な存在なんですが、そうではなくて、一般人が普通に維持するマナーとか決まりとか、共通基盤みたいなものが、もう、まったくと言って良いほどにないわけです。

やっぱりねぇ、車道を走ってて思うけど、自転車も「車両」の一部だし、交通法規に従った走りって言うのは必要ですよ。
でも、それをバリバリにぶち壊しつつスポーツ自転車が走り回っているというのも、紛れもない事実でして、で、あきらかに「ああ、この人交通法規は何も知らないな」と感じさせる人も多いわけですよ。

いやー、これ、本当にどうしたらいいんだろうって頭を抱えてしまいますねぇ。
本当にルール無用の無法地帯ですわ。自転車の世界って。
で、それは法律が根本から間違っているから、という側面もかなり大きくて、どこをどうすべきなのかも良く分からないよぉ! というのが、本当に私の実感なのであります。

ヘルメットも「正しい自転車乗り」になるべく被ってるわけですが、その事自体に徒労感を感じますねぇ。
あああ、やれやれ。
本当に難しいです。


いや、なんかダジャレになりきれてないタイトルですが。
例の如く自転車の話です。

自転車で車道を走っていると、いろいろ見えてくるんですが、その時に思うのが、まずスポーツ自転車(世界標準自転車:非ママチャリ)という存在が、いかに世間から「見えていない」か、という事なのですねぇ。

これは自分で走ってみてはじめてわかった事です。

正味、いま、車道にはスポーツ自転車がかなり走っております。それもママチャリと区別もつかずに「スピード出るし、車道走ったろ」程度でお気楽に乗ってるような人が。
もちろん、ロードバイクのすごいので走ってる人もたくさんいてます。

でも、こういうのは、見た目では全然違いが分らないんですね。ヘルメットを被ってればまだ区別も付くのかもですが、基本、誰もそんな事してない。いまは寒い時期なのでキャップは被ってるけどねぇ。

しかも「なんちゃってマウンテンバイク」なども多いから(ようするにママチャリですわ)本当に速い自転車に関しては、実際に走ってみて併走しないと区別がつかないわけですよ。

ボクはこのスポーツ自転車を買う前から、けっこう道路上で観察してたから、「あ、あの自転車速い!」とか気付いてましたけど、普通の人はそんな観察なんかしてませんからな。みんな、そういう自転車が日々増殖しているという実感そのものを持ってないんですね。

というのは。

街なかを走っていて感じるのは、歩行者の側の意識が全然育ってないってのが良く分かるからなのです。目視で自転車を見つけた時の判断が、たいていの歩行者は全部「ママチャリ速度」を想定してるんですねぇ。スピード感覚がズレてるんです。

たとえば、こっちが普通に車道を走っていて、歩行者から見えていても、平気で信号無視して横断しようとしたりすることがあるわけです。「自転車しか走ってないからええやろ」と。それはそれで別に良いのですが、問題は、そういう時の横断のスピードが遅い!って事です。
なんというか、まさにこっちがちょうどぶつかってしまうくらいの歩行速度で歩いてる。

これがもう、しょっちゅうあるわけですよ。
ちょうどぴったりぶつかるくらいの速度で人間が近づいてくるっていうのが。
彼らにしたらイメージの中にあるのはママチャリの時速10km~12kmの速度なんでしょうねぇ。
でも、こっちは25km/時くらいは出てるので、ちょうどぴったりぶつかりそうになるんですね。

なので、しょうがなくてかなりスピードを落とすか、大きく膨らんで避けるか、どっちかをしないといけないんですねぇ。

まぁ、これはしょうがないですけどね。自転車が強者なのだから、こっちが気を使うしかない。

しかし、強者、弱者が逆の場合のスピードの読み違いというのもどうやらあるらしく、それはやっぱり対クルマで感じます。具体的には実感がないんですけど、多分「パパパパパァー」とクラクションを鳴らされる場合の半数、あるいはほとんどが、この「スピードの読み違い」ではないのかな? という気がしてきました。

自転車だから追い越せるつもりで、追い上げて来たら、意外に距離が詰まらない。「え? なんで?」と思って、もっとスピードを上げようとしたら、車道の脇に停車していた車を避けるために自転車が車道側に膨らんできて「あぶねー!」で、「パパパパパー」であるようです。

スピード出すなっちゅうねん。

で、どうも、これをされて、追い越された後に見てみると、ほとんどが「自家用車」っちゅう奴ですね。個人で所有されてるクルマ。
土日に楽しみで乗ってるとか、そういうクルマでしょうなぁ。

要するに「シロート」なわけですよ。

同じような状況があっても、実はタクシーからパパパパパァーってクラクションを鳴らされた経験はないんです。彼らはプロですから。「速い自転車が、最近は増えた」という事を知っているんでしょうな。自転車の姿を見ただけで、そこいらのオバチャンが買い物帰りに乗っているスピードから、最近流行のロードバイクのかっ飛びスピードまで、「経験則」として頭に入っているから、それを計算してスピードをグンと落とすとか、追い越し車線に入れるなら入るとか正しい判断をしてるわけです。やっぱりプロは違うんです。

わかってないのは、土日にしか乗らない、経験の浅い、シロートドライバーだけなわけです。

問題点は、君らの経験不足にあるんだよ。そこを正しく認識しなさいね、とボクは思う。

都市部では、クルマより自転車が偉くて、そして、自転車より歩行者が偉いのです。

だから、経験不足の「自家用運転手」は、さっさとクルマから降りるべし! なんですよね、本来は。
シロートがクルマみたいな車重が超重くて、20km/時でぶつかっても大けがや死亡事故になってしまうような、危ないものを扱っててはダメだ。
はっきりくっきりそう思いますなぁ。

