いや、なんかダジャレになりきれてないタイトルですが。
例の如く自転車の話です。
自転車で車道を走っていると、いろいろ見えてくるんですが、その時に思うのが、まずスポーツ自転車(世界標準自転車:非ママチャリ)という存在が、いかに世間から「見えていない」か、という事なのですねぇ。
これは自分で走ってみてはじめてわかった事です。
正味、いま、車道にはスポーツ自転車がかなり走っております。それもママチャリと区別もつかずに「スピード出るし、車道走ったろ」程度でお気楽に乗ってるような人が。
もちろん、ロードバイクのすごいので走ってる人もたくさんいてます。
でも、こういうのは、見た目では全然違いが分らないんですね。ヘルメットを被ってればまだ区別も付くのかもですが、基本、誰もそんな事してない。いまは寒い時期なのでキャップは被ってるけどねぇ。
しかも「なんちゃってマウンテンバイク」なども多いから(ようするにママチャリですわ)本当に速い自転車に関しては、実際に走ってみて併走しないと区別がつかないわけですよ。
ボクはこのスポーツ自転車を買う前から、けっこう道路上で観察してたから、「あ、あの自転車速い!」とか気付いてましたけど、普通の人はそんな観察なんかしてませんからな。みんな、そういう自転車が日々増殖しているという実感そのものを持ってないんですね。
というのは。
街なかを走っていて感じるのは、歩行者の側の意識が全然育ってないってのが良く分かるからなのです。目視で自転車を見つけた時の判断が、たいていの歩行者は全部「ママチャリ速度」を想定してるんですねぇ。スピード感覚がズレてるんです。
たとえば、こっちが普通に車道を走っていて、歩行者から見えていても、平気で信号無視して横断しようとしたりすることがあるわけです。「自転車しか走ってないからええやろ」と。それはそれで別に良いのですが、問題は、そういう時の横断のスピードが遅い!って事です。
なんというか、まさにこっちがちょうどぶつかってしまうくらいの歩行速度で歩いてる。
これがもう、しょっちゅうあるわけですよ。
ちょうどぴったりぶつかるくらいの速度で人間が近づいてくるっていうのが。
彼らにしたらイメージの中にあるのはママチャリの時速10km~12kmの速度なんでしょうねぇ。
でも、こっちは25km/時くらいは出てるので、ちょうどぴったりぶつかりそうになるんですね。
なので、しょうがなくてかなりスピードを落とすか、大きく膨らんで避けるか、どっちかをしないといけないんですねぇ。
まぁ、これはしょうがないですけどね。自転車が強者なのだから、こっちが気を使うしかない。
しかし、強者、弱者が逆の場合のスピードの読み違いというのもどうやらあるらしく、それはやっぱり対クルマで感じます。具体的には実感がないんですけど、多分「パパパパパァー」とクラクションを鳴らされる場合の半数、あるいはほとんどが、この「スピードの読み違い」ではないのかな? という気がしてきました。
自転車だから追い越せるつもりで、追い上げて来たら、意外に距離が詰まらない。「え? なんで?」と思って、もっとスピードを上げようとしたら、車道の脇に停車していた車を避けるために自転車が車道側に膨らんできて「あぶねー!」で、「パパパパパー」であるようです。
スピード出すなっちゅうねん。
で、どうも、これをされて、追い越された後に見てみると、ほとんどが「自家用車」っちゅう奴ですね。個人で所有されてるクルマ。
土日に楽しみで乗ってるとか、そういうクルマでしょうなぁ。
要するに「シロート」なわけですよ。
同じような状況があっても、実はタクシーからパパパパパァーってクラクションを鳴らされた経験はないんです。彼らはプロですから。「速い自転車が、最近は増えた」という事を知っているんでしょうな。自転車の姿を見ただけで、そこいらのオバチャンが買い物帰りに乗っているスピードから、最近流行のロードバイクのかっ飛びスピードまで、「経験則」として頭に入っているから、それを計算してスピードをグンと落とすとか、追い越し車線に入れるなら入るとか正しい判断をしてるわけです。やっぱりプロは違うんです。
わかってないのは、土日にしか乗らない、経験の浅い、シロートドライバーだけなわけです。
問題点は、君らの経験不足にあるんだよ。そこを正しく認識しなさいね、とボクは思う。
都市部では、クルマより自転車が偉くて、そして、自転車より歩行者が偉いのです。
だから、経験不足の「自家用運転手」は、さっさとクルマから降りるべし! なんですよね、本来は。
