師と仰ぐ人。
2006年2月7日良く生きる、ということを、けっこう考える。
良く生きるっていうのはどういうことだろう?
よくわからん。
でも、「ああ、いいなぁ、あんな風に生きられたら素敵だな。」と思うような人に出会ったり見かけたりはする。
いつもいろいろな人を見てきたし、参考にしてきたから、それはそれは「師と仰ぐ人」は多い。
たとえば子育てひとつをとっても、ファミレスの親子関係をじっくり観察していれば「あんな親にはなりたくないな」という悪い例と同時に、とても良い例も見つけられる。
悪い例のことは今日は置いといて。
うまいなぁと思ったのは、食事の時の話題を、つねに子供も巻き込みつつ、みんなで語れる内容にしていた家族。子供もちゃんと会話に参加している。あれはうまかった。たぶんきっと夫婦の会話時間は別に取ってるんだろうなぁと想像できた。
たぶん親の友達がやってきて、それで子供たちと一緒に食事することになったんだろうけど、上手に話の内容を子供も友人も参加できる内容にしてるのよね。それと解説。大人の会話をしてる時は適切に「解説」をはさんで子供にもわかるようにしてた。で、大人にしかわからん話は適当に切り上げてた。それもまた大人同士の会話は、続きはメールでとか方法はいくらでもあるもんな、いまの世の中。
あと、新幹線の待合い室で、大声で歌う娘に「ここでは大きな声で歌ってはいけないんだよ」と諭したお父さん。詳細は省くけれど、素晴らしかった。ああいうお父さんになりたいなぁとあこがれました。
街なかで見かける「師」もいてますが、本の中から見つける「師」もいまして。まえにちょっと紹介したアイデアマラソンの提唱者である樋口健夫さんも、そういう「師」の一人だったりする。
もちろんアイデア発想の「師」と仰ぐところもたくさんあるのですが、何人もの子供を育てて来られた人生の先輩として学ぶ点も多くて「ああ、いいなぁ、こういう父親になりたい」と思う点も多いのです。
これから結婚して子供もつくりたいと思うからねぇ。
樋口さんの家族ネタのエッセイは、あったかみがあってとても好き。
樋口さんのホームページ
http://www.idea-marathon.net/ja/
に、おもしろエッセイとかあるので、読んでみていただきたい。子供べったりというわけではなく、親は親としての独立性を保ちながら、上手に子育てしているのが良く分かる。見事だなぁって思う。
「キャンプのルール」なんて、実に面白い。
とてもあこがれちゃうのですよ。
てなことを樋口さんとやりとりしてたら、「父親だからできる子育てマネジメント」(東洋経済新報社)という御本をすでに上梓されてると教えていただきまして。
おお、まさに読みたかった内容! そうよなぁ父親だからできる部分ってのがあるはずだよなぁと前から思っていて、これだこれだと喜んだのですが、残念なことに絶版なんだってさ。
けっこう、良い本がすぐに絶版になってしまう。
ようは「売れない」からなんだよなぁ。
世間の親って、子供にべったりくっついてるのが、「いい親」だと勘違いしてるところとかあるから、そういう意識の低い人は「マネジメント」にまで頭が回らないんだろうと思う。
テレビのコマーシャルでも、車のコマーシャルで「モノより思い出」とか、僕は大嫌いですねぇ。あとウルフルズのトータス松本が親で出てきて子供と同じ服着てる奴とか。どうにも気持ち悪い。世間的には、ああいうのが「良い」ってことになってんのか。あーうさんくせぇって感じ。
樋口さんの子育て話には、そういううさんくさい感じがなくて、とても信用してたのだけれど、まさか「子育て」そのものをテーマにしてる本があるとは思わなかったので「それは読みたい!」と思ったわけで。
で、こういう時にありがたいのがインターネットでして、アマゾンにはユーズドの取り扱いもあるわけですよ。古本ね。
で、検索してみて驚いた。
定価1600円の本なのに、2500円って値段がついてて、それが「ロープライス」表示。ロープライス表示がついてない古本は3000円になってました。
倍かよ!