もうね、クルマなんて「大量消費財」扱いしてはいかんと思いますよ。
タクシーやバスは、やっぱりドライバーがプロだからしっかりしてます。小さな運送会社が、それこそ人身事故を起こしたら、一発で会社が潰れるってなもんですからな。

でも、自家用車を見てください。保険とかあるし、それで会社づとめがどうなるってこともないわけでしょ? そんな社会の仕組みの方がおかしい。

いま、大不況でクルマが売れない、アメリカのビッグ3も救済せねば、とか言ってますが、それは別に「大不況」は本質的には関係ないんじゃないかなぁって思う。
クルマみたいなものを「個人所有する」という考え方自体にヒビが入り始めてるんだという事だと思うんですよ。

良い悪いは別にして、「エコ」のムーブメントは止りませんからな。全世界を巻き込んだ、ものすごく大きなムーブメントになってしまってる。だから、本質的に、もっともムダの極みである「ガソリンを燃やしながらちょっと移動するだけ」のクルマという存在そのものが否定され始めてるって事ですわな。
ようは、そこが一番大きな問題でしょう。

これは多分、世界不況とは関係ないよなーってボクは思うんやけど。

もう、世の中が変わり始めてるんだから、車道も自転車のためのものにして、屋根付きの車道を造るとか、自転車駐輪場のある施設を作るとか、そういう公共投資をして、市場の構造から変えて行かなきゃアカンのと違うかなぁ。

ここからは、ボクの妄想ですが、まず、個人所有のクルマの数を減らすことを目標にしたらどうか? と思うんですよ。

どうせ「道幅(みちはば)」という公共資産は限られてるんだから、1台をバカ高い値段で売れば良いのです。で、自動車会社も関連企業も部品会社も全部いっせいに値上げします。「売れなくなったので、人を解雇するわけにもいかないから値上げします。」で良いのだと思う。多分それが一番正しい選択だと思うんですよね。

だって道幅は変わらないんだから。しょうがないじゃん。

なのに、クルマの値段を安いままにしてるから、人を解雇するとかしなくちゃいけないわけでしょ? そこが本質的な問題なんと違うかなぁ?

多分、誰もがクルマなんかに乗ったらアカンのですよ。道が狭くなるから。
入れ物の数は決まってるんだから、それ以上に入れたらあきませんって。

狭かったら走れないでしょ? 本末転倒ですがな。だからたくさん売らんでよろしい。だから値上げです。それ以外に道はないし、それが一番良い選択肢です。

特にスポーツ自転車の速度見積りも誤るようなシロートが、クルマに乗る必要なんかないと思うなぁ。
そんな事は本当にムダな事です。

だから個人所有の自動車なんかは、乗りたい気持ちがとても強くて、高い金を出してでも乗る、というような人だけ乗ったらいいんだと思います。

いまの3倍の価格でも絶対に乗ります! という客だけ相手にしたらいいんです。そしたら売れる台数が3分の1になっても企業の売上は変わらないです。1万円を稼ぐのに、10円のものを1000個売るか、30円のものを、334個売るかという違いでしょ? それだけの事ですがな。輸送コスト等も減るから、純益もあがるんじゃないかなぁ。

それが企業にとっても、社会にとっても幸せなこと。人を解雇する必要もなくなるし、道路も走りやすくなる。クルマの値段はどんどん上げて良いと思うんですけどどうでしょう? クルマが安い事に、何か積極的意味があるでしょうか? 単に道が狭くなるというデメリットしか私には見えないのですが。

自動車の値段が上がれば、クルマが減って、道路が空きます。道が空けば、自動車の価値も上がりますから、高くても買う価値が出てきますからな。一挙両得ですがな。なんで値上げをしないかね? 自動車メーカー救済に税金を取るとかアメリカでやってるけど、違うがな! 金を払うなら税金みたいな一律で取るやり方ではなくて、払いたい人だけ払う「値上げ」が正しい選択でしょうが。何やってるの! って思いますね。

もう、安い自動車をたくさん、狭い都市にばらまいて、クルマの価値自体を下げるような、アホな商売はやめるべきやと思いますけどなぁ。私は。いや実際。

ほかにもいろいろ思うところはあるんですが、街なかを走っていて思うのは、とにかく、自家用車というシロートのスピードの読み違いこそが害悪という、その一点ですなぁ。

ようはクルマが増えすぎなんよね。安くたくさん作りすぎ。ああ、もったいないし、ああ危ない、っちゅうことであります。

ま、そんなことで。

自転車で街のなかを走っていて、「ありゃ?」と気になる存在に、電動アシスト自転車があります。

これがね、なんちゅうか実に妙な存在なんですよ。

パッと見は、普通のママチャリなので、「あー、追い越さないといけないかな?」と思うのですが、近づいていくと、追い越すのはかなりしんどいとわかるんですね。ちょうど25km/時くらいで走ってますから。

まぁ追い越す事もできなくはないけど、追い越してもすぐに追いつかれるのだから追い越しても意味がないというくらいの感じなわけです。

ただ、電動アシスト自転車っていうのは法律上25km/時以上はアシストが切れるんですね。それ以上のアシストをしてしまうと、それは「電気バイク」になってしまうわけです。
こっけいというと言い方は悪いですけど、25km/時を超えたとたんに「世界一重い自転車」に成り下がるわけですよ。とてもまともな人間が乗る乗り物ではなくなってしまうんですね。

