今日は、思い切り抽象的な話を。

人間の行動の動機には、2つの理由しかないそうです。
それは「愛」と「怖れ」。

何かを愛していて、そのために行動する、というのと、何かを怖れていて、それを避けようと行動するというもの。

この二つは似ているようでいて全然違います。
それは結果に表れます。

愛を動機としての行動は、失敗がなく、より大きな広がりが生まれます。
しかし、怖れを動機とした行動は多くが失敗にさらされます。

おおむね、
「~しないようにする」
というような目標の立て方は失敗するということですね。

前にどこかで書いたかも知れないのですが、交通事故の話があります。

交通事故で意外に多いのが電信柱に激突している事故なんです。
なんでそんな事故が多いかというと、緊急事態に陥った時に、クルマの運転手の目に電信柱が目に入って、「電信柱にぶつかってはいけない!」と思うからなんですね。

で、こういう瞬間の判断が必要な時に「電子柱にぶつからないように」などと考えていると、手足は、無意識に、「まず、電信柱に照準をあわせて」から、「それとは違う方向に動こう」とするわけですね。

でも、そういう事をしてると、「まず電信柱に照準をあわせ」たところで、タイムリミットがくるわけですよ。
それでぶつかる。

だから、こういう場合は「あの隙間を通り抜ければ助かる!」というような目標設定をしておかないとダメなんですね。

で。

そういう目標を、その瞬間にパッと立てられるかどうかは、ふだんの考え方のクセがすべてを定めるよな、と僕は思うのです。

つねに、自分にとって良い事、良い方、幸せな選択について考えるクセをつける。

これが大事だよなぁって思います。
いつもそれを考えていないと、こういう瞬間の判断が必要な時、咄嗟の時に「頭の指向性」が狂ってしまうわけです。

で、

人生というのは、実は、そういう「瞬間」の連続なわけです。つねに「咄嗟の時」なわけです。だからこそ、いつも自分の幸せにフォーカスをした発想を保ち続けておくほうが良いわけです。

スターウォーズという映画がすごく好きなんですけど、あの映画のエピソード1~3までのアナキン・スカイウォーカー(後のダースベイダー)がすごく「怖れ」の人間で、どんどん不幸になって行くのが悲しいんですね。
そして、その兄弟子であり、師匠でもあるオビワンが、これまたすごく「愛」の人で、ほんとにまぁ、脳天気というか、テキトーなのに、なぜか失敗することなく任務をこなしていくのです。なんだかとても象徴的だなぁって思います。

オビワンは、「怖れ」の淵に引きずり込まれてしまったアナキンがダースベイダーになってしまうのを、とても悲しく思い、なげくんですね。それはやっぱり「電信柱なんか見なければ、ぶつかることもなかったのに!」という悲しさなんですね。そういうのを僕はとても感じます。

大事なのは、やっぱり、どこまで行っても「愛」なんですよ。
良いところを見る。
いつも、そちらを意識する。
つい電信柱を見てしまいがちだけれど、そうではなくて、やっぱり通り抜けられる安全なスペースを見ないといけないわけです。

危険な電信柱というのは、いつも電信柱の形をしているんですけど、「安全なスペース」というのは、その時その時で方向も形も目標も全部違うわけです。
だからその目標を察知して目標として設定するのは少し手間がかかります。
でも、その目標設置をする努力をこそしないとダメなわけです。それも普段から、ですね。

「電信柱は危ない」だけを考えるのは簡単なんです。いつも同じ事を考えてるだけだから。でも、「安全なスペースを見つける」というのは普段からいつもやってないと無理なわけですね。
練習が必要です。

だからつねに「愛」の立場で、物事は見ないといけないよなぁって思うのです。

うーん。
何が言いたいのかよくわからんようになってきた。

でもとにかく、オビワンがすごく好きです。なんちゅうてもオビワンだなぁ。うむ。

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