そうかぁ、わかってる人はわかってるってことだねぇと思って、しょうがないので2500円の本を購入。樋口さんに「増刷すべきですよ」とお知らせしておく。
まだ届いてないけど、読むのが楽しみ。
ほんとにね、子供のことしか見てない親ってダメだと思うのよ。まず自分。まず自分が自ら率先して成長しなきゃダメだよ。そうしないと親の心の穴を子供のかわいさで埋めるってなことしかしなくなるから。
トータス松本が父親やってるCMなんて、まさに「親の自信のなさを子供で穴埋めしてる親」の代表例だよなぁって思う。あんなんあかん。生きる価値なしやと思うわ。
(事務所でいっしょにやってるデザイナーさんがふたりの子供の父親でして、その人に「モノより思い出のコマーシャルが嫌いなんですよ」と言ったら、即「あれも嫌だが、トータス松本が親やってる、あのコマーシャル。あれも嫌よなぁ」と答えをいただきまして、「ああ、さもありなん」と思った次第。子持ちでもわかってる人はわかってる。)
だいたいね、まず、自分が汗水流して成長しようと努力し続けること。それが先。ちゃいますか?
自分が汗水たらして、涙流して、苦労して自分自身を育てる。それが何より先とはおもいませんか? 自分の成長なくして、子供を成長させられるわけがない。
子供より自分の成長が先。絶対に先。どんなことがあろうと先。こどもを可愛がるより先。永遠に先。「自分の成長」の優先順位が、二番以降になることなし。一生の最優先課題。子供の成長より先。まず自分を見直し、自分が伸びる。それが優先。それが当然。あたりまえ。人間としての責務です。
それをしてない奴は生きる価値なし。死んでしまえ。
自分が伸びた、成長した、その経験だけが、子供に与えられる唯一の果実なのだから、こんなもの当然のことだ。
「子供さえいれば、他にはなにもいらん」とか言う奴は責任放棄ね。何を与えることもできてない、ダメ人間。どうしようもない奴。バカ。
与えられるだけの何かを身につけろよって言うんだ。
で、自分が成長するためには「お手本」を探すことだと思う。上手にやっている人を見つけて、その真似をする。学ぶは「真似ぶ」なんだ。まず「よいお手本」を探すのが先決。
で、そのために本を読む。
こういう時にも本は役立つ。
意義深い。
本を読みもせずに批判だけしてる奴とかは、カス。クズ。ダメね。良いも悪いも、読んでみにゃわからん。
で、いろいろ、いろいろ「お手本」を探して、「ああ、良いお手本が見つかった」と思ったら、そこからは「真似」ですね。ひたすら真似。
これ、英語の勉強でも同じなんだよなぁ。まず良いお手本を探して真似る。ひたすら真似る。
で、ウクレレでも同じことなんだ。よいお手本を探して真似る。
このお手本探しもせずに「俺は○○だと思う」とか、偉そぶって語っていても、ほんと、何の役にも立たない。意味なし。価値無し。無意味。単に自分の立場を守って、おどおどしてるだけ。
で、そういう「おどおどしてるだけ」というのは、横から見てればちょんばれなのに、自分だけは自分をだましてえらそぶるのをやめない。
アホなんですよ。
みんなアホなの。
だからサッサと手本を探す。
「自分の考え」なんかはたかが知れてる。
無知であることの方がはるかに多い。
なんでも知ってる人間なんか、いやしねぇよ。
「私は、なぁーーんも知りません」だ。
だからこそ、さっさと手本を探す。
探して読む。で、真似る。まねぶ。まなぶ。
で、血肉にする。
読んですぐに、その知識が使えるってわけもないからね。
練習するだけでも時間がかかるんだ。
ゴタクサと、文句言ってるヒマなんかないんだ。
さっさと手本を探す。探して読む。で、真似る。
文句を言わない。そのまま真似る。試してみる。
それでも体にあわないとかいろいろあるんだから。
文句を言わない。さっさと手本を探す。探して読む。で、真似る。
で、真似てる人間を「○○信者」とか勝手にレッテルを貼らない。
試してるだけなんだから。試してないバカがゴチャクチャ抜かすな。試してないおのれに、ゴチャクチャ抜かす権利などはじめからない。
ゴチャクチャ言わない。さっさと手本を探す。尊敬できる人を探す。素晴らしい人は世の中にいくらでもいる。そう言う人を尊敬する。敬愛する。素晴らしいと思う。
で、真似る。学ぶ。
まずそれをする。やらずに文句を言わない。まずやる。
やってない奴に偉そうに言う権利はない。