なので、電動アシスト自転車は、ハンでついたように、みんな「時速25キロ」です。
で、街なかで、この電動アシスト自転車を上手に使ってるのは、郵便局員と宅配便のにいちゃんですね。
なんちゅうか、華奢な、そんなに力があるとは思えないような女性の郵便局員さんが、荷台にすごい数が入ってそうな大きな荷物箱を積んで、それで時速25キロで走ってるわけですよ。

最初は普通のママチャリだと勘違いしてて、すごいなーと思ってたんですけど、走ってるスピードが、ありえないスピードな訳ですよ。追いつくだけでも大変なわけで。ママチャリでそんな事はありえませんから。それで「ああ、これは電動アシスト自転車なのだな」と分るわけです。

(ようするに車道で自転車を走らせるというのは、そういう巡航スピード間格差を感じつつ走るという事なのです。このあたりは歩行者にも、クルマにも、ガソリンで走るエンジンバイクにも見えない世界の話でしょうねぇ。)

で、それが電動アシスト自転車だと気付いた途端に「ああ、やっぱりプロは賢いなぁ」と思うわけです。なんちゅうかね、小口配達ってものに、電動アシスト自転車ほど最適なものはないですよ。エンジンバイクもダメでしょうねぇ。

だって法律区分的には「自転車」ですからな「一方通行:自転車を除く」を最大限活用できるわけですから。場所がどこであろうが、最短距離を移動できるわけです。一方通行だから入れないという道がなくなるわけです。

でも、スピードは25キロでるから車道を走っても自動車と遜色がない。しかも!なによりうらやましい点ですが、坂道でも平気で登っていけるって事です。
いくら荷物が重くても、電動アシスト自転車ならラクラクですからなぁ。

自転車としては、時速25Km以上の速度が出せないという、かなりお間抜けな存在なんですけど、都市部の小口配送用移動車両という意味では抜群の効果があるだろうなぁと感心してしまうわけです。
自転車扱いだから歩道だって平気で走れるしねぇ。あれは小口配送には最強だわなぁ。つくづく感心してしまうのですよ。

なので、街のなかで荷台にでっかい箱を積んだ電動アシスト自転車を見つけたら、とりあえずその後ろについてのんびり走らせてもらうのでありますよ。

なんでか?

というと実は、自転車にとってかなりの大敵が「空気抵抗」だからなんですねぇ。

別に流線型のボディを持つわけでもない自転車は、実際に走るときには空気抵抗というのが、かなり大きいんです。競輪なんかでも、みんな後ろにピッタリついて縦にならんで走ってますけど、あれがひとつのスタイルなわけです。

もちろん、電動アシスト自転車の後ろについたからと言って、いきなりペダルが軽く回せるようになるわけじゃないんです。でも、そのまましばらく走ってると、1キロなり2キロなりというものを時速25キロくらいのスピードで走っていながら、体力が温存できるんですよ。
つまり「疲れない」んですね。ここがかなり大きいわけです。

巡航速度で25キロを確保したまま1キロなりなんなり走って、それでいて足が疲れていないというのは、実に快適なのでありますよ。でっかい風よけが、自分の前を走ってくれているわけで、これは助かるのです。

このごろは、もうこの「後ろに付く」楽さ加減を知ってしまったものだから、ちょっとのんびり目に走ってるロードバイクとかいてたら、即後ろにつきます。「すみませーん、後ろに付かせてもらいますねー。」っちゅう感じです。電動アシスト自転車も一緒。即、後ろ。

という事なので電動アシスト自転車はけっこう面白い存在だなぁと評価しとるわけです。

(ただ、最近、これも「シロート」の話ですが、モーター付き自転車みたいなのも出てきていて、ペダルも全然回さずに、そこそこのスピードで走るバイクというか自転車があるわけですが、あれがどうにも個人の利用者でマナーが悪くて困ります。あれはかなり悪印象ですなぁ。ようは自分が楽したいという、それだけの我欲で乗ってますからな。あれはいまいち評価したくない。)

で、そうやって街のなかでの走り方のいろいろを見てくるとエンジンバイクが、日々、バカっぽい、憐れな乗り物に見えてくるわけですよ。

あれはエンジン駆動なので、一方通行を逆走はできませんからね。幹線道路を走るしかないわけです。まぁバイクはバイクですから、クルマの間をすり抜けてけっこう気軽に移動できるわけですが、一方通行を守るとなると、かなり自由度がそこなわれますからね。

で、バイクはエコでもなんでもないし、健康に良いわけでもないですからなぁ。そのくせ幹線道路をクルマと一緒に走るストレスだけはやたらと大きい訳でして、良いとこナシなわけですよ。
メリット少ないよなぁって思う。

自転車に乗るまでは、「なんだかんだ言っても、結局はオートバイが一番速くて、都市の王者なんと違うん?」と思ってましたが、そういう発想は、この数週間でまったくなくなりましたねぇ。体ひとつで幹線道路を走る怖さは、自転車以上なわけですよ、オートバイって。あれはスピードが平気で出る分、かなり危険だなぁって思う。

で、オートバイ族って、クルマに対しては弱者な割に、自分より弱者の、ママチャリ・スポーツ自転車・電動アシスト自転車の速度の違いにまでは気付いてない感じなんですね、どうも、見てると。
自分がクルマの間をすり抜けるのに精一杯で、時速25キロ以下の世界に、こういう多様性が生まれてるって事に気付けてない感じが一番強いですね。人種的に。言っちゃ悪いけど、太ってる人が多いのも、オートバイ族の特徴かなぁ。「いや、ああ、うん、あの、そう、アカンと思うで、それ。」って思うのですよねぇ。

