うーん、ファンタスティック!
昨日、mixiに書いたんですが、なんとなくこっちにも転載しときたくなったので。画像は一作目のF4「超能力ユニット」ですが、内容的には二作目の「銀河の危機」のレビューです…って一作目の評価もしてるけどね。ジェシカ・アルバが好きなんよなぁ。多分。
ちゅうことで転載。
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今日は、来週がちょっと忙しくなりそうだったので、見ておかないと、そのまま見損ねてしまうに違いないファンタスティック4の映画版第二作「銀河の危機」を見て参りました。

えー、知らない人は全く知らないと思うのですが、これはアメリカンコミックスが原作です。マーベルという出版社のマンガで、スパイダーマンと同じ出版社ですね。

ま、説明しだすとキリがないので、その程度にしておきますが、スパイダーマンは好きだけど、ファンタスティック4はあんまりよく知らない僕としては、前作を「見たいなぁ」と思いつつ、劇場公開時に見逃してしまったんですよ。

で、ずっと見たいなぁと思ってたらDVDがけっこうお安い値段ででていたので「まぁいいか」と買って見たわけです。

そしたら、これが思ってたより大当たりで。

いや、内容は軽いし、物語なんてないに等しいんですよ。とくに前作のファンタスティックフォーは。
パッケージを見たら上映時間が105分とかになってて、「1時間45分? えらいコンパクトにまとめたね。」とか思ってたわけです。

で、前作では上映時間が短い割に、4人の超人が誕生するまでが、やたらとゆっくりと描かれるわけですよ。ていねいに。それもかなり原作に沿って。

「おおお、おい、大丈夫か? これで後半まで行けるか?」とか思うんだけど、ドラマとしては面白いわけです。
で、いざ4人の超人が誕生したら、こんどは、4人それぞれの特徴、●消える●燃える●伸びる●固いという特性をネタにした小さなエピソードがどんどこ続いて、いっこうに大きなストーリーが進まないんですな。

でも、それぞれ個々のエピソードがコミカルでユーモラスで楽しくて、全然飽きないわけです。で、何より、キチンと個々の「人間」が描かれてたんですね。

で、後半の盛り上がりは、一気に大爆発って感じで、あっという間に終わってしまったんですが、いやなに、それはそれでかなり楽しくて「おもろかったやん、これ」って印象だったんですよ。
やっぱりユーモア=ヒューモアで、人間性って事なんでしょうね。そういうところで楽しめたって思う。

なので、この続編も多少は期待してたんですよ。

期待はしてたんですがね。

●ファンタスティック・フォー「銀河の危機」公式サイト
http://movies.foxjapan.com/f4_2/index.html

ここで紹介している、予告ポスターを見て、僕的には、すごく不安になったのです。

だってあなた、シルバーサーファーですよ、これ。

ご存じない方にはわからないでしょうが、これまたマーベルコミックスでは大人気のキャラクターなわけです。
詳しいストーリーを知ってる訳ではないけれど、そんな大ネタをやるとなると、これは大変な事になるよって思ったわけで。

もう説明しませんけど、シルバーサーファーといえば、ギャラクタスの使いとして地球にやってきたっていう、そういう話で、ギャラクタスが出るって事は大宇宙叙事詩とか、とんでもないお話しになっちゃうわけですよ。
そんなん、あり得へんわ! って思う。

どうすんのよ。ギャラクタスも出すの? どうなの?
(このあたりわからない人にはさっぱりわからない話でしょうが、そういうものだと思って受け流してくださいませ。)

もうね、それだけでも気になって「どうすんねん、実写映画として成立するんか? そんなもん?」とやきもきしてたわけですよ。

ただ、CGで描かれたシルバーサーファーがやたらと良くて、それだけに、ウーンと唸らざるを得ないわけです。
「このシルバーサーファーはええよなぁ。うーん。」って思ってた。

で、映画の情報がオープンになってくると、なんと前作での宿敵だったドクター・ドゥームまでまた出てくるって言うわけですよ。
おいおいおい、そんなに詰め込んで大丈夫かよと。
どう考えても破綻するぞ、ストーリーが。

って思って、予告編を見ると、いちおう地球が破滅するという危機がやってくるというお話しなので、世界中が舞台になってるわけですわ。

「うわー、そこまで話広げるんかよ! よけいにやばいがな。」

ちゅう話でしてね。

しかも、予告編を見ると、そのごった煮の中に、主人公であるゴム人間と透明女の結婚話も入ってるみたいだし、透明女の弟である火の玉ボーイの恋愛も匂わせるシーンがあったりするわけよ。

あかん。
これはあかん。
絶対パンクする。
破裂する。
まとまるわけがない。
無理。
ダメ。
ファンタスティックフォーも終わった。

と思ってたわけです。
やばいよなぁ、いくら売らんかなでも、それだけ宣伝要素を詰め込んだら無理が来るって!と思ってたんです。

でも、それでもシルバーサーファーは見たい。CGのシルバーサーファーはイカす! という事でチケットのネット予約をしようと、上映時間を見たら…。

また105分(くらい)かよ!!!!

って事なんですな。

何それ。

どうよ、それ。

これだけ詰め込んで、105分?
大丈夫?
いや、無理やろ、それ。
アカンって。
やめとけって。
でけへんって。
無茶や。

と言う気持ちで、もう破綻した、どうしようもない、切り貼り映画でも、まぁええわ! 見たろやないか! と、やけくそで見に行ったんですよ。今回。

で。

感想。

いやー、よくまとまってる。軽くて、あっけらかんとしてて、ただ面白いだけという前作からの流れはそのままに、ちゃんと映画としてまとまってるし、これだけの無茶な内容を破綻もさせずに、見事に一本にまとめてるんですわ。
いやー、たいしたもんだ。

しかも、たとえば、軍とファンタスティック4との対立関係とかですね、そういう構図とかも描かれていたりするのです。そういう設定とかも面白いしね。小ネタにキレがある。

で、シルバーサーファーについて、あんまり詳しくなかったので、ちょいといろいろ調べてみたら、シルバーサーファー自体にけっこうバックストーリーとかもあって、それを上手に本編に応用・採用してるんですな。原作のけっこう裏ネタとかをうまく入れてる。

