自転車で走るといろいろ見えてくる。
2008年12月2日 自転車自転車で走ってると、いろんな事が見えてきます。
まず、一番は、自分の体力の無さ。
いやもう、ロードバイクに抜かされること抜かされること。
速いよなぁ、あの方たちは。ビンディングペダルとかも使ってるかもだけど。
●ビンディングペダルは、専用の靴でペダルに固定するタイプ。踏み込みだけでなく、足の引き上げ時にも力が入るのでエネルギー伝達力が上がって速くなる。
なんか60歳はゆうに超えてるぞ、てなおっちゃんにヒョロ~っと抜かされていくのだからたまらん。そういう人はたいてい、28cの細いタイヤだしねぇ。僕みたいな完成車・ツルシの自転車じゃなくて、フレームからホイール、フォークまで、きっとパーツを選んで組み上げていったんだろうなぁって思う。それもやりたいけど、金がかかるんよねぇ。何十万になっちゃうし。
まぁそれでも、やっぱり、まずは僕の体力がないのが一番の差でしょうな。
と言いつつ、自転車が良いのは「ああ、しんど」と休んでいても、いちおう車体はどんどん前に進んで行ってくれるという事です。これがランニングであったらなら、道の脇に座り込んでる状態で、一歩も前に進んでないってことなわけですから。なんせ、椅子に座ってる状態ですぜ、あなた。なのに、まぁ15キロくらいの速度でなら前に進んでくれる。
ありがたいですなぁ。
ほんとうに自転車は素晴らしい。
へなちょこ野郎に、なんて優しいのかと思う。
で。
そんなヘナチョコでも、街を走っていると、実に自転車にとって理不尽なことが山のように、この国には山積されてるなぁって言うのを感じざるを得ないのですよ。
道路の設計やら、法律やら、あるいは交通マナーというか「常識」の部分とか、とにかく、いろんな矛盾を、いちばんモロに受けてしまってるのが自転車だよなぁとつくづく思います。
言い出すとキリがないんですけどねぇ。
だいたい道路の設計からして、自転車は排除されてるよなぁって思うところがしばしばありますな。自転車で渡れない交差点とかさ。せめて自転車向きに案内板が出てるとかなんとかしとけばいいのにとか、いや、そんな事言い出したら、本当にキリがない。自転車に関しては行政なんてないに等しいですわ。
だいたい駐輪場がないし、あっても形状がママチャリに合わせてあるから、あんまり意味ないとかね。
普通のスポーツ自転車はクィックレバーっていうのがついていて、ホイールは簡単に外せてしまうんですよね。だから前輪だけロックして留めるとかしてもクイックレバーを外されたら前輪以外は全部持って行かれてしまうんですよねぇ。
まぁチェーンロックをフレームからホイールまで通してかければそれで良いってことなんだけど、なんていうか、もうちょっと違う形のやり方があるように思えて仕方ない。
で、街中を走ってて思うのは、自動車優先の思想が、あまりにキツイよなぁってことです。とにかくクルマ。クルマ最優先で街が作られてるんですね。法律から何から。
でも、市街地走行なんて、40キロも出せれば充分なわけですよ、自転車であろうが自動車であろうが。これは皆が縦横に走らねばならないのだから、信号が不可欠で、構造的な必然なわけです。
なのに、ちょっとでも自動車で速く走れるようにとか考えて「大きな交差点」には信号がないとか自動車優先で道路構造を作ったりとかしてるんですな。
でも、実は、そういう交差点が一番自動車が混んでる。
だってみんながその交差点に集中するんだもの。
実に馬鹿馬鹿しい話です。
頭悪いっちゅうか、バカっちゅうか、狂ってるっちゅうか、キチガイっちゅうか、低脳っちゅうかって事ですなぁ。
ものすごく手間かけて、人間と自動車を分離して、で、結局どっちにも不便にしてしまってるんですね。
「自動車なんて、市街地では40キロ以上スピードが出ないようにすればいい、高速道路に乗る時だけ、特殊なカードを入れてガンガンにスピードが出るように、最初から作っておけばいいんだ」と、自転車乗りのエンゾ・早川さんは言っておられますが、まさにその通りですなぁ。
