えー、このブログに書いた、
世界大不況の原因。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812281240316894/
が、検索サイトで人気という事もあって、「じゃあ不況から脱出するには、どうしたらいいの?」というのがありまして、とても気になっておりました。
で、そんなこともあって、仕事で、少し関係があったので、以下の本を読んでみました。
脱「ひとり勝ち」文明論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4903908135
日本経済の勝ち方 太陽エネルギー革命
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4166606913
どちらも太陽電池とリチウムイオン二次電池と電気自動車について語っている本でして、これを読むと、
●未来は明るい!
という気持ちになってくるのが、とても良いのであります。
不況不況と暗い話ばっかりで嫌になってしまいますが、それは「お金」の問題だけにフォーカスしているからで、それよりももっと現実を動かしている「エネルギーの作り方・在り方」にフォーカスしたら、「うわ!こんな可能性があったのか!」と驚くことになります。
エネルギー問題を、単純化してしまうと、火力発電や原子力の話になりまして、これはようするに「石油」と「ウラン」の奪い合いの構図になるわけです。
これらは、どこまで行っても限りある資源ですから、もともと、
●未来はない
エネルギー体系なわけですよ。
いまの人類社会の仕組みは、すべて、この限界のあるエネルギーに支えられているからこそ、「未来はない」となって不安が渦巻き、不況やら戦争やらにおびえ苦しむという事になるわけです。目指すべき方向が見えないという事なんですね。
しかし、「太陽電池+蓄電池+電気自動車」をセットにして考えると、まずエネルギー自体が「繰り返し活用可能」な、
●未来のある
技術だというのが見えてきます。太陽電池を作るために石油やら電気やらは必要ですが、一度作れば、最低でも20年間は、太陽エネルギーをずっと使えるんですね。
しかも太陽というのは、地球全体、人の住んでいるところなら照っていますので、石油のように産出国とか利権を持った国だけが潤うというものでもないわけです。
設置したその日から電気が使えて、最低でも20年間はずっと使える。(耐用年数は実質はもっと長いと思います。)
で、ザクッと総量を言うなら、「脱『ひとり勝ち』文明論」によるなら、
「地球の地表面積の1.5%(=砂漠の全面積の7%)に太陽電池パネルを貼り詰めれば、世界中の70億人がアメリカ人と同程度のエネルギーを使った豊かな生活を送ることが可能になる。」
という事になりますし、「日本経済の勝ち方 太陽エネルギー革命」の言い方によれば、
「サハラ砂漠(1000万km2)の5~10%の面積にソーラー・パネルを敷き詰めると、世界のエネルギー需要の100%を生み出すことができる。」
という話になります。
で、この話がすごいのは、別にこれが50年後とか20年後には、という未来の話ではなくて、
●いますぐ実現できる
話なんだ、ってことです。
太陽電池というのは、ずっと太陽光→電気の変換効率が悪くて、少量の電気しか得られない媒体だという印象がありましたし、僕もずっとそう思ってたのですが現実には技術革新があって、いままで数%の変換効率だったものが、いまでは15~20%の変換効率にあがっていて、この効率なら、面積さえ確保できれば、世界中の電気需要をまかなえるというところまでになっている、ということなんですね。
で、この2冊の著者、おふたりともが、「あとは価格を下げる事が必要だから、政府主導で大量にソーラーパネルを生産できるような政策をすれば良い」と言う話になってます。年に10兆円規模の国家投資で、日本が世界に貢献できるエネルギー体系の転換を提案できるという話なわけです。
それだけでも壮大かつ、夢のような話ですが、ここに「電池」と「電気自動車」の話が加わって、話はより明るくなるんですね。
まずソーラーパネルだけでは、日中にしか電気が使えないわけですが、電池があればそれを貯めておくことができます。その電気を貯めるための技術として、リチウムイオン二次電池とスーパーキャパシタ(電気二重層コンデンサなど)があるんですね。
とくにリチウムイオン二次電池は電気の圧縮率が良いので、電気自動車の電池として、かなり可能性が高いのです。いまハイブリッドカーというのが話題になってますが、トヨタのプリウスに使われてるのがニッケル水素の電池だそうです。リチウムだともっと圧縮率が良くなるので、「エンジン」ではなく「モーター」で走れるようになります。
で、クルマがガソリンで動く「エンジン」駆動ではなく、電気で動く「モーター」駆動になるとどうなるか? というと、まず「ギアチェンジ」という操作がいらなくなるんですね。ガソリンエンジンだと低速な時にトルク(力)がないので、高速回転にしてギアでタイヤにゆっくりと力を与えるというやり方をしないといけないわけですが、モーターだと、そういう手間は電圧操作だけで済みます。
ということは、クルマのクランクやらシャフトやらの「力を伝えるための機構」というものが不要になりますので、たとえば、「脱『ひとり勝ち』文明論」の著者である清水浩さんが作った電気自動車、「Eliica(エリーカ)」だと、タイヤの中にモーターを入れ、しかもクルマの車輪を全部で8個に増やした構造になっているのですが、こうすると、エネルギー効率がすごくよくなるわけです。
「エンジン」のクルマのように、ギアやら鉄の棒やら、そういう持って回ったエネルギーの伝え方をするのではなくて、「モーター」のクルマなら、いきなりタイヤを回すことができる。エンジンクランクやらシャフトなどの力の伝達部品が多い事によって失われていたエネルギーを無くさずに済むわけです。
で、そのモーターを回すための電池は床に敷き詰めてしまう。こうすると、車内が広くて、荷物の積み卸しもラクで、一回の充電で300km(東京から名古屋くらいまで)の距離を走れるクルマが作れます。
しかも速度は、最大370km/hですから、新幹線より速い。そんなクルマが作れてしまうのだそうです。
しかも、
●電気代も安い。
というオマケまであります。
「日本経済の勝ち方 太陽エネルギー革命」によれば、三菱電機が開発中の「i MiEV(アイミーブ)」を引き合いに出して、東京大阪間の電気代を深夜料金で計算して500円としてます。
●東京-大阪間、500円!
まぁびっくりしてしまいます。(が、まぁこの計算は発電所が原子力を使っているとか、そういうことも勘案しないと、よろしくない話ですが。)
どちらの著者の方も「しかも、電気自動車ならCO2排出ゼロ!」という事をおっしゃるわけです。(僕は「CO2が地球温暖化の犯人かどうかわからないし、なにより地球温暖化が悪い事かどうかもわからない」と思う立場の人なので、この部分はどうでも良いですが。)
ともあれ、画期的は画期的でしょ?
で、こういう技術革新の基礎技術は、もうすでに世界に広がっていて、ついこの間まではソーラーパネルなんかは普及率その他でも日本が世界のトップだったのだけれど、ドイツや中国に抜かされてるんだそうです。
●あかんやん!
ちゅう話ですね。
●がんばらな!
ちゅうことです。
たとえば電気自動車でも、アメリカではテスラ・モーターズの「ロードスター」というスポーツカーがすごい人気だそうですし、つぶれかかってるGMだって、モーター駆動で、緊急用発電機としてガソリンエンジンを積んだ「ボルタ」という電気自動車を開発しているのだそうです。
ようするに、もう、地球全体が、「太陽電池+蓄電池+電気自動車」の世界に走り出してるし、そっちにどんどん行かないとアカンよ、という話です。
で、重要なのは自動車という、いちばんの「石油食い」の道具が電気に変わって、しかも電気の供給が太陽電池という「繰り返し使用可能」な供給源になると、石油の利権争いであるとか、産油国の利権争いであるとか、先進国と途上国の経済格差とか、そういう「限界あるエネルギーによって規定されてしまっていた問題」のほとんどが、解決とは言わないまでも、根本からひっくり返ってしまう、という事なんですね。
もう、いままでの石油という「有限界エネルギーによる世界観」が通用しなくなる。「循環系エネルギーによる新しい価値体系」を生み出していく可能性がある。
という話なわけです。
それがどういうものになるのかは、全然わからないですけど、かなり面白そうな話です。
実際僕は、上記の太陽電池を生産する工場の生産設備の効率化を図るための装置のパンフレットを作っていたり、電気二重層コンデンサを作っている会社の投資家向けパンフレットを作っていたり、リチウムイオン二次電池の素材開発に役立つ分析機器のパンフレットを作っていたりしますんで、このあたりの動向をひしひしと感じます。
不況のおかげで、いまいち動きの鈍かった「新世代への転換」が、いま、ものすごい勢いで動き出してるという感じが、はっきりとあるんですね。
実際、リチウムイオン二次電池とかは生産しているのが日本の特に関西圏に集中してますし、太陽電池もシャープさんとかありますしね。日本の企業が果たす役割は大きいと思います。
もちろん、こういう動きは、急激に経済を回復させるような種類のものではありませんが、技術や社会の方向性ということで、これから10年、20年の人類が進むべき方向性として、とても重要だと思います。
ポイントは「限界のあるエネルギーから、循環可能なエネルギーへ」という事です。そこで文化や社会体制まで、全部が変わっていく可能性があるってことですね。
もう、ほんま、不況は飽きました。
ええかげん、明るい未来に向かって歩きましょうや。
銭・金も大事なんですが、(命の次に大事。) その銭・金というものは、「価値交換」に使うものでして、で、交換されるものは、基本的にエネルギーなんですよね。その交換される「モノ」に、いままで限界があったから問題だったわけで、今後はそうでもなくなるわけです。(石油は石油で石油化学で必要とかいろいろあります。)
不況、不況と愚痴を言うのは、もうやめにして、新たな時代に向かって歩きたいと思うのであります。はい。
世界大不況の原因。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200812281240316894/
が、検索サイトで人気という事もあって、「じゃあ不況から脱出するには、どうしたらいいの?」というのがありまして、とても気になっておりました。
で、そんなこともあって、仕事で、少し関係があったので、以下の本を読んでみました。
脱「ひとり勝ち」文明論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4903908135
日本経済の勝ち方 太陽エネルギー革命
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4166606913
どちらも太陽電池とリチウムイオン二次電池と電気自動車について語っている本でして、これを読むと、
●未来は明るい!
