ウクレレのおまつり2009&自転車散歩。
2009年10月5日たまにはここでも個人的な話を書かねばと、ふと思いまして。
この土日が、例年のごとく参加している、近畿圏のウクレレ教室合同の発表会イベントでありました。
毎年参加者が増えてきて、今年はなんと400人を越す大所帯になってしまいました。
会場が小さいので、100人ずつの4回分割での催しでありまして、我々は第二部、土曜日の夕方から開演の部への参加。
とは言うものの、ここまで規模が大きくなってくると、もう、もともと全部を見ることは難しいので、参加意欲がかなり落ちておるのであります。ということで、最初から自分たちの発表が終わったら、さっさと抜けてみんなで打ち上げ(と称する飲み会)にしようという話が早々に決まっておりました。
まぁ、1部~4部まで、各部ごとのしめくくりに講師演奏というのがありまして、ここがなかなかに見所聞き所なので、それが見れないのは残念だなぁと思ってたのですが、それは早めに出かけたので1部の分を見ることができたし、問題なし。演奏終了と同時にふけるぞ!といきおいこんでおったのです。
が、しかし、問題がひとつだけ発生。
いちおうライブハウスでの開催なので、参加費は1ドリンクがついての値段ということになっておりました。でも、この1ドリンクをいつ飲むのか?というのが問題になってしまったのでした。いつもは自分たちの演奏が終わった後で、他の人の演奏を聴きながら飲んで楽しむというノリだったのですが、それができない。しかし、出場前に飲むとなると、酔っぱらって演奏するってなことになってしまう。
うーむ。と考えましたが「まぁええやん」と先飲み決定。みんなで酔っぱらって演奏ってなことになってしまったのでありました。
でもまぁ、今年は演奏の完成度は高く、(なんせ半年も前から、えんえん授業で同じ曲を丁寧に丁寧に練習し続けてきた曲なので。)演奏としては問題なし。満足感を持って演奏したのでありました。
その後は中華街へと繰りだして食事兼飲み会。えんえんと飲んで飲み過ぎの世界でありましたが。
いや、なかなか楽しかったのであります。
------------------
で、日曜日は自転車散歩に出かけたのでありまして。
ここしばらく雨続きだったので快晴の日曜日は、実に貴重だったのですよ。もう、雲一つない快晴で、自転車で走るには最適の日でした。
まぁ、気持ちよいなんてものではないですね。
こういう日に自転車で走ると、どこへ行って走っていても、風や光が心地よいのです。
とにかく大阪市内の緑のあるところ、川沿いの自転車道などを延々と走った一日だったのですが、こうして走ってみると、意外にも知らない道や場所がたくさんあるんですねぇ。
毛馬の水門なんて、名前は知ってたけど、横を通るのははじめてでした。
で、意外に川沿いはサイクリングロードがそれなりに整備されていて、日曜日の少し長めに自転車で走る、というのには最適かも知れないですね。
やっぱり電車で走っているだけでは、なかなか行かないところもあるし、通勤で移動するだけだと、どうしても同じコースになりがちだから、時折はこういう事もした方がいいなぁ。
でもまぁ、実際にサイクリングコースを走ってみると、本当に自転車は、こういう川沿いのような、通常の「道路」から追い出されたところしか走らせてもらえないのだという事を、よりいっそう強く感じて、いまの道路行政のいびつさを、体感せざるを得ないというのが、これまたマイナス面ではあるのですが。
サイクリングコースの整備をする金があったら、街なかに自転車の公共駐輪場をたくさん作って欲しいもんだよなぁとしみじみと思います。
数日前に大阪市では道頓堀の路上駐輪している自転車を、一斉に撤去したんですが、あれは本当に愚策でありまして、バカとしか言いようがないんですよねぇ。
そんなことをせずにキチンとチェーンロックで自転車を固定できるような駐輪ポストを、公共の設備として設置すればいいんです。そうすれば撤去の人員の給料より安い値段で、この手の問題は解決するんです。
ま、この話は別アーティクルにした方が良いのでそのうち書くとして、日本の道路行政のアホくささは感じながらも、気候は大変気持ちよく、それなりに楽しく走れた一日でありました。
はい。
この土日が、例年のごとく参加している、近畿圏のウクレレ教室合同の発表会イベントでありました。
毎年参加者が増えてきて、今年はなんと400人を越す大所帯になってしまいました。
会場が小さいので、100人ずつの4回分割での催しでありまして、我々は第二部、土曜日の夕方から開演の部への参加。
とは言うものの、ここまで規模が大きくなってくると、もう、もともと全部を見ることは難しいので、参加意欲がかなり落ちておるのであります。ということで、最初から自分たちの発表が終わったら、さっさと抜けてみんなで打ち上げ(と称する飲み会)にしようという話が早々に決まっておりました。
まぁ、1部~4部まで、各部ごとのしめくくりに講師演奏というのがありまして、ここがなかなかに見所聞き所なので、それが見れないのは残念だなぁと思ってたのですが、それは早めに出かけたので1部の分を見ることができたし、問題なし。演奏終了と同時にふけるぞ!といきおいこんでおったのです。
が、しかし、問題がひとつだけ発生。
いちおうライブハウスでの開催なので、参加費は1ドリンクがついての値段ということになっておりました。でも、この1ドリンクをいつ飲むのか?というのが問題になってしまったのでした。いつもは自分たちの演奏が終わった後で、他の人の演奏を聴きながら飲んで楽しむというノリだったのですが、それができない。しかし、出場前に飲むとなると、酔っぱらって演奏するってなことになってしまう。
うーむ。と考えましたが「まぁええやん」と先飲み決定。みんなで酔っぱらって演奏ってなことになってしまったのでありました。
でもまぁ、今年は演奏の完成度は高く、(なんせ半年も前から、えんえん授業で同じ曲を丁寧に丁寧に練習し続けてきた曲なので。)演奏としては問題なし。満足感を持って演奏したのでありました。
その後は中華街へと繰りだして食事兼飲み会。えんえんと飲んで飲み過ぎの世界でありましたが。
いや、なかなか楽しかったのであります。
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で、日曜日は自転車散歩に出かけたのでありまして。
ここしばらく雨続きだったので快晴の日曜日は、実に貴重だったのですよ。もう、雲一つない快晴で、自転車で走るには最適の日でした。
まぁ、気持ちよいなんてものではないですね。
こういう日に自転車で走ると、どこへ行って走っていても、風や光が心地よいのです。
とにかく大阪市内の緑のあるところ、川沿いの自転車道などを延々と走った一日だったのですが、こうして走ってみると、意外にも知らない道や場所がたくさんあるんですねぇ。
毛馬の水門なんて、名前は知ってたけど、横を通るのははじめてでした。
で、意外に川沿いはサイクリングロードがそれなりに整備されていて、日曜日の少し長めに自転車で走る、というのには最適かも知れないですね。
やっぱり電車で走っているだけでは、なかなか行かないところもあるし、通勤で移動するだけだと、どうしても同じコースになりがちだから、時折はこういう事もした方がいいなぁ。
でもまぁ、実際にサイクリングコースを走ってみると、本当に自転車は、こういう川沿いのような、通常の「道路」から追い出されたところしか走らせてもらえないのだという事を、よりいっそう強く感じて、いまの道路行政のいびつさを、体感せざるを得ないというのが、これまたマイナス面ではあるのですが。
サイクリングコースの整備をする金があったら、街なかに自転車の公共駐輪場をたくさん作って欲しいもんだよなぁとしみじみと思います。
数日前に大阪市では道頓堀の路上駐輪している自転車を、一斉に撤去したんですが、あれは本当に愚策でありまして、バカとしか言いようがないんですよねぇ。
そんなことをせずにキチンとチェーンロックで自転車を固定できるような駐輪ポストを、公共の設備として設置すればいいんです。そうすれば撤去の人員の給料より安い値段で、この手の問題は解決するんです。
ま、この話は別アーティクルにした方が良いのでそのうち書くとして、日本の道路行政のアホくささは感じながらも、気候は大変気持ちよく、それなりに楽しく走れた一日でありました。
はい。
トヨタは自転車を作るべきだ。2。
2009年10月8日 自転車 コメント (2)
まえに、
●トヨタは自転車をつくるべきだ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200901130817068576/
という書き込みをしましたが、先日、
自転車会議
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/456977217X
という本を読みまして、よりいっそう、「トヨタは自転車を作るべきだ」と思いましたねぇ。
いや、この本に「トヨタよ自転車を作れ」とは全然書いてないんですけどね。
この本は、自転車好きの有名人の歓談というかワイワイガヤガヤしゃべってる内容で、内容としては薄いんですけど、新しい情報とか、いろんな角度からの切り口とかがあって、そういう意味ではとても面白い本でした。夕方に買ってその日の内に読んでしまった。2時間くらいで充分読めてしまう内容。
ただ、登場人物が、自転車界のご意見番、疋田智さんは当然にしても、いまや時代の寵児となった勝間和代さん、元レーサーの片山右京さん、日本人初のツールドフランス出場者今中大介さん、自民党総裁になられた谷垣禎一さんと、そうそうたるメンバーなのですね。そこがすごい。
で、この人たちは全員、自転車フリークなわけです。なので、話してる内容自体がすごい。
だから読んでると、いろいろぶっ飛んだ事が書いてあるんですよね。たとえば、
●イタリアの高速道路(スーパーストラーダ:準高速という感じのものらしい)では、自転車が走れる。
●ノルウェーでも高速を自転車が通行可能
●オランダには、どんな小さな道にも自転車用レーンが設置されている
●オランダでは自転車専用道路の長さが日本の100倍である
●当然、自転車専用レーンに駐車する車はいない
●デンマーク・フィンランドには自転車専用の早めに切り替わる信号がある
とまぁ、ほへぇ~と目を丸くするしかない話が満載です。海外の自転車事情は本当にうらやましいなぁ~と心底思いますな。
で、これが道路行政の進むべき方向だよなぁって思うわけです。まぁ基本はヨーロッパの話なんですけどね。自転車はやっぱりヨーロッパです。文化の厚みが違うわ。乗り物として、社会的に正しく評価されてるよなぁって思うわけです。
まず、ヨーロッパと日本にこれだけの差があるという事を念頭においていただいて…。
(あ、そうか、自転車がいかに「クルマの代替になりえるすぐれた交通機関であるのか」ということを、ここのページを読んでる人は知らないのですよね。ああ、そうだった。
えー世界標準のスポーツ自転車に乗れば、時速25km~35kmくらいは出せますので、大阪や東京では、地下鉄などの公共交通機関を使うより早くに出発点から到着点まで移動できます。何より早いです。最強です。一方通行は関係ないし、駐車の手間なども不要ですから市内・都内移動なら、自動車なんかほぼナンセンスなのです。雨の日以外は。人間1人が移動するだけなら、まず自転車が最強。荷物を運ぶ、複数人で移動する、などの用事がないかぎり、クルマにアドバンテージは全くありません。)
たとえば、フランスなんかでは、バスと自転車が共有する「バス・自転車専用レーン」というのがあって、このレーンには自動車は入れず、バスも速度が30km/h台で動いてるのだそうです。
都市交通においては信号が絶対に必要になりますから、40km/hを越すスピードというのは、実用上意味がないんですよ。テンポ30、ようするに30km/h台での移動で充分足りるんですね。で、専用レーンでバスが渋滞にまきこまれなくなると、時刻表どおりに発着ができて市民の足として有用になるということです。自転車も同様のスピードで安全に走れれば、かなりの数の市民がストレスなく快適に都市を移動できるということになります。
こういう事を見聞きすると、やっぱり、もっと自転車を優遇した社会にすべきだと本当に思うんですよね。クルマを否定することはしないけども、なんでもかんでもクルマを使うというのではなくて、「ひとりで移動するだけだし自転車やバスで行けばいいや」という選択肢を、きちんと作っておかないとダメだって事です。
で、自転車・バスが実用に足る、市民の足になれば、クルマにとってもかなり大きなメリットが出てくるんです。
というのは、クルマから、バス・自転車に乗り換えると、それだけで道路に空き空間が生まれるからなんですよ。
つまり、道が空いて、クルマが走りやすくなるってことです。
当然でしょ?これ。
どうしてここに、みんなが気がつかないのか。
みんなが必要以上にクルマばっかり使うから、クルマが混雑を引き起こして、不便な社会になってしまってるわけです。
だから都市交通というのは、
●クルマに不便で、自転車やバスに便利な仕組み。
にした方が圧倒的にみんなが快適だってことなんですよ。クルマに乗っている人にも快適なんです。
バスに乗ってる人が全員クルマで移動したら、車間距離まで含めて、そら、ものすご~~い面積が必要になって、道路が大混雑になってしまうに決まってます。当たり前の話です。
だから、バスや自転車はクルマの敵ではなく、非常に大切なクルマの仲間なのだと再認識していただきたいですな。(というか、もともと自転車は軽車両と言って本質的に「クルマ」なんですけども。)
クルマでも、二人以上乗ってるとか、荷物を運んでるというのなら、腹も立たないですけど、ボーっとした人間がひとりでクルマに乗ってるだけというようなのを見ると「お前、何を道路の無駄遣いしとんねん!クルマから降りろ!迷惑や!」と言いたくなってしまうんですよ。
道路は移動したいと思っている人間、みんなのものであって、「クルマのもの」ではないんですよね。
で、こういう事を、すごく、普通の人に知って欲しいよなぁと思ってるわけですけど、この本の中でこれまた面白い事が書いてあって、
●トヨタはそういう人の移動の効率について深い見識がある。
という事を片山右京さんは言うわけですよ。なんちゅうても、元レーサーですからね。ちょっと引用しましょう。
(引用開始)------------------
片山 (略)トヨタなんていうのは、そういうところにものすごい理解が深い。たとえば、奥さんが駅に旦那さんを「ヴィッツ」というちっちゃなクルマで送りますよね。あれは、人間1人を運ぶために1.3トンぐらいのものを動かすということで、エネルギー効率的には非常に矛盾している、ということを言っていますからね。
(引用終了)------------------
という事なんだそうです。
で、実は疋田智さんという方は、テレビ局で番組制作をするのが本業の方なんですけど、実は「自転車に乗ろう!」というような番組を局に提案しても、スポンサーが付かないんだそうです。
そりゃそうですね。日本で自転車に関係している会社といえば、本当に小さな会社ばかりですし、大手でもブリジストンとかタイヤが本業だったりパナソニックみたいに一部門が自転車を作ってるところばっかりで、世界的な自転車関連企業のシマノが存在してるにはしてますが、あくまで部品メーカーなので、一般に広告を打つ必然性がないわけです。だから、そういう番組が成立しなくなっちゃってるんですね。
しかも、疋田さんが言うには、テレビ番組側の、よけいな気の回し方みたいな話があるということなんです。たとえば勝間和代さんが、番組中で「こういうシーンではクルマはやめて自転車に乗ればいいじゃないですか。」とリハーサルで発言したら、プロデューサーが飛んできて「それ本番では勘弁してください。スポンサーが某クルマメーカーなんです。」と規制したりするんだそうです。
くだらない自己規制なんですよね。上記のような「自転車や公共交通機関の利用が増えれば、クルマも走りやすい」という大前提が見えてない。トヨタも、そういう事はわかっているのだ、という知識もない。
つまり、気を回しすぎの自己規制で、みんなが知るべき情報がマスコミには流れていないって事なんです。
このあたりのジレンマは、自転車乗りにはすごく大きくて、ほんとうにどこか力のある団体が、上手に政治を動かしてくれないかなぁと真剣に思ってしまうわけですよ。
で、そういう事を考えると、実はやっぱり、こういう「ゆがみ」が出てしまうのは、トヨタが自転車を作っていない、世界的に遅れた会社だからだって事にしかならないわけです。
本来は「クルマを作る会社」ではなくて「人の移動をサポートする会社」でなければいけないわけです。そういう企業文化とか社会参加意識が低いわけですね。
で、次々に新しいクルマを作っては買い換えさせるという戦略しか採ってない。
でも、ですよ、クルマだけを売るのではなくて、クルマ+自転車を売れば、+アルファがある分儲かるし、こういう不況時にも、経営的にも安定するはずなんですよ。
クルマ一台の値段はどんどん安くなっていて、高い自転車(本当に良い自転車なら一台100万円くらいラクラクでかかります。20万円とか30万円とか、けっこう普通の値段です。)自転車一台とそんなに差がなくなってしまってる。
しかもクルマは、都市部だと一台あったら、それで家族全員が移動しておしまいなわけです。でも自転車ならひとりに一台以外に選択枝はないんですよね。だから「ひとりに一台」というのがまったく無理なく成立するわけですよ。
まぁ田舎だったらひとりに一台とは言わないまでも、2台、3台買うことはよくありますけど、駐車場代やら空間やらムダも多い。だからやっぱり自転車とセットで「生活における移動ツールを総合的に提供する」という方向に企業として進化すべきだと思うんですよね。
仮に最廉価版のスポーツ自転車を5万円として、5人家族なら5×5=25万円にはなるわけですよ。良い自転車なら10万円以上も当たり前ですから、(軽くて実用に足る自転車なら、どうしてもそういう価格になります。)家族5人で50万円は確実に自動車にプラスする形で購入してもらえるわけです。
こうなってくると、自転車の販売だって、バカにはできなくなってくるでしょう。
この不況で買い換えもなかなか進まないかも知れなくても、自転車ならガソリン代・駐車場代すら不要なのだから、その有用性さえアピールできれば、けっこう買ってもらえるはずなのです。
しかも、健康にも良くて、企業イメージの向上に役立つし、エコへの貢献度も一気に高まります。プリウスどころの騒ぎではないのです。
しかも、です。
普段、クルマに乗ってる人が必要に応じて自転車に乗るようになれば、
●道路が空く
んです。
つまり回り回って、クルマの性能が上がったのと同じ結果になるわけですよ。道路なんて、そうそう作れませんからね。でも、クルマのユーザーが、必要に応じて自転車にも乗るというチョイスなら、いまからすぐにでも選べる選択肢なわけです。クルマにも大きなメリットが出てくるわけですよ。
だから、トヨタは道路空間を広くする=クルマの性能を上げるという意味においても、自転車を販売する責任があるはずだと、僕なんかは思うわけです。
トヨタが自転車を作っていないのは、「当社は世界に追いついていない、田舎者の会社でございます。」と公言しているようなものです。旦那の駅へのクルマでの送り届けのムダが分ってるなら、やっぱり自転車を作らなきゃおかしいわけです。実践ができてない。口だけ。「言うだけ番長」。いちばん卑怯だ。
で、トヨタが自転車を作れば、上記のような、勝間さんの「クルマをやめて自転車に乗ればいい」というような発言が自主規制で封殺されることもなくなるわけですし、何より、トヨタが自転車推進の番組のスポンサーに浮上してくるわけです。
そのくらいの番組スポンサーになれよ!トヨタ!世界的企業と言うなら、そのくらいやれ!