もう、ほとんど滑稽話だと思うのですよ。道路を自転車で走っていて、僕より速いロードバイクのおっちゃんに抜かされて行くと。
いらんやん、クルマ。いやほんまに。
ムダやん。
実際。
こんなヘナチョコ自転車乗りでも、地下鉄より速くに自宅と事務所を往復できるんですぞ。あのロードの人たちはどうなってるのか? っちゅうことですよ。
それを想像すると、実にこっけいなんです。
たとえば、車道を走っていて、道路の脇に駐車されている自動車をよけるために、僕が膨らんで追い越しをするしかなくなるでしょ? そうすると後ろのクルマは前に自転車がいて、待たなくてはならなくなって、パパパパパァーってクラクションを鳴らすわけです。
で、この駐車してる車も、後ろから来るクルマも、普通の人が普通に乗ってる「自家用車」だったりするわけですよ。
いや、邪魔なんは、君らの方やから。
はやいとこクルマからおりてくれたまえ。
と、紳士的に申し入れをしたくなってしまうわけです。
なってしまうけど、「でも、世の中の仕組みが、そういう【自家用車オーナー】を作るように出来てるわけやから、彼らに責任はないよなぁ。」って思うしかなくなるわけです。
自転車に乗ってると、そういう事をすごく思う。思索的になる。
なんせ「存在してないかのような扱い」を受けてるポジションの乗り物だからなんですね。
「ああ、この人のパパパパパァーは、この人は自分がイラついてると思ってるんやろうけれども、でも実は都市設計や安全思想がトンチンカンで、そのせいで『怒らされている』のだとまでは気付いていないのだなぁ、ああ可哀想だなぁ。」という感じになるわけです。
ほんと、ママチャリより圧倒的に速いクロスバイクに乗っていて、なのにロードバイクにバンバン抜かされていくという体験を普通に味わっていると、そういう感想にならざるを得ませんねぇ。
自動車なんて大量に安売りとかしたらアカンよ。もっともっと値段を上げて、何もわかってない一般人が乗れないようにしなくちゃいけませんわ。そういう存在であるべきですな。いやほんと。場所食うばっかりで意味ないもん。ほんまに。
まず、一番は、自分の体力の無さ。
いやもう、ロードバイクに抜かされること抜かされること。
速いよなぁ、あの方たちは。ビンディングペダルとかも使ってるかもだけど。
●ビンディングペダルは、専用の靴でペダルに固定するタイプ。踏み込みだけでなく、足の引き上げ時にも力が入るのでエネルギー伝達力が上がって速くなる。
なんか60歳はゆうに超えてるぞ、てなおっちゃんにヒョロ~っと抜かされていくのだからたまらん。そういう人はたいてい、28cの細いタイヤだしねぇ。僕みたいな完成車・ツルシの自転車じゃなくて、フレームからホイール、フォークまで、きっとパーツを選んで組み上げていったんだろうなぁって思う。それもやりたいけど、金がかかるんよねぇ。何十万になっちゃうし。
まぁそれでも、やっぱり、まずは僕の体力がないのが一番の差でしょうな。
と言いつつ、自転車が良いのは「ああ、しんど」と休んでいても、いちおう車体はどんどん前に進んで行ってくれるという事です。これがランニングであったらなら、道の脇に座り込んでる状態で、一歩も前に進んでないってことなわけですから。なんせ、椅子に座ってる状態ですぜ、あなた。なのに、まぁ15キロくらいの速度でなら前に進んでくれる。
ありがたいですなぁ。
ほんとうに自転車は素晴らしい。
へなちょこ野郎に、なんて優しいのかと思う。
で。
そんなヘナチョコでも、街を走っていると、実に自転車にとって理不尽なことが山のように、この国には山積されてるなぁって言うのを感じざるを得ないのですよ。
道路の設計やら、法律やら、あるいは交通マナーというか「常識」の部分とか、とにかく、いろんな矛盾を、いちばんモロに受けてしまってるのが自転車だよなぁとつくづく思います。
言い出すとキリがないんですけどねぇ。
だいたい道路の設計からして、自転車は排除されてるよなぁって思うところがしばしばありますな。自転車で渡れない交差点とかさ。せめて自転車向きに案内板が出てるとかなんとかしとけばいいのにとか、いや、そんな事言い出したら、本当にキリがない。自転車に関しては行政なんてないに等しいですわ。