という気持ちになってくるのが、とても良いのであります。
不況不況と暗い話ばっかりで嫌になってしまいますが、それは「お金」の問題だけにフォーカスしているからで、それよりももっと現実を動かしている「エネルギーの作り方・在り方」にフォーカスしたら、「うわ!こんな可能性があったのか!」と驚くことになります。
エネルギー問題を、単純化してしまうと、火力発電や原子力の話になりまして、これはようするに「石油」と「ウラン」の奪い合いの構図になるわけです。
これらは、どこまで行っても限りある資源ですから、もともと、
●未来はない
エネルギー体系なわけですよ。
いまの人類社会の仕組みは、すべて、この限界のあるエネルギーに支えられているからこそ、「未来はない」となって不安が渦巻き、不況やら戦争やらにおびえ苦しむという事になるわけです。目指すべき方向が見えないという事なんですね。
しかし、「太陽電池+蓄電池+電気自動車」をセットにして考えると、まずエネルギー自体が「繰り返し活用可能」な、
●未来のある
技術だというのが見えてきます。太陽電池を作るために石油やら電気やらは必要ですが、一度作れば、最低でも20年間は、太陽エネルギーをずっと使えるんですね。
しかも太陽というのは、地球全体、人の住んでいるところなら照っていますので、石油のように産出国とか利権を持った国だけが潤うというものでもないわけです。
設置したその日から電気が使えて、最低でも20年間はずっと使える。(耐用年数は実質はもっと長いと思います。)
で、ザクッと総量を言うなら、「脱『ひとり勝ち』文明論」によるなら、
「地球の地表面積の1.5%(=砂漠の全面積の7%)に太陽電池パネルを貼り詰めれば、世界中の70億人がアメリカ人と同程度のエネルギーを使った豊かな生活を送ることが可能になる。」
という事になりますし、「日本経済の勝ち方 太陽エネルギー革命」の言い方によれば、
「サハラ砂漠(1000万km2)の5~10%の面積にソーラー・パネルを敷き詰めると、世界のエネルギー需要の100%を生み出すことができる。」
という話になります。
で、この話がすごいのは、別にこれが50年後とか20年後には、という未来の話ではなくて、
●いますぐ実現できる
話なんだ、ってことです。
太陽電池というのは、ずっと太陽光→電気の変換効率が悪くて、少量の電気しか得られない媒体だという印象がありましたし、僕もずっとそう思ってたのですが現実には技術革新があって、いままで数%の変換効率だったものが、いまでは15~20%の変換効率にあがっていて、この効率なら、面積さえ確保できれば、世界中の電気需要をまかなえるというところまでになっている、ということなんですね。
で、この2冊の著者、おふたりともが、「あとは価格を下げる事が必要だから、政府主導で大量にソーラーパネルを生産できるような政策をすれば良い」と言う話になってます。年に10兆円規模の国家投資で、日本が世界に貢献できるエネルギー体系の転換を提案できるという話なわけです。
それだけでも壮大かつ、夢のような話ですが、ここに「電池」と「電気自動車」の話が加わって、話はより明るくなるんですね。
まずソーラーパネルだけでは、日中にしか電気が使えないわけですが、電池があればそれを貯めておくことができます。その電気を貯めるための技術として、リチウムイオン二次電池とスーパーキャパシタ(電気二重層コンデンサなど)があるんですね。
とくにリチウムイオン二次電池は電気の圧縮率が良いので、電気自動車の電池として、かなり可能性が高いのです。いまハイブリッドカーというのが話題になってますが、トヨタのプリウスに使われてるのがニッケル水素の電池だそうです。リチウムだともっと圧縮率が良くなるので、「エンジン」ではなく「モーター」で走れるようになります。
で、クルマがガソリンで動く「エンジン」駆動ではなく、電気で動く「モーター」駆動になるとどうなるか? というと、まず「ギアチェンジ」という操作がいらなくなるんですね。ガソリンエンジンだと低速な時にトルク(力)がないので、高速回転にしてギアでタイヤにゆっくりと力を与えるというやり方をしないといけないわけですが、モーターだと、そういう手間は電圧操作だけで済みます。
ということは、クルマのクランクやらシャフトやらの「力を伝えるための機構」というものが不要になりますので、たとえば、「脱『ひとり勝ち』文明論」の著者である清水浩さんが作った電気自動車、「Eliica(エリーカ)」だと、タイヤの中にモーターを入れ、しかもクルマの車輪を全部で8個に増やした構造になっているのですが、こうすると、エネルギー効率がすごくよくなるわけです。
「エンジン」のクルマのように、ギアやら鉄の棒やら、そういう持って回ったエネルギーの伝え方をするのではなくて、「モーター」のクルマなら、いきなりタイヤを回すことができる。エンジンクランクやらシャフトなどの力の伝達部品が多い事によって失われていたエネルギーを無くさずに済むわけです。
で、そのモーターを回すための電池は床に敷き詰めてしまう。こうすると、車内が広くて、荷物の積み卸しもラクで、一回の充電で300km(東京から名古屋くらいまで)の距離を走れるクルマが作れます。
しかも速度は、最大370km/hですから、新幹線より速い。そんなクルマが作れてしまうのだそうです。
しかも、
●電気代も安い。
というオマケまであります。
「日本経済の勝ち方 太陽エネルギー革命」によれば、三菱電機が開発中の「i MiEV(アイミーブ)」を引き合いに出して、東京大阪間の電気代を深夜料金で計算して500円としてます。
●東京-大阪間、500円!
まぁびっくりしてしまいます。(が、まぁこの計算は発電所が原子力を使っているとか、そういうことも勘案しないと、よろしくない話ですが。)
どちらの著者の方も「しかも、電気自動車ならCO2排出ゼロ!」という事をおっしゃるわけです。(僕は「CO2が地球温暖化の犯人かどうかわからないし、なにより地球温暖化が悪い事かどうかもわからない」と思う立場の人なので、この部分はどうでも良いですが。)
ともあれ、画期的は画期的でしょ?
で、こういう技術革新の基礎技術は、もうすでに世界に広がっていて、ついこの間まではソーラーパネルなんかは普及率その他でも日本が世界のトップだったのだけれど、ドイツや中国に抜かされてるんだそうです。
●あかんやん!
ちゅう話ですね。
●がんばらな!
ちゅうことです。
たとえば電気自動車でも、アメリカではテスラ・モーターズの「ロードスター」というスポーツカーがすごい人気だそうですし、つぶれかかってるGMだって、モーター駆動で、緊急用発電機としてガソリンエンジンを積んだ「ボルタ」という電気自動車を開発しているのだそうです。
ようするに、もう、地球全体が、「太陽電池+蓄電池+電気自動車」の世界に走り出してるし、そっちにどんどん行かないとアカンよ、という話です。
で、重要なのは自動車という、いちばんの「石油食い」の道具が電気に変わって、しかも電気の供給が太陽電池という「繰り返し使用可能」な供給源になると、石油の利権争いであるとか、産油国の利権争いであるとか、先進国と途上国の経済格差とか、そういう「限界あるエネルギーによって規定されてしまっていた問題」のほとんどが、解決とは言わないまでも、根本からひっくり返ってしまう、という事なんですね。
もう、いままでの石油という「有限界エネルギーによる世界観」が通用しなくなる。「循環系エネルギーによる新しい価値体系」を生み出していく可能性がある。
という話なわけです。
それがどういうものになるのかは、全然わからないですけど、かなり面白そうな話です。
実際僕は、上記の太陽電池を生産する工場の生産設備の効率化を図るための装置のパンフレットを作っていたり、電気二重層コンデンサを作っている会社の投資家向けパンフレットを作っていたり、リチウムイオン二次電池の素材開発に役立つ分析機器のパンフレットを作っていたりしますんで、このあたりの動向をひしひしと感じます。
不況のおかげで、いまいち動きの鈍かった「新世代への転換」が、いま、ものすごい勢いで動き出してるという感じが、はっきりとあるんですね。
実際、リチウムイオン二次電池とかは生産しているのが日本の特に関西圏に集中してますし、太陽電池もシャープさんとかありますしね。日本の企業が果たす役割は大きいと思います。
もちろん、こういう動きは、急激に経済を回復させるような種類のものではありませんが、技術や社会の方向性ということで、これから10年、20年の人類が進むべき方向性として、とても重要だと思います。
ポイントは「限界のあるエネルギーから、循環可能なエネルギーへ」という事です。そこで文化や社会体制まで、全部が変わっていく可能性があるってことですね。
もう、ほんま、不況は飽きました。
ええかげん、明るい未来に向かって歩きましょうや。
銭・金も大事なんですが、(命の次に大事。) その銭・金というものは、「価値交換」に使うものでして、で、交換されるものは、基本的にエネルギーなんですよね。その交換される「モノ」に、いままで限界があったから問題だったわけで、今後はそうでもなくなるわけです。(石油は石油で石油化学で必要とかいろいろあります。)
不況、不況と愚痴を言うのは、もうやめにして、新たな時代に向かって歩きたいと思うのであります。はい。
うーむ。
昨日から今日にかけて、いきなりお二人にリンクいただいたので、「めずらしいこともあるもんやなぁ」と思って、秘密日記のみ書きます。
あんまり秘密日記って書かないんですけど。
昨日から今日にかけて、いきなりお二人にリンクいただいたので、「めずらしいこともあるもんやなぁ」と思って、秘密日記のみ書きます。
あんまり秘密日記って書かないんですけど。
今日は、思い切り抽象的な話を。
人間の行動の動機には、2つの理由しかないそうです。
それは「愛」と「怖れ」。
何かを愛していて、そのために行動する、というのと、何かを怖れていて、それを避けようと行動するというもの。
この二つは似ているようでいて全然違います。
それは結果に表れます。
愛を動機としての行動は、失敗がなく、より大きな広がりが生まれます。
しかし、怖れを動機とした行動は多くが失敗にさらされます。
おおむね、
「~しないようにする」
というような目標の立て方は失敗するということですね。
前にどこかで書いたかも知れないのですが、交通事故の話があります。
交通事故で意外に多いのが電信柱に激突している事故なんです。
なんでそんな事故が多いかというと、緊急事態に陥った時に、クルマの運転手の目に電信柱が目に入って、「電信柱にぶつかってはいけない!」と思うからなんですね。
で、こういう瞬間の判断が必要な時に「電子柱にぶつからないように」などと考えていると、手足は、無意識に、「まず、電信柱に照準をあわせて」から、「それとは違う方向に動こう」とするわけですね。
でも、そういう事をしてると、「まず電信柱に照準をあわせ」たところで、タイムリミットがくるわけですよ。
それでぶつかる。
だから、こういう場合は「あの隙間を通り抜ければ助かる!」というような目標設定をしておかないとダメなんですね。
で。
そういう目標を、その瞬間にパッと立てられるかどうかは、ふだんの考え方のクセがすべてを定めるよな、と僕は思うのです。
つねに、自分にとって良い事、良い方、幸せな選択について考えるクセをつける。
これが大事だよなぁって思います。
いつもそれを考えていないと、こういう瞬間の判断が必要な時、咄嗟の時に「頭の指向性」が狂ってしまうわけです。
で、
人生というのは、実は、そういう「瞬間」の連続なわけです。つねに「咄嗟の時」なわけです。だからこそ、いつも自分の幸せにフォーカスをした発想を保ち続けておくほうが良いわけです。
スターウォーズという映画がすごく好きなんですけど、あの映画のエピソード1~3までのアナキン・スカイウォーカー(後のダースベイダー)がすごく「怖れ」の人間で、どんどん不幸になって行くのが悲しいんですね。
そして、その兄弟子であり、師匠でもあるオビワンが、これまたすごく「愛」の人で、ほんとにまぁ、脳天気というか、テキトーなのに、なぜか失敗することなく任務をこなしていくのです。なんだかとても象徴的だなぁって思います。
オビワンは、「怖れ」の淵に引きずり込まれてしまったアナキンがダースベイダーになってしまうのを、とても悲しく思い、なげくんですね。それはやっぱり「電信柱なんか見なければ、ぶつかることもなかったのに!」という悲しさなんですね。そういうのを僕はとても感じます。
大事なのは、やっぱり、どこまで行っても「愛」なんですよ。
良いところを見る。
いつも、そちらを意識する。
つい電信柱を見てしまいがちだけれど、そうではなくて、やっぱり通り抜けられる安全なスペースを見ないといけないわけです。
危険な電信柱というのは、いつも電信柱の形をしているんですけど、「安全なスペース」というのは、その時その時で方向も形も目標も全部違うわけです。
だからその目標を察知して目標として設定するのは少し手間がかかります。
でも、その目標設置をする努力をこそしないとダメなわけです。それも普段から、ですね。
「電信柱は危ない」だけを考えるのは簡単なんです。いつも同じ事を考えてるだけだから。でも、「安全なスペースを見つける」というのは普段からいつもやってないと無理なわけですね。
練習が必要です。
だからつねに「愛」の立場で、物事は見ないといけないよなぁって思うのです。
うーん。
何が言いたいのかよくわからんようになってきた。
でもとにかく、オビワンがすごく好きです。なんちゅうてもオビワンだなぁ。うむ。
人間の行動の動機には、2つの理由しかないそうです。
それは「愛」と「怖れ」。
何かを愛していて、そのために行動する、というのと、何かを怖れていて、それを避けようと行動するというもの。
この二つは似ているようでいて全然違います。
それは結果に表れます。
愛を動機としての行動は、失敗がなく、より大きな広がりが生まれます。
しかし、怖れを動機とした行動は多くが失敗にさらされます。
おおむね、
「~しないようにする」
というような目標の立て方は失敗するということですね。
前にどこかで書いたかも知れないのですが、交通事故の話があります。
交通事故で意外に多いのが電信柱に激突している事故なんです。
なんでそんな事故が多いかというと、緊急事態に陥った時に、クルマの運転手の目に電信柱が目に入って、「電信柱にぶつかってはいけない!」と思うからなんですね。
で、こういう瞬間の判断が必要な時に「電子柱にぶつからないように」などと考えていると、手足は、無意識に、「まず、電信柱に照準をあわせて」から、「それとは違う方向に動こう」とするわけですね。
でも、そういう事をしてると、「まず電信柱に照準をあわせ」たところで、タイムリミットがくるわけですよ。
それでぶつかる。
だから、こういう場合は「あの隙間を通り抜ければ助かる!」というような目標設定をしておかないとダメなんですね。
で。
そういう目標を、その瞬間にパッと立てられるかどうかは、ふだんの考え方のクセがすべてを定めるよな、と僕は思うのです。
つねに、自分にとって良い事、良い方、幸せな選択について考えるクセをつける。
これが大事だよなぁって思います。
いつもそれを考えていないと、こういう瞬間の判断が必要な時、咄嗟の時に「頭の指向性」が狂ってしまうわけです。
で、
人生というのは、実は、そういう「瞬間」の連続なわけです。つねに「咄嗟の時」なわけです。だからこそ、いつも自分の幸せにフォーカスをした発想を保ち続けておくほうが良いわけです。
スターウォーズという映画がすごく好きなんですけど、あの映画のエピソード1~3までのアナキン・スカイウォーカー(後のダースベイダー)がすごく「怖れ」の人間で、どんどん不幸になって行くのが悲しいんですね。
そして、その兄弟子であり、師匠でもあるオビワンが、これまたすごく「愛」の人で、ほんとにまぁ、脳天気というか、テキトーなのに、なぜか失敗することなく任務をこなしていくのです。なんだかとても象徴的だなぁって思います。
オビワンは、「怖れ」の淵に引きずり込まれてしまったアナキンがダースベイダーになってしまうのを、とても悲しく思い、なげくんですね。それはやっぱり「電信柱なんか見なければ、ぶつかることもなかったのに!」という悲しさなんですね。そういうのを僕はとても感じます。
大事なのは、やっぱり、どこまで行っても「愛」なんですよ。
良いところを見る。
いつも、そちらを意識する。
つい電信柱を見てしまいがちだけれど、そうではなくて、やっぱり通り抜けられる安全なスペースを見ないといけないわけです。
危険な電信柱というのは、いつも電信柱の形をしているんですけど、「安全なスペース」というのは、その時その時で方向も形も目標も全部違うわけです。
だからその目標を察知して目標として設定するのは少し手間がかかります。
でも、その目標設置をする努力をこそしないとダメなわけです。それも普段から、ですね。
「電信柱は危ない」だけを考えるのは簡単なんです。いつも同じ事を考えてるだけだから。でも、「安全なスペースを見つける」というのは普段からいつもやってないと無理なわけですね。
練習が必要です。
だからつねに「愛」の立場で、物事は見ないといけないよなぁって思うのです。
うーん。
何が言いたいのかよくわからんようになってきた。
でもとにかく、オビワンがすごく好きです。なんちゅうてもオビワンだなぁ。うむ。
自転車は四つ足走行に似ている。
2009年7月12日 自転車 コメント (2)このあいだ紹介した、
●脱「ひとり勝ち」文明論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4903908135
に、すごくおもしろい事が書いてあったんですよ。
曰く、「人類はクルマを捨てられない」と言う話なんですが。
引用します。
(引用開始)-------------------------------
実際のところ、文明は逆行できにくいものです。
「クルマ」というのは、とくに、人間が捨てにくいものです。
なぜでしょうか?
