2009.7.22追記-----------------
急にアクセスが増えて大変迷惑しております。とりあえず扇情的なタイトルがいろいろ刺激してる部分も大きいと思うので、言いたい事が伝わりやすいと思うタイトルに変更しました。
タイトルの意味は「まだ科学的に明らかにする手法が整っていないだけでは?」という意味を含みます。
なお、私は学者ではありませんのであしからず。
009.7.21追記-----------------
思うと、どうもこのページがいろいろ引用されてるみたいです。
先に概略だけ言っておきますが「O型とAB型の間に実子関係はない」というのは科学的事実であって、その科学的事実に沿って、性格や文化との関連性を考える、ということは、科学的に可能なんじゃないですかね? というか、大前提となる科学的事実でしょ?
その科学的事実が性格を形作るにもっとも影響の大きな「家庭環境」を左右する要因になるわけだから「科学的根拠はない」と言うほうがどうかしてると僕はおもいます。
「科学的根拠はない」と言うより、「どうやって調べたらええか、よーわからんわ。」と違うんかい? って思うけど。
家庭環境が科学的事実によって明確に規定できるんだから、そこをとっかかりに調べればいいのに。同じ作物でも寒冷地と温暖地では収量に差ができるとか当然でしょ?
それを「作物と温度との間に関連があるという科学的根拠はない」と言うてるようにしか思えないですね。私は。
追記終わり--------------------
最近、血液型に関する話題で、マスコミなんかでもそうなんですが、「血液型と性格の相関性には科学的根拠がないと言われてますが」と前置きして語られる事が増えてるんですよね。
で、なんか、「私は科学的な人間である」というような人が(学者であることもあるようです。このあたりは良く知りません。)「血液型と性格の間の相関は科学的に認められていませんから、そこに科学的根拠はありません。」と断言したりしてるんですよね。
そういう発言を聞くと、
●お前らはパァ? 学者を辞めろ、バカ!
としか思わないんですよねぇ。
なんでか?
それはものすごく簡単な事なんです。科学的事実から簡単に「こいつらパァや!」と立証できるんです。その証拠とは、
●O型とAB型の間に実子関係はない。
からです。
これ、科学的な事実ですからね。
どう頑張っても、O型の人は、AB型の子供を持つことができません。AB型の人間と結婚しても、生まれるのはA型かB型です。
おなじくAB型の人間がO型の子供を持つことはできませんし、この両方の逆、O型AB型の子供が、それぞれに自分とは異なる血液型であるO型AB型の親に育てられる事はないのです。
良いですか?
人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。で、この「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実は、その両方に明確に影響するであろう因子です。
だから、絶対に、どうあろうが、100%、必ず、性格と血液型の間には関係性があるんです。
絶対にあるはずなんです。
ないわけがない。
こんな事は、「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という単純な事実を頭に入れていれば、どうしたって考えざるを得ない事なんです。
仮に「血液型と、性格の間に相関関係はない」とする仮説を立てて、それを証明することにしたとしても、この「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実要素を、どうクリアして「相関性はない」と証明するのか? それはほとんど不可能に近いし、そういう証明をしようと考える方が頭がどうかしていると言わざるをえません。
「●O型とAB型の間に実子関係はない。」
というのは、言うならば、「住んでいる場所が異なる」というような、元から存在している所与の条件です。
ですから、たとえば、地域社会の研究のように、血液型ごとに文化が違うはずであるという前提のもとにフィールドワークを重ねていくというやり方しかできないはずのものなのです。
文化人類学とか、そういう種類の学問で考えるべきことだっちゅうことです。
ですから、
●もともと、個別に調査を重ねていくべき種類のテーマやろうが! ボケナス!
という事ですね。
で、血液型と性格の間の相関を示す「科学的根拠」がないのは、
●調べる方法がないから
というだけの話やないか!
