ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
ということで、久しぶりにツイストリングノートのお話し。
なんか、好きな事について書くのは楽しいですな。
まぁ、それはそれとして。

ツイストリングノートが便利なので、ずっと使ってるわけですが、やってるうちにスケジュールとかも書き込むようになってきて、けっこう頻繁にノートを開くようになってきたんですね。

でも、さすがに手帳じゃないので、機動性は悪いです。電車で移動中とかに、立ったままメモするとかにはあまり向かない。いくら半分折りができるリングノートタイプだとは言え、やはりB5サイズですからな。手帳のようにポケットに収めるってことはできないわけで。

で、ある時、ドタバタしてたので、とりあえずノートに今日のTODOを書き上げたはいいけど、頻繁に見直したり書き加えたりができないなと思って、リフィルを外して八折りにして、胸ポケットに入れて持ち歩いたんですよ。その日だけ。

そしたら、これがけっこう快適で。なんせ、B5サイズの用紙を八折りにしたら、ほとんど名刺サイズなんですね。ちょっとしたシャツの胸ポケットにもラクラクおさまるサイズになるんですよ。

ここまでくると、下手に手帳に書き込むより、よっぽどラク。
特に、夏場は上着とか着ませんからな。胸ポケット程度のところにおさまるのが、実にお気楽で良いのです。

しかも、折りたたんだメモを広げてやれば、またツイストリングノートに戻してやることができるんですね。

これがいい!

TODOを毎日書く習慣があるなら、それをチェックしたかどうかとかが、そのまま「日記」として残せるわけです。日々の覚えに使える。

ということで、よくよく見直して見ると、8つ折りで片面に1週間がまるまるおさまるではないか!と気付いて、B5片面に1週間、両面で2週間という割り振りにして、スケジューラー兼TODO用紙として、この「胸ポケメモ」を、この夏中使い続けておりました。

これがね。
なかなかに便利でして。
いまのところ、かなりお気に入りなんですよ。

一日のちょっとした覚えを記録するのにも良いし、街を歩いてる時にケータイが鳴って、ちょろっとメモするにも重宝するんですね。

仕事帰りに買い物がある時とか、レコーディングダイエットをするとか、家計簿の覚えに今日の買い物額をメモするとか、いろいろ使える。

思いつきで始めたことなんですが、実に便利で、かなりおすすめなので、紹介することにしました。

単純に8つ折りにするだけでもかなり便利だと思うのですが、「一枚の用紙に切れ目を入れるだけで冊子にできる」という折り方・切り方というのがありまして、それをちょっと応用してやると、いちいち広げてたたみ直しするという作業をせずに一週間ずっと使えて、前日分の参照とかも、グンとラクになるので、切れ目だけは入れてるんですよ。簡単だし。(切れ目を入れるのは2週間に1度で済みますしね。一カ所チョキンと切るだけだし。切れ目の入れ方は、添付の画像を参照してください。)

どうせ2週間に一度しか作らないので、作業の手間もわずかで済むし、そうとうズボラな人でも続けられる方法だなぁと思います。いや、自分がズボラなもので、こういうことは手間が少なけりゃ、少ないほど良いってのを、すごく重視してるんですけど。

ということで、良かったら参考にしてください。
ツイストリングノートだけじゃなくて、B5・26穴ノートでも使えると思いますし、世間一般でよく使われてるA4・コピー用紙とかでも、やってやれない事はないと思います。

僕はTODO・スケジュール用に使ってますけど、日付を入れずに、アイディア出しとか、単なる普段使いのメモとして使っても良いかもしれません。

僕の印象で行くと、ツイストリングノートがリングノートとバインダーの両方の魅力を併せ持った事にプラスして、この「胸ポケメモ」の機動性の補完で、カバーできる範囲がとてつもなく広がったように思います。ほんとにもう、手帳のたぐいが不要になっちゃったんですよねぇ。
しかも、保管するのもバインダーですから、時間順にならべて整理してもいいし、他のツイストリングノートの書き込みと連動させて整理しても良いわけで、そういう部分でもメリットが大きくて良いのです。

ということで、興味がある方はぜひお試しくださいまし。
報告とかももらえるとうれしいんですが。

よろしくお願いいたしますです。


関連記事-------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/

■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/

■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/

■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/

■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/

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■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/

■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/

■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)

http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/


子ども手当は配偶者控除がなくなるから、子どものいない家庭や、すでに子どもが高校生以上になっている家庭では増税になるわけです。

で、いろいろ意見を聞いてみると、増税になる家庭の人も、実は、それは分った上で「子ども手当は良いのじゃないか?」と言ってる人がけっこういてます。

なんでそうなるのか?というと、

(1)同じバラマキでも「国民全員にバラマキ」

だからでしょう。特定の業界にばらまいてきた、いままでのバラマキとはちょっと違う。なおかつ、増税になる人も反対しないというのは、

(2)人口増加はGDP増加に直結する

からでしょう。日本のGDPが下がっているのは、いろいろな理由がありますが、人口縮小経済に突入しているという側面がかなり大きいのは事実です。だから、これが根本問題の解決につながるかも知れないと思うから支持するという人がけっこういてます。

で、こういう事を見ていて、ふと気付いたのが「我々国民だとて、まともな増税策なら反対はしないのだよな」という事です。配偶者控除に児童手当がなくなるわけだから、かなりの増税と考えても良いはずです。
でも、けっこう子育ての終わった年寄り夫婦とかが「まぁ、それは良いのではないか。」と暖かい目で見てます。
それはやはり、税金で金を取られても、それがどこにどう役立つのかがはっきり見えるからでしょうね。

いわば、お店に出かけて、安くて機能の低い商品と、高くて高機能の商品がならんでいて、高機能な商品は値段が高いと、はっきりとわかるからでしょう。

で、そういう事を考え合わせていくと、どうにも消費税というのが「おかしな存在」に思えて仕方ないわけです。
いったい何のために徴収されている税金なのかがはっきりしない。なんだか知らないけれどもドッカンドッカン取られる。なのに、自民党も民主党も「いずれ上げる」と、こう来る。
鳩山さんとて、「4年間の凍結はするが、いずれかの時には消費税上げも考えねばならない」とか言ってる。

いやー、それは納得でけへんなぁ。

だって、子どもが増えるということは、そこで消費が増えるということですよ? それも、半端な増え方ではありません。死ぬまでずっと消費するわけです。ということは、子どもが1人増えただけで、