人間は、四足歩行から二足歩行に進化することによって、ものすごくたくさんのことも獲得しましたが、二足歩行によって失ったものは何か、を考えればわかります。
それは、「移動のスピード」です。
これだけは、二足歩行によって喪失してしまったわけです。
犬と競争して勝てますか?
勝てないです。
100メートルを九秒六九、スゴイ!とぼくたちは騒いでいますけど、動物の世界の記録は、そんなレベルではありません。
つまり、アタマがよくなったり、道具が使えるようになったり、いいものばかりの二足歩行の中で、唯一、人間が喪失したものこそ、「移動」なのです。
ですから、移動の道具は、人間が捨てられない大切な技術なんですね。
クルマは、足の代わりをする道具ですが、それは、目の代わりをするテレビだとか、耳の代わりをするオーディオだとかの道具に比べて、「捨てにくい」ものです。
渋滞などの不自由なことをクルマは引き起こすけれども、それでも、どうしても乗り続けてしまうのも、「時速四キロ」の自分の足のスピードの遅さに、耐えられないからなんです。
これは根源的な欲求なのです。
ですから、環境問題を考える際、クルマを規制したり、と言う方向で考えるよりも、スピードへの欲求をさらに満たしていく形で、環境の解決をしていくべきです。
ということで「時速四00キロ」に象徴されるクルマを目指した電気自動車の開発をやってきたわけです。
(引用終了)-------------------------------
というご意見。
なるほどなぁ、確かに! と思うのですよ。
この間、テレビでやってましたが、あの動物のチータという奴は時速120キロで走りますからね。四つ足、すごいです。
人間は二足歩行に移行したことで、頭の位置が上がりまして脳みそが水平位置に来ることで、脳の容量拡大が簡単になったんですね。
だから、頭が良くなって、言葉も使えるようになったし、直立の微妙なコントロールも巨大な脳でコントロールできるようになりました。
走るために必要だった前足を、よりこまやかに脳でコントロールして「手」という、全然別目的の道具として進化させることもできたわけです。二足歩行のおかげで、人間は、ものすごく大きな恩恵を得ているわけです。
ここまでは、そうよなぁ~と、前から思ってたんですが、「代わりに失ったもの」については意識したことがありませんでしたね。
そうか、確かに「走る」という行為には向かない体になってるよなぁと、つくづく思うのです。
人間の体は、あんまり走るためには適切な構造じゃないよなぁ。実際。
脳みそを大きくするために、そっとそっと、時速4キロで歩いてきたからこそ、人類は発展してきたんだよなぁと改めて思ったのですね。
で、それと同時に思ったのが自転車の、とくにスポーツ自転車のライディングポジションのことなのです。
これが、すごく四つ足走行に似ているよなぁと。
まぁ、自転車で走っても、僕なんかだと、せいぜい40km/hです。
(最近、とうとう40km/hが出せるようになってきたのであります。スゴイ!)
チータには負けますけど、まぁ普段は25km/hくらいで走ってまして、それでもすごく気持ちよいのは、やっぱりライディングポジションが四つ足走行、つまり、太古の昔に動物として大地を走り回ってたであろう姿で、都市を駆けめぐっているからだろうなぁと思うのであります。
なんていうのか、ほんとうに自転車で走っていると気持ちが良くて、これはいったい何だろうか? と思ってたわけですが、上記の四つ足走行の話を読んで、「あ、そうか、四つ足走行への先祖返りだから楽しいんだ!」と気付いたような次第です。
なんちゅうか、すごく自然な気がするわけですね。
都市部はどこでもたいてい舗装されてますし、二足で走るランニングには、振動やら腰への負担やらで、向かない環境です。でも自転車だとショックがない。まさにチータが走っている感覚と似たような自然な体の動きで移動できるわけで、実に気持ちが良いわけです。
そのテレビでは、チータの動きをハイスピードカメラで撮影してたんですけど、120km/hで走ってても、アタマと体の高さはずっと一定なんですよね。上下に移動していないわけです。
四つの足で、体全体をクッションのように支えながら、120km/hで走ってるわけでして、「いやー、これはすごいなー」と改めて思ったのであります。
自転車のライディングポジションは、まさにそういう四つ足走行への自然回帰だよなぁと実感しているわけであります。
ま、電気自動車は電気自動車でこれから発展していかないといけないものだとは思うのですが、道路の面積というのはもともと限界があるので、あんまり都市部でクルマを増やしても渋滞するだけよなぁと言うのがあって、全面的に、この著者の清水浩さんの意見を支持してるわけでもないんですが、それでも、「人類は二足歩行で高速移動するメリットを失ったのだ」という視点にはハッとさせられました。
しかし、それを言うなら、やっぱりクルマより自転車ですぜ。旦那。ちょっと自転車の事も考えてやっておくんなせぇ! という気はする。
自転車で四つ足の動物のように、都市を走り回ろう!
楽しいですぞ。
●脱「ひとり勝ち」文明論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4903908135
に、すごくおもしろい事が書いてあったんですよ。
曰く、「人類はクルマを捨てられない」と言う話なんですが。
引用します。
(引用開始)-------------------------------
実際のところ、文明は逆行できにくいものです。
「クルマ」というのは、とくに、人間が捨てにくいものです。
なぜでしょうか?
人間は、四足歩行から二足歩行に進化することによって、ものすごくたくさんのことも獲得しましたが、二足歩行によって失ったものは何か、を考えればわかります。
それは、「移動のスピード」です。
これだけは、二足歩行によって喪失してしまったわけです。
犬と競争して勝てますか?
勝てないです。
100メートルを九秒六九、スゴイ!とぼくたちは騒いでいますけど、動物の世界の記録は、そんなレベルではありません。
つまり、アタマがよくなったり、道具が使えるようになったり、いいものばかりの二足歩行の中で、唯一、人間が喪失したものこそ、「移動」なのです。
ですから、移動の道具は、人間が捨てられない大切な技術なんですね。
クルマは、足の代わりをする道具ですが、それは、目の代わりをするテレビだとか、耳の代わりをするオーディオだとかの道具に比べて、「捨てにくい」ものです。
渋滞などの不自由なことをクルマは引き起こすけれども、それでも、どうしても乗り続けてしまうのも、「時速四キロ」の自分の足のスピードの遅さに、耐えられないからなんです。
これは根源的な欲求なのです。
ですから、環境問題を考える際、クルマを規制したり、と言う方向で考えるよりも、スピードへの欲求をさらに満たしていく形で、環境の解決をしていくべきです。
ということで「時速四00キロ」に象徴されるクルマを目指した電気自動車の開発をやってきたわけです。
(引用終了)-------------------------------
というご意見。
なるほどなぁ、確かに! と思うのですよ。
この間、テレビでやってましたが、あの動物のチータという奴は時速120キロで走りますからね。四つ足、すごいです。
人間は二足歩行に移行したことで、頭の位置が上がりまして脳みそが水平位置に来ることで、脳の容量拡大が簡単になったんですね。
だから、頭が良くなって、言葉も使えるようになったし、直立の微妙なコントロールも巨大な脳でコントロールできるようになりました。
走るために必要だった前足を、よりこまやかに脳でコントロールして「手」という、全然別目的の道具として進化させることもできたわけです。二足歩行のおかげで、人間は、ものすごく大きな恩恵を得ているわけです。
ここまでは、そうよなぁ~と、前から思ってたんですが、「代わりに失ったもの」については意識したことがありませんでしたね。
そうか、確かに「走る」という行為には向かない体になってるよなぁと、つくづく思うのです。
人間の体は、あんまり走るためには適切な構造じゃないよなぁ。実際。
脳みそを大きくするために、そっとそっと、時速4キロで歩いてきたからこそ、人類は発展してきたんだよなぁと改めて思ったのですね。
で、それと同時に思ったのが自転車の、とくにスポーツ自転車のライディングポジションのことなのです。
これが、すごく四つ足走行に似ているよなぁと。
まぁ、自転車で走っても、僕なんかだと、せいぜい40km/hです。
(最近、とうとう40km/hが出せるようになってきたのであります。スゴイ!)
チータには負けますけど、まぁ普段は25km/hくらいで走ってまして、それでもすごく気持ちよいのは、やっぱりライディングポジションが四つ足走行、つまり、太古の昔に動物として大地を走り回ってたであろう姿で、都市を駆けめぐっているからだろうなぁと思うのであります。
なんていうのか、ほんとうに自転車で走っていると気持ちが良くて、これはいったい何だろうか? と思ってたわけですが、上記の四つ足走行の話を読んで、「あ、そうか、四つ足走行への先祖返りだから楽しいんだ!」と気付いたような次第です。
なんちゅうか、すごく自然な気がするわけですね。
都市部はどこでもたいてい舗装されてますし、二足で走るランニングには、振動やら腰への負担やらで、向かない環境です。でも自転車だとショックがない。まさにチータが走っている感覚と似たような自然な体の動きで移動できるわけで、実に気持ちが良いわけです。
そのテレビでは、チータの動きをハイスピードカメラで撮影してたんですけど、120km/hで走ってても、アタマと体の高さはずっと一定なんですよね。上下に移動していないわけです。
四つの足で、体全体をクッションのように支えながら、120km/hで走ってるわけでして、「いやー、これはすごいなー」と改めて思ったのであります。
自転車のライディングポジションは、まさにそういう四つ足走行への自然回帰だよなぁと実感しているわけであります。
ま、電気自動車は電気自動車でこれから発展していかないといけないものだとは思うのですが、道路の面積というのはもともと限界があるので、あんまり都市部でクルマを増やしても渋滞するだけよなぁと言うのがあって、全面的に、この著者の清水浩さんの意見を支持してるわけでもないんですが、それでも、「人類は二足歩行で高速移動するメリットを失ったのだ」という視点にはハッとさせられました。
しかし、それを言うなら、やっぱりクルマより自転車ですぜ。旦那。ちょっと自転車の事も考えてやっておくんなせぇ! という気はする。
自転車で四つ足の動物のように、都市を走り回ろう!
