うーん。
最近、手に入れたものが、どれもこれも素晴らしくて、うれしくて仕方ないですな。
●スポーツ自転車
●MVpen
●瞑想
です。ああ、考えたらどれも日本の文化ではない! そうかぁ。ちょうど日本文化で、ポコンと抜け落ちてるところを、うまく穴埋めしてくれる道具だから気に入ってるのかも。
どれもこれも「自分の力を活かす道具」なんですよねぇ。まず個人ありきという、そういう道具なんだなぁ、多分。和=輪の発想では、ちょっと思いつかない道具なのかも知れない。
自転車に乗っていると、実は疲れます。
なので、「今日は乗るのやめようかなぁ」とか思うんですがね。でも、「じゃあ電車で出かけて、駅から先は歩くわけ?」と想像すると「わ、それ嫌やなぁ。」とか思ってしまう。
もう、いつでもどこでも自転車のスピードで移動するのが良いわけですよ。チンタラ歩いたりするのがうっとおしくなってくるんですね。
なので、そういう日は「あ、そうか! ゆっくり走ったらええんやんか!」と思い直して、やっぱり自転車で出かけます。別にゆっくり走っても何の問題もないんやしね。
で、MVpenは、
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811221324249838/
でも紹介しましたが、手書きのノートをデジタル化してくれる、極めて優れたツールでありまして、ここ2週間ほど使ってるけど、ちょっとこれは手放せないかなぁと思っております。あと2、3個買って、事務所と部屋に常備しておきたいくらい。かなり良いです。
なんせ、私、この1~2年で、紙のノートを何冊も使うようになってきましたからな。何か続けて書く事が出てきたらテーマを決めて専用ノートを作って、そこに書き足すような形で書いてるわけです。
これが実に快適で。
自動的に見える化してくれるし、整理も自動的にされてるわけだから、とてもラクなのですよ。いろんなサイズの紙のノートを平行して使ってるわけです。
しかし、これらの欠点は、それをデジタルの世界に展開するというのがしんどい点なんですね。ノートの下書きを見ながら原稿を書くとか、再入力するとか。
でも、MVpenなら、そういう手間が必要ないですから。手書きの文字が、まず「画像」として、そのままデジタルになってるから、それだけでもけっこう活用手段があるのです。
手で適当に書いた図形とか仕組み図とかそういうのもデジタルで残る。
それだけでもいろいろに活用法はあるんですが、(昔流行ったfaxでのやりとりみたいな事がメールで簡単にできます。)それだけじゃなくて、この図形がパワポとかでも充分使える。
なんせストロークデータですから。ペタペタ貼れる。これがまた便利。
それに加えて、書いた文字がテキスト化できるわけですよ。変換してやれば、まぁ変換率はそれほど高くないけど、でも手書きで再入力する手間を考えるとはるかに簡単で快適。
で、パソコンと違って、「書いた途端にプリントアウト」されてるのと同じですからな。「見える化」効果は、はっきり言って紙のノートの方が圧倒的に高いですから。普段づかいの保存・保管・閲覧・活用には、紙のノートの方がノートパソコンよりうんと便利なんです。
とくに、「これは大事だ!」と思った事は大きく書いたり、あるいは、文字の勢いで、その時の気分を思い出せるとか、そういう情緒的な情報も、紙のノートなら残っていて、いったんメモしたノートを見ながら、発想の展開を続けていくのは、より新しい発想が湧いてきて、とっても良いのです。
(これがテキスト化されて、無個性なフォントになってしまうと、そういう「気分」が抜け落ちてしまって、「あ、そうだ!」という展開発想が、なかなか湧いてこないんですねぇ。)
この紙のメリットにデジタルの便利さを加えてくれるのがMVpenなわけで、これが実にありがたい。しかも、持ち歩きもせいぜい50gとか、そんな程度の重さですからなぁ。
で、これで、自転車による移動の快適さと、MVpenによる発想展開の自由さを手に入れたわけですが、(自転車は体の健康というもっと大きなものもくれるわけですが、まぁそれは、そのうち書くとして。)これらの部分メリットを下支えしてくれてるのが「瞑想」なんですねぇ。
このあいだ、紹介しましたけど、まぁ読んでみてください。損はないです。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812031223251154/
瞑想はいい。
ほんとうにいい。
あんまり気分的に落ち込まない人間になれます。
そこがとっても良いのです。
自分を頼りにできるようになる。
それが本当に良いです。
人間別に一人で生きてるわけではないから、自分だけ良くてもしょうがないんだけど、それでもやっぱり、まず自分の面倒は自分で見ないといけなくて、自分の心に穴ぼこが空いているからと、それを何か別物で埋めるということをしてはいけないわけですよ。
依存症とかは、まさにそれですね。心に空いた穴ぼこを直視しないように、わざわざ横を向いてる作業ですからなぁ。