(3)必ず消費税の自然増収もある。

ということです。
だから、子ども手当を本当に導入するのなら、その子どもが死ぬまでの期間、約80年~100年は「子ども手当による増税効果」が効くはずなわけですよ。

(4)子ども手当による増税効果は80年~100年である。

なら、消費税上げなんか必要ないやんけ。
逆に消費税の減額、あるいは廃止を考えても良いはずでしょう。
子どもが増えるというのは、そのくらいの大きな経済効果のはずです。
だから、子ども手当をする限りは、消費税上げなど、言えないのですよ。

このあたり、誰か試算してくれんかなぁ。税の自然増収。かなり大きいはずやねんけど。
どのくらい新生児が増えたかが分れば、それだけで税の自然増収がパッと出るはずですからな。
そしたら消費税なんかいらんやんけ。っちゅう話です。

だいたい、消費税がこれほど一般庶民から嫌われるのは、やっぱり「なんでも一律」というところに、「しっかり考えた跡がない」という部分なのだと思うのですよ。

なんか官僚が、「不景気になっても、わしらの給料だけは減らないようにする方法はないか?」と考え出した、トンデモ税法としか思えない。
というか、ただそれだけの存在ですな。正直。
ちなみに、この「100年に一度の大不況」時では、各種税収は軒並み下がってますが、消費税だけは総税額が増えたそうです。
なんやと!そんな理不尽な仕組みが、そのままでええと思ってるのか! っちゅうことですな。

「子ども手当」のような「個別課題を解決するために増税を含む政策を実行する」ということなら、いくらでも国民は協力するけど、「不景気の時でも公務員の給料下げがないようにする消費税」などという、「考えなし」「政策なし」の税金は、払いたくなくなるということです。

細川政権の時だって、結局は「国民福祉税の導入」の一言で政権が潰れたんだし、本当に民主党には消費税上げには注意してもらいたいです。



●子ども手当は増税だが、支持された。だから消費税は減額あるいは廃止すべき。



なんですよ。
もし、世の中が不況になって公務員の給料が払えないような状況になったら、その時に対策を考えたらよろしい。(当然、官僚の首切り・リストラという選択肢を含みます。そのくらいのリスクは負えよ、官僚ども。おまえらも日本人なんやから。わかってんの?)

結局、

消費税というのは、「現実問題に対する税による解決策」をスポイルしてしまうことだから、税の仕組みとして間違っているのではないか? と僕には思えてきましたね。
まぁ国家運営を安定させるための目的税という意味はあるでしょうから、ほんのわずかならあっても良いのかもしれませんが、消費税でおおまかに国家財政のあらかたがまかなえる、てなことになったら、それこそ官僚も政治家も、何も考えなくなりますがな。

税の仕組みによって国家の問題を解決していく。
なんてことは、政治の根本課題じゃないですか。

企業で言えば、商品開発して、それをいくらで売り出せばヒットするか?とかそういう話でしょう。
それを消費税に頼るということは、すべての商品が一律100円の100円ショップと同じ事ですから、世の中に100円ショップしか存在しないような、そういうアンバランスな発想にしかならないわけですよ。

そうではなくて、


●しっかり税収の仕組みを考えないと、公務員の給料が減ってしまう。


というような状況こそを作らないと、官僚も政治家もさぼってしまうだけでしょう。
なので、消費税はアカンよなぁってつくづく思ったのであります。官僚や政治家をダメにする税制やね。いやほんまに。これは廃止すべきやと思うわ。

---------------

それと、子ども手当ですが、「子どもを作らない夫婦」は、まぁ自分の選択だから増税は良いとしても、「子どもができない夫婦」にとっては不公平感のかなり強い税制だと思うのですよ。

だから、子ども手当を導入するなら、平行して養子縁組に関する仕組みの強化もすべきだと思うんですよね。
なにより母体保護法(昔の優生保護法です。)を変更して、ここに子育て手当を10か月投入できないかを考えて欲しいですな。子どもが生まれるまでの10ヶ月を国が保証し(あるいは、子どもが欲しいと思っている夫婦が小額でもいいから援助するとか)そこで産まれた子供を養子縁組するような仕組みですな。そういうのを作った方が良いのではないか?って思う。

いま、生涯出産率が低いとか言われてますけど、いまだに母体保護法を前提とした堕胎が普通に行われてるわけです。産婦人科のホームページなんかを見てみれば、そのあたりすぐにわかりますよ。基本は母体保護法では、「母胎に危険がともなうような場合、母胎保護のために堕胎も仕方なし。」という事で堕胎が認められているわけです。でも、これを拡大解釈して、「親が生活苦に陥るから堕胎」になってるわけですね。
で、産婦人科などのホームページでは「断っても、そういう人は他の産婦人科で堕胎をします。それくらいなら、うちで安全にやるほうがより良いと考えます。」というスタンスなわけです。

この部分をほったらかしにしておいて、生涯出産率がうんたら言うのも、かなりおかしいと思うんですよね。
で、それとは別に「子どもは欲しいがなかなかできない」という夫婦もけっこうたくさんいてますし。

ただ、この問題、実は、女性が「自分のお腹を痛めたわけではない子どもを自分の子どもとは思えない」という、けっこう根深い問題があるんですよ。

日本の社会は母系社会でして、けっこう女性の実感を大事にした社会の仕組みになってるんです。

欧米だと、父性社会なので、父親になるに際して別に腹を痛めるわけでもない男の側の意見が大きく影響するわけです。「子どもに罪はない。自分の子として育てよう。」と考えて、それで納得できるのは男ですからな。女性は、ここが納得できにくい。

だから、子ども手当の不公平部分を、多少なりともなんとかしようと考えるなら、ちょっと男が頑張らないとアカンということになるんですよ。
このあたりは宗教観とかを整える必要とかもあるかも知れない問題でして、なかなか難しいんですがね。欧米だとキリスト教が基本的に堕胎を悪と設定してますしな。

このあたりは本当にちゃんと考えて損はないテーマだと、僕は思うのですが。
さて、どうでしょう?