楽しいですぞ。
ツイストリング・ノート、その後。
2009年7月13日 ●ノート・文具この7/10の、この日記のアクセスが、いきなり244に跳ね上がったのであります。
普段はまぁ100前後なんですが。最近は130くらいかな?
なんでそんなにアクセスがあったのか? と思ってアクセス解析のページのキーワードを見てみると、表題のツイストリング・ノートがやたらと多かったわけです。
実は、この間の、ツイストリング・ノートについて書いた頁も、googleとかで1位とか2位とからしいんですよね。
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
なので普段からちょろちょろアクセスはあるんですが、7/10は異様に多かったわけです。
で、なんでなのかなぁ? といろいろ検索していると、どうやらテレビでツイストリング・ノートが紹介されたらしいんですよね。「おはよう日本」かなんかのコーナーで。
やっぱりテレビはすごいなぁと思いまして。
で、どうせついでなので、その後のツイストリング・ノートに関する報告などを少し。
まず、大前提として言いたいのは、使ってみてはっきり感じましたが、このノートは、
●綴じノートというよりかはバインダーノートに近い
ということですね。
いや、綴じノートとして使えないわけではないんですよ。充分に使えますし、それがこのノートの魅力のかなり大きい部分なんです。「普通の綴じノートとして使える」というのが。
でも、それでもやっぱり、「抜き差し自由」という部分をちょっとでも活かそうとしたら、どうしてもバインダーノート寄りの使い方をせざるを得なくなるわけですよ。
このあたり、ある程度システム手帳の使い方に慣れてる人の方が上手に使えるかもしれません。
思うに、
●かなりの潜在的ポテンシャルがあるノートだ。
というのが、3ヶ月使ってみての感想ですね。
まだ、上手にレポートとしてまとめられないんですけど、一時期システムダイアリーのホームページとか作ってたこともあって、なんだかんだと工夫したくなるノートではあります。
で、もっともシンプルかつ重要な発見が一つありまして、それは、
●リフィルの1枚単位使いと、半分折りできる機能は相性がいい。
ということですね。
システム手帳とか使ったことがある人ならわかると思いますが、抜き差しして組み替え自由なシステム手帳などの場合は、基本単位が「一枚の用紙の表裏」になるわけです。
普通の大学ノートとかの綴じノートだと、この基本単位は「見開き単位」になるんですね。
この「基本単位」の違いが、抜き差し・差し替え自在なバインダーノートと、シーケンシャルな綴じノートとの根本的な違いなんです。
(で、実は、この根本的に違うふたつの考え方を両立させないと、このノートは面白くないわけですが、その当りの話は、またいずれ。)
で、バインダー型の抜き差し自由なノートを使っておりますと、リフィル1枚の表裏での活用になって、見開き単位での使い方がしにくくなるんですね。
なので、見開きの片方のページは無関係なデータであるということが多くなります。
で、こういう時、バインダーノートだと、ノート自体を「半分に折る」ということができないんですね。ようするに見開き状態でしかノートを見れないわけです。
でも、そのくせ、リフィルは片面しか見れないので、半分以上のスペースはムダ、ということになります。
しかし、このツイストリング・ノートだとそれがないんですよね。
とにかく片ページ半分に折ってしまって、必要なところだけを出しておくということができますから。
半分に折れる! ということがすごく生きてくるんです。
これがけっこう快適なんです。
あまりに自然なので、しばらく気付かなかったんですが、3ヶ月使っていて、なんか使いやすいなと思ったら、「ああ、そうか、バインダーノートなのに半分に折れるからだ!」と、やっと気付いたような次第でして。
これはねぇ、なんちゅうか、とても基本的なところで、システム手帳的使い方に非常に向いている構造なような気がします。
だから、
●綴じノートというよりかはバインダーノートに近い
って事になるわけですが。
他にもいろいろ書きたいことは山のようにあるんですが、とりあえずは、大きな大きな特徴の再確認ということで。
この件は、また書きます。
ではでは。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/
■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/
----------------
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/
普段はまぁ100前後なんですが。最近は130くらいかな?
なんでそんなにアクセスがあったのか? と思ってアクセス解析のページのキーワードを見てみると、表題のツイストリング・ノートがやたらと多かったわけです。
実は、この間の、ツイストリング・ノートについて書いた頁も、googleとかで1位とか2位とからしいんですよね。
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
なので普段からちょろちょろアクセスはあるんですが、7/10は異様に多かったわけです。
で、なんでなのかなぁ? といろいろ検索していると、どうやらテレビでツイストリング・ノートが紹介されたらしいんですよね。「おはよう日本」かなんかのコーナーで。
やっぱりテレビはすごいなぁと思いまして。
で、どうせついでなので、その後のツイストリング・ノートに関する報告などを少し。
まず、大前提として言いたいのは、使ってみてはっきり感じましたが、このノートは、
●綴じノートというよりかはバインダーノートに近い
ということですね。
いや、綴じノートとして使えないわけではないんですよ。充分に使えますし、それがこのノートの魅力のかなり大きい部分なんです。「普通の綴じノートとして使える」というのが。
でも、それでもやっぱり、「抜き差し自由」という部分をちょっとでも活かそうとしたら、どうしてもバインダーノート寄りの使い方をせざるを得なくなるわけですよ。
このあたり、ある程度システム手帳の使い方に慣れてる人の方が上手に使えるかもしれません。
思うに、
●かなりの潜在的ポテンシャルがあるノートだ。
というのが、3ヶ月使ってみての感想ですね。
まだ、上手にレポートとしてまとめられないんですけど、一時期システムダイアリーのホームページとか作ってたこともあって、なんだかんだと工夫したくなるノートではあります。
で、もっともシンプルかつ重要な発見が一つありまして、それは、
●リフィルの1枚単位使いと、半分折りできる機能は相性がいい。
ということですね。
システム手帳とか使ったことがある人ならわかると思いますが、抜き差しして組み替え自由なシステム手帳などの場合は、基本単位が「一枚の用紙の表裏」になるわけです。
普通の大学ノートとかの綴じノートだと、この基本単位は「見開き単位」になるんですね。
この「基本単位」の違いが、抜き差し・差し替え自在なバインダーノートと、シーケンシャルな綴じノートとの根本的な違いなんです。
(で、実は、この根本的に違うふたつの考え方を両立させないと、このノートは面白くないわけですが、その当りの話は、またいずれ。)
で、バインダー型の抜き差し自由なノートを使っておりますと、リフィル1枚の表裏での活用になって、見開き単位での使い方がしにくくなるんですね。
なので、見開きの片方のページは無関係なデータであるということが多くなります。
で、こういう時、バインダーノートだと、ノート自体を「半分に折る」ということができないんですね。ようするに見開き状態でしかノートを見れないわけです。
でも、そのくせ、リフィルは片面しか見れないので、半分以上のスペースはムダ、ということになります。
しかし、このツイストリング・ノートだとそれがないんですよね。
とにかく片ページ半分に折ってしまって、必要なところだけを出しておくということができますから。
半分に折れる! ということがすごく生きてくるんです。
これがけっこう快適なんです。
あまりに自然なので、しばらく気付かなかったんですが、3ヶ月使っていて、なんか使いやすいなと思ったら、「ああ、そうか、バインダーノートなのに半分に折れるからだ!」と、やっと気付いたような次第でして。
これはねぇ、なんちゅうか、とても基本的なところで、システム手帳的使い方に非常に向いている構造なような気がします。
だから、
●綴じノートというよりかはバインダーノートに近い
って事になるわけですが。
他にもいろいろ書きたいことは山のようにあるんですが、とりあえずは、大きな大きな特徴の再確認ということで。
この件は、また書きます。
ではでは。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/
■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/
----------------
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/
(冒頭追加:2009.10.16)-------------------
マスキングテープより、もっと良い商品を見つけましたので、この記事に関しては前言撤回。以下の記事を読んでください。
■丈夫なインデックス 686S は、バインダーノートの「新規フォルダ作成ツール」だ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200910161118038728/
(追加部分終了)------------------------------------
またツイストリング・ノートのお話し。
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
このノートがバインダーノート的特徴が色濃い、という話はちょろっとしましたけど、その続きです。
今回は
●バインダーノートにはインデックスが必須である。
という事と、
●インデックスにはマスキングテープがすごく便利
という話を書きます。
マスキングテープに関しては、まずこちらをどうぞ。
●マスキングテープの本
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811171434261436/
まず、バインダーノートと普通の綴じノート(大学ノートやリングノート)とで、大きく違うのは、「検索性」なんですね。
で、一般的には「綴じノートは頁の組み替えができず検索性が低く、バインダーノートは頁の組み替えができて検索性が高い」と言われているわけですが、そんなものは大嘘でして。(笑)
実は綴じノートは、頁が固定されているので、頭から順番に書いていけば、時系列でキチンと情報が並びます。なので、実際にはかなり検索性は良いのです。人間はおおまかには時系列で物事を考えているからです。「あの打合せをしたのは2ヶ月くらい前だよな」とかけっこう覚えてるんです。
で、綴じノートは「頭から順番に書いていき、日付とタイトルも必ず書く」というルールさえ守っていれば、まぁさほど不便ではありません。「どこに書いたっけ?」と何度か頁をめくっていれば、まぁだいたい自分のメモなのだから、出てきます。
で、この「何度か頁をめくる」という事で、「この頁の次にこの項目があって、あの項目はノート全体の真ん中くらいで」とかいう、自分なりの「インデックス」が頭の中に出来上がるんですね。まぁ、一冊の本を読むのと同じようなものです。
綴じノートだと、そういう「シーケンシャルなインデックス」というものが、必然的にできあがります。要は頭から書いていくだけで、そういうインデックスが出来上がる。だから「普通のノート」は、「普通に使いやすい」わけです。
しかし、バインダーノートは、そういうわけには行きません。
なんせ、組み替え自由ですから。「あのどうでも良いいたずら書きを描いた、その裏側に書いておいたはずだ」とか、そういう記憶の手法がまったく役に立たないんですね。
綴じノートが持っている「順番は不変」というルールが壊れているわけです。
だから、バインダーノートを上手に使おうと思ったら、インデックスをいかに付けるのか? と言うことが活用のキモになります。
もちろん、組み替え・差し替えを出来る限りせずに、ほとんど綴じノートと同じように使うという使い方をバインダーノートでやることもできます。それは「組み替えはよっぽどの事がない限りしない」というようなルールを自分で確定するという事でして、そういうルールを守る方が好きという人はその方が快適だと思います。
でも、せっかくバインダーノートを使うのなら、やっぱり組み替え・差し替えをして、トライアンドエラーをしてみたいじゃないですか? そうなると、やっぱり何らかのインデックスがないと使いにくいというのがバインダーノートの宿命になってくるんですね。時系列でまとめられない、というのはそういう事なんです。
で。
実は、この「インデックス」というのがくせ者で、かなり相当に難しい問題なんですよね。
従来のシステム手帳やB5・26穴バインダーなどでは、「見出し用紙」などが売られておりました。厚紙等で飛び出す耳のついた区切り頁を作ってあるわけです。