とまぁ、僕は思うのです。
ネットでググると自転車乗りからは「トヨタが自転車? そんなださいのは買わないよ、俺は。」という声が多いみたいなんですけど、大きく社会構造を考えたら、トヨタが自転車を作ってない方がよっぽどおかしいのだと僕は思いますねぇ。
だって、街なかを走っていて、国内メーカーの自転車を見ることなんて、本当にまれですから。スポーツ自転車はほとんどが輸入品。ジャイアントとかルイガノとか、トレックとか。
ブリジストンやパナソニックなんて、見つける方が難しいくらいですし。
で、欲しい自転車を注文したら、輸入の船便待ちで2~3週間またされるのが普通なわけです。
それはやっぱり、どこかちょっといびつだよなぁって思う。
それもこれも、やっぱりトヨタが自転車を作ってないのがイカンのだと思うわけです。
それに、「ああ、そうか」と思ったのが、勝間和代さんの発言にある、「女性にとっての自転車のカベはメンテナンス」という話。
自転車というのは、実にシンプルな機械のかたまりで、本当に部品のちょっとした調整で調子がずいぶんと変わるんですね。だから、多少の調整はユーザーがやるのが当然というところがあるんですが、そこが女性にはしんどいわけです。走っていて、なんか変な音がしたら、もう不安で乗ってられないとかになる。
勝間和代さんなんかは、そういう部分は完全に自転車屋さんまかせなんだそうです。苦手な事はやらない。まぁ勝間さんらしい。(笑)
でも、たぶん、世間の女性のほとんどが、やっぱりメンテナンスは苦手なはずです。
なら。
トヨタ、大チャンスじゃないですか。
トヨタのお店で自転車のメンテもできるようにしてごらんなさいよ。
お客さんがどんどん自転車の調整で来店しますよ。
その頻繁な来店こそが、次のクルマ販売の重要な販売ステップになるわけです。
プリウスを飛び越えて、そういう人たちには電気自動車も売れるはずです。
なんと言っても自転車に乗る人はエコ意識が高いんだから。それはもう、すばらしい先進ユーザーがお客さまについてくれて、精緻なる市場調査ができるようにもなるはずです。
なんかね、トヨタ祭りだのなんだの、販売店にお客を呼び込む販促とか山盛りトヨタ系列のお店はやってるわけですけど、トヨタが自転車も作ったら、それこそ毎日のようにお客さんが来ますって。
自転車のメンテナンスの技術も、基礎的な事ならひと月もあれば身に付くはずです。その程度の事なら、修理工場のスタッフだけでなく、営業社員にもおぼえさせたらいいんですよ。
そういう普段の接触の多さが、必ず次のクルマの販売につながるんだから。何の問題もない。
(ザイオン効果というのがあるんです。そこを良く考えるべきだと思う。)
だから、やっぱりトヨタは自転車を作るべきだよなぁってつくづく思う。
いやまぁトヨタだけでなく、ニッサンもホンダもなんですけどね。
でもまぁ、まずトップ企業がやらなくちゃダメなんですよ、こういう事は。
任天堂が「ゲーム市場の拡大」を目指してDSやWiiを成功させたのと同じことです。
ちゃんとやれよ!トヨタ! トップ企業なんだからって事です。
それがトップの責任やねんけどなぁ。
作ってくれ!自転車を。国産でいつもメンテやサポートがしっかりしてるような製品を!
それ、欲しいよなぁ。僕はそういう自転車なら買います。
で、こういう事が進めばね、社会的な投資とかにもつながっていくはずなんですよね。
上記の自転車専用信号機みたいなものが、どんどん必要になってくる。高速道路を自転車を走らせようという話にもなってくるかもしれない。実際、上記の「自転車会議」では、高速道路の下に自動車専用道路を作ったらどうか?というアイディアが出されていました。これは雨の多い日本では、すごく良いアイディアなんですよ。雨の日の交通渋滞の緩和に大きく役立つはずですし。
そうなると、そういうさまざまな「自転車社会実現」への投資が経済効果を高めるわけですよ。なんせ、いままでやってきてなかった事なんだから。まったく新しいニーズが、
●ドッカーン
と化け物のように大きく生まれるって事です。
しかも、最初のハードルはものすごく低い。なんせ高速を造るとかの巨大投資が必要なわけではないからです。新たな社会習慣が生まれる。で、既存の道路交通網というインフラの効率がぐっと上がるわけですよ。
これは本当にすごいですよ。新しい市場整備で、いままでにまったくなかった経済があらたに生まれて活性化していくわけです。だから、本当にトヨタは自転車を作るべきだよなぁって思う。
この本では、谷垣禎一さんが地方の活性化にも自転車を利用できるのではないか?みたいな事を言っておられて、それは可能性としてあるよなぁって思うわけです。
地方だと、大型店舗が「クルマ」用に発達して、駅前の商店街がシャッター通りになってしまっているというのが大きいわけです。
しかし、駅前というのは他の都市との接点でもあるし、自転車が走りやすい環境を整えれば、駅前に、また人が集まってくるきっかけにもなるよなぁって僕は思うのです。
先日も大阪では、道頓堀の放置自転車を一斉に撤去してたんですけど、あれなんか愚策中の愚策でしてね。
あれは撤去しても、どうせまた増えるわけです。酔っぱらって歩くのがしんどくなった不埒な奴が、自転車を盗んでチョイ乗りして乗り捨てていくから、放置自転車が増えるのであって、駐輪用のチェーンロックができる固定ポストのようなものをたくさん作れば、盗難は減るわけですよ。まず最初にやらなければいけないのは、「盗難しやすい環境」の排除で、それを実現するには固定ポストを作るのがベストでしょう。で、それは放置自転車の排除作業を何度も繰り返し行う予算より、たぶんはるかに少ない予算でできるはずです。
年に12回排除作業をしてるのなら、6回に減らして、その分固定ポストを作ればいいのです。そうすれば年々放置自転車(盗難放置車)が減っていきます。確実に。
で、シャッター通りになってしまった駅前商店街も、まずは、固定ポスト方式の駐輪場の設置からやれば良いのです。
いや、いっそ有料の自転車置き場からやったらいい。有料駐輪場は儲かる、あるいは、キチンとペイするんです。駐車場を運営している会社が言ってますから。それで充分OKですよ。駐輪場があれば、人がそこまでやってくる。そこから経済が動き出すんです。だから、まずそれをやらなきゃ。
で、そういう新しい経済の流れを作ることを念頭に、トヨタのような大企業がそれを促進していかないとアカンよなぁって思うのですよ。
いままでのような「ガソリン車の新モデルへの買い換え」ではなくて「電気自動車+家族に一人一台の高機能スポーツ自転車への買い換え」という新しい価値観創造への転換をはからないと。
そういうような事をふくめて、本当にトヨタには自転車を作って欲しいよなぁって思います。
だって、誰も損せんのやから。
トヨタも得。クルマに乗る人も得。自転車に乗る人間も得。どこに問題がありますのん?
自転車を作らないトヨタは、ようするに単なるバカということですな、やっぱし。
●トヨタは自転車をつくるべきだ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200901130817068576/
という書き込みをしましたが、先日、
自転車会議
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/456977217X
という本を読みまして、よりいっそう、「トヨタは自転車を作るべきだ」と思いましたねぇ。
いや、この本に「トヨタよ自転車を作れ」とは全然書いてないんですけどね。
この本は、自転車好きの有名人の歓談というかワイワイガヤガヤしゃべってる内容で、内容としては薄いんですけど、新しい情報とか、いろんな角度からの切り口とかがあって、そういう意味ではとても面白い本でした。夕方に買ってその日の内に読んでしまった。2時間くらいで充分読めてしまう内容。
ただ、登場人物が、自転車界のご意見番、疋田智さんは当然にしても、いまや時代の寵児となった勝間和代さん、元レーサーの片山右京さん、日本人初のツールドフランス出場者今中大介さん、自民党総裁になられた谷垣禎一さんと、そうそうたるメンバーなのですね。そこがすごい。
で、この人たちは全員、自転車フリークなわけです。なので、話してる内容自体がすごい。
だから読んでると、いろいろぶっ飛んだ事が書いてあるんですよね。たとえば、
●イタリアの高速道路(スーパーストラーダ:準高速という感じのものらしい)では、自転車が走れる。
●ノルウェーでも高速を自転車が通行可能
●オランダには、どんな小さな道にも自転車用レーンが設置されている
●オランダでは自転車専用道路の長さが日本の100倍である
●当然、自転車専用レーンに駐車する車はいない
●デンマーク・フィンランドには自転車専用の早めに切り替わる信号がある
とまぁ、ほへぇ~と目を丸くするしかない話が満載です。海外の自転車事情は本当にうらやましいなぁ~と心底思いますな。
で、これが道路行政の進むべき方向だよなぁって思うわけです。まぁ基本はヨーロッパの話なんですけどね。自転車はやっぱりヨーロッパです。文化の厚みが違うわ。乗り物として、社会的に正しく評価されてるよなぁって思うわけです。
まず、ヨーロッパと日本にこれだけの差があるという事を念頭においていただいて…。
(あ、そうか、自転車がいかに「クルマの代替になりえるすぐれた交通機関であるのか」ということを、ここのページを読んでる人は知らないのですよね。ああ、そうだった。
えー世界標準のスポーツ自転車に乗れば、時速25km~35kmくらいは出せますので、大阪や東京では、地下鉄などの公共交通機関を使うより早くに出発点から到着点まで移動できます。何より早いです。最強です。一方通行は関係ないし、駐車の手間なども不要ですから市内・都内移動なら、自動車なんかほぼナンセンスなのです。雨の日以外は。人間1人が移動するだけなら、まず自転車が最強。荷物を運ぶ、複数人で移動する、などの用事がないかぎり、クルマにアドバンテージは全くありません。)
たとえば、フランスなんかでは、バスと自転車が共有する「バス・自転車専用レーン」というのがあって、このレーンには自動車は入れず、バスも速度が30km/h台で動いてるのだそうです。
都市交通においては信号が絶対に必要になりますから、40km/hを越すスピードというのは、実用上意味がないんですよ。テンポ30、ようするに30km/h台での移動で充分足りるんですね。で、専用レーンでバスが渋滞にまきこまれなくなると、時刻表どおりに発着ができて市民の足として有用になるということです。自転車も同様のスピードで安全に走れれば、かなりの数の市民がストレスなく快適に都市を移動できるということになります。
こういう事を見聞きすると、やっぱり、もっと自転車を優遇した社会にすべきだと本当に思うんですよね。クルマを否定することはしないけども、なんでもかんでもクルマを使うというのではなくて、「ひとりで移動するだけだし自転車やバスで行けばいいや」という選択肢を、きちんと作っておかないとダメだって事です。
で、自転車・バスが実用に足る、市民の足になれば、クルマにとってもかなり大きなメリットが出てくるんです。
というのは、クルマから、バス・自転車に乗り換えると、それだけで道路に空き空間が生まれるからなんですよ。
つまり、道が空いて、クルマが走りやすくなるってことです。
当然でしょ?これ。
どうしてここに、みんなが気がつかないのか。
みんなが必要以上にクルマばっかり使うから、クルマが混雑を引き起こして、不便な社会になってしまってるわけです。
だから都市交通というのは、
●クルマに不便で、自転車やバスに便利な仕組み。
にした方が圧倒的にみんなが快適だってことなんですよ。クルマに乗っている人にも快適なんです。
バスに乗ってる人が全員クルマで移動したら、車間距離まで含めて、そら、ものすご~~い面積が必要になって、道路が大混雑になってしまうに決まってます。当たり前の話です。
だから、バスや自転車はクルマの敵ではなく、非常に大切なクルマの仲間なのだと再認識していただきたいですな。(というか、もともと自転車は軽車両と言って本質的に「クルマ」なんですけども。)
クルマでも、二人以上乗ってるとか、荷物を運んでるというのなら、腹も立たないですけど、ボーっとした人間がひとりでクルマに乗ってるだけというようなのを見ると「お前、何を道路の無駄遣いしとんねん!クルマから降りろ!迷惑や!」と言いたくなってしまうんですよ。
道路は移動したいと思っている人間、みんなのものであって、「クルマのもの」ではないんですよね。
で、こういう事を、すごく、普通の人に知って欲しいよなぁと思ってるわけですけど、この本の中でこれまた面白い事が書いてあって、
●トヨタはそういう人の移動の効率について深い見識がある。
という事を片山右京さんは言うわけですよ。なんちゅうても、元レーサーですからね。ちょっと引用しましょう。
(引用開始)------------------
片山 (略)トヨタなんていうのは、そういうところにものすごい理解が深い。たとえば、奥さんが駅に旦那さんを「ヴィッツ」というちっちゃなクルマで送りますよね。あれは、人間1人を運ぶために1.3トンぐらいのものを動かすということで、エネルギー効率的には非常に矛盾している、ということを言っていますからね。
(引用終了)------------------
という事なんだそうです。
で、実は疋田智さんという方は、テレビ局で番組制作をするのが本業の方なんですけど、実は「自転車に乗ろう!」というような番組を局に提案しても、スポンサーが付かないんだそうです。
そりゃそうですね。日本で自転車に関係している会社といえば、本当に小さな会社ばかりですし、大手でもブリジストンとかタイヤが本業だったりパナソニックみたいに一部門が自転車を作ってるところばっかりで、世界的な自転車関連企業のシマノが存在してるにはしてますが、あくまで部品メーカーなので、一般に広告を打つ必然性がないわけです。だから、そういう番組が成立しなくなっちゃってるんですね。
しかも、疋田さんが言うには、テレビ番組側の、よけいな気の回し方みたいな話があるということなんです。たとえば勝間和代さんが、番組中で「こういうシーンではクルマはやめて自転車に乗ればいいじゃないですか。」とリハーサルで発言したら、プロデューサーが飛んできて「それ本番では勘弁してください。スポンサーが某クルマメーカーなんです。」と規制したりするんだそうです。
くだらない自己規制なんですよね。上記のような「自転車や公共交通機関の利用が増えれば、クルマも走りやすい」という大前提が見えてない。トヨタも、そういう事はわかっているのだ、という知識もない。
つまり、気を回しすぎの自己規制で、みんなが知るべき情報がマスコミには流れていないって事なんです。
このあたりのジレンマは、自転車乗りにはすごく大きくて、ほんとうにどこか力のある団体が、上手に政治を動かしてくれないかなぁと真剣に思ってしまうわけですよ。
で、そういう事を考えると、実はやっぱり、こういう「ゆがみ」が出てしまうのは、トヨタが自転車を作っていない、世界的に遅れた会社だからだって事にしかならないわけです。
本来は「クルマを作る会社」ではなくて「人の移動をサポートする会社」でなければいけないわけです。そういう企業文化とか社会参加意識が低いわけですね。
で、次々に新しいクルマを作っては買い換えさせるという戦略しか採ってない。
でも、ですよ、クルマだけを売るのではなくて、クルマ+自転車を売れば、+アルファがある分儲かるし、こういう不況時にも、経営的にも安定するはずなんですよ。
クルマ一台の値段はどんどん安くなっていて、高い自転車(本当に良い自転車なら一台100万円くらいラクラクでかかります。20万円とか30万円とか、けっこう普通の値段です。)自転車一台とそんなに差がなくなってしまってる。
しかもクルマは、都市部だと一台あったら、それで家族全員が移動しておしまいなわけです。でも自転車ならひとりに一台以外に選択枝はないんですよね。だから「ひとりに一台」というのがまったく無理なく成立するわけですよ。
まぁ田舎だったらひとりに一台とは言わないまでも、2台、3台買うことはよくありますけど、駐車場代やら空間やらムダも多い。だからやっぱり自転車とセットで「生活における移動ツールを総合的に提供する」という方向に企業として進化すべきだと思うんですよね。
仮に最廉価版のスポーツ自転車を5万円として、5人家族なら5×5=25万円にはなるわけですよ。良い自転車なら10万円以上も当たり前ですから、(軽くて実用に足る自転車なら、どうしてもそういう価格になります。)家族5人で50万円は確実に自動車にプラスする形で購入してもらえるわけです。
こうなってくると、自転車の販売だって、バカにはできなくなってくるでしょう。
この不況で買い換えもなかなか進まないかも知れなくても、自転車ならガソリン代・駐車場代すら不要なのだから、その有用性さえアピールできれば、けっこう買ってもらえるはずなのです。
しかも、健康にも良くて、企業イメージの向上に役立つし、エコへの貢献度も一気に高まります。プリウスどころの騒ぎではないのです。
しかも、です。
普段、クルマに乗ってる人が必要に応じて自転車に乗るようになれば、
●道路が空く
んです。
つまり回り回って、クルマの性能が上がったのと同じ結果になるわけですよ。道路なんて、そうそう作れませんからね。でも、クルマのユーザーが、必要に応じて自転車にも乗るというチョイスなら、いまからすぐにでも選べる選択肢なわけです。クルマにも大きなメリットが出てくるわけですよ。
だから、トヨタは道路空間を広くする=クルマの性能を上げるという意味においても、自転車を販売する責任があるはずだと、僕なんかは思うわけです。
トヨタが自転車を作っていないのは、「当社は世界に追いついていない、田舎者の会社でございます。」と公言しているようなものです。旦那の駅へのクルマでの送り届けのムダが分ってるなら、やっぱり自転車を作らなきゃおかしいわけです。実践ができてない。口だけ。「言うだけ番長」。いちばん卑怯だ。
で、トヨタが自転車を作れば、上記のような、勝間さんの「クルマをやめて自転車に乗ればいい」というような発言が自主規制で封殺されることもなくなるわけですし、何より、トヨタが自転車推進の番組のスポンサーに浮上してくるわけです。
そのくらいの番組スポンサーになれよ!トヨタ!世界的企業と言うなら、そのくらいやれ!