シロートがクルマみたいな車重が超重くて、20km/時でぶつかっても大けがや死亡事故になってしまうような、危ないものを扱っててはダメだ。
はっきりくっきりそう思いますなぁ。
もうね、クルマなんて「大量消費財」扱いしてはいかんと思いますよ。
タクシーやバスは、やっぱりドライバーがプロだからしっかりしてます。小さな運送会社が、それこそ人身事故を起こしたら、一発で会社が潰れるってなもんですからな。
でも、自家用車を見てください。保険とかあるし、それで会社づとめがどうなるってこともないわけでしょ? そんな社会の仕組みの方がおかしい。
いま、大不況でクルマが売れない、アメリカのビッグ3も救済せねば、とか言ってますが、それは別に「大不況」は本質的には関係ないんじゃないかなぁって思う。
クルマみたいなものを「個人所有する」という考え方自体にヒビが入り始めてるんだという事だと思うんですよ。
良い悪いは別にして、「エコ」のムーブメントは止りませんからな。全世界を巻き込んだ、ものすごく大きなムーブメントになってしまってる。だから、本質的に、もっともムダの極みである「ガソリンを燃やしながらちょっと移動するだけ」のクルマという存在そのものが否定され始めてるって事ですわな。
ようは、そこが一番大きな問題でしょう。
これは多分、世界不況とは関係ないよなーってボクは思うんやけど。
もう、世の中が変わり始めてるんだから、車道も自転車のためのものにして、屋根付きの車道を造るとか、自転車駐輪場のある施設を作るとか、そういう公共投資をして、市場の構造から変えて行かなきゃアカンのと違うかなぁ。
ここからは、ボクの妄想ですが、まず、個人所有のクルマの数を減らすことを目標にしたらどうか? と思うんですよ。
どうせ「道幅(みちはば)」という公共資産は限られてるんだから、1台をバカ高い値段で売れば良いのです。で、自動車会社も関連企業も部品会社も全部いっせいに値上げします。「売れなくなったので、人を解雇するわけにもいかないから値上げします。」で良いのだと思う。多分それが一番正しい選択だと思うんですよね。
だって道幅は変わらないんだから。しょうがないじゃん。
なのに、クルマの値段を安いままにしてるから、人を解雇するとかしなくちゃいけないわけでしょ? そこが本質的な問題なんと違うかなぁ?
多分、誰もがクルマなんかに乗ったらアカンのですよ。道が狭くなるから。
入れ物の数は決まってるんだから、それ以上に入れたらあきませんって。
狭かったら走れないでしょ? 本末転倒ですがな。だからたくさん売らんでよろしい。だから値上げです。それ以外に道はないし、それが一番良い選択肢です。
特にスポーツ自転車の速度見積りも誤るようなシロートが、クルマに乗る必要なんかないと思うなぁ。
そんな事は本当にムダな事です。
だから個人所有の自動車なんかは、乗りたい気持ちがとても強くて、高い金を出してでも乗る、というような人だけ乗ったらいいんだと思います。
いまの3倍の価格でも絶対に乗ります! という客だけ相手にしたらいいんです。そしたら売れる台数が3分の1になっても企業の売上は変わらないです。1万円を稼ぐのに、10円のものを1000個売るか、30円のものを、334個売るかという違いでしょ? それだけの事ですがな。輸送コスト等も減るから、純益もあがるんじゃないかなぁ。
それが企業にとっても、社会にとっても幸せなこと。人を解雇する必要もなくなるし、道路も走りやすくなる。クルマの値段はどんどん上げて良いと思うんですけどどうでしょう? クルマが安い事に、何か積極的意味があるでしょうか? 単に道が狭くなるというデメリットしか私には見えないのですが。
自動車の値段が上がれば、クルマが減って、道路が空きます。道が空けば、自動車の価値も上がりますから、高くても買う価値が出てきますからな。一挙両得ですがな。なんで値上げをしないかね? 自動車メーカー救済に税金を取るとかアメリカでやってるけど、違うがな! 金を払うなら税金みたいな一律で取るやり方ではなくて、払いたい人だけ払う「値上げ」が正しい選択でしょうが。何やってるの! って思いますね。
もう、安い自動車をたくさん、狭い都市にばらまいて、クルマの価値自体を下げるような、アホな商売はやめるべきやと思いますけどなぁ。私は。いや実際。
ほかにもいろいろ思うところはあるんですが、街なかを走っていて思うのは、とにかく、自家用車というシロートのスピードの読み違いこそが害悪という、その一点ですなぁ。
ようはクルマが増えすぎなんよね。安くたくさん作りすぎ。ああ、もったいないし、ああ危ない、っちゅうことであります。