はじめのうちは、この区切り用の「見出し用紙」がけっこう便利なんですけど、そのうち不満が出てくるんです。要は「厚くて、重くて邪魔」って事なんですね。単に区切りに利用しているだけですから。ムダにノートが厚くなって、本当に邪魔なんです。
しかも「耳」を飛び出させているがゆえに、その「耳」を保護する意味でも厚紙でつくらなきゃいけなかったりするわけです。なので、どんどんバインダーの厚みを厚紙が浸食してくるわけです。バインダーに挟めるリフィルの枚数には限りがありますから、この厚紙の区切りシートである「見出し用紙」ってのは、「必要だけど邪魔」という、なんともアンビバレンツな感情を引き起こす宿命があったわけです。
で、結局、バインダーノート類を活用するためには、ポストイット等の「付箋紙」を使うのが便利、という事になるんですね。
この付箋紙をどんどん貼付けて、「耳」にして、ノートをパッと開くようにするという事を、僕はもう随分前からやってきましたし、そういうことをやってる人も多いと思います。
ただ。
このポストイット等を使った付箋紙による見出しというのは、いかんせん、
●薄い
という問題があるんですね。
頁から「耳」を飛び出させて目立たせるわけですから、カバンの中などに入れると、どうしても飛び出した部分が折れたり、擦れたりして傷むんです。そうなると、見にくかったり見つけにくかったりしてインデックスとしての役割を果たさなくなってくるんですね。まぁ、すぐに新しい付箋に変えればいいだけの話なんですが。
ただ、付箋紙は、単なる「耳」にするには、ちょっと長さが長くて、ノートに書いた文字を隠してしまう嫌いがあるんですね。
これがまた問題で。
で、そういう事を解決するために飛び出し部分にだけ色がついていて、そのほかは透明になっている付箋紙も登場してますが、あれは厚みが薄すぎて、すぐに折れ曲がってしまって全然、まったく話になりません。(一刀両断。あれは売るのをやめた方がいいと思う。ちゃんと使いやすいかどうかの検証がされてないんよなぁ。)
ということで、この問題はかなり気になってたことなんですよ。僕的には。
普通の紙のポストイットの飛び出し部分をセロハンテープ等で補強して「耳」にしたインデックスを自作するとかまでしてたんです。これはあまりに手間がかかりすぎるのが大欠点。でも、ほんとうに必要で長く使う「耳」の場合は、必ず自作してました。
でも、最近は、この問題が表題にも書いた「マスキングテープ」によってかなり解決してきたんですね。
写真にあるように、ツイストリング・ノートにつけるインデックスには、最近登場してきた、カラフルなマスキングテープを使って「耳」をつけるようにしてるんです。
作り方も超簡単で、マスキングテープを2~3cmちぎって、先を半分に折って、ノートから飛び出るように貼るだけ。
それだけなんですが、厚さの問題も解決するし、飛び出しによる「傷み」の問題も、マスキングテープを折って二重にしている事で、かなり解消されます。それに、傷んできても、新しい「耳」を、すぐに手軽に作れますしね。ここがとても良いところです。色も豊富にあるので、分類にも便利なんです。
マスキングテープは、貼ってはがしてという作業が簡単にできるので、インデックスの付け替えもすごく簡単ですし、インデックスの位置の微調整も簡単です。見た目にも可愛いし、女性にもおすすめできます。
また、必要ならマーカーを使って「耳」のところに文字を書いて見出しにしてやっても良いわけです。飛び出した耳の部分に、「住所録」とか書いて使うって事ですね。
バインダーノートにはインデックスが必須なわけですが、そのインデックス道具としては、いまのところ、このマスキングテープによる「耳」がベストの解決法でして、僕的には、もう他の手法を使う事は考えてないくらいです。
マスキングテープは、たとえば名刺でも良いのですが、そういう小さなメモ用紙等を、ノートに貼付ける作業とかにも便利なので、1巻だけは、いつもカバンに入れてますし、テープの色が分類等に便利なので、何色ものテープを10cmくらいずつちぎって、ツイストリングノートのいちばん最後の頁に貼付けてあります。
メモを取っていくうちに、あらたなテーマや分類を思いついた時に、さっと「耳」を作って、そこにテーマのキーワードでも書いてしまうと、ノートを見るたびに「耳」のキーワードが目に飛び込んでくるので、継続的にメモを取るとかしやすくなってくるんですよ。
そんなこんながありますので、バインダーノートにはマスキングテープはすごく便利です。
もちろんツイストリング・ノートにも必須。たいへんおすすめできますので、ぜひご活用くださいませ。
09年9月5日追記----------------------------------------
関連記事-------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/
■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/
■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/
--------------------
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/
マスキングテープより、もっと良い商品を見つけましたので、この記事に関しては前言撤回。以下の記事を読んでください。
■丈夫なインデックス 686S は、バインダーノートの「新規フォルダ作成ツール」だ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200910161118038728/
(追加部分終了)------------------------------------
またツイストリング・ノートのお話し。
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
このノートがバインダーノート的特徴が色濃い、という話はちょろっとしましたけど、その続きです。
今回は
●バインダーノートにはインデックスが必須である。
という事と、
●インデックスにはマスキングテープがすごく便利
という話を書きます。
マスキングテープに関しては、まずこちらをどうぞ。
●マスキングテープの本
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811171434261436/
まず、バインダーノートと普通の綴じノート(大学ノートやリングノート)とで、大きく違うのは、「検索性」なんですね。
で、一般的には「綴じノートは頁の組み替えができず検索性が低く、バインダーノートは頁の組み替えができて検索性が高い」と言われているわけですが、そんなものは大嘘でして。(笑)
実は綴じノートは、頁が固定されているので、頭から順番に書いていけば、時系列でキチンと情報が並びます。なので、実際にはかなり検索性は良いのです。人間はおおまかには時系列で物事を考えているからです。「あの打合せをしたのは2ヶ月くらい前だよな」とかけっこう覚えてるんです。
で、綴じノートは「頭から順番に書いていき、日付とタイトルも必ず書く」というルールさえ守っていれば、まぁさほど不便ではありません。「どこに書いたっけ?」と何度か頁をめくっていれば、まぁだいたい自分のメモなのだから、出てきます。
で、この「何度か頁をめくる」という事で、「この頁の次にこの項目があって、あの項目はノート全体の真ん中くらいで」とかいう、自分なりの「インデックス」が頭の中に出来上がるんですね。まぁ、一冊の本を読むのと同じようなものです。
綴じノートだと、そういう「シーケンシャルなインデックス」というものが、必然的にできあがります。要は頭から書いていくだけで、そういうインデックスが出来上がる。だから「普通のノート」は、「普通に使いやすい」わけです。
しかし、バインダーノートは、そういうわけには行きません。
なんせ、組み替え自由ですから。「あのどうでも良いいたずら書きを描いた、その裏側に書いておいたはずだ」とか、そういう記憶の手法がまったく役に立たないんですね。
綴じノートが持っている「順番は不変」というルールが壊れているわけです。
だから、バインダーノートを上手に使おうと思ったら、インデックスをいかに付けるのか? と言うことが活用のキモになります。
もちろん、組み替え・差し替えを出来る限りせずに、ほとんど綴じノートと同じように使うという使い方をバインダーノートでやることもできます。それは「組み替えはよっぽどの事がない限りしない」というようなルールを自分で確定するという事でして、そういうルールを守る方が好きという人はその方が快適だと思います。
でも、せっかくバインダーノートを使うのなら、やっぱり組み替え・差し替えをして、トライアンドエラーをしてみたいじゃないですか? そうなると、やっぱり何らかのインデックスがないと使いにくいというのがバインダーノートの宿命になってくるんですね。時系列でまとめられない、というのはそういう事なんです。
で。
実は、この「インデックス」というのがくせ者で、かなり相当に難しい問題なんですよね。
従来のシステム手帳やB5・26穴バインダーなどでは、「見出し用紙」などが売られておりました。厚紙等で飛び出す耳のついた区切り頁を作ってあるわけです。
はじめのうちは、この区切り用の「見出し用紙」がけっこう便利なんですけど、そのうち不満が出てくるんです。要は「厚くて、重くて邪魔」って事なんですね。単に区切りに利用しているだけですから。ムダにノートが厚くなって、本当に邪魔なんです。
しかも「耳」を飛び出させているがゆえに、その「耳」を保護する意味でも厚紙でつくらなきゃいけなかったりするわけです。なので、どんどんバインダーの厚みを厚紙が浸食してくるわけです。バインダーに挟めるリフィルの枚数には限りがありますから、この厚紙の区切りシートである「見出し用紙」ってのは、「必要だけど邪魔」という、なんともアンビバレンツな感情を引き起こす宿命があったわけです。
で、結局、バインダーノート類を活用するためには、ポストイット等の「付箋紙」を使うのが便利、という事になるんですね。
この付箋紙をどんどん貼付けて、「耳」にして、ノートをパッと開くようにするという事を、僕はもう随分前からやってきましたし、そういうことをやってる人も多いと思います。
ただ。
このポストイット等を使った付箋紙による見出しというのは、いかんせん、
●薄い
という問題があるんですね。
頁から「耳」を飛び出させて目立たせるわけですから、カバンの中などに入れると、どうしても飛び出した部分が折れたり、擦れたりして傷むんです。そうなると、見にくかったり見つけにくかったりしてインデックスとしての役割を果たさなくなってくるんですね。まぁ、すぐに新しい付箋に変えればいいだけの話なんですが。
ただ、付箋紙は、単なる「耳」にするには、ちょっと長さが長くて、ノートに書いた文字を隠してしまう嫌いがあるんですね。
これがまた問題で。
で、そういう事を解決するために飛び出し部分にだけ色がついていて、そのほかは透明になっている付箋紙も登場してますが、あれは厚みが薄すぎて、すぐに折れ曲がってしまって全然、まったく話になりません。(一刀両断。あれは売るのをやめた方がいいと思う。ちゃんと使いやすいかどうかの検証がされてないんよなぁ。)
ということで、この問題はかなり気になってたことなんですよ。僕的には。
普通の紙のポストイットの飛び出し部分をセロハンテープ等で補強して「耳」にしたインデックスを自作するとかまでしてたんです。これはあまりに手間がかかりすぎるのが大欠点。でも、ほんとうに必要で長く使う「耳」の場合は、必ず自作してました。
でも、最近は、この問題が表題にも書いた「マスキングテープ」によってかなり解決してきたんですね。
写真にあるように、ツイストリング・ノートにつけるインデックスには、最近登場してきた、カラフルなマスキングテープを使って「耳」をつけるようにしてるんです。
作り方も超簡単で、マスキングテープを2~3cmちぎって、先を半分に折って、ノートから飛び出るように貼るだけ。
それだけなんですが、厚さの問題も解決するし、飛び出しによる「傷み」の問題も、マスキングテープを折って二重にしている事で、かなり解消されます。それに、傷んできても、新しい「耳」を、すぐに手軽に作れますしね。ここがとても良いところです。色も豊富にあるので、分類にも便利なんです。
マスキングテープは、貼ってはがしてという作業が簡単にできるので、インデックスの付け替えもすごく簡単ですし、インデックスの位置の微調整も簡単です。見た目にも可愛いし、女性にもおすすめできます。
また、必要ならマーカーを使って「耳」のところに文字を書いて見出しにしてやっても良いわけです。飛び出した耳の部分に、「住所録」とか書いて使うって事ですね。
バインダーノートにはインデックスが必須なわけですが、そのインデックス道具としては、いまのところ、このマスキングテープによる「耳」がベストの解決法でして、僕的には、もう他の手法を使う事は考えてないくらいです。
マスキングテープは、たとえば名刺でも良いのですが、そういう小さなメモ用紙等を、ノートに貼付ける作業とかにも便利なので、1巻だけは、いつもカバンに入れてますし、テープの色が分類等に便利なので、何色ものテープを10cmくらいずつちぎって、ツイストリングノートのいちばん最後の頁に貼付けてあります。
メモを取っていくうちに、あらたなテーマや分類を思いついた時に、さっと「耳」を作って、そこにテーマのキーワードでも書いてしまうと、ノートを見るたびに「耳」のキーワードが目に飛び込んでくるので、継続的にメモを取るとかしやすくなってくるんですよ。
