街なかの写真屋さんというのは大変な歴史を持っているという話。
2009年6月14日 日常この間、プライベートなメールで写真の話を書いた事がありまして。
その影響で、ふと、ここで「街なかの写真店さん」について書いておきたくなりました。
というのも、この数年、というか、かれこれ10年近く、仕事で街なかの写真店さんの販売促進のお手伝いしてるんです。
で、その中で写真店さんを直接取材することも多くて、街の写真屋さんの経営の変転変化をいろいろを見聞きしていて、ちょっと書いてみたいなぁって思ったんです。
何より言いたいのは「写真」という媒体の面白さと、根強い人気という事なんですね。というのは、この写真店さんが、とにかくものすごい「技術の変革」に翻弄され続けてきた業種であって、であるにも関わらず、ものすごく苦労と工夫を重ねながらでも、いまだに「街の写真屋さん」という業態が成り立っているし、またこれからも成立し続けるんだろうなぁ、って思うからなんですね。
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写真の歴史そのものは、実は最初のダゲレオタイプが発明されたのが1940年ごろで、日本にやってきたのが1948年、鎖国終了が1858年ですから、あまり世界とタイムラグなしで日本にも技術が入ってきてるものなんですね。
で、たぶん明治・大正・昭和の初期までは、おそらくは「街の写真館」というのがあって、そこで「写真師に撮ってもらう」のが写真だったのだろうと考えられます。この時代の事は僕には良く分からないんですが。
ただ、35mmフィルムカメラの誕生が1925年(大正14年)でして、それを考えると、
●一般の人間が写真を撮る
という文化は、おそらく昭和に入ってから始まったんでしょう。
なので、普通の人が「自分の撮った写真を見て楽しむ・知り合いに見せる」というような行為は、まさに「昭和の文化」と言っても良いんですね。本当につい最近の風俗・風習だ、ということになります。
写真師に撮ってもらうものから、自分で撮る時代に変わっていくというだけでも、かなりの大変革だったんだろうな、とは思うのですが、そのあたりの事はリアルタイムには知らないので、なんとも言えません。
しかし、「自分で撮る」ようになった、この昭和の時代ですら、写真屋さんにおいては大きな技術変革が次々にありまして、商売の形態がゴロゴロ変わってるんですね。
大きく分けると、
1)白黒写真時代
2)カラー写真時代
3)店頭DPE機時代
4)デジカメ誕生
5)カメラ付きケータイ
というような流れになります。で、この時代の変化にあわせて、写真店さんというのは、
1)白黒写真時代-----→写真の「先生」
2)カラー写真時代---→受付所の「管理人」
3)店頭DPE機時代----→儲けるための「商売人」
4)デジカメ誕生-----→衰退産業の代表例
5)カメラ付きケータイ-----→コミュニケーション業の魁(さきがけ)? さてどうなるか?
というような「役割の変更」をしてきてます。
簡単に説明すると、白黒時代は現像やら紙焼きやらの方法を教えたり、撮り方を教えたり、機材の提供をしたりという「先生」だったわけです。
で、その後カラーフィルムの登場によって裾野が膨大に広がって、個人店舗ではこなしきれなくなってメーカーによる巨大ラボが現像紙焼きをやってた時代があったわけですね。
そういう時代の写真屋さんはお客さんの現像注文を取り次ぐだけの取次店でしかなかったわけです。
しかし、その後「45分ですぐにプリント!」という店頭DPE機が登場します。これは世界的ヒットでありまして、この機械によって写真は、「今日撮影したら今日プリントが見れる」という存在に変わったんですね。で、このDPE機がスーパーとかに入って「買い物をしてるうちにプリントできます」というサービスとして定着しました。
これは本当に大ヒットしまして、写真屋さんも大もうけできたんですね。
いま、デジカメだと、撮ってすぐに液晶画面で「ちゃんと撮れたかな?」と確認しますけど、この「確認のために見る」という部分を全部、わざわざプリントして見ていた時代が我々人類には存在していたんですよ。いまやこうして説明しないとわからなくなっちゃってますが。
だから、この「確認プリント」はとてつもなく大きな市場だったので、ものすごく、ものすごく儲かったんです。だいたい「現像代」というのと「プリント代」というのとで二重にお金を取ってましたから。