とまぁ、僕は思うのです。
ネットでググると自転車乗りからは「トヨタが自転車? そんなださいのは買わないよ、俺は。」という声が多いみたいなんですけど、大きく社会構造を考えたら、トヨタが自転車を作ってない方がよっぽどおかしいのだと僕は思いますねぇ。
だって、街なかを走っていて、国内メーカーの自転車を見ることなんて、本当にまれですから。スポーツ自転車はほとんどが輸入品。ジャイアントとかルイガノとか、トレックとか。
ブリジストンやパナソニックなんて、見つける方が難しいくらいですし。
で、欲しい自転車を注文したら、輸入の船便待ちで2~3週間またされるのが普通なわけです。
それはやっぱり、どこかちょっといびつだよなぁって思う。
それもこれも、やっぱりトヨタが自転車を作ってないのがイカンのだと思うわけです。
それに、「ああ、そうか」と思ったのが、勝間和代さんの発言にある、「女性にとっての自転車のカベはメンテナンス」という話。
自転車というのは、実にシンプルな機械のかたまりで、本当に部品のちょっとした調整で調子がずいぶんと変わるんですね。だから、多少の調整はユーザーがやるのが当然というところがあるんですが、そこが女性にはしんどいわけです。走っていて、なんか変な音がしたら、もう不安で乗ってられないとかになる。
勝間和代さんなんかは、そういう部分は完全に自転車屋さんまかせなんだそうです。苦手な事はやらない。まぁ勝間さんらしい。(笑)
でも、たぶん、世間の女性のほとんどが、やっぱりメンテナンスは苦手なはずです。
なら。
トヨタ、大チャンスじゃないですか。
トヨタのお店で自転車のメンテもできるようにしてごらんなさいよ。
お客さんがどんどん自転車の調整で来店しますよ。
その頻繁な来店こそが、次のクルマ販売の重要な販売ステップになるわけです。
プリウスを飛び越えて、そういう人たちには電気自動車も売れるはずです。
なんと言っても自転車に乗る人はエコ意識が高いんだから。それはもう、すばらしい先進ユーザーがお客さまについてくれて、精緻なる市場調査ができるようにもなるはずです。
なんかね、トヨタ祭りだのなんだの、販売店にお客を呼び込む販促とか山盛りトヨタ系列のお店はやってるわけですけど、トヨタが自転車も作ったら、それこそ毎日のようにお客さんが来ますって。
自転車のメンテナンスの技術も、基礎的な事ならひと月もあれば身に付くはずです。その程度の事なら、修理工場のスタッフだけでなく、営業社員にもおぼえさせたらいいんですよ。
そういう普段の接触の多さが、必ず次のクルマの販売につながるんだから。何の問題もない。
(ザイオン効果というのがあるんです。そこを良く考えるべきだと思う。)
だから、やっぱりトヨタは自転車を作るべきだよなぁってつくづく思う。
いやまぁトヨタだけでなく、ニッサンもホンダもなんですけどね。
でもまぁ、まずトップ企業がやらなくちゃダメなんですよ、こういう事は。
任天堂が「ゲーム市場の拡大」を目指してDSやWiiを成功させたのと同じことです。
ちゃんとやれよ!トヨタ! トップ企業なんだからって事です。
それがトップの責任やねんけどなぁ。
作ってくれ!自転車を。国産でいつもメンテやサポートがしっかりしてるような製品を!
それ、欲しいよなぁ。僕はそういう自転車なら買います。
で、こういう事が進めばね、社会的な投資とかにもつながっていくはずなんですよね。
上記の自転車専用信号機みたいなものが、どんどん必要になってくる。高速道路を自転車を走らせようという話にもなってくるかもしれない。実際、上記の「自転車会議」では、高速道路の下に自動車専用道路を作ったらどうか?というアイディアが出されていました。これは雨の多い日本では、すごく良いアイディアなんですよ。雨の日の交通渋滞の緩和に大きく役立つはずですし。
そうなると、そういうさまざまな「自転車社会実現」への投資が経済効果を高めるわけですよ。なんせ、いままでやってきてなかった事なんだから。まったく新しいニーズが、
●ドッカーン
と化け物のように大きく生まれるって事です。
しかも、最初のハードルはものすごく低い。なんせ高速を造るとかの巨大投資が必要なわけではないからです。新たな社会習慣が生まれる。で、既存の道路交通網というインフラの効率がぐっと上がるわけですよ。
これは本当にすごいですよ。新しい市場整備で、いままでにまったくなかった経済があらたに生まれて活性化していくわけです。だから、本当にトヨタは自転車を作るべきだよなぁって思う。
この本では、谷垣禎一さんが地方の活性化にも自転車を利用できるのではないか?みたいな事を言っておられて、それは可能性としてあるよなぁって思うわけです。
地方だと、大型店舗が「クルマ」用に発達して、駅前の商店街がシャッター通りになってしまっているというのが大きいわけです。
しかし、駅前というのは他の都市との接点でもあるし、自転車が走りやすい環境を整えれば、駅前に、また人が集まってくるきっかけにもなるよなぁって僕は思うのです。
先日も大阪では、道頓堀の放置自転車を一斉に撤去してたんですけど、あれなんか愚策中の愚策でしてね。
あれは撤去しても、どうせまた増えるわけです。酔っぱらって歩くのがしんどくなった不埒な奴が、自転車を盗んでチョイ乗りして乗り捨てていくから、放置自転車が増えるのであって、駐輪用のチェーンロックができる固定ポストのようなものをたくさん作れば、盗難は減るわけですよ。まず最初にやらなければいけないのは、「盗難しやすい環境」の排除で、それを実現するには固定ポストを作るのがベストでしょう。で、それは放置自転車の排除作業を何度も繰り返し行う予算より、たぶんはるかに少ない予算でできるはずです。
年に12回排除作業をしてるのなら、6回に減らして、その分固定ポストを作ればいいのです。そうすれば年々放置自転車(盗難放置車)が減っていきます。確実に。
で、シャッター通りになってしまった駅前商店街も、まずは、固定ポスト方式の駐輪場の設置からやれば良いのです。
いや、いっそ有料の自転車置き場からやったらいい。有料駐輪場は儲かる、あるいは、キチンとペイするんです。駐車場を運営している会社が言ってますから。それで充分OKですよ。駐輪場があれば、人がそこまでやってくる。そこから経済が動き出すんです。だから、まずそれをやらなきゃ。
で、そういう新しい経済の流れを作ることを念頭に、トヨタのような大企業がそれを促進していかないとアカンよなぁって思うのですよ。
いままでのような「ガソリン車の新モデルへの買い換え」ではなくて「電気自動車+家族に一人一台の高機能スポーツ自転車への買い換え」という新しい価値観創造への転換をはからないと。
そういうような事をふくめて、本当にトヨタには自転車を作って欲しいよなぁって思います。
だって、誰も損せんのやから。
トヨタも得。クルマに乗る人も得。自転車に乗る人間も得。どこに問題がありますのん?
自転車を作らないトヨタは、ようするに単なるバカということですな、やっぱし。
えー、こういう記事がありまして。
(引用開始)--------------------------------------
橋下知事、職員からのメールに激怒 「物言い非常識」厳重注意へ
2009.10.8 13:47
橋下徹大阪府知事 大阪府の橋下徹知事は8日、職員から受けたメールが「物言いが非常識」として、同日付でこの職員を厳重注意にすると明かした。
橋下知事は1日夜に全職員にメールを送信。和歌山市の紀の川大堰からの利水撤退で、府の負担が約380億円にのぼったことに対する府幹部の議会答弁に謝罪の気持ちがなかったことを問題視した。これに対し、職員が反発し、「愚痴は自分のブログでしてほしい」などの内容のメールを返信。橋下知事は「組織のトップに対する物言いとして逸脱している。組織の体をなしていない」などと職員の処分を検討するよう人事担当者に指示した。
(引用終了)-------------------------------------
これねぇ、世間のみなさまの意見でも橋下知事の対応が賛否両論だったりするわけですよ。
(引用開始)--------------------------------------
メールで職員処分 橋下知事に「大人げない」
2009.10.9 16:06
大阪府議会で代表質問に答弁する橋下知事=9月30日 大阪府の橋下徹知事が、不適切な表現のメールを知事に送ったことを理由に女性職員を厳重注意としたことに「知事は大人げない」「(職員は)非常識」などと賛否の声が多数寄せられていることが9日、分かった。
府民課によると、8日夕方までに電話やメールで計93件の意見があり、橋下知事の対応に批判的なものが53件と過半数を占めた。「処分で意見が出にくくなるのではないか」「厳しすぎる」などの声が多かったという。
一方で「トップに対する言葉として失礼だ」「身分が安定している公務員だからこんなことができるのか」と、職員を批判する内容も。意見は9日午前も引き続き寄せられているという。
橋下知事は同日朝、府庁で記者団に「トップの訓示に対する物言いや対応を問題視した。(職員は)府民がわたしを批判することと、上司と部下の関係を勘違いしている」と述べた。
女性職員は2日、橋下知事が全職員に送った税金に対する感覚の違いを批判するメールに対し「愚痴はブログでしてほしい」などと返信。8日に口頭で厳重注意を受けた。
(引用終了)-------------------------------------
でね。
これが普通の会社の上司と部下ならね、確かに橋下くんの処分や言い方は、「ちょっと大人げない」と言われても仕方ないと思うんですよ。それは確かに。
でもね。
これは相手が違うんです。
相手が役人なんです。
はっきり言いますが、
●公務員というのは社会的なカタワである。
んですよ。
言ったらなんですけど、世間一般の、お給料をいただいて、その実績に応じて自分の実力が問われるような「経済的試練」というものを、
●生涯経験することがないという前提で生きている種族。
なんです。
一般の経済的な思考やスキルのある、「フツーの一般人」じゃないんですよ。
はっきりくっきり「異常人」なんです。
その異常さを、世間一般の人間は、甘く見ているから、この橋下くんの処分が「大人げない」というように見えるわけです。
いや、違うって。役人は、それこそ宇宙人ですって。鳩山さんどころの騒ぎではないんです。「コームイン族」という人類以外の生命体と思った方が良いくらいなんですって。
まず、そこのところを、正しく認識しないといけないんです。
ところが!
この「役人と一般人は、思想・信条やライフスタイルまで、根本的に全く異なる別人種なのである。」という、もっとも重要な点を、一般人も役人たちも、どっちも理解していないという、とんでもない不幸が、この国にはあるわけですよ。
だから、橋下くんみたいに、一般庶民の庶民感覚で民事的なもめ事を処理してきた弁護士あがりの知事からすると、こういう「大人げない処分」をせざるを得なくなってくるわけです。
だから、僕は、橋下くんの判断は、かなりマトモかつまっとうだと思いますよ。
だいたいね、役人・公務員が「普通の会社と同じように働いているのだから、給料をもらえて当たり前だ」と思う時点で、そいつらは死刑に匹敵するとんでもない間違った発言をしているんですよ。
役人や公務員の仕事というのは、すべて、どんな仕事でも、全部、経済活動には直接タッチしない仕事なわけです。経済的にペイする仕事なら、公的機関でやるのではなくて、民間が株式会社で、キチンと成功報酬なども含めたまともな人事考課のある仕組みでやればいいことなんです。
でも、そういう仕組みではペイしない事をこそ、役所や政府はやらなきゃいけないわけです。
ですから、役人や公務員の給料は、
●もともと完全に赤字。
なわけですよ。黒字になるような事なら民間でやればいいわけだから。
つまり、もともと公務員のやってることは、
●儲からない仕事
なわけです。どこをどうやったって、
●無駄遣いにしかならない仕事
を、彼らはやってるわけですし、そうでなければ公的機関の意味なんてないわけです。
で、それでも必要なことだから、仕方なしに税金を払って役人たちに事務処理とかそういうことをやってもらってるわけでしょう。
だから役人というのは、
●もともとやっかいもの。
であって、できるならば、
●一刻も早くお払い箱
にしたい存在で、
●毎分毎秒、合理化してでも、必要経費をどんどん削らなければいけない業務。
なわけで、であるからして、
●役人の給料は、どんどんどんどん下げるのが当然
のものなわけです。
であるにも関わらず、「役人の給料が下がったら、モチベーションが下がってしまう」などというバカの極み、とんでもない勘違い野郎が続出しているのが、日本の現状で、しかもなおかつ、そういうバカの極みの発言を聞いて、一般の国民も「まぁ役人も国民なんだから、それなりに働いてもらわないとなぁ」とか言ってしまうていたらくなわけですよ。
そんなものね、給料が下がってモチベーションが下がるような人間は、経済による競争システムを肯定している思想を持った人間なんだから、
●なら、役人をやめて一般企業で働け!バカモン!
ということにしかならないわけです。
役人というのは、
●経済競争ではなく、人間の尊厳そのものを守ることこそが大切だ。
という価値観で生きているような人がなるべき職業なのであって、給与でやる気が上下するような人間は、とにかく真っ先にやめてもらわないと困るわけです。
本来役人というものは、
●「経済の役にも立っていないのに、私のようなものに給料を国民のみなさまがくださって、なんとありがたいのだろう。なんとか、もっと少ない給料で、この仕事を実現することはできないだろうか?もっと少ない人員で、同じ公的サービスを実現することはできないだろうか?」
と考えるのが仕事であって、他に仕事なんかないんですよ。もともと「穀潰し」なんだから。
●もともと「穀潰し」なのである。
という、役人・公務員の本質を、みんながみんな、忘れてる事が問題なんですよ。この国は。
このあたりはねぇ、かなり「考え方の断絶」ってものがあると思いますねぇ。
それは多分、そこいらの中小企業の社長とかが、大阪府知事になったら、もう、毎日役人ひとりひとりの言葉の一言一言が、腹が立って腹が立ってしょうがないくらい違和感を感じるはずですよ。きっとそういう状態なんだと思う。
でも、この記事にある職員は、その自分の「非常識さ」に気づくことすらできないくらいの頭がおかしいというか、世間からずれてるだろうと想像できます。かなりパッパラパーというかズレまくり人間でしょうなぁ。ほんとに。
ということで、橋下くん自体を全面的に支持するわけでもないんですけど、この件に関しては、
●賛否が分かれるということ自体が大問題なのだ。
と言っておきたいです。
こういうことは、はっきり国民として、徹底して、
●完璧、100%、どこをどうとっても、この職員が間違いであり、狂っている。キチガイだ。
と断定すべきなんです。キチガイレベルですよ。ほんとに。
でも、こういう話が出ると、世間的には「賛否が分かれる」という記事が出てしまいまして、この職員は永遠に、死ぬまで「自分がとんでもなく間違っているのだ」ということに気づくことすらできないわけです。「世間でも賛否両論やん」とか思ってるわけです。
あのなぁ、おまえらは、河原乞食と同じで、根っからの穀潰しなんやぞ?
