「ひとのため」ということを、平気で簡単に口にすることがある。かくいう僕もそうです。

でも、これ、本質的には「できない」ことなんです。というのは、誰かのためになることをする、というのは、他者の役に立つ人間になろうという「自分の成長欲」なくして、意味のあることではないからです。

「情けは他人(ひと)のためならず」という言葉が「他人に情けをかけるのは、相手のためでなく、自分の精神の成長のためである」という意味なのだ、ということを深く自覚しないといけないのです。

で、この「まず自分を育てる」という考え方こそが、すべての基本の基本の、そのまた基本で、この根幹となる考え方なくして「個人の幸せ」というのは、ありえないと思うのです。

「幸せ」というのは、自分がこの世に生まれた意味を実感しつつ、日々自分が成長していると捉えられることなのではないかなぁ。

単純な話、「世界中の人間を全員幸せにするにはどうすれば良いのか」と大目標を立てたとき、真っ先にやらねばならないのが、まず自分を幸せにすることなのです。これは絶対ですよ。

自分をないがしろにして、他の誰かを幸せにすることに意識を使っていても、それでは「ないがしろにされた自分」は全然幸せではなく、自ら不幸な人間になっているだけなわけです。つまり不幸な人間を自ら生み出している、ということですね。

もし多くの人が、みんな、「自分より●●のために」と自分を不幸にしたら、世界中の人間がみんな不幸になってしまう。本末転倒もいいところだ。

僕は、このことを強く言いたいんです。
とくにアダルトチルドレンである人には、よけい強く言いたい。

なんせ、家庭内ストックホルムシンドロームの説明でも書いたように、子供の頃からの「理不尽な感情」にコントロールされて、無理矢理自分をだまし、自分が幸福でもないのに、それを無理矢理「幸福」と思いこむように自分をしつけてしまっているのがアダルトチルドレンなんです。

たとえば親がアルコール依存症で、飲むと家事もしないようなダメ親だった時に子供は「ああ、わたしがしっかりしなくちゃ」と自分を無理にしつけてしまう。

こんなこと、間違った考えなんです。子供が親の面倒なんか見れません。金も稼げないヒヨッ子なんだから。社会的に未熟な子供が親の面倒なんか見れるわけがない。そういう事実認識ができてない。「親がアルコール依存症であることが悪い」と捉えるのが当たり前、かつ正しい認識です。

まず「間違っている親」が、間違いを正す必要がある。でも、その間違いが正されなかったから、子供が「私がしっかりしなくちゃ。」という、できもしない、非現実的な妄想を抱いて精神のバランスを保とうとしてしまう。結果間違った考え方が世代間連鎖してしまうのです。

こういう、自分が幼くて、まだ他者をサポートする力もないのに、その自覚もせずに「親の面倒を見なくちゃ」みたいな非現実的な妄想を抱くクセを持ったまま大人になると、「自分より子供のためになるように」と、その間違った「客観的な自己認識」の欠けた考えを「正しい」と思いこんでしまうわけです。

「自分より子供優先」みたいな事を言う親って本当に無茶苦茶に多いけど、ほんと、その前に一度、きちんと上記のようなことを考えてみて欲しいと思う。

これはね、飛行機事故があった時の酸素マスク利用の説明書きに書いてあったと思うんだけど、確かお子様をお持ちの方に、という説明の後に「ユアセルフ、ファースト」って書いてあるわけですよ。

飛行機事故で酸素マスクが自動的にブランと機内にぶら下がると、子を持つ親は、ついそのマスクを子供につけさせてしまうんだそうで。

でも、それではダメ!!!

と、注意書きには書いてある。まず「自分優先」だと。
つまり、まず親が酸素を吸って、酸素不足でフラフラしている頭をシャッキっとさせなさい、ということなんですね。

で、親が先にシャキッとしたら、当然自然と子供に酸素マスクをあてるという「判断」ができるようになるわけです。

これができてはじめて、親子両方ともが助かる。

しかし、いきなり子供に酸素マスクをあてても、肝心の親が酸素不足でフラフラしてたら、これはもうどうすることもできない。赤ちゃんが「ああ、お父ちゃん(お母ちゃん)が酸素不足でフラフラしている。このマスクをあててあげなければ。」なんて考えるわけがないんです。

だから、まだ未熟な子供を持つ親は、つねに、「まず自分の精神の安定」すなわち「自分の幸せ」を最優先で考える必要があるんです。

親が幸せ感たっぷりで、にこにこと、精神的に安定していれば、それだけで子供も幸せになるんです。で、子供はまだ未熟なんだから、自分が不安になった時に自分を幸せにする方法なんてさっぱりわからない。

だからこそ、まず親が幸せになる必要あるんです。

つまり、まず「自分優先」ユアセルフ・ファーストです。

この考え方は、恐らく、すべての人間関係に有効だと僕は思ってます。

「子供より、家族より、恋人より、まず自分を大切に。」という事なんですね。

幸せになるんだと、まず成人した大人が決意し、そして実際に幸せになって行くことです。(これは決意しないとできません。)

「自分より子供優先」と考える時、確実に「自分」がないがしろになります。まさに、その瞬間にひとりの「不幸な人間」が生まれているというわけです。

「不幸な人間をこの世に創り出して良いとでも思っているのか、このばちあたり者が!!!!」と僕はそういう人を厳しく糺弾します。
まさにその瞬間にこそ、不幸な人間が生まれているからです。しかも不幸な人間を、自分で生み出しているのに、その究極の「罪」を自覚すらしていない。

この瞬間こそ、世の中に不幸を生み出している瞬間なわけです。

でも、多いんだ、こういう考え方する親。ものすごく多い。

結局、例の「だめんずうぉーかー」に出てくる、ダメ男とくっついてしまうクセを持ってしまった女の子も、同じ精神構造からそうなるんですよ。

「自分とは何か?」「私が望んでいる理想の環境とは何か?」ということを、つねに意識する習慣を持たず、「あの人はダメな人だから、私が支えてあげなければ」とか考えてしまう。

まったく同じ構図でしょ?

「考えて、望む」という人間に取ってもっとも重要な「酸素マスク」を未熟なものにまず与えている。まず自分に酸素マスクですよ。ほんとに。

「考えて、望み、それに向かって行動する」というのが幸せを実現する基本です。なのに、その基本の意識の照準を「自分」にあてずに、子供や家族、恋人とかにあてている。

いや、あなた、テレパシー持ってるわけじゃないから。自分以外の人間の心の内側の複雑な望みまで、先回りして実現したりできないから。それは無理だから。要するに間違ってるって。

そうではなくて、まず自分という人間の望みを明確にし、その望みを実現するために頑張る。そして、その実現過程こそが、自分の幸せであって、家族の中にそういう幸せな人が一人でもいれば、他の人も幸せになっていくのです。

テレパシーはなくても、幸せな笑顔は他者にもわかるのです。だから、まず自分を幸せにすることが、すべての人間に与えられた「使命」なんです。

それをほったらかしにするという事自体が、大間違いの、天や自然にさからった大罪なのですよ。

ここをほんと、自覚して欲しいよ。マジで。

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