なんだかわけのわからん話で起訴猶予処分だそうで。
日本人は「おかみ」意識が強いから、そういう社会情勢にあわせてジャニーズ事務所も「良かった」とか言ってる感じですけどな、こんなもん、もともと不当逮捕ですがな。良かったもへったくれもおまへんで。
●もともと警察が悪い。
んですよ。
●もともと警察がおかしい。
んですよ。
●もともと警察が異常。
なんですよ。
なんとかしてくれ。
西松建設の秘書逮捕にしても、同じ事で、あんなもの、あのタイミングで逮捕する
●検察が異常
なんですよ。
なのに、まるで検察が正義みたいになってる。世間的に。ちょっと待てっちゅうねん。ほんまに。西松建設の小沢秘書さんは、とりあえず起訴されましたけどな、その後どうなりました? 何の動きもありませんがな。なら、あの騒ぎはいったい何やったんや? ちゅうことですがな。
でも、世間的にはそうい話にはなってないしなぁ。
テレビドラマを見てみても、刑事物は大人気ですからな。警察が間違いをするはずがない、みたいなところで大衆が安心しきってる感じがあって、「うーむむむむ、それだけではイカンやろ」って思うのよなぁ。
大衆の側が警察のような公的権力をつねに監視するという視点とスタンスがどうしても必要なんですよ、本来の民主主義であるなら。
でもまぁ、日本に民主主義はないのかも、だなぁ。
やれやれ。
-------------------
どうせついでなので、草なぎ君事件と北野誠事件の共通項を書いておきます。
共通項は2点。
●音事協に不参加の事務所タレントが被害を被った
●テレビはそういう部分に一切つっこまない
です。
概ね、言える事はテレビ局自体が腐っているという事ですね。事実や真実を追究しようというジャーナリスト精神に欠けている、という事です。
で、そこが一番の問題なのですが、(だから僕はテレビを見る気がしないわけです。ほんまにアカンでテレビは。見る気が本当に起きない。)そういう事とは別に音事協の問題があるのですね。
ちょっと調べてみてわかった。
まず、北野誠事件の前後で、松竹芸能と朝日放送(ABC)が音事協から脱退してます。
これは脱退してるというより脱退させられたんじゃないか? という噂もあります。
それから、ジャニーズ事務所は音事協に入ってません。
で、音事協というのは、ようするにこういう芸能事務所の集まりです。
社団法人日本音楽事業者協会というのだそうですが、ここが、かなりの力を持っているということのようですね。
ナベプロ、研音、吉本などなど大手芸能事務所が加入しているし、音事協での決定は芸能事務所としては逆らえないという部分があるようですな。
社団法人として政界とのつながりも強いらしいですし。
ようは、この音事協という業界団体が諸悪の根源なんじゃないの?
ちなみに、バーニングがどうのという話もありますが、バーニングプロというのは事務所としては小さいんですよ。
ただし「バーニング系」という事務所がごちゃまんとありまして、数が多いんですな。だから、こういう業界団体を作ると、その「系列」が揃って同じ意見で意志統一されたりするので、実質バーニングがやってるのと変わらない団体になっているという側面があるらしい。
知らないですけどね。
あくまで、ネットで拾ってきた情報のつなぎあわせですが。
ともあれ、草なぎ君も北野誠も音事協とは関係のないところにいたので被害を被った、と言う風にしか読めませんわなぁ。こういう情報を知ると、そういう風にしか思えないし、裏で音事協が動いたと言われても、仕方ないんじゃないの?
いやまぁ、これは憶測でしかないですけどね。
ともあれ、どこかで音事協とジャニーズ事務所の手打ちがあって「不起訴処分」で決まって行くとかしてるんじゃないか?
でもまぁ、裏の話はどうでも良いのですよ。
そんな事はどうだっていいのだ。
そうではなくて、表も表、もっとも公的な機関である警察が恣意的な逮捕をしたって事が問題で、何より、それが
●問題だ! と大衆が騒がない。
と言うことが、もっと問題だって事になります。
なんでみんな、「警察は正義だ」みたいに思考停止してるのか? っちゅうことですわ。
そういう事をしてると、好きなタレントが犯罪者にされたりしちゃうってことですよ?
いや、それどころか、自分がいつ犯罪者に仕立て上げられるか、分ったものではなくなるって事ですよ?
ええんですか? それ。
僕はイヤやなぁ。それはイヤ。
だから公的機関には、ルールを守らせるって事が大事なんですよ。
夜中の3時に酔っぱらいが公園でハダカになっても、それは公然わいせつで逮捕するのではなく、「酔っぱらい防止法」(正式名称:酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律)で「保護」しなければいけない。
という事をしつこく言わないといけないって事です。
裏の事はどうでもいいんです。
表の杜撰さが問題だって事です。
何度も書いてて、もう、みんなイヤになってるかも、ですが。
でもまぁ、大事な事なので、しつこく書くのであります。
日本人は「おかみ」意識が強いから、そういう社会情勢にあわせてジャニーズ事務所も「良かった」とか言ってる感じですけどな、こんなもん、もともと不当逮捕ですがな。良かったもへったくれもおまへんで。
●もともと警察が悪い。
んですよ。
●もともと警察がおかしい。
んですよ。
●もともと警察が異常。
なんですよ。
なんとかしてくれ。
西松建設の秘書逮捕にしても、同じ事で、あんなもの、あのタイミングで逮捕する
●検察が異常
なんですよ。
なのに、まるで検察が正義みたいになってる。世間的に。ちょっと待てっちゅうねん。ほんまに。西松建設の小沢秘書さんは、とりあえず起訴されましたけどな、その後どうなりました? 何の動きもありませんがな。なら、あの騒ぎはいったい何やったんや? ちゅうことですがな。
でも、世間的にはそうい話にはなってないしなぁ。
テレビドラマを見てみても、刑事物は大人気ですからな。警察が間違いをするはずがない、みたいなところで大衆が安心しきってる感じがあって、「うーむむむむ、それだけではイカンやろ」って思うのよなぁ。
大衆の側が警察のような公的権力をつねに監視するという視点とスタンスがどうしても必要なんですよ、本来の民主主義であるなら。
でもまぁ、日本に民主主義はないのかも、だなぁ。
やれやれ。
-------------------
どうせついでなので、草なぎ君事件と北野誠事件の共通項を書いておきます。
共通項は2点。
●音事協に不参加の事務所タレントが被害を被った
●テレビはそういう部分に一切つっこまない
です。
概ね、言える事はテレビ局自体が腐っているという事ですね。事実や真実を追究しようというジャーナリスト精神に欠けている、という事です。
で、そこが一番の問題なのですが、(だから僕はテレビを見る気がしないわけです。ほんまにアカンでテレビは。見る気が本当に起きない。)そういう事とは別に音事協の問題があるのですね。
ちょっと調べてみてわかった。
まず、北野誠事件の前後で、松竹芸能と朝日放送(ABC)が音事協から脱退してます。
これは脱退してるというより脱退させられたんじゃないか? という噂もあります。
それから、ジャニーズ事務所は音事協に入ってません。
で、音事協というのは、ようするにこういう芸能事務所の集まりです。
社団法人日本音楽事業者協会というのだそうですが、ここが、かなりの力を持っているということのようですね。
ナベプロ、研音、吉本などなど大手芸能事務所が加入しているし、音事協での決定は芸能事務所としては逆らえないという部分があるようですな。
社団法人として政界とのつながりも強いらしいですし。
ようは、この音事協という業界団体が諸悪の根源なんじゃないの?
ちなみに、バーニングがどうのという話もありますが、バーニングプロというのは事務所としては小さいんですよ。
ただし「バーニング系」という事務所がごちゃまんとありまして、数が多いんですな。だから、こういう業界団体を作ると、その「系列」が揃って同じ意見で意志統一されたりするので、実質バーニングがやってるのと変わらない団体になっているという側面があるらしい。
知らないですけどね。
あくまで、ネットで拾ってきた情報のつなぎあわせですが。
ともあれ、草なぎ君も北野誠も音事協とは関係のないところにいたので被害を被った、と言う風にしか読めませんわなぁ。こういう情報を知ると、そういう風にしか思えないし、裏で音事協が動いたと言われても、仕方ないんじゃないの?
いやまぁ、これは憶測でしかないですけどね。
ともあれ、どこかで音事協とジャニーズ事務所の手打ちがあって「不起訴処分」で決まって行くとかしてるんじゃないか?
でもまぁ、裏の話はどうでも良いのですよ。
そんな事はどうだっていいのだ。
そうではなくて、表も表、もっとも公的な機関である警察が恣意的な逮捕をしたって事が問題で、何より、それが
●問題だ! と大衆が騒がない。
と言うことが、もっと問題だって事になります。
なんでみんな、「警察は正義だ」みたいに思考停止してるのか? っちゅうことですわ。
そういう事をしてると、好きなタレントが犯罪者にされたりしちゃうってことですよ?
いや、それどころか、自分がいつ犯罪者に仕立て上げられるか、分ったものではなくなるって事ですよ?
ええんですか? それ。
僕はイヤやなぁ。それはイヤ。
だから公的機関には、ルールを守らせるって事が大事なんですよ。
夜中の3時に酔っぱらいが公園でハダカになっても、それは公然わいせつで逮捕するのではなく、「酔っぱらい防止法」(正式名称:酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律)で「保護」しなければいけない。
という事をしつこく言わないといけないって事です。
裏の事はどうでもいいんです。
表の杜撰さが問題だって事です。
何度も書いてて、もう、みんなイヤになってるかも、ですが。
でもまぁ、大事な事なので、しつこく書くのであります。
Wiiの間、おもしろいですな。
2009年5月4日最近テレビをあまりみないので、テレビで「Wiiの間」の宣伝をしてる事自体を知らなかったんですけども。
でも5月1日に自宅に戻るとWiiのディスクスロットが青く光っていて「あ、何か新機能のお知らせかな」とは思ったわけで。
この間から、「テレビがダメだ」というような事を書いてた訳ですが、この「Wiiの間」は面白いですなぁ。
まぁカンタンに言ってしまえば、任天堂がインターネット回線を使った映像配信サービスを始めた、というだけの事なんですけどね。
前からWiiでは、「みんなのニンテンドーチャンネル」という任天堂およびゲーム開発会社の宣伝動画を配信して、ゲームのオンラインショッピングと組合わせる仕組みはあったんですよね。
この「みんなのニンテンドーチャンネル」って言うのが、新しくて面白いよなぁって思ってたんですよ。
「この仕組みをゲーム関連だけでなく、いろいろな企業や業態に提供したら、すごく面白いよなぁ」って思ってたわけです。
そしたら、まさに思ってたのと近い仕組みが登場したといえます。
「Wiiの間」って言うのは、まさにテレビの中にもうひとつの「お茶の間」がある感じになっていて、そこでいろいろな動画をバーチャルなお茶の間のテレビで見る仕組みになってるわけです。
で、Wiiは家族で見れますので、そのお茶の間に家族の似顔絵人形であるMiiも登場してるんですね。
で、映像を見たら、「○△×」で、その映像を評価することになってるのです。それを家族それぞれで投票できるんですね。
ここが、かなり面白い。
テレビが、すごくつまらなくてダメになってきてるのは、この「評価」の部分が視聴率しかなくて、「見た」かどうかだけだからなんですね。
で、何か新しい事をやると、テレビ局にはクレームだけが届くわけです。「良かったよ」という事でほめるために電話する人はいませんからね。
ということで、ひたすらクレームを怖がって無難に無難に製作するようになって、どんどん表現の幅がせまくなり、そういう狭い範囲での番組づくりとなるとお笑いとか巨乳タレントに頼るのが無難となって、芸能事務所が力を持つようになるとかするし、また報道系でも、クレームを怖れて、確実な情報がもらえる警察からの情報、とくにオフレコのリーク情報取りばかりに力を入れるようになってしまってるわけです。
そういう意味で言うと、この映像の評価を見た人が行う仕組みというのは、テレビの番組制作者には、すごく新鮮だろうなぁって思いますね。
とくにWiiの間は、映像を見たら、必ず評価しないと次に進めないようになってるんですな。
また映像も、おすすめ映像がいくつも出たりはするけれども、基本は自分から能動的に見るという事をしないと見ないわけです。
このあたり旧来のテレビとはまったく違うんだよなぁ。実に面白いのであります。
で、そういう仕組みの「Wiiの間」を見る時って、実はあんまり「おもしろそうな映像」とかを見たいと思っていない自分に気付きましたな。
どっちかというと2~3分で見れて、生活の役に立つ情報とかの方が積極的に見るんだねぇ。
●カルボナーラの作り方
とか、
●○○○○(特定企業の名前が入ります)の事業領域
とか。
いや、「Wiiの間」の中に「会社の間」っていうのがあって、そこに企業の映像サイトがあるんですよ。そういうところの、けっこう固い内容の紹介ビデオとか見てしまう。どうせ短いものだし。
10分になると、もう見たくないんだよねぇ。まぁ3分ですな、長くて。そのくらいが楽しい。
まぁ正直、youtubeに慣れてしまったから、映像の種類の少なさはお話しにならないくらいなんですけど、お茶の間と企業の間をつなぐ、という意味では、かなり面白いです。
さして大きなムーブメントにはならないとは思うのだけど、それでも、これからのテレビのあり方とかを考えたときに、よいトライアルにはなるよなぁと、けっこう注目しているのであります。
ただまぁ、任天堂と電通のコラボだってところがいまいち面白くないんですがね。
いま、電通って面白くないもんなぁ。
まぁ、それはまた別の話だし。
ともあれ、Wiiの間は、なかなか面白いです。
でも5月1日に自宅に戻るとWiiのディスクスロットが青く光っていて「あ、何か新機能のお知らせかな」とは思ったわけで。
この間から、「テレビがダメだ」というような事を書いてた訳ですが、この「Wiiの間」は面白いですなぁ。
まぁカンタンに言ってしまえば、任天堂がインターネット回線を使った映像配信サービスを始めた、というだけの事なんですけどね。
前からWiiでは、「みんなのニンテンドーチャンネル」という任天堂およびゲーム開発会社の宣伝動画を配信して、ゲームのオンラインショッピングと組合わせる仕組みはあったんですよね。
この「みんなのニンテンドーチャンネル」って言うのが、新しくて面白いよなぁって思ってたんですよ。
「この仕組みをゲーム関連だけでなく、いろいろな企業や業態に提供したら、すごく面白いよなぁ」って思ってたわけです。
そしたら、まさに思ってたのと近い仕組みが登場したといえます。
「Wiiの間」って言うのは、まさにテレビの中にもうひとつの「お茶の間」がある感じになっていて、そこでいろいろな動画をバーチャルなお茶の間のテレビで見る仕組みになってるわけです。
で、Wiiは家族で見れますので、そのお茶の間に家族の似顔絵人形であるMiiも登場してるんですね。
で、映像を見たら、「○△×」で、その映像を評価することになってるのです。それを家族それぞれで投票できるんですね。
ここが、かなり面白い。
テレビが、すごくつまらなくてダメになってきてるのは、この「評価」の部分が視聴率しかなくて、「見た」かどうかだけだからなんですね。
で、何か新しい事をやると、テレビ局にはクレームだけが届くわけです。「良かったよ」という事でほめるために電話する人はいませんからね。
ということで、ひたすらクレームを怖がって無難に無難に製作するようになって、どんどん表現の幅がせまくなり、そういう狭い範囲での番組づくりとなるとお笑いとか巨乳タレントに頼るのが無難となって、芸能事務所が力を持つようになるとかするし、また報道系でも、クレームを怖れて、確実な情報がもらえる警察からの情報、とくにオフレコのリーク情報取りばかりに力を入れるようになってしまってるわけです。
