升の市・住吉寄席
2007年10月7日mixiに書いた日記だけど、こっちにも載せておきたくなったので、転載。
最近mixiは画面デザインが変って、ものすごく見にくくなったので、よそに移ろうかなぁとか思ってます。個人的な知り合いとかたくさん呼んでしまってるから、移るとなるとみなさんに声かけをしないといけないのが面倒。ほんとにあのデザインは嫌なんよなぁ。うーん。困った。
ともあれ、転載です。
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えー、私、大阪は住吉大社の近くに住んでおるわけですが、実は本日、その住吉大社で地元の振興会と米朝一門による落語会がありまして、見に行って参りました。
mixiには、全国の方がおられますので、ローカル情報をちょっと解説すると、毎年正月になると、神社の参拝人数の話が出てますが、そのトップニュースに良く取り上げられているのが住吉大社でありまして、けっこう有名で、由緒ある神社でもあります。
で、ここへ、母親孝行も兼ねまして、母親を呼んで出かけたわけですが、良かったのは会場であります。
住吉大社には「神館(しんかん)」と言う建物がございまして、これが有形重要文化財なんやそうでございます。(口調が落語っぽくなってきた。)
そういう建物の中で落語が聞けるというだけでもおもしろいのですが、これに加えて、なんとなんと、人間国宝、桂米朝さんの座談も聞けるという事ででかけたわけです。
なんと重要文化財のなかで人間国宝を見れるというですね、まことにありがたいお話しなのでございます。
入ってみれば、実に気持ちの良い空間でありまして、ガラス戸の向こうにお庭が見えるんですが、そこにある楠(くすのき)が樹齢800年。通常は門がしまっていて、外からは見えない場所の大木だったので、感慨深いものがありました。
さて出演者と演題ですが、
●ときうどん 桂吉の丞
●禍は下から 桂すずめ
●替わり目 桂千朝
●ちしゃ医者 桂雀三郎
●座談 桂米朝
というラインアップだったわけですが、人間国宝、米朝師匠もおん歳82歳だそうで長い話はもう無理とおっしゃり、特別サービスに小話を2つやってくださってそれでおしまい。あとは直接の弟子である桂すずめと桂千朝がお相手をしながら座談会という形でありました。
大阪に住んでいながら、実は米朝師匠の落語を生では聞いたことがないというのを、今日改めて悔やんでしまったわけですが、それでも直接お顔を拝見できて、私的には大変満足したのでありました。
関東の方にはなじみがないかもしれないので、ちょいと説明しておきますと、米朝師匠には何人も弟子がおられまして、たとえば、昔のウィークエンダーのレポーターとして泉ピン子と並んでいた、桂朝丸、現在の桂ざこばさんとか、東京でも爆笑王として有名な故・桂枝雀(かつら・しじゃく)さんも、米朝さんのお弟子さんです。
また、10年に一度の天才と言われながらも若くしてお亡くなりになった桂吉朝(かつら・きっちょう)さんも米朝さんのお弟子さんです。(このあたりになると、関東の人には全然わからないと思いますが。)
将来を嘱望されていた、弟子二人が亡くなってしまって、米朝師匠はご健在という事で、なんとも言えず感じ入るところが多かったのですが、上記にある桂吉の丞が吉朝の弟子、桂雀三郎が枝雀の弟子でして、米朝さんからは孫弟子にあたる人です。
雀三郎さんは、焼き肉食い放題のヨーデルを唄って人気が出たり、ギターを弾いたりと器用でおもしろい落語家さん。師匠の枝雀さんの自由闊達な空気が育てた枝雀ファミリーの重要人物でございます。
孫弟子まで出て、その幅の広い人材に、ああ、やっぱり米朝一門がいて良かったなぁと、しみじみと思うのです。
というのは、東京だと鈴本演芸場だとか落語の定席の小屋がございますが、大阪には、ついこのあいだ天満の天神さんの横に天満天神繁昌亭が出来るまで、そういう落語を定期的にやる小屋というのがありませんで、地域寄席など地道な活動で笑いの伝承をやってきたのが米朝一門、という側面があるからなのです。
(他にもいろいろやっておられる方もおられますが。)
そういう地域・地元との密着の中の寄席っていうものの、なかなかに良い形が、この升の市・住吉寄席であるなぁと感じた次第です。
というのも、紹介が最後になりましたが、演者の中にある「桂すずめ」というのは、知る人は知っている、女優の三林京子さんなのですね。
関東の人で知ってる人は、ちょっと少ないかも知れませんが。
この三林京子さんというのは、もともと住吉大社のそば、粉浜の住人。まさに地域住民なのでございまして。