それだけでも感心するんですが、今回素晴らしいのは、ちゃんと家族愛とか、登場人物の成長とか、そういうのがキチンと描かれてるところなんですね。いやま、それも軽く、なんだけど。

でもって、もひとつ良いのが、前作にもあったユーモア精神というのが、キチンと引き継がれている事なのです。
お笑い要素がちゃんとある。

という事で、僕的には、かなり高評価なんですよねぇ、このファンタスティックフォーの続編、「銀河の危機」は。いやまぁ前作も面白かったんだけど。

こういう肩の力の抜けた軽い娯楽作って言うのが、大勢で見る「映画」という媒体には、一番適しているっていうのが僕の意識の中にはあって、そういう意味でも「良いなぁ、これ」って思うのですよ。

なんちゅうか、そういう意味でやたらと気に入ってしまった映画であります。

でもまぁ、100点満点で75点くらいかな。そんなに無茶苦茶に期待するような映画でもないのですよ。でも、だからこそ良いって部分もあるわけでして。

いやなかなか、面白かったです。
できたらDVDで前作を見てから見てください。
もちろん、前作を知らずに見てもほとんど何の問題もなく楽しめますけど。

いやー、100分程度でこの内容なら、僕は大満足だなぁ。映画館も上映時間が短いと、一日に何度も上映できるから利益が上がってお得なんですよね。そういう意味でも偉いよなぁ、この監督はって思う。

そういう映画です。おすすめ。

升の市・住吉寄席

2007年10月7日
mixiに書いた日記だけど、こっちにも載せておきたくなったので、転載。
最近mixiは画面デザインが変って、ものすごく見にくくなったので、よそに移ろうかなぁとか思ってます。個人的な知り合いとかたくさん呼んでしまってるから、移るとなるとみなさんに声かけをしないといけないのが面倒。ほんとにあのデザインは嫌なんよなぁ。うーん。困った。
ともあれ、転載です。
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えー、私、大阪は住吉大社の近くに住んでおるわけですが、実は本日、その住吉大社で地元の振興会と米朝一門による落語会がありまして、見に行って参りました。

mixiには、全国の方がおられますので、ローカル情報をちょっと解説すると、毎年正月になると、神社の参拝人数の話が出てますが、そのトップニュースに良く取り上げられているのが住吉大社でありまして、けっこう有名で、由緒ある神社でもあります。

で、ここへ、母親孝行も兼ねまして、母親を呼んで出かけたわけですが、良かったのは会場であります。

住吉大社には「神館(しんかん)」と言う建物がございまして、これが有形重要文化財なんやそうでございます。(口調が落語っぽくなってきた。)

そういう建物の中で落語が聞けるというだけでもおもしろいのですが、これに加えて、なんとなんと、人間国宝、桂米朝さんの座談も聞けるという事ででかけたわけです。
なんと重要文化財のなかで人間国宝を見れるというですね、まことにありがたいお話しなのでございます。

入ってみれば、実に気持ちの良い空間でありまして、ガラス戸の向こうにお庭が見えるんですが、そこにある楠(くすのき)が樹齢800年。通常は門がしまっていて、外からは見えない場所の大木だったので、感慨深いものがありました。

さて出演者と演題ですが、

●ときうどん 桂吉の丞
●禍は下から 桂すずめ
●替わり目 桂千朝
●ちしゃ医者 桂雀三郎
●座談 桂米朝

というラインアップだったわけですが、人間国宝、米朝師匠もおん歳82歳だそうで長い話はもう無理とおっしゃり、特別サービスに小話を2つやってくださってそれでおしまい。あとは直接の弟子である桂すずめと桂千朝がお相手をしながら座談会という形でありました。

大阪に住んでいながら、実は米朝師匠の落語を生では聞いたことがないというのを、今日改めて悔やんでしまったわけですが、それでも直接お顔を拝見できて、私的には大変満足したのでありました。

関東の方にはなじみがないかもしれないので、ちょいと説明しておきますと、米朝師匠には何人も弟子がおられまして、たとえば、昔のウィークエンダーのレポーターとして泉ピン子と並んでいた、桂朝丸、現在の桂ざこばさんとか、東京でも爆笑王として有名な故・桂枝雀(かつら・しじゃく)さんも、米朝さんのお弟子さんです。

また、10年に一度の天才と言われながらも若くしてお亡くなりになった桂吉朝(かつら・きっちょう)さんも米朝さんのお弟子さんです。(このあたりになると、関東の人には全然わからないと思いますが。)

将来を嘱望されていた、弟子二人が亡くなってしまって、米朝師匠はご健在という事で、なんとも言えず感じ入るところが多かったのですが、上記にある桂吉の丞が吉朝の弟子、桂雀三郎が枝雀の弟子でして、米朝さんからは孫弟子にあたる人です。

雀三郎さんは、焼き肉食い放題のヨーデルを唄って人気が出たり、ギターを弾いたりと器用でおもしろい落語家さん。師匠の枝雀さんの自由闊達な空気が育てた枝雀ファミリーの重要人物でございます。

孫弟子まで出て、その幅の広い人材に、ああ、やっぱり米朝一門がいて良かったなぁと、しみじみと思うのです。
というのは、東京だと鈴本演芸場だとか落語の定席の小屋がございますが、大阪には、ついこのあいだ天満の天神さんの横に天満天神繁昌亭が出来るまで、そういう落語を定期的にやる小屋というのがありませんで、地域寄席など地道な活動で笑いの伝承をやってきたのが米朝一門、という側面があるからなのです。
(他にもいろいろやっておられる方もおられますが。)

そういう地域・地元との密着の中の寄席っていうものの、なかなかに良い形が、この升の市・住吉寄席であるなぁと感じた次第です。
というのも、紹介が最後になりましたが、演者の中にある「桂すずめ」というのは、知る人は知っている、女優の三林京子さんなのですね。