そういう意味で言うと、この映像の評価を見た人が行う仕組みというのは、テレビの番組制作者には、すごく新鮮だろうなぁって思いますね。
とくにWiiの間は、映像を見たら、必ず評価しないと次に進めないようになってるんですな。
また映像も、おすすめ映像がいくつも出たりはするけれども、基本は自分から能動的に見るという事をしないと見ないわけです。
このあたり旧来のテレビとはまったく違うんだよなぁ。実に面白いのであります。
で、そういう仕組みの「Wiiの間」を見る時って、実はあんまり「おもしろそうな映像」とかを見たいと思っていない自分に気付きましたな。
どっちかというと2~3分で見れて、生活の役に立つ情報とかの方が積極的に見るんだねぇ。
●カルボナーラの作り方
とか、
●○○○○(特定企業の名前が入ります)の事業領域
とか。
いや、「Wiiの間」の中に「会社の間」っていうのがあって、そこに企業の映像サイトがあるんですよ。そういうところの、けっこう固い内容の紹介ビデオとか見てしまう。どうせ短いものだし。
10分になると、もう見たくないんだよねぇ。まぁ3分ですな、長くて。そのくらいが楽しい。
まぁ正直、youtubeに慣れてしまったから、映像の種類の少なさはお話しにならないくらいなんですけど、お茶の間と企業の間をつなぐ、という意味では、かなり面白いです。
さして大きなムーブメントにはならないとは思うのだけど、それでも、これからのテレビのあり方とかを考えたときに、よいトライアルにはなるよなぁと、けっこう注目しているのであります。
ただまぁ、任天堂と電通のコラボだってところがいまいち面白くないんですがね。
いま、電通って面白くないもんなぁ。
まぁ、それはまた別の話だし。
ともあれ、Wiiの間は、なかなか面白いです。
森永 卓郎氏が、日経系列のSAFTY JAPAN で、「漢字は読めなくても政局が読める麻生総理のすごい能力」という記事を書いてます。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/183/
ただ、この記事、無料だけど、会員登録しないと読めない記事なので、ご了承のほどを。
で、ここで会員登録してるかどうかが大きな違いを産むのだ、困ったことに、というのが今回の記事のテーマでもあります。
ようは麻生さんの支持率が上がってるんだそうです。
で、多分その原因は、
●小沢一郎の秘書逮捕
●北朝鮮のミサイル発射対応
●定額給付金の発行
という3つの条件が連続したからだ、という記事なんですね。
で森永さんもけっこうさめた人で「全部麻生氏にやらせだなぁ」というような事を言いつつ「でも、それで人気が上がるのなら、能力があるってことなんだよな」という皮肉とも落胆ともつかない結論になっておりました。
概略、小沢一郎氏の秘書逮捕は、もう、無茶苦茶な国策捜査です。確かに秘書さんは起訴はされましたが、何年も後に「無罪」とかになるとか、そんな事でしょう。世間のみなさんには「タイホ」という事実が重要なわけです。
なんせ「相棒」にせよ、古くは「太陽にほえろ」にせよ、刑事がスーパースターですから、この国は。タイホされただけで悪者イメージになってしまう。
草なぎ君にしても、逮捕したこと自体がおかしいのに、やっぱり多少なりとも謹慎はしなくちゃならないのがこの国なわけですよ。会見で草なぎ君が「これは逮捕する方がおかしい!」とかは言わない。そういう国です。タレントは世間の皆様が、どう思うかを良く知っている。
そういう国なんです。良いか悪いかではなくて、そういう国だって事ですな。
小沢秘書逮捕は、完全に国策捜査です。でもそれを「国策捜査だ」と見破れるのは「政治家の逮捕は選挙後が常識」という知識のある人間だけです。
北朝鮮のロケット実験だって、なぜかミサイルと言い換えられてた。あれも国の側がわざとそう言い換えさせたわけでしょ? テレビや新聞が政府発表のぶら下がり記事ばかりで、独自取材なんか全然なくなってしまっているという現状がわかっていれば、あれをミサイルと言い換える事自体が、大きな政府の詐欺だとわかるはずなのですよ。
だいたい仮にミサイルだったとしても、ノドンなら日本が対象、テボドン級ならアメリカが対象で日本に関係などございません。
で、定額給付金です。
こんなものね、減税した方が経済効果ははるかに高いわけです。わざわざ封筒を刷って、給付用の用紙を作って、各家庭に「給付金ですよ」と届けるという事務手続きのムダを考えれば、減税の方が経済効果ははるかに高い。
でも、それでは自民党の人気、麻生首相の人気回復につながらない。各家庭に書類を届けること。そしてそれが現金になること。そっちに人間を動かすこと。それが目的なわけです。
いくら額が小さくても、そのために封筒を開け、書類を読み、お金がもらえると知り、お金をもらいにわざわざ出かける、という事をすれば、人間は自分の行動を正当化せざるを得ませんから、それは「良いこと」に化けてしまうわけです。
だから、麻生の支持率があがった。
それはどういうことか? カンタンな事で、
●国民がバカだから。
です。
それだけの事なんです。
いろんな事を勉強しようとしたり、自分の頭で考えようとしたりしていない。流されてるまま。だから、こういうカンタンなからくりで支持率が上がってしまう。
もう、最近は、「国民がバカなんだからしょうがないよなぁ」という諦観すらでてきてしまってますが。
で、麻生首相は国民がバカなのだと言うことを、本当に良く知ってる人だなぁと思わざるをえません。前から言ってるように、麻生君は漢字が読めないのだから、マンガファンではないんです。なぜなら日本国民はフリガナを打ってあるマンガによって漢字を学ぶからです。
だからマンガ・アニメファンも、完全に彼にだまされてるわけです。日本の若者の底辺層のところにマンガ・アニメファンがいてて、その数が半端ではないと言うことを知ってるから、マンガ・アニメを持ち上げてるに過ぎない。はっきりしてます。
という事で、北野誠事件は、バーニング系のタレント、ほしのあきと麻生首相が愛人関係にあるという風説(あくまで風説で真実ではありません)を流した北野誠を、「あの噂、絶対消して欲しいんだよね」と麻生がバーニングに働きかけ、バーニングがこれまた音事協を使って、間接的に手を回して起きた事件で、草なぎタイホは、それに対する麻生のお礼行動だ、という僕なりの勝手な想像が働いてしまうんですけど、まぁ想像だから真実ではない。あくまで想像です。
でも、なんか全部つながるんよなぁ。ふしぎと。あまりに都合良く。
で、こういうような事を全部ひっくるめて思うのは、
●情報は金を出して買わないと、役に立たない世の中になりつつある。
という事です。
もう、無料のテレビではダメなんだなぁって事ですね。どうしても政府が垂れ流す「国策情報」一点張りにならざるを得ない。
自ら有益な情報を金を出してでも得ようとする人と、そうでない人との物事の判断の差というものが、どんどん大きくなって行ってしまう。
前に、元日本マイクロソフト社長の成毛眞さんの「本を読まない人間はサルである」という言葉を紹介しましたが、まさにそれです。
物事の本質をわかっていないから、小手先の政府の宣伝にコロっとだまされるわけです。
小沢さんの秘書タイホにしても、小沢さんが、まっとうに「三権分立の基本をないがしろにしたとんでもない行為だ」という話をしても、誰もわかってないわけですから。「サンケンブンリツ? なんか聞いたことあるけど?」ってレベルの人の方が多いっちゅうわけです。
で、その「サンケンブンリツって何?」という層をこそあてこんで、麻生は人気取り行動を起こしているわけですからな。
あー、やれやれ。
あー、やれやれ。
あー、やれやれ。
もっと書きたかったんですけど、書く気が失せてきた。
今日はここまでにしといたる。
よー覚えとけよ。
(誰に言うてんねん! あ自分自身か。)
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/183/
ただ、この記事、無料だけど、会員登録しないと読めない記事なので、ご了承のほどを。
で、ここで会員登録してるかどうかが大きな違いを産むのだ、困ったことに、というのが今回の記事のテーマでもあります。
ようは麻生さんの支持率が上がってるんだそうです。
で、多分その原因は、
●小沢一郎の秘書逮捕
●北朝鮮のミサイル発射対応
●定額給付金の発行
という3つの条件が連続したからだ、という記事なんですね。
で森永さんもけっこうさめた人で「全部麻生氏にやらせだなぁ」というような事を言いつつ「でも、それで人気が上がるのなら、能力があるってことなんだよな」という皮肉とも落胆ともつかない結論になっておりました。
概略、小沢一郎氏の秘書逮捕は、もう、無茶苦茶な国策捜査です。確かに秘書さんは起訴はされましたが、何年も後に「無罪」とかになるとか、そんな事でしょう。世間のみなさんには「タイホ」という事実が重要なわけです。
なんせ「相棒」にせよ、古くは「太陽にほえろ」にせよ、刑事がスーパースターですから、この国は。タイホされただけで悪者イメージになってしまう。
草なぎ君にしても、逮捕したこと自体がおかしいのに、やっぱり多少なりとも謹慎はしなくちゃならないのがこの国なわけですよ。会見で草なぎ君が「これは逮捕する方がおかしい!」とかは言わない。そういう国です。タレントは世間の皆様が、どう思うかを良く知っている。
そういう国なんです。良いか悪いかではなくて、そういう国だって事ですな。
小沢秘書逮捕は、完全に国策捜査です。でもそれを「国策捜査だ」と見破れるのは「政治家の逮捕は選挙後が常識」という知識のある人間だけです。
北朝鮮のロケット実験だって、なぜかミサイルと言い換えられてた。あれも国の側がわざとそう言い換えさせたわけでしょ? テレビや新聞が政府発表のぶら下がり記事ばかりで、独自取材なんか全然なくなってしまっているという現状がわかっていれば、あれをミサイルと言い換える事自体が、大きな政府の詐欺だとわかるはずなのですよ。
だいたい仮にミサイルだったとしても、ノドンなら日本が対象、テボドン級ならアメリカが対象で日本に関係などございません。
で、定額給付金です。
こんなものね、減税した方が経済効果ははるかに高いわけです。わざわざ封筒を刷って、給付用の用紙を作って、各家庭に「給付金ですよ」と届けるという事務手続きのムダを考えれば、減税の方が経済効果ははるかに高い。
でも、それでは自民党の人気、麻生首相の人気回復につながらない。各家庭に書類を届けること。そしてそれが現金になること。そっちに人間を動かすこと。それが目的なわけです。
いくら額が小さくても、そのために封筒を開け、書類を読み、お金がもらえると知り、お金をもらいにわざわざ出かける、という事をすれば、人間は自分の行動を正当化せざるを得ませんから、それは「良いこと」に化けてしまうわけです。
だから、麻生の支持率があがった。
それはどういうことか? カンタンな事で、
●国民がバカだから。
です。
それだけの事なんです。
いろんな事を勉強しようとしたり、自分の頭で考えようとしたりしていない。流されてるまま。だから、こういうカンタンなからくりで支持率が上がってしまう。
もう、最近は、「国民がバカなんだからしょうがないよなぁ」という諦観すらでてきてしまってますが。
で、麻生首相は国民がバカなのだと言うことを、本当に良く知ってる人だなぁと思わざるをえません。前から言ってるように、麻生君は漢字が読めないのだから、マンガファンではないんです。なぜなら日本国民はフリガナを打ってあるマンガによって漢字を学ぶからです。
だからマンガ・アニメファンも、完全に彼にだまされてるわけです。日本の若者の底辺層のところにマンガ・アニメファンがいてて、その数が半端ではないと言うことを知ってるから、マンガ・アニメを持ち上げてるに過ぎない。はっきりしてます。
という事で、北野誠事件は、バーニング系のタレント、ほしのあきと麻生首相が愛人関係にあるという風説(あくまで風説で真実ではありません)を流した北野誠を、「あの噂、絶対消して欲しいんだよね」と麻生がバーニングに働きかけ、バーニングがこれまた音事協を使って、間接的に手を回して起きた事件で、草なぎタイホは、それに対する麻生のお礼行動だ、という僕なりの勝手な想像が働いてしまうんですけど、まぁ想像だから真実ではない。あくまで想像です。
でも、なんか全部つながるんよなぁ。ふしぎと。あまりに都合良く。
で、こういうような事を全部ひっくるめて思うのは、
●情報は金を出して買わないと、役に立たない世の中になりつつある。
という事です。
もう、無料のテレビではダメなんだなぁって事ですね。どうしても政府が垂れ流す「国策情報」一点張りにならざるを得ない。
自ら有益な情報を金を出してでも得ようとする人と、そうでない人との物事の判断の差というものが、どんどん大きくなって行ってしまう。
前に、元日本マイクロソフト社長の成毛眞さんの「本を読まない人間はサルである」という言葉を紹介しましたが、まさにそれです。
物事の本質をわかっていないから、小手先の政府の宣伝にコロっとだまされるわけです。
小沢さんの秘書タイホにしても、小沢さんが、まっとうに「三権分立の基本をないがしろにしたとんでもない行為だ」という話をしても、誰もわかってないわけですから。「サンケンブンリツ? なんか聞いたことあるけど?」ってレベルの人の方が多いっちゅうわけです。
で、その「サンケンブンリツって何?」という層をこそあてこんで、麻生は人気取り行動を起こしているわけですからな。
あー、やれやれ。
あー、やれやれ。
あー、やれやれ。
もっと書きたかったんですけど、書く気が失せてきた。
今日はここまでにしといたる。
よー覚えとけよ。
(誰に言うてんねん! あ自分自身か。)
小沢辞任:マスコミと官僚の結託でやめさせられたのだよな。
2009年5月11日コメント (3)官僚たちとマスコミの結託によって、とうとう小沢一郎は辞任に追いやられてしまった。
あれだけしつこく、えんえん、いつまでも、どこまでも、くどく、しつこく、繰り返し、読者が飽きているにも関わらず、何度も何度も、同じことばかり「小沢辞任は是か非か」を繰り返していたマスコミ。
なんだ? あれは。
今日の読売新聞も、またやってたもんな。
なんだ? あれは。
それだけ、小沢を怖れ、降ろしたいという層が厚いということなんだろう。
官僚、現政権、マスコミ、アメリカの金融筋や政府人脈、等々。
しかし、まぁ。
ここはいったん引いた方が良かろう。
そうでないと、もうずっとおかしな、おかしな、おかしな、おかしな、おかしなマスコミの動きが続き続ける。
そんなバカな事をやってるよりは、辞任して、とにかく政治生命を温存して、とにかく民主党を政権につけて、それから官僚切りをやっていけば良いのだ。
ここで引いた方が、影響力は残せるだろう。そういう事だ。
良くも悪くも、これが日本なんだなぁと思う。
鶴田浩二をを思い出しちゃうよ。
♪何から何まで真っ暗闇よ。
♪筋の通らぬ、事ばかり。
♪右を向いても、左を見ても。
♪バカとアホウのからみあい。
♪どこに男の夢がある。
僕だとて日本人だしねぇ。
あー、やれやれ。
「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。
どこに新しいものがございましょう。
生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか。」
ま、せめて前向きに考えよう。
うむ。
あれだけしつこく、えんえん、いつまでも、どこまでも、くどく、しつこく、繰り返し、読者が飽きているにも関わらず、何度も何度も、同じことばかり「小沢辞任は是か非か」を繰り返していたマスコミ。
なんだ? あれは。
今日の読売新聞も、またやってたもんな。
なんだ? あれは。
それだけ、小沢を怖れ、降ろしたいという層が厚いということなんだろう。
官僚、現政権、マスコミ、アメリカの金融筋や政府人脈、等々。
しかし、まぁ。
ここはいったん引いた方が良かろう。