それが、不況でも首切りにあわないだけでも、
●ああ、国民のみなさまのお慈悲で、私は生きながらえさせていただいている、なんてありがたいことなのだろう。
と思うのが筋であり、そういう気持ちを持つことこそが「役人魂」なのだ。これは本質論ですよ。小説家が文章で人をうならせる、歌手が歌声で人を癒すのと同じく、役人は河原乞食として、「こんなに給料をもらってはいけない。税金のムダ使いなどしたら天罰が下る。国民のみなさまに生涯感謝しなければ」と真剣に思うことこそが役人の仕事。そういう事なんです。
本質を踏み外してる人間は、どこへ行っても恥ずかしい存在で、死んでも成仏できまへん。
そういうことでおます。
なので、この件、完全、完璧、絶対的に、橋下君が正しい。
で、この件で、「橋下は大人げない」と、一般国民が言ってしまう事も根本的に間違いなので、ついうっかりそう思ってしまった人は、この機会に、考えを改めてください。
以上。
(引用開始)--------------------------------------
橋下知事、職員からのメールに激怒 「物言い非常識」厳重注意へ
2009.10.8 13:47
橋下徹大阪府知事 大阪府の橋下徹知事は8日、職員から受けたメールが「物言いが非常識」として、同日付でこの職員を厳重注意にすると明かした。
橋下知事は1日夜に全職員にメールを送信。和歌山市の紀の川大堰からの利水撤退で、府の負担が約380億円にのぼったことに対する府幹部の議会答弁に謝罪の気持ちがなかったことを問題視した。これに対し、職員が反発し、「愚痴は自分のブログでしてほしい」などの内容のメールを返信。橋下知事は「組織のトップに対する物言いとして逸脱している。組織の体をなしていない」などと職員の処分を検討するよう人事担当者に指示した。
(引用終了)-------------------------------------
これねぇ、世間のみなさまの意見でも橋下知事の対応が賛否両論だったりするわけですよ。
(引用開始)--------------------------------------
メールで職員処分 橋下知事に「大人げない」
2009.10.9 16:06
大阪府議会で代表質問に答弁する橋下知事=9月30日 大阪府の橋下徹知事が、不適切な表現のメールを知事に送ったことを理由に女性職員を厳重注意としたことに「知事は大人げない」「(職員は)非常識」などと賛否の声が多数寄せられていることが9日、分かった。
府民課によると、8日夕方までに電話やメールで計93件の意見があり、橋下知事の対応に批判的なものが53件と過半数を占めた。「処分で意見が出にくくなるのではないか」「厳しすぎる」などの声が多かったという。
一方で「トップに対する言葉として失礼だ」「身分が安定している公務員だからこんなことができるのか」と、職員を批判する内容も。意見は9日午前も引き続き寄せられているという。
橋下知事は同日朝、府庁で記者団に「トップの訓示に対する物言いや対応を問題視した。(職員は)府民がわたしを批判することと、上司と部下の関係を勘違いしている」と述べた。
女性職員は2日、橋下知事が全職員に送った税金に対する感覚の違いを批判するメールに対し「愚痴はブログでしてほしい」などと返信。8日に口頭で厳重注意を受けた。
(引用終了)-------------------------------------
でね。
これが普通の会社の上司と部下ならね、確かに橋下くんの処分や言い方は、「ちょっと大人げない」と言われても仕方ないと思うんですよ。それは確かに。
でもね。
これは相手が違うんです。
相手が役人なんです。
はっきり言いますが、
●公務員というのは社会的なカタワである。
んですよ。
言ったらなんですけど、世間一般の、お給料をいただいて、その実績に応じて自分の実力が問われるような「経済的試練」というものを、
●生涯経験することがないという前提で生きている種族。
なんです。
一般の経済的な思考やスキルのある、「フツーの一般人」じゃないんですよ。
はっきりくっきり「異常人」なんです。
その異常さを、世間一般の人間は、甘く見ているから、この橋下くんの処分が「大人げない」というように見えるわけです。
いや、違うって。役人は、それこそ宇宙人ですって。鳩山さんどころの騒ぎではないんです。「コームイン族」という人類以外の生命体と思った方が良いくらいなんですって。
まず、そこのところを、正しく認識しないといけないんです。
ところが!
この「役人と一般人は、思想・信条やライフスタイルまで、根本的に全く異なる別人種なのである。」という、もっとも重要な点を、一般人も役人たちも、どっちも理解していないという、とんでもない不幸が、この国にはあるわけですよ。
だから、橋下くんみたいに、一般庶民の庶民感覚で民事的なもめ事を処理してきた弁護士あがりの知事からすると、こういう「大人げない処分」をせざるを得なくなってくるわけです。
だから、僕は、橋下くんの判断は、かなりマトモかつまっとうだと思いますよ。
だいたいね、役人・公務員が「普通の会社と同じように働いているのだから、給料をもらえて当たり前だ」と思う時点で、そいつらは死刑に匹敵するとんでもない間違った発言をしているんですよ。
役人や公務員の仕事というのは、すべて、どんな仕事でも、全部、経済活動には直接タッチしない仕事なわけです。経済的にペイする仕事なら、公的機関でやるのではなくて、民間が株式会社で、キチンと成功報酬なども含めたまともな人事考課のある仕組みでやればいいことなんです。
でも、そういう仕組みではペイしない事をこそ、役所や政府はやらなきゃいけないわけです。
ですから、役人や公務員の給料は、
●もともと完全に赤字。
なわけですよ。黒字になるような事なら民間でやればいいわけだから。
つまり、もともと公務員のやってることは、
●儲からない仕事
なわけです。どこをどうやったって、
●無駄遣いにしかならない仕事
を、彼らはやってるわけですし、そうでなければ公的機関の意味なんてないわけです。
で、それでも必要なことだから、仕方なしに税金を払って役人たちに事務処理とかそういうことをやってもらってるわけでしょう。
だから役人というのは、
●もともとやっかいもの。
であって、できるならば、
●一刻も早くお払い箱
にしたい存在で、
●毎分毎秒、合理化してでも、必要経費をどんどん削らなければいけない業務。
なわけで、であるからして、
●役人の給料は、どんどんどんどん下げるのが当然
のものなわけです。
であるにも関わらず、「役人の給料が下がったら、モチベーションが下がってしまう」などというバカの極み、とんでもない勘違い野郎が続出しているのが、日本の現状で、しかもなおかつ、そういうバカの極みの発言を聞いて、一般の国民も「まぁ役人も国民なんだから、それなりに働いてもらわないとなぁ」とか言ってしまうていたらくなわけですよ。
そんなものね、給料が下がってモチベーションが下がるような人間は、経済による競争システムを肯定している思想を持った人間なんだから、
●なら、役人をやめて一般企業で働け!バカモン!
ということにしかならないわけです。
役人というのは、
●経済競争ではなく、人間の尊厳そのものを守ることこそが大切だ。
という価値観で生きているような人がなるべき職業なのであって、給与でやる気が上下するような人間は、とにかく真っ先にやめてもらわないと困るわけです。
本来役人というものは、
●「経済の役にも立っていないのに、私のようなものに給料を国民のみなさまがくださって、なんとありがたいのだろう。なんとか、もっと少ない給料で、この仕事を実現することはできないだろうか?もっと少ない人員で、同じ公的サービスを実現することはできないだろうか?」
と考えるのが仕事であって、他に仕事なんかないんですよ。もともと「穀潰し」なんだから。
●もともと「穀潰し」なのである。
という、役人・公務員の本質を、みんながみんな、忘れてる事が問題なんですよ。この国は。
このあたりはねぇ、かなり「考え方の断絶」ってものがあると思いますねぇ。
それは多分、そこいらの中小企業の社長とかが、大阪府知事になったら、もう、毎日役人ひとりひとりの言葉の一言一言が、腹が立って腹が立ってしょうがないくらい違和感を感じるはずですよ。きっとそういう状態なんだと思う。
でも、この記事にある職員は、その自分の「非常識さ」に気づくことすらできないくらいの頭がおかしいというか、世間からずれてるだろうと想像できます。かなりパッパラパーというかズレまくり人間でしょうなぁ。ほんとに。
ということで、橋下くん自体を全面的に支持するわけでもないんですけど、この件に関しては、
●賛否が分かれるということ自体が大問題なのだ。
と言っておきたいです。
こういうことは、はっきり国民として、徹底して、
●完璧、100%、どこをどうとっても、この職員が間違いであり、狂っている。キチガイだ。
と断定すべきなんです。キチガイレベルですよ。ほんとに。
でも、こういう話が出ると、世間的には「賛否が分かれる」という記事が出てしまいまして、この職員は永遠に、死ぬまで「自分がとんでもなく間違っているのだ」ということに気づくことすらできないわけです。「世間でも賛否両論やん」とか思ってるわけです。
あのなぁ、おまえらは、河原乞食と同じで、根っからの穀潰しなんやぞ?
それが、不況でも首切りにあわないだけでも、
●ああ、国民のみなさまのお慈悲で、私は生きながらえさせていただいている、なんてありがたいことなのだろう。
と思うのが筋であり、そういう気持ちを持つことこそが「役人魂」なのだ。これは本質論ですよ。小説家が文章で人をうならせる、歌手が歌声で人を癒すのと同じく、役人は河原乞食として、「こんなに給料をもらってはいけない。税金のムダ使いなどしたら天罰が下る。国民のみなさまに生涯感謝しなければ」と真剣に思うことこそが役人の仕事。そういう事なんです。
本質を踏み外してる人間は、どこへ行っても恥ずかしい存在で、死んでも成仏できまへん。
そういうことでおます。
なので、この件、完全、完璧、絶対的に、橋下君が正しい。
で、この件で、「橋下は大人げない」と、一般国民が言ってしまう事も根本的に間違いなので、ついうっかりそう思ってしまった人は、この機会に、考えを改めてください。
以上。
民主党政権に変わってから、いろいろと思うことが多々ありますなぁ。
自民党政権というのは、官僚による支配で、それはつまり官僚たちをアメリカが直接コントロールしていた政権であって、関岡英之さんが『拒否できない日本』で紹介したように、「年次改革要望書」という文書のとおりに日本が改造され、アメリカの属国としての日本、というアプローチしか政策がなかったという事なんだ、というのが、大きな枠組みとしての理解だと思うんですね。
で、最近僕が、「あ、そうか」と気付かされたのは、例の田中宇さんのメルマガに、日本と中国が本気で手を組むことの意味が書いてあったことです。
(引用開始)-----------------
すでに英国の新聞は「明治維新以来の仇敵だった日本と中国が同盟を組む交渉を始めたので、世界は驚いている。世界第2位と3位の経済規模の日中が組めば、世界最強の勢力となる」と報じている。日本人の多くが自覚しないうちに、すでに世界は「日中同盟」を気にしている。
(引用終了)-----------------
ってことなのですな。
だから結局、アメリカは、もう昔から日本と中国が手を組むことを妨害してたんだなぁと、しみじみと実感したわけです。
佐藤栄作の沖縄返還からノーベル賞への流れも、(これはヨーロッパ勢からの牽制もあるでしょうが)、田中角栄の日中国交再開からロッキードによる追い落しまでの流れも、小泉君の靖国参拝から中国非難までの流れも、ようは外国勢による日本・中国の切り離し策としての側面が、かなり大きかったんだなぁって思う。
外からのあやつりに翻弄されるしかないのが日本だったのだなぁと。
いやまぁ、いまの民主党政権もそれなりに海外とのつながりはあるでしょうけどな。でも自民党みたいに、結党時にCIAからお金が出てたとかはないんやろなぁ、とは思います。ヨーロッパの貴族とか、そのあたりからは金が出てそうやけど。
やっぱり、国内文化から世界を見ようと思っても、それは無理なんよねぇ。まず地球をビー玉みたいに、ひとつの環境として見て、その中での関係性を見るとか、大きな世界史の流れの中に日本という国の歴史を位置づけるとかしないと、概略が見えてこないんやなぁとしみじみ実感したというような事ですね。
日本の、若く、貧しい層が痛めつけられていた、ここ数年、そういう層の人たちこそが「反中国!」とかを叫んでいて、「ああ、大きな力にあやつられてるんやろなぁ」という感じが強かったわけです。ネット右翼とかも同じ流れにありますわな。
なんなんやろね、あの、若い貧困層の人たちは。ネット右翼で、なぜか小泉君や麻生君が大好きで、中国攻撃ばっかりしている層。ここしばらくで、えらく増えた。たぶん、世の中の仕組みの変化で、自分たちが一番踏みつけにされていて、そのためにうっぷんは溜まるけど、友達や一般社会は同じ日本人として攻撃する気になれず、その分中国に恨み辛みをぶつけてたとか、そういう事なんやろなぁ。
でも、それはアメリカに都合が良かったから、そういう層が拡大することも、そのままにされてたって事なんよなぁ。
もともと、「死んだら仏さま」になる日本の文化では、「死人=スーパーパワーを持つスピリチュアルな存在」なので、むごたらしい殺し方をしたら、霊に恨み殺されるという宗教文化があって、それゆえに「苦しめずに殺す」というのが政治解決の手法の一つである戦(いくさ)においても当然だったわけです。
しかし、こんな文化は日本だけのものですから、中国の文化とは相容れません。中国人の歴史観では、偉人であれ悪人であれ、それは歴史という壮大な「空間」の中に永遠に生き続ける「人間」そのものなので、歴史的に「悪人」と規定されている人物は、わざわざ悪人の像を作ってツバをみんなで吐きかける、てなことまでします。
なので彼らは、ものすごくむごたらしい殺し方をするし、そういうところが日本人にはものすごく非道に見えて、どうしても国民的に好きになれないっていうのがあるわけです。
けど、それもまた文化なのでねぇ。好悪の感情とは別に、「アジア人同士仲良くする」というのは、しないとダメだと思うのよな。ご近所さんなんだから。
で、こういう文化の違いみたいな事は、実は中国でも日本でもない欧米人からの方が良く見える。丸見え。だから、それを利用されるわけだ。
で、わざと仲を引き裂くようにミスリードする。
南京大虐殺だって、レポートを書いたのは欧米人だしね。後からギャースカ言ってたのも、確か中国系「アメリカ人」だったわけですしな。
南京大虐殺で「30万人もの人が殺された」という一文があるんですが、あれは、もともと中国語を知っている人なら読み間違わないらしい。「30万人」というのは「ものすごく多くの」という意味の接頭語なんだそうです。中国語にはピンインがあるから、次の言葉につなげて修飾するには3万とか一万とかではゴロが悪くて修飾詞として使えず、どうしても30万になっちゃうんだってさ。
でも、それを分っていて「30万人」とわざと英語に誤訳した層というのがいてるわけです。
いや分っていてなのかどうかは、証拠がない。単なる誤訳かも知れない。そういう証拠のない感情操作っていうのをきゃつらはやるわけだ。実にずるい。けど、まぁ頭はいいよなぁ。ズル賢い。
で、「多くの人間が殺された」というのは事実だから、南京大虐殺を否定すると、日本人はウソつきであるかのように、向こうの人は思っちゃうわけですよ。
こういうズル賢い策略にはまったらアカンのです。日本人の宗教心と中国人の宗教心が水と油だ、ということまで、欧米人には見透かされてるんだから。
なので、別に「仲良く」まではしなくてもいいけど、協力したり、手を組んだりするのはどんどんしたら良いんだよなって思う。「アジア人同士争わず」だ。ああ、副島隆彦さんの提言は、やっぱり優れとるなぁ。感服してしまう。
中国の電車の中はゴミ溜めのようだし、中国産の食品は、なんだかんだいってもやっぱり不安だし、どうしても彼らの事はあまり好きにはなれないのですが、でもやっぱりお隣の国とは仲良くしなくちゃアカンのよな。結局はそこに行く。
嫌いだなぁという自分の感情を否定する必要はないと思うけど、そこをわざわざ拡大する必要もない。相性のあわん奴はおるよ。それはしょうがない。ま、是々非々で考えて行きましょうや。
そういう気がする。
自民党政権というのは、官僚による支配で、それはつまり官僚たちをアメリカが直接コントロールしていた政権であって、関岡英之さんが『拒否できない日本』で紹介したように、「年次改革要望書」という文書のとおりに日本が改造され、アメリカの属国としての日本、というアプローチしか政策がなかったという事なんだ、というのが、大きな枠組みとしての理解だと思うんですね。