関東の人で知ってる人は、ちょっと少ないかも知れませんが。

この三林京子さんというのは、もともと住吉大社のそば、粉浜の住人。まさに地域住民なのでございまして。
そういう方が出ているというところも楽しいところですが、しかし、「いつのまに三林京子は落語家になっとったんやー!!!」という事の方が、私的にはびっくりでございましたが。

なんか知りませんが、米朝師匠の最後の弟子なんやそうです。でも稽古はつけてもろてないっちゅう話で、なんやようわからんのですが、まぁ女優と落語家と二足のわらじで食っていけるからええやろ、となったようで。

この三林京子さんも、もともとは文楽(人形)の演者の娘さんで、米朝師匠とは子供の頃からのお知り合いだったそうです。

こういう歴史とかつながりが、そのまま残ってるのが、大阪文化の良いところかも知れません。

ともあれ、落語としての今日の目玉は、実は千朝さんの「替わり目」がいちばん良かった。雀三郎さんのちしゃ医者も、かなり、ダイナミックにうけておりましたし、「ニン」が話と合っていて実に良かったのですが、それでもやっぱり千朝さんの「替わり目」が、僕的には良かったかなぁ。

千朝さんは一時期、先に紹介した吉朝さんと並んで「正統派落語は千朝、おもしろ落語は吉朝が米朝の落語を継ぐ」と言われていたのだそうですが、経済的な理由から、落語家を廃業して、他の職業に就いておられたそうです。
しかし、その同門の才能ある落語家の廃業が吉朝さんを刺激して、発憤していろいろ頑張られた時期になるそうで、千朝さんが廃業している間に吉朝さんは正統派落語を身につけたわけです。

僕は残念ながら吉朝さんの落語は生で一回だけしか見てないのですが、亡くなる前年くらいで、もっとも円熟している時期。それはもう見事なものでした。

で、今日は廃業後、同門の人間から「あいつの才能は惜しい」と復活を遂げた千朝さんの落語を聞いたのですが、おどろくなかれ、まくらは夢路いとし喜味こいしの「物売りの声」のネタで、話の展開、くすぐりには、枝雀さんを彷彿とさせる爆笑路線があり、途中で瞬間、しんみりさせる小ネタをはさんで、定番のところで落とすという「おもしろ・本格落語」。なんちゅうか、こんどは「吉朝さんの分も取り戻すぞ」という感じを感じるのです。

こうして文化というのは伝承されるのだなぁと、つくづく思うのです。

そんなこんながあって、感慨深く、玉砂利の上を歩いて住吉大社を後にし、帰り道では、地元で古くから続く洋食屋「やろく」で食事をして帰った、今日この頃なのでございます。
久しぶりに「倫社の帝王」を書きます。

前から一度書かないといけないなぁと思ってた項目に、「ノブレス・オブリージュ」があります。これは、「高貴なるものの責任」とでも訳せばよいのでしょうか、財産、権力、社会的地位を得た者が負う責任の事なのですが、この概念を知っているかいないかで、いろいろな事象に対する評価のあり方がかなり変るし、物事の判断基準なども大きく変ると思うのですね。

日本にはこういうモノはないのですが、欧米では、法を超えて、それこそ倫理的な徳目として、この「ノブレス・オブリージュ」が求められて、社会的な大きな「圧力」になっています。
このあたりの知識は、少なくとも僕の場合は、たとえばWinnyなどのファイル交換ソフトに対する問題や、ライブドアのニッポン放送株買収問題、ハッカーの問題などに関して、大きく判断のよりどころになりました。

「ノブレス・オブリージュ」は、もともと、貴族が自発的に、無私の行動を行う事がベースになっていて、まぁ一種の「プライド」のようなものなのでしょう。そういう種類のものですから、明文化されてませんし、法的な義務でもなく、何か法律上の処罰があるというわけでもありません。

しかしそれでも、この「ノブレス・オブリージュ」は、欧米社会を支える根本的な重要な文化になっていまして、それは、広く一般常識にまでなっている概念ですから、法律やら金銭問題を超えた、より大きな判断基準になっている、という事ですね。つまり、法律や金銭契約よりも大きな社会的圧力と考えて良いと思います。

たとえば、細目は省きますが、僕の大好きな「スパイダーマン」では、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」というのが主要テーマになっています。自己利益だけを考えて行動したが故に、その結果、自分の大切な育ての親の命を失わせてしまったと反省している主人公ピーター・パーカー、という設定があって、スパイダーマンという大きな力を得た限り、それを社会に還元していく責任があるのだとするテーマがあるわけです。

法に従っているかどうか? の前に、個人個人の心の中の倫理観というものがあって、それがまず大切なわけです。スパイダーマンは別に法に従って正義を成しているわけではなくて、「ノブレス・オブリージュ」で社会貢献をしているのです。

大事なのは、スパイダーマンというものがコミックスだ、ということです。ニッポンでは大人でもマンガを電車の中で読むのが当然のようになってますが、欧米では違います。はっきりくっきり「幼稚な媒体」と考えられているんですね。大の大人が堂々と読むものではない。そういう差別的なメディアなんです。

しかし、そういう差別的なメディアの中にすら「ノブレス・オブリージュ」の概念が生きているという事なんですね。大変一般的で、誰でもが「なるほど、そりゃそうだ」と思う、言わずもがなの「あたりまえ」の常識的概念なわけです。

つまり「強い権力を持ったものには、その力の強さに応じて社会的責任が伴うのは当たり前のことだ」という事がかなり強烈に世の中に定着しているということなのです。ということなので、同じような企業でも、トップ企業と二番手企業なら、権力・パワーの大きさが違いますから、トップ企業の方に「ノブレス・オブリージュ」の責務・徳目はより大きく求められるのが当然ですし、誰もがそれを要求するって事なんですね。

で、それを要求するのが当たり前であれば、いくら企業の側に社会的責任感や社会貢献意識がなくても、行動せざるを得なくなってくるわけです。企業イメージがガタっと落ちますから。そう言う意味では、法律より怖い、強い拘束力を持っているわけです。それが「ノブレス・オブリージュ」なわけです。