そうでないと、もうずっとおかしな、おかしな、おかしな、おかしな、おかしなマスコミの動きが続き続ける。
そんなバカな事をやってるよりは、辞任して、とにかく政治生命を温存して、とにかく民主党を政権につけて、それから官僚切りをやっていけば良いのだ。
ここで引いた方が、影響力は残せるだろう。そういう事だ。
良くも悪くも、これが日本なんだなぁと思う。
鶴田浩二をを思い出しちゃうよ。
♪何から何まで真っ暗闇よ。
♪筋の通らぬ、事ばかり。
♪右を向いても、左を見ても。
♪バカとアホウのからみあい。
♪どこに男の夢がある。
僕だとて日本人だしねぇ。
あー、やれやれ。
「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。
どこに新しいものがございましょう。
生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか。」
ま、せめて前向きに考えよう。
うむ。
忌野清志郎さんは自転車ファンだったのですな。
2009年5月12日 自転車忌野清志郎さんは自転車ファンだったのですな。
全然知りませんでした。
亡くなって、これだけ世間が騒いでるというのに。
しかも、たまたま今日買って読んだ「自転車で痩せた人」という高千穂遙さんの新書で知ったという情報ルートのゆがみ方。
我ながら感心する。(笑)
どうも、160万円もする「オレンジ号」を盗まれてしまった事で、自転車ファンの間では有名だったらしいですなぁ。2005年の事なんだもの、私はまだ自転車に興味があんまりなかった時の話だなぁ。
まぁ、忌野清志郎さんはけっこう好きなんですがね。なんちゅうか、嫌いな人は少ないんじゃないかなぁ。そんな気がする。「トランジスタラジオ」は名作。昼間のパパは~っちゅう歌もあったなぁ。
そうかぁ、自転車野郎としての先輩かぁ。それを知らなかったっちゅうのは、カッチョ悪かったかもしれない。
ご冥福をお祈りします。
全然知りませんでした。
亡くなって、これだけ世間が騒いでるというのに。
しかも、たまたま今日買って読んだ「自転車で痩せた人」という高千穂遙さんの新書で知ったという情報ルートのゆがみ方。
我ながら感心する。(笑)
どうも、160万円もする「オレンジ号」を盗まれてしまった事で、自転車ファンの間では有名だったらしいですなぁ。2005年の事なんだもの、私はまだ自転車に興味があんまりなかった時の話だなぁ。
まぁ、忌野清志郎さんはけっこう好きなんですがね。なんちゅうか、嫌いな人は少ないんじゃないかなぁ。そんな気がする。「トランジスタラジオ」は名作。昼間のパパは~っちゅう歌もあったなぁ。
そうかぁ、自転車野郎としての先輩かぁ。それを知らなかったっちゅうのは、カッチョ悪かったかもしれない。
ご冥福をお祈りします。
七尾藍佳は東大出のバカである。(小沢辞任会見での日テレ女性記者)
2009年5月13日コメント (1)小沢辞任会見の時に、「離党は?議員辞職は?」と聞いたバカ女が誰だったのか、すごく気になったので、ちょっと調べたのですが、七尾藍佳という
●フリーキャスター
だったようですな。
なんで、こういうところにフリーキャスターなんか使うかね。日テレ。責任逃れをするためか?トカゲのしっぽ切りができるように、外注で済ませてるのか? そういうことなんやろなぁ。
そういう事もわかってない七尾は本当のバカだ。ええように使われてるんやで、あんた。気ィつけなさいよ。
だいたい野党の党首に「口利き」なんかできるわけがないんやから、もともと国策捜査なのは見え見え。
それでも、日テレと関係の深い読売新聞の長はナベツネで、あの極悪キッシンジャーともマブダチのワルだから、ナベツネがアメリカからの圧力で「小沢は代表辞任だ! 離党、議員辞職させろ」とか言うような事を社員に言っていて、それが大組織であるがゆえに、「筋が通らんなぁ」と現場の人間に感じさせながらも、とにかく記事になってると言うことですな。
そういう構造も多分わかってない。
わかってないから平気で「離党は? 議員辞職は?」みたいなアホの極みの質問ができるんでしょうなぁ。
で、そういう人物にとりあえず質問をさせとけば「上からの指示」には一応答えた上で、自分の責任問題にはならないと考えてる「中間管理職」がいてるっちゅう事ですわ。
あー、やれやれ。
しかし、あの記者が東大出とは。東大出は時たま(というかけっこう)、ものすごく世間様とズレにズレまくった人物がいたりするけど、まさに典型。悪い方の代表ですなぁ、この人。優れた人は超優れてるんやろうけど。東大出。
朝日新聞にしても、いまや長は船橋洋一で「アメリカ留学」組。向こうの大学で洗脳されてクルクルパーになって帰ってきた人物ですから、完全にアメリカの手先であります。
で、例の副島隆彦さんの弟子にあたる、アルルの男ヒロシこと中田安彦さんによれば、次の在日アメリカ大使に決まったジョセフ・ナイが小沢一郎の「米中日正三角形論」をかなり嫌っていて、「米中日は二等辺三角形である」と言っていたという事実を引き合いに出して、小沢攻撃にはアメリカ政府筋の思惑が大きいだろうと書いておられます。
まぁ、そういう事でしょう。
アメリカべったりのナベツネの読売と船橋の朝日。ここに警察からのリーク情報だけを記事にするのに忙しくて全体を見渡すヒマもない現場の記者がいて、で、「とにかく小沢だけは怖い」という官僚たちの意向を受けた警察・検察の超勝手気ままなリーク記事の連発が小沢を追いやったと。
まぁ全体構造はそういう事ですわ。
あ、あと、CIAの日本の出先機関と言われている文春、新潮もあった。立花隆は、その文春の雇われ。私は若いころライターとして立花さんの原稿の書き方とかいろいろ読ませていただいたし、著作もいろいろ拝読して尊敬もしていたのだけれど、その立花さんこそが「小沢は離党・議員辞職して、ひとりで検察と闘え」というアホ話をしてるそうですな。しかも「角栄はそうした」とか日本人の好きそうな師弟の志の受け継ぎ風に言ってるらしい。
アホな事言うなっちゅうの。小沢さんは野党! 口利きなんかできるものか。しかも、角栄さんは自分が逮捕されたわけでしょ。小沢さんは秘書だけ!全然状況が違いますがな。それを「離党・議員辞職」とはどういう事だ。
立花隆も地に落ちた。
もう尊敬するのはやめた。
まぁ角栄を刺したのが立花さんですからな。困った人やったんやもともと。上記の七尾と同じようなもんです。で、その七尾が言ってる事の震源地が立花さん。
文春にからんでると、「アメリカからのリーク情報」がもらえるみたいなんよなぁ。
ようはそれをそのまま記事にしただけやん、立花さんは。
そういうことが最近ようやくわかってきた。
あー、やれやれ。
で、話は戻りまして。
現政権の麻生の下には検察・警察を牛耳る、悪い噂だらけのウルマという人物がおります。こいつ、別にやめてないしね。好き放題のし放題なんじゃないの?これがまた平気で国策捜査やら恣意的捜査を連発してるっちゅうことですがな。
この流れに音事協の話もつながってるから、北野誠の話や草なぎ事件も、まずは何か関連があるというように見るしかない。全部つながってるんでしょう。
とにかくマスメディアは、毎日ニュースを流さないといけないですからな。警察からリーク情報をもらえなかったら、番組が作れないんだもの。で、自主的な記事を書こうとしても、ナベツネとか船橋とかがジョセフ・ナイとかの意向を忖度してミス・リードしてるんだから書きようがないんでしょうな。
それこそ、「普通のまともな50男」の北野誠が「それはおかしいで」というような事を言ったら首が飛んだというような事がテレビでも新聞でもバンバンに起きてるって事でしょう。
そういう事なんよ。
おい、ジョセフ・ナイ。その二等辺三角形論というのの、「短い辺」は、まさか「中国とアメリカ」とか言うんと違うやろな。神様は日本と中国を、こんなにそば近くにお作りになったのだ。だから短い辺は日本と中国で当然。それは一般的に「物理的距離」というんだよ。
物理的距離が近ければ、文化も近く、共有している部分も大きい。だから田中角栄のように自主外交で国交回復もできるわけだ。
それは神のおぼしめしなのだ。
それに逆らって二等辺三角形論などを振り回すジョセフ・ナイは、頭のおかしいクルクル・パーなのだ。反論できるものならしてみろ。お前は神様より偉いつもりか。
で、そのクルクル・パーの意向を忖度している、ナベツネ、船橋は、それこそどうしようもないパーと言うことにしかならない。
とまぁ、ここまで、大きな枠組みがあった上での、七尾藍佳の「バカ発言」があるわけですわ。
大きくはそういう事であります。
で、この七尾という名前を知りたくて、ネット検索していて「小沢は辞任するな」というすごく面白い動画をみつけたので、ここに貼付けておきます。
検察の国策捜査でつかまってしまった鈴木宗男に、ジャーナリスト高野孟と田中良紹がインタビューしている内容です。
鈴木宗男の取り調べって、検察の人間が出てきて、机の上に週刊誌をおいて、「ここにこういう記事がでてますけど、これはどうなってます?」とか聞いてくるんだって! ひどいですな。一般人レベルですがな。
検察がうんぬんと言いつつ、実はそういう低レベルなんだってさ!
ああ、アホクサ。
まぁ、ご視聴あれ。
小沢一郎は辞任するな
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/movie0904_01.html
劣化する検察 あぶり出される“あり方”
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/movie0904_02.html
危機対応能力を試される小沢
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/movie0904_03.html
政治とカネを問う そして総選挙は
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/movie0904_04.html
ほんまにもう、あほくさくて、やっとれません。
●フリーキャスター
だったようですな。
なんで、こういうところにフリーキャスターなんか使うかね。日テレ。責任逃れをするためか?トカゲのしっぽ切りができるように、外注で済ませてるのか? そういうことなんやろなぁ。
そういう事もわかってない七尾は本当のバカだ。ええように使われてるんやで、あんた。気ィつけなさいよ。
だいたい野党の党首に「口利き」なんかできるわけがないんやから、もともと国策捜査なのは見え見え。
それでも、日テレと関係の深い読売新聞の長はナベツネで、あの極悪キッシンジャーともマブダチのワルだから、ナベツネがアメリカからの圧力で「小沢は代表辞任だ! 離党、議員辞職させろ」とか言うような事を社員に言っていて、それが大組織であるがゆえに、「筋が通らんなぁ」と現場の人間に感じさせながらも、とにかく記事になってると言うことですな。
そういう構造も多分わかってない。
わかってないから平気で「離党は? 議員辞職は?」みたいなアホの極みの質問ができるんでしょうなぁ。
で、そういう人物にとりあえず質問をさせとけば「上からの指示」には一応答えた上で、自分の責任問題にはならないと考えてる「中間管理職」がいてるっちゅう事ですわ。
あー、やれやれ。
しかし、あの記者が東大出とは。東大出は時たま(というかけっこう)、ものすごく世間様とズレにズレまくった人物がいたりするけど、まさに典型。悪い方の代表ですなぁ、この人。優れた人は超優れてるんやろうけど。東大出。
朝日新聞にしても、いまや長は船橋洋一で「アメリカ留学」組。向こうの大学で洗脳されてクルクルパーになって帰ってきた人物ですから、完全にアメリカの手先であります。
で、例の副島隆彦さんの弟子にあたる、アルルの男ヒロシこと中田安彦さんによれば、次の在日アメリカ大使に決まったジョセフ・ナイが小沢一郎の「米中日正三角形論」をかなり嫌っていて、「米中日は二等辺三角形である」と言っていたという事実を引き合いに出して、小沢攻撃にはアメリカ政府筋の思惑が大きいだろうと書いておられます。
まぁ、そういう事でしょう。
アメリカべったりのナベツネの読売と船橋の朝日。ここに警察からのリーク情報だけを記事にするのに忙しくて全体を見渡すヒマもない現場の記者がいて、で、「とにかく小沢だけは怖い」という官僚たちの意向を受けた警察・検察の超勝手気ままなリーク記事の連発が小沢を追いやったと。
まぁ全体構造はそういう事ですわ。
あ、あと、CIAの日本の出先機関と言われている文春、新潮もあった。立花隆は、その文春の雇われ。私は若いころライターとして立花さんの原稿の書き方とかいろいろ読ませていただいたし、著作もいろいろ拝読して尊敬もしていたのだけれど、その立花さんこそが「小沢は離党・議員辞職して、ひとりで検察と闘え」というアホ話をしてるそうですな。しかも「角栄はそうした」とか日本人の好きそうな師弟の志の受け継ぎ風に言ってるらしい。
アホな事言うなっちゅうの。小沢さんは野党! 口利きなんかできるものか。しかも、角栄さんは自分が逮捕されたわけでしょ。小沢さんは秘書だけ!全然状況が違いますがな。それを「離党・議員辞職」とはどういう事だ。
立花隆も地に落ちた。
もう尊敬するのはやめた。
まぁ角栄を刺したのが立花さんですからな。困った人やったんやもともと。上記の七尾と同じようなもんです。で、その七尾が言ってる事の震源地が立花さん。
文春にからんでると、「アメリカからのリーク情報」がもらえるみたいなんよなぁ。
ようはそれをそのまま記事にしただけやん、立花さんは。
そういうことが最近ようやくわかってきた。
あー、やれやれ。
で、話は戻りまして。
現政権の麻生の下には検察・警察を牛耳る、悪い噂だらけのウルマという人物がおります。こいつ、別にやめてないしね。好き放題のし放題なんじゃないの?これがまた平気で国策捜査やら恣意的捜査を連発してるっちゅうことですがな。
この流れに音事協の話もつながってるから、北野誠の話や草なぎ事件も、まずは何か関連があるというように見るしかない。全部つながってるんでしょう。
とにかくマスメディアは、毎日ニュースを流さないといけないですからな。警察からリーク情報をもらえなかったら、番組が作れないんだもの。で、自主的な記事を書こうとしても、ナベツネとか船橋とかがジョセフ・ナイとかの意向を忖度してミス・リードしてるんだから書きようがないんでしょうな。
それこそ、「普通のまともな50男」の北野誠が「それはおかしいで」というような事を言ったら首が飛んだというような事がテレビでも新聞でもバンバンに起きてるって事でしょう。
そういう事なんよ。
おい、ジョセフ・ナイ。その二等辺三角形論というのの、「短い辺」は、まさか「中国とアメリカ」とか言うんと違うやろな。神様は日本と中国を、こんなにそば近くにお作りになったのだ。だから短い辺は日本と中国で当然。それは一般的に「物理的距離」というんだよ。
物理的距離が近ければ、文化も近く、共有している部分も大きい。だから田中角栄のように自主外交で国交回復もできるわけだ。
それは神のおぼしめしなのだ。
それに逆らって二等辺三角形論などを振り回すジョセフ・ナイは、頭のおかしいクルクル・パーなのだ。反論できるものならしてみろ。お前は神様より偉いつもりか。
で、そのクルクル・パーの意向を忖度している、ナベツネ、船橋は、それこそどうしようもないパーと言うことにしかならない。
とまぁ、ここまで、大きな枠組みがあった上での、七尾藍佳の「バカ発言」があるわけですわ。
大きくはそういう事であります。
で、この七尾という名前を知りたくて、ネット検索していて「小沢は辞任するな」というすごく面白い動画をみつけたので、ここに貼付けておきます。
検察の国策捜査でつかまってしまった鈴木宗男に、ジャーナリスト高野孟と田中良紹がインタビューしている内容です。
鈴木宗男の取り調べって、検察の人間が出てきて、机の上に週刊誌をおいて、「ここにこういう記事がでてますけど、これはどうなってます?」とか聞いてくるんだって! ひどいですな。一般人レベルですがな。
検察がうんぬんと言いつつ、実はそういう低レベルなんだってさ!
