人類の月面着陸はあったんだ論―と学会レポート
ISBN:4903063011 単行本 志水 一夫 楽工社 2005/11 ¥1,680

いやぁ、実にバカだねぇ、こいつら。
わははははは。
おもろい。

「人類の月面着陸はあったんだ論」だってさ。
あほか。
そんなもの、「人類の月面着陸はあった」というコトになってるんだから、わざわざ「論」とか言うこと自体が滑稽なこととは、考えもしなかったんだろうか?

普通に一般人が見たら、「?????なんだこいつら?何が言いたいんだ」としか思わんじゃないか。

ここまでのバカな本を私は見たことがない。
いやー、存在自体が自己矛盾を起こしている、こんなアホな本を書くバカがこの世にいたとは。実におもしろい。
天然記念物なみのバカだなぁ、こいつら。

共著なので、ちょっと名前を列挙しておきます。

山本 弘 (著), 江藤 巌 (著), 皆神 龍太郎 (著), 植木 不等式 (著), 志水 一夫 (著)

ふはははは。バカだ、こいつら。
書籍というのは、名前も出して世に問うのだから、このように「おまーらバカ」と言われることも覚悟しておけ。

私は、ごく普通の一般人なので、アポロの月面着陸に関しては「あったとアメリカが言ってるから、あったことになっている。なかったという人の意見も聞くべき点は非常に多い。が、とどのつまり行ったかどうかはNASAなどの『行った』というキチンとした証明をするまでは、わからない。だから、わからないという立場です。」と答えることにしている。

まぁ豊かな常識がある人なら、こう言うのが当たり前である。
で、その「証明」は、科学の範疇のことなのだから、「再現性」こそが重要。2回でも3回でも繰り返し人類が月面に着陸することで証明されるのだ。

科学的に再現可能であれば、そのノウハウを他国が盗むとか、あるいはなんらかの出来事から漏れるとかして、他の国にも伝わる気がするんだが。でも三十年にも渡って、アメリカ以外の国で人類の月面着陸を成功させた国はない。それどころか、宇宙空間に本格的な宇宙ステーションを建造するというようなことすら行われていない。

そんなことを考え合わせると「人類は月には行ってないのではないか?」という疑惑が出ても、別におかしくはないでしょう。

NASAが行うべきことが「月に行ったことの証明」であれば、そうではない一般人がやるべきことは、「ほんまに行ったのか?」と疑うところまで、である。

で、この「疑う」ということすら、実は私はしない。「疑っているという人もいてるが、とりあえず世の中は行ったことになってるから、まぁ特段自分の損にも得にもならないから、わからないでいいや」という立場である。

ええやん、べつに。「わからない」で。「わからん」ことはわからんのだ。もしかしたら月面着陸は地球で撮影したフィルムでしかなくても、別にいいよ。で、本当に月まで出かけていたとしても、現実問題、月に親戚ができたわけでもなし、どうでもいいや。

そのくらいが、豊かな常識なのではないか?

で、この問題に決着をつけられるのは、唯一NASAだけである。当時のロケットから宇宙服から月面着陸船まで、すべての設計図面を公開して、「どうぞ他国のみなさん、月までお出かけください、これで行けます。」とやればいいのだ。

そら、ものすごい資金がアメリカになだれこみますぜ、お父さん。

だから証明責任は、NASAにしかないのである。だからいくら「あったんだ」と信じたとしても、いえるのは「あったんだろう」までなのだ。

絶対に「あったんだ」とは言えないのである。

そんな当たり前のことも、こいつらはわかってなくて、平気で「あったんだ論」なる珍妙なものを書いているわけです。

バカだなぁ。本当にバカだなぁ。

これが「あったんだろう論」なら、おもしろい! とほめてやっても良かったんだけど。

この馬鹿さ加減をわかりやすく説明しますと、記録を作ったイチロー選手が、どうやってそれだけの記録を作ったのかをイチロー自身が一言も言ってないのに、トレーナーでもなんでもないひとが、「腕の振りをああしてこうして」と必死に解説して「こうすれば記録が作れるのだ」と力説している滑稽さなのです。

ちゅうか、そういう滑稽さにしかならないということを、まったく考えもしなかったんだろうか、こいつらは。

おまえらが月に行ったんじゃないだろう!

ちゅう事ですわ。

まぁ、人類の月面着陸というのは、夢といえば夢だから、それはそれで「達成されたんだ」としておく方が、理系の人たちのモチベーションは高まるし、そのままにしておいても僕は別にいいと思う。

けど、この本はあまりにバカだなぁ。
信じられないくらい程度が低いわ。

「あったんだろう論」ならまともだけど「あったんだ論」となると教祖様の言うことは絶対でございます、科学は万能でございますという言い方にしかなってないよなぁ。社会科学的な見方が全然できてない。

月面着陸というのは「政治的にあの時期に達成されてないとマズかったから大嘘の映像を流したのではないのか」という、政治や社会構造の面から「疑問」が提出されてるってのに、それを自然科学の範疇だけで説明しても意味はないよなぁ。

ことほどさように、日本人は「社会科学」に弱いのであります。政治学とか社会学とか全然ダメだもん。しょうがないけど。

(この項続く。あー、また3000字超えたよ。)