そういう方が出ているというところも楽しいところですが、しかし、「いつのまに三林京子は落語家になっとったんやー!!!」という事の方が、私的にはびっくりでございましたが。
なんか知りませんが、米朝師匠の最後の弟子なんやそうです。でも稽古はつけてもろてないっちゅう話で、なんやようわからんのですが、まぁ女優と落語家と二足のわらじで食っていけるからええやろ、となったようで。
この三林京子さんも、もともとは文楽(人形)の演者の娘さんで、米朝師匠とは子供の頃からのお知り合いだったそうです。
こういう歴史とかつながりが、そのまま残ってるのが、大阪文化の良いところかも知れません。
ともあれ、落語としての今日の目玉は、実は千朝さんの「替わり目」がいちばん良かった。雀三郎さんのちしゃ医者も、かなり、ダイナミックにうけておりましたし、「ニン」が話と合っていて実に良かったのですが、それでもやっぱり千朝さんの「替わり目」が、僕的には良かったかなぁ。
千朝さんは一時期、先に紹介した吉朝さんと並んで「正統派落語は千朝、おもしろ落語は吉朝が米朝の落語を継ぐ」と言われていたのだそうですが、経済的な理由から、落語家を廃業して、他の職業に就いておられたそうです。
しかし、その同門の才能ある落語家の廃業が吉朝さんを刺激して、発憤していろいろ頑張られた時期になるそうで、千朝さんが廃業している間に吉朝さんは正統派落語を身につけたわけです。
僕は残念ながら吉朝さんの落語は生で一回だけしか見てないのですが、亡くなる前年くらいで、もっとも円熟している時期。それはもう見事なものでした。
で、今日は廃業後、同門の人間から「あいつの才能は惜しい」と復活を遂げた千朝さんの落語を聞いたのですが、おどろくなかれ、まくらは夢路いとし喜味こいしの「物売りの声」のネタで、話の展開、くすぐりには、枝雀さんを彷彿とさせる爆笑路線があり、途中で瞬間、しんみりさせる小ネタをはさんで、定番のところで落とすという「おもしろ・本格落語」。なんちゅうか、こんどは「吉朝さんの分も取り戻すぞ」という感じを感じるのです。
こうして文化というのは伝承されるのだなぁと、つくづく思うのです。
そんなこんながあって、感慨深く、玉砂利の上を歩いて住吉大社を後にし、帰り道では、地元で古くから続く洋食屋「やろく」で食事をして帰った、今日この頃なのでございます。
最近mixiは画面デザインが変って、ものすごく見にくくなったので、よそに移ろうかなぁとか思ってます。個人的な知り合いとかたくさん呼んでしまってるから、移るとなるとみなさんに声かけをしないといけないのが面倒。ほんとにあのデザインは嫌なんよなぁ。うーん。困った。
ともあれ、転載です。
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えー、私、大阪は住吉大社の近くに住んでおるわけですが、実は本日、その住吉大社で地元の振興会と米朝一門による落語会がありまして、見に行って参りました。
mixiには、全国の方がおられますので、ローカル情報をちょっと解説すると、毎年正月になると、神社の参拝人数の話が出てますが、そのトップニュースに良く取り上げられているのが住吉大社でありまして、けっこう有名で、由緒ある神社でもあります。
で、ここへ、母親孝行も兼ねまして、母親を呼んで出かけたわけですが、良かったのは会場であります。
住吉大社には「神館(しんかん)」と言う建物がございまして、これが有形重要文化財なんやそうでございます。(口調が落語っぽくなってきた。)
そういう建物の中で落語が聞けるというだけでもおもしろいのですが、これに加えて、なんとなんと、人間国宝、桂米朝さんの座談も聞けるという事ででかけたわけです。
なんと重要文化財のなかで人間国宝を見れるというですね、まことにありがたいお話しなのでございます。
入ってみれば、実に気持ちの良い空間でありまして、ガラス戸の向こうにお庭が見えるんですが、そこにある楠(くすのき)が樹齢800年。通常は門がしまっていて、外からは見えない場所の大木だったので、感慨深いものがありました。
さて出演者と演題ですが、
●ときうどん 桂吉の丞
●禍は下から 桂すずめ
●替わり目 桂千朝
●ちしゃ医者 桂雀三郎
●座談 桂米朝
というラインアップだったわけですが、人間国宝、米朝師匠もおん歳82歳だそうで長い話はもう無理とおっしゃり、特別サービスに小話を2つやってくださってそれでおしまい。あとは直接の弟子である桂すずめと桂千朝がお相手をしながら座談会という形でありました。