太ってるからオートバイに乗るのか、オートバイに乗るから太るのか、どっちかわからんけど、なんかそんな感じがありますねぇ。

というような事で、存在価値として、都市における重要度がどんどん下がってるのがエンジンバイクだなぁと僕は感じてます。いやまぁ、これも、スポーツ自転車に乗ってみてはじめて実感・体感したことで、この数週間での事なんですけどね。ちょっと時代遅れな存在かなぁ、エンジンバイクは。

ついこの間まで、都市での小口配送の王者はバイク(ホンダのカブとかね)だったんですけどな。いまやもう電動アシスト自転車だなぁと。良い風よけになってくれるし、そのところは評価高い。(笑) バイクはクルマと一緒に先に行っちゃうので「仲間」じゃないのですよね。

まぁ、自転車に日々乗ってると、感じる事も日々変わってきますな。
乗るまでは、気づきもしなかった事ばかりですが、いや、実際、面白いもんです。

ずっと、「自転車の車道逆走は危ないから、やめて欲しいよなぁ。」という事を書いてたわけですが、どうも、大阪の堺筋とかは、基本的に「自転車の車道逆走」が順法らしいのですよ。

このあいだ、自転車で走っていて気付いたんですがね。
左右で5車線もある広い車道の上に出ている一方通行の標識の下に「自転車を除く」と書いてあるんですよ。

「なにそれ!」

てなもんです。

堺筋、自転車の車道逆走が順法です。


…。


やれやれ。


多分、大阪市内の一方通行の、御堂筋とか松屋町筋とか、全部「自転車を除く」となってるに違いない。


…。


やれやれ。


自転車は車道を走るのが原則なのに、そんなこと、かけらも考えていないというのがバレバレですなぁ。原則と運用が違いすぎて矛盾を起こしてて、ぐちゃぐちゃやがな。
法規もへったくれもないよなぁ。
警官は自転車で歩道を走るし。

根本的に、自転車の事なんか、何も考えてないんや。
道路交通法が、そういう「アホ」そのものなんやなぁ。信じられない。

車道の上の道路標識に、堂々と一方通行の除外規定で「自転車を除く」となっているということはですね、路側帯を走っている自転車のすれ違いは、「起きて当然」なわけですよ。
何度も書いてるけど。
路側帯での自転車のすれ違いってのは、クルマの方に大きく膨らむしかないので、無茶苦茶に危ないわけですよ。自転車にはウィンカーもないねんから。

でも、標識は、そういう危ない事をやれ! と示唆してるわけですわ。
個人の生命を守るもへったくれも、何もない。
箸にも棒にも引っかからないテキトーかつ何も考えてない運用ですなぁ。

ほんまにひどい。
なんじゃこりゃ。



ものすごい徒労感を感じる。



やれやれ。

ビアンキのふたり。

2008年12月24日
ビアンキのふたり。
昨日、祝日だというのに事務所に出て。出社途中にカフェでノートなどまとめていたのですが、そこに若いカップルが自転車でやってきたんですね。

それが!
二人揃って同色のビアンキ!
かっこいいよなぁ。
いや、ほんとに。

自転車の世界って、車体の色数が少ないんですよね。パステル系の自転車なんかまずない。(あ、当然ママチャリは除きます。ママチャリならパステル系もあるかもですが。)

そういう世界の中にあって、見ただけですぐに分るくらい、パステルカラーが特徴なのがビアンキなんですね。僕もパステル系の緑色のがいいなぁと眺めた記憶があります。

この二人のは、ターコイズブルーって感じの色。おそろい。
写真でもわかるみたいに、二台をチェーンロックでまとめて駐輪。

坂下千里子をもっとほんわかさせた感じの彼女(紺ブレ&パンツにイヤリングだったような気がする。)と、小沢健二風にパーカーで決めている彼。

まぁ、なんちゅうか、なんかのドラマにでも出てきそうな二人で、そういう仲の良いところとかは、けっこうあこがれますねぇ。

でも、二人して喫煙コーナーの方に行ったのよねぇ。で、二人ともタバコ吸ってるし。その辺は、あんましかっこよくない。

で、当然、ヘルメットなんざぁしてないし。

まぁ、ビアンキを揃いで買うんだから、「まず見た目」ですわなぁ。そうなったら、ヘルメットなんかするはずないよなぁ。別に法律違反でもないし。

でも、ビアンキならけっこうスピードが出ると思うんやけどねぇ。

まず、「見た目」が大事なんですね。

いまの自転車の人気って言うのは、こういうところに端的に現れてますわ。とにかく、まず「カッコイイ」から入るんだ。たぶん。

で、ふーんと思って外のビアンキを眺めてたら、そこは日曜の大阪市内。ルイガノは通るは、ジャイアントが行き過ぎていくわ、ピナレロからコルナゴ、キャノンデールと次々に良い自転車が通り過ぎる。
普通のおっちゃんが乗ってる、なんて言うのもけっこう見かけるので、あれはママチャリの延長線上で乗ってるんかもなぁとか思う。いやまぁ、それで充分なんですけどね。スピードは全然違うけど。

で、みんなヘルメットはかぶってない。時たま完全にレーススタイルの一群がいてメットを被ってたりはするけど。

なんちゅうかねぇ、すごい隔絶感がありますな、ビアンキのふたりと、私と。

いやまぁ、通勤に使って車道を走るのだから、危険率が違うのですよ。だからやっぱりヘルメットは必要なんだけどね。日曜だけお洒落にカフェまでって言うのとはちょっと違うし。