今日の日記は、ほぼタイトルのみ。

なんとなく、そういう事を思う日々です。

人間関係であれ、政治であれ、それこそ僕の好きな文具活用であれ、完璧なことなどなく、漏れのない仕組みなんかは存在しないということですね。

だから、「穴が空いてるから水も汲めない」と思うのではなく、「穴があいてるかも知れないから、とにかくどんどん水を汲め」と考える事だと思う。

必要なのは水であって、水が手に入ればいいのだ。
もちろん、穴は小さい方がいいし、ダダ漏れでは徒労感も高い。
どの穴が一番大きくて、どれを最優先でふさがないといけないか?と言うことも考えなくちゃ行けません。

でもね、とどのつまりは、水を汲むということをしないといけないって事です。
経済の問題なら、まず自分が稼ぐ。あるいはムダ使いをしない。

愛情の問題なら、まず自分が愛情を与える。もらう事を後回しにする。

文具の話なら、まずアイディアを考えたり、自分の考えを言葉にしてみるなどの作業をする。

そういう「真水」こそが大事なのであって、バケツの話ばっかりしていてもしょうがないんだよなぁって思います。



●なぜ間違ってしまったのか?



を考えるより、



●どうすればうまく行くのか?



を優先した方が、やっぱりどうも、何事にせよ、うまく行くようです。
多分、「どうすればうまく行くのか?」という設問の中には「なぜ間違ってしまったのか?」という設問が含まれているからでしょうね。

大は小を兼ねる。と言う奴です。(使い方、おかしくないか?:笑)

なにをして「うまく行った」とするかは人それぞれでしょうけれど、ともかくまずは、「どうすればうまく行くか?」を考えるというのが、概ねは幸せにつながる考え方であるように思いますね。

なんか、最近は、そういう事をよく思います。

みなさまが幸せでありますように。(当然、僕自身の幸せも含みます。)

ではでは。

ScanSnap-S1500(スキャンスナップ):ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
今日もまた、わかる人にはタイトルを読んだらすべてわかってしまうような話。

えーと、ドキュメントスキャナというものがあります。こういうものですな。

■富士通:ScanSnap (スキャンスナップ)
http://scansnap.fujitsu.com/jp/product/s1500/

■キャノン:ドキュメントスキャナ
http://cweb.canon.jp/imageformula/lineup/dr/dr-2510c-2010c/
■コクヨ:キャミナックス
http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/kws/caminacs.html


これらはみな、
●書類を複数枚自動的にフィードして、表面・裏面ともにスキャニングする。
装置でして、書類のデジタル化に興味のある方には注目の品です。

で、僕は前からスキャンスナップが欲しかったので買ったんですが、

ScanSnap-S1500
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B001QXCZ12

この手のドキュメントスキャナって、


●本や綴じノートのスキャニングには向かない


という大問題がありまして、綴じノートを使ってた僕は、いま流行のスキャプリ(スキャナー一体型プリンタ)を買って事務所の机の上に置いてスキャニングしてたんですね。(オートシートフィーダー[自動紙送り機]付き)

スキャプリは、いまや1万円くらいで売ってる機種もあるくらいなので(インクで稼ぐから本体は安くても良いのです。)実用性は高く、それはもう、大変満足しておったのですよ。
前は、FAXが仕事の道具として必須だったのですが、いまではそれが、完全にスキャプリに置き換えられておりまして、広告のレイアウトをまとめた手書きの下書き(業界用語で「サムネイル」と言います。)なんかもひょいひょいと送れる。なくてはならない道具になっておるんですね。

でも、いかんせん、いくらオートシートフィーダーがついていても、やっぱり読み取り速度は遅いし、本とか綴じノートは、どうしても1見開きごとにスキャンするしかなくて、いまいち利便性が高くないのです。

で、スキャプリを使っていて実感したのは、「印刷物とWORDなどのデジタル文書の一括管理」とか「印刷物の文字をテキスト読み取りしたい」とかの世間の一般的な印刷物読み取りニーズとは随分違う世界になってしまうんですが、


●手書き情報をスキャニングして読み込むと、かなり便利。


という事なんです。

上に書いた、「手書きの広告レイアウトの下書き」なんてものが代表例ですが、そういう手書きの情報って1次情報なので、誰かに伝える意味はけっこう大きくて、PDFにしておけば、メール添付で送信できるし、複写するのもラクだし、保存して読み直す場合にもいろいろ便利なわけです。意外に便利、なんですね。

で、どうも、この「手書き情報のデジタル化」の利便性が、かなり高いぞと分ってきたこともあって、実は綴じノートからバインダーノートである「ツイストリングノート」に乗り換えたという部分もあるんですね。

リフィル形式だと、それこそオートシートフィーダーでまとめて読み取れるから便利なんですよ。見開きで一枚ずつスキャニングする必要がないわけです。
で、一度デジタル化してしまえば、あとはいかようにでも編集自在なんですよね。
ノートとかメモというのは、基本的に「忘れないように、読み返すために取る」ものですから、もともと再読したいものなわけです。

で、通常、仕事の打合せのメモとかは、せいぜい1~2ヶ月くらい紙で残しておけばそれで充分なんですけど、長期にわたって書きためたり、自分の考えなどを繰り返し読み直して固めていくという作業をしたい内容などは、デジタル化してしまった方が得なんですね。ときおり読み直したいというような長期スパンのメモを再読するのに便利だなぁと思うのです。まぁ、このあたりは、個人的な欲求で、一般的ではないでしょうけど。


で、そういう手書き情報をデジタル化すると、

●物理的空間がいらない。(何冊もノートを持ち歩かなくて済む)
●紙の表・裏に書いた情報を気にせず閲覧できる。
●ページの組み替え・複写が簡単
●フォルダ等での管理がしやすい

というようなメリットが生まれてくるわけです。
こうすると、綴じノートだとバラバラになっていたり、バインダー形式でも表裏の関係で読みにくくなっていた手書き情報が、キチンとしたひとまとまりになりまして、紙特有の、「読みにくさ」「扱いにくさ」の解消にもつながるんですね。

こういうことを前提にした紙のノートで、
●マルマン:ニーモシネ
http://www.e-maruman.co.jp/products/notebook/mnysn/
なんてものも出てきてます。

このノートの場合はミシン目が入っていて、ピッと破ってシート単位で情報カードのように扱って、で、すぐにスキャニングしてしまう、という考え方であるようです。

まぁ、そういうやり方でも良いのかも知れないんですが、やっぱり「紙での閲覧」という部分がニーモシネだと弱いんですよね。ページを組み替えると、紙をちぎってシート状のまま持ち歩くとかになるし。シートにしちゃうと読まなくなるんだよなぁ。いやホント。大事なのは「再読」なんです。それをしないと、あまり意味がない。

ツイストリングノートだと、普段使いは、完全に普通のリングノートでして、何の問題もなく、リングノートとして使えばいいわけです。不要なノートは外してしまってもいいし、ページの組み替えもニーモシネと違ってページめくりできる形で気軽に行えます。