尊敬するべき「お手本」がいない人間に限って、ゴチャクチャ文句を言う。「お手本」がある人間は、そんな事言わない。言ってるヒマがない。真似るだけでどれだけ手間で時間がかかるかわかってるから。黙々と自分の課題をこなすだけ。
自分で課題も決めてない奴に限って、ゴチャクチャ文句を言う。そういうものだ。真似るのにどれだけ時間がかかるかの見積りもしたことないから。
「自分」がもともと持ってるものなんて、大したことはない。というか、もともと何も持ってないんだ。だから一生ずっと学習し続けて、意義あるもの、愛情あることを身につけていくのだ。
これは一生続く。終わらない。ずっと勉強。ずっと学習し続け。
そういうものですよ。
それが当然。
学生の間は、たかが知れてるから学校の勉強だけでも、まあいい。でも社会に出たら、もう先生はいてない。
いてないから探す。自分で「お手本」を探す。それをしないと伸びない。
で、その「お手本」を探したか探してないかは、10年とか20年とかの間に、ものすごい差となって現れる。
そりゃ、ものすごい差ですよ。
だから、文句を言わない。さっさと手本を探す。さっさと真似る。
いちいち文句を言わない。とにかく動く。さっさとやる。
そういう態度が大事。
このあいだも知り合いから、「君は間違ってるよ」と指摘された。まぁお金のことに関する話だったんだけどね。で、「ああそうか」と思って、会社経営における決算書の読み方とかを教えてくれる本とか買ってきて読んだ。とてもよくわかった。
こういう時に「そんな知識はウンタラカンタラ」とか文句つけて読まないとかする事がよくあるけど、もう、そういう事は私はしないの。欠点があったら直すの。直るから。
だから文句言わない。さっさとやる。
ちゅうか、基本的に、こういうところで文句言う奴を相手にはしないんだけどね、もう。勉強せん奴はアカンよ。単にそれだけのことだわ。
で、勉強するのに効果的なのは、やっぱり「師」を求めることですな。それはつくづく思う。
あの人は素晴らしいと思ってあこがれる力。
これがそうとうに大事だなぁ。
40過ぎるとね、残り時間もあんまりないからね、だからこそ、一所懸命に何事にも本気で取り組まねばならないのだよ。そう思う。時間の無駄はやってられないしなぁ。
ともあれ「師」と仰げる人を探しましょう。自分の肌に合った良い「師」を見つけるだけでも、けっこう手間がかかるものなんだから。
良く生きるっていうのはどういうことだろう?
よくわからん。
でも、「ああ、いいなぁ、あんな風に生きられたら素敵だな。」と思うような人に出会ったり見かけたりはする。
いつもいろいろな人を見てきたし、参考にしてきたから、それはそれは「師と仰ぐ人」は多い。
たとえば子育てひとつをとっても、ファミレスの親子関係をじっくり観察していれば「あんな親にはなりたくないな」という悪い例と同時に、とても良い例も見つけられる。
悪い例のことは今日は置いといて。
うまいなぁと思ったのは、食事の時の話題を、つねに子供も巻き込みつつ、みんなで語れる内容にしていた家族。子供もちゃんと会話に参加している。あれはうまかった。たぶんきっと夫婦の会話時間は別に取ってるんだろうなぁと想像できた。
たぶん親の友達がやってきて、それで子供たちと一緒に食事することになったんだろうけど、上手に話の内容を子供も友人も参加できる内容にしてるのよね。それと解説。大人の会話をしてる時は適切に「解説」をはさんで子供にもわかるようにしてた。で、大人にしかわからん話は適当に切り上げてた。それもまた大人同士の会話は、続きはメールでとか方法はいくらでもあるもんな、いまの世の中。
あと、新幹線の待合い室で、大声で歌う娘に「ここでは大きな声で歌ってはいけないんだよ」と諭したお父さん。詳細は省くけれど、素晴らしかった。ああいうお父さんになりたいなぁとあこがれました。
街なかで見かける「師」もいてますが、本の中から見つける「師」もいまして。まえにちょっと紹介したアイデアマラソンの提唱者である樋口健夫さんも、そういう「師」の一人だったりする。
もちろんアイデア発想の「師」と仰ぐところもたくさんあるのですが、何人もの子供を育てて来られた人生の先輩として学ぶ点も多くて「ああ、いいなぁ、こういう父親になりたい」と思う点も多いのです。
これから結婚して子供もつくりたいと思うからねぇ。
樋口さんの家族ネタのエッセイは、あったかみがあってとても好き。