とはいえ、自転車の世界の広がり感が微妙にズレつつも、どんどん生活に密着して行ってるよなぁと感じさせられた昼下がりではありました。

昨日、打合せの帰り、喫茶店に寄って、そのまとめをノートに書いてたのですが。

たまたま隣に座った人が、かなりのヘビースモーカーでして。狭い喫茶店で、隣との仕切り板はあるけど、距離的には数㎝しか離れてなかったので、かなり煙が臭かったんですよ。

で、今日、同じセーターを着ようとしたら、もう、タバコの匂いがしみついていて、ちょっと着るのが嫌。

わー、こりゃかなわんと、別のセーターに着替えたんですが、不思議なもんですねぇ、昔はあんなにタバコを吸ってたのに、この変わりよう。

タバコを吸ってた時は、タバコの匂いが、ここまで臭いとはちっとも感じてなかったんですよね。
ところが、タバコをやめて8年になりますが、最近ではもう、臭くて臭くてかなわないって感じになってます。

地下鉄の中でも、混雑時に、「さっきまでタバコを吸ってました」というような人が隣に来たりすると「うわー、かなわんなぁ」とか思ってしまいます。
タバコをやめて、2~3年までは、そんな風にも思わなかったんですけどね。最近はもう、ちょっと耐えられないって感じになってます。

で、ずっと知らなかったんですけど、やはり女性でタバコを吸わない人はやっぱりかなり多くて、で、そういう人は、そうとうにタバコ嫌いが多いんですよね。
ただ、喫茶店でもどこでも、普通にタバコをスパスパ吸ってるおじさんとか多いから、それが普通の風景だから「嫌だ」とか「かなわん」とか言わないだけの話で、「嫌だなぁ」と思ってる人からは、かな~り嫌われてるんですよ。そういう事が表に出てきてないんですよねぇ。

「タバコって吸った後も、電車の中とか、かなり臭くて迷惑してる人もいてますから、出来たらやめてくださいね。体にも悪いですし。」

くらいは、普通に「嫌だ」と思ってる人が、普通に主張して良いように思いますねぇ。
そうすれば、もっとタバコをやめる人が増えるだろうし。
下手なニコチンシールだとか、電子タバコだとか、そういうものに頼る事より、こういう「迷惑してる人が、普通に存在してるんですよ。」という事を正直に伝えた方が、禁煙効果は高まると思います。

いや、実際、ほんと。臭いんですよ。マジに。
この臭さがわかるまでに、タバコをやめて5年くらいかかりましたけど。
でも、本当に臭いんだから仕方ないです。
タバコをやめてはじめて分ったことなんですよね、これが。
で、タバコ吸いは、そういう迷惑をかけているのだという自覚がまったくないわけですわ。
自分が元タバコ吸いだったからこそ、この自覚は重要だなぁと思いますね。

夏場に風呂に入ってない人が汗くさくて周りが迷惑するというのに近い迷惑さなんですよねぇ。実は。まぁ、あそこまで生理的に嫌って感じじゃないけど、逃げられなくて辟易とするという嫌さ加減はそっくりです。

別に電車の中でタバコを吸ってるわけではなくて、「吸ったすぐ後に電車に乗る」だけでも、かなり周りに迷惑かけてるんだよね、という事は知っておいて良いと思います。
いや、ほんま。
元タバコ吸いだったからこそ、そう思うのであります。
自覚しにくいやろけど、ちょっと意識して欲しいのであります。

はい。

※09.6.12追記 最近、このページが「世界不況 原因」のキーワードでyahooで1位にきてるということがわかったので、記事の末尾に、私が書いたこのテーマに関連する日記へのリンクを貼っておきました。興味のある方はどうぞごらんください。

※09.7.5追記 「不況、不況」と暗い話ばっかりなのもつまらないので、不況脱出の方向性についてもちょっと調べて書きました。
●不況にはもう飽きた。お金よりエネルギーの方が、より根本問題だ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907051007574317/
をご覧ください。

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えー、不況です。
それも100年に一度とか言う不況だと世間は騒いでます。

が、あんまりどういう構造で不況になってるのかという事に関して、「いちばん大きなところからつかむ」という事を書いてる人が少ないので、ちょっと書いてみたいです。
まず、先日、リンクさせてもらってるどん太さんのところに書いたコメントが好評だったので、その内容をちょっと修正して転載します。
これが自分でも短くわかりやすく書けたと思うので。



(修正・転載開始)-------------------------------

何故、いま不況なのか?

それは企業で言えば、会社側が内部留保とかで、企業ばかりが利益を取って、社員に手厚く報いないからです。銭がなければ買えない。だから不況なんです。当たり前の事です。

単純に、大衆という一番数の多いところの購買層の購入率が下がってるから不況なわけですよ。至極当然ですよね。別に不思議でも何でもない。

じゃあ、なんでこういうアホな事を大企業がやるかというと、アホな株主が株主至上主義を振り回すからです。

で、そういう問題が何故起きるかというと、税金を払わなくても良いような超金持(南の島の小国のタックスヘイブンに資産を置いているような金持。国家というしがらみを超えて世界的な投資をしているような連中。)の持ってる資産が、全地球上の資産の半分を超えてるからだ、という話がありまして、僕はそれに深く納得するんですよねぇ。

資産が、大衆から企業に移転され、その企業の資産が企業売買や資産の切り売り、あるいは投資のための借金等で通貨の形で超金持に流れて、結局資金が金持の間でだぶつき、大衆層に銭がないという、そういう大きな構図が、現在の世界不況の発生原因でしょう。