ああ、アホクサ。
まぁ、ご視聴あれ。
小沢一郎は辞任するな
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/movie0904_01.html
劣化する検察 あぶり出される“あり方”
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/movie0904_02.html
危機対応能力を試される小沢
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/movie0904_03.html
政治とカネを問う そして総選挙は
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/movie0904_04.html
ほんまにもう、あほくさくて、やっとれません。
自分に優しくするというのは、自分の失敗や弱点を抱きしめる事である。
2009年5月15日 ●じぶんの心マップちょっと、政治ネタばっかり続いたので、また「こころのあり方」のことなどを少し書きます。
最近、よく思うことは、「自分に優しくしよう」という事であります。
自分に優しくするというのは、自分に甘いというのとは全然違うのですね。
どういうことかというと、自分に甘いというのは、自分の欠点や弱点を見ないということなわけです。
「弱点なんかないんだもん、僕は。」
とうそぶいてるのが、自分に甘い人の発想です。
で、これはとても不幸です。
なぜなら、「本当の自分に目をそむけている」から、ずっと不満で不安で、寂しくて、イライラして、精神的に落ち着きが出ません。
で、その結果、自分に自信が持てません。
自分に自信が持てないとどうなるかというと、「強者にすり寄り、弱者をいじめる」という体質になります。「いじめる」というところまでいかなくても、弱者を支配しようとしたりします。
子供べったりの教育ママとかは、基本的に、こういう精神構造です。
でも、自分に優しくするというのは全然アプローチが別で、自分自身の失敗や弱点をこそ、しっかりと見つめる態度に出ます。
いったい私のどこがいけなかったのか? 何を間違えたのか? を冷静に一般論として敷衍して考えて、自分のありのままの姿を直視します。
正直、この工程はしんどいです。心も痛みます。「ああ、しまった。穴があったら入りたい。」とか思います。「あー、恥ずかし」とか思うし、冷や汗もタラタラ流れたりします。
でも、それをこそ、やります。
なぜなら、そうやって、自分の間違いやら勘違いやら失敗、弱点は、ありのままの姿を自分で正しく認識しない限り、克服できないからです。
いまだに私、そういう弱点、失敗のやり放題でして、冷や汗タラタラものなのですが、それでもまぁ、そうするしかないので、そうしてます。
で、大事なことは、本当は弱点や失敗を「乗り越える」ことにあるんではないんですね。
そういう失敗やら弱点やらを、とりあえずは、「いま、ここにあるんだ」として認識して、その失敗した自分、弱い自分もまた「ああ、大事な自分の一部なんだなぁ」と認めてやって、大事に抱きしめる事なんですね。
はっきり言って、本当に弱い弱点とか、そうそうすぐには克服できたりしません。そういうものです。
でも、それでも、そういう弱点を無視して「見ない」ようにしてる限りは、永遠に成長はないんですよね。
まず、そこに弱点はある、ダメなところはある。それはそれで私なんだ、と正しく自己認識することが先に必要なんですね。
これだけはしょうがない。あるものはあるんですから。
それを正しく見ない限りは、その失敗やら弱点やらを「抱きしめてあげる」という事ができません。
確かに弱点や欠点を直視するのは辛いねんけども、ほったらかしにしておいて、症状が悪化するよりかは、うんと小さな痛みなんですよね。だから、それはやらないといけないわけです。
このあたり、歯の治療をしてて思いましたね。
もう、ずっとね、虫歯だらけの歯を「痛みが出るまでほったらかしにする」というアホな事をし続けていたからです。ああ、かっこ悪い。恥ずかしい。いやほんま。
歯が痛くなってはじめて、歯医者に行って「うわ、えらい虫歯がたくさんありますね。時間をかけて治療しましょう」と言われてたにもかかわらず、その「痛い一本」の治療が終わったら、もう歯医者には行かないという事を繰り返していたわけです。
それは「痛む虫歯はない」という事で、虫歯が「ない」ことにしてたからなわけですね。事実を拒否していたわけです。
いや、しかし、いくら自分でそれを「拒否」したところで、あるものはあるのであって、逃げる事はできないわけです。
もうね、ほんとうにね、歯医者が嫌いでしたから。怖いし。恐怖のかたまりですわな、歯医者。
「拒否」っちゅうのは、この、「恐怖」と結びついてるわけです。
「痛いのイヤ」「怖いのイヤ」
と思ってるから、虫歯が「ない」ことにするわけです。
でも、虫歯が「ない」のではなくて「痛い虫歯がない」だけなんですよね。だから本当は「虫歯はある」わけです。「ある」のが事実なのに、「ない」事にするから、よけい恐怖が大きくなって、もうずっと「ない」にし続けなくてはいけなくなる。
で、結果、虫歯はよりひどくなり、そういう時に歯医者に行けば、当然麻酔もしなきゃいけないし、治療そのものが大変になるし、よりいっそう「怖い」ことになるんですね。
「怖い」と怖れるから、その「怖れ」が拡大して、より悪いところに行ってしまうわけです。
で、それは、最初に「私には虫歯がたくさんあるんだ」という事実をありのままに受け入れる「痛み」を拒否したから起きた事なんですね。心の小さな「痛み」を避けたから、もっと大きな恐怖が襲いかかってきたわけです。
恐怖を感じて、痛みを避け、事実を否認して、拒否してると、結果としては、もっと大きな恐怖や痛みとなって跳ね返ってくるということになります。
こればっかりはしょうがないんですよね。世の中、そういう風に出来てるんですから。
これを避けるためには、まず最初の小さな痛みをしっかりと「受け取る」事なんです。
痛みを受け取るというのは、どういう事かと言うと、痛いって事です。
痛いんです。
残念ながら。
とくに心が。
「ああ、虫歯を作るような自堕落な生活をしてしまった。ああダメだなぁ俺は。」とか、そういう自分のダメさ加減を受け入れるしかないんですね。
それがまず辛い。
で、その痛みをキチンと感じ取れてはじめて「もう、こういう情けない思いはしたくない」と「痛み」を消化できて、「歯医者に行こう!」と言う気になるって事なんですよね。
このあたり、痛みの大きさは人それぞれですけど、基本構造は同じです。
で、「ああ、ダメだなぁ俺」という気持ちを、「優しく抱きしめる」事ができれば、「こういうダメな自分とも、うまくつきあっていかなくちゃしょうがないんだよね。」という態度が生まれてきます。
ダメな自分を受け入れる、抱きとめる、愛情持って接する、という事ですね。
そこまでいってはじめて、「ダメな俺でも、自分で自分を面倒みなくちゃしょうがないわ。」となって、
●怖がりながら歯医者に行く
という事をするようになるわけです。
ここ、けっこう大事なポイントです。
まず、自分の欠点を受け入れるのは、痛いです。それだけでもかなりイヤな事でしょう。
しかし、それを受け入れたからと言って、歯医者に行くことが「楽しく」はならないんですよ。残念ながら。やっぱり恐怖がしみついてるから怖い。怖いものは怖い。だから、それはしょうがない。怖いんだから。
でも、怖さの度合いで行けば、虫歯が大きく、悪くなればなるほど恐怖も大きくなるわけですから、その前の段階の方が小さい。恐怖の度合いは小さいわけですよ。
だから、まず、自分をちゃんとそう説得して、「怖いけど、それはしょうがない。怖がりながら行こう!」という事になるわけです。
もうね、だいたいこういう事です。何事においても。
●怖いけど、怖がりながらやる。
というやり方しかないです。
で、そのためには、自分の弱点やら欠点やらを認めて、あるものはあるんだと抱きしめて進むしかない。
それを「勇気」と言います。
弱点を直視して、「しょうがないよな、弱点があるのが人間だもの」と、怖がりながらでも、ふるえながらでも、それを「見ないでおく」という態度を取らずに抱きしめるのです。
弱点、欠点を抱きしめるとどうなるかというと、それはもう当然ながら痛いんです。心が痛む。抱きしめて痛みがなくなるわけではなくて、よけいに痛むんです。
でも、その痛みを味わうくらいのつもりで抱きしめる。
それが大事なんです。
そうして初めて、怖がりながら歯医者に行くという事をするわけですから。
このあたり、ウクレレの発表会に出る時なんかもそっくり同じなんですよね。
一曲発表曲を決めて、練習する。
すると、どうしても苦手なところが出てくる。
なので、そこを中心に練習するんですが、なかなかうまくいかない。でも、その「苦手部分」を直視しないと全体の質はあがらないんですよね。
で、練習をするんですけど、やっぱり苦手なところは苦手なままなのです。
で、発表会に行く。舞台に出る前は、もうドキドキものです。恐怖です。
で、何が恐怖かというと、苦手部分を失敗するんじゃないかな? という恐怖なんですね。
で、いざ演奏すると、やっぱり苦手部分を失敗したりするわけです。
でも、それでも、舞台に立たないと上達はないわけです。
で、舞台に立つと上達の度合いが全然違うわけです。
だから、怖がりながら、やっぱり舞台に立つ。
それと一緒なんですね。
おかげさまで、いま、虫歯は全然なくて、3月に一度定期検診に行くようになりましたが、いまから思えば、歯医者が嫌いで虫歯に恐怖していた心のありようからは、完全に脱却できています。もう、虫歯に関しては、恐怖はないわけです。
それは、やっぱり、自分の欠点、弱点を痛いなら痛いなりに、そのまま受け入れたからです。
この「ありのままの自分を抱きしめずに拒否する」という事をやってると、永遠に恐怖から逃れられないんですよね。
これはもう、現実社会の基本的な仕組みなんだから、しょうがないと思います。
だから、拒否したりしてる人は、少し自分の心の痛みを味わうつもりで、弱点・欠点を抱きしめてあげるべきだと思いますよ。
いや、本当に。
そうしない限り、恐怖は消えない。それどころか、どんどん大きくなる。そういうものですから。
ま、そんな事で。
最近、よく思うことは、「自分に優しくしよう」という事であります。
自分に優しくするというのは、自分に甘いというのとは全然違うのですね。
どういうことかというと、自分に甘いというのは、自分の欠点や弱点を見ないということなわけです。
「弱点なんかないんだもん、僕は。」
とうそぶいてるのが、自分に甘い人の発想です。
で、これはとても不幸です。
なぜなら、「本当の自分に目をそむけている」から、ずっと不満で不安で、寂しくて、イライラして、精神的に落ち着きが出ません。
で、その結果、自分に自信が持てません。
自分に自信が持てないとどうなるかというと、「強者にすり寄り、弱者をいじめる」という体質になります。「いじめる」というところまでいかなくても、弱者を支配しようとしたりします。
子供べったりの教育ママとかは、基本的に、こういう精神構造です。
でも、自分に優しくするというのは全然アプローチが別で、自分自身の失敗や弱点をこそ、しっかりと見つめる態度に出ます。
いったい私のどこがいけなかったのか? 何を間違えたのか? を冷静に一般論として敷衍して考えて、自分のありのままの姿を直視します。
正直、この工程はしんどいです。心も痛みます。「ああ、しまった。穴があったら入りたい。」とか思います。「あー、恥ずかし」とか思うし、冷や汗もタラタラ流れたりします。
でも、それをこそ、やります。
なぜなら、そうやって、自分の間違いやら勘違いやら失敗、弱点は、ありのままの姿を自分で正しく認識しない限り、克服できないからです。
いまだに私、そういう弱点、失敗のやり放題でして、冷や汗タラタラものなのですが、それでもまぁ、そうするしかないので、そうしてます。
で、大事なことは、本当は弱点や失敗を「乗り越える」ことにあるんではないんですね。
そういう失敗やら弱点やらを、とりあえずは、「いま、ここにあるんだ」として認識して、その失敗した自分、弱い自分もまた「ああ、大事な自分の一部なんだなぁ」と認めてやって、大事に抱きしめる事なんですね。
はっきり言って、本当に弱い弱点とか、そうそうすぐには克服できたりしません。そういうものです。
でも、それでも、そういう弱点を無視して「見ない」ようにしてる限りは、永遠に成長はないんですよね。
まず、そこに弱点はある、ダメなところはある。それはそれで私なんだ、と正しく自己認識することが先に必要なんですね。
これだけはしょうがない。あるものはあるんですから。
それを正しく見ない限りは、その失敗やら弱点やらを「抱きしめてあげる」という事ができません。
確かに弱点や欠点を直視するのは辛いねんけども、ほったらかしにしておいて、症状が悪化するよりかは、うんと小さな痛みなんですよね。だから、それはやらないといけないわけです。
このあたり、歯の治療をしてて思いましたね。
もう、ずっとね、虫歯だらけの歯を「痛みが出るまでほったらかしにする」というアホな事をし続けていたからです。ああ、かっこ悪い。恥ずかしい。いやほんま。
歯が痛くなってはじめて、歯医者に行って「うわ、えらい虫歯がたくさんありますね。時間をかけて治療しましょう」と言われてたにもかかわらず、その「痛い一本」の治療が終わったら、もう歯医者には行かないという事を繰り返していたわけです。
それは「痛む虫歯はない」という事で、虫歯が「ない」ことにしてたからなわけですね。事実を拒否していたわけです。
いや、しかし、いくら自分でそれを「拒否」したところで、あるものはあるのであって、逃げる事はできないわけです。
もうね、ほんとうにね、歯医者が嫌いでしたから。怖いし。恐怖のかたまりですわな、歯医者。
「拒否」っちゅうのは、この、「恐怖」と結びついてるわけです。
「痛いのイヤ」「怖いのイヤ」
と思ってるから、虫歯が「ない」ことにするわけです。
でも、虫歯が「ない」のではなくて「痛い虫歯がない」だけなんですよね。だから本当は「虫歯はある」わけです。「ある」のが事実なのに、「ない」事にするから、よけい恐怖が大きくなって、もうずっと「ない」にし続けなくてはいけなくなる。
で、結果、虫歯はよりひどくなり、そういう時に歯医者に行けば、当然麻酔もしなきゃいけないし、治療そのものが大変になるし、よりいっそう「怖い」ことになるんですね。
「怖い」と怖れるから、その「怖れ」が拡大して、より悪いところに行ってしまうわけです。
で、それは、最初に「私には虫歯がたくさんあるんだ」という事実をありのままに受け入れる「痛み」を拒否したから起きた事なんですね。心の小さな「痛み」を避けたから、もっと大きな恐怖が襲いかかってきたわけです。
恐怖を感じて、痛みを避け、事実を否認して、拒否してると、結果としては、もっと大きな恐怖や痛みとなって跳ね返ってくるということになります。
こればっかりはしょうがないんですよね。世の中、そういう風に出来てるんですから。
これを避けるためには、まず最初の小さな痛みをしっかりと「受け取る」事なんです。
痛みを受け取るというのは、どういう事かと言うと、痛いって事です。
痛いんです。
残念ながら。
とくに心が。
「ああ、虫歯を作るような自堕落な生活をしてしまった。ああダメだなぁ俺は。」とか、そういう自分のダメさ加減を受け入れるしかないんですね。
それがまず辛い。
で、その痛みをキチンと感じ取れてはじめて「もう、こういう情けない思いはしたくない」と「痛み」を消化できて、「歯医者に行こう!」と言う気になるって事なんですよね。
このあたり、痛みの大きさは人それぞれですけど、基本構造は同じです。
で、「ああ、ダメだなぁ俺」という気持ちを、「優しく抱きしめる」事ができれば、「こういうダメな自分とも、うまくつきあっていかなくちゃしょうがないんだよね。」という態度が生まれてきます。
ダメな自分を受け入れる、抱きとめる、愛情持って接する、という事ですね。
そこまでいってはじめて、「ダメな俺でも、自分で自分を面倒みなくちゃしょうがないわ。」となって、
●怖がりながら歯医者に行く
という事をするようになるわけです。
ここ、けっこう大事なポイントです。
まず、自分の欠点を受け入れるのは、痛いです。それだけでもかなりイヤな事でしょう。
しかし、それを受け入れたからと言って、歯医者に行くことが「楽しく」はならないんですよ。残念ながら。やっぱり恐怖がしみついてるから怖い。怖いものは怖い。だから、それはしょうがない。怖いんだから。
でも、怖さの度合いで行けば、虫歯が大きく、悪くなればなるほど恐怖も大きくなるわけですから、その前の段階の方が小さい。恐怖の度合いは小さいわけですよ。
だから、まず、自分をちゃんとそう説得して、「怖いけど、それはしょうがない。怖がりながら行こう!」という事になるわけです。
もうね、だいたいこういう事です。何事においても。
●怖いけど、怖がりながらやる。
というやり方しかないです。
で、そのためには、自分の弱点やら欠点やらを認めて、あるものはあるんだと抱きしめて進むしかない。
それを「勇気」と言います。
弱点を直視して、「しょうがないよな、弱点があるのが人間だもの」と、怖がりながらでも、ふるえながらでも、それを「見ないでおく」という態度を取らずに抱きしめるのです。
弱点、欠点を抱きしめるとどうなるかというと、それはもう当然ながら痛いんです。心が痛む。抱きしめて痛みがなくなるわけではなくて、よけいに痛むんです。
でも、その痛みを味わうくらいのつもりで抱きしめる。
それが大事なんです。
そうして初めて、怖がりながら歯医者に行くという事をするわけですから。
このあたり、ウクレレの発表会に出る時なんかもそっくり同じなんですよね。
一曲発表曲を決めて、練習する。
すると、どうしても苦手なところが出てくる。
なので、そこを中心に練習するんですが、なかなかうまくいかない。でも、その「苦手部分」を直視しないと全体の質はあがらないんですよね。
で、練習をするんですけど、やっぱり苦手なところは苦手なままなのです。
で、発表会に行く。舞台に出る前は、もうドキドキものです。恐怖です。
で、何が恐怖かというと、苦手部分を失敗するんじゃないかな? という恐怖なんですね。
で、いざ演奏すると、やっぱり苦手部分を失敗したりするわけです。
でも、それでも、舞台に立たないと上達はないわけです。
で、舞台に立つと上達の度合いが全然違うわけです。
だから、怖がりながら、やっぱり舞台に立つ。
それと一緒なんですね。
おかげさまで、いま、虫歯は全然なくて、3月に一度定期検診に行くようになりましたが、いまから思えば、歯医者が嫌いで虫歯に恐怖していた心のありようからは、完全に脱却できています。もう、虫歯に関しては、恐怖はないわけです。
それは、やっぱり、自分の欠点、弱点を痛いなら痛いなりに、そのまま受け入れたからです。
この「ありのままの自分を抱きしめずに拒否する」という事をやってると、永遠に恐怖から逃れられないんですよね。
これはもう、現実社会の基本的な仕組みなんだから、しょうがないと思います。
だから、拒否したりしてる人は、少し自分の心の痛みを味わうつもりで、弱点・欠点を抱きしめてあげるべきだと思いますよ。
いや、本当に。
そうしない限り、恐怖は消えない。それどころか、どんどん大きくなる。そういうものですから。
ま、そんな事で。
小室直樹先生、老いて、なお軒昂なり。
2009年5月17日 読書mixiのほうでマイミク登録させていただいてる方が、小室直樹先生ご出演の動画を紹介してくださっておりました。
おおお、小室先生ですか、と言うことで拝聴いたしました。
http://video.google.com/videosearch?q=%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9&hl=en&emb=0&aq=f#
小室先生のご著書は、いろいろ拝読してまして、ほんとうにすごい方で、とても尊敬してしまうわけですが、ではいったいどういう人なのか? というと経歴等は、僕は実は良く分かってなかったんですよ。
で、この動画の最初に小室先生の紹介がちょろっと入っていて、その紹介だけでもとんでもなくすごいので感心しました。
「本日は、法学博士であり、政治学者、経済学者でもある小室直樹さんをお招きしています。
小室さんは、1932年東京生まれ、京大で数学・物理学を学んだ後、大阪大学大学院で経済学を学び、その後アメリカへ留学し、(ミシガン大学大学院へフルブライト留学) 心理学・統計学・社会学を学んだ後、帰国後、人類学・法学・政治学を学ぶという非常に多彩な方です。」
と、こうなる。いや、しかし幅広い。
で、はたと気になってwikipediaを調べてみたわけですよ。すると、まぁなんちゅうか、やっぱり小室先生は、師事した先生がまたすげぇなと驚くことになりました。