なので、この時代に、ものすごくたくさんの参入者が出てきたんです。「稼げる仕事だ!」と言うことで、この商売に入ってきた人がたくさんいたわけです。
なので、この時代の街の写真屋さんは、「商売人」としての側面がかなり大きかったわけです。
が、しかし、これもまた長続きしませんで、あっと言う間にデジカメが誕生して状況を変えてしまいます。液晶でその場確認できるようになったら「確認プリント」なんて誰もしなくなっちゃった。もう全然儲かりません。次々に業界から撤退です。
そりゃもう、潮が引くようにサーッと消えていったということですね。
しかし。
それでもやっぱり写真屋さんを続けてる人はいてるわけですよ。
言わば、衰退産業の中で、その殿(しんがり)を務めている人ですね。
やっぱりカメラ好きの人がいたり、海外旅行や結婚式やらで写真を撮ってプリントとして残したいと考える人がいてます。そういうのは紙に焼いて残しますから、その役割を担う商売というのが必要なわけです。
パソコンでホームプリンタ出力というのも楽しいのですが、そういうものも、何年も色あせがしないよ、という商品が出てきたのは、つい最近でして、それもどこまで色あせしないのかは、まだ検証されてないんですよね。本当に長年の歳月にさらされていないので、実際のところはわからないんです。でも銀塩プリントの方は少なくとも数十年の歴史がありまして、かなり長期間保存のノウハウとかがたまってるわけです。だからそういう点まで含めると、衰退産業の中で殿としてがんばってる人たちには大きなアドバンテージはあるわけです。
商売人が消えた後に残ってるのは、本当に写真が好きで、写真によるコミュニケーションの重要性を心底理解している人たちばかりなんですね。
市場が縮小していくわけですから、真に役立つ部分を理解していて、深くて多様なノウハウを持っている「写真屋さん」しか残れないわけです。
ちゃんと撮影スタジオを持っていて、記念写真やら証明写真を撮影できて、大事な写真を色あせせずに大判に引き延ばすとか、アルバムにして渡すとか、そこまでのことが的確にできる人だけが商売としてやっていけてるわけです。
で、いまはケータイ電話にカメラが常備され、パソコン用のホームプリンタが家庭に普通に入った時代です。なので、日常でカメラを持っている機会は多いし、結果がすぐ見れるので、一般人の写真の腕そのものもかなり上がっています。なのでシャッター数自体はどんどん増えていますし、その質も高いんですね。
なので、自宅でパソコン用のプリンタでプリントする人も出てきますが、いかんせん設定等かなり面倒なわけでして、単なるプリントならまだしも、パネルにするとかアルバム形状にするとなると、面倒でやらない。
でも、写真屋さんで手軽にそれをやってくれるなら利用したい、という人も増えていて、いまは「フォトブック」という、子供の写真とか、旅行の思い出とか、1テーマで一冊、両面プリントできれいにアルバム化するようなプリントが人気になってきてます。
プロの写真屋さん用のプリンタは、この両面プリントとか、色あせしないプリントをデジタルでやるとか、いろいろまた新しい技術革新が行われていて、また新たな「コミュニケーション業」としての写真屋さん、というものが改めて見直されてきていて、いまの時代に、逆に新たに「写真屋さん」になりたいという若い層も出てきてるんですよ。
いまトイカメラとか人気ですし、本当にプライベートな感覚で良い写真を撮る人が増えてきてますし。そういうのを、自分のセンスで生活に取り入れたいというニーズが日々ちょっとずつ高まっているという感じなんですね。
ということで、この50年くらいをふり返っても、写真業というのは
●写真の先生→●受付所の管理人→●儲けるための「商売人」→●衰退産業の代表例→●次代のコミュニケーション業
と、ものすごい変転変化を繰り返してきてるわけですね。
で、そのたびに、業態そのものが根本から変わるくらいの発想と役割の転換をしなくてはならなかったし、いま「親子2代でずっと写真屋をやってきてます。」と言うようなお店は、そういう流れを全部体験してきておられるわけなんです。
で、そういう大変な変転変化があっても、それでも写真店さんが写真屋さんを続けてる理由というのは何か? というと、それはやはり、写真というものが、それだけ、とても魅力的で、誰もに愛されている媒体だから、ということになるんですね。