大阪に住んでいながら、実は米朝師匠の落語を生では聞いたことがないというのを、今日改めて悔やんでしまったわけですが、それでも直接お顔を拝見できて、私的には大変満足したのでありました。
関東の方にはなじみがないかもしれないので、ちょいと説明しておきますと、米朝師匠には何人も弟子がおられまして、たとえば、昔のウィークエンダーのレポーターとして泉ピン子と並んでいた、桂朝丸、現在の桂ざこばさんとか、東京でも爆笑王として有名な故・桂枝雀(かつら・しじゃく)さんも、米朝さんのお弟子さんです。
また、10年に一度の天才と言われながらも若くしてお亡くなりになった桂吉朝(かつら・きっちょう)さんも米朝さんのお弟子さんです。(このあたりになると、関東の人には全然わからないと思いますが。)
将来を嘱望されていた、弟子二人が亡くなってしまって、米朝師匠はご健在という事で、なんとも言えず感じ入るところが多かったのですが、上記にある桂吉の丞が吉朝の弟子、桂雀三郎が枝雀の弟子でして、米朝さんからは孫弟子にあたる人です。
雀三郎さんは、焼き肉食い放題のヨーデルを唄って人気が出たり、ギターを弾いたりと器用でおもしろい落語家さん。師匠の枝雀さんの自由闊達な空気が育てた枝雀ファミリーの重要人物でございます。
孫弟子まで出て、その幅の広い人材に、ああ、やっぱり米朝一門がいて良かったなぁと、しみじみと思うのです。
というのは、東京だと鈴本演芸場だとか落語の定席の小屋がございますが、大阪には、ついこのあいだ天満の天神さんの横に天満天神繁昌亭が出来るまで、そういう落語を定期的にやる小屋というのがありませんで、地域寄席など地道な活動で笑いの伝承をやってきたのが米朝一門、という側面があるからなのです。
(他にもいろいろやっておられる方もおられますが。)
そういう地域・地元との密着の中の寄席っていうものの、なかなかに良い形が、この升の市・住吉寄席であるなぁと感じた次第です。
というのも、紹介が最後になりましたが、演者の中にある「桂すずめ」というのは、知る人は知っている、女優の三林京子さんなのですね。
関東の人で知ってる人は、ちょっと少ないかも知れませんが。
この三林京子さんというのは、もともと住吉大社のそば、粉浜の住人。まさに地域住民なのでございまして。
そういう方が出ているというところも楽しいところですが、しかし、「いつのまに三林京子は落語家になっとったんやー!!!」という事の方が、私的にはびっくりでございましたが。
なんか知りませんが、米朝師匠の最後の弟子なんやそうです。でも稽古はつけてもろてないっちゅう話で、なんやようわからんのですが、まぁ女優と落語家と二足のわらじで食っていけるからええやろ、となったようで。
この三林京子さんも、もともとは文楽(人形)の演者の娘さんで、米朝師匠とは子供の頃からのお知り合いだったそうです。
こういう歴史とかつながりが、そのまま残ってるのが、大阪文化の良いところかも知れません。
ともあれ、落語としての今日の目玉は、実は千朝さんの「替わり目」がいちばん良かった。雀三郎さんのちしゃ医者も、かなり、ダイナミックにうけておりましたし、「ニン」が話と合っていて実に良かったのですが、それでもやっぱり千朝さんの「替わり目」が、僕的には良かったかなぁ。
千朝さんは一時期、先に紹介した吉朝さんと並んで「正統派落語は千朝、おもしろ落語は吉朝が米朝の落語を継ぐ」と言われていたのだそうですが、経済的な理由から、落語家を廃業して、他の職業に就いておられたそうです。
しかし、その同門の才能ある落語家の廃業が吉朝さんを刺激して、発憤していろいろ頑張られた時期になるそうで、千朝さんが廃業している間に吉朝さんは正統派落語を身につけたわけです。
僕は残念ながら吉朝さんの落語は生で一回だけしか見てないのですが、亡くなる前年くらいで、もっとも円熟している時期。それはもう見事なものでした。
で、今日は廃業後、同門の人間から「あいつの才能は惜しい」と復活を遂げた千朝さんの落語を聞いたのですが、おどろくなかれ、まくらは夢路いとし喜味こいしの「物売りの声」のネタで、話の展開、くすぐりには、枝雀さんを彷彿とさせる爆笑路線があり、途中で瞬間、しんみりさせる小ネタをはさんで、定番のところで落とすという「おもしろ・本格落語」。なんちゅうか、こんどは「吉朝さんの分も取り戻すぞ」という感じを感じるのです。
こうして文化というのは伝承されるのだなぁと、つくづく思うのです。
そんなこんながあって、感慨深く、玉砂利の上を歩いて住吉大社を後にし、帰り道では、地元で古くから続く洋食屋「やろく」で食事をして帰った、今日この頃なのでございます。