政治学は丸山眞男から学んでるし、社会学はマックス・ヴェーバーの翻訳者、大塚久雄から直接教えを受けているし、社会人類学は川島武宜からと、王道中の王道というか、大御所ばっかりじゃん! すげーな、これはって思う。ああ、知らなんだ、という感じです。
アメリカ留学中だって、マサチューセッツ工科大学大学院(あのMITの大学院ですよ!)で、近代経済学の父と呼ばれるポール・サミュエルソン(オバマ政権の国家経済会議委員長を務めているローレンス・サマーズのおじさん)から学んでるし、ハーバード大学の大学院にも行ってる。まぁすごいっちゅうか、なんちゅうか、あれですな、超・超・超、スーパーハード勉強オタクって感じですわね。
で、さて動画の内容は、というと、これが日本教とはなんぞやという話し。
日本人がネイティブにもっている宗教観を「日本教」と名付けたのは、イザヤ・ベンダサンこと「日本人とユダヤ人」を書いた山本七平さんですが、小室先生は、この山本七平さんの後押しもあって、かの「ソビエト帝国の崩壊」を出版されたわけです。
なので、小室先生も、基本的に「日本教」ということに関しては深く研究されておられて、その内容は、この動画を見る限り山本七平の考え方を受け継いだ上で、それを越えるほどに深まっているなぁと感心する内容でありました。
「空気読めよ」のKYという言葉も、結局は、『「空気」の研究』を書いた山本七平さんの業績がベースになっているのであって、小室先生もまた、その業績の上に、より高い見地を求めておられるようです。この動画の中でも「空気」というものの怖さを論じておられますね。
山本七平さんの著書の数々を、僕は読んでないわけですが、それでも山本さんの考え方に通じている人たちは山本学派と呼ばれているくらいで日本人による日本人研究の、非常に重要な学派だということは言えるでしょう。
ちなみに、僕は「ソビエト帝国の崩壊」を1980年の初版時に読んでまして、すごく面白く読んだんですが、これがその後、本当にソ連が崩壊(1991年)してしまいまして、その崩壊の過程を、実に見事に10年以上前に言い当ててたということで、小室さんの評価が、ますます高まったという事なんですね。
でもって、僕がよく話題に出す副島隆彦さんは、この小室直樹さんの弟子筋にあたる人でして、副島さんも、アメリカ経済の崩壊を、5年も前から崩壊の過程まで含めて言い当てていたということで、いまや大注目の言論人になってしまいました。
師弟ともに「予言」して当ててしまってるわけです。それもかなり規模の大きな予測を。
この間も、梅田の旭屋書店に行ったら、副島さんの新刊の『日米「振り込め詐欺」大恐慌』が店頭の一番目立つところにずららららーと並んでいて、「ああ、いい扱いをしてもらえるようになったんだなぁ」と、感慨深かったです。(って言いつつこの本は買ってないし読んでないんですがね。)
副島さんがアメリカ経済崩壊を言い当てた「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」は、この日記でも5年前に紹介してます。
http://12917.diarynote.jp/?month=200404
しかし、いま読んでも感心するけど、僕、ものすごく勧めてるんですよねぇ、この本を。
副島隆彦の、他のどの本でもなく、この「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」を勧めてる。我ながら感心してしまいますな。
で、小室先生も、まず何より「ソビエト帝国の崩壊」がおもしろかったんですよね。とにかくそれだけ内容がズバ抜けていたわけです。超飛抜けて面白かったんですよ。1980年当時は。
僕は本が好きで、よく読みますが、とにかく週に6日くらいは本屋に寄るわけですよ。で、チラチラチラと表紙を見て、気になる本だけをパラパラとページをめくって見ていくわけですね。
で、興味が出たら買うけど、興味が湧かなかったら買わない。
で、上記の「ソビエト」も「アメリカ」も、手にしてパラパラっと見ただけで「わ、面白そう!」だったわけですわ。
そういうのはね、もう、本の方が光り輝いてるというか、語りかけて来るというか、そういうのがあるんですね。
これは週6日、本屋に行ったら、誰でも自然と身に付きます。全然違うねんもん、内容が。まったく。まるきり。ズバ、抜けている。
せこい話ですが、本を買うっちゅうことは、自分でお金を出す、ということで、買う時に、ものすごく逡巡するわけですよ。「買って損せんかなぁ」とか。
ここが、ものすごく大事でね。
こういう発想は図書館で本を借りてたら絶対に身に付かないんです。だから本は買うのが大切。
(今後、情報はどんどん「お金を出さないと有用なものが得られない」という方向になっていくと思います。無料は基本的にダメ。名前やメアドを登録するタイプのは、まだちょっとマシ。それは自分のメアドを「売った」という事なんですよね。だから、まぁ数十円の価値はある。でもその程度です。で、自分で金を出すからこそ、そこではじめて、「自分にとって本当に必要な情報」が、「自分で納得できる」となるんです。なので図書館で本を借りたりしたりしてるだけでは、まず「自分が納得できる情報」が得られないです。まぁそれでも良いという人はそれでも良いのですが。)
で、上記の「アメリカ本」も「ソビエト本」も、「うわー、絶対読みたいわ、これ。」という内容だったわけです。喜んで金を払った。そういう事ですね。それだけ優れてたんです。
本屋でお金を出して本を買ってたら、そういう事は一発でわかるようになります。なんせ、自分の身銭を切ってるわけですから。
逆に言うと、ここで身銭を切らないと、何も身に付きません。一切身に付きません。それは確実であります。絶対と言っていいでしょう。
まぁそういうものです。
よくWinnyとかのファイル共有ソフトで、動画や音楽ファイルをタダで泥棒している人がいてますが、こういう「価格対内容比」を真剣に検討する機会を、自ら失わせている人という事で、まぁほとんど白痴の行為ではないでしょうかね。なんというバカでムダな事をしておるのか、と思う。
タダだと真剣にチョイスせんじゃないか!
それでは「読者としての能力」が、いつまでたっても身に付かないのでありますよ。「良いモノを見抜く力」ですね。それが身に付かないのなら、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりしても全然意味がない。質の低いものをただダラダラと見てても、あんまり感動しないのになぁと思うだけなのであります。
一冊1500円くらいの本を、まぁ月に5冊くらいで7~8千円です。4冊しか読めなかったら6千円くらい。年間で100冊、7~8万円くらいですね。やっぱりそのくらいは読みたいし、投資して損はないです。超お得ですから。毎月6千円をどんな情報に投資するのか? を真剣勝負で考える。これが大事です。週5~6日書店に行って、買わなくともパラパラと一回に2~3冊はチェックしますから、月に数十冊はチェックした上で4~5冊を選ぶわけです。その真剣に選ぶ行為が大事なわけです。
これをやってないと、本当にパァーになります。
で、そういう真剣勝負をやっていると、小室さんや副島さんの本に目が行くようになるわけです。予言が当たってから「おおお、すごい!」となるのではなくて、予言が当たる前に「おおお、この本はすごい!」というのがわかるようになるんです。それは知識とかの問題ではなくて、身銭を切って本を買うかどうかが分かれ目なんです。
まぁファイル共有ソフトを使ってコンテンツ泥棒していて、で、Winnyを「技術発展の可能性がなくなる」とか言って擁護しているようなパァな人種は、ずーっと白痴なままなわけですよ。どこまで行っても。
それは、その人の「学ぶ姿勢」が崩れてるんだから、もともと話にならない、というだけの事なんですね。姿勢が崩れたら、それはもう何も積み上がらない。どうしようもないヘナヘナです。
最近は、その手の姿勢の崩れた人間がすごく増えたので、こういう悪い「空気」が消えてくれることを、本当に心から望みますね。まさに「空気」の悪い側面です。
しかし、学ぶ人は「空気」にとらわれずに、きちんと学んでいます。
小室直樹と副島隆彦は師弟関係ですが、上記の動画で司会をしている橋爪大三郎さんも小室直樹さんの弟子。橋爪さんの著作も1冊か2冊読みましたが、堂々たるものです。
まぁ同じく小室直樹の弟子の宮台真司は、援交を肯定したりして「おひおひ、それはちょっとまずくないか?」と思うこともあるので、同世代として情けない気もするんですが、まぁ、それでも概ねはまともな学問の基礎はできてるように思います。
で、副島さんの弟子筋にあたるのがこの間も紹介しましたけど、中田安彦さんとかだったりするわけで、最近は中田さんのブログがけっこう楽しみだし、ここに師弟関係の大きな、知の流れというものを感じるんですよね。
僕は上方落語が好きなんですが、上方落語の世界で言うなら、やはり米朝と枝雀。この師弟関係というものが、大きな柱のひとつでしょう。(松鶴・鶴瓶、文枝・三枝というのもあるけど、それは横に置いておきます。)で、江戸落語だと、まずは立川談志・志の輔の師弟が大きな柱かな。
で、文化はそういう師弟関係による継承で成り立っているところが、とても大きいと思います。
で、学ぶという事は、師を選ぶという事でもあって、その師を選ぶのだって図書館やらWinnyで泥棒してるだけでは絶対に無理なんですね。
なんでかというと、「自分を読む」という事ができないからです。
泥棒ソフトや無料の図書館だと「世間が勝手にやってくる」だけです。自分が「何を真剣に望んでいるのか?」という問いかけがとてもしにくいシステムなんです。
しかし、自分で本を買って読むということは、常に「私はこれを読みたいと思っているのか?」と自分に真剣に問いかけることが必要になってきます。
それが「市場にさらされる」という事の良い側面のひとつなわけです。(それがすべてとは言いませんが、効果は最も高いでしょう。)
そうやって、「自分を読む」という過程を通り抜けた後の素直な選択として「師を選ぶ」という行為があるわけです。
落語の世界で言うと、明石家さんま・笑福亭松之介という師弟も、さんまらしい師匠の選び方だなぁと感心するわけです。さんまは「自分を読む」のに長けてたんだろうなぁと思う。
僕が「ソビエト帝国の崩壊」「やがてアメリカ発の大恐慌が襲い来る」を「おもしろい!」と思ったのも、たぶん「これから世の中はどうなっていくのか?」ということにこそ、僕自身が興味を持っていたからでしょう。
だから、「自分を読む」という事ができないと、良い師を選べないんです。
特定の師を選ぶというのは、そういう「素直な自分」を含めた、真剣勝負の結果です。まぁ偶然出会うって事もありますけども。
小室先生も文化人類学を学ぶ際に、かの山口昌男を訪ねて、土下座した事があるらしいんですねぇ。まぁ山口さんが土下座に驚いて師事できなかったらしいですが。(笑)
でも、ここでも山口昌男という超大御所が出てくるところがすごい。
小室直樹さんというと、ちょっと極端なもの言いとかが取り上げられて、エキセントリックな人のように思われがちですが、実際には、超オーソドックスな方でして、どんな学問でも全部、まず基礎を大切にされますし、基礎文献や基本文献をこそ重視される方です。で、その基礎文献から、すごい発見をしたりするから、またすごいわけです。
上記の動画でも、日本のアマテラスオオミカミの神話と西洋の神話比較から、勤勉性というものの捉え方の日本と他国との大きな違いをつかみとってるのがすごい。
そういうエッセンスを紡ぎ出せるのは、まさに王道中の王道から、コツコツと積み重ねてきたからこそなわけで、そういう意味でも信用できるし尊敬できる、知の巨人だと思います。
この動画では、最後に橋爪大三郎さんが、「これからの日本にとって必要な事は?」という問いに「そんなのカンタンにわからないよ」と言いつつ「まぁまず海外の宗教をキチン基礎から学ぶことではないですか?」と答えられ「そういう初等向けの本でも書きますかな」と言っておられる。
小室先生、まだまだ軒昂。有り難いことです。
-------------------
せっかくなので、小室先生のご著書を紹介しておきましょう。
小室学の入門としては、
痛快!憲法学 ― Amazing Study of Constitution & Democracy
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797670312
日本人のための憲法原論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797671459
がベストオブベストでしょう。この本を読んで衝撃を受けたという方はとても多いようですが、書かれていることは、基本的には「世界の常識」レベルの話です。
でも、それが「衝撃」になるというのが、日本の不幸なんですよねぇ。
宗教に関しては、
日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4198611688
が、すごく良かったです。この本なんかは、日本の高校の教科書とか課題図書にしても良いくらいに内容の良い本です。こういう世界の宗教観を知らずして、世界中のニュースを読み解く事もできません。
このあたりは、コツコツ学習する以外に手はないんですね。宗教というのは生きて行くことの基本的なルールや価値観の根っこですから。分っている者同士なら、「空気」と同じでよくわかるけど、他国の人間は、基礎からコツコツ学ぶ以外に手はありません。
そういう事です。
おおお、小室先生ですか、と言うことで拝聴いたしました。
http://video.google.com/videosearch?q=%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9&hl=en&emb=0&aq=f#
小室先生のご著書は、いろいろ拝読してまして、ほんとうにすごい方で、とても尊敬してしまうわけですが、ではいったいどういう人なのか? というと経歴等は、僕は実は良く分かってなかったんですよ。
で、この動画の最初に小室先生の紹介がちょろっと入っていて、その紹介だけでもとんでもなくすごいので感心しました。
「本日は、法学博士であり、政治学者、経済学者でもある小室直樹さんをお招きしています。
小室さんは、1932年東京生まれ、京大で数学・物理学を学んだ後、大阪大学大学院で経済学を学び、その後アメリカへ留学し、(ミシガン大学大学院へフルブライト留学) 心理学・統計学・社会学を学んだ後、帰国後、人類学・法学・政治学を学ぶという非常に多彩な方です。」
と、こうなる。いや、しかし幅広い。
で、はたと気になってwikipediaを調べてみたわけですよ。すると、まぁなんちゅうか、やっぱり小室先生は、師事した先生がまたすげぇなと驚くことになりました。
政治学は丸山眞男から学んでるし、社会学はマックス・ヴェーバーの翻訳者、大塚久雄から直接教えを受けているし、社会人類学は川島武宜からと、王道中の王道というか、大御所ばっかりじゃん! すげーな、これはって思う。ああ、知らなんだ、という感じです。
アメリカ留学中だって、マサチューセッツ工科大学大学院(あのMITの大学院ですよ!)で、近代経済学の父と呼ばれるポール・サミュエルソン(オバマ政権の国家経済会議委員長を務めているローレンス・サマーズのおじさん)から学んでるし、ハーバード大学の大学院にも行ってる。まぁすごいっちゅうか、なんちゅうか、あれですな、超・超・超、スーパーハード勉強オタクって感じですわね。
で、さて動画の内容は、というと、これが日本教とはなんぞやという話し。
日本人がネイティブにもっている宗教観を「日本教」と名付けたのは、イザヤ・ベンダサンこと「日本人とユダヤ人」を書いた山本七平さんですが、小室先生は、この山本七平さんの後押しもあって、かの「ソビエト帝国の崩壊」を出版されたわけです。
なので、小室先生も、基本的に「日本教」ということに関しては深く研究されておられて、その内容は、この動画を見る限り山本七平の考え方を受け継いだ上で、それを越えるほどに深まっているなぁと感心する内容でありました。
「空気読めよ」のKYという言葉も、結局は、『「空気」の研究』を書いた山本七平さんの業績がベースになっているのであって、小室先生もまた、その業績の上に、より高い見地を求めておられるようです。この動画の中でも「空気」というものの怖さを論じておられますね。
山本七平さんの著書の数々を、僕は読んでないわけですが、それでも山本さんの考え方に通じている人たちは山本学派と呼ばれているくらいで日本人による日本人研究の、非常に重要な学派だということは言えるでしょう。
ちなみに、僕は「ソビエト帝国の崩壊」を1980年の初版時に読んでまして、すごく面白く読んだんですが、これがその後、本当にソ連が崩壊(1991年)してしまいまして、その崩壊の過程を、実に見事に10年以上前に言い当ててたということで、小室さんの評価が、ますます高まったという事なんですね。
でもって、僕がよく話題に出す副島隆彦さんは、この小室直樹さんの弟子筋にあたる人でして、副島さんも、アメリカ経済の崩壊を、5年も前から崩壊の過程まで含めて言い当てていたということで、いまや大注目の言論人になってしまいました。
師弟ともに「予言」して当ててしまってるわけです。それもかなり規模の大きな予測を。
この間も、梅田の旭屋書店に行ったら、副島さんの新刊の『日米「振り込め詐欺」大恐慌』が店頭の一番目立つところにずららららーと並んでいて、「ああ、いい扱いをしてもらえるようになったんだなぁ」と、感慨深かったです。(って言いつつこの本は買ってないし読んでないんですがね。)
副島さんがアメリカ経済崩壊を言い当てた「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」は、この日記でも5年前に紹介してます。
http://12917.diarynote.jp/?month=200404
しかし、いま読んでも感心するけど、僕、ものすごく勧めてるんですよねぇ、この本を。
副島隆彦の、他のどの本でもなく、この「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」を勧めてる。我ながら感心してしまいますな。
で、小室先生も、まず何より「ソビエト帝国の崩壊」がおもしろかったんですよね。とにかくそれだけ内容がズバ抜けていたわけです。超飛抜けて面白かったんですよ。1980年当時は。
僕は本が好きで、よく読みますが、とにかく週に6日くらいは本屋に寄るわけですよ。で、チラチラチラと表紙を見て、気になる本だけをパラパラとページをめくって見ていくわけですね。
で、興味が出たら買うけど、興味が湧かなかったら買わない。
で、上記の「ソビエト」も「アメリカ」も、手にしてパラパラっと見ただけで「わ、面白そう!」だったわけですわ。
そういうのはね、もう、本の方が光り輝いてるというか、語りかけて来るというか、そういうのがあるんですね。
これは週6日、本屋に行ったら、誰でも自然と身に付きます。全然違うねんもん、内容が。まったく。まるきり。ズバ、抜けている。
せこい話ですが、本を買うっちゅうことは、自分でお金を出す、ということで、買う時に、ものすごく逡巡するわけですよ。「買って損せんかなぁ」とか。
ここが、ものすごく大事でね。
こういう発想は図書館で本を借りてたら絶対に身に付かないんです。だから本は買うのが大切。
(今後、情報はどんどん「お金を出さないと有用なものが得られない」という方向になっていくと思います。無料は基本的にダメ。名前やメアドを登録するタイプのは、まだちょっとマシ。それは自分のメアドを「売った」という事なんですよね。だから、まぁ数十円の価値はある。でもその程度です。で、自分で金を出すからこそ、そこではじめて、「自分にとって本当に必要な情報」が、「自分で納得できる」となるんです。なので図書館で本を借りたりしたりしてるだけでは、まず「自分が納得できる情報」が得られないです。まぁそれでも良いという人はそれでも良いのですが。)
で、上記の「アメリカ本」も「ソビエト本」も、「うわー、絶対読みたいわ、これ。」という内容だったわけです。喜んで金を払った。そういう事ですね。それだけ優れてたんです。
本屋でお金を出して本を買ってたら、そういう事は一発でわかるようになります。なんせ、自分の身銭を切ってるわけですから。
逆に言うと、ここで身銭を切らないと、何も身に付きません。一切身に付きません。それは確実であります。絶対と言っていいでしょう。
まぁそういうものです。
よくWinnyとかのファイル共有ソフトで、動画や音楽ファイルをタダで泥棒している人がいてますが、こういう「価格対内容比」を真剣に検討する機会を、自ら失わせている人という事で、まぁほとんど白痴の行為ではないでしょうかね。なんというバカでムダな事をしておるのか、と思う。
タダだと真剣にチョイスせんじゃないか!