そんなこんながありますので、バインダーノートにはマスキングテープはすごく便利です。
もちろんツイストリング・ノートにも必須。たいへんおすすめできますので、ぜひご活用くださいませ。
09年9月5日追記----------------------------------------
関連記事-------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/
■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/
■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/
--------------------
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/
この間から、ツイストリング・ノートの使いこなしに関して書こう、書こうと思ってるのですが、どうにもうまく書けない。
なんでかなぁと考えてみると、それは、まず「普通の綴じノートのように使おうとすると難しい」という話の説明にとても手間取るからだったのです。
というのは、要はまず「普通の綴じノートをどういう風に使うと、どう便利なのか。」が分ってないと、「ツイストリング・ノートを綴じノートのように使う」という課題の困難さが理解できないという話なわけです。
で、この説明には、表題に書いた、「シーケンシャルなノートにはページ番号を打つと良い」というノウハウが密接にからんで来るんですね。
で、しかも、僕は「綴じノートにページ番号を打つ」というのは、比較的良く知られたノウハウなんだろう、と勝手に想像してたのですが、これがネットで検索してみると、意外に紹介されていないのですよ。
一度、このノウハウに目覚めてしまうと、もう絶対にノートを買ってすぐにページ番号を入れるけどなぁと思ってしまうんですが、世間一般ではどうもそうではないのだ、という事がおぼろげながらにわかってきたわけです。
とにかく、モレスキン(私はA5サイズの横罫の奴を使ってました)とか、普通のリングノート、あるいは、なんでもない、そこいらの大学ノートでも、シーケンシャルな順序固定のノートなら、
●全ページに先にページ番号を振るのが良い。
というのを、声を大にして言いたいのですよ。ネットでいろいろ検索してみたら「メーカーは綴じノートにページ番号を入れて販売して欲しい」という要望があったりして、「おおおお、その通りだ!」と思ったくらいでして。
ページ番号が振ってあると、とにかく何をするにも便利なんです。目次を作ったり索引を作ったりできる。で、そういう目次や索引は、「自分が考えてきたことのインデックス」になるわけで、ノートを読み返して思索を深める、ということにそのまま直結するんですね。ものすごく効果が高いんです。これはほんとに、一度やってみないとわからないことです。
このあたりの話は、
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
でも書いているので、参照してみてください。
で、ページ番号ですが、自分で書いていくのなら、
●ページ番号は見開き単位で1個、にしても良い。
というノウハウもあります。モレスキンとかだと240頁くらいあるので手書きでページ番号を打つだけでも、かなりの手間なんです。でも、見開き単位で1個なら、いきなり半分で良いという事になるのでかなりラクです。
で、実際には、目次や索引を作る時に「P40L」とか、「P40R」とかライト・レフトを付け加えて、右頁の項目か、左ページの項目かを明示してやっても良いわけです。
もっと簡単にしようと思ったら、
●ナンバリングマシンを使う
という手もあります。日付スタンプのでっかい奴で、打つたびに番号が増える番号スタンプですね。あれを使う。僕も持ってるはずなんですけど、どこにいったのか見あたらないのです。トホホ。
で、もうひとつ突っ込んだノウハウを書くなら、
●ページ番号は目立たせるべし
ということになります。書籍のページ番号は、位置も正確でページ番号のまわりにはキチンと余白もあるので目に入りやすく工夫がされてますが、手書きで書くとそのあたりがかなりアバウトになるので見にくいのですね。
なので、たとえば見開き単位で一個だけ番号を振る場合などは、右上とかに大きめにドカーンと書いてしまった方が良いです。太いペンで書いても良いですし、赤ペンで書いてもいいです。
とくに僕がおすすめするのは赤色で書くページ番号ですね。色を変えてあると嫌でも目立ちますから検索性がかなり高まります。
●ページ番号は赤色で書くべし。
です。
こういう事を言ってる人は、あんまりいないみたいなんですけど、超便利なのでおすすめしたいです。
というのは、ノートというのは、あまりページをまたがずに、見開き単位で完結している方が、何かと使いやすいので、時折ギュッと詰め込んで書きたい時が出てくるわけですよ。
その時に、ページ番号が黒色だと、「手書きの黒色文字」と完全に重なってしまうので、ページ番号の近くには文字が書けないということになるんです。
でも、ページ番号が赤色だと、
●ページ番号の上にメモしても大丈夫。
だったりするんですよ。ページの効率が高まる。それでいて、ページ番号の検索機能は、まったく落ちないのです。
これはとても快適なので、ぜひお試しいただきたいと、僕は思っております。
で、ページ番号さえ、しっかり連番が振ってあれば、シーケンシャルなノートはもう、いくらでもワープができるんです。
●「P104の●●参照」
とか、書くことができる。
これが、どれほど便利か。
あ、もひとつ言うなら、この「P104の●●参照」というのも赤色ペンで書くと良いのです。あくまで検索用のインデックスなのだなと、本文を読む時も無視して読めますし、ノート全体をザクッと見ていくときには逆に良い目印になります。
こういう風に、ページ番号さえ振ってやれば、シーケンシャルなノートというものは、かなり有用な効果の高いツールになるんです。
でも、ツイストリングノートには、この手法が通用しない。
なんせページの組み替えができますから。
さぁ、これをどうするか? というのが、いまの僕の課題で、これがなかなに難しいのだ、という話なんですね。
ああ、やっと書きたいことのスタート地点に立てた。
ああ、面倒だなぁ、この話。
まぁいいや。
またいずれ、この続きを書きます。
これだけ書いたら疲れてしまいました。
ではでは。
関連記事-----------------------
抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
なんでかなぁと考えてみると、それは、まず「普通の綴じノートのように使おうとすると難しい」という話の説明にとても手間取るからだったのです。
というのは、要はまず「普通の綴じノートをどういう風に使うと、どう便利なのか。」が分ってないと、「ツイストリング・ノートを綴じノートのように使う」という課題の困難さが理解できないという話なわけです。
で、この説明には、表題に書いた、「シーケンシャルなノートにはページ番号を打つと良い」というノウハウが密接にからんで来るんですね。
で、しかも、僕は「綴じノートにページ番号を打つ」というのは、比較的良く知られたノウハウなんだろう、と勝手に想像してたのですが、これがネットで検索してみると、意外に紹介されていないのですよ。
一度、このノウハウに目覚めてしまうと、もう絶対にノートを買ってすぐにページ番号を入れるけどなぁと思ってしまうんですが、世間一般ではどうもそうではないのだ、という事がおぼろげながらにわかってきたわけです。
とにかく、モレスキン(私はA5サイズの横罫の奴を使ってました)とか、普通のリングノート、あるいは、なんでもない、そこいらの大学ノートでも、シーケンシャルな順序固定のノートなら、
●全ページに先にページ番号を振るのが良い。
というのを、声を大にして言いたいのですよ。ネットでいろいろ検索してみたら「メーカーは綴じノートにページ番号を入れて販売して欲しい」という要望があったりして、「おおおお、その通りだ!」と思ったくらいでして。
ページ番号が振ってあると、とにかく何をするにも便利なんです。目次を作ったり索引を作ったりできる。で、そういう目次や索引は、「自分が考えてきたことのインデックス」になるわけで、ノートを読み返して思索を深める、ということにそのまま直結するんですね。ものすごく効果が高いんです。これはほんとに、一度やってみないとわからないことです。
このあたりの話は、
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
でも書いているので、参照してみてください。
で、ページ番号ですが、自分で書いていくのなら、
●ページ番号は見開き単位で1個、にしても良い。
というノウハウもあります。モレスキンとかだと240頁くらいあるので手書きでページ番号を打つだけでも、かなりの手間なんです。でも、見開き単位で1個なら、いきなり半分で良いという事になるのでかなりラクです。
で、実際には、目次や索引を作る時に「P40L」とか、「P40R」とかライト・レフトを付け加えて、右頁の項目か、左ページの項目かを明示してやっても良いわけです。
もっと簡単にしようと思ったら、
●ナンバリングマシンを使う
という手もあります。日付スタンプのでっかい奴で、打つたびに番号が増える番号スタンプですね。あれを使う。僕も持ってるはずなんですけど、どこにいったのか見あたらないのです。トホホ。
で、もうひとつ突っ込んだノウハウを書くなら、
●ページ番号は目立たせるべし
ということになります。書籍のページ番号は、位置も正確でページ番号のまわりにはキチンと余白もあるので目に入りやすく工夫がされてますが、手書きで書くとそのあたりがかなりアバウトになるので見にくいのですね。
なので、たとえば見開き単位で一個だけ番号を振る場合などは、右上とかに大きめにドカーンと書いてしまった方が良いです。太いペンで書いても良いですし、赤ペンで書いてもいいです。
とくに僕がおすすめするのは赤色で書くページ番号ですね。色を変えてあると嫌でも目立ちますから検索性がかなり高まります。
●ページ番号は赤色で書くべし。
です。
こういう事を言ってる人は、あんまりいないみたいなんですけど、超便利なのでおすすめしたいです。
というのは、ノートというのは、あまりページをまたがずに、見開き単位で完結している方が、何かと使いやすいので、時折ギュッと詰め込んで書きたい時が出てくるわけですよ。
その時に、ページ番号が黒色だと、「手書きの黒色文字」と完全に重なってしまうので、ページ番号の近くには文字が書けないということになるんです。
でも、ページ番号が赤色だと、
●ページ番号の上にメモしても大丈夫。
だったりするんですよ。ページの効率が高まる。それでいて、ページ番号の検索機能は、まったく落ちないのです。
これはとても快適なので、ぜひお試しいただきたいと、僕は思っております。
で、ページ番号さえ、しっかり連番が振ってあれば、シーケンシャルなノートはもう、いくらでもワープができるんです。
●「P104の●●参照」
とか、書くことができる。
これが、どれほど便利か。
あ、もひとつ言うなら、この「P104の●●参照」というのも赤色ペンで書くと良いのです。あくまで検索用のインデックスなのだなと、本文を読む時も無視して読めますし、ノート全体をザクッと見ていくときには逆に良い目印になります。
こういう風に、ページ番号さえ振ってやれば、シーケンシャルなノートというものは、かなり有用な効果の高いツールになるんです。
でも、ツイストリングノートには、この手法が通用しない。
なんせページの組み替えができますから。
さぁ、これをどうするか? というのが、いまの僕の課題で、これがなかなに難しいのだ、という話なんですね。
ああ、やっと書きたいことのスタート地点に立てた。
ああ、面倒だなぁ、この話。
まぁいいや。
またいずれ、この続きを書きます。
これだけ書いたら疲れてしまいました。
ではでは。
関連記事-----------------------
抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
血液型AB型オンパレ漫画「めだかBOX」
2009年7月20日コメント (3)この7月20日という日は「海の日」という祝日で、全国的にお休みです。で、今年はたまたま月曜日が20日だったので、連休になっておりますが、「月曜日がお休み」というのが、この数年で次々に増えてきたのですね。
●国民の祝日に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO178.html
●「国民の祝日に関する法律」Wikipedeia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AE%E7%A5%9D%E6%97%A5%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B
このあたり、ちょっといろいろ言いたいこともあるのですが、それは置いといて。
ようは、土日月と三連休になることがけっこう増えてきたということでして、そうなるとどうなるのか? というと、