で、最近僕が、「あ、そうか」と気付かされたのは、例の田中宇さんのメルマガに、日本と中国が本気で手を組むことの意味が書いてあったことです。
(引用開始)-----------------
すでに英国の新聞は「明治維新以来の仇敵だった日本と中国が同盟を組む交渉を始めたので、世界は驚いている。世界第2位と3位の経済規模の日中が組めば、世界最強の勢力となる」と報じている。日本人の多くが自覚しないうちに、すでに世界は「日中同盟」を気にしている。
(引用終了)-----------------
ってことなのですな。
だから結局、アメリカは、もう昔から日本と中国が手を組むことを妨害してたんだなぁと、しみじみと実感したわけです。
佐藤栄作の沖縄返還からノーベル賞への流れも、(これはヨーロッパ勢からの牽制もあるでしょうが)、田中角栄の日中国交再開からロッキードによる追い落しまでの流れも、小泉君の靖国参拝から中国非難までの流れも、ようは外国勢による日本・中国の切り離し策としての側面が、かなり大きかったんだなぁって思う。
外からのあやつりに翻弄されるしかないのが日本だったのだなぁと。
いやまぁ、いまの民主党政権もそれなりに海外とのつながりはあるでしょうけどな。でも自民党みたいに、結党時にCIAからお金が出てたとかはないんやろなぁ、とは思います。ヨーロッパの貴族とか、そのあたりからは金が出てそうやけど。
やっぱり、国内文化から世界を見ようと思っても、それは無理なんよねぇ。まず地球をビー玉みたいに、ひとつの環境として見て、その中での関係性を見るとか、大きな世界史の流れの中に日本という国の歴史を位置づけるとかしないと、概略が見えてこないんやなぁとしみじみ実感したというような事ですね。
日本の、若く、貧しい層が痛めつけられていた、ここ数年、そういう層の人たちこそが「反中国!」とかを叫んでいて、「ああ、大きな力にあやつられてるんやろなぁ」という感じが強かったわけです。ネット右翼とかも同じ流れにありますわな。
なんなんやろね、あの、若い貧困層の人たちは。ネット右翼で、なぜか小泉君や麻生君が大好きで、中国攻撃ばっかりしている層。ここしばらくで、えらく増えた。たぶん、世の中の仕組みの変化で、自分たちが一番踏みつけにされていて、そのためにうっぷんは溜まるけど、友達や一般社会は同じ日本人として攻撃する気になれず、その分中国に恨み辛みをぶつけてたとか、そういう事なんやろなぁ。
でも、それはアメリカに都合が良かったから、そういう層が拡大することも、そのままにされてたって事なんよなぁ。
もともと、「死んだら仏さま」になる日本の文化では、「死人=スーパーパワーを持つスピリチュアルな存在」なので、むごたらしい殺し方をしたら、霊に恨み殺されるという宗教文化があって、それゆえに「苦しめずに殺す」というのが政治解決の手法の一つである戦(いくさ)においても当然だったわけです。
しかし、こんな文化は日本だけのものですから、中国の文化とは相容れません。中国人の歴史観では、偉人であれ悪人であれ、それは歴史という壮大な「空間」の中に永遠に生き続ける「人間」そのものなので、歴史的に「悪人」と規定されている人物は、わざわざ悪人の像を作ってツバをみんなで吐きかける、てなことまでします。
なので彼らは、ものすごくむごたらしい殺し方をするし、そういうところが日本人にはものすごく非道に見えて、どうしても国民的に好きになれないっていうのがあるわけです。
けど、それもまた文化なのでねぇ。好悪の感情とは別に、「アジア人同士仲良くする」というのは、しないとダメだと思うのよな。ご近所さんなんだから。
で、こういう文化の違いみたいな事は、実は中国でも日本でもない欧米人からの方が良く見える。丸見え。だから、それを利用されるわけだ。
で、わざと仲を引き裂くようにミスリードする。
南京大虐殺だって、レポートを書いたのは欧米人だしね。後からギャースカ言ってたのも、確か中国系「アメリカ人」だったわけですしな。
南京大虐殺で「30万人もの人が殺された」という一文があるんですが、あれは、もともと中国語を知っている人なら読み間違わないらしい。「30万人」というのは「ものすごく多くの」という意味の接頭語なんだそうです。中国語にはピンインがあるから、次の言葉につなげて修飾するには3万とか一万とかではゴロが悪くて修飾詞として使えず、どうしても30万になっちゃうんだってさ。
でも、それを分っていて「30万人」とわざと英語に誤訳した層というのがいてるわけです。
いや分っていてなのかどうかは、証拠がない。単なる誤訳かも知れない。そういう証拠のない感情操作っていうのをきゃつらはやるわけだ。実にずるい。けど、まぁ頭はいいよなぁ。ズル賢い。
で、「多くの人間が殺された」というのは事実だから、南京大虐殺を否定すると、日本人はウソつきであるかのように、向こうの人は思っちゃうわけですよ。
こういうズル賢い策略にはまったらアカンのです。日本人の宗教心と中国人の宗教心が水と油だ、ということまで、欧米人には見透かされてるんだから。
なので、別に「仲良く」まではしなくてもいいけど、協力したり、手を組んだりするのはどんどんしたら良いんだよなって思う。「アジア人同士争わず」だ。ああ、副島隆彦さんの提言は、やっぱり優れとるなぁ。感服してしまう。
中国の電車の中はゴミ溜めのようだし、中国産の食品は、なんだかんだいってもやっぱり不安だし、どうしても彼らの事はあまり好きにはなれないのですが、でもやっぱりお隣の国とは仲良くしなくちゃアカンのよな。結局はそこに行く。
嫌いだなぁという自分の感情を否定する必要はないと思うけど、そこをわざわざ拡大する必要もない。相性のあわん奴はおるよ。それはしょうがない。ま、是々非々で考えて行きましょうや。
そういう気がする。
ちょっと前に、マスキングテープを手帳類のインデックスにオススメしましたが。
●ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
前言撤回します。
もっと良いモノがあった!
それがコレ!
●丈夫なインデックス 686S
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686s.html
ポストイットフラッグシリーズは、前からいろいろ見てたんですが、なにより素材が薄すぎて、見出しの「耳」として使うには軟弱すぎたんですね。カバンに入れるノートや手帳の場合は「耳」がすぐに折れてしまうのですよ。全然役に立たない。
ノートは本当に繰り返し、繰り返し見るし、普段持ち歩くから、ヤワな「耳」では役に立たないんですよね。
なので、フラッグシリーズ自体を「こんな薄い素材で作りやがって、バカじゃねーの?」とあきれていて(本気でかなりバカだと思う。用途をよく考えろっていうの。)敬遠してたんですが、先日文具屋によると、けっこうしっかりとしたPOPが商品横についていて「折れ曲がらない!丈夫!」とか使用シーンの写真付きで出てたわけです。
で、すぐに「おお!やっと出たか!」と思って使ってみたら、これがもう理想的。
なにより素材自体が「厚い」。
折れ曲がりにくい!
そうよ、そうよ、こういうのが欲しかったんだよーと思いましたね。
かれこれ13~4年は待ったんじゃないの?って思う。
・貼ってはがせる
・文字も書ける
・色数もそこそこある
という基本要素は押さえた上で、
・次々に取り出しやすい
というフラッグシリーズの美点まで引き継いでいるのが、これまた良い!
いつでも気軽に「分類項目」を新設定できるというのは、パソコンで言うところの「フォルダの新規作成」の機能が、紙のノートに加わった感覚なわけです。
これはかなり良いですよ。
と、大感激してたんだけど、でもこれ、どうも新製品というようなものでもないらしいんですよね。
ニュースリリースを見ると、この商品の発売日は、今年の6月だったみたいなんですけど、
http://www.mmm.co.jp/news/2009/info/20090527.html
でも、なんか、前から類似した商品はあったみたいなんですよ。
それがこれ。
●丈夫なインデックス
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686_pgo.html
●丈夫な見出し
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686l.html
これらがどうも2007年くらいから出てたらしいのですな。
しかし、フラッグシリーズの「厚い版」として出てたから、まったく印象に残らなかったんですな。ほんとフラッグシリーズは「次々取り出せる」「薄くて持ち歩きに便利」にするために薄い薄いフィルムを使ってましたから。「こんなもん使えるか~!」と腹を立ててたくらいで。
あんな薄い素材だと、ほんとうにテンポラリな、暫定的な使い方(1週間程度)しか、役に立たないのですよ。せめてこの「丈夫な~」シリーズくらいの厚みがないと、ひと月ふた月と使う「フォルダの耳」として使えない。
で、もともと、この商品って「フォルダの耳部分」の代替商品だと僕は前から思っていて、だからなんで厚みのある素材のを作らないのか不思議でしょうがなかったわけです。
これをフラッグシリーズの「バリエーション」として出してたのか。アホやなぁ。
もう、フラッグシリーズは、全部、この厚い素材に変えろ!とすら言いたくなりますね。
これだけの厚みがあると用途そのものがかなり変わる。用途の幅がすごく広い。
なので、この新しい「丈夫なインデックス 686S」の方は、かなりいろんなところに使えると思います。僕が自信を持っておすすめします。
それと、前から出ていた「丈夫な~」は、枚数も多くて価格も高いのですよ。
これも訳がわからない。
厚いということは長持ちするんだから、一枚の使用期間が長くなる。だから枚数はたくさんは必要ないんよね。なのに、たぶん他のフラッグシリーズと枚数を合わせたんやろなぁと。何をアホなことしてるんやろ?って思う。
どうもスリーエムはやることが良く分からない。
今回の686sは枚数が半分になって、値段も半分になってます。正しい。
やっとマーケティングリサーチができてきたって事ですかね。
商品開発やら、販売促進のケーススタディとしても参考になるお話しですなぁ。前の商品は販売までパッケージで考えてなかったのが失敗の原因だったってことでしょう。そこまで考えるのが当然の時代になってるのに。ふ~。
ともあれ、「丈夫なインデックス 686S」は、かなりオススメできます。
システム手帳など、バインダーノート類を使う人には必須のツールでしょう。
これは良いです。
●ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/
前言撤回します。
もっと良いモノがあった!
それがコレ!
●丈夫なインデックス 686S
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686s.html
ポストイットフラッグシリーズは、前からいろいろ見てたんですが、なにより素材が薄すぎて、見出しの「耳」として使うには軟弱すぎたんですね。カバンに入れるノートや手帳の場合は「耳」がすぐに折れてしまうのですよ。全然役に立たない。
ノートは本当に繰り返し、繰り返し見るし、普段持ち歩くから、ヤワな「耳」では役に立たないんですよね。
なので、フラッグシリーズ自体を「こんな薄い素材で作りやがって、バカじゃねーの?」とあきれていて(本気でかなりバカだと思う。用途をよく考えろっていうの。)敬遠してたんですが、先日文具屋によると、けっこうしっかりとしたPOPが商品横についていて「折れ曲がらない!丈夫!」とか使用シーンの写真付きで出てたわけです。
で、すぐに「おお!やっと出たか!」と思って使ってみたら、これがもう理想的。
なにより素材自体が「厚い」。
折れ曲がりにくい!
そうよ、そうよ、こういうのが欲しかったんだよーと思いましたね。
かれこれ13~4年は待ったんじゃないの?って思う。
・貼ってはがせる
・文字も書ける
・色数もそこそこある
という基本要素は押さえた上で、
・次々に取り出しやすい
というフラッグシリーズの美点まで引き継いでいるのが、これまた良い!
いつでも気軽に「分類項目」を新設定できるというのは、パソコンで言うところの「フォルダの新規作成」の機能が、紙のノートに加わった感覚なわけです。
これはかなり良いですよ。
と、大感激してたんだけど、でもこれ、どうも新製品というようなものでもないらしいんですよね。
ニュースリリースを見ると、この商品の発売日は、今年の6月だったみたいなんですけど、
http://www.mmm.co.jp/news/2009/info/20090527.html
でも、なんか、前から類似した商品はあったみたいなんですよ。
それがこれ。
●丈夫なインデックス
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686_pgo.html
●丈夫な見出し
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686l.html
これらがどうも2007年くらいから出てたらしいのですな。
しかし、フラッグシリーズの「厚い版」として出てたから、まったく印象に残らなかったんですな。ほんとフラッグシリーズは「次々取り出せる」「薄くて持ち歩きに便利」にするために薄い薄いフィルムを使ってましたから。「こんなもん使えるか~!」と腹を立ててたくらいで。
あんな薄い素材だと、ほんとうにテンポラリな、暫定的な使い方(1週間程度)しか、役に立たないのですよ。せめてこの「丈夫な~」シリーズくらいの厚みがないと、ひと月ふた月と使う「フォルダの耳」として使えない。
で、もともと、この商品って「フォルダの耳部分」の代替商品だと僕は前から思っていて、だからなんで厚みのある素材のを作らないのか不思議でしょうがなかったわけです。
これをフラッグシリーズの「バリエーション」として出してたのか。アホやなぁ。
もう、フラッグシリーズは、全部、この厚い素材に変えろ!とすら言いたくなりますね。
これだけの厚みがあると用途そのものがかなり変わる。用途の幅がすごく広い。
なので、この新しい「丈夫なインデックス 686S」の方は、かなりいろんなところに使えると思います。僕が自信を持っておすすめします。
それと、前から出ていた「丈夫な~」は、枚数も多くて価格も高いのですよ。
これも訳がわからない。
厚いということは長持ちするんだから、一枚の使用期間が長くなる。だから枚数はたくさんは必要ないんよね。なのに、たぶん他のフラッグシリーズと枚数を合わせたんやろなぁと。何をアホなことしてるんやろ?って思う。
どうもスリーエムはやることが良く分からない。
今回の686sは枚数が半分になって、値段も半分になってます。正しい。
やっとマーケティングリサーチができてきたって事ですかね。
商品開発やら、販売促進のケーススタディとしても参考になるお話しですなぁ。前の商品は販売までパッケージで考えてなかったのが失敗の原因だったってことでしょう。そこまで考えるのが当然の時代になってるのに。ふ~。
ともあれ、「丈夫なインデックス 686S」は、かなりオススメできます。
システム手帳など、バインダーノート類を使う人には必須のツールでしょう。
これは良いです。
クルマのドライバーは自転車に乗る責任があると思う。
2009年10月21日 自転車この間から思ってるのは、こういうこと。
クルマのドライバーこそが、クルマを降りて自転車に乗って欲しいなぁってことですね。
というのは、自転車に乗ってると良くわかるんですが、自転車乗りにもまともな人とまともでない人がいて、その差は、大きくは「免許を持っているかどうか」の違いが、けっこう大きいのだってことなんですよ。
自転車は無免許で乗れます。だから、ルールの解釈が「世の中を見て真似してる」だけなんですね。他に基準はないんです。
だから、クルマのドライバーが、クルマから降りて、順法で(車道を)自転車で走るようにするのが一番なんです。それを見て無免許の人が真似るわけだから。無免許の人が原則なしに走るから、その原則無しを真似る人が増えて、自転車乗りの世界がグチャグチャになってるわけです。
だから免許を持ってる=原則を知ってる人が、自転車「にも」乗って、お手本を示さないといけないんです。これはひとつの「責任」ですらあると思うよなぁ。
先日の「自転車会議!」という本には、「日本の都市の中で一番走りやすい都市はどこか?」という話が載っていて、結局それは東京なんじゃないのか?って話になったわけです。
なんでか?