同じパソコンOSでも、マックのアップルなら、社会貢献的活動をちょろっとでもやれば、ものすごく高く評価されますが、トップのマイクロソフトだと「そのくらい当たり前だ」と評価されません。逆に「これこれの配慮が欠けている」と、厳しく厳しく厳しく批判されますし、それは「ノブレス・オブリージュ」の考え方からすれば、しごくまっとうで、当たり前のことなんですね。バコスコに叩かれ、批判されて当然なんです。

日本の場合は、「和」の概念が法律を超えて優先される社会的規範で、「みんな一緒に」とか「同じ価値観を共有して」というような事が大事にされますが、欧米はそういう概念はありません。
欧米では競争があたりまえで、才能のあるものがトップになるのが良いことだと考えられているわけです。ひとりひとりが異なる個性を持っていて、それを最大限に活かすことで、力の差が出てしまうのは当然だという事ですね。より才能のあるものが勝ち上がることこそが、「個性に基づいた平等だ」という考え方です。

日本の文化がもともとは「どういう行動をしていても、給料は同じように出すよ」という「結果の平等」をベースに成長してきたのに対して「ひとりひとりの行動の結果に対して、平等に同額支払うよ。」という「機会の平等」が欧米(この件に関しては特にアメリカかな?)の考え方です。

で、この「機会の平等」を、単なる弱肉強食にしてしまわないための、重要な安全装置として、この「ノブレス・オブリージュ」という倫理観が大切にされてるわけです。

しかし、この数年から10年くらいの間で、日本は「小泉改革」とやらのバカ騒ぎのせいで、法的なルールや、社会の構造だけを欧米から押しつけられて取り込んでしまって、こういう「ノブレス・オブリージュ」のような大衆文化にまで根ざした倫理観の取り込みまでは行えなかったわけです。

だから、その結果として、ホリエモンの事件なんかがあるんですね。ホリエモンが株を買ったら、その株を持った人間が会社の持ち主ですから、ニッポン放送はホリエモンのものです。こういう所有の概念は資本主義の根幹ですから、変更などできません。株主資本主義は間違ってるとかごちゃごちゃ言う文化人もいましたが、それはお前らが間違ってる。ここまで重要な基本ルールは変更不能です。

しかし、じゃあ、ホリエモンが経営陣を平気で入れ替えてオーケーかというと、法的にはオーケーでも、「ノブレス・オブリージュ」の観点からはとんでもないバカとしか言いようがないわけです。

放送業界というのは、人を育てるのに10年とかかかる世界ですし、電波というのはそれこそ電波帯という「限りある資源」を活用する社会資本ですから、その運営には専門的な知識経験がどうしても必要なんですね。それを簡単に「経営陣の首をすげ替える」なんて言うのは愚の骨頂、バカのすることです。

バカのすることなんだけど、それは法的には大きく間違いではない。そういう事ですね。

わかりやすく言うなら、「ホンダの車を俺が買った。だから好きにしていい。エンジンを俺が作ったものに入れ替える。」と言ってるのと同じなわけです。これはバカでしょ? まぁそういう事ですね。法的には別にそういう事をしても何ら問題はないけど、バカだと蔑まれる。会社としては致命的でしょう。

しかし、日本にはそういう法を超えるルールとしての「ノブレス・オブリージュ」のような事が一般大衆には定着してないから、そういう部分での批判が全然出ないわけですよ。で、どうして良いかわからないから、「株主資本主義は間違ってる」とかのよけい混乱するような意見が出てきたり、書籍が発売されたりして、どうして良いのかわからなくなっちゃう。みんな右往左往して悩むってなことになってしまう。従来の日本的文化だけではやっていけないので、どうしよう? ってなっちゃうわけです。

僕の場合は、前々から書いてますが、小室直樹先生の御本で、この「ノブレス・オブリージュ」の考え方を、そうとう前から学んでおりましたから、そういう世の中の変化に関しても、さしてあわてず騒がずで対応できましたし、問題の本質がよく見えました。だからやっぱり、まず勉強しておくという事が大切なんですね。

で、そう言うことを考え合わせていくと、Winnyなどのファイル交換ソフトに対する問題や、ハッカーの問題も良く見えてくるんですね。

たとえばハッカーという言葉は、当初「法を守らない悪人」というようなニュアンスがありましたが、そうではなくて、コンピュータシステムの穴を見つけ、それを改善しようとする善人、正義の味方という側面があるのだよ、とか言われるようになってきたわけです。

でも、そういう個別の言葉の定義を考えるより、そのハッカーのやってることが、「ノブレス・オブリージュ」に沿っているかどうかを考えれば、善と判定されるか悪と判定されるかだいたいわかってしまうわけです。

ようするにハッカーというのは、より大きな仕組みに対しての批判勢力としてなら「ノブレス・オブリージュ」を体現する存在として、社会から認められるってことなんですよ。単純にそれだけのことです。

だから「より大きな仕組みへの対抗勢力」ではないものは善とは認められず消えていく運命にあります。

単純にわかりやすいもので言えば、ファイル交換ソフトのナップスターですね。あれは、アーティストのような、才能ある個人が迷惑をこうむるばかりの仕組みですし、より大きな企業体への批判性も持っていなかった。単に著作物の泥棒ソフトだ、というだけですから、結局は生き残りはできませんでした。有料化されて正当なものになろうとしたけど、最終的には消えてなくなっちゃった。ま、当然ですわね。ようするにハッカーのように、「社会的な大義」がないってことなんです。

ところが、しかし!