で、デジタル化した手書き情報も、PC上で再編集して整理して読みやすくした後に、手書き情報のまま(テキスト入力とかはしなくても良いのです。読みなおすだけだから。)、また紙にプリントして持ち歩いても良いと、僕は思ってるんです。

で、ここまで書いて、やっと「ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い」という話にたどりつくわけであります。
プリントしたデータを、またリングにまとめて読み返すのにも、リングノートは便利なわけです。読み直しに便利な道具なんですね。リングノートは。半分に折れるし。そこが良いところです。

メモする。
  ↓
たまったメモをデジタル編集する。
  ↓
リングノートにまとめて読み直す。

というサイクルができあがるわけで、こういう側面で、ツイストリングノート+ドキュメントスキャナの組み合わせが生きてくるというわけです。

ということで、実はスキャンスナップを数週間前に買ったんですよ、はい。
で、いま、いろいろとスキャンし始めたところなんですね。
そうすると、実はこれ、かなり便利で。
持ち歩き用のノートパソコンに、いままでのノートが全部画像データで入れられるし。
活用法はまたそのうち書きますが、いやー、これは良いなぁと思っておるところであります。
あ、iPhoneを持ってる人なら、iPhoneで資料管理とかも出来てしまうから、よりいっそう便利でしょうな。僕は持ってないけど。

この話は、また書きますが、ともあれ、ツイストリングノートだと、リフィル一枚ずつが気軽にドキュメントスキャナに読み込めるので、デジタル化するにも、かなり相性が良いのです。
そのくせ、普通のリングノートとして使えるし。かな~り便利でお気に入りなのであります。

まぁ、このあたり、書き出すとドンドン長くなるので、今日はここまで。
まぁそんなことで。
ではでは。


関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768

■ツイストリング・ノート、その後。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/

■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/

■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/

■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/

----------------
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/

■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/

■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)

http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/


高速道路の無料化が、あまり評価されてないので、なんでかな?とちょっと調べてみたら、いろいろわかったことがあります。

単純化して書くとこうなります。

●A点からB点の移動。

>>>いままで
高速:90分で移動
一般:120分で移動
時間差を金で買っていた。

>>>無料化後
高速:110分で移動
一般:110分で移動
時間もお金も均衡するところで止る。

ということだそうです。

で、これ、みんな「高速90分が110分になるんなら無意味!」と反対してるわけですな。

けど、僕は自転車乗りですからな。一般道が120分から110分に短くなるというところを高く評価しますけど。

台数で言うと、

>>>いままで
高速:1200台
一般:450台

だったのが、

>>>無料化後
高速:1300台
一般:350台

になるよ、というようなことだそうです。

ええやん!
一般道が空く!
素晴らしい!
自転車で走りやすい街になる!
最高!

やっぱりね、概ねの総論として、「自動車は自動車専用道を走る」のが本筋ですよ。だから無料化は正しいと思う。

一般道が空いたら、都市部での年寄りや子どもに優しい街になりますがな。その方がええと思うけどなぁ。

高速が混んでブーブー文句言う人は、車から降りなさいって。電車を使えばよろしい。
高速は概ね物流に使うべきです。

そんなもんね、道幅は一定なんやねんから、車が増えたら混むがな。当たり前。
みんな車に乗らないようにすればいいんです。
自転車に乗りなさい!

で、高速を無料化したら「そうか、私が車から降りるしか他に選択肢がなかったんか」とか、「あれ?自転車と公共交通だけで、相当に便利じゃん?」って気付くことの方が重要ですよ。

CO2削減25%なんやし、みんな車から降りましょう。一般道が空くんだし、自転車で走った方が快適だぞ。
田舎でもこれは同じだと思う。都市部だけの事じゃないと思う。
だいたい田舎でも通勤で車を使ってる人は15分とか20分くらいの道のりを自動車移動とか多いんですよね。車で30分以上のところから通うというのは少ない。

それは自転車で代用可能です。車で15分なら自転車で30分かかりません。それで体に良いのだから、どんどん自転車に乗り換えましょう。
車は「雨の日・買い物専用」にすればよろしい。充分置き換え可能です。
まぁ坂道がちょっと辛いけどねぇ。でも山越えしてまで通勤してるような人が果たしてどれだけいてるのか?って思う。
で、そういう人は無料の高速を使えば良いわけですよ。

自転車の使う空間は自動車の7分の1以下なんですよね。
上記の計算で100台分の車が一般道で減ったとしたら、700人以上の人間が自転車で移動できることになります。通勤での自家用車なんて、まぁたいてい1人しか乗ってないし。ムダの極みですよ。
車通勤なんていらん。
そういう事。

あとは公共交通網を充実させるべきやねんけどなぁ。
田舎のバスとか高すぎるよなぁ。
あれはどうしたらよいのか?よーわからんけど。
とにかく年寄りに車運転させるとかは危ないからよろしくない。
で、年寄りにも移動の自由を満喫させてやるには公共交通網の充実が大切なのですよ。
みんなが車に乗らずにバスや路面電車に乗るような施策をどんどん進めないといけないんですがねぇ。
どうやれば良いかは良く分からんです。

でも、とにかく、一般道が空くなら賛成。世間の58%がブータレてても、僕は賛成。
そういうことです。

タイトルはえらく牧歌的ですが。
実は内容は「スポーツについて」という話です。

いや、わたしね、正直、多分、スポーツ音痴なんだと思うのですよ。
なにがスポーツ音痴かというと、


●スポーツ自体が好きではない。


のですね。
どうにも好かん。

友人にテニスをやってる奴とかもいてて、スポーツファンというのがいてるのもわかるのですが、それでもやっぱり、スポーツというもの自体が、どうにも怪しげでおかしなものに思えて仕方ないんですよ。

まぁ確かにテニスにせよ、サッカーにせよ、野球にせよ、そういう点数を競う競技が、点数を取る、勝ち負けを競うというのが面白いというのは、まぁわかるんですけど、でも、たかが点数やん、それがどうした? という気にしかなれないわけです。

自分が成長したとか言うのなら、まぁ面白みもあるけど、なんか勝ち負けのためにやるって幼稚というか、子供っぽいというか、実はあんまり面白いと思わないんですよね。
なんで、点数にために体をヘトヘトになるまで動かしたりするんやろ? 頭おかしいんと違うか?って思ってしまう。

って言うか、はっきり言って、頭がおかしいんだろうというのが僕の結論なんですけども。(笑)