結局、そこに尽きるんですが、長くなるので、文章を割ります。
続きはまた。
その影響で、ふと、ここで「街なかの写真店さん」について書いておきたくなりました。
というのも、この数年、というか、かれこれ10年近く、仕事で街なかの写真店さんの販売促進のお手伝いしてるんです。
で、その中で写真店さんを直接取材することも多くて、街の写真屋さんの経営の変転変化をいろいろを見聞きしていて、ちょっと書いてみたいなぁって思ったんです。
何より言いたいのは「写真」という媒体の面白さと、根強い人気という事なんですね。というのは、この写真店さんが、とにかくものすごい「技術の変革」に翻弄され続けてきた業種であって、であるにも関わらず、ものすごく苦労と工夫を重ねながらでも、いまだに「街の写真屋さん」という業態が成り立っているし、またこれからも成立し続けるんだろうなぁ、って思うからなんですね。
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写真の歴史そのものは、実は最初のダゲレオタイプが発明されたのが1940年ごろで、日本にやってきたのが1948年、鎖国終了が1858年ですから、あまり世界とタイムラグなしで日本にも技術が入ってきてるものなんですね。
で、たぶん明治・大正・昭和の初期までは、おそらくは「街の写真館」というのがあって、そこで「写真師に撮ってもらう」のが写真だったのだろうと考えられます。この時代の事は僕には良く分からないんですが。
ただ、35mmフィルムカメラの誕生が1925年(大正14年)でして、それを考えると、
●一般の人間が写真を撮る
という文化は、おそらく昭和に入ってから始まったんでしょう。
なので、普通の人が「自分の撮った写真を見て楽しむ・知り合いに見せる」というような行為は、まさに「昭和の文化」と言っても良いんですね。本当につい最近の風俗・風習だ、ということになります。
写真師に撮ってもらうものから、自分で撮る時代に変わっていくというだけでも、かなりの大変革だったんだろうな、とは思うのですが、そのあたりの事はリアルタイムには知らないので、なんとも言えません。
しかし、「自分で撮る」ようになった、この昭和の時代ですら、写真屋さんにおいては大きな技術変革が次々にありまして、商売の形態がゴロゴロ変わってるんですね。
大きく分けると、
1)白黒写真時代
2)カラー写真時代
3)店頭DPE機時代
4)デジカメ誕生
5)カメラ付きケータイ
というような流れになります。で、この時代の変化にあわせて、写真店さんというのは、
1)白黒写真時代-----→写真の「先生」
2)カラー写真時代---→受付所の「管理人」
3)店頭DPE機時代----→儲けるための「商売人」
4)デジカメ誕生-----→衰退産業の代表例
5)カメラ付きケータイ-----→コミュニケーション業の魁(さきがけ)? さてどうなるか?
というような「役割の変更」をしてきてます。
簡単に説明すると、白黒時代は現像やら紙焼きやらの方法を教えたり、撮り方を教えたり、機材の提供をしたりという「先生」だったわけです。
で、その後カラーフィルムの登場によって裾野が膨大に広がって、個人店舗ではこなしきれなくなってメーカーによる巨大ラボが現像紙焼きをやってた時代があったわけですね。
そういう時代の写真屋さんはお客さんの現像注文を取り次ぐだけの取次店でしかなかったわけです。
しかし、その後「45分ですぐにプリント!」という店頭DPE機が登場します。これは世界的ヒットでありまして、この機械によって写真は、「今日撮影したら今日プリントが見れる」という存在に変わったんですね。で、このDPE機がスーパーとかに入って「買い物をしてるうちにプリントできます」というサービスとして定着しました。
これは本当に大ヒットしまして、写真屋さんも大もうけできたんですね。
いま、デジカメだと、撮ってすぐに液晶画面で「ちゃんと撮れたかな?」と確認しますけど、この「確認のために見る」という部分を全部、わざわざプリントして見ていた時代が我々人類には存在していたんですよ。いまやこうして説明しないとわからなくなっちゃってますが。
だから、この「確認プリント」はとてつもなく大きな市場だったので、ものすごく、ものすごく儲かったんです。だいたい「現像代」というのと「プリント代」というのとで二重にお金を取ってましたから。