日本人って、こういう「ノブレス・オブリージュ」のような社会的概念や倫理観というものとかに、無茶苦茶弱いので、ナップスター、あるいはWinnyとかを、「ピア・トゥ・ピア技術の可能性」という側面から擁護したりするんですね。技術至上主義っちゅうか、なんちゅうか。

そんなもんアカンっちゅうねん。大義がないやんけ、大義が! としか私は思わないし、まぁ、大きくそれが常識っちゅうもんなのですが、「技術の可能性を潰すのは良くないことだ」とか平気で言うのよなぁ、日本のオタクは。いやいや、大義がなけりゃ、それは技術の悪用でしかないよってことでして。

まぁ、僕に言わせれば、まったくのバカです。っちゅうか、ようは多分お金を払わずに著作物を泥棒すること自体のスリルがおもしろいとか、そういう低脳な欲求でしかないと思うんですけど、なんかヒドイ話よなぁって思うのです。幼稚というか、単なる子供の発想です。

ひどいのになると、物作りの現場にいて、著作権を守る側の仕事をしているのに、Winnyで映画を泥棒して見てる、なんていうのがいてるわけですよ。いやー、それは自分で自分の首を絞めてるだけやろ、アカンで、それは、としか思わないんですが、いったい何なんでしょうか、あれは。

Winnyみたいな泥棒ソフトは、本来お金を払って見ていた人までお金を払わずに著作物を見るようになるので、その差損は、いきおいDVDとかの単価に上乗せされます。ようは正規の著作物の値段が上がるわけで、誰にとっても迷惑なだけ、存在価値はゼロなんですよね。なんでこんなバカなものが世の中に出回ってしまったかと呆れるばかりです。あんなものに存在価値はまったくないのに。

Winnyの技術的価値も実はゼロです。不特定多数に対するファイルアクセスの仕組みとかは、たとえば、世の中にある無線LANのフリースポットや、フレッツ・スポットなどですでに実用化されているし、インターネットを使って特定の人間がクローズドグループでファイル共有する仕組みも高度なネット企業の基礎技術としてキチンと社会に根付いておりますからWinnyに意味なんかありません。

そういう社会に根付いた仕組みとWinnyとの違いは、その不特定多数の人間個々を特定しようと思ったときにできるかどうか? の違いだけです。Winnyにはそれがない。つまり単純に個人名を隠して泥棒ができる泥棒育成ソフトでしかないので、あれはダメ! というのが私の判断であります。「ノブレス・オブリージュ」のような、高尚さなんて、かけらもない。まぁあんなもの使うのはゴミ人間みたいなもんです。ここははっきりくっきりキッパリと言い切ります。

しかし、困ったことに、いまや世の中はワールドワイドに広がっていて、たとえば、欧米でのハッカーたちの動きがカッコ良いものとして日本に伝わってきたりして、で、肝心の「ノブレス・オブリージュ」の倫理観すらないパァな原日本人が「泥棒は良いことだ」とか勘違いするわけです。

ちがうっちゅうねん。それは。
そのカッコ良さの根幹は「ノブレス・オブリージュ」やっちゅうねん。そこをわかりもせずに表面的なことだけ真似してもアカンっちゅうねん。
何を勝手な勘違いしてんねん! ちゅう話なわけですよ。

かくして、日本では泥棒行為がかっこいいかのように思われる。そこに「ノブレス・オブリージュ」なんてものは、かけらもない。アホの極みです。
かっこ悪いよなぁって思うんだけど、そういうところに行ってしまってる人は抜け出せないみたいですなぁ。

多分、なんらかの社会に対する不満があるんだろうと思うんだけど、その自分の内面の不満を、キチンと整理すらできてないわけですよ。だからそれを匿名で社会の仕組みを超える事で解消してるんでしょうなぁ。なんか情けないです。ほんまにかっこ悪いと思う。

で、自己正当化を探して技術の進化がとか言ってる。ああいう人種が本当にバカで嫌いです。

で、また、「ノブレス・オブリージュ」も知らないような人間は、こういう話しになると、すぐに法律の問題と勘違いして、日本の法律のあれやこれやをごちゃごちゃとほじくり返すという、どうでも良い些末な話に入っていってしまって、それでよけいに混乱するわけです。法律は慣習が基本。その慣習は倫理がベース。倫理は宗教によって異なる。だから国が違えば対処法も異なる。そして自分たちの問題は、自分たちで学習して対応策をひねり出すしかない、って事です。

で、その対応策をひねり出すには、外国の文化は外国の文化として客観的に学習し、日本の文化は日本の文化としてキチンと学ぶという基礎からの学習がどうしても必要という、それだけのことなのです。

そういう意味では、「ノブレス・オブリージュ」の概念を学ばせてもらった小室直樹先生には、本当に深い学恩を感じるわけですよ。9月18日の日記「おおまかな理解ということ」

http://diarynote.jp/d/12917/20070918.html

でも書かせてもらいましたが、まず大きな概念から大づかみに理解していくことの大切さを、しみじみと味あわせてもらえたと思うのです。小さな枝葉の知識で右往左往することなく、世の中の動きを大きな流れで捕まえる、重要な視点を授けていただいたと思うのですね。世界標準の大きな学問的常識、モノの見方を、まず教えていただいたという気がしてます。10年前に読んだ小室先生のご著書が、10年の時代の流れの中で、脈々と物事を整理しつつ僕の頭の中に入れてくれたという感じが強いです。

だから「学恩」というものはすごいのですよ。ほんとにそう思う。ひと月やそこいらでは、なにもわからないけど、こうして10年を振り返ってみると、そういう知識があるかないかで、ものすごく大きな差が出来ると言うことが実感としてよくわかります。

知識がないのは、暗闇でたいまつがないのと同じです。まず学習。それありきだと思う。

ああ、しかし、「ノブレス・オブリージュ」の事だけで、ここまで書けるとは思ってなかった。自分でもびっくりですが、でもやっぱり重要な知識は、それだけの広がりを持っているという、そういう事です。はい。

月10冊。

2007年10月16日コメント (3)
5月から、また英語の自主トレに力を入れだして、毎日ほんのちょっとずつ練習とかしてるんですが、そうなると本当に本が読めなくなってしまって、先月はひと月で一冊読んだだけでした。

(築山節さんの「脳が冴える15の習慣」でした。これは名著!すばらしいです。)

ちょっとこれはやばいなぁと思って、通常の倍くらい読むようにしようと考えて、今月は10冊読むと決めて読んでます。

先月からいきなり10倍ですから、とんでもないわけですが、まぁ通常でも3冊から4冊くらいは普通に読んでたので、そういう意味では倍ですね。で、途中まで読んでほったらかしにしてたものを読み切るというのもすれば、まぁ10冊くらいはいけるんじゃないの? と思ってチャレンジしてみたわけです。