それでは「読者としての能力」が、いつまでたっても身に付かないのでありますよ。「良いモノを見抜く力」ですね。それが身に付かないのなら、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりしても全然意味がない。質の低いものをただダラダラと見てても、あんまり感動しないのになぁと思うだけなのであります。
一冊1500円くらいの本を、まぁ月に5冊くらいで7~8千円です。4冊しか読めなかったら6千円くらい。年間で100冊、7~8万円くらいですね。やっぱりそのくらいは読みたいし、投資して損はないです。超お得ですから。毎月6千円をどんな情報に投資するのか? を真剣勝負で考える。これが大事です。週5~6日書店に行って、買わなくともパラパラと一回に2~3冊はチェックしますから、月に数十冊はチェックした上で4~5冊を選ぶわけです。その真剣に選ぶ行為が大事なわけです。
これをやってないと、本当にパァーになります。
で、そういう真剣勝負をやっていると、小室さんや副島さんの本に目が行くようになるわけです。予言が当たってから「おおお、すごい!」となるのではなくて、予言が当たる前に「おおお、この本はすごい!」というのがわかるようになるんです。それは知識とかの問題ではなくて、身銭を切って本を買うかどうかが分かれ目なんです。
まぁファイル共有ソフトを使ってコンテンツ泥棒していて、で、Winnyを「技術発展の可能性がなくなる」とか言って擁護しているようなパァな人種は、ずーっと白痴なままなわけですよ。どこまで行っても。
それは、その人の「学ぶ姿勢」が崩れてるんだから、もともと話にならない、というだけの事なんですね。姿勢が崩れたら、それはもう何も積み上がらない。どうしようもないヘナヘナです。
最近は、その手の姿勢の崩れた人間がすごく増えたので、こういう悪い「空気」が消えてくれることを、本当に心から望みますね。まさに「空気」の悪い側面です。
しかし、学ぶ人は「空気」にとらわれずに、きちんと学んでいます。
小室直樹と副島隆彦は師弟関係ですが、上記の動画で司会をしている橋爪大三郎さんも小室直樹さんの弟子。橋爪さんの著作も1冊か2冊読みましたが、堂々たるものです。
まぁ同じく小室直樹の弟子の宮台真司は、援交を肯定したりして「おひおひ、それはちょっとまずくないか?」と思うこともあるので、同世代として情けない気もするんですが、まぁ、それでも概ねはまともな学問の基礎はできてるように思います。
で、副島さんの弟子筋にあたるのがこの間も紹介しましたけど、中田安彦さんとかだったりするわけで、最近は中田さんのブログがけっこう楽しみだし、ここに師弟関係の大きな、知の流れというものを感じるんですよね。
僕は上方落語が好きなんですが、上方落語の世界で言うなら、やはり米朝と枝雀。この師弟関係というものが、大きな柱のひとつでしょう。(松鶴・鶴瓶、文枝・三枝というのもあるけど、それは横に置いておきます。)で、江戸落語だと、まずは立川談志・志の輔の師弟が大きな柱かな。
で、文化はそういう師弟関係による継承で成り立っているところが、とても大きいと思います。
で、学ぶという事は、師を選ぶという事でもあって、その師を選ぶのだって図書館やらWinnyで泥棒してるだけでは絶対に無理なんですね。
なんでかというと、「自分を読む」という事ができないからです。
泥棒ソフトや無料の図書館だと「世間が勝手にやってくる」だけです。自分が「何を真剣に望んでいるのか?」という問いかけがとてもしにくいシステムなんです。
しかし、自分で本を買って読むということは、常に「私はこれを読みたいと思っているのか?」と自分に真剣に問いかけることが必要になってきます。
それが「市場にさらされる」という事の良い側面のひとつなわけです。(それがすべてとは言いませんが、効果は最も高いでしょう。)
そうやって、「自分を読む」という過程を通り抜けた後の素直な選択として「師を選ぶ」という行為があるわけです。
落語の世界で言うと、明石家さんま・笑福亭松之介という師弟も、さんまらしい師匠の選び方だなぁと感心するわけです。さんまは「自分を読む」のに長けてたんだろうなぁと思う。
僕が「ソビエト帝国の崩壊」「やがてアメリカ発の大恐慌が襲い来る」を「おもしろい!」と思ったのも、たぶん「これから世の中はどうなっていくのか?」ということにこそ、僕自身が興味を持っていたからでしょう。
だから、「自分を読む」という事ができないと、良い師を選べないんです。
特定の師を選ぶというのは、そういう「素直な自分」を含めた、真剣勝負の結果です。まぁ偶然出会うって事もありますけども。
小室先生も文化人類学を学ぶ際に、かの山口昌男を訪ねて、土下座した事があるらしいんですねぇ。まぁ山口さんが土下座に驚いて師事できなかったらしいですが。(笑)
でも、ここでも山口昌男という超大御所が出てくるところがすごい。
小室直樹さんというと、ちょっと極端なもの言いとかが取り上げられて、エキセントリックな人のように思われがちですが、実際には、超オーソドックスな方でして、どんな学問でも全部、まず基礎を大切にされますし、基礎文献や基本文献をこそ重視される方です。で、その基礎文献から、すごい発見をしたりするから、またすごいわけです。
上記の動画でも、日本のアマテラスオオミカミの神話と西洋の神話比較から、勤勉性というものの捉え方の日本と他国との大きな違いをつかみとってるのがすごい。
そういうエッセンスを紡ぎ出せるのは、まさに王道中の王道から、コツコツと積み重ねてきたからこそなわけで、そういう意味でも信用できるし尊敬できる、知の巨人だと思います。
この動画では、最後に橋爪大三郎さんが、「これからの日本にとって必要な事は?」という問いに「そんなのカンタンにわからないよ」と言いつつ「まぁまず海外の宗教をキチン基礎から学ぶことではないですか?」と答えられ「そういう初等向けの本でも書きますかな」と言っておられる。
小室先生、まだまだ軒昂。有り難いことです。
-------------------
せっかくなので、小室先生のご著書を紹介しておきましょう。
小室学の入門としては、
痛快!憲法学 ― Amazing Study of Constitution & Democracy
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797670312
日本人のための憲法原論
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797671459
がベストオブベストでしょう。この本を読んで衝撃を受けたという方はとても多いようですが、書かれていることは、基本的には「世界の常識」レベルの話です。
でも、それが「衝撃」になるというのが、日本の不幸なんですよねぇ。
宗教に関しては、
日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4198611688
が、すごく良かったです。この本なんかは、日本の高校の教科書とか課題図書にしても良いくらいに内容の良い本です。こういう世界の宗教観を知らずして、世界中のニュースを読み解く事もできません。
このあたりは、コツコツ学習する以外に手はないんですね。宗教というのは生きて行くことの基本的なルールや価値観の根っこですから。分っている者同士なら、「空気」と同じでよくわかるけど、他国の人間は、基礎からコツコツ学ぶ以外に手はありません。
そういう事です。
すごいマスクの行列でした。でもウガイの方が効果あるんと違うん?
2009年5月18日コメント (2)今日は、打合せがあって、大阪から京都まで出かけたのですが。
いやー、実にマスクがすごかったなぁ。
マスクだらけ。
で、「あ、そうか、新型インフルエンザか!」と思って、ドラッグストアがあったらマスクでも買うか、と覗いてみたんですが、売り切れ!
まぁ当然ですわなぁ。
しかし、別に致死性のあるウィルスというわけでもないみたいやしねぇ。感染力は強いんでしょうが。あんまり騒ぎすぎるのもなぁ。
で、打合せの時にいろいろ話をしてたんですが、この10年、毎日の習慣として、帰宅時にウガイと手洗いをやっているデザイナーさんがインフルエンザにかかった事がない、という話を聞きまして、「あ、そうか、そりゃそうだわな」と思いましたね。
ウィルスが入ってくるのはノドでしょうけど、入った瞬間に菌が増えるわけでもないだろうし、免疫力もある。
どうせ、寝ている間に、ノドの粘液部分でウィルス君が勢力を伸ばすのが、メインの拡大時期でしょうから、帰ってきてすぐにウィルスの大半をうがいで洗い流してやれば、そうそう菌が成長していくヒマがないと思うのですよね。
感染力が強いなら、その感染力を相対的に弱めてやれば良いだけの話だから、うがいを励行すれば、ほとんど問題ないんでないかな?
100個ウィルスがノドにくっついてきても、増える前にウガイで1個に減らせれば、いくら寝ている間に20個に増えても、免疫力で白血球が殺してしまうように思いますが。違うの?
ともあれ、物理的に考えるとマスクもさることながら、ウガイの方がはるかに効果が高いようにおもえるので、今日から毎日うがいをすることにしました。
前からうがい薬は置いてあるんで、すぐに実行できます。
やってみてびっくり。最初のひとすすぎが、かなり色が変わるのよねぇ。ということは、それだけたくさんの菌がタンとなって喉にからみついてたって事ですわ。へぇー。
こういうのを見てると、「まぁマスクよりうがいでしょ。」とか思ってしまう。感染経路とウィルス拡大の仕組みを考えるなら、そうなりますわね。
PCのウィルス対策が、ウィルス対策ソフトを導入するより先に、とにかく日々、重要なデータのバックアップをキチンと取っておくことの方が、はるかに「基本事項」として重要なのと同じですわ。
ウィルス対策ソフトを入れろ!と言うてる人が、Winnyのユーザーだったりとか、頭の痛い話は多いですからなぁ。なんのこっちゃら話が無茶苦茶でして、そういうアホな事はしない方がよろしい。
感染の経路を見極めて、はっきりと、あきらかな効果があることを、まず優先的に行わないとね。些末な事柄、単なる形だけの流行、枝葉末節にとらわれていてはアカンと思います。
はい。
いやー、実にマスクがすごかったなぁ。
マスクだらけ。
で、「あ、そうか、新型インフルエンザか!」と思って、ドラッグストアがあったらマスクでも買うか、と覗いてみたんですが、売り切れ!
まぁ当然ですわなぁ。
しかし、別に致死性のあるウィルスというわけでもないみたいやしねぇ。感染力は強いんでしょうが。あんまり騒ぎすぎるのもなぁ。
で、打合せの時にいろいろ話をしてたんですが、この10年、毎日の習慣として、帰宅時にウガイと手洗いをやっているデザイナーさんがインフルエンザにかかった事がない、という話を聞きまして、「あ、そうか、そりゃそうだわな」と思いましたね。
ウィルスが入ってくるのはノドでしょうけど、入った瞬間に菌が増えるわけでもないだろうし、免疫力もある。
どうせ、寝ている間に、ノドの粘液部分でウィルス君が勢力を伸ばすのが、メインの拡大時期でしょうから、帰ってきてすぐにウィルスの大半をうがいで洗い流してやれば、そうそう菌が成長していくヒマがないと思うのですよね。
感染力が強いなら、その感染力を相対的に弱めてやれば良いだけの話だから、うがいを励行すれば、ほとんど問題ないんでないかな?
100個ウィルスがノドにくっついてきても、増える前にウガイで1個に減らせれば、いくら寝ている間に20個に増えても、免疫力で白血球が殺してしまうように思いますが。違うの?
ともあれ、物理的に考えるとマスクもさることながら、ウガイの方がはるかに効果が高いようにおもえるので、今日から毎日うがいをすることにしました。
前からうがい薬は置いてあるんで、すぐに実行できます。
やってみてびっくり。最初のひとすすぎが、かなり色が変わるのよねぇ。ということは、それだけたくさんの菌がタンとなって喉にからみついてたって事ですわ。へぇー。
こういうのを見てると、「まぁマスクよりうがいでしょ。」とか思ってしまう。感染経路とウィルス拡大の仕組みを考えるなら、そうなりますわね。
PCのウィルス対策が、ウィルス対策ソフトを導入するより先に、とにかく日々、重要なデータのバックアップをキチンと取っておくことの方が、はるかに「基本事項」として重要なのと同じですわ。
ウィルス対策ソフトを入れろ!と言うてる人が、Winnyのユーザーだったりとか、頭の痛い話は多いですからなぁ。なんのこっちゃら話が無茶苦茶でして、そういうアホな事はしない方がよろしい。
感染の経路を見極めて、はっきりと、あきらかな効果があることを、まず優先的に行わないとね。些末な事柄、単なる形だけの流行、枝葉末節にとらわれていてはアカンと思います。
はい。
クセとは何か?