ちゅうことなわけですよ。
血液型と性格の間の相関は、たとえば、ひとりの人間が長く生きてきて、いろいろな人と知り合って、で、あるAさんと、後に知り合ったBさんが、二人共に自分には理解できないような考え方とか、物事の捉え方をしていて「不思議な考え方だなぁ」と思っていたら、後からよくよく確認したら、そのAさんとBさんが、同じ血液型だった! しかも自分とは異なる血液型だった! というような事をいくつか体験した「結果」として、「相関があるのではないか?」という疑問が出てきた、という事ですよ。
つまり、まず「事実」が先行している、と言うことです。
「●O型とAB型の間に実子関係はない。」
という事実が先に存在しているって事です。
親子関係という、もっとも性格構築において重要な決定をあたえる要素が「環境」「所与の条件」ごと、まったく違うという仕組みが、この世にはあるって言うことです。
で、それを科学は、いまだに測定する方法すら見つけられてない、と言うだけの話で、ようは学者がさぼってる、というだけのことです。
自分がさぼっていることを理由に「血液型と性格の間に相関関係があるかどうかは科学的に証明されていません。」とか言うなよ! バカ!
ということです。
だいたい、「うまみ調味料」ってのがありますが、あれも、「食べ物には、甘みや辛みのほかに、どうも『うま味』というべき要素がある」という事実が先行していて、その「うま味」の正体を確認する過程で生まれてきたわけですよ。
つまり事実が先行していたってことです。
その「何やらわからないけれども、どうも何かあるようだ」ということを、真面目にキチンと調べるのが学問であって、それを端から「科学的根拠はありません」と一刀両断にするとはどう言うことだ?
否定するならするで、それこそ「科学的根拠」で「血液型と性格の間に相関関係はないです」と言え! バカモンが。
で、それは言えるのか?
「●O型とAB型の間に実子関係はない。」
という圧倒的に証明されまくっている遺伝学的事実があるにも関わらず、それでも「科学的根拠はありません」と、その相関性を考えること自体を否定するのか?
それはおかしかろう。
そういう意味で、「血液型と性格の相関には科学的根拠がないと言う学者は、学者を辞めろ。」と僕は言いたい。どう考えても、科学者の言うべき言葉ではないのですよ。それは。
そういう言い方は、
「地域ごとの文化の違いが、距離や気候・風土との相関関係があるとは科学的に根拠がありませんから言えないのです。」と言ってるようにしか聞こえないわけですよ。どう考えても。
繰り返しますが、
●O型とAB型の間に実子関係はない。
というのは、遺伝学的に証明されている、所与の条件ですよ?
なら、その所与の条件が性格とどう関係するのかを、キチンと調べる事こそが正しい科学ではないですか? 違いますか? そうでなけりゃ、科学に意味なんかありゃしませんよ。
だから「血液型性格判断は科学的根拠なし」と言ってるような学者がいたら、それは全部偽物だってことです。
それはあまりにおかしい。
で、所与の条件で、いまだに解明されていない事の代表例で言うなら「人間が生きている事」というのがあるわけですよ。
いまだに人間は科学の力で人間を生み出せてないわけです。
しかし、人間は生きているし、子供も作るし、考えるし、悩むし、泣くし、愛して死んでいくんです。
そのすべては科学的に証明されていないし、科学的根拠もありません。
で、そんな事は所与の条件として「ある」んですよ。別に科学に存在を許してもらったから存在してるわけやないわい。あほかいな。っちゅうことです。
その「わからないけれども、『ある』事を、いかに解明していくか?」が科学で、少なくとも遺伝学的には「O型とAB型の間に実子関係はないよな。これは所与の条件として存在しているよな」というところまでは、科学が証明できるようになってきている、というのが現実です。
それを「科学的根拠はない」と解明の道を押しとどめてどうする!
何をやっとんねん、貴様は!
お前なんか首くくって死ね!
っちゅう話です。
最近どうも、そういうおかしな風潮が見て取れたので、書くことにしました。
ほんと、そういう奴は学者をやめてくれって思うんよなぁ。ほんとに。
どこかおかしいと思います。
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このアーティクル、言葉足らずだと思ったので、追加補足を書きました。
●血液型性格判断は科学である必要などない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200906261017184771/
です。
よろしく。