実はそれは「自転車は車道を走るモノ」という納得が、クルマ乗りの方に浸透してる度合いが高いからなんですね。自転車を敵視して、追い越したところで、最近のスポーツバイクだと、信号でかなりの場合追いつかれてしまう。道がクルマで混んでいたら、自転車に追い抜かれることもザラなのだ、とよ~~く知ってるわけです。信号の多い、都市空間では「おれはクルマに乗ってるエライ人間なのだ!」というようなクラクション鳴らしみたいな振る舞いが、まーったくの無意味なのだと、了承しているドライバーが多いってことなんですよ。
そこまで自転車の優位性、街の中での自転車の速さを知ってしまえば、自分がクルマから降りて、時には自転車で移動してみるという事まで、ほんとうにほんの一歩でしかないと思うんですよね。
で、実際、「良い自転車ドライバー」になるためには、道路交通法規をある程度知っているとか、クルマで走る時のクルマの側の「常識・マナー」を知っている事が必須の知識になるわけですよ。だから、それを無免許の人の前で披瀝する人がどうしても必要なわけです。
で、その人材ってのは山ほどいて、それはクルマのドライバーさん、あんたなんだよって事です。
自分が動けば、手本を示せて、社会が変わるんです。
だから、あなたが自分でやりなさいって事ですね。
そしたら、クルマで走る時も無茶な自転車乗りが減って、快適に走れるわけです。
悪いことなどひとつもない。
ベストの方法です。
かっこ悪いなぁと思ったのが、勝間和代さんが「走りにくい街」の代表として挙げてたのが「大阪」だったってことで。
これがまた良く分かる。
大阪は本当に、走りにくい。
無免許のママチャリ乗りが、道路を逆走して走ってくるとか、ものすごく多いし。なんせ大阪市内の道路のかなり多くの幹線道路が一方通行なので、「自転車は進行方向の左側を走る」というルール自体が成立してないんですね。どうしたってクルマの流れに逆らった逆走をせざるを得ない事が多くて、そうなると、「左端走行」が守られなくなるんですなぁ。
大阪はかなり最悪。
でもね。
じゃあ、そういうルール無用の無免許の自転車乗りをどうしたらいいかというと、やっぱりそれは、免許を持ってキチンと自転車にのるまともな自転車乗りが増えることがベストなわけですよ。そうなれば、「見て真似る」だけだから、まともな自転車乗りの真似を、みんなが真似するんです。
で、そういう時に模範になれるのは、やっぱり、キチンと自動車免許を取得したクルマに乗った経験のある人なわけです。
免許を取得した上で、自動車で道路を走った経験のある人でないと、無免許で自転車に乗っている人の「あまりの無法ぶり」が理解できないんですね。無免許で自転車に乗ってる人は、何も教えられてなくて、回りを見て真似てるだけだから、自分が「あまりに無法である」という事自体がわかってないわけです。
そういう時にベストなのは「手本」を見せる事です。手本を知らないと、これはできない。で、クルマに乗ってる人は、まぁ自転車に乗っても「順法で走ろう」という意識さえ持てば、いきなり、かなりの優良自転車ドライバーになれますよ。
でも、それはクルマに乗ったままだと、何の解決にもならず、よりいっそう自転車と車の溝を深める事にしかならないわけです。
よく日曜日しかクルマに乗らないドライバーが、平気で自転車にパパパパパパーってクラクションを鳴らしてるけど、それはもう、愚の骨頂なわけです。相手は自動車免許を持ってないおばちゃんだったりするんだから。鳴らすだけ無意味なんです。(鳴らす事自体が、安全速度義務違反なんだけどね。)
結局、人間は、クルマのドライバーである時間もあれば、歩行者である時もあるわけで、それと同じく、自転車のドライバーであるという時間も増やせば良いのです。だから、なんでもかんでもクルマで移動して、自転車に乗りもしないで問題を深刻化させたりせずに、
●クルマから降りて、自転車に乗ればいい。
んですよ。
男女の問題は、男が女になることは不可能に近いので、簡単に相手の立場はわからないんですが、自転車と車の問題は、いくらでも立場は変えられるんです。
だから、自動車に乗っていて、自転車の無法ぶりにイラつくような人は、まず真っ先に自分がクルマから降りて自転車に乗ればいいんです。それが一番早い。
で、自動車のルールを体得した意識で、自転車を「クルマの一種」と自覚した自転車走行を、そういうオバチャンに「手本」として見せれば良いのです。
それだけの話です。
そういうまともな自転車乗りが増えれば、「見て学ぶ」だけの層もまともになっていきます。
だから、免許持ちこそ、自転車に乗らなきゃダメだと思うんですよね。
実際、クルマに乗ってる人は、道路という公的な空間を、徒歩オンリーの人間より多く塞いでいるわけです。
なのであれば、無免許自転車乗りを、正しく教育する責任だってあるって事ですよ。
ましてや、その教育をやれば、
●無謀な自転車乗りが減って、クルマで運転するときも快適に走れる。
というクルマの運転者にも大きな大きなメリットが生まれるわけですよ。免許を持ってるクルマ乗りが、自転車で手本を示す、という事をしなければ、こういう「快適に走れる道路」という環境も生まれて来ないわけです。
自分の快適は自分で作れば良い、というだけの簡単な話なわけです。
こういう当たり前の事がわかっていないのが問題なんです。
大事なのはクルマと自転車を分けることではなくて、いかに道路をみんなで上手に活用するか?って事なんですよね。
晴れた日で、荷物もなく、移動するのが都市部の市内で、移動距離15km以内なら、圧倒的に自転車の方が快適だし早いし、健康にも良いわけです。
雨の日や、荷物がある時や、ちょっと遠出をする時、あるいは単に気持ちよくクルマに乗ってストレス解消したい時はクルマに乗ったらいいんです。
しかし、そうじゃないときは自転車の方が便利で、しかも模範運転をしたら無免許ママチャリライダーへの教育効果まで出てくるんだから、自転車に乗らない方がおかしい。
だから自動車のドライバーである人、日常的にクルマに良く乗る人ほど、必要に応じて、正しく自転車に乗るべきなんですよ。
そうすれば、
●道路空間が空くので、クルマが走りやすくなる。
という、もっとも重要な変化が出てくるわけです。
渋滞の不快さを一番感じているのはクルマのドライバーでしょう? なら、自分で解決すれば良いのです。用事のない時は自転車で移動するようにする。それをドライバーの常識にする。そしてできる限り順法で車道を自転車で走る。
そうするだけで、アホで危険な無免許自転車乗りの問題を緩やかに正しつつ、クルマ一台分の走りやすいスペースを他のクルマ乗りのために空ける事ができるわけです。
クルマ乗り同士が、そうやってスペースを譲れば、それはそれは道路は快適に走れるようになりますよ。自転車は自動車の7分の1のスペースしか使いませんからね。
クルマ乗りこそ自転車にキチンと乗る。そういう常識ができれば、それこそ、自分が本当に急ぐときや、快適に走りたいときに、道路を快適に使えるという、クルマ乗りにとって一番大きなメリットが生まれるわけです。
だから、免許を持っていて、自家用車に乗っている人は、よほどの用がある時以外は自転車に乗るようにするべきなんですよ。
それこそが、クルマに乗ったときの快適さを高める最上の方法なわけですから。
僕に言わせれば、自家用車には、必ずスポーツ自転車がセットで付いてくるべきだとすら思いますから。法的にスポーツ自転車の購入を義務づけたら良いのにと思う。で、用もないのに自動車には乗らない。タバコ一箱買うのにガソリンなんか燃やさない。自転車で行く。当たり前や!そんな事!
で、免許持ちは、日々道路を、歩行者よりもはるかにたくさん塞いでいる責任を痛感して、自転車に乗るときは無免許自転車乗りの「教育」にいそしむと。
そういう流れができるのが、もっともみんなが幸せになる筋道だと思いますな。
無免許自転車乗りが、こんなに、あまりに無法なのはなぜかというと、これは実は、警察がかなり悪い。そうとうに悪い。ものすごく悪い。悪辣非道なる警察組織であるということが言える。
というのは、先の「自転車会議!」にも載ってましたが、警官がやる小学生への安全交通セミナーみたいなのが、かなりの問題をはらんでるわけです。
そういうところで教えるのは「手信号」だったりするわけです。それを法律に従って教える。
で、法律上では、左折するなり、右折するなりする時に「右左折が終了するまで手信号を出し続けること」という事になってるわけです。
片手運転推奨かよ!ボケか!
っちゅう話です。
そんな危ない事、自転車に乗りたての子どもにできるわけがありません。
で、そういうルールを教えられて、街に出ると、そういう事をしてる人はひとりもいてないわけです。
こういう事があると、どういうことになるか?
「ルールは守らなくて良いものだ」
という刷り込みだけができてしまうわけですよ。
しかも小学生の時に。
これがかなりの問題なわけです。
アホでひどい運転をするママチャリライダーというのは、こういうところから生まれている。
つまり警察が元凶なんです。
だから、そういうひどい警察の問題点を解消するためにも、ベストの手段は「自動車の免許持ちが、晴れた日の1人での移動の時には、自転車に乗って理想の自転車乗りとしての手本を示す。」ことなんですよ。
法律がおかしい部分は守らなくてもいいですが、道路でどうしても車線変更して右左折しなければならない時は曲がる前に手信号を出して後ろのクルマに知らせ、曲がる時はしっかりハンドルをホールドするという、当たり前の行為を、道を歩く子ども達の前で見せる、という事です。
そうすれば、5年後、10年後、その子たちが大きくなった時にたとえ免許を持っていなくても、まともな自転車乗りになって、クルマに乗っている人自身が、無謀な自転車乗りに、怖い思いをしなくて済むというわけです。
これ以外に正解はありません。
ちゅうことで、クルマに乗ってる人は、即、良い自転車を買って自転車で移動すること。
それをしない人は全員、自分のクビをしめてるというだけの話です。
はい。
クルマのドライバーこそが、クルマを降りて自転車に乗って欲しいなぁってことですね。
というのは、自転車に乗ってると良くわかるんですが、自転車乗りにもまともな人とまともでない人がいて、その差は、大きくは「免許を持っているかどうか」の違いが、けっこう大きいのだってことなんですよ。
自転車は無免許で乗れます。だから、ルールの解釈が「世の中を見て真似してる」だけなんですね。他に基準はないんです。
だから、クルマのドライバーが、クルマから降りて、順法で(車道を)自転車で走るようにするのが一番なんです。それを見て無免許の人が真似るわけだから。無免許の人が原則なしに走るから、その原則無しを真似る人が増えて、自転車乗りの世界がグチャグチャになってるわけです。
だから免許を持ってる=原則を知ってる人が、自転車「にも」乗って、お手本を示さないといけないんです。これはひとつの「責任」ですらあると思うよなぁ。
先日の「自転車会議!」という本には、「日本の都市の中で一番走りやすい都市はどこか?」という話が載っていて、結局それは東京なんじゃないのか?って話になったわけです。
なんでか?
実はそれは「自転車は車道を走るモノ」という納得が、クルマ乗りの方に浸透してる度合いが高いからなんですね。自転車を敵視して、追い越したところで、最近のスポーツバイクだと、信号でかなりの場合追いつかれてしまう。道がクルマで混んでいたら、自転車に追い抜かれることもザラなのだ、とよ~~く知ってるわけです。信号の多い、都市空間では「おれはクルマに乗ってるエライ人間なのだ!」というようなクラクション鳴らしみたいな振る舞いが、まーったくの無意味なのだと、了承しているドライバーが多いってことなんですよ。
そこまで自転車の優位性、街の中での自転車の速さを知ってしまえば、自分がクルマから降りて、時には自転車で移動してみるという事まで、ほんとうにほんの一歩でしかないと思うんですよね。
で、実際、「良い自転車ドライバー」になるためには、道路交通法規をある程度知っているとか、クルマで走る時のクルマの側の「常識・マナー」を知っている事が必須の知識になるわけですよ。だから、それを無免許の人の前で披瀝する人がどうしても必要なわけです。
で、その人材ってのは山ほどいて、それはクルマのドライバーさん、あんたなんだよって事です。
自分が動けば、手本を示せて、社会が変わるんです。
だから、あなたが自分でやりなさいって事ですね。
そしたら、クルマで走る時も無茶な自転車乗りが減って、快適に走れるわけです。
悪いことなどひとつもない。
ベストの方法です。
かっこ悪いなぁと思ったのが、勝間和代さんが「走りにくい街」の代表として挙げてたのが「大阪」だったってことで。
これがまた良く分かる。
大阪は本当に、走りにくい。
無免許のママチャリ乗りが、道路を逆走して走ってくるとか、ものすごく多いし。なんせ大阪市内の道路のかなり多くの幹線道路が一方通行なので、「自転車は進行方向の左側を走る」というルール自体が成立してないんですね。どうしたってクルマの流れに逆らった逆走をせざるを得ない事が多くて、そうなると、「左端走行」が守られなくなるんですなぁ。
大阪はかなり最悪。
でもね。
じゃあ、そういうルール無用の無免許の自転車乗りをどうしたらいいかというと、やっぱりそれは、免許を持ってキチンと自転車にのるまともな自転車乗りが増えることがベストなわけですよ。そうなれば、「見て真似る」だけだから、まともな自転車乗りの真似を、みんなが真似するんです。
で、そういう時に模範になれるのは、やっぱり、キチンと自動車免許を取得したクルマに乗った経験のある人なわけです。
免許を取得した上で、自動車で道路を走った経験のある人でないと、無免許で自転車に乗っている人の「あまりの無法ぶり」が理解できないんですね。無免許で自転車に乗ってる人は、何も教えられてなくて、回りを見て真似てるだけだから、自分が「あまりに無法である」という事自体がわかってないわけです。
そういう時にベストなのは「手本」を見せる事です。手本を知らないと、これはできない。で、クルマに乗ってる人は、まぁ自転車に乗っても「順法で走ろう」という意識さえ持てば、いきなり、かなりの優良自転車ドライバーになれますよ。
でも、それはクルマに乗ったままだと、何の解決にもならず、よりいっそう自転車と車の溝を深める事にしかならないわけです。
よく日曜日しかクルマに乗らないドライバーが、平気で自転車にパパパパパパーってクラクションを鳴らしてるけど、それはもう、愚の骨頂なわけです。相手は自動車免許を持ってないおばちゃんだったりするんだから。鳴らすだけ無意味なんです。(鳴らす事自体が、安全速度義務違反なんだけどね。)
結局、人間は、クルマのドライバーである時間もあれば、歩行者である時もあるわけで、それと同じく、自転車のドライバーであるという時間も増やせば良いのです。だから、なんでもかんでもクルマで移動して、自転車に乗りもしないで問題を深刻化させたりせずに、
●クルマから降りて、自転車に乗ればいい。
んですよ。
男女の問題は、男が女になることは不可能に近いので、簡単に相手の立場はわからないんですが、自転車と車の問題は、いくらでも立場は変えられるんです。
だから、自動車に乗っていて、自転車の無法ぶりにイラつくような人は、まず真っ先に自分がクルマから降りて自転車に乗ればいいんです。それが一番早い。
で、自動車のルールを体得した意識で、自転車を「クルマの一種」と自覚した自転車走行を、そういうオバチャンに「手本」として見せれば良いのです。
それだけの話です。
そういうまともな自転車乗りが増えれば、「見て学ぶ」だけの層もまともになっていきます。
だから、免許持ちこそ、自転車に乗らなきゃダメだと思うんですよね。
実際、クルマに乗ってる人は、道路という公的な空間を、徒歩オンリーの人間より多く塞いでいるわけです。
なのであれば、無免許自転車乗りを、正しく教育する責任だってあるって事ですよ。
ましてや、その教育をやれば、
●無謀な自転車乗りが減って、クルマで運転するときも快適に走れる。
というクルマの運転者にも大きな大きなメリットが生まれるわけですよ。免許を持ってるクルマ乗りが、自転車で手本を示す、という事をしなければ、こういう「快適に走れる道路」という環境も生まれて来ないわけです。
自分の快適は自分で作れば良い、というだけの簡単な話なわけです。
こういう当たり前の事がわかっていないのが問題なんです。
大事なのはクルマと自転車を分けることではなくて、いかに道路をみんなで上手に活用するか?って事なんですよね。
晴れた日で、荷物もなく、移動するのが都市部の市内で、移動距離15km以内なら、圧倒的に自転車の方が快適だし早いし、健康にも良いわけです。
雨の日や、荷物がある時や、ちょっと遠出をする時、あるいは単に気持ちよくクルマに乗ってストレス解消したい時はクルマに乗ったらいいんです。
しかし、そうじゃないときは自転車の方が便利で、しかも模範運転をしたら無免許ママチャリライダーへの教育効果まで出てくるんだから、自転車に乗らない方がおかしい。
だから自動車のドライバーである人、日常的にクルマに良く乗る人ほど、必要に応じて、正しく自転車に乗るべきなんですよ。
そうすれば、
●道路空間が空くので、クルマが走りやすくなる。
という、もっとも重要な変化が出てくるわけです。
渋滞の不快さを一番感じているのはクルマのドライバーでしょう? なら、自分で解決すれば良いのです。用事のない時は自転車で移動するようにする。それをドライバーの常識にする。そしてできる限り順法で車道を自転車で走る。
そうするだけで、アホで危険な無免許自転車乗りの問題を緩やかに正しつつ、クルマ一台分の走りやすいスペースを他のクルマ乗りのために空ける事ができるわけです。
クルマ乗り同士が、そうやってスペースを譲れば、それはそれは道路は快適に走れるようになりますよ。自転車は自動車の7分の1のスペースしか使いませんからね。
クルマ乗りこそ自転車にキチンと乗る。そういう常識ができれば、それこそ、自分が本当に急ぐときや、快適に走りたいときに、道路を快適に使えるという、クルマ乗りにとって一番大きなメリットが生まれるわけです。
だから、免許を持っていて、自家用車に乗っている人は、よほどの用がある時以外は自転車に乗るようにするべきなんですよ。
それこそが、クルマに乗ったときの快適さを高める最上の方法なわけですから。
僕に言わせれば、自家用車には、必ずスポーツ自転車がセットで付いてくるべきだとすら思いますから。法的にスポーツ自転車の購入を義務づけたら良いのにと思う。で、用もないのに自動車には乗らない。タバコ一箱買うのにガソリンなんか燃やさない。自転車で行く。当たり前や!そんな事!
で、免許持ちは、日々道路を、歩行者よりもはるかにたくさん塞いでいる責任を痛感して、自転車に乗るときは無免許自転車乗りの「教育」にいそしむと。
そういう流れができるのが、もっともみんなが幸せになる筋道だと思いますな。
無免許自転車乗りが、こんなに、あまりに無法なのはなぜかというと、これは実は、警察がかなり悪い。そうとうに悪い。ものすごく悪い。悪辣非道なる警察組織であるということが言える。
というのは、先の「自転車会議!」にも載ってましたが、警官がやる小学生への安全交通セミナーみたいなのが、かなりの問題をはらんでるわけです。
そういうところで教えるのは「手信号」だったりするわけです。それを法律に従って教える。
で、法律上では、左折するなり、右折するなりする時に「右左折が終了するまで手信号を出し続けること」という事になってるわけです。
片手運転推奨かよ!ボケか!