●少年ジャンプが土曜日発売に変わる。
という事なのです。
通常少年ジャンプは月曜日発売でして、週の頭で、仕事をバリバリやらねば!という時に発売になるので、読む時間がうまくとれなかったりするんですね。
でも、この連休前発売の時は連休中にゆっくり読めるので、僕的には嬉しいのでして。どうせなら通常の発売日も、毎週金曜日発売とか毎週土曜日発売のほうがうれしいくらいなんですが。
ともあれ、そんなことで、ゆったりジャンプを読んでいて、あらためて、「この漫画は異常だよなぁ」と思うのが、数ヶ月ほど前から始まった「めだかBOX」という作品。
いや、別に面白いとかそういう事ではないのです。素晴らしい!と言ってほめたいのでもありません。ただ、あまりに登場人物が、
●AB型ばかり
というのが極端なので、感心しまくってしまう、というだけの話なんですね。
まぁ内容は、学園もので、「なんでもできるスーパーレディのめだかちゃんが、生徒会会長となって、学園のあれやこれやを問題解決する」というお話しなんですが。
でも、この主人公のめだかちゃんがAB型の設定で、その横に付いている幼なじみの男の子がAB型で、その二人を横で見ながらからかっているチビ女がAB型で…と、AB型ばかりが登場人物という形で始まった連載が、この2ヶ月ほどの間に10人以上のゲストキャラとか新キャラクターが登場しているのだけれど、ほぼ9割がAB型という異常さなんですねぇ。
ここで、血液型のおさらいをしておきますが、AB型はもともと10人に1人しかいないと言う「希少種」です。日本での血液型比率を考えるとA型4割O型3割B型2割ですので、普通に考えれば、いろいろな血液型同士の組み合わせが考えられる中で、AB型同士の出会いは、10分の1×10分の1ですから、100分の1ということになるわけで、ものすごく確率論的には低くなる話です。
が。
現実の社会は、別に確率論で動いてるわけではなくて、「なんとなくの相性」とかで動いている事も多くて、実はAB型同士すごく気があって、いろいろ話をしてみたら、後から「え、お前もAB型だったの?」ということはけっこうあるんです。
いや、かく言う僕がAB型なんですけどね。
で、実際、昨日も仕事仲間のデザイナー君の結婚披露パーティーだったんですが、その結婚した二人がAB型同士。なので、AB型の人間の回りには、やっぱりAB型がすごく多いし、群がってるものなのです。
確率論で言うと100分の1×100分の1×…とAB型がひとり増えるごとに確率は低くなるので、5人くらいのAB型同士の集まりがあったとしたら、それは天文学的な確率の低さである、という話になるわけですが、実際にはそうはならないんですな。
ようは「なんとなくウマが合う」というのがあって、似たもの同士つるんでるのが楽しいとかあったりするからです。
まぁ、そういう体験を日々しているので、「血液型と性格の相関関係に科学的根拠はない」とか言って、血液型と性格との関係性を無視しようとしてる人間がバカに見えて仕方ないんですが。
まぁ、それはそれとして。
この漫画は、とにかく出てくる登場人物が、ことごとくAB型で、今週はとうとう、どうやら「ワル者」の立場になりそうな「敵」が3人登場したんですが、この3人がまた全員AB型。
やるなぁ。
現実、ここまでAB型が多いって事はありえないんですが、AB型は、「Aの要素とBの要素を持っていて、なんでもできるスーパータイプ」という部分もあるので、漫画のキャラクター設定としては便利でよろしい。ちょっと極端な屁理屈とかを言っても「ああ、まぁAB型ならそういう事は言うよな」で通る。(通るのか?:笑)
どの登場人物もキャラ立ちがはっきりしていて(ようは変人)、それでいてAB型なら、さもありなんと思える。(ようはAB型は変人ということです。:笑)
で、また、AB型は「なんでもできるが、八方美人でバイタリティに欠ける」というところもあるので、適当にストーリーの目先を変えて多少話の流れにズレがあっても、これまた特におかしな感じもしない。というメリットもあったりするわけで。(かなり天気屋なので、けっこうえーかげんなのです。AB型は。)
ジャンプを開くたびに、「あ、こんな漫画も連載してたよなぁ」と思うという程度の印象しかない作品なのですが、しかしそれでも「AB型ばかりの登場人物」というのが、少なくとも私には心地よく、まぁイライラすることもなく読める漫画なのではあります。
特におすすめするべき作品というわけでもないんですが、学園モノとかスポーツ漫画とかは、だいたい登場人物の血液型はA、O、B、ABが、上記の4:3:2:1の比率で適度にばらけているのが普通で、AB型の私としては、いまいち応援できるキャラクターが少なく、なおかつ「AB型の生活実感」とかけ離れてることが多いので、この漫画は「おもしれーなー」と思う漫画なのであります。
AB型のまわりはAB型ばっかりだよ。ほんとに。なぜか気があっちゃうし。まさに、この漫画のような感じ。科学とか確率論とは全然異なる世界というのがあるのです。あるんだったらあるんだからしょうがないのだ。
ということで、AB型の世界に興味のある方は、まぁ読んでみてください。(そんな世界に興味のある人自体があんまりいてないと思うけど。)
ではでは。
●国民の祝日に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO178.html
●「国民の祝日に関する法律」Wikipedeia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AE%E7%A5%9D%E6%97%A5%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B
このあたり、ちょっといろいろ言いたいこともあるのですが、それは置いといて。
ようは、土日月と三連休になることがけっこう増えてきたということでして、そうなるとどうなるのか? というと、
●少年ジャンプが土曜日発売に変わる。
という事なのです。
通常少年ジャンプは月曜日発売でして、週の頭で、仕事をバリバリやらねば!という時に発売になるので、読む時間がうまくとれなかったりするんですね。
でも、この連休前発売の時は連休中にゆっくり読めるので、僕的には嬉しいのでして。どうせなら通常の発売日も、毎週金曜日発売とか毎週土曜日発売のほうがうれしいくらいなんですが。
ともあれ、そんなことで、ゆったりジャンプを読んでいて、あらためて、「この漫画は異常だよなぁ」と思うのが、数ヶ月ほど前から始まった「めだかBOX」という作品。
いや、別に面白いとかそういう事ではないのです。素晴らしい!と言ってほめたいのでもありません。ただ、あまりに登場人物が、
●AB型ばかり
というのが極端なので、感心しまくってしまう、というだけの話なんですね。
まぁ内容は、学園もので、「なんでもできるスーパーレディのめだかちゃんが、生徒会会長となって、学園のあれやこれやを問題解決する」というお話しなんですが。
でも、この主人公のめだかちゃんがAB型の設定で、その横に付いている幼なじみの男の子がAB型で、その二人を横で見ながらからかっているチビ女がAB型で…と、AB型ばかりが登場人物という形で始まった連載が、この2ヶ月ほどの間に10人以上のゲストキャラとか新キャラクターが登場しているのだけれど、ほぼ9割がAB型という異常さなんですねぇ。
ここで、血液型のおさらいをしておきますが、AB型はもともと10人に1人しかいないと言う「希少種」です。日本での血液型比率を考えるとA型4割O型3割B型2割ですので、普通に考えれば、いろいろな血液型同士の組み合わせが考えられる中で、AB型同士の出会いは、10分の1×10分の1ですから、100分の1ということになるわけで、ものすごく確率論的には低くなる話です。
が。
現実の社会は、別に確率論で動いてるわけではなくて、「なんとなくの相性」とかで動いている事も多くて、実はAB型同士すごく気があって、いろいろ話をしてみたら、後から「え、お前もAB型だったの?」ということはけっこうあるんです。
いや、かく言う僕がAB型なんですけどね。
で、実際、昨日も仕事仲間のデザイナー君の結婚披露パーティーだったんですが、その結婚した二人がAB型同士。なので、AB型の人間の回りには、やっぱりAB型がすごく多いし、群がってるものなのです。
確率論で言うと100分の1×100分の1×…とAB型がひとり増えるごとに確率は低くなるので、5人くらいのAB型同士の集まりがあったとしたら、それは天文学的な確率の低さである、という話になるわけですが、実際にはそうはならないんですな。
ようは「なんとなくウマが合う」というのがあって、似たもの同士つるんでるのが楽しいとかあったりするからです。
まぁ、そういう体験を日々しているので、「血液型と性格の相関関係に科学的根拠はない」とか言って、血液型と性格との関係性を無視しようとしてる人間がバカに見えて仕方ないんですが。
まぁ、それはそれとして。
この漫画は、とにかく出てくる登場人物が、ことごとくAB型で、今週はとうとう、どうやら「ワル者」の立場になりそうな「敵」が3人登場したんですが、この3人がまた全員AB型。
やるなぁ。
現実、ここまでAB型が多いって事はありえないんですが、AB型は、「Aの要素とBの要素を持っていて、なんでもできるスーパータイプ」という部分もあるので、漫画のキャラクター設定としては便利でよろしい。ちょっと極端な屁理屈とかを言っても「ああ、まぁAB型ならそういう事は言うよな」で通る。(通るのか?:笑)
どの登場人物もキャラ立ちがはっきりしていて(ようは変人)、それでいてAB型なら、さもありなんと思える。(ようはAB型は変人ということです。:笑)
で、また、AB型は「なんでもできるが、八方美人でバイタリティに欠ける」というところもあるので、適当にストーリーの目先を変えて多少話の流れにズレがあっても、これまた特におかしな感じもしない。というメリットもあったりするわけで。(かなり天気屋なので、けっこうえーかげんなのです。AB型は。)
ジャンプを開くたびに、「あ、こんな漫画も連載してたよなぁ」と思うという程度の印象しかない作品なのですが、しかしそれでも「AB型ばかりの登場人物」というのが、少なくとも私には心地よく、まぁイライラすることもなく読める漫画なのではあります。
特におすすめするべき作品というわけでもないんですが、学園モノとかスポーツ漫画とかは、だいたい登場人物の血液型はA、O、B、ABが、上記の4:3:2:1の比率で適度にばらけているのが普通で、AB型の私としては、いまいち応援できるキャラクターが少なく、なおかつ「AB型の生活実感」とかけ離れてることが多いので、この漫画は「おもしれーなー」と思う漫画なのであります。
AB型のまわりはAB型ばっかりだよ。ほんとに。なぜか気があっちゃうし。まさに、この漫画のような感じ。科学とか確率論とは全然異なる世界というのがあるのです。あるんだったらあるんだからしょうがないのだ。
ということで、AB型の世界に興味のある方は、まぁ読んでみてください。(そんな世界に興味のある人自体があんまりいてないと思うけど。)
ではでは。
またツイストリングノートの話なんですが。
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
手帳を使ってる場合は、けっこう電車の中でメモとかつけたりするわけですよ。私。
というか、世間的にも良く見ますよね。
意外に、電車の中で手帳にメモしてるのって、女性に多いんだよなぁ。なんででしょ? 男は少ないように思う。男で電車の中で手帳にメモしてる人って、何かマニアックに趣味的な事を追いかけてるような人が多い感じで、女性の場合は、どうも思い出を楽しみつつ手帳にメモしてるとか、次の予定までに何をすべきかを考えてるとか、そういう人が多い感じ。シールとかも貼ったりして。概して、女性の手帳はカラフルで可愛いですわね。男の手帳は、文字ばっかりで、みっちり書いてるって人が多いように思うなぁ。
それはともあれ。
手帳を使ってた時は、電車の中で開いてあれやこれやと書き込んだりも、けっこうしていたんですが、ツイストリングノートで手帳的な事もまとめるようになってから、電車の中で何か書くというような事を、ほとんどしなくなったんですね。
なんでかな? と思ったら、単に、
●「バインダーノートは電車の中では使いにくい」と思っていた。
というだけの話だと気づいたわけです。普通、バインダー式のノートだと、使うときは必ず左右に広がりが必要になりまして、いたずらに空間を必要とするわけです。
だから電車の中で使うには、普通のバインダーノートというのは、かなり不便なんですね。
A5サイズの20穴バインダーとかも、一時期使ってたんですが、やっぱり電車の中で開くってことはしなかった。
で、ツイストリングノートも、使い勝手がバインダーにかなり近いので「これはバインダーノートなのだ!」という印象がかなり強くなっていて、電車の中で使うという発想に全然ならなかったんですね。僕の意識の中で。アホなことに。
でも、この間、ふと思いついた事があって、電車の中で座ってたのですが、鞄の中からツイストリングノートを取りだそうという気になりまして、いろいろメモしてたのですが。
それがどうも、全然ストレスを感じない。
んんん? なんで?
と考えてみたら、結局、
●半分折りにできるから
なんですね。
「おおおお、そうか! 半分折りだと電車の中で邪魔にならんかったのだ!」
てなもんです。
なんでいままで気づかなかったのかね?