2009年5月22日唐突ですが、最近、「癖(クセ)」というものが、とても気になっています。
クセというのは、無意識に行っている行動でして、意識的に行う動作とは少し違っています。
意識的に行っているのではありませんから、実は自分が「クセ」を頻繁に実行しているという実感もない、という事になるんですね。
考えたら不思議な行動なわけです。意識もせずに行動しているわけですから。たとえば、
●髪の毛を触る。
●鼻をさわる。
●頭をかく。
●足を組む。
などなど、数えだしたらキリがありません。
こういう具合に書くと、「人間って不思議な事を時たまやってるのね。」と思うのですが、いやいや、実は、こういう「無意識な動き」がなければ、人間生きていくことなんてできないんですよ、という事も言えるわけです。
たとえば、「歩く」。
これ、誰でも意識して歩いていると思ってますが、その実、考え事をしながら歩いている時というのは、ほとんど歩いているという動作そのものは「意識」からは消えています。歩く動作は、自動機械のように、半無意識下で行っていると言っても良いくらいなんですね。
あるいは交通機関の定期券なども、いつカバンから出して改札を通ったのか覚えていなかったりします。都市部では自動改札機になっていますから、なおさらですね。改札を出てすぐであっても、自分の行動の記憶がなかったりします。まさに自動化されているんです。
で、通常はクセというのは、「行動」だけのものと考えるわけですが、これがどうも最近思うのは、「考え方のクセ」というのがあるように思えます。
どうも、この「考え方のクセ」というものを、冷静にチェックできるかどうか? ということが、かなり大事な事のように最近では思うわけです。
この歳になると、友人・知人も結婚生活が長いものがいたり、あるいは離婚・再婚、あるいはそのモメている最中と、いろんなパターンを見ますし、相談に乗ったり、グチを聞いたりもするわけですが、最近よく思うのは、「結局、おんなじパターンやんけ。」という事なんですね。
飲みに言ったりして、グチを聞いてやるとかも、まぁ友人の努めであるわけですが、話の入り口こそ毎回違うのですが、最終的な落ち着きどころが、いつも同じグチであるとかするわけです。
なんなんやろ、これは?
と思うのですね。
問題の解決をしようと言うのではないわけです。
同じ問題に、同じようにひっかかってるだけなんですね。
で、話を第三者の立場で聞いてると、まぁそれは、その友達の味方として聞いてるわけですが、夫婦どっちとも、
●反射的に怒ってる。
という状態があるわけですよ。ほんとに単純に。
ようするに、
●もめることがクセになってしまっている。
んです。
そうとしか言えない。
最近、こういう事に気づいてきまして、「うーむ、これはよろしくないですなぁ」と思うわけです。
「クセで怒る」とか、意味ないですわなぁ。問題点を指摘するのならいいけど。
でも、実際、これはかなり多いパターンなんじゃないのか? って気がします。
で、これを解決するのは、論理とか正義とか、そういうことではないんですね。単純に「クセに気づいて、改める。」しかないわけですよ。
まず、「クセになってるんだ」と気づくのが先なわけです。
なんでかというと、その行動が「無意識」に行うようになってるからですね。
そこに積極的な意味などないわけです。
単なる反射ですから。
駅の改札に来たら、自動的に定期券を無意識に出すのと同じように、配偶者の特定の言葉に反射的に反応するようになってたりするわけです。
これはつまらんよなー、って思うわけです。
本当に意味がない。
ところが、この問題には、もうひとつやっかいな事柄がありまして、それがこのつまらん問題を、よけいにやっかいにさせるんですね。
それは
●考え方が自分である。
というアイデンティティ問題です。
これねぇ、大間違いなんですよね。
考え方は「自分」ではないんです。
でも、長年、考え方のクセがついてくると、この「考え方」こそが自分であるかのように思えてきてしまうわけです。
よく、「私は私の亭主に人生を踏みつけにされた」とか言う人がいてたりしますが、(当然、性別が逆の場合もありますよ。これはどっちでも同じ事です。「クセを持ってしまう事」に男女差はないです。)あれも、そういう風に考えている自分こそが真の自分なんだ、という「考え方のクセ」と「考え方が私である」という勘違いによって成立してるんですな。
このあたり、去年から瞑想という奴をちょろちょろやり出して、とても実感してます。
思想でもコンセプトでもなんでも良いんですが、「考え方」というのは道具でして、上手に使えばとても役立ちますが、それそのものが「自分」というわけではないんですな。
その「考え方」を「使っている自分」というのがいてて、その自分こそが真の自分なわけです。
だから、「考え方」というのは、いくらでも手離せるし、またふたたび持つこともできる。カバンとか服とか、腕時計とか、そういうものと一緒です。
最近では、時計をする人は減ってきましたが、腕時計をしているのが当たり前だった頃は、腕時計が体の一部のような感じになっていた人もいてると思いますが、それと同じ事ですね。
「考え方」を、あまりに長く身につけていると、その考え方こそが「自分」なのだと思いこんでしまう。そういう「感覚」が湧いてしまうんですね。
あ、メガネやコンタクトも同じでしょうね。これもある意味、体の一部のような気になってしまいますが、そうではありません。メガネも道具ですし、コンタクトも道具です。
で、同じように「考え方」も道具なんです。道具でしかないわけですね。
だから、「考え方」も、実用性があって、実利があるなら、毎日活用してたら良いわけですが、実利がないのに「これこそが自分だ」としがみついてると、あまり得なことはないわけです。
でもねぇ、これがどういうわけだか、しがみついてしまってるんですよね、みんな。
それも「無意識に」なんですよ。
意識してしがみついてるなら、「しがみついてるよ」と指摘すれば、「あ、そうか」と手放せるんですが、無意識だから、手放すことがどういうことなのかがわからないんですな。
で、こういう事って、当人より、第三者の方が良く見えるわけです。
友人の状態とか見てても、こっちの方がよく見えるから、「それは君の思いこみが強すぎると思うで。」とか指摘するんですが、どっこい「無意識に考え方を自分自身だと思いこんでる」わけですから「そんなことないよ」と強く否定するわけですわ。そこを手放したら、自分でなくなってしまうような恐怖があるんでしょうなぁ。
そんな事ないのに。
「考え方」なんか道具でしかないのに。
って思う。
ってまぁ思ってはいてるんですけど、では、ひるがえって、自分が「考え方」を自在に手放しているか? というと、多分それはうまくはできていないんでしょうな。
なので、最近は、いかに「考え方」を自在に客観視して、手放せるか、あるいは、手放した後に、また自由な気持ちで(道具を持っている自分を意識しつつという事ですね)、また持ちなおすか? というような事を考えています。
とくに、「あまり役に立たない考え方」は、できるだけ捨てるようにして、より役に立つ実用的な、道具としての「考え方」を無意識にでも使えるようにしたいと思っています。
このあたり、悪いクセの修正と、新しいクセの習得という意味で、楽器練習と似てるところがあるんですよね。
他者のクセの修正はなかなかできない訳だから、自分のクセを、できるだけ自覚しながら修正していくというのをやっていくしかないかなぁと思います。
ものすごく抽象的な事を書いてしまいましたが、概ねはそういう事を考えてるんですよね、私。
このあたり、アダルトチルドレンとか、依存症、共依存などにも通じる話ですし、うまく展開すれば、願望達成法とか、確実なダイエット手法とかにもつながって行くはずです。
単純に「悪い生活習慣の改善」なわけですから。
「悪い生活習慣」っちゅうのも、ようは「クセになってしまった考え方」が引き起こしているわけですしね。「考え方」の方を腑分けするというか、解剖して、構造を精密に解き明かす方が、上手に改善できるように思いますね。
ともあれ、「クセ」というのが、最近はとっても気になってるキーワードなのであります。
はい。
クセというのは、無意識に行っている行動でして、意識的に行う動作とは少し違っています。
意識的に行っているのではありませんから、実は自分が「クセ」を頻繁に実行しているという実感もない、という事になるんですね。
考えたら不思議な行動なわけです。意識もせずに行動しているわけですから。たとえば、
●髪の毛を触る。
●鼻をさわる。
●頭をかく。
●足を組む。
などなど、数えだしたらキリがありません。
こういう具合に書くと、「人間って不思議な事を時たまやってるのね。」と思うのですが、いやいや、実は、こういう「無意識な動き」がなければ、人間生きていくことなんてできないんですよ、という事も言えるわけです。
たとえば、「歩く」。
これ、誰でも意識して歩いていると思ってますが、その実、考え事をしながら歩いている時というのは、ほとんど歩いているという動作そのものは「意識」からは消えています。歩く動作は、自動機械のように、半無意識下で行っていると言っても良いくらいなんですね。
あるいは交通機関の定期券なども、いつカバンから出して改札を通ったのか覚えていなかったりします。都市部では自動改札機になっていますから、なおさらですね。改札を出てすぐであっても、自分の行動の記憶がなかったりします。まさに自動化されているんです。
で、通常はクセというのは、「行動」だけのものと考えるわけですが、これがどうも最近思うのは、「考え方のクセ」というのがあるように思えます。
どうも、この「考え方のクセ」というものを、冷静にチェックできるかどうか? ということが、かなり大事な事のように最近では思うわけです。
この歳になると、友人・知人も結婚生活が長いものがいたり、あるいは離婚・再婚、あるいはそのモメている最中と、いろんなパターンを見ますし、相談に乗ったり、グチを聞いたりもするわけですが、最近よく思うのは、「結局、おんなじパターンやんけ。」という事なんですね。
飲みに言ったりして、グチを聞いてやるとかも、まぁ友人の努めであるわけですが、話の入り口こそ毎回違うのですが、最終的な落ち着きどころが、いつも同じグチであるとかするわけです。
なんなんやろ、これは?
と思うのですね。
問題の解決をしようと言うのではないわけです。
同じ問題に、同じようにひっかかってるだけなんですね。
で、話を第三者の立場で聞いてると、まぁそれは、その友達の味方として聞いてるわけですが、夫婦どっちとも、
●反射的に怒ってる。
という状態があるわけですよ。ほんとに単純に。
ようするに、
●もめることがクセになってしまっている。
んです。
そうとしか言えない。
最近、こういう事に気づいてきまして、「うーむ、これはよろしくないですなぁ」と思うわけです。
「クセで怒る」とか、意味ないですわなぁ。問題点を指摘するのならいいけど。
でも、実際、これはかなり多いパターンなんじゃないのか? って気がします。
で、これを解決するのは、論理とか正義とか、そういうことではないんですね。単純に「クセに気づいて、改める。」しかないわけですよ。
まず、「クセになってるんだ」と気づくのが先なわけです。
なんでかというと、その行動が「無意識」に行うようになってるからですね。
そこに積極的な意味などないわけです。
単なる反射ですから。
駅の改札に来たら、自動的に定期券を無意識に出すのと同じように、配偶者の特定の言葉に反射的に反応するようになってたりするわけです。
これはつまらんよなー、って思うわけです。
本当に意味がない。
ところが、この問題には、もうひとつやっかいな事柄がありまして、それがこのつまらん問題を、よけいにやっかいにさせるんですね。
それは
●考え方が自分である。
というアイデンティティ問題です。
これねぇ、大間違いなんですよね。
考え方は「自分」ではないんです。
でも、長年、考え方のクセがついてくると、この「考え方」こそが自分であるかのように思えてきてしまうわけです。
よく、「私は私の亭主に人生を踏みつけにされた」とか言う人がいてたりしますが、(当然、性別が逆の場合もありますよ。これはどっちでも同じ事です。「クセを持ってしまう事」に男女差はないです。)あれも、そういう風に考えている自分こそが真の自分なんだ、という「考え方のクセ」と「考え方が私である」という勘違いによって成立してるんですな。
このあたり、去年から瞑想という奴をちょろちょろやり出して、とても実感してます。
思想でもコンセプトでもなんでも良いんですが、「考え方」というのは道具でして、上手に使えばとても役立ちますが、それそのものが「自分」というわけではないんですな。
その「考え方」を「使っている自分」というのがいてて、その自分こそが真の自分なわけです。
だから、「考え方」というのは、いくらでも手離せるし、またふたたび持つこともできる。カバンとか服とか、腕時計とか、そういうものと一緒です。
最近では、時計をする人は減ってきましたが、腕時計をしているのが当たり前だった頃は、腕時計が体の一部のような感じになっていた人もいてると思いますが、それと同じ事ですね。
「考え方」を、あまりに長く身につけていると、その考え方こそが「自分」なのだと思いこんでしまう。そういう「感覚」が湧いてしまうんですね。
あ、メガネやコンタクトも同じでしょうね。これもある意味、体の一部のような気になってしまいますが、そうではありません。メガネも道具ですし、コンタクトも道具です。
で、同じように「考え方」も道具なんです。道具でしかないわけですね。
だから、「考え方」も、実用性があって、実利があるなら、毎日活用してたら良いわけですが、実利がないのに「これこそが自分だ」としがみついてると、あまり得なことはないわけです。
でもねぇ、これがどういうわけだか、しがみついてしまってるんですよね、みんな。
それも「無意識に」なんですよ。
意識してしがみついてるなら、「しがみついてるよ」と指摘すれば、「あ、そうか」と手放せるんですが、無意識だから、手放すことがどういうことなのかがわからないんですな。
で、こういう事って、当人より、第三者の方が良く見えるわけです。
友人の状態とか見てても、こっちの方がよく見えるから、「それは君の思いこみが強すぎると思うで。」とか指摘するんですが、どっこい「無意識に考え方を自分自身だと思いこんでる」わけですから「そんなことないよ」と強く否定するわけですわ。そこを手放したら、自分でなくなってしまうような恐怖があるんでしょうなぁ。
そんな事ないのに。
「考え方」なんか道具でしかないのに。
って思う。
ってまぁ思ってはいてるんですけど、では、ひるがえって、自分が「考え方」を自在に手放しているか? というと、多分それはうまくはできていないんでしょうな。
なので、最近は、いかに「考え方」を自在に客観視して、手放せるか、あるいは、手放した後に、また自由な気持ちで(道具を持っている自分を意識しつつという事ですね)、また持ちなおすか? というような事を考えています。
とくに、「あまり役に立たない考え方」は、できるだけ捨てるようにして、より役に立つ実用的な、道具としての「考え方」を無意識にでも使えるようにしたいと思っています。
このあたり、悪いクセの修正と、新しいクセの習得という意味で、楽器練習と似てるところがあるんですよね。
他者のクセの修正はなかなかできない訳だから、自分のクセを、できるだけ自覚しながら修正していくというのをやっていくしかないかなぁと思います。
ものすごく抽象的な事を書いてしまいましたが、概ねはそういう事を考えてるんですよね、私。
このあたり、アダルトチルドレンとか、依存症、共依存などにも通じる話ですし、うまく展開すれば、願望達成法とか、確実なダイエット手法とかにもつながって行くはずです。
単純に「悪い生活習慣の改善」なわけですから。
「悪い生活習慣」っちゅうのも、ようは「クセになってしまった考え方」が引き起こしているわけですしね。「考え方」の方を腑分けするというか、解剖して、構造を精密に解き明かす方が、上手に改善できるように思いますね。
ともあれ、「クセ」というのが、最近はとっても気になってるキーワードなのであります。
はい。
意識と無意識の一致。
2009年5月24日クセの話の続きですが。
クセで何かをしているというのは、無意識で何かをしているという事であります。
実は、酒を飲んだり、ギャンブルをしたり、各種の依存症も、無意識がそれをやってるからやめられないわけですな。
で、それが無意識の行動であるからコントロール不能に陥ってしまって「どうしようもないのだ」という自暴自棄の気持ちになってしまうわけですね。
が、しかし。
本来、顕在意識も無意識も、どちらも自分自身なわけです。コントロール不能という事はないはずです。
確かに胃や腸の活動は無意識下の活動ですが、それでも食事の内容によるコントロールとか、深呼吸とか瞑想など、各種のコントロール方法はあるわけです。
で、ここで大事なことは、
●意識と無意識は、完全に分離しているわけではない。
ということですね。
たとえば、人間には、肩、腹、胸 などの部分がありますが、ではいったいどこから肩がはじまって、どこで終わっているのでしょうか? その明確な区分はありません。
ハッキリと部位を区別することはできます。しかし線引きはできないわけです。
で。
「クセ」というのは、ちょうどその中間あたりの、区分できないものとして存在してるわけです。
で。
この「クセ」に、行動としての「クセ」と、考え方としての「思考のクセ」の二種類がある、ということなわけですね。
だから、ここのところに注目して、少し意識してやれば、ハンドルをほんの少し動かすようなコントロールが可能になってきて、長い距離を走っていれば、望む方向に進んでいくことも可能なわけです。
まさに、「クセ」というのは、意識と無意識の中間地点で、ここをうまく少しの力で動かせれば、意識と無意識の一致ができる。
そういう気がするわけですよ。
ということで、今日はここまで。
また書きます。
クセで何かをしているというのは、無意識で何かをしているという事であります。