まぁ、そういう事も必要ではあるんだろうけど、とりあえず僕は、もういいや。瞑想を知ったし。無理なく前向きになる「技術」ですからな。こういうものを知ると、実にありがたいです。
まぁ洗濯機がなくて洗濯するっていうのは手間ですし、圧力鍋がなくて煮込み料理を作るのは大変なわけですよ。
だから、上記の3つの神器も、そういう「道具」にしか過ぎないわけです。
でも、ほんとに使い勝手が良い「道具」たちばっかりなので、うれしくなってしまうって事ですねぇ。
自転車を担いで、自宅の3階までの階段を毎日上り下りしてるわけですが、(エレベーターはないのです。)でも、10kg程度だから、別にしんどいとも思わない。道を走っていて、大きな道路で、先に行けないのなら、陸橋とか、自転車を担いで登ります。軽い自転車はそういう意味でもすごく自由にどこにでも行ける。(軽い分盗まれる心配がありますが。)
ノートも、まぁ、最初にMVpenを取り付ける手間はあるものの、何冊も使ってる、どのノートでも、あまり気にせず、どんどんデジタル化してます。一度「自動的に手書き文字がデジタル化されている」という環境にはまると、再入力とか、すげー面倒くさく感じてしまうんですなぁ。
あと読書ノートとかも、自分の「覚え」用に抜き書きしてた文章も、そのままブログとかに掲載できるわけですよ。(まぁ、そういう使い方はあんまりしてないけど。)そういう事を考えたら、とにかくMVpenで入力したくなってしまう。
で、そういう便利さの下支えしてくれるのが瞑想という技術の良い点ですわねぇ。
なんでも前向きに上手に活用する方法を思いつくというか、そういう感じがあります。これは瞑想のおかげだわなぁ。
スポーツ自転車が欧米の文化です。
MVpenはイスラエルの技術なので、いわばユダヤ人の発想でしょう。
で、瞑想はもともとはヨガですから、インドの文化が根本でしょうね。
そういう雑多な出自の「技術」を、活用してるということな訳です。
「あー、これは日本人には思いつけなかっただろうなぁ」というのは、しみじみと感じてしまうんですけどね。
それでも、こういう雑多なものを、雑多なままにスッと受け入れてしまうところこそ、島国日本文化の良さかも知れませんなぁ、という話なわけです。
ま、出自なぞどうでもよろしい。
便利でありがたいものは、どんどん使いましょ、という話なわけですよ。
ああ、ありがたいなぁ、うれしい、うれしい。
そんな気分なのであります。
最近、手に入れたものが、どれもこれも素晴らしくて、うれしくて仕方ないですな。
●スポーツ自転車
●MVpen
●瞑想
です。ああ、考えたらどれも日本の文化ではない! そうかぁ。ちょうど日本文化で、ポコンと抜け落ちてるところを、うまく穴埋めしてくれる道具だから気に入ってるのかも。
どれもこれも「自分の力を活かす道具」なんですよねぇ。まず個人ありきという、そういう道具なんだなぁ、多分。和=輪の発想では、ちょっと思いつかない道具なのかも知れない。
自転車に乗っていると、実は疲れます。
なので、「今日は乗るのやめようかなぁ」とか思うんですがね。でも、「じゃあ電車で出かけて、駅から先は歩くわけ?」と想像すると「わ、それ嫌やなぁ。」とか思ってしまう。
もう、いつでもどこでも自転車のスピードで移動するのが良いわけですよ。チンタラ歩いたりするのがうっとおしくなってくるんですね。
なので、そういう日は「あ、そうか! ゆっくり走ったらええんやんか!」と思い直して、やっぱり自転車で出かけます。別にゆっくり走っても何の問題もないんやしね。
で、MVpenは、
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811221324249838/
でも紹介しましたが、手書きのノートをデジタル化してくれる、極めて優れたツールでありまして、ここ2週間ほど使ってるけど、ちょっとこれは手放せないかなぁと思っております。あと2、3個買って、事務所と部屋に常備しておきたいくらい。かなり良いです。
なんせ、私、この1~2年で、紙のノートを何冊も使うようになってきましたからな。何か続けて書く事が出てきたらテーマを決めて専用ノートを作って、そこに書き足すような形で書いてるわけです。
これが実に快適で。
自動的に見える化してくれるし、整理も自動的にされてるわけだから、とてもラクなのですよ。いろんなサイズの紙のノートを平行して使ってるわけです。
しかし、これらの欠点は、それをデジタルの世界に展開するというのがしんどい点なんですね。ノートの下書きを見ながら原稿を書くとか、再入力するとか。
でも、MVpenなら、そういう手間が必要ないですから。手書きの文字が、まず「画像」として、そのままデジタルになってるから、それだけでもけっこう活用手段があるのです。
手で適当に書いた図形とか仕組み図とかそういうのもデジタルで残る。