「企業と派遣の構造」が、全世界で見ると拡大して「超金持と企業」の間で存在してるというわけです。

で、超金持たちの投資が、数年前から、うまく回らなくなりだして、それで無理に戦争とかを起こして、無理矢理ニーズを作って(都市の破壊と再生によるニーズ)回そうとしてたわけですけど、それもやっぱりうまくいかなかったと。

で、アメリカという借金大国が生み出した、無責任な投資信託システムの「金融工学」のせいでサブプライムローンが破綻し、借金で金持の振りしていたアメリカに、クルマを売って稼いでいた日本の自動車産業も、いままさに痛い目にあっているという、そういう流れですわね。

アメリカやヨーロッパは、まだワーキング・プア対策がそれなりに整っている部分もありますけど、日本だと、親切な個人が運営しているNGOが自殺者を個人的にひきとめるとかの、ささやかな行動くらいしかセーフティネットが存在しないわけで、実に心許ないです。

若者のワーキングプア問題をサポートしてるのも、「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」みたいな、ほんとうに小さな個人でしかなかったりします。

考えなしの小泉が、「改革だぁ!」というワンフレーズポリティクスで、システム全体をひっかき回したツケがどんどん大きくなってきてるなぁと思います。本当に困ったことです。

(修正・転載終了)-------------------------------




というような話ですね。

ついでなので、いくつか解説をつけておきます。

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まず、こういう構造で不況の嵐が吹き荒れてますし、来年はもっとひどくなるのがわかってるんですから、とにかく真っ先に必要なのは、切り捨てられる人たちをサポートするセーフティネットの充実ですわ。

欧米だと宗教団体等が炊きだしとかを日常的にやっていて、そこにボランティアで出かける人も多くて、それなりに定着もしてるんですけど、日本はだいたい宗教団体がダメですから。困っている人を、ただ助ける、思想も教義の受入も関係なく助けるとか、そういう活動をしてるところが全然ないですからなぁ。

いきなり見るに見かねて立ち上げたNGOとかになってる。そこがもうすでにダメでしょう。日本の宗教団体は、もっともっともっともっともっともっと深く反省しまくりまくりまくらなアキませんわ。なんでワープア問題のテレビ番組で、「もやい」みたいな個人が必死になってしゃべってるねんちゅう話でね。

ほんまに弱者に対する優しさがないです。宗教にそういう心根がないんよな。強者にすり寄る発想しかない。


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それから、上記の文章の中で、株主至上主義の事を書きましたが、こういう話を書くと「そうだ、そうだ、会社は株主の持ち物じゃないぞ!」とか言うアホが出てくるので、「何を間抜けな事を言うとんねん、アホな事言うな! 会社は株主の物じゃボケ!」と、先にクギを刺しておきます。

そういう原則とか根本ルールが間違ってるわけじゃないっちゅうの!

そうではなくて、現実問題として、持ち主が必ずしも賢いとは限らない、というだけの話です。そういう個別問題と大きなルールの運用とをごちゃまぜにした言い方をするな!低脳が! と僕は思ってしまう。

賢い株主なら、経営は経営の専門家である現場にまかせますが、アホな株主はゴチャゴチャ口を挟んで台無しにします。それだけの話ですがな。個別問題は個別問題として、正しく対処しないといけない。

ホリエモンがフジテレビを買って好きにしようとした時でも、ホリエモンが「経営陣を入れ替える」とか発言するのを聞いて「アホやなぁホリエモンは」としか思わなかったのですよ。

こんなもの、商品購入になぞらえて考えればすぐわかる。

フェラーリのクルマを買ったら、そのクルマはその人のもの。別に世界最高レベルのエンジンを取り外して、自分で作ったエンジンを載せようが、それはその人の勝手。それはその人がアホというだけの話しです。

で、まず最初に指摘しないといけないのは「こいつアホや!」なのであって、「買ったら自分のものという考え方は間違いだ」ではないのですよ。何をトチ狂った指摘をしておるのか? トンチンカンも良いところだなぁと思うわけで。

だから、アホを正しくアホと指摘できない無知・無能こそが問題なんです。

なので、アホ対策は必要ですが、でも「会社は株主のものではない」という考え方は明確に間違い。もっと正しく「アホな持ち主もいてる」という現実認識をしないとダメです。「会社は株主のものではない」とか言うてる経済評論家とかは、完全にバカです。

-----------------------

ということで、そういう「持ち主がアホ」という話の超拡大版がタックスヘイブンに名前を登録してるような金持たちの話なわけです。

きゃつらは、金は持ってますけど、この地球が、いかに現場の人間の汗と涙と知恵と力と勇気で動いているのかを知らない。

人間個人の能力や才能が開花することで、奇跡のようにシステムがうまく働いているという細目がみえていない。

数字のゼロを増やすところしか見えてない「アホ」なわけです。そういう数字を増やすことだけに血道を上げてきたのだから、これはもうしょうがないのです。

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で、この不況の本質的な解決策ですが、一番良いのは、そういう「超金持」たちの、金を取り上げることです。

具体的には、「地球住民税」ですね。
そういう資金をワーキングプア問題をサポートするためにドッカンドッカンとつぎ込むのが、まずは必要なんですけどね。
それができれば、一番良いと思います。