っていうのはですね、昔、山の中の段々畑を借りて、趣味で農作物を作っていた時期があったんですよ。けっこう広い面積を借りていたので、山の下から上まで上るだけで一、二分はかかるくらいの距離なんですね。
段々畑ですから、ちょっと鎌やスキ・クワとかの農具を取りに戻るだけでも、そこいらの駅の階段を何度も上り下りするような負荷がかかっていたわけです。

でね。
こういう体の動かし方っていうのは、体を動かしているという意識がまったくないわけです。
まず「目的」がありますから。

自分の目的があって、それを達成するために体を動かしているわけです。ここがスポーツとは違う。まったく違うポイントなんです。

やりたいことがあって、それをやっていたら、結果として体も動かしていた、ということですね。

体を動かす、というのは、本来そういうもののはずなわけですよ。

さっき「スポーツしてるというのは、頭がどこかおかしい。」と書いたのは、ここなんです。道具を取りに坂道を上るというような、目的が明確で、そのために体を動かしている作業は、通常「スポーツ」とは呼びませんからな。頭は目的のために使ってるわけです。

スポーツというのは、頭をスポーツのために使っている。
ここがおかしいわけです。

意識と行動のズレがあるというのが、本来かなりおかしいって思うわけですよ。

なので、その極端な例が「ボディビル」ということになるのかなぁって思うわけです。あれはもう、あくまで見せるための筋肉で、モノを持ち上げたり運んだりするための筋肉ではないですからなぁ。

いやまぁ、実際、現代社会というのは、徹底して体の動きを低減させるように仕組みができてしまってますから、「健康のためにスポーツをする」ということを、どこかで取り入れるしかないわけですね。これはもう、どうしてもしょうがない。

でも、本来「スポーツするために体を動かす」というのは人間本来のあり方として、どこかやっぱり「おかしい」と思っていることが、とても大事だよなぁと、僕は思っているのです。


●目的を持たない運動は、精神がおかしくなる。


というのが、僕の偽らざる気持ちなわけです。
スポーツ、スポーツと言うけれど、やっぱり僕は、スポーツと聞くと、まず「スポーツ障害」というのをイメージするんですよね。

荷物を運ぶために筋肉が太くなるのと、テニスでラケットを振って筋肉が太くなるのとでは、やっぱりそれは正常と異常の差が、必ずあると思ってるわけです。
だって、あんなラケットを振る作業なんて、そんなもの、日常生活に必要あるわけないじゃないですか。
で、しかも目的が「勝ち負け」なんだから、やっぱりどこかでちょっと無理したりとか、ついしがちになってしまうのが当然だと思うわけですよ。

だから、どんなスポーツをやっても、僕の場合は、農作業をやってた時の「合目的感」という気持ちよさを思い出して、いまいちスキッとした気分になれないんですね。

農作業をしている時の気持ちよさは、スポーツと違って、頭の論理構造が気持ち良いって事なんです。この気持ちよさはスポーツにはない。残念ながら存在しません。「スポーツ」では無理です。スポーツしかやってない人は、この心身一如の気持ちよさを知らないんだろうなぁ、不幸な話よなぁと思ってしまうんですね。


で、です。


そういうことを考え合わせると、現代社会で合目的的に、無理なく運動するとなると、「通勤における徒歩」というのが、非常に重要になるわけです。
歩く、というのは、目的がありますからね。
どこへ行くのかという、自分の頭の中の合目的感があって、その欲求に沿って動く。歩く。
だから精神構造として健康で、快適で、すっきりするんです。

なので、ずっと歩くことを大切にして、エレベーターより階段、エスカレーターを使わずに階段、時間があるなら一駅程度は電車に乗らずに徒歩。打合せがあれば、ちょっと早めに出て歩く。とかをやってたわけです。

これを、たとえばジョギングをするとかマラソンをするとかしたとたんに、「運動のための運動」ということになるわけですね。目的が空虚化する。運動が生活とか自然の行いとか普段のふるまいから離れてしまう。

それは、僕に言わせると、一直線に「キチガイ」への道だと思ってるんです。
いや、言い方は極端なんですけど、大きくはそういう事だと思う。
スポーツ障害だって、ようは「生活」とか「目的」から外れてしまった、暴走の結果です。

それはやっぱりおかしな事だよなぁって思うのですね。
雑草を刈り取らないと目的の作物が育たないし、そのためにしゃがんで鎌で草を刈る。この行為をスポーツにしようと思えばできるんでしょうけど、そんな事しておもろいか?っちゅう話なんですよ。

なので、どうにもスポーツというもの自体が好きになれなくて、なかなか何かをやる気にはなれなかったんですが、やっと「合目的」でありながら「運動」にもなるもの、が見つかったのが自転車だったわけです。

自転車は通勤に使いますし、行きたい場所への移動に使います。
つねに、まず自分の「目的」という精神の健康があった上に、「手段としての運動」があるわけですね。

だから良いのです。

無理がない。

心に無理がないのです。
ストレスがない。

フリー。

気持ちがいい。

最高。

そういう事です。


去年の夏とか、歩くだけでは、ちょっと運動量が足りないかなぁと思って、一時期プールに通ってた時期もあったんですがね。
あの、わざわざプールに行くという行為がすでにもう病気な気がして、私には無理でしたなぁ。アホくさくて、とてもやないけど続ける気になれない。
さてどうしたものか?と思ってたところに、スポーツ自転車、というか、世界標準のちゃんとした自転車の豊かな世界を知った、ということなわけです。

テニスも野球も、筋トレも、ジョギングもマラソンもボディビルも、サッカーも、まぁたいていのスポーツが、まともな精神の人間がやるものではないと、ここで断じてしまうのです。

え? 言い過ぎやって?
いやー、そうは思わないのですよ。農作業の「まともさ」を知ってると。いや、ほんとに。
点数とか数値のために体を動かすってのは、やっぱり異常ですわ。
本当にスポーツが好きな人は、でも実は、その「異常さ」はわかってるんですよね。
プロのアスリートの場合は、いかに効果的に点数を得るか?のために緻密な訓練を組み立てているのだから(しかも、かなり個別に特殊なプログラムを。)その「合目的性」は正しく理解してますし、ゆっくり休むことをも含めて、とても効率的にトレーニングをしているわけです。

問題は、わかってない一般の素人なわけです。
聞きかじりの思いつき、気分と雰囲気でスポーツしている一般人。
これがおかしいんだと思う。
そこに「合目的」というのはないんですよね。
数字だけをおいかけていたり、カッコや雰囲気だけを求めていたり、すっきりしない。