が、いざやってみると、思ってたより、うんと簡単でありました。本を読むと決めたら英語の練習は集中して時間を取るように変ってきまして、もうあまり電車の中では練習しなくなり、電車内では読書、起き抜け、寝る前が英語というパターンが自然と出来てきました。

で、ただいま16日目で5冊終了です。
内容の軽い書籍を一冊、トイレに置いて、トイレに入った時に2ページ〜4ページ読むというのも組み込んでみたので、これはこれで一冊読み終わると思うし、まぁ無理なく10冊読めそうですね。

で、読んでみてわかったのは、やっぱり情報量が多い方が、絶対に得だってことでした。ちょっとやってみただけで、読書がいかにお得なのかがはっきり分りました。これはもっと読まなきゃダメだなぁ。ほんと。

とくに、あまりに内容がトンチンカンなので、途中で読むのをやめていた「ウェブ進化論」と、はてなの近藤氏が書いた「ヘンな会社のつくり方」の両方を読んで、「ウェブ進化論」の梅田望夫氏が、どうトンチンカンなのかがはっきりわかって、トンチンカンにイライラしてたのがすっきりして収穫でした。
「わかってへん人は、どこまで行ってもわかってへんだけなんやなぁ、やっぱり」という事で納得が行った、みたいな話なんですけど。まぁ、このあたりは、機会があったら書きましょう。

ともかく、大量に読むというのは、やっぱり効果高いですな。読まないとわからない。やっぱりそうですわ。

ということで、なんとか月10冊のペースは維持しようと思います。(本当は速読を習いに行くべきなんだと思うのですけどねぇ。10万とか20万とか出せば教えてくれるんだしなぁ。うーむ。)

とにかくやっぱり勉強ですね。ひたすらそう思う出来事でありました。
ISBN:4860641345 単行本 森沢 洋介 ベレ出版 2006/10 ¥1,890
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4860641345/249-9767057-8485143

5月から表題の書籍で英語の練習を続けております。

内容は中学英語の復習。
そらもう、ものすごく簡単。むずかしい単語なんかひとつも出てこない。

で、中学1年から3年までの基礎的な文法項目を一見開きに一項目、10個の例文を左に日本語、右にその英文という形でならべて、79見開きにまとめただけのものです。

まさに「中学校3年分の例文集」でしかありません。
(あ、もちろん全文の音源CDはついてますが。)

で、これをどうするかというと、左の日本文を見て、すぐさま右の英文が出てくるように、ひたすら練習、トレーニングするという、それだけであります。

それだけなんですけど、これがかなり難しい。文章を頭の中で組み立てるのに時間がかかるし、すらっとくちに出して言えない。頭では分かっていることを、口でスッと言えるようにするまでというのが大変なわけです。

もうね、ひたすら練習あるのみです。5月から毎日せっせと練習してますが、いつまで経っても終わりませんねぇ。5か月かかって、やっと半分を超えたあたりです。ひ〜っ! 大変だわ、これは。

一般動詞とbe動詞の使い分けなんか、いつまで経っても体に入らないことはなはだしいですな。do で言うべき所を is で言ってしまって、「どうすんねん!」ってなってつまるとか。そんなんばっかし。

しかし、半分を超えたところで、少し実感できる事がありました。

というのは、ウクレレとの関連性を感じてきたのであります。

なんちゅうかね、ギターやウクレレのコード(和音)を覚えるのと、ちょっと似てるかもなぁって。

ウクレレやらギターをやったことのある人なら分かると思うのですが、コードを弾くためには、複数の指を同時に弦の上に置いて和音を出さねばならないので、指の形をしっかりと体に覚えさせないとだめなわけです。

人差し指で押さえてる弦は、隣に中指で押さえてる弦があるわけですけど、指の形がちゃんとしてないと中指が人差し指で押さえている弦にあたってしまって、人差し指で押さえてる弦が鳴らない、なんてことが起こります。これは初心者はみんなやる失敗。

だから指の形をしっかり整えないとちゃんと音が出ないわけですが、その「形」に持って行くまでが大変なんですね、最初は。
中学の時にギターを買って、コードを覚えようと四苦八苦したことが昨日のように思い出されます。荘村清志さんがNHKでギター講座とかやっていて、必死に練習したものです。

でも、この指の形がキチンとできたからとて、それだけじゃ全然ダメなんですね。曲を弾くという場合は、この「キチンとした指の形」を、リズムに沿って、パシ!パシ!とチェンジしていかないといけない。

それはもう、考えるとかなんとかではなくて、リズムに合わせて指がヒョンヒョンと形を変えていかないといけないわけで、最初は「こんな曲芸みたいなことが出来るか!」とか思ったものです。

でも、それをやって弾いてる人がちゃんといてるわけですからねぇ。ようは自分が出来てないってだけの話で。いやホント。

で、この「瞬間英作文」を頭からやってると、自分がいかに「指の形を整える」ことすらできてなかったかが嫌でもわかる。

で、ちゃんと文法に沿った文章をスラッと言えるようになるためには、表題の文法項目を、ちゃんと文法の参考書とか読んで学習のし直ししないと、やっぱり納得して覚える事はできないんですね。なので、平行して文法の復習もして…。

そういや、ギターのコードを覚える時でも、和音の理論とか勉強したら、一気に覚えやすくなったもんなぁって思うわけです。トニック、ドミナント、サブドミナントとかの和音の種類ね。
あとマイナーコードとメジャーコードとか。

なので、いまやってるこの本の、自分のレベルが、ウクレレやギターで言えば、どのくらい低い位置であるのかというのが、ものすごーーーく良く分かってきた。
コードの指の形も、まだちゃんとできてないレベルやんかってことなんですけどね。
まぁ文章で書かれた英文とかなら、ゆっくり読めるから、まだマシなんですけど、でもそれでは、実戦ではまったく役に立ちませんしね。