なので、この時代に、ものすごくたくさんの参入者が出てきたんです。「稼げる仕事だ!」と言うことで、この商売に入ってきた人がたくさんいたわけです。
なので、この時代の街の写真屋さんは、「商売人」としての側面がかなり大きかったわけです。
が、しかし、これもまた長続きしませんで、あっと言う間にデジカメが誕生して状況を変えてしまいます。液晶でその場確認できるようになったら「確認プリント」なんて誰もしなくなっちゃった。もう全然儲かりません。次々に業界から撤退です。
そりゃもう、潮が引くようにサーッと消えていったということですね。
しかし。
それでもやっぱり写真屋さんを続けてる人はいてるわけですよ。
言わば、衰退産業の中で、その殿(しんがり)を務めている人ですね。
やっぱりカメラ好きの人がいたり、海外旅行や結婚式やらで写真を撮ってプリントとして残したいと考える人がいてます。そういうのは紙に焼いて残しますから、その役割を担う商売というのが必要なわけです。
パソコンでホームプリンタ出力というのも楽しいのですが、そういうものも、何年も色あせがしないよ、という商品が出てきたのは、つい最近でして、それもどこまで色あせしないのかは、まだ検証されてないんですよね。本当に長年の歳月にさらされていないので、実際のところはわからないんです。でも銀塩プリントの方は少なくとも数十年の歴史がありまして、かなり長期間保存のノウハウとかがたまってるわけです。だからそういう点まで含めると、衰退産業の中で殿としてがんばってる人たちには大きなアドバンテージはあるわけです。
商売人が消えた後に残ってるのは、本当に写真が好きで、写真によるコミュニケーションの重要性を心底理解している人たちばかりなんですね。
市場が縮小していくわけですから、真に役立つ部分を理解していて、深くて多様なノウハウを持っている「写真屋さん」しか残れないわけです。
ちゃんと撮影スタジオを持っていて、記念写真やら証明写真を撮影できて、大事な写真を色あせせずに大判に引き延ばすとか、アルバムにして渡すとか、そこまでのことが的確にできる人だけが商売としてやっていけてるわけです。
で、いまはケータイ電話にカメラが常備され、パソコン用のホームプリンタが家庭に普通に入った時代です。なので、日常でカメラを持っている機会は多いし、結果がすぐ見れるので、一般人の写真の腕そのものもかなり上がっています。なのでシャッター数自体はどんどん増えていますし、その質も高いんですね。
なので、自宅でパソコン用のプリンタでプリントする人も出てきますが、いかんせん設定等かなり面倒なわけでして、単なるプリントならまだしも、パネルにするとかアルバム形状にするとなると、面倒でやらない。
でも、写真屋さんで手軽にそれをやってくれるなら利用したい、という人も増えていて、いまは「フォトブック」という、子供の写真とか、旅行の思い出とか、1テーマで一冊、両面プリントできれいにアルバム化するようなプリントが人気になってきてます。
プロの写真屋さん用のプリンタは、この両面プリントとか、色あせしないプリントをデジタルでやるとか、いろいろまた新しい技術革新が行われていて、また新たな「コミュニケーション業」としての写真屋さん、というものが改めて見直されてきていて、いまの時代に、逆に新たに「写真屋さん」になりたいという若い層も出てきてるんですよ。
いまトイカメラとか人気ですし、本当にプライベートな感覚で良い写真を撮る人が増えてきてますし。そういうのを、自分のセンスで生活に取り入れたいというニーズが日々ちょっとずつ高まっているという感じなんですね。
ということで、この50年くらいをふり返っても、写真業というのは
●写真の先生→●受付所の管理人→●儲けるための「商売人」→●衰退産業の代表例→●次代のコミュニケーション業
と、ものすごい変転変化を繰り返してきてるわけですね。
で、そのたびに、業態そのものが根本から変わるくらいの発想と役割の転換をしなくてはならなかったし、いま「親子2代でずっと写真屋をやってきてます。」と言うようなお店は、そういう流れを全部体験してきておられるわけなんです。
で、そういう大変な変転変化があっても、それでも写真店さんが写真屋さんを続けてる理由というのは何か? というと、それはやはり、写真というものが、それだけ、とても魅力的で、誰もに愛されている媒体だから、ということになるんですね。
結局、そこに尽きるんですが、長くなるので、文章を割ります。
続きはまた。