樋口さんのホームページ
http://www.idea-marathon.net/ja/
に、おもしろエッセイとかあるので、読んでみていただきたい。子供べったりというわけではなく、親は親としての独立性を保ちながら、上手に子育てしているのが良く分かる。見事だなぁって思う。
「キャンプのルール」なんて、実に面白い。
とてもあこがれちゃうのですよ。
てなことを樋口さんとやりとりしてたら、「父親だからできる子育てマネジメント」(東洋経済新報社)という御本をすでに上梓されてると教えていただきまして。
おお、まさに読みたかった内容! そうよなぁ父親だからできる部分ってのがあるはずだよなぁと前から思っていて、これだこれだと喜んだのですが、残念なことに絶版なんだってさ。
けっこう、良い本がすぐに絶版になってしまう。
ようは「売れない」からなんだよなぁ。
世間の親って、子供にべったりくっついてるのが、「いい親」だと勘違いしてるところとかあるから、そういう意識の低い人は「マネジメント」にまで頭が回らないんだろうと思う。
テレビのコマーシャルでも、車のコマーシャルで「モノより思い出」とか、僕は大嫌いですねぇ。あとウルフルズのトータス松本が親で出てきて子供と同じ服着てる奴とか。どうにも気持ち悪い。世間的には、ああいうのが「良い」ってことになってんのか。あーうさんくせぇって感じ。
樋口さんの子育て話には、そういううさんくさい感じがなくて、とても信用してたのだけれど、まさか「子育て」そのものをテーマにしてる本があるとは思わなかったので「それは読みたい!」と思ったわけで。
で、こういう時にありがたいのがインターネットでして、アマゾンにはユーズドの取り扱いもあるわけですよ。古本ね。
で、検索してみて驚いた。
定価1600円の本なのに、2500円って値段がついてて、それが「ロープライス」表示。ロープライス表示がついてない古本は3000円になってました。
倍かよ!
そうかぁ、わかってる人はわかってるってことだねぇと思って、しょうがないので2500円の本を購入。樋口さんに「増刷すべきですよ」とお知らせしておく。
まだ届いてないけど、読むのが楽しみ。
ほんとにね、子供のことしか見てない親ってダメだと思うのよ。まず自分。まず自分が自ら率先して成長しなきゃダメだよ。そうしないと親の心の穴を子供のかわいさで埋めるってなことしかしなくなるから。
トータス松本が父親やってるCMなんて、まさに「親の自信のなさを子供で穴埋めしてる親」の代表例だよなぁって思う。あんなんあかん。生きる価値なしやと思うわ。
(事務所でいっしょにやってるデザイナーさんがふたりの子供の父親でして、その人に「モノより思い出のコマーシャルが嫌いなんですよ」と言ったら、即「あれも嫌だが、トータス松本が親やってる、あのコマーシャル。あれも嫌よなぁ」と答えをいただきまして、「ああ、さもありなん」と思った次第。子持ちでもわかってる人はわかってる。)
だいたいね、まず、自分が汗水流して成長しようと努力し続けること。それが先。ちゃいますか?
自分が汗水たらして、涙流して、苦労して自分自身を育てる。それが何より先とはおもいませんか? 自分の成長なくして、子供を成長させられるわけがない。
子供より自分の成長が先。絶対に先。どんなことがあろうと先。こどもを可愛がるより先。永遠に先。「自分の成長」の優先順位が、二番以降になることなし。一生の最優先課題。子供の成長より先。まず自分を見直し、自分が伸びる。それが優先。それが当然。あたりまえ。人間としての責務です。
それをしてない奴は生きる価値なし。死んでしまえ。
自分が伸びた、成長した、その経験だけが、子供に与えられる唯一の果実なのだから、こんなもの当然のことだ。
「子供さえいれば、他にはなにもいらん」とか言う奴は責任放棄ね。何を与えることもできてない、ダメ人間。どうしようもない奴。バカ。
与えられるだけの何かを身につけろよって言うんだ。
で、自分が成長するためには「お手本」を探すことだと思う。上手にやっている人を見つけて、その真似をする。学ぶは「真似ぶ」なんだ。まず「よいお手本」を探すのが先決。
で、そのために本を読む。
こういう時にも本は役立つ。
意義深い。
本を読みもせずに批判だけしてる奴とかは、カス。クズ。ダメね。良いも悪いも、読んでみにゃわからん。