ま、そんなことで。
例の如く自転車の話です。
自転車で車道を走っていると、いろいろ見えてくるんですが、その時に思うのが、まずスポーツ自転車(世界標準自転車:非ママチャリ)という存在が、いかに世間から「見えていない」か、という事なのですねぇ。
これは自分で走ってみてはじめてわかった事です。
正味、いま、車道にはスポーツ自転車がかなり走っております。それもママチャリと区別もつかずに「スピード出るし、車道走ったろ」程度でお気楽に乗ってるような人が。
もちろん、ロードバイクのすごいので走ってる人もたくさんいてます。
でも、こういうのは、見た目では全然違いが分らないんですね。ヘルメットを被ってればまだ区別も付くのかもですが、基本、誰もそんな事してない。いまは寒い時期なのでキャップは被ってるけどねぇ。
しかも「なんちゃってマウンテンバイク」なども多いから(ようするにママチャリですわ)本当に速い自転車に関しては、実際に走ってみて併走しないと区別がつかないわけですよ。
ボクはこのスポーツ自転車を買う前から、けっこう道路上で観察してたから、「あ、あの自転車速い!」とか気付いてましたけど、普通の人はそんな観察なんかしてませんからな。みんな、そういう自転車が日々増殖しているという実感そのものを持ってないんですね。
というのは。
街なかを走っていて感じるのは、歩行者の側の意識が全然育ってないってのが良く分かるからなのです。目視で自転車を見つけた時の判断が、たいていの歩行者は全部「ママチャリ速度」を想定してるんですねぇ。スピード感覚がズレてるんです。
たとえば、こっちが普通に車道を走っていて、歩行者から見えていても、平気で信号無視して横断しようとしたりすることがあるわけです。「自転車しか走ってないからええやろ」と。それはそれで別に良いのですが、問題は、そういう時の横断のスピードが遅い!って事です。
なんというか、まさにこっちがちょうどぶつかってしまうくらいの歩行速度で歩いてる。
これがもう、しょっちゅうあるわけですよ。
ちょうどぴったりぶつかるくらいの速度で人間が近づいてくるっていうのが。
彼らにしたらイメージの中にあるのはママチャリの時速10km~12kmの速度なんでしょうねぇ。
でも、こっちは25km/時くらいは出てるので、ちょうどぴったりぶつかりそうになるんですね。
なので、しょうがなくてかなりスピードを落とすか、大きく膨らんで避けるか、どっちかをしないといけないんですねぇ。
まぁ、これはしょうがないですけどね。自転車が強者なのだから、こっちが気を使うしかない。
しかし、強者、弱者が逆の場合のスピードの読み違いというのもどうやらあるらしく、それはやっぱり対クルマで感じます。具体的には実感がないんですけど、多分「パパパパパァー」とクラクションを鳴らされる場合の半数、あるいはほとんどが、この「スピードの読み違い」ではないのかな? という気がしてきました。
自転車だから追い越せるつもりで、追い上げて来たら、意外に距離が詰まらない。「え? なんで?」と思って、もっとスピードを上げようとしたら、車道の脇に停車していた車を避けるために自転車が車道側に膨らんできて「あぶねー!」で、「パパパパパー」であるようです。
スピード出すなっちゅうねん。
で、どうも、これをされて、追い越された後に見てみると、ほとんどが「自家用車」っちゅう奴ですね。個人で所有されてるクルマ。
土日に楽しみで乗ってるとか、そういうクルマでしょうなぁ。
要するに「シロート」なわけですよ。
同じような状況があっても、実はタクシーからパパパパパァーってクラクションを鳴らされた経験はないんです。彼らはプロですから。「速い自転車が、最近は増えた」という事を知っているんでしょうな。自転車の姿を見ただけで、そこいらのオバチャンが買い物帰りに乗っているスピードから、最近流行のロードバイクのかっ飛びスピードまで、「経験則」として頭に入っているから、それを計算してスピードをグンと落とすとか、追い越し車線に入れるなら入るとか正しい判断をしてるわけです。やっぱりプロは違うんです。
わかってないのは、土日にしか乗らない、経験の浅い、シロートドライバーだけなわけです。
問題点は、君らの経験不足にあるんだよ。そこを正しく認識しなさいね、とボクは思う。
都市部では、クルマより自転車が偉くて、そして、自転車より歩行者が偉いのです。
だから、経験不足の「自家用運転手」は、さっさとクルマから降りるべし! なんですよね、本来は。