結局、中学の時からいっこうに進歩してなかっただけってことなんですけどね。

で、表題に戻るのです。

●後退する事が、実は進歩だったりする。

です。

というのは、もう10年も前に一念発起して英語を身につけよう!と思い立ちまして、それで最初に手を出したのが、天声人語の英語版だったのですね。

英語が苦手で苦手でどうしようもなかったから、とにかく急いで追いつかねば、という気持ちがあって、新聞とかで普通に出てくる単語から言い回しから、どんどん身につけていかねば、とか思ったわけです。

でも当時は「it の複数形は it’s ?」というレベルだったわけで、まぁ、手始めの教材としてはとんでもなく高尚すぎたわけですよ。

で、その後、初心者向きの教材にどんどんレベルを下げていったのですが、本当に中学レベルの復習は流す程度で、またすぐに単語の暗記とか、文章課題の読み解きとか、そっちに走ってたわけで。

で、その変転変化の歴史をたどると、もう正直、
●実務英語レベル
  ↓
●大学受験レベル
  ↓
●高校の授業レベル
  ↓
●中学の授業レベル
という具合にやってる課題がどんどん後退してきてるのですよ。

「これやってみよ! んん? あれ? 難しいな。どうしよ。ちょっとレベル下げてみよか。」

というのを半年から1年単位くらいでやってきた感じですね。
で、何年もかけて、課題を下げてきた。
まさにアホです。
それなら最初から基礎からキチンとやっとけよって話なんですね。

でも、基礎は時間がかかるんです。だから、ついすっ飛ばしてしまう。できてないのに、できてることにしてしまうんです。それで何年も何年もムダにすることになります。

本当に賢い人は、多少時間がかかっても、基礎を徹底的にやるんでしょうね。それが一番の近道だということをよく知っている。

「Cのコードは、こことここを押さえたらいいんでしょ、知ってるよ。」

なんて言うのは知識として知ってるだけで、それはもう、何の役にも立たない。パッ、パッとコードチェンジができて、なおかつ全弦の音がちゃんと鳴ってないと音楽にすらなっていないって事です。

やっぱり基礎なんですね。

実務英語より、中学英語。
走るより、歩く。

基礎を身につけるために、簡単な事を嫌と言うほどやらなくてはいけない。もう、出来た! と思ったところから、もう一度定着のために10回繰り返してやっておくという、そういう執念深さが必要なわけです。

しつこく、しつこく、しつこく、しつこく基礎なんですね。やっぱり。どこまで行っても基礎。ひたすら基礎。何があっても基礎。そのくらいで行かないといけない。

この本、いまの調子で行くと、終わるのは来年の1月くらいになりそうなんですけど、いまはそれを遅らせてでも、もう一度復習のために、この本の最初の方から苦手なところをもう一回おさらいしていこうかなと思ってるくらいです。

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で、そういうスキル習得について、ちょっと、別の勉強法の本を読んでいて、「ああ、それはあるかもなぁ」と思ったのが、TVゲームの悪影響の話なのです。

テレビゲームばっかりやってると、スキル習得のこらえ性が身に付かなくなるのではないか? という批判なんですね。

前に、「ゲーム脳の恐怖」とか、まるっきり検討違いで、検証性すらない、パァなゲーム批判がありましたが、ああいうゲーム批判ではなくて、「この意見には一理あるなぁ」と思った批判が、

●ゲームの主人公は、あまりにお手軽にレベルアップしすぎる。しかし、現実のスキル習得はそんなに簡単ではない。そこが問題だ。

と言う点なんですね。

TVゲームやビデオゲームであまりに簡単に「レベルアップの快感」になれてしまうと、現実のスキル習得の単調で時間のかかるところを耐えて身につけて行くという事ができなくなってしまうのではないか? という指摘なんですが、これ、当たってると思うのですよね。
その言葉を言った人曰く、

●現実のスキル習得に挫折して、またゲームのレベルアップのお手軽さに逃げるというゲーム依存体質になってしまう。

との事でした。

ああ、言えてる!!
すごく言えてる!
って思うのです。

僕はゲーム好きではあるんですけど、ゲームオタクとどうも肌が合わないのは、このあたりの違いなんですね。
ゲームばっかりして、全然勉強しない人間っていうのが、よくわからない。

ゲームでスキルアップの面白さを体感したら、その感覚を現実社会にも応用して、学習することで武器をレベルアップしてヒットポイントを上げようとか考えたら、人生面白くなるのにって思うんですが、そういう健全な「ゲームの応用」に行かないんですよね、ゲームオタクは。ひたすらテレビゲームをしてるだけで。

それはなぁ、違うよなぁって思うんですが。

ビデオゲームなんて、まぁひと月もあれば、ゲームクリアに必要な「スキル」なんて身に付いてしまいます。で、その「スキル」は、ゲームの中だけでしか役に立ちませんからな。ああ、もったいない。

面白いゲームは楽しめばいいと思うんだけど、次から次にゲームしてるってのは、やっぱり僕はおかしいと思うんですけどねぇ。
どうなんやろ。ゲームは本当に面白いと思えるものだけ遊べば、それで充分ですわ。僕は。

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という事で、この本一冊終えるのに、10か月では無理という感じになってきてるんですが、実は、この本には続刊として

「スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング 」

という本も出てまして、これも練習する予定なんですよね。そうなると、この2冊をやるだけで20か月以上かかることになるので、丸二年を費やすことになります。

うげー。膨大な時間だなぁ。うーむ。

でもウクレレでの学習過程をあてはめると、まぁそのくらいかかって当たり前なんだよね。しゃーないわな。

という事でテレビゲームもテレビを見る事も、ちょっと控えて、ひたすら練習の日々ですな。

うむ。
えー、なんとはなしに近況報告的なことが書きたくなったので、ちょっと書いてみます。

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●携帯を落とした話。

英語の練習をやってるわけですが、この間ひさしぶりに電車の中で練習をしまして。
で、いつも時間を計ってるわけです。一ページあたり何分でできるかと。最初は一ページに二十分とかかかるわけです。音読しつつ暗唱してとか繰り返すから。
でも、日々やってると、10文を2分とかでやれるようになってくるんですね。