実は、酒を飲んだり、ギャンブルをしたり、各種の依存症も、無意識がそれをやってるからやめられないわけですな。
で、それが無意識の行動であるからコントロール不能に陥ってしまって「どうしようもないのだ」という自暴自棄の気持ちになってしまうわけですね。
が、しかし。
本来、顕在意識も無意識も、どちらも自分自身なわけです。コントロール不能という事はないはずです。
確かに胃や腸の活動は無意識下の活動ですが、それでも食事の内容によるコントロールとか、深呼吸とか瞑想など、各種のコントロール方法はあるわけです。
で、ここで大事なことは、
●意識と無意識は、完全に分離しているわけではない。
ということですね。
たとえば、人間には、肩、腹、胸 などの部分がありますが、ではいったいどこから肩がはじまって、どこで終わっているのでしょうか? その明確な区分はありません。
ハッキリと部位を区別することはできます。しかし線引きはできないわけです。
で。
「クセ」というのは、ちょうどその中間あたりの、区分できないものとして存在してるわけです。
で。
この「クセ」に、行動としての「クセ」と、考え方としての「思考のクセ」の二種類がある、ということなわけですね。
だから、ここのところに注目して、少し意識してやれば、ハンドルをほんの少し動かすようなコントロールが可能になってきて、長い距離を走っていれば、望む方向に進んでいくことも可能なわけです。
まさに、「クセ」というのは、意識と無意識の中間地点で、ここをうまく少しの力で動かせれば、意識と無意識の一致ができる。
そういう気がするわけですよ。
ということで、今日はここまで。
また書きます。
ウクレレ・スーパージャム 2009
2009年5月24日 ●ウクレレ一日に2アーティクルも書くのは珍しい事なのですが、今日は表題のウクレレのコンサートに行って参りまして、なかなか良かったもので、ちょっと書きたくなったのであります。
ウクレレ・スーパージャム 2009
http://tomorrowhouse.show-buy.jp/ukulelesuperjam/news.html
出演者
http://tomorrowhouse.show-buy.jp/ukulelesuperjam/lineup.html
ずっと東京でやってたイベントらしいんですが、今年は関西初上陸ということで、かの「ウクレレの神様」ハーブ・オオタ(オータサン)と、その息子であるジュニアの共演が目玉。
しかし、その他にも、フラリーパッドやT.T.CAFEは出るし、なにより、カナダのウクレレの王子様、ジェームス・ヒルが出る。
ということで、出演者がかなり良いので、出かけたのであります。ウクレレ教室のお仲間も、「この出演者は良いですねー」と一緒に行くことになったのであります。
いざ行ってみると、会場には関西のウクレレショップとしては有名な、あの岸和田のウクレレ店「オハナ」がブースをかまえていたり、関西の個人でやってるウクレレ製作工房の人たちのウクレレの即売会もやっていて、それだけでもなかなか楽しかったのであります。けっこう自由にさわれたし。
で、また、演奏がどれもこれも、それぞれに個性的で、すごく魅力的。みんなウクレレを使ってるんですけど、やってる曲とかスタイルとかに共通項がまったくないのですなぁ。みんなそれぞれに自分のスタイルでやってるっていうのが良くて、とにかく飽きない。
4時開演で、20時までの4時間という長丁場だったのに、ちーとも飽きなかった。いやー、良かったですな。
なんというか、「ウクレレ」という、ソロから伴奏まで、なんでもできるけど、何をやっても全部中途半端にしかならないとう楽器の特性が、逆にそれぞれのアーティストの個性を際だたせるんでしょうね。「限界があるなら、アピールしたいのはここだ!」という割り切りが出てくるというか。
とにかく楽しいイベントでした。
で、やはりすごいのは、神様オータサンですなぁ。やっぱりスターやなぁって思います。
たとえばジェームス・ヒルなんてチェロとコンビで出てくるし、ギターとウクレレのフラリーパッドとか、それぞれに演奏自体に工夫をこらしてて、楽しませる演奏が続いた後に、ひとりでふらりと出てきて弾き始めるわけですが、最初に一言、
「僕の演奏は地味だから」
と、こうくる。
オータサンのパフォーマンスを見るのは二回目なので、このオッサンギャグにも慣れたものなんですが、今日は演奏がはじまって、途中まで弾いたところで、弾きながら「ね、地味でしょ」とかまで言ってる。(笑)
会場が、ドッと笑いますな。
それだけで「つかみはOK」って奴ですよ。
あとは、珍しい曲を弾いては「みなさんこの曲、知らないでしょ? だから僕が手抜きをして弾いていてもわからないね。」とかギャグばっかり。
でも、いざ弾き始めると、やっぱ色気が違うんだよなぁって思う。
テクニック的には、ほかのアーティストの方がうまいのかも知れないけども、やっぱり曲、音楽として良いのですなぁ。そこがすばらしい。
いやー楽しかった。
これに加えて、途中で抽選会があって、指定席の番号でいろいろプレゼントがあったんですが、なんと恐ろしいことにその景品の中にフェイマスのベビーウクレレが10台とか、とんでもないものがあったりして、より一層びっくりなのでありました。
一緒に行った人がきっちり当たって、ウクレレもらってましたけどね。あーすご。
ともあれ、なかなか良いイベントでありました。
うーん、ウクレレ好きの人間にしかメリットのない情報だなぁ。まぁいいか。
ま、そんな事で。
ウクレレ・スーパージャム 2009
http://tomorrowhouse.show-buy.jp/ukulelesuperjam/news.html
出演者
http://tomorrowhouse.show-buy.jp/ukulelesuperjam/lineup.html
ずっと東京でやってたイベントらしいんですが、今年は関西初上陸ということで、かの「ウクレレの神様」ハーブ・オオタ(オータサン)と、その息子であるジュニアの共演が目玉。
しかし、その他にも、フラリーパッドやT.T.CAFEは出るし、なにより、カナダのウクレレの王子様、ジェームス・ヒルが出る。
ということで、出演者がかなり良いので、出かけたのであります。ウクレレ教室のお仲間も、「この出演者は良いですねー」と一緒に行くことになったのであります。
いざ行ってみると、会場には関西のウクレレショップとしては有名な、あの岸和田のウクレレ店「オハナ」がブースをかまえていたり、関西の個人でやってるウクレレ製作工房の人たちのウクレレの即売会もやっていて、それだけでもなかなか楽しかったのであります。けっこう自由にさわれたし。
で、また、演奏がどれもこれも、それぞれに個性的で、すごく魅力的。みんなウクレレを使ってるんですけど、やってる曲とかスタイルとかに共通項がまったくないのですなぁ。みんなそれぞれに自分のスタイルでやってるっていうのが良くて、とにかく飽きない。
4時開演で、20時までの4時間という長丁場だったのに、ちーとも飽きなかった。いやー、良かったですな。
なんというか、「ウクレレ」という、ソロから伴奏まで、なんでもできるけど、何をやっても全部中途半端にしかならないとう楽器の特性が、逆にそれぞれのアーティストの個性を際だたせるんでしょうね。「限界があるなら、アピールしたいのはここだ!」という割り切りが出てくるというか。
とにかく楽しいイベントでした。
で、やはりすごいのは、神様オータサンですなぁ。やっぱりスターやなぁって思います。
たとえばジェームス・ヒルなんてチェロとコンビで出てくるし、ギターとウクレレのフラリーパッドとか、それぞれに演奏自体に工夫をこらしてて、楽しませる演奏が続いた後に、ひとりでふらりと出てきて弾き始めるわけですが、最初に一言、
「僕の演奏は地味だから」
と、こうくる。
オータサンのパフォーマンスを見るのは二回目なので、このオッサンギャグにも慣れたものなんですが、今日は演奏がはじまって、途中まで弾いたところで、弾きながら「ね、地味でしょ」とかまで言ってる。(笑)
会場が、ドッと笑いますな。
それだけで「つかみはOK」って奴ですよ。
あとは、珍しい曲を弾いては「みなさんこの曲、知らないでしょ? だから僕が手抜きをして弾いていてもわからないね。」とかギャグばっかり。
でも、いざ弾き始めると、やっぱ色気が違うんだよなぁって思う。
テクニック的には、ほかのアーティストの方がうまいのかも知れないけども、やっぱり曲、音楽として良いのですなぁ。そこがすばらしい。
いやー楽しかった。
これに加えて、途中で抽選会があって、指定席の番号でいろいろプレゼントがあったんですが、なんと恐ろしいことにその景品の中にフェイマスのベビーウクレレが10台とか、とんでもないものがあったりして、より一層びっくりなのでありました。
一緒に行った人がきっちり当たって、ウクレレもらってましたけどね。あーすご。
ともあれ、なかなか良いイベントでありました。
うーん、ウクレレ好きの人間にしかメリットのない情報だなぁ。まぁいいか。
ま、そんな事で。
「百年に一度の大不況」じゃないんだよね。80年だもの。
2009年5月29日どうも最近「100年に一度の大不況」という言い方が鼻についてきました。
だって、前の世界恐慌は1929年なんですよ? ちょうど80年です。
いったいどこでどうなって「100年」という数字が出てきたんでしょうか?
まぁ、こういうのは「決まり文句」になってしまうから、しょうがないんですけど。
このあいだちょっと書いた、副島隆彦さんの、アメリカ発の恐慌を予言した
「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4828411127
ですが、
実はさして難しい事が書いてあるわけではなくて、「景気変動というのはサイクルなのだ」という景気循環説をとなえているだけの本なんですよ。
明日の事はわかりませんから、そこで予言すると言っても何を根拠に予言するのか? という事ですね。
で、普通のそこいらにいる「エコノミスト」というのは、たとえば投資サイクルは大きく5年で更新されるものなのだ、とか、××のサイクルは3年くらいだ、とかやっているけれども、学問的に見れば、それらは全部景気変動のサイクル説の中に収まることであって、それはいろいろ説があると。(ジュグラーの波、クズネッツの波など)
で、そういう数年単位の小さなサイクルではなく、60年単位というような大きなサイクルもあるはずなのだけれども、普通のエコノミストは、そういう大きなサイクルまでは考えていないという話しでして、副島さんはここで、あまり有名ではないのかも知れないけれど、コンドラチェフという60年周期でのモノの見方もしなければいけない、と言うことを言ったにすぎないわけです。
で、いちおうコンドラチェフの波というのは、60~70年くらいだから、周期を考えると2001年あたりで大不況が来るはずだ、という前提で論を立てておられたわけです。コンドラチェフという人はすでになくなっているので、波の個別曲面の定義や判断というものがはっきりしませんし、なんせコンドラチェフの仮説自体、1925年に出されているわけですから、この60周年周期というスパン自体をどう考えるか? って言うのもあるわけですが。
ともあれ、ようは「大きな周期はあるはずだから、その周期が巡ってきて当然」という事なんですよ。それを想定してない方がおかしいとも言えるわけです。
副島さんはだから不況の「底」を1929年と捉えずに、第二次世界大戦の終わり、1945年を底と見て、大不況が来るはずだと想定して、で、いま大不況が来るとすれば、好況に浮かれきっているアメリカからだろうし、火がつくのはバブルになりつつある住宅ローン関係だろうと予測されていた、という事な訳です。
まぁね、人間、神様じゃないんだから、明日の事はわからないんですよ。
でも、たとえば、季節の温度を丹念に計測していたり、太陽が昇る位置をていねいに観察していたり、というような誠実な態度で日々を送っている人達の経験から、暦のようなものは生まれて来たわけですし、1年というわかりやすい周期も発見できたわけですよ。
皆既日食にしても、日本では卑弥呼の時代(4世紀くらい)には「神の怒り」とか言って恐れおののいたわけですけど、おそらく同じ時に中国では、日食は「暦」の一部になっていたはずなわけです。これは大きな違いですけど、でも、そういう事実関係はあったわけです。
皆既日食の周期を知らないから「神の怒り」になってしまうわけでして。
だからたぶん、経済というのも、とどのつまりは波動のサイクルで見るしかないんだろうと思われるわけです。
なら、この世界不況を、あまりに大雑把に「百年に一度の大不況」とか言うのはやめて、「1929年から80年で、同様の事が起こりました。」とした方が分りやすくていいんじゃないの? って事ですね。
で、やっぱり「100年」だとちょっとアバウトすぎる気がしてきたって事です。
ちゅうか、この周期予測の考え方を、アバウトにだけ聞きかじってセンセーショナルな言い方に転換したんですかね?
コンドラチェフ仮説と現実社会を照らし合わせてみると、「60年~80年程度の周期でサイクルしている」とするのが現実的な判断なのではないかしら? という気がするんですが、どうでしょう?
で、そんなこんなを考え合わせていくと、投資はやっぱり「ドル・コスト平均法(=定額購入法)」で行くのが一番だよなぁという、手堅い発想になる私ではありました。
で、ドル・コスト平均法の考え方も知らない人が、投資に手を出してはいけませんな、という事になってくるわけですが、このあたりは、もう、それこそ個人の話でどうでもいいことなので、話は、おしまいにしましょう。
だって、前の世界恐慌は1929年なんですよ? ちょうど80年です。
いったいどこでどうなって「100年」という数字が出てきたんでしょうか?
まぁ、こういうのは「決まり文句」になってしまうから、しょうがないんですけど。
このあいだちょっと書いた、副島隆彦さんの、アメリカ発の恐慌を予言した
「やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4828411127
ですが、
実はさして難しい事が書いてあるわけではなくて、「景気変動というのはサイクルなのだ」という景気循環説をとなえているだけの本なんですよ。
明日の事はわかりませんから、そこで予言すると言っても何を根拠に予言するのか? という事ですね。
で、普通のそこいらにいる「エコノミスト」というのは、たとえば投資サイクルは大きく5年で更新されるものなのだ、とか、××のサイクルは3年くらいだ、とかやっているけれども、学問的に見れば、それらは全部景気変動のサイクル説の中に収まることであって、それはいろいろ説があると。(ジュグラーの波、クズネッツの波など)
で、そういう数年単位の小さなサイクルではなく、60年単位というような大きなサイクルもあるはずなのだけれども、普通のエコノミストは、そういう大きなサイクルまでは考えていないという話しでして、副島さんはここで、あまり有名ではないのかも知れないけれど、コンドラチェフという60年周期でのモノの見方もしなければいけない、と言うことを言ったにすぎないわけです。
で、いちおうコンドラチェフの波というのは、60~70年くらいだから、周期を考えると2001年あたりで大不況が来るはずだ、という前提で論を立てておられたわけです。コンドラチェフという人はすでになくなっているので、波の個別曲面の定義や判断というものがはっきりしませんし、なんせコンドラチェフの仮説自体、1925年に出されているわけですから、この60周年周期というスパン自体をどう考えるか? って言うのもあるわけですが。
ともあれ、ようは「大きな周期はあるはずだから、その周期が巡ってきて当然」という事なんですよ。それを想定してない方がおかしいとも言えるわけです。
副島さんはだから不況の「底」を1929年と捉えずに、第二次世界大戦の終わり、1945年を底と見て、大不況が来るはずだと想定して、で、いま大不況が来るとすれば、好況に浮かれきっているアメリカからだろうし、火がつくのはバブルになりつつある住宅ローン関係だろうと予測されていた、という事な訳です。
まぁね、人間、神様じゃないんだから、明日の事はわからないんですよ。
でも、たとえば、季節の温度を丹念に計測していたり、太陽が昇る位置をていねいに観察していたり、というような誠実な態度で日々を送っている人達の経験から、暦のようなものは生まれて来たわけですし、1年というわかりやすい周期も発見できたわけですよ。
皆既日食にしても、日本では卑弥呼の時代(4世紀くらい)には「神の怒り」とか言って恐れおののいたわけですけど、おそらく同じ時に中国では、日食は「暦」の一部になっていたはずなわけです。これは大きな違いですけど、でも、そういう事実関係はあったわけです。
皆既日食の周期を知らないから「神の怒り」になってしまうわけでして。
だからたぶん、経済というのも、とどのつまりは波動のサイクルで見るしかないんだろうと思われるわけです。
なら、この世界不況を、あまりに大雑把に「百年に一度の大不況」とか言うのはやめて、「1929年から80年で、同様の事が起こりました。」とした方が分りやすくていいんじゃないの? って事ですね。
で、やっぱり「100年」だとちょっとアバウトすぎる気がしてきたって事です。
ちゅうか、この周期予測の考え方を、アバウトにだけ聞きかじってセンセーショナルな言い方に転換したんですかね?
コンドラチェフ仮説と現実社会を照らし合わせてみると、「60年~80年程度の周期でサイクルしている」とするのが現実的な判断なのではないかしら? という気がするんですが、どうでしょう?
で、そんなこんなを考え合わせていくと、投資はやっぱり「ドル・コスト平均法(=定額購入法)」で行くのが一番だよなぁという、手堅い発想になる私ではありました。
で、ドル・コスト平均法の考え方も知らない人が、投資に手を出してはいけませんな、という事になってくるわけですが、このあたりは、もう、それこそ個人の話でどうでもいいことなので、話は、おしまいにしましょう。