っちゅう話です。
そんな危ない事、自転車に乗りたての子どもにできるわけがありません。
で、そういうルールを教えられて、街に出ると、そういう事をしてる人はひとりもいてないわけです。
こういう事があると、どういうことになるか?
「ルールは守らなくて良いものだ」
という刷り込みだけができてしまうわけですよ。
しかも小学生の時に。
これがかなりの問題なわけです。
アホでひどい運転をするママチャリライダーというのは、こういうところから生まれている。
つまり警察が元凶なんです。
だから、そういうひどい警察の問題点を解消するためにも、ベストの手段は「自動車の免許持ちが、晴れた日の1人での移動の時には、自転車に乗って理想の自転車乗りとしての手本を示す。」ことなんですよ。
法律がおかしい部分は守らなくてもいいですが、道路でどうしても車線変更して右左折しなければならない時は曲がる前に手信号を出して後ろのクルマに知らせ、曲がる時はしっかりハンドルをホールドするという、当たり前の行為を、道を歩く子ども達の前で見せる、という事です。
そうすれば、5年後、10年後、その子たちが大きくなった時にたとえ免許を持っていなくても、まともな自転車乗りになって、クルマに乗っている人自身が、無謀な自転車乗りに、怖い思いをしなくて済むというわけです。
これ以外に正解はありません。
ちゅうことで、クルマに乗ってる人は、即、良い自転車を買って自転車で移動すること。
それをしない人は全員、自分のクビをしめてるというだけの話です。
はい。
才能と努力。得意なことと好きなこと。見極めるためのノート。
2009年10月26日 ●ノート・文具 コメント (2)最近は、「自分を活かす」ということがどういう事なのか、だんだんわからなくなってきております。
人にはそれぞれ才能があって、才能を活かした分野で活躍をするのが幸せなはずなんですけど、しかし、その才能を活かすための努力が「楽しい」と感じられないのだとしたら、それは単に「得意」なだけで、長期に渡って努力することは不可能だろうと思われるわけですね。
逆に、いくら才能がない、向いてないジャンルの事柄でも「楽しいなぁ」という実感さえ得られれば、ずっと努力し続けることができる。
結局は、好きなことと得意なことのどちらを選んで積み重ねていくのが良いかというと、やはり好きなことを選ぶのが賢いのだ、という話を良く聞くわけです。
それは確かにそうだよなぁとは思うのですが、でも、本当に自分に才能がない分野で、しかも、やたらと「下手の横好き」なだけだったとしたら、それはやっぱり、ムダにしかならないんじゃないか?とかも思うわけです。
残り人生が少なくなってくると、よけいに無駄な時間を費やしてはいけないと思う訳ですが、本当に才能のない分野でも、伸びが期待できない分野であっても、やっぱり、得意な事より好きな事をした方がいいのだろうか? と、やたらと堂々巡りする考えにとらわれてしまいますね。
でも、それでもやっぱり、やってる事自体が楽しいのであれば、楽しさの方を優先するべきなんでしょうね。
少なくとも、その事をやっている間は楽しい訳ですし、また、自分が楽しんでいる間は、回りも幸せなわけですから。
で、自分が本当にやりたい事があるにもかかわらず、何かに逃げ込んでそればっかりやってるというのは、やっぱりそれは、回りにとってすごく迷惑な事だし、その人にとってもものすごく不幸な事なんだろうなぁという風に思います。
そういう意味では、いったい自分が本当に好きなこと、やりたいことは何なんだろう?と自分を見つめ直すということが、ものすごく大事だなぁと、最近はよく思います。
意外にも、自分が本当にやりたいこと、やって楽しいと思えること、楽しいからこそ生きている意味を実感できること、を、見つけられないままに生きている人はすごく多いと思うんですね。
昔、仕事仲間で仕事上でWindowsをパソコンにインストールする必要があって、いろいろ設定もしなければならないわけですが、その過程でマインスイーパーにはまってしまって、えんえん一週間くらい抜け出せなくなってた男がいてるんですけど、なんか人間ってそういうところがあると思うんですよね。その男は、それほどゲーム好きのゲーマーというわけではなかったんですよ。でも、本質を見るということを忘れちゃってたわけでしてね。
でも、多くの人間が、そういう状況なんだろうなぁとしみじみと思います。
この日記でもちょくちょく書いてるAC=アダルトチルドレンの事にしても同じ事ですよね。自分を生きるのではなく、関係性に振り回されてるとか、まぁそういうことだと思います。
なかなか、自分の「楽しさ」を優先して生きていくというのは簡単にできるように見えて、実行するには、人生には、枝葉、脇道、回り道、迷路が多すぎて、貫き通すのもまた難しいように思います。
でも楽しさを上手に貫き通せば、たぶんイチローみたいなところまで行くんだろうなぁという気はしますよねぇ。ずっと永遠に努力し続けられる、努力する事自体が楽しみなわけですからねぇ。
最近、ここの日記でも、よくノートとかの文房具の事を話題に出してますけど、ようはそれも、自分がしたい事を見つけるのに、ノートに書き出してみるというのは、かなり有用だよなぁと思うからであるのです。
まず、自分の好みの手帳なりノートなりを見つけて、そこにどんどん自分の夢やら好きなことやりたいことを書いてみる。
ただそれだけで、かなり自分の想いというものは整理されるし、何を好きなのか?ということを確かめるためには効果がありますからね。
なによりついマインスイーパーをやり続けてしまうというような脇道の迷路にはまりこんでしまう事は防げます。
だから、まず、いろいろと、自分の好きなこと、やりたいこと、夢などを、まずは書き出してみることなんじゃないかなぁとは思いますね。
いや、いったい誰に言ってるんだろ?
あ、自分か。
おそまつ。
人にはそれぞれ才能があって、才能を活かした分野で活躍をするのが幸せなはずなんですけど、しかし、その才能を活かすための努力が「楽しい」と感じられないのだとしたら、それは単に「得意」なだけで、長期に渡って努力することは不可能だろうと思われるわけですね。
逆に、いくら才能がない、向いてないジャンルの事柄でも「楽しいなぁ」という実感さえ得られれば、ずっと努力し続けることができる。
結局は、好きなことと得意なことのどちらを選んで積み重ねていくのが良いかというと、やはり好きなことを選ぶのが賢いのだ、という話を良く聞くわけです。
それは確かにそうだよなぁとは思うのですが、でも、本当に自分に才能がない分野で、しかも、やたらと「下手の横好き」なだけだったとしたら、それはやっぱり、ムダにしかならないんじゃないか?とかも思うわけです。
残り人生が少なくなってくると、よけいに無駄な時間を費やしてはいけないと思う訳ですが、本当に才能のない分野でも、伸びが期待できない分野であっても、やっぱり、得意な事より好きな事をした方がいいのだろうか? と、やたらと堂々巡りする考えにとらわれてしまいますね。
でも、それでもやっぱり、やってる事自体が楽しいのであれば、楽しさの方を優先するべきなんでしょうね。
少なくとも、その事をやっている間は楽しい訳ですし、また、自分が楽しんでいる間は、回りも幸せなわけですから。
で、自分が本当にやりたい事があるにもかかわらず、何かに逃げ込んでそればっかりやってるというのは、やっぱりそれは、回りにとってすごく迷惑な事だし、その人にとってもものすごく不幸な事なんだろうなぁという風に思います。
そういう意味では、いったい自分が本当に好きなこと、やりたいことは何なんだろう?と自分を見つめ直すということが、ものすごく大事だなぁと、最近はよく思います。
意外にも、自分が本当にやりたいこと、やって楽しいと思えること、楽しいからこそ生きている意味を実感できること、を、見つけられないままに生きている人はすごく多いと思うんですね。
昔、仕事仲間で仕事上でWindowsをパソコンにインストールする必要があって、いろいろ設定もしなければならないわけですが、その過程でマインスイーパーにはまってしまって、えんえん一週間くらい抜け出せなくなってた男がいてるんですけど、なんか人間ってそういうところがあると思うんですよね。その男は、それほどゲーム好きのゲーマーというわけではなかったんですよ。でも、本質を見るということを忘れちゃってたわけでしてね。
でも、多くの人間が、そういう状況なんだろうなぁとしみじみと思います。
この日記でもちょくちょく書いてるAC=アダルトチルドレンの事にしても同じ事ですよね。自分を生きるのではなく、関係性に振り回されてるとか、まぁそういうことだと思います。
なかなか、自分の「楽しさ」を優先して生きていくというのは簡単にできるように見えて、実行するには、人生には、枝葉、脇道、回り道、迷路が多すぎて、貫き通すのもまた難しいように思います。
でも楽しさを上手に貫き通せば、たぶんイチローみたいなところまで行くんだろうなぁという気はしますよねぇ。ずっと永遠に努力し続けられる、努力する事自体が楽しみなわけですからねぇ。
最近、ここの日記でも、よくノートとかの文房具の事を話題に出してますけど、ようはそれも、自分がしたい事を見つけるのに、ノートに書き出してみるというのは、かなり有用だよなぁと思うからであるのです。
まず、自分の好みの手帳なりノートなりを見つけて、そこにどんどん自分の夢やら好きなことやりたいことを書いてみる。
ただそれだけで、かなり自分の想いというものは整理されるし、何を好きなのか?ということを確かめるためには効果がありますからね。
なによりついマインスイーパーをやり続けてしまうというような脇道の迷路にはまりこんでしまう事は防げます。
だから、まず、いろいろと、自分の好きなこと、やりたいこと、夢などを、まずは書き出してみることなんじゃないかなぁとは思いますね。
いや、いったい誰に言ってるんだろ?
あ、自分か。
おそまつ。
そろそろ来年の手帳が街にあふれ出す季節になりました。
が、どうも最近、僕の場合は、ツイストリングノートを使い出してから「手帳」というものを使わなくなりつつあるんですよ。
というか、正確には
●ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
でも紹介した、「B5八折り胸ポケメモ」ばっかり使うようになったから、ということなんですね。
B5サイズの用紙を八折りにしますと、B8というサイズになりまして、これがほぼ名刺と同じサイズなんです。
で、これを胸ポケットに入れておくと、参照するにしても、メモを取るにしても、ちょっとした一週間以内の予定をメモするにも、まぁ間に合います。
「マメにメモするには手帳が便利だ」とか言って、みんな手帳を勧めるわけですが、実は手帳は背広やジャケットのポケットには収まっても、ワイシャツの胸ポケットには入らないわけですよ。
これがどう言うことかというと、実はけっこう盲点になっている部分がありまして、「夏の暑い時期には手帳の利便性が下がる」ということなんですね。
これねぇ、文具好きの私が、手帳を長年いろいろ使ってきた経験から言うと、手帳選びにおけえる、かなり重要なポイントだと思ってるんです。一年という大変ベーシックな基本単位において、環境に関係なく安定して使えるかどうか? という問題ですから、本当はかなり重要な話のはずなんですよね。でも、その重要なチェックポイントが、意外に見過ごされているんですよ。
というのは、手帳というのはスケジューラーとして使うという側面があるので、どうしても季節の変わり目に新発売されて、購入する人たちも秋から冬にかけて買うって場合が多いからなんですね。
まぁ、せいぜい「4月はじまり手帳」を2月3月に買うとか、年末の手帳商戦がどんどん前倒しになって10月、9月になって新製品が登場する、というところまでなので、暑い暑い、夏の時期にスケジュール手帳やら、メモ取りのための手帳やらについて考える機会自体がないんです。
つまり、ようは、「大きなポケットのついたジャケットを着ている時期」にしか手帳は売られていないし、「検討」もその時期にしかしていないって事なんです。
自分の服にポケットがある状態で手帳選びをして、「よし、この手帳で、仕事の情報を、ずっとマメにメモするぞ。」とか思ってるわけです。
でも、夏になったらどうすんのよ! って事でして。夏の暑い間も、ポケットのあるジャケット着るつもり? そうするつもりなら、いいけど、そうでなけりゃ、結局手帳はカバンの中に入れるノートと同じになっちゃうんだよ? って事なんですね。ならノートでもおんなじでしょうが。いや逆に面積が広い分、ノートの方が便利だよって事になるわけです。
でも、自分がいま着ている服を基準にしているから、そういうところにまで、頭が回らないわけですよ。
なので、手帳というのは、小さくてもせいぜい名刺の倍のサイズのB7以上のサイズになりまして、「ジャケットのポケットに入るサイズ」というけっこう中途半端なサイズが基準になってしまうわけです。
いやー、それでは夏の間がけっこう問題なんだよなー、って僕は思うんですけどね。
そういう意味では「手帳」というシステムは、「通年で同一環境で使う」という、もっとも基本的な要件自体を満たしていない設計ミス製品なのだ、とすら言えてしまう存在だったりするわけです。恐ろしいことに。
スケジューラーとしても問題ですけど、メモを取るとか、思索を深めるというような事を考えても、手帳のサイズというのは、じっくり文章を書くには小さく、胸ポケットの納める機動性も低いという中途半端な存在になってしまうわけです。
アイディアを拾う、というような作業は、いついかなる時に出てくるかわかりませんから、徹底した機動性が必要で、本当は携帯するメモ帳には、そういう部分での情報集約ツールの役割を満たしていないといけないんですね。でも、手帳は夏場には、そういう使い方ができないってことになるわけです。
ところが!
僕が使ってる「胸ポケメモ」は、この5月あたりから、暫定的にテキトーに使ってみただけの仕組みなんですけど、夏の暑い時期もラクラク乗り越えて、何を意識することもなく、まったく手順やら使いこなしやらの工夫をすることもなく、11月になろうとしている今も、同じやり方を変えずに、いまだに使えておるわけです。
まぁ、いちおう胸ポケットのある服でないと使えないですけどね。Tシャツ一枚で過ごしたい人には向きません。でも、「胸ポケット」程度なら、夏の服にもどこかにはついてるでしょう。そこに充分おさまるということです。
結局、定期とか、キャッシュカードとか、名刺とかで使われている、このB8くらいのサイズが、持ち歩きする情報媒体としては、スタンダードのサイズなんじゃないの?という気がするわけですよ。(そういう意味では例の超整理手帳は惜しい!紙を折るなら、いっそ八折りにした方が、使い勝手は飛躍的に高まりますって。間違いなく。)
で、実は、上記の「胸ポケメモ」以前に、私は名刺サイズの情報カードというものをずっと愛用しておりまして、ようよう考えてみれば、日常の各種メモツールの中でも、実はこの名刺サイズの情報カードをいちばんよく使ってるんじゃないかなぁと思うわけです。
名刺サイズの情報カードは、100枚セットで230円とかで売ってますので、
●情報カード 名刺サイズ 無地 C-211
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B0018HGSLY
これを何束も買ってきて、事務所の机の上とか、自宅のテーブルの上とか、食卓や寝床、トイレの中にまで、筆記具とともに置いてあるんですね。これがまぁ本当に便利でして。使いこなしにはそれなりに慣れが必要だろうとは思いますが、テンポラリな情報の取り扱いにはすごく使い勝手が良いです。
で、街なかを歩いている時でも、けっこうメモを取るのは名刺サイズの情報カードということが多いのですよ。
情報カードをダブルクリップでまとめておくだけでも、充分に使えるメモ帳になるんですが、まぁ僕の場合は、カードの取り出しもしやすいので、いちおう情報カードケースに入れて使っております。(写真で紹介したようなもの)
●メモパース (名刺サイズ) 発砲塩ビ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B0018HJXCA
まぁ、このカードケースは、気に入ってるわけでもないんですが、他に良いものもないもので。
で、実は、先に紹介したB5八折り胸ポケメモの週間スケジュールも、このカードケースにちょうど収まるので収納しておるのです。
(というのは自転車に乗るようになったから、いつでもメモが取れる、見れる、というのが必要、ということもあったのですが。)
ともあれ、おおむね、この仕組みで夏を乗り切れたし、このまま冬の環境でも使ってみようかなと思っておるのであります。手帳を買うなら、夏の事も考えて仕組み化しないとダメなんですよね。いや、ほんま。
そんなことで。
が、どうも最近、僕の場合は、ツイストリングノートを使い出してから「手帳」というものを使わなくなりつつあるんですよ。
というか、正確には
●ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/
でも紹介した、「B5八折り胸ポケメモ」ばっかり使うようになったから、ということなんですね。
B5サイズの用紙を八折りにしますと、B8というサイズになりまして、これがほぼ名刺と同じサイズなんです。
で、これを胸ポケットに入れておくと、参照するにしても、メモを取るにしても、ちょっとした一週間以内の予定をメモするにも、まぁ間に合います。
「マメにメモするには手帳が便利だ」とか言って、みんな手帳を勧めるわけですが、実は手帳は背広やジャケットのポケットには収まっても、ワイシャツの胸ポケットには入らないわけですよ。
これがどう言うことかというと、実はけっこう盲点になっている部分がありまして、「夏の暑い時期には手帳の利便性が下がる」ということなんですね。
これねぇ、文具好きの私が、手帳を長年いろいろ使ってきた経験から言うと、手帳選びにおけえる、かなり重要なポイントだと思ってるんです。一年という大変ベーシックな基本単位において、環境に関係なく安定して使えるかどうか? という問題ですから、本当はかなり重要な話のはずなんですよね。でも、その重要なチェックポイントが、意外に見過ごされているんですよ。
というのは、手帳というのはスケジューラーとして使うという側面があるので、どうしても季節の変わり目に新発売されて、購入する人たちも秋から冬にかけて買うって場合が多いからなんですね。
まぁ、せいぜい「4月はじまり手帳」を2月3月に買うとか、年末の手帳商戦がどんどん前倒しになって10月、9月になって新製品が登場する、というところまでなので、暑い暑い、夏の時期にスケジュール手帳やら、メモ取りのための手帳やらについて考える機会自体がないんです。
つまり、ようは、「大きなポケットのついたジャケットを着ている時期」にしか手帳は売られていないし、「検討」もその時期にしかしていないって事なんです。
自分の服にポケットがある状態で手帳選びをして、「よし、この手帳で、仕事の情報を、ずっとマメにメモするぞ。」とか思ってるわけです。
でも、夏になったらどうすんのよ! って事でして。夏の暑い間も、ポケットのあるジャケット着るつもり? そうするつもりなら、いいけど、そうでなけりゃ、結局手帳はカバンの中に入れるノートと同じになっちゃうんだよ? って事なんですね。ならノートでもおんなじでしょうが。いや逆に面積が広い分、ノートの方が便利だよって事になるわけです。
でも、自分がいま着ている服を基準にしているから、そういうところにまで、頭が回らないわけですよ。
なので、手帳というのは、小さくてもせいぜい名刺の倍のサイズのB7以上のサイズになりまして、「ジャケットのポケットに入るサイズ」というけっこう中途半端なサイズが基準になってしまうわけです。
いやー、それでは夏の間がけっこう問題なんだよなー、って僕は思うんですけどね。
そういう意味では「手帳」というシステムは、「通年で同一環境で使う」という、もっとも基本的な要件自体を満たしていない設計ミス製品なのだ、とすら言えてしまう存在だったりするわけです。恐ろしいことに。
スケジューラーとしても問題ですけど、メモを取るとか、思索を深めるというような事を考えても、手帳のサイズというのは、じっくり文章を書くには小さく、胸ポケットの納める機動性も低いという中途半端な存在になってしまうわけです。
アイディアを拾う、というような作業は、いついかなる時に出てくるかわかりませんから、徹底した機動性が必要で、本当は携帯するメモ帳には、そういう部分での情報集約ツールの役割を満たしていないといけないんですね。でも、手帳は夏場には、そういう使い方ができないってことになるわけです。
ところが!