アホな話です。
バインダーでのメモ取りをしてたこととか、長年の経験が逆に邪魔してしまったわけですな。
で、使ってて思ったのが、この半分折りでのジャストB5サイズのメモを見るという感覚がどこかで体験したような感じがありまして、「なんだろうな?」と思うと、ようは手帳にメモしていた時の感覚と非常に近いわけであります。
で、何がそんなに感覚的に近いのか? と考えると、ようは横幅が普通の綴じ手帳の見開きサイズと、けっこう近いのだって事なんですね。
ツイストリングノートの半分折り状態のジャストB5サイズだと、タテの長さはちょっと長くて、手帳にくらべると取り回しが悪い感じはあるんですけど、横幅は、綴じタイプのビジネス手帳と非常に似通ってまして、使い勝手がけっこう似てるんですわ。
あー、そうなんやー。
これはけっこう良いなー。
などと改めて喜んでたりします。
もちろん、手帳のように胸ポケットに入れるとかスーツの内ポケットに入れる、なんてことはできませんから、利用の限界はあるんですけどね。それにページめくりも手帳よりは、電車の中での取り回しは悪いし。
でも、メモしたり読み直したりするのには、けっこう便利です。まぁまぁ、そこそこ使える。これぞ「半分折り」の威力だなぁと、改めて気づいたのです。
喫茶店で読み直しするとか、メモをつけるとかは良くやってるので、そういう時に便利なのはわかってたんですけど、電車の中で便利とは考えもしなかった。
で、あらためて思ったのは、たぶん、綴じ手帳のサイズというのは、「見開きで使った時に、B5の大学ノートくらいのサイズになるように」というのもあって、ああいうサイズになったんじゃないかなぁということでした。
B系のサイズというのは、もともと和紙の大きさが元になっていて、日本人の体にちょうど良いサイズなんですね。A系は洋モノなので、いまいちしっくりこないところがあります。きゃつら、図体でかいですからな。
A4ノートはでかすぎるし、A5ノートだとちょっと物足りないって感じが、みなさんあるんじゃないですかね? 学生時代の大学ノートにせよ、ルーズリーフのバインダーにせよ、B5サイズにやはり一番慣れ親しんでいるっていうのがあります。
その慣れ親しんだサイズを見開きで実現したのがビジネス用の綴じ手帳で、普通のリングノートは、半分折り・B5片面使いで、その慣れ親しんだ書き込み面を提供しているって事ではないかな?と思うわけです。
パソコンのプリントというとA4用紙がすごく多いんですけど、あれ、あんまり電車の中で参照したいと思わないんですよね。横幅・タテの長さともに、ちいと長い。やったことのある人なら実感してもらえると思うんですけど、A4用紙にプリントされた資料って、電車の中では、すごく取り回しが悪いんですよ。
ホチキス止めしてあって、「片面使い」であったとしても、まだ横幅が微妙に大きくてちょっと邪魔。タテの長さに関してはすごく邪魔です。ページめくりとかすると、ものすごくストレスフルです。
綴じ手帳の見開きサイズは、B5の紙の下三分の一を切り取ったくらいのサイズで、電車の中で見るには、このくらいが感覚としてちょうど良い感じなんですね。そのあたり、やっぱり定番のものは、よく考えられてると思います。
逆にバインダー式のシステム手帳は、片面使いしかできないから、面積的には狭くなっちゃうわけです。その割に横幅は普通の手帳なみ。要するにB5の横幅と変わらないのですね。
バインダーの「半分に折れない」という欠点が、ここに出てくるわけです。
バイブルサイズのシステム手帳が、普通の手帳よりちょっと大きめなのは、書き込み面を稼ぎたいからなわけでして。
そういう事を考えると、「書く・読む」という基本部分の事だけを考えると、リングノートを電車の中で使うというのは、意外に良いですな。
まぁちょっとタテの長さは多すぎる感じがあるし、あと、半分折りにして手で持つと、折った反対側は、周りの人に丸見えになっちゃうから、そこは注意しないと恥ずかしいんですけどね。
でも、意外に使える。
ああ、そういえば、頭の良さそうな女子学生とか、電車の中で授業のノートをまとめるのに、リングノートを使って、ヒザの上を机にして勉強してる子とか見かけるよなぁと、いまごろになって気づくのでした。
半分折りだと、ヒザを机にできるんだなぁ。そうだなぁ。
僕はリングノートは、仕事をし始めてから使うようになったので、学生時代にはリングノートを使うとか、ヒザの上を机にするとか、そういうことをやった経験がまるでないんです。いかに勉強してない学生だったか、ということですなぁ。
ということで、半分折りできるB5サイズのリングノートは、ツイストリングノートに限らず、意外に電車の中でも使いやすい、というのが発見でありました。
電車の中に限定すると、綴じ手帳が多分、一番使いやすいと思いますが、まぁ、その次くらいに、リングノートが便利なんじゃないの? って思いました。
(B6サイズのリングノートを使ってた時は、良く電車の中でメモを取ってましたけどね。
●大好きなノート
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811071514419830/
これはこれで、また全然違う世界でかなり好きなんですが、まぁマニアックにメモ取りしたい人向けかもしれない。B6サイズのリングノートってのも、かなり良いです。)
ともあれ、いざ電車の中で取り出してみると、意外にツイストリングノートも使える。大満足!というほどではないけれども、半分折りだとかなり使える感じなのが、僕的にはけっこう新鮮な発見でした。
だって、これでバインダーノートの差し替え自由というメリットがあるんだぜ? ちょっとすごくない? 大満足の要素は少ないノートですが、いろんなシーンでかなり幅広く、そこそこ使えるのが、ツイストリングノートの一番の魅力ですな。「そこそこ満足」で、カバー出来る範囲が超広いって感じ。
かなり面白い存在です。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/
■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/
----------------
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/
●抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/
手帳を使ってる場合は、けっこう電車の中でメモとかつけたりするわけですよ。私。
というか、世間的にも良く見ますよね。
意外に、電車の中で手帳にメモしてるのって、女性に多いんだよなぁ。なんででしょ? 男は少ないように思う。男で電車の中で手帳にメモしてる人って、何かマニアックに趣味的な事を追いかけてるような人が多い感じで、女性の場合は、どうも思い出を楽しみつつ手帳にメモしてるとか、次の予定までに何をすべきかを考えてるとか、そういう人が多い感じ。シールとかも貼ったりして。概して、女性の手帳はカラフルで可愛いですわね。男の手帳は、文字ばっかりで、みっちり書いてるって人が多いように思うなぁ。
それはともあれ。
手帳を使ってた時は、電車の中で開いてあれやこれやと書き込んだりも、けっこうしていたんですが、ツイストリングノートで手帳的な事もまとめるようになってから、電車の中で何か書くというような事を、ほとんどしなくなったんですね。
なんでかな? と思ったら、単に、
●「バインダーノートは電車の中では使いにくい」と思っていた。
というだけの話だと気づいたわけです。普通、バインダー式のノートだと、使うときは必ず左右に広がりが必要になりまして、いたずらに空間を必要とするわけです。
だから電車の中で使うには、普通のバインダーノートというのは、かなり不便なんですね。
A5サイズの20穴バインダーとかも、一時期使ってたんですが、やっぱり電車の中で開くってことはしなかった。
で、ツイストリングノートも、使い勝手がバインダーにかなり近いので「これはバインダーノートなのだ!」という印象がかなり強くなっていて、電車の中で使うという発想に全然ならなかったんですね。僕の意識の中で。アホなことに。
でも、この間、ふと思いついた事があって、電車の中で座ってたのですが、鞄の中からツイストリングノートを取りだそうという気になりまして、いろいろメモしてたのですが。
それがどうも、全然ストレスを感じない。
んんん? なんで?
と考えてみたら、結局、
●半分折りにできるから
なんですね。
「おおおお、そうか! 半分折りだと電車の中で邪魔にならんかったのだ!」
てなもんです。
なんでいままで気づかなかったのかね?
アホな話です。
バインダーでのメモ取りをしてたこととか、長年の経験が逆に邪魔してしまったわけですな。
で、使ってて思ったのが、この半分折りでのジャストB5サイズのメモを見るという感覚がどこかで体験したような感じがありまして、「なんだろうな?」と思うと、ようは手帳にメモしていた時の感覚と非常に近いわけであります。
で、何がそんなに感覚的に近いのか? と考えると、ようは横幅が普通の綴じ手帳の見開きサイズと、けっこう近いのだって事なんですね。
ツイストリングノートの半分折り状態のジャストB5サイズだと、タテの長さはちょっと長くて、手帳にくらべると取り回しが悪い感じはあるんですけど、横幅は、綴じタイプのビジネス手帳と非常に似通ってまして、使い勝手がけっこう似てるんですわ。
あー、そうなんやー。
これはけっこう良いなー。
などと改めて喜んでたりします。
もちろん、手帳のように胸ポケットに入れるとかスーツの内ポケットに入れる、なんてことはできませんから、利用の限界はあるんですけどね。それにページめくりも手帳よりは、電車の中での取り回しは悪いし。
でも、メモしたり読み直したりするのには、けっこう便利です。まぁまぁ、そこそこ使える。これぞ「半分折り」の威力だなぁと、改めて気づいたのです。
喫茶店で読み直しするとか、メモをつけるとかは良くやってるので、そういう時に便利なのはわかってたんですけど、電車の中で便利とは考えもしなかった。
で、あらためて思ったのは、たぶん、綴じ手帳のサイズというのは、「見開きで使った時に、B5の大学ノートくらいのサイズになるように」というのもあって、ああいうサイズになったんじゃないかなぁということでした。
B系のサイズというのは、もともと和紙の大きさが元になっていて、日本人の体にちょうど良いサイズなんですね。A系は洋モノなので、いまいちしっくりこないところがあります。きゃつら、図体でかいですからな。
A4ノートはでかすぎるし、A5ノートだとちょっと物足りないって感じが、みなさんあるんじゃないですかね? 学生時代の大学ノートにせよ、ルーズリーフのバインダーにせよ、B5サイズにやはり一番慣れ親しんでいるっていうのがあります。
その慣れ親しんだサイズを見開きで実現したのがビジネス用の綴じ手帳で、普通のリングノートは、半分折り・B5片面使いで、その慣れ親しんだ書き込み面を提供しているって事ではないかな?と思うわけです。
パソコンのプリントというとA4用紙がすごく多いんですけど、あれ、あんまり電車の中で参照したいと思わないんですよね。横幅・タテの長さともに、ちいと長い。やったことのある人なら実感してもらえると思うんですけど、A4用紙にプリントされた資料って、電車の中では、すごく取り回しが悪いんですよ。
ホチキス止めしてあって、「片面使い」であったとしても、まだ横幅が微妙に大きくてちょっと邪魔。タテの長さに関してはすごく邪魔です。ページめくりとかすると、ものすごくストレスフルです。
綴じ手帳の見開きサイズは、B5の紙の下三分の一を切り取ったくらいのサイズで、電車の中で見るには、このくらいが感覚としてちょうど良い感じなんですね。そのあたり、やっぱり定番のものは、よく考えられてると思います。
逆にバインダー式のシステム手帳は、片面使いしかできないから、面積的には狭くなっちゃうわけです。その割に横幅は普通の手帳なみ。要するにB5の横幅と変わらないのですね。
バインダーの「半分に折れない」という欠点が、ここに出てくるわけです。
バイブルサイズのシステム手帳が、普通の手帳よりちょっと大きめなのは、書き込み面を稼ぎたいからなわけでして。
そういう事を考えると、「書く・読む」という基本部分の事だけを考えると、リングノートを電車の中で使うというのは、意外に良いですな。
まぁちょっとタテの長さは多すぎる感じがあるし、あと、半分折りにして手で持つと、折った反対側は、周りの人に丸見えになっちゃうから、そこは注意しないと恥ずかしいんですけどね。
でも、意外に使える。
ああ、そういえば、頭の良さそうな女子学生とか、電車の中で授業のノートをまとめるのに、リングノートを使って、ヒザの上を机にして勉強してる子とか見かけるよなぁと、いまごろになって気づくのでした。
半分折りだと、ヒザを机にできるんだなぁ。そうだなぁ。
僕はリングノートは、仕事をし始めてから使うようになったので、学生時代にはリングノートを使うとか、ヒザの上を机にするとか、そういうことをやった経験がまるでないんです。いかに勉強してない学生だったか、ということですなぁ。
ということで、半分折りできるB5サイズのリングノートは、ツイストリングノートに限らず、意外に電車の中でも使いやすい、というのが発見でありました。
電車の中に限定すると、綴じ手帳が多分、一番使いやすいと思いますが、まぁ、その次くらいに、リングノートが便利なんじゃないの? って思いました。
(B6サイズのリングノートを使ってた時は、良く電車の中でメモを取ってましたけどね。
●大好きなノート
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811071514419830/
これはこれで、また全然違う世界でかなり好きなんですが、まぁマニアックにメモ取りしたい人向けかもしれない。B6サイズのリングノートってのも、かなり良いです。)
ともあれ、いざ電車の中で取り出してみると、意外にツイストリングノートも使える。大満足!というほどではないけれども、半分折りだとかなり使える感じなのが、僕的にはけっこう新鮮な発見でした。
だって、これでバインダーノートの差し替え自由というメリットがあるんだぜ? ちょっとすごくない? 大満足の要素は少ないノートですが、いろんなシーンでかなり幅広く、そこそこ使えるのが、ツイストリングノートの一番の魅力ですな。「そこそこ満足」で、カバー出来る範囲が超広いって感じ。
かなり面白い存在です。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768
■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/
■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/
----------------
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/
■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/