で、いろいろ、いろいろ「お手本」を探して、「ああ、良いお手本が見つかった」と思ったら、そこからは「真似」ですね。ひたすら真似。
これ、英語の勉強でも同じなんだよなぁ。まず良いお手本を探して真似る。ひたすら真似る。
で、ウクレレでも同じことなんだ。よいお手本を探して真似る。
このお手本探しもせずに「俺は○○だと思う」とか、偉そぶって語っていても、ほんと、何の役にも立たない。意味なし。価値無し。無意味。単に自分の立場を守って、おどおどしてるだけ。
で、そういう「おどおどしてるだけ」というのは、横から見てればちょんばれなのに、自分だけは自分をだましてえらそぶるのをやめない。
アホなんですよ。
みんなアホなの。
だからサッサと手本を探す。
「自分の考え」なんかはたかが知れてる。
無知であることの方がはるかに多い。
なんでも知ってる人間なんか、いやしねぇよ。
「私は、なぁーーんも知りません」だ。
だからこそ、さっさと手本を探す。
探して読む。で、真似る。まねぶ。まなぶ。
で、血肉にする。
読んですぐに、その知識が使えるってわけもないからね。
練習するだけでも時間がかかるんだ。
ゴタクサと、文句言ってるヒマなんかないんだ。
さっさと手本を探す。探して読む。で、真似る。
文句を言わない。そのまま真似る。試してみる。
それでも体にあわないとかいろいろあるんだから。
文句を言わない。さっさと手本を探す。探して読む。で、真似る。
で、真似てる人間を「○○信者」とか勝手にレッテルを貼らない。
試してるだけなんだから。試してないバカがゴチャクチャ抜かすな。試してないおのれに、ゴチャクチャ抜かす権利などはじめからない。
ゴチャクチャ言わない。さっさと手本を探す。尊敬できる人を探す。素晴らしい人は世の中にいくらでもいる。そう言う人を尊敬する。敬愛する。素晴らしいと思う。
で、真似る。学ぶ。
まずそれをする。やらずに文句を言わない。まずやる。
やってない奴に偉そうに言う権利はない。
尊敬するべき「お手本」がいない人間に限って、ゴチャクチャ文句を言う。「お手本」がある人間は、そんな事言わない。言ってるヒマがない。真似るだけでどれだけ手間で時間がかかるかわかってるから。黙々と自分の課題をこなすだけ。
自分で課題も決めてない奴に限って、ゴチャクチャ文句を言う。そういうものだ。真似るのにどれだけ時間がかかるかの見積りもしたことないから。
「自分」がもともと持ってるものなんて、大したことはない。というか、もともと何も持ってないんだ。だから一生ずっと学習し続けて、意義あるもの、愛情あることを身につけていくのだ。
これは一生続く。終わらない。ずっと勉強。ずっと学習し続け。
そういうものですよ。
それが当然。
学生の間は、たかが知れてるから学校の勉強だけでも、まあいい。でも社会に出たら、もう先生はいてない。
いてないから探す。自分で「お手本」を探す。それをしないと伸びない。
で、その「お手本」を探したか探してないかは、10年とか20年とかの間に、ものすごい差となって現れる。
そりゃ、ものすごい差ですよ。
だから、文句を言わない。さっさと手本を探す。さっさと真似る。
いちいち文句を言わない。とにかく動く。さっさとやる。
そういう態度が大事。
このあいだも知り合いから、「君は間違ってるよ」と指摘された。まぁお金のことに関する話だったんだけどね。で、「ああそうか」と思って、会社経営における決算書の読み方とかを教えてくれる本とか買ってきて読んだ。とてもよくわかった。
こういう時に「そんな知識はウンタラカンタラ」とか文句つけて読まないとかする事がよくあるけど、もう、そういう事は私はしないの。欠点があったら直すの。直るから。
だから文句言わない。さっさとやる。
ちゅうか、基本的に、こういうところで文句言う奴を相手にはしないんだけどね、もう。勉強せん奴はアカンよ。単にそれだけのことだわ。
で、勉強するのに効果的なのは、やっぱり「師」を求めることですな。それはつくづく思う。
あの人は素晴らしいと思ってあこがれる力。
これがそうとうに大事だなぁ。
40過ぎるとね、残り時間もあんまりないからね、だからこそ、一所懸命に何事にも本気で取り組まねばならないのだよ。そう思う。時間の無駄はやってられないしなぁ。
ともあれ「師」と仰げる人を探しましょう。自分の肌に合った良い「師」を見つけるだけでも、けっこう手間がかかるものなんだから。