僕が使ってる「胸ポケメモ」は、この5月あたりから、暫定的にテキトーに使ってみただけの仕組みなんですけど、夏の暑い時期もラクラク乗り越えて、何を意識することもなく、まったく手順やら使いこなしやらの工夫をすることもなく、11月になろうとしている今も、同じやり方を変えずに、いまだに使えておるわけです。
まぁ、いちおう胸ポケットのある服でないと使えないですけどね。Tシャツ一枚で過ごしたい人には向きません。でも、「胸ポケット」程度なら、夏の服にもどこかにはついてるでしょう。そこに充分おさまるということです。
結局、定期とか、キャッシュカードとか、名刺とかで使われている、このB8くらいのサイズが、持ち歩きする情報媒体としては、スタンダードのサイズなんじゃないの?という気がするわけですよ。(そういう意味では例の超整理手帳は惜しい!紙を折るなら、いっそ八折りにした方が、使い勝手は飛躍的に高まりますって。間違いなく。)
で、実は、上記の「胸ポケメモ」以前に、私は名刺サイズの情報カードというものをずっと愛用しておりまして、ようよう考えてみれば、日常の各種メモツールの中でも、実はこの名刺サイズの情報カードをいちばんよく使ってるんじゃないかなぁと思うわけです。
名刺サイズの情報カードは、100枚セットで230円とかで売ってますので、
●情報カード 名刺サイズ 無地 C-211
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B0018HGSLY
これを何束も買ってきて、事務所の机の上とか、自宅のテーブルの上とか、食卓や寝床、トイレの中にまで、筆記具とともに置いてあるんですね。これがまぁ本当に便利でして。使いこなしにはそれなりに慣れが必要だろうとは思いますが、テンポラリな情報の取り扱いにはすごく使い勝手が良いです。
で、街なかを歩いている時でも、けっこうメモを取るのは名刺サイズの情報カードということが多いのですよ。
情報カードをダブルクリップでまとめておくだけでも、充分に使えるメモ帳になるんですが、まぁ僕の場合は、カードの取り出しもしやすいので、いちおう情報カードケースに入れて使っております。(写真で紹介したようなもの)
●メモパース (名刺サイズ) 発砲塩ビ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B0018HJXCA
まぁ、このカードケースは、気に入ってるわけでもないんですが、他に良いものもないもので。
で、実は、先に紹介したB5八折り胸ポケメモの週間スケジュールも、このカードケースにちょうど収まるので収納しておるのです。
(というのは自転車に乗るようになったから、いつでもメモが取れる、見れる、というのが必要、ということもあったのですが。)
ともあれ、おおむね、この仕組みで夏を乗り切れたし、このまま冬の環境でも使ってみようかなと思っておるのであります。手帳を買うなら、夏の事も考えて仕組み化しないとダメなんですよね。いや、ほんま。
そんなことで。
mixiの方で、お知り合いがデジタルフォトフレームについて書いておられまして。
で、値段が8900円とかだとおっしゃってたわけです。
「え?そんなに安くてそれなりの画質のがあるの?」と思って気になって、いろいろ見てたんですね。
というのは、母親が一人暮らしなんですが、たまに携帯で写真を撮ったりはしてるし、僕も記念写真を撮ってやっては、プリントして渡してやったりもしてるんですが、多くのデータがあるのに全部を渡してるわけでもないわけです。
なにより、自分で写真を撮る気があるなら、出歩いていろいろ撮影すれば、運動にもなる良いなと思って、「歩かなアカンで~」とかは言ってるわけですが、まぁ目的もなしには、なかなか歩けんわなぁと思いまして。
だから写真を撮るというのを、もうちょっとやったら良いのになぁと思ってたんですね。
でも、携帯やデジカメで写真を撮っても、それを手軽に見る道具がないわけですわな。そうなれば、そんなにしょっちゅう撮るはずもないわけで。
かと言ってパソコンを使うとなると操作を覚えるだけでも大変だし。
そんなこんなを考えると、デジタルフォトフレームというのは、かなり良いツールだなぁと思うわけです。とりあえず、お気に入りの写真を飾っておく「写真立て」として使うだけなら、なんの手間もかからない。それだけでも楽しいし。
で、その「写真立て」の、写真の差し替えがしたい、となったら、アルバムを兼ねて大量に入れてあるメモリカードから一覧で見て選ぶだけで別の写真が飾れるわけだし、その操作も、テレビのリモコンみたいな感じで使える。
年寄りには最適のツールだなぁと思うわけですね。
でも、しかし。
そうは言っても、もしあまり使わなかったら、ただの「写真立て」で終わってしまう可能性もなきにしもあらずです。
そうなると、2万円もするようなものだと、ちょっと買うのを躊躇しちゃうんですよねぇ。
確かにSONYのデジタルフォトフレームなんかは、画質もいいし、リモコンの使い勝手も良さそうだし、魅力的は魅力的なんですが、やっぱり値段がそこそこするわけですよ。だから、まぁ気にはしつつも、ずっとスルーしてたんです。
でも、8900円と聞くと「うぬ?そのくらいなら、まぁ良いか。」という気になりまして、いろいろと製品を調べていたわけです。
で、見つけたのが表題のトランセンドのデジタルフォトフレームでして、実は、最初に書いた知り合いの方が買った8900円の商品もトランセンドの製品だったんですね。
情報収集の過程で、カメラマンの人なんかにも意見を聞いてみたけど、やっぱり「トランセンドが安くて機能も豊富」という評価は同じでした。
ちゅうことで、これを買ったのです。
●トランセンド デジタルフォトフレーム PF810
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B002UNLZCM
これは少し上位機種だったので9980円でしたけどね。それでも機能が豊富なので、問題なしでありまして。
実際、購入して、母親用に、これまでに撮ったいろいろなデジカメ写真のデータをメモリカードにまとめて、音楽とかもつけてスライドショーにしてみると、なかなか見ごたえがあるんですよ。
「おお。こりゃいいなぁ。自分用が欲しいくらいだなぁ」
とかと思ってしまったわけであります。
だいたい、時計やカレンダーにもなるので、目覚まし時計の代わりに使えるわけです。
しかも自分の好きな曲を使って目覚まし時計にできる。それだけでもかなり良いのですよ。なんで普通の目覚まし時計ってのは、あんな素っ気ないベルやら電子音ばっかりなのかと思っちゃいますよ。好きな音楽で起きれるなら、その方が楽しいに決まってる。
でも、自分で曲を指定できるような目覚まし時計って、バカみたいに値段が高かったりするわけでして。
ともあれ、このPF810は、写真の一枚表示、スライドショー、動画再生、音楽再生が自在にできて、しかもFM放送の受信もできるんですね。で、これらを組み合わせて活用できる。
ちょっとした動画ビュアーにもなるし、FM放送で起きるってなこともできるわけで、なかなかよーでけとります。
機能紹介は、トランセンドのホームページが詳しいので、こちら
●トランセンドHP デジタルフォトフレーム PF810のページ
http://www.transcend.co.jp/Products/ModDetail.asp?ModNo=219&LangNo=17&Func1No=1&Func2No=
を見ていただくとして、触ってみた範囲で欠点は唯一、
×スタンド足が縦位置・横位置で付け外しが必要
な点くらいですわ。
フレーム本体を縦横どちらに置いても、自動的に上下を判断して画像を90度回転してくれる機能はついてるのに、スタンド足は縦横共用タイプではなくて、いちいち付け外しが必要というのが、矛盾していて、よーわからん設定ですが、まぁ実用上それほど大きな問題でもないと思う。
便利な機能としては、他にも、オートパワーオフ・オンもあるし、メモリカードを入れたら自動認識するし、内蔵メモリも2Gバイトもあるから、手間なくアルバム兼ビュアーとして使える。音楽プレーヤー代わりにもなって、カレンダーに記念日とかをマーキングできたりもするし、それなりに便利。
わー、こらええわ、と思いつつ、いろいろデータをまとめたSDカードを、「試しに、一度、Wiiでも見てみよ。」と思って、「写真チャンネル」で見てみたわけです。
●Wii 写真チャンネル
http://www.nintendo.co.jp/wii/features/photo/index.html
そしたらこれが!
すごい!
実にドラマチック。
動画も一気にスライドショーのモードで見れるし。
どうも人間の顔に自動的にフォーカスが移動するみたいで、そのあたりもすばらしい。
「うわー、任天堂すごい!」と、あらためて感激しましたな。
いやま、さすがにWiiは、年寄りのデジカメビュアー代わりにはしんどいし、カレンダーや時計にもならんわけですが、さすがに任天堂はソフト屋さんやなぁと、メモリ屋さんのトランセンドとの違いを実感しましたです。
ともあれ、トランセンド デジタルフォトフレーム PF810、なかなか良かったのであります。
はい。
で、値段が8900円とかだとおっしゃってたわけです。
「え?そんなに安くてそれなりの画質のがあるの?」と思って気になって、いろいろ見てたんですね。
というのは、母親が一人暮らしなんですが、たまに携帯で写真を撮ったりはしてるし、僕も記念写真を撮ってやっては、プリントして渡してやったりもしてるんですが、多くのデータがあるのに全部を渡してるわけでもないわけです。
なにより、自分で写真を撮る気があるなら、出歩いていろいろ撮影すれば、運動にもなる良いなと思って、「歩かなアカンで~」とかは言ってるわけですが、まぁ目的もなしには、なかなか歩けんわなぁと思いまして。
だから写真を撮るというのを、もうちょっとやったら良いのになぁと思ってたんですね。
でも、携帯やデジカメで写真を撮っても、それを手軽に見る道具がないわけですわな。そうなれば、そんなにしょっちゅう撮るはずもないわけで。
かと言ってパソコンを使うとなると操作を覚えるだけでも大変だし。
そんなこんなを考えると、デジタルフォトフレームというのは、かなり良いツールだなぁと思うわけです。とりあえず、お気に入りの写真を飾っておく「写真立て」として使うだけなら、なんの手間もかからない。それだけでも楽しいし。
で、その「写真立て」の、写真の差し替えがしたい、となったら、アルバムを兼ねて大量に入れてあるメモリカードから一覧で見て選ぶだけで別の写真が飾れるわけだし、その操作も、テレビのリモコンみたいな感じで使える。
年寄りには最適のツールだなぁと思うわけですね。
でも、しかし。
そうは言っても、もしあまり使わなかったら、ただの「写真立て」で終わってしまう可能性もなきにしもあらずです。
そうなると、2万円もするようなものだと、ちょっと買うのを躊躇しちゃうんですよねぇ。
確かにSONYのデジタルフォトフレームなんかは、画質もいいし、リモコンの使い勝手も良さそうだし、魅力的は魅力的なんですが、やっぱり値段がそこそこするわけですよ。だから、まぁ気にはしつつも、ずっとスルーしてたんです。
でも、8900円と聞くと「うぬ?そのくらいなら、まぁ良いか。」という気になりまして、いろいろと製品を調べていたわけです。
で、見つけたのが表題のトランセンドのデジタルフォトフレームでして、実は、最初に書いた知り合いの方が買った8900円の商品もトランセンドの製品だったんですね。
情報収集の過程で、カメラマンの人なんかにも意見を聞いてみたけど、やっぱり「トランセンドが安くて機能も豊富」という評価は同じでした。
ちゅうことで、これを買ったのです。
●トランセンド デジタルフォトフレーム PF810
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B002UNLZCM
これは少し上位機種だったので9980円でしたけどね。それでも機能が豊富なので、問題なしでありまして。
実際、購入して、母親用に、これまでに撮ったいろいろなデジカメ写真のデータをメモリカードにまとめて、音楽とかもつけてスライドショーにしてみると、なかなか見ごたえがあるんですよ。
「おお。こりゃいいなぁ。自分用が欲しいくらいだなぁ」
とかと思ってしまったわけであります。
だいたい、時計やカレンダーにもなるので、目覚まし時計の代わりに使えるわけです。
しかも自分の好きな曲を使って目覚まし時計にできる。それだけでもかなり良いのですよ。なんで普通の目覚まし時計ってのは、あんな素っ気ないベルやら電子音ばっかりなのかと思っちゃいますよ。好きな音楽で起きれるなら、その方が楽しいに決まってる。
でも、自分で曲を指定できるような目覚まし時計って、バカみたいに値段が高かったりするわけでして。
ともあれ、このPF810は、写真の一枚表示、スライドショー、動画再生、音楽再生が自在にできて、しかもFM放送の受信もできるんですね。で、これらを組み合わせて活用できる。
ちょっとした動画ビュアーにもなるし、FM放送で起きるってなこともできるわけで、なかなかよーでけとります。
機能紹介は、トランセンドのホームページが詳しいので、こちら
●トランセンドHP デジタルフォトフレーム PF810のページ
http://www.transcend.co.jp/Products/ModDetail.asp?ModNo=219&LangNo=17&Func1No=1&Func2No=
を見ていただくとして、触ってみた範囲で欠点は唯一、
×スタンド足が縦位置・横位置で付け外しが必要
な点くらいですわ。
フレーム本体を縦横どちらに置いても、自動的に上下を判断して画像を90度回転してくれる機能はついてるのに、スタンド足は縦横共用タイプではなくて、いちいち付け外しが必要というのが、矛盾していて、よーわからん設定ですが、まぁ実用上それほど大きな問題でもないと思う。
便利な機能としては、他にも、オートパワーオフ・オンもあるし、メモリカードを入れたら自動認識するし、内蔵メモリも2Gバイトもあるから、手間なくアルバム兼ビュアーとして使える。音楽プレーヤー代わりにもなって、カレンダーに記念日とかをマーキングできたりもするし、それなりに便利。
わー、こらええわ、と思いつつ、いろいろデータをまとめたSDカードを、「試しに、一度、Wiiでも見てみよ。」と思って、「写真チャンネル」で見てみたわけです。
●Wii 写真チャンネル
http://www.nintendo.co.jp/wii/features/photo/index.html
そしたらこれが!
すごい!
実にドラマチック。
動画も一気にスライドショーのモードで見れるし。
どうも人間の顔に自動的にフォーカスが移動するみたいで、そのあたりもすばらしい。
「うわー、任天堂すごい!」と、あらためて感激しましたな。
いやま、さすがにWiiは、年寄りのデジカメビュアー代わりにはしんどいし、カレンダーや時計にもならんわけですが、さすがに任天堂はソフト屋さんやなぁと、メモリ屋さんのトランセンドとの違いを実感しましたです。
ともあれ、トランセンド デジタルフォトフレーム PF810、なかなか良かったのであります。
はい。