でも、「地球政府」ってのがないですから、そういう仕組みが実行されていないわけです。だから、こういう不況が生まれてしまうんですよ。
はやく「地球政府」を作って、そういう「グローバリズム」で商売してる奴らから金をふんだくってばらまかないといけないんですけどねぇ。
それをさせないように、させないように、各国の政治体制や政治家をあやつってるのが、彼らグローバルな超金持ですから。地球政府なんて、うまくできないわけです。

ほんとに、そこが困りものなんですよねぇ。

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とはいえ、こういう問題に真正面から切り込んでる人たちもいてるようです。

ただし、多くはマイナーな存在として黙殺されてたりします。
なんせメディアとかは、そういう金持たちに支配されてると言ってもおかしくない状態ですから。

タックスヘイブンの金持たちを監視せよ! と動いてるような人たちって、多くはNGOとかの個人レベルの活動だったりするんですよねぇ。

ビルダーバーグ会議のウォッチャーとか、三極会議のウォッチャーとか。詳しくは知りませんけど、そういう金持同士で集まってはゴソゴソやってる内容をつまびらかにしようとしてる一群はいてるって事です。

そういうあたりの人間に、もうちょっと注目しないといけないですよね。
「よく知らないけど」とか言ってる場合じゃないのかも知れない。

奴らはバレないように、バレないように、いろいろ動いてるわけですからな。


ちょっと冷静に考えて欲しいんですけど、ヨーロッパもアメリカもアジアも、一斉に雨が降るとか自然現象にそんなおかしな事はないですよね?
でも、この世界同時不況は一気に同時並行してやって来てる訳です。だからこれは人為的というと言い過ぎですけど、全世界をカバーしてる仕組みの何かが原因で起きていることだと考えるのが自然でしょう。

で、その原因として考えられる、一番大きな事実は、「地球政府がないのを良いことに、個人資産ばかり増やしている奴がいる」事なんですよね。

こういう事を、日本の地域的な問題の視点からとかは把握しようとしてもできないと思うのですよ。

まず「大きな枠組みから理解する」ってのが、ほんとに死ぬほど大事なのだ! って言うふうに、僕は思うのであります。

最近は、そういう事をすごく感じますです。消費税を上げてる場合やないねん。超金持から金をふんだくる仕組みを、全世界の首脳が連携して作らないとダメなのよ、実際には。そしたら消費税上げなんか不要になりますって。絶対に。なんでワシらが払わなアカンねん。ほんまに。

超強烈な累進課税の、「地球住民税」が、あれば、こんな世界同時不況なんて来ないよ。マジに。

いやほんま。

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関連記事リンク

09/06/12 地球税がないから全世界同時不況になったのですよ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200906122012448297/

09/05/29 「百年に一度の大不況」じゃないんだよね。80年だもの。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200905291447272791/


副島さんがアメリカ経済崩壊を言い当てた「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」は、この日記でも5年前に紹介してます。

http://12917.diarynote.jp/?month=200404



この数日、何故かYouTubeで、昔々の岡崎友紀の動画ばっかり見てたのであります。
なんちゅうか、マニアックな動画が山のように入ってますなぁ。
ファンクラブには入ってなかったけど、かなりのファンだったので何やら楽しいのであります。

岡崎友紀というと、

私は忘れない 1972年
http://jp.youtube.com/watch?v=AbeJUM1DjVU&feature=related

さよならなんて云わないで。1973年
http://jp.youtube.com/watch?v=SfftU4wSRXs&feature=related&fmt=18

北上川1975年
http://jp.youtube.com/watch?v=QlEq2qy57Mg&fmt=18

あたりのヒット(というほどでもないが)曲が有名という事になるんでしょうが、やはり驚くのは、

●ドゥー・ユー・リメンバー・ミー 1980年

岡崎友紀 レコード? (ステレオ高音質)
http://jp.youtube.com/watch?v=rZpGvNGnjdo&fmt=18

岡崎友紀 TV出演時
http://jp.youtube.com/watch?v=IeP7vFy154w&feature=related

という中ヒットした曲の顛末ですなぁ。
この曲が、後々いろいろカバーされてることは知ってたんですけど、なんと9組くらいのアーティストにカバーされてたんですな。Wikipedeiaを見たりYouTubeみたりしてわかりましたが。

●1984年:フローレンス芳賀(S?)
●1988年:木村恵子(A)
●1992年:ribbon(S)
●1993年:SUZY SUSIE(スージー・スージー)(A)
●1996年:フジテレビ中村江里子アナウンサー(A)
●1999年:金月真美(S)
●2001年:キタキマユ(S)
●2001年:ジェニー(A:英語版・Dancemania HAPPY PARADISE 2)
●2006年:水瀬伊織(声:釘宮理恵)(A:2007年一般発売)
(S=シングル A=アルバム)

なんちゅうか発売されてからこのかた、4年に一度はどこかで必ずカバーされてるやん! と思うし、なによりずっと「シングル」が出てるってのが驚異的です。
シングルっちゅうことは、多くの一般の人にウケる曲として出すって事ですからねぇ。

でも、実際にカバーされた曲を聴いてみると、オリジナルの岡崎友紀の声質・世界観・イメージみたいなのを超えてるのは、まぁキタキマユくらいなんですなぁ。
他はちょっといまいち。