まぁ、現代においては、どうしたって運動不足になってしまうわけだから、どこかでそういう「異常な行為」というのをやらざるを得ないのはしょうがないんですけど、やっぱりそこは、そういう運動が「異常なのだ」という意識は持ってないとアカンよなぁって思うんですね。

で、付け加えて言うと、スポーツをするというのは、本来異常な行為なんだから、やっぱりまともな「コーチ」を付けてやるべきだって事なんですね。

これはウクレレを習いに行ってよく分かりましたけど、やっぱり学校の先生はプロです。ひとりひとりの目的と実力と楽しさのバランスをよ~く勘案して、最適の課題を出してくださる。

ちょっとしんどいかな?と思える課題でも「あなたの現状の実力なら大丈夫」とかなり難しい課題を出すかと思えば、「え?こんな簡単なことを何度もさせるの?」という事を嫌というほど何度もさせたりします。
でも、それが実に良いバランスなわけですね。

自分で仕事とは関係ない「運動」を自分で設定してしまうと、基準値がなくて、どこまでも暴走する危険とつねに隣り合わせなのが、実は「スポーツ」というもので、そこを客観視して暴走を防ぎ、効率的に「目的」に導いてくれるのがトレーナーだなぁと思うのです。

前に、少しだけ

●仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980867

という本を紹介しましたけど、この本ではそういう、筋トレに関する「個人トレーナー」の必要性を説いていて、そういう意味で「とても良い本だなぁ」と思ったんですね。
いま、自転車だと下半身だけしか運動できないので、筋トレも始めようかなぁとも思ってるんですが、やるとしたら、やっぱり個人トレーナーをつけてやらないといけないなぁって思っております。

で、現代社会においては、スポーツってものは「やらざるを得ないもの」になってきてるんだから、精神異常にならないためにも、やっぱり個人トレーナーに付いて積み重ねるというのが一番いいだろうなぁって考えてるんですね。
それは別に超有名な俳優が肉体改造をするような特殊なトレーニングではなくて、それこそ「どういう目的で運動されたいのですか?」というコンサルテーションから始まって、具体的な身体能力や心肺能力の測定まで含めて、適切で、やっていて楽しいメニューを紹介してもらう、というような事ですね。

(このあたりのメニューの豊富さ、組み立てこそがトレーナーの腕でしょうね。ウクレレを習いにいってても、いまの先生は、メンバーの実力を見てアレンジ譜を書いてくださるのですが、それが実に適切なわけです。そういう事がとても大事だと思う。)

こういう具合にノウハウを確かに持ったトレーナー、コーチがいてるなら、スポーツもやっても良いと思うのですよ。つねに「合目的」から外れることがないし、おもしろくもないメニューとか、あるいは自分にとって効果の少ないメニューを無駄に行うとか、そのメニューを考えるために無駄に時間を使うとかがない。すごく大事なポイントだろうと思うのです。

で、また自転車の話に戻るのですが、実は自転車には、このトレーナーのいてない状態での暴走とか、「異常」っていうのが少ないわけです。

だってもともと、「移動の道具である」という、合目的性があるからですね。
自分の行為が、「浮く」「空回りする」って事が少ない。

それはそれは、ものすごく少ない。

ここがすごく良いのです。

自転車は、そこの部分で脳みそがおかしなモードにならないのが良いよなぁってつくづく思うのです。いつも「自分の自然な望み(移動の必要性)」と寄り添った行為として運動がある。

そこがいいよなぁ。
ほんとうに。

考える頭が、まともに動いている。
考える頭が、「スポーツのためのスポーツ」に侵されていない。
どの瞬間でも、いつも「どこに行こうか?」という自分への根源的で自然な問いかけと一緒に連れ立って動ける。

その自然さと気持ちよさこそが自転車の本当の素晴らしさなんですね。

それが実は自転車の、一番の魅力なんだと思うのです。

まぁ、ちょっとお洒落に言うなら「頭のために良いスポーツ」とでも言いますかね。

いやほんと。自転車。よろしおまっせ。

アクセス解析を見てみると、意外にも「民主圧勝の理由」で検索してる人がちらほらいてるんですね。

前に書いた

●民主党圧勝の理由。「自民がひどかったから民主が勝った」というのは、大嘘だなぁ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908311845476563/

が、けっこう検索でひっかかってるらしいんです。グーグルで「民主圧勝の理由」での検索で1ページ目に入ってるみたいで。

で、へぇ~と思いまして、同じ「民主圧勝の理由」で書かれている記事を読んでみると、想像してたより、他の記事の内容が浅い。あら、そうなの?という感じ。

圧勝、圧勝と言うけど、もともと「選挙区で1位の人間しか当選しない」という小選挙区制は、極端に言えば1万票と1万1票の1票差でも多い方だけが勝ってしまう選挙制度で、前回の郵政選挙の時だって「得票数で見れば僅差」と言われてたわけです。

郵政選挙って奴は郵政のものすごい金額の貯金が民営化されて、世界金融筋が運用できるようになるかも知れないって事で、かなりの金が動いた選挙だったわけですね。テレビなんか番組自体が「郵政イエスかノーか」ばっかりやってたし。巨大広告代理店がCM合戦をやって、考えのない人間を洗脳することで時局を動かそうとした選挙だった。

でも、そうやってマスコミを動かして動く投票行動というのは、実はわずかなわけです。
郵政選挙の時だって得票数では僅差だったわけで。

なので、今回の選挙だとて、もしかしたら、郵政選挙の時とおなじく「僅差で大勝」とかになってしまうかもなぁと僕は思ってたんですね。

で、あの副島隆彦さんですら「勝ちすぎは良くない」と言っておられるし、世間の風評では「民主勝ちすぎ」が定番の言い方になってるんですが、僕はそうは思ってないんですね。
これは大きなパラダイムシフトであるわけなのだし、大事なのは選挙後の実際の運営なのだから、僅差で大勝というのではなく、「国民の熱い支持があっての政権交代」という実質がなければ意味がないと思ってたわけです。そうでないと、すぐまた官僚にあやつられて、民主党が第二の自民党化するだけですから。(すでにチラホラと自民党化の傾向も見えます。)

やはり政権というものは、国民からの信任が厚いかどうかというのは、すごく重要だと思うわけですよ。選挙もせず、「禅定」で譲り受けた安倍くんなんか、ブッシュとの会談がなかなか実現しなかったし。
ところが、鳩山さんはオバマから電話がかかってきたりして、首相に選ばれて10日で会談。
扱いが違うわけですよ。それはやっぱり。