だいたい駐輪場がないし、あっても形状がママチャリに合わせてあるから、あんまり意味ないとかね。
普通のスポーツ自転車はクィックレバーっていうのがついていて、ホイールは簡単に外せてしまうんですよね。だから前輪だけロックして留めるとかしてもクイックレバーを外されたら前輪以外は全部持って行かれてしまうんですよねぇ。
まぁチェーンロックをフレームからホイールまで通してかければそれで良いってことなんだけど、なんていうか、もうちょっと違う形のやり方があるように思えて仕方ない。
で、街中を走ってて思うのは、自動車優先の思想が、あまりにキツイよなぁってことです。とにかくクルマ。クルマ最優先で街が作られてるんですね。法律から何から。
でも、市街地走行なんて、40キロも出せれば充分なわけですよ、自転車であろうが自動車であろうが。これは皆が縦横に走らねばならないのだから、信号が不可欠で、構造的な必然なわけです。
なのに、ちょっとでも自動車で速く走れるようにとか考えて「大きな交差点」には信号がないとか自動車優先で道路構造を作ったりとかしてるんですな。
でも、実は、そういう交差点が一番自動車が混んでる。
だってみんながその交差点に集中するんだもの。
実に馬鹿馬鹿しい話です。
頭悪いっちゅうか、バカっちゅうか、狂ってるっちゅうか、キチガイっちゅうか、低脳っちゅうかって事ですなぁ。
ものすごく手間かけて、人間と自動車を分離して、で、結局どっちにも不便にしてしまってるんですね。
「自動車なんて、市街地では40キロ以上スピードが出ないようにすればいい、高速道路に乗る時だけ、特殊なカードを入れてガンガンにスピードが出るように、最初から作っておけばいいんだ」と、自転車乗りのエンゾ・早川さんは言っておられますが、まさにその通りですなぁ。
もう、ほとんど滑稽話だと思うのですよ。道路を自転車で走っていて、僕より速いロードバイクのおっちゃんに抜かされて行くと。
いらんやん、クルマ。いやほんまに。
ムダやん。
実際。
こんなヘナチョコ自転車乗りでも、地下鉄より速くに自宅と事務所を往復できるんですぞ。あのロードの人たちはどうなってるのか? っちゅうことですよ。
それを想像すると、実にこっけいなんです。
たとえば、車道を走っていて、道路の脇に駐車されている自動車をよけるために、僕が膨らんで追い越しをするしかなくなるでしょ? そうすると後ろのクルマは前に自転車がいて、待たなくてはならなくなって、パパパパパァーってクラクションを鳴らすわけです。
で、この駐車してる車も、後ろから来るクルマも、普通の人が普通に乗ってる「自家用車」だったりするわけですよ。
いや、邪魔なんは、君らの方やから。
はやいとこクルマからおりてくれたまえ。
と、紳士的に申し入れをしたくなってしまうわけです。
なってしまうけど、「でも、世の中の仕組みが、そういう【自家用車オーナー】を作るように出来てるわけやから、彼らに責任はないよなぁ。」って思うしかなくなるわけです。
自転車に乗ってると、そういう事をすごく思う。思索的になる。
なんせ「存在してないかのような扱い」を受けてるポジションの乗り物だからなんですね。
「ああ、この人のパパパパパァーは、この人は自分がイラついてると思ってるんやろうけれども、でも実は都市設計や安全思想がトンチンカンで、そのせいで『怒らされている』のだとまでは気付いていないのだなぁ、ああ可哀想だなぁ。」という感じになるわけです。
ほんと、ママチャリより圧倒的に速いクロスバイクに乗っていて、なのにロードバイクにバンバン抜かされていくという体験を普通に味わっていると、そういう感想にならざるを得ませんねぇ。
自動車なんて大量に安売りとかしたらアカンよ。もっともっと値段を上げて、何もわかってない一般人が乗れないようにしなくちゃいけませんわ。そういう存在であるべきですな。いやほんと。場所食うばっかりで意味ないもん。ほんまに。