●「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」カバーの数々
フローレンス芳賀版
http://jp.youtube.com/watch?v=1qKWqexRAnA&feature=related

ribon版
http://jp.youtube.com/watch?v=j3KtqRbWkUs&feature=related

キタキ・マユ版
http://jp.youtube.com/watch?v=Gu9Q22ebpxs&feature=related

永作博美のはちょっと辛いよなぁ。悪くはないんやけど。

どうも岡崎友紀が、この曲の作者の加藤和彦と会った時に、彼女の声の変化を加藤和彦さんがずいぶんと面白がったらしいんですね。「いろんな声が出るなぁ」って。

今回色々聞いてて、何十年も経ってはじめてわかったんですけど、岡崎友紀ってファルセット(裏声)を「歌の表情のひとつ」として歌い分けてたんですよね。
僕はずっと「高い音域は出すのが苦しいからファルセットでごまかしてる」と思ってたんだけど、そうじゃなかったのです。
ちょっとウクレレでメロディラインをなぞって見ると、地声の方がうんと高い音が出てる曲とかあるんですよね。「え? そうやったん?」ちゅう感じ。

たぶん、裏声でも地声でもどっちでも歌える幅って言うのがけっこうあるんでしょうな。
で、「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」は、その「ファルセット側」の声をふんだんに使って歌った曲なわけです。地声のファルセットに近い側というか。息を吐くように歌うというか。
フローレンス芳賀も、ribonも、そんなこたぁ考えてねぇわな。考えてるのはキタキマユくらいか。
(でもどうも、世間的にはこの曲はキタキマユがオリジナルと思われてるらしい。違うっちゅうの!)

まぁでも、あくまで岡崎友紀は「テクニック」で歌ってるだけですからな。天然の声質には負けます。その例が、これ。

Good luck and good-bye(岡崎友紀版)
http://jp.youtube.com/watch?v=ttw7c8mPbNg&feature=related

Good luck and good-bye(ユーミン版)
http://jp.youtube.com/watch?v=EYg92qdkJ2I&feature=related

もともとは、岡崎友紀がユーミンファンで、ユーミンに依頼して作ってもらった曲なんですがね。半年ほどしてユーミン自身がセルフカバー。
で、聞いてみるとユーミンのほうが圧倒的に魅力的だ。
これは天然の声質やからなぁ。テクニックでは勝てない。しょうゆうこと(by 村上ショージ)。

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ユーミンに関しては僕は岡崎友紀から知りました。岡崎友紀がユーミンの紹介者だったんですよねぇ。
岡崎友紀はスヌーピーのぬいぐるみをいつも抱いていて、ピーナツブックスの紹介者としてもかなり影響力は大きかったでしょうな。

で、一時期は学研の「ムー」で連載してたりした「スピリチュアル」の先駆者でもありまして。

もひとつ言うと、ハワイに別荘をもってたりして、正月にハワイに出かけてる芸能人の先駆者でもあったのですよ。

それどころかソニーの御曹司と結婚して離婚してるので、芸能人のセレブ婚の先駆者でもある。

当然、テレビ型アイドルの原型(歌って・芝居して・司会して)でもあるし、作詞・作曲もする、エッセイも書く(タレント本出版の原型)という、まさに「マルチタレント」のはしりでもありましたからな。

なんか、最近タレントが歌詞を書いたら、誰かの盗作だったとかありますけど、元は岡崎友紀が才能があってどんどこ書けたって言うのが異常だったんでしょう。そういうイメージに合わせないとアイドルっぽくなくなっちゃうというか。

で、また、岡崎友紀の書いた歌詞とか読んでみると、決して上手くはない(つまり正真正銘自分で書いてる)のだけど、それなりにまとまりはあって、手慣れてるんですよねぇ。

大ヒットした「おくさまは18歳」も「なんたって18歳」も両方とも主題歌の歌詞は彼女が書いてますから。それなりにドラマ内容をふまえた歌詞になっていて、でもあまり具体的になりすぎず、主題歌の歌詞として着地してるあたりに感心する。

岡崎友紀・大ヒットドラマ オープニング集
http://jp.youtube.com/watch?v=30fJwiLXW2Q

いやー、しかし、なんなんだ、この人は? って思いますなぁ、いま改めて。

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しかし、なんでこんなに岡崎友紀の情報ばっかりあさっているかというと、たまたま、リンクしてるどん太さんの日記に「おはようの朝」のYouTubeへのリンクがあって、(ああ、マニヤック!)、そこにならべて「あの素晴らしい愛をもういちど」が紹介されてたからなんですね。

ちゅうのは、実は「あの素晴らしい愛をもういちど」を僕は岡崎友紀で最初に聞いてるのですよ。しかも、彼女お得意のファルセットを活かしまくったバージョン。
それがやたらと良かったんですね。それが聞きたくて、YouTubeにあるかなぁと探しまくったのですよ。でもなかったんだなぁ。

「友紀の青春 ニューフォークを歌う」というアルバムがありましてな。
http://homepage2.nifty.com/kihachiro/record/lp_3th.htm

この中から4曲ほどカットされた、EP版を持ってたんですが、「フォークソング」というものも、僕は岡崎友紀から教えてもらった、という事になるんですなぁ。ウクレレが好きなのもけっこう岡崎友紀のハワイ好きに影響されてるのかも知れません。(調べてみたらハワイアンの「バリバリの浜辺で」を岡崎友紀が歌ってるんですよね。おどろいたわ。)

で、まぁ、「あの素晴らしい愛をもういちど」がなかったんで、代わりに彼女の歌う「誰もいない海」をリンクしときましょう。

誰もいない海
http://jp.youtube.com/watch?v=G6iH_RkxFdE&feature=related

この曲は、ほとんどファルセット側で歌ってるんよね、多分。それがなかなか切ない感じになっていて、これはこれでなかなか良いのではないかなぁと思う。

ああ、しかし、年末に、ものすごいおっさん特集でした。
やれやれ。

ま、みなさま、良いお年を。

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