ひとえに「国民からの信任を得ているかどうか」が問われるわけです。

あのクリントンの嫁はん国務長官をごらんなさいな。民主党政権になる前には、日本に来て「自衛隊の給油活動を継続してね。」と小沢さんに申し入れて、小沢さんに蹴られて、で、西松建設みたいな事が起きたりしたわけです。それがいまでは「給油活動でなくてもいい」とか発言してる。えらい違いや。

外から見てた方がわかりやすいわけですよ。「日本を動かしてるのは官僚だ。官僚を手なづければ、この国は動かしやすい。」と、むこうの政治家はわかってるわけです。
実際、コロコロ変わる政治家と太いパイプを作るより、日本の場合はずっと変わらず政策作成をしている官僚を支配したほうが思い通りに動かしやすいわけですからな。
だから「拒否できない日本」の関岡さんがあばいたように「年次改革要望書」というような文書による日本改造計画がそのまままかり通っていたわけです。

でも、日本国民が一丸となって「ノー」と言ったら、これはもう「年次改革要望書があるから、それに沿って政策つくるのが筋でしょ」というような官僚操り策は通用せんわけですな。
だって日本は日本国民のものなんだから。肝心の国民が「イヤ!」と言ったら、それはどうしようもない。

田中宇さんなんかは、「それはアメリカが多極化を目指しているからだ、アメリカの方向が変わったんだ」とか言う話になるわけですけど、そういう難しい話かなぁ? それより何より国民全体の大きなうねりとかがあったら、よその国の人間にはどうしようもないというそういうこと何じゃないの?って僕は思う。

で、世間を見渡しても、いまだに民主圧勝の理由は、きまぐれな国民がフラフラしていた結果だ、みたいな論調が見えたりするんですけど、それは違うよなぁってつくづく思うわけです。

前回の郵政選挙だって、得票数では僅差で、まさにフラフラしていた層をとりこんだ事で「大勝」になったわけです。

しかし、今回はテレビで「政権交代がやってくる!」とかを大々的にキャンペーンしていたかというと、全然そんな事はないわけですね。やってたのは、警察のリーク情報を垂れ流しにしてただけの「のりピー事件の顛末」ばっかりだったわけです。
これは、日本の権力構造が変わってしまって官僚が「悪者扱い」される事を嫌がった警察が「警察は正義」という印象を国民に持ってもらうために、えんえん、えんえん、選挙期間中ずっと、しつこいくらいに、マスコミにリークし続けた、官僚の側の一大キャンペーンだったわけですよ。

で、この結果どうなったかというと、実は、かなりの「フラフラした層」が、自民にころんでしまったんだと、僕は見てます。
というのは、選挙前は各メディアが議席予想で「民主最大320議席、自民は100を割る危険性」と言ってたのに、実際は308:119だったわけです。
これ、かなり自民党が勝ってるよ。
いやほんとに。

この予想に関しては、かなりの新聞社が外してしまってるんです。新聞社は「外れました」などとは言いませんから、注目されず、「民主大勝!」で済ませてますけどね。

ともあれ、そういう事だから、「フラフラした層」が民主に流れたというような話は、あんまり説得力がないよなぁって思うわけです。

実際、今回自民党総裁選に出馬して、谷垣さんに破れた河野太郎さんなんかは、「今回自民党は勝ちすぎました」と言ってたらしいんですね。「は?」って思うじゃないですか。こんなにボロ負けで。

でも、そうじゃないんですよ。古手の議員が残っちゃったわけです。森元総理もそうだし、まぁ他いろいろ。もうね、古い政治家はいらんと。そういう事が言いたかったらしい。負けるなら、どっか~んと負けて、完全に世代交代が完了した方が、巻き返しもしやすいって話な訳です。

比例代表と小選挙区の二つの仕組みで選挙は行われますけど、政治家の間では、比例で勝ったところで、大きな顔はできないわけです。小選挙区で勝たないとダメ。
今回、河野太郎なんて誰も知らなかったのに、総裁候補で出てきて(出てきただけでも大したものなんですよ。推薦人20人集めたって事だから。)それで144票もなんで取ったかというと、この人は小選挙区で勝ったからです。

石破さんも自民党の中で発言力が大きくなってますが、この人も小選挙区で勝ったからです。
総裁が谷垣さんになりましたけど、この人も小選挙区で勝ったからです。くしくも、あの比例代表でやっとこひっかかってギリギリ議員として残れた小池百合子が「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」と言ったらしいですが、その通りなんですね。
ようは、国民の信任を得たかどうかなんです。

で。

その「信任」は、どうやって得たか?
それは河野太郎を見ればわかりやすい。
この人は駅立ちをやった。
毎日やった。
朝は「いってらっしゃい。河野太郎です。」、夕方は「おかえりなさい。河野太郎です。」
これをえんえんやり続けた。
ようはどぶ板選挙を徹底的にやったわけです。

今回自民党で生き残ってるのは、そういう、どぶ板選挙を本気でやった人だけなんです。
ようは国民の側を向いた人だけ。
ここがものすごく大事です。

郵政選挙みたいに大きなお金が絡んでるときは、マスコミを使ったマスメディア選挙で「風評で政権が動く」みたいな事もあるでしょうけど、今回のように、そういう巨額資金の取り合い合戦もみえていないと、それはもう、ひたすら「どぶ板選挙」しかないわけです。

で、前の「民主圧勝の理由。『自民がひどかったから民主が勝った』というのは、大嘘だなぁ。」でも書いたように、今回民主党が勝った理由も、河野太郎とまったく一緒なんですよ。
ひたすら「どぶ板」です。

選挙後、いろいろ雑誌やブログを読んでみたけど、やっぱり民主党議員のどぶ板が半端ではなかった。

前に書いた記事のコメントに付け加えた情報の再録になりますが、例の中田安彦さんのブログでは、「小沢は新人の候補に駅立ちを一日数十回、戸別訪問三万件をするように言っていたという。」という話が載ってました。

また、アエラによれば、愛媛の永江孝子の場合、

(引用開始)-----------------
昨秋以降、街頭演説が1300回。約30ある中学校区での集会は2巡した。
(引用終了)-----------------

という事らしい。

半端じゃないんですよ。回数が。
これを、僕はもう、8/30日の選挙の開票報道を見てた時に直観的に気付いてたわけです。
だって、民主党の議員の多くが「小泉チルドレン」とは違う、堂々たる政治家という受け答えの人が多かったからなんです。