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人類の月面着陸はあったんだ論―と学会レポートISBN:4903063011 単行本 志水 一夫 楽工社 2005/11 ¥1,680

ということで、この本がなんで生まれてきたかという背景をちょっと書いておきます。

最初はわが尊敬する副島隆彦さんが「人類の月面着陸はなかったろう論」という本を出したというところからはじまります。

副島さんはアメリカ政治の分析を主たる言論活動の中心に持ってきてますから、その流れからの著作です。
で、まぁ言論活動も商売ですから、副島さんはドーンと「なかった」側に意見を集中して言論を通した。あるていどあざとくないと売れないもん。それはまぁしょうがない。

で、この「政治社会本」に、あほな事に「と学会」の連中がかみついた。政治社会の分野で噛みついたのならいいんですが、自然科学的なところから「トンデモ本だ」ということにしちゃった。

(このトンデモ本という言い方も実に気持ち悪い言い方で、僕はあんまり好きじゃないんですけどね。言論界では批判は当たり前で、いままで著名な作家や学者がそれぞれにいろいろな批判合戦をキチンとやってきている。だからわざわざ「トンデモ本」とか中途半端な言い方をせずに、真正面切って批判すりゃぁいいんだ。でもそういう正当なやりかたをしないんだよなぁ。まぁ、よこやり入れるのも、おもしろくはあるから、それはそれで別にいいけど。でも作家としては、トンデモ本的言い方しかしない作家って、やっぱり二流三流のそしりはまぬがれないと僕は思う。)

で、またこんな腰の据わってない人たちの意見なんか無視すりゃいいのに(批判の矛先はNASAに向いてるのであって、他はどうでもいいのだ。)副島さんはこの「と学会」の人たちにも色々言っちゃったんだなぁ。無視すりゃいいのに。このへん、副島さんもムダな力使うからいけない。ほっときゃいいのに、バカなんだから、こいつら。

で、いろいろ反論されたもんだから、こんな本を出したってことでしょう。ようするに「副島、きらい」だけで本を出してるのが、タイトルからだけでもよく分かる。

で、ここで一番重要なのは、この書き込みの冒頭に戻る。
「この本を見た一般人はどう思うのか」ということですね。

だって、「人類は月に行ってないのではないか?」という問いかけ自体がマイナーもマイナー、よっぽど変人しか言わないことじゃないですか。

普通は「え? 人類は月には行ったよ。つーか、行ったんでしょ? 違うの?」としか思わないって。
そういう普通人のことは全然頭に入ってないのよね、この人たち。要するに、そういう、当たり前の豊かな常識みたいなことが欠けている、ちょっと発想に問題のある人間が書いてるってことです。そうとしか受け取れないよなぁ、このタイトルだと。

だから、「月に行ったのがあたりまえ」と思ってる人が「行ってなかったのかな?」と新たな疑問を持ってくれるので、この本の紹介はするのです。ふふふふふ。バカだなぁこいつら。

つまり、こんな本を出すということ自体が、くしくも、この本を書いている人たち自身も「もしかしたら行ってないんじゃないの?」と思い始めたという意味以外に解釈のしようがないってことなわけですよ。
そういう本にしかなってない。ああ、おもろい。

何も言わないでおけば、常識というものはそのままずっと常識のままとどまると言うのにねぇ。

広く世間を見ずに、バカにされたとか、そういうような感情だけで本を書くと、こういう具合に自分たちの意図とは反対のことにしかならないという、まさにバカの見本のような本です。

ここまでアホ・バカな本も、まぁないよなぁ。この滑稽さを、書いた当人たちだけがわかってないような気がする。この本が出ることで、間違いなく副島さんの「人類の月面着陸はなかったろう論」も良く売れることになる。あんまり売れてなかったらしいから、願ったりかなったりかも知れない。(あ、そこまで計算して、と学会批判したんかしら、副島さんは。んー、それも違うと思うが。)

ちなみに「と学会」というのは、まぁ「トンデモ本批判本ファンの集まり」でして、「トンデモ本批判本を読んでおけば、いろいろな本をたくさん読まなくて済むからいいや。」という「本読まない集団」のことですので、正しくご理解くださいませ。

どういうわけか、この「読まないことで批判する」という言語道断の風潮が、世の中の一部のバカを中心に考え方として世の中に存在しているというのは、本当に嘆かわしいことだとおもいますなぁ。

いわく「あの本はトンデモ本なんだってさ、良かったぁ読まなくて」ってとらえ方です。「と学会」の会員ってそんな人ばっかし。ちょっとちょっと、それはおかしいんじゃないの?
本はキチンと読んで、自分の頭で判定するべし、です。
それこそが「自由」ってことなんだよ。わかってる?
会長が「この本はトンデモ本です」と言ったら読まないってのは、思考停止だよなぁ。

ちゅうことで、何にせよ、「トンデモ本だから読まない」というのは「私はバカです」と宣言しているのと、まーーーーったく同じです。はい。

読んでない本は「わからない」。あたりまえでしょうが。どうして「わからない」ことを「わからない」と普通に言えないのか、ってことですけどね。

まったく、この国はどうなっておるのだか、ですなぁ。

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