それだけでもいろいろに活用法はあるんですが、(昔流行ったfaxでのやりとりみたいな事がメールで簡単にできます。)それだけじゃなくて、この図形がパワポとかでも充分使える。
なんせストロークデータですから。ペタペタ貼れる。これがまた便利。
それに加えて、書いた文字がテキスト化できるわけですよ。変換してやれば、まぁ変換率はそれほど高くないけど、でも手書きで再入力する手間を考えるとはるかに簡単で快適。
で、パソコンと違って、「書いた途端にプリントアウト」されてるのと同じですからな。「見える化」効果は、はっきり言って紙のノートの方が圧倒的に高いですから。普段づかいの保存・保管・閲覧・活用には、紙のノートの方がノートパソコンよりうんと便利なんです。
とくに、「これは大事だ!」と思った事は大きく書いたり、あるいは、文字の勢いで、その時の気分を思い出せるとか、そういう情緒的な情報も、紙のノートなら残っていて、いったんメモしたノートを見ながら、発想の展開を続けていくのは、より新しい発想が湧いてきて、とっても良いのです。
(これがテキスト化されて、無個性なフォントになってしまうと、そういう「気分」が抜け落ちてしまって、「あ、そうだ!」という展開発想が、なかなか湧いてこないんですねぇ。)
この紙のメリットにデジタルの便利さを加えてくれるのがMVpenなわけで、これが実にありがたい。しかも、持ち歩きもせいぜい50gとか、そんな程度の重さですからなぁ。
で、これで、自転車による移動の快適さと、MVpenによる発想展開の自由さを手に入れたわけですが、(自転車は体の健康というもっと大きなものもくれるわけですが、まぁそれは、そのうち書くとして。)これらの部分メリットを下支えしてくれてるのが「瞑想」なんですねぇ。
このあいだ、紹介しましたけど、まぁ読んでみてください。損はないです。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812031223251154/
瞑想はいい。
ほんとうにいい。
あんまり気分的に落ち込まない人間になれます。
そこがとっても良いのです。
自分を頼りにできるようになる。
それが本当に良いです。
人間別に一人で生きてるわけではないから、自分だけ良くてもしょうがないんだけど、それでもやっぱり、まず自分の面倒は自分で見ないといけなくて、自分の心に穴ぼこが空いているからと、それを何か別物で埋めるということをしてはいけないわけですよ。
依存症とかは、まさにそれですね。心に空いた穴ぼこを直視しないように、わざわざ横を向いてる作業ですからなぁ。
まぁ、そういう事も必要ではあるんだろうけど、とりあえず僕は、もういいや。瞑想を知ったし。無理なく前向きになる「技術」ですからな。こういうものを知ると、実にありがたいです。
まぁ洗濯機がなくて洗濯するっていうのは手間ですし、圧力鍋がなくて煮込み料理を作るのは大変なわけですよ。
だから、上記の3つの神器も、そういう「道具」にしか過ぎないわけです。
でも、ほんとに使い勝手が良い「道具」たちばっかりなので、うれしくなってしまうって事ですねぇ。
自転車を担いで、自宅の3階までの階段を毎日上り下りしてるわけですが、(エレベーターはないのです。)でも、10kg程度だから、別にしんどいとも思わない。道を走っていて、大きな道路で、先に行けないのなら、陸橋とか、自転車を担いで登ります。軽い自転車はそういう意味でもすごく自由にどこにでも行ける。(軽い分盗まれる心配がありますが。)
ノートも、まぁ、最初にMVpenを取り付ける手間はあるものの、何冊も使ってる、どのノートでも、あまり気にせず、どんどんデジタル化してます。一度「自動的に手書き文字がデジタル化されている」という環境にはまると、再入力とか、すげー面倒くさく感じてしまうんですなぁ。
あと読書ノートとかも、自分の「覚え」用に抜き書きしてた文章も、そのままブログとかに掲載できるわけですよ。(まぁ、そういう使い方はあんまりしてないけど。)そういう事を考えたら、とにかくMVpenで入力したくなってしまう。
で、そういう便利さの下支えしてくれるのが瞑想という技術の良い点ですわねぇ。
なんでも前向きに上手に活用する方法を思いつくというか、そういう感じがあります。これは瞑想のおかげだわなぁ。
スポーツ自転車が欧米の文化です。
MVpenはイスラエルの技術なので、いわばユダヤ人の発想でしょう。
で、瞑想はもともとはヨガですから、インドの文化が根本でしょうね。
そういう雑多な出自の「技術」を、活用してるということな訳です。
「あー、これは日本人には思いつけなかっただろうなぁ」というのは、しみじみと感じてしまうんですけどね。
それでも、こういう雑多なものを、雑多なままにスッと受け入れてしまうところこそ、島国日本文化の良さかも知れませんなぁ、という話なわけです。
ま、出自なぞどうでもよろしい。
便利でありがたいものは、どんどん使いましょ、という話なわけですよ。
ああ、ありがたいなぁ、うれしい、うれしい。
そんな気分なのであります。