で。

この時間計測に、携帯のストップウォッチ機能を使ってるんですね。毎日のことですから、いまや携帯は通話に使うよりメールに使うよりストップウォッチ機能が重要になってたりするんですが、測ってる間はカバンの中にほおりこんだり、ポケットに入れたりするわけですよ。携帯を。

でも、その日はなぜか、ひょいと座席のシートの上に置いてしまいまして、で、電車が駅についた時にあわてて降りたのでそのまま忘れてしまったんですね。カバンに入れたつもりになってたわけです。

で、家に帰ってからカバンを開けて、「ない!」ってなりまして、あわてまくったわけですが、まぁいろいろ紆余曲折があって、ふたたび手元に戻ってきました。駅員さんありがとう。って感じなんです。

が、ここで学習したことがいくつかあるので、みなさまとシェアする気持ちで整理しておきますと…。

●携帯は落としても出てくる事が意外に多い。
●落とし物ケータイは、各キャリアのお店に届けても受け取らない。
●すべてのケータイは警察に集められ、警察から各キャリアに番号とともに「調査依頼」が出される。
●調査依頼を受けたキャリアは番号の持ち主に「郵送」で紛失した携帯があったと顧客に連絡する。
●紛失した携帯は、番号停止はすぐに行える。
●携帯を紛失しても、電話番号は変更せずに「機種変更」で新しく携帯を手に入れることができる。

というような事です。
この経験でわかった事は、携帯は紛失したからと言って、すぐに機種変更とかしない方が良いかな?って事ですね。出てくる可能性はけっこう高いように思います。

ただ、数日間は手元に携帯がない環境になるわけで、これが耐えられないという人が多いのでしょうね。
あと携帯の中にだけ連絡先を入れていてバックアップがない場合の辛さはあるでしょう。

私の場合はバックアップはたいていあったので困らなかったんですが。まぁ、今年の春に携帯を変えた友人がいて、その男とは連絡がつかなくてちょっと困りましたけど。バックアップ取ってなかったし。
まぁ、とにかく、落とした! と思っても、あわてずに、固定電話とかメールとかで、つながりのある人には連絡しておくというのが良いですね。

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●仕事の話

一年半ほど前に、いつも一緒にお仕事をしている印刷会社の人たちと「ネットの時代やし、インターネットで集客する仕組みを作りましょうか?」という話をしていて、それを実際に形にしてみたのですね。

特定の印刷物に絞って、ニーズを明確にして、「うちはこれの専門家ですよ。パッケージで全部やりますよ。」というような形にして、サイトを作ったわけです。
ネットのキーワード広告も出して、サイトオープンしたのが、去年のちょうど今ぐらい。年明けからちらほらと仕事が発生し始めて、少しずつ仕事が増えてきて、一年たった今では、けっこうな売り上げになってきてます。
っちゅうか、仕事が詰まってきて全部は片付けられないよなぁっていう感じ。

ネットってすごいね。いやしかし。
そこの印刷屋さんは、なかなか賢い人たちなので、こういう事を、積極的に考えるし、チャレンジするし、一緒に仕事をしていて実に楽しいです。

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●一人合奏の話。

ウクレレをずっとやってるのですが、最近、また教室のアンサンブル(=合奏)の教科書が新しく増えたので、少し難しめの合奏のスコアとか出てきたのですね。

で、合奏の練習というのは、いくつかあるパートを個別に練習するしかないわけですよ。みんなが集まるのは、教室でだけだし。

そうすると、自宅では複数のパートがひとつになった状態を聞くことができないんですね。
これがつまらないので、前は手持ちのボイスレコーダーにどれかのパートを入れて、それを再生して一人合奏とかしてたんです。

でも、これも2パートくらいなら、まぁやれなくもないんですが、3パートくらいになると面倒くさくてやる気になれないわけですよ。何かと手間ですから。

でも、先日、こんな便利なものがあるのを知りまして。

BOSS MICRO BR
http://www.roland.co.jp/products/jp/MICRO_BR/index.html

なんちゅうんでしょう。文庫本サイズのミニミニ・デジタル・ミキサーとでも言うんでしょうか。(あ、確認したら文庫本よりはるかに小さかった。手帳サイズかな?と思って自分の手帳とくらべてみたら手帳より数ミリ小さい。すげー。)4トラックの音源の同時再生ができて、それぞれのトラックに編集用のサブトラックが8本ずつ、計32トラックがあって、相互にリミックスできるから、けっこうな事ができるというもの。

それだけじゃなくて、エレキギターのエフェクターも内蔵していて、ドラムスのリズムパターンも内蔵(パターンの編集構成ができるので、ようは簡単なドラムパートなら、この機械にまかせておくことができる)してる。

録音したデータは各トラックを好きな位置に音像を定位したうえでステレオMP3データとして焼くこともできて、なおかつ、MP3プレーヤーとしても使えるし、MP3データをベースにして、自分の演奏を重ねることもできるし、ボーカル入りの曲ならセンター音の低減化でカラオケ状態にまでできるという高機能。

入力もエレキギターの普通の大きさのジャックもついてるし、マイクも内蔵してて、もうまさに言うことなし。
なんだこれ! すげー!!!ってなもんです。

もう、これは、すごく良いオモチャだなぁと思って、つい買ってしまったのであります。
いや、携帯も戻ってきたしね。携帯が出てこなかったら機種変更でお金がかかるところだったから、まぁ買ってもいいかと思って。

でも、これだけ多機能で2万5千円ですからなぁ。ものすごく安いと思う。だって、チューナー機能も付いてるのですよ。チューニングマシンとして使える。デジタルチューナーってそれだけ単品で買えば5000円くらいするしねぇ。リズムマシーンとしても使えるんだし、エフェクターにもなるし、小さいし、これは本当に良いです。

ただ欠点が2つだけあって、リズムパターンに3拍子がないのと、内蔵スピーカーがないってこと。この2つだけが欠点ですなぁ。
うーん。
でも、それほど大きな問題ではないので、私的には大満足。これはなかなか良いです。たっぷり遊べそうです。

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