当選してすぐの時は、コメンテーターから、ちょっと意地悪な質問とかも出ますけど、そういう質問へのあしらいの仕方が慣れてる議員とかがけっこう多かったんですね。
それはやっぱり、この「どぶ板」を山盛りやって、現場で国民からのヤジやら怒号やら痛烈なる批判やらを、えんえん浴びながらも、どぶ板をやり続けてきたからだろうと。そういう事なわけです。
前の記事にも書いたけど、ひたすら角栄さんのやり方そのままなんですよ。まさに田中角栄直系の弟子小沢一郎の指示があったからこそなわけです。

これも前の記事の繰り返しになりますが、
「民主党は、国民と顔を合わせ、その回数を重ねることで、マーケティングリサーチと、新人育成とを同時に行ったのだ。だから大勝したのだ。」
って事です。

民主党の議員の言葉の裏には、
●駅立ち一日数十回
●戸別訪問 三万件
●街頭演説1300回
●中学校区での集会30×2=60回
というような膨大な数の国民との接触回数がある。
これこそが民主大勝の、一番大きな理由で、他の理由はかなり小さいんです。

そうでなきゃ、もっと他の党に票が流れてるはずなわけです。
国民の不満を「聞く」人間がいて、そこに票が流れた、ということです。
なにより、それが一番大きな理由でしょう。

で、小選挙区制というのは、郵政選挙の時のように、そして今回のように、優勢な側が大勝することが簡単に起きる選挙制度なわけです。
それを日本人は正しく体験してしまったわけです。郵政と民主大勝と。2回の両極を見た。
一回はマスコミ主導で、二回目はどぶ板主導。
どちらにせよ、がんばった側が大勝する。
そして政権交代は可能な仕組みである。

それを学んだ。

ということは、次が民主党になるとは限らないって事です。
また自民党が大勝する可能性だっていくらでもある。
民主党が政権運営を失敗したら、「自民党にやらせろ」ってなる。
それは、国民の側が本気でそう思ったら、そうなるって事です。(思わせたら、かな?)
それを国民の側が学んだって事が、今回の選挙では一番大きかったのではないか?という気がします。

まぁ本当の事を言うと、小沢さんが農協に頼らずに農家に個別補償しますよと言ったり、子ども手当だしますよと言ったりした「国民へのバラマキ政策」が、すごく支持されたというのは大きいんですけどね。直接バラマキが組織票を崩したっていうのはある。
あと、あんまり公明党が自民党と長く付き合って、宗教政党が本来受け持つべきだった「平和の党」としての役割が果たせず、他の宗教団体が不満に感じだしたっていうのもけっこう大きいわけですが。立正校正会が自民党応援に回らなかったとか、そういうのが大きいって言うのもある。
あと稲森さんも民主応援だったし。稲森さんの下には中小企業がごちゃまんと付いてますからねぇ。もの凄い数やから。
それと、大阪の橋本府知事が民主支持を表明したのも、少なくとも大阪では大きかったんじゃないかなぁ。

そういうキーパーソンが、心情的に民主に傾いたというのはかなり大きかったでしょう。
日本は本当に「組織票」の世界ですから。実は「フラフラした層」の動きは、それほど大きくはないわけです。そういうキーパーソンを小沢さんがからめ手で直接落としていったというのも理由としては大きいでしょう。

しかし、それでもやっぱり、一番大きい理由は、「どぶ板」ですわ。
それが今回の選挙では、一番大きかった。

なんか、副島隆彦さんの学問道場の有料会員向けのページに書かれてたんですが、昔は小沢さんは、議員に金をばらまいて選挙運動をしてたんだそうですよ。その資金調達こそが、彼の「剛腕」の源泉だったらしいんですね。

でも、ある時から、そういう金を配るというのをやめて、議員には「地盤を配る」に変更したんだそうです。「この地域はお前にやる。自分で刈り取れ。」という事らしいですね。

で、よくよく考えてみたら、金をいくらもらったところで票にならなかったらうれしくもなんともないわけですよ。金をもらうより票が欲しい。それが政治家でしょう。それが本質なんだから。「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」という小池百合子のセリフこそが真実なわけです。

金より票だ。

時代が変わるとか、世の中が動くとか言う時は、やっぱり「金より票」なわけですよ。
金を取りに行くのではなく票を取りに行く。
そういう姿勢を持つか持たないかこそが運命を分けたって事じゃないですかね。
まさに本質回帰でしょう。

で、小沢さんは地盤だけ渡して「票は自分で刈り取れ。駅立ち一日数十回。戸別訪問3万軒。それをやれ。」と言ったわけです。つまりは票を取る取り方だけ教えた。(+国民へのバラマキ戦略なんだけど。)

こういう部分をマスコミはあんまり言わない感じがすごくある。新聞にせよ、テレビにせよ、「小沢チルドレン・小沢ガールズで、小沢の力が増す」という話ばっかり。
いやー、それも違うでしょって思うんですよね。
地元回りをしたのは小沢さんじゃなくて、各議員なわけですよ。票を握ったのは、各議員なんですよ。で、票さえ取ったら、議員は強いんですよ。「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」という小池百合子のセリフがすべて。

だから、今後大変なのは、小沢チルドレンvs小沢一郎なんですよ。国民の信任を得た議員なんて、古手議員の言う事なんて、そうそう聞かないですよ。河野太郎を見よ、ってことです。票さえ手に入れたら、こっちのもんだって事で。もちろん小泉さんみたいに党内で刺客を立てるとか、そういう「党の動き」ってことでは小沢さんが剛腕をふるうでしょうけど、もうすでに衆議院戦をかいくぐってきた個別の議員や小沢ガールズは、国民を背負ってるって思ってるからねぇ。いくら小沢さんでも筋が通ってなかったりしたら反感を持つはずだし、たぶん、「国民の信任」を背景に党の支配層=小沢さんを批判することになるはずです。
(なんでこういう、当たり前のダイナミクスを、いまのマスコミは読めないのか?本当にマスコミの質が下がってると情けなく思いますな。見た目の女子アナばっかりちやほやするからアカンのやと思う。)

やっぱりだから、「どぶ板」で国民の顔をとにかく見る。それが本質回帰で一番重要な事だし、今回の選挙での民主党大勝の一番の理由でもあるって事です。

いまは、その本質回帰を、本当に自民党にやってもらいたい。
正しい批判勢力が育たないと、それこそ民主党が、また官僚にあやつられるような事になっておしまいなんだし。

がんばれ自民党って思う。谷垣さんは自転車乗りやし。(関係ないか。)
いやほんま自民党の再生がいまの日本の命運を握ってるんやけど。
はたしてどうなりますことか。

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