シロートがクルマみたいな車重が超重くて、20km/時でぶつかっても大けがや死亡事故になってしまうような、危ないものを扱っててはダメだ。
はっきりくっきりそう思いますなぁ。
もうね、クルマなんて「大量消費財」扱いしてはいかんと思いますよ。
タクシーやバスは、やっぱりドライバーがプロだからしっかりしてます。小さな運送会社が、それこそ人身事故を起こしたら、一発で会社が潰れるってなもんですからな。
でも、自家用車を見てください。保険とかあるし、それで会社づとめがどうなるってこともないわけでしょ? そんな社会の仕組みの方がおかしい。
いま、大不況でクルマが売れない、アメリカのビッグ3も救済せねば、とか言ってますが、それは別に「大不況」は本質的には関係ないんじゃないかなぁって思う。
クルマみたいなものを「個人所有する」という考え方自体にヒビが入り始めてるんだという事だと思うんですよ。
良い悪いは別にして、「エコ」のムーブメントは止りませんからな。全世界を巻き込んだ、ものすごく大きなムーブメントになってしまってる。だから、本質的に、もっともムダの極みである「ガソリンを燃やしながらちょっと移動するだけ」のクルマという存在そのものが否定され始めてるって事ですわな。
ようは、そこが一番大きな問題でしょう。
これは多分、世界不況とは関係ないよなーってボクは思うんやけど。
もう、世の中が変わり始めてるんだから、車道も自転車のためのものにして、屋根付きの車道を造るとか、自転車駐輪場のある施設を作るとか、そういう公共投資をして、市場の構造から変えて行かなきゃアカンのと違うかなぁ。
ここからは、ボクの妄想ですが、まず、個人所有のクルマの数を減らすことを目標にしたらどうか? と思うんですよ。
どうせ「道幅(みちはば)」という公共資産は限られてるんだから、1台をバカ高い値段で売れば良いのです。で、自動車会社も関連企業も部品会社も全部いっせいに値上げします。「売れなくなったので、人を解雇するわけにもいかないから値上げします。」で良いのだと思う。多分それが一番正しい選択だと思うんですよね。
だって道幅は変わらないんだから。しょうがないじゃん。
なのに、クルマの値段を安いままにしてるから、人を解雇するとかしなくちゃいけないわけでしょ? そこが本質的な問題なんと違うかなぁ?
多分、誰もがクルマなんかに乗ったらアカンのですよ。道が狭くなるから。
入れ物の数は決まってるんだから、それ以上に入れたらあきませんって。
狭かったら走れないでしょ? 本末転倒ですがな。だからたくさん売らんでよろしい。だから値上げです。それ以外に道はないし、それが一番良い選択肢です。
特にスポーツ自転車の速度見積りも誤るようなシロートが、クルマに乗る必要なんかないと思うなぁ。
そんな事は本当にムダな事です。
だから個人所有の自動車なんかは、乗りたい気持ちがとても強くて、高い金を出してでも乗る、というような人だけ乗ったらいいんだと思います。
いまの3倍の価格でも絶対に乗ります! という客だけ相手にしたらいいんです。そしたら売れる台数が3分の1になっても企業の売上は変わらないです。1万円を稼ぐのに、10円のものを1000個売るか、30円のものを、334個売るかという違いでしょ? それだけの事ですがな。輸送コスト等も減るから、純益もあがるんじゃないかなぁ。
それが企業にとっても、社会にとっても幸せなこと。人を解雇する必要もなくなるし、道路も走りやすくなる。クルマの値段はどんどん上げて良いと思うんですけどどうでしょう? クルマが安い事に、何か積極的意味があるでしょうか? 単に道が狭くなるというデメリットしか私には見えないのですが。
自動車の値段が上がれば、クルマが減って、道路が空きます。道が空けば、自動車の価値も上がりますから、高くても買う価値が出てきますからな。一挙両得ですがな。なんで値上げをしないかね? 自動車メーカー救済に税金を取るとかアメリカでやってるけど、違うがな! 金を払うなら税金みたいな一律で取るやり方ではなくて、払いたい人だけ払う「値上げ」が正しい選択でしょうが。何やってるの! って思いますね。
もう、安い自動車をたくさん、狭い都市にばらまいて、クルマの価値自体を下げるような、アホな商売はやめるべきやと思いますけどなぁ。私は。いや実際。
ほかにもいろいろ思うところはあるんですが、街なかを走っていて思うのは、とにかく、自家用車というシロートのスピードの読み違いこそが害悪という、その一点ですなぁ。
ようはクルマが増えすぎなんよね。安くたくさん作りすぎ。ああ、もったいないし、ああ危ない、っちゅうことであります。
ま、そんなことで。