ジャーナリストの黒木昭雄さんがなくなられました。
警察の誤認捜査などを徹底追求されていた方で、僕はあまり積極的に黒木さんの事を追いかけていた訳ではないですが、ツイッターでフォローだけはしてたのです。

ほかにもいろいろジャーナリストの方をツイッターでフォローしてるのですが、みなさん一様に「そんなバカな」「信じられない」という反応で、人によってはやはり「殺されたのではないか?」という憶測を語る人もいます。

とりあえず、記事はこれ。

(引用開始)-----------------------------
黒木昭雄さん自殺か 元警察官でジャーナリスト
2010年11月2日 19時06分

 2日午前11時10分ごろ、千葉県市原市今富の寺の敷地内で、元警察官でジャーナリストの黒木昭雄さん(52)=市原市郡本=が乗用車内で死亡しているのを黒木さんの息子が発見、119番した。市原署は、車内に燃えた練炭があったことから自殺とみて動機を調べている。

 市原署や消防によると、黒木さんは助手席に横たわり、救急隊員が現場に着いた時には既に亡くなっていた。練炭は後部座席に置かれていた。

 黒木さんの事務所によると、1日に「仕事の打ち合わせに行く」と家族に言い残して外出し、帰宅しなかったという。

 黒木さんは元警視庁巡査部長で、警察組織内部の問題や事件、防犯などをテーマに執筆活動していた。

(共同)
(引用終了)-----------------------------

言ったら悪いですけど、黒木さんが追いかけていたのは、地方の警察の不始末という種類のもので、僕自身あまり注視してなかったわけです。

でも、だからこそ、「殺してしまえばおしまい」になってしまう訳です。なんせ千葉でしょ? 司法解剖が義務づけられていないはずですからね。現場検証をした警察が「事件性なし」と言ってしまえば、それですべて闇に葬り去る事ができるんです。

こんなばかなことがあってたまるか、と思うので、法的な仕組みの杜撰さとあわせて、「疑い」は疑いとして、ここに明記しておこうと思います。

かなり疑わしい。だから僕は「警察が殺した」と踏み込んで疑義を強化して書き込んでおきます。権力はつねに監視されねばならない。その仕組みが不備なのだから、いくら「怪しい」と疑われても、警察に潔白を証明する力もないと言うことです。

あやふやな法処理は、つねに権力者に都合の良いように利用される怖れがあります。
だから、こういう場合は「警察がやったに違いない」と疑って責めまくるのが正しいというか、唯一の防護手段なのですよ。
それが見当違いであるなら、そういう見当違いが起こらない仕組みにしてもらうしかないでしょう。

そういうことです。

クロスオーナーシップ規制が、放送法改正から削られてしまいました。
しかも、削除要求を出したのが、民主党自身だというから、目もあてられん。
やっぱり寄せ集め政党っていうのは、こういう時に困るなぁ。前総務相の原口さんもすごく悔しいだろうと思う。

もう、ずっとここでメディアの問題を書いてますが、最初は自分がライターだから「いまのメディアっておかしくない?」という疑問からはじまった事なんですね。
たとえば、取材の基本である5Wと1H(いつ、どこで、誰が、何を、何故、どのように)とかを守った記事とかが全然ないとか、そういうような「基本ルールの壊れ」が気になった、というような事だったわけです。

で、おかしいなぁといろいろ思ってたら、twitterを通じて記者クラブ問題のあまりのひどさとか、クロスメディアオーナーシップの問題とかを知ったわけです。

これらの問題は、メディア自身の問題であって、メディアがメディア自身を叩くという自己検証能力がまったくないので、世間で全然知られていない問題だったわけです。

だから僕も全然知らなかった。twitterがなかったら「クロスオーナーシップ規制」という概念自体を知り得なかったと思うわけです。記者クラブの問題もテレビや新聞を観ているだけでは絶対にわからない。だって報道しないんだもん。

ということで、いまのメディアは「自分に都合の悪い問題は一切取り上げない」という、どうしようもないカスメディアだから、政治の側から、その規制をいろいろとやっていこうというのが放送法の改正の話なわけです。

で、クロスオーナーシップ規制というのは、ようするに「ひとりの社主がテレビとメディアとか複数メディアの権力を握ってはいけません法」なわけです。多様なメディア、多様な意見を持つメディア環境を作りなさい法律なんですね。

具体的には特定のオーナーに資本の集中が起こらないようにする規制なんです。
これはぜひとも必要で、日本以外の先進国には、まぁ常識的に存在するんです。しかし、日本にはない。

日本という国は、良く「横並びで、同じ価値観を共有していて、そこが強いところだ」などという意見もあったりしますが、それは大嘘で、メディアの金主が、横つながりで「このネタはこういう意見で統一しましょう」と結託してつながって、あとは、どの報道機関も同じ事を一斉に流すというアホな事しかしてないという、ただそれだけの事なんですね。

そのひどさは、たとえば、読売新聞のナベツネこと渡邉恒夫氏などは、記者上がりのくせに読売の経営権を握って、大物政治家の記者発表の時には、記者席にいるのではなく、その政治家の横に座って、記者達をにらみつけ、変な質問をしないか見張っていたというトンデモ野郎だったりするわけです。

こんな状況で「多様な意見」なんか生まれてくるわけがない。

しかも、このナベツネが経営者でもあるから、社の意見としてナベツネの意向に沿わない記事を勝手に書いたら、読売新聞では決して出世できないわけですよ。そりゃ、記者もサラリーマン化して、上の意向に沿った意見しか書きませんわね。

大手新聞社は全部同じです。

だから、いまなんかテレビで一斉に尖閣ビデオのネタをやってるけど、そんなもん、どんな裏があるかわかったもんじゃないんだから、どうでもよろしい。中国にせよ、韓国にせよ、北朝鮮にせよ、台湾にせよ、副島隆彦が唱えた「アジア人同士争わず」を、しっかり大方針として持っていれば、それでオーケーと僕は思っております。だって日本人に中国の事はいじれないんだから。でしょ? そんな事考えてもしょうがない。

そんな事より、こういう大騒ぎの中でクロスオーナーシップ制が放送法改正から削られたと言うことの方が、はるかに、はるかに、はるかに大問題で、そこをなんとかしなくてはいけない。

クロスオーナーシップ規制がキチンと働けば、何年か後には、欧米のメディアと同じように「報道機関は経営権と編集権の完全分離が不可欠」という世界の常識にも到達できるはずなんですね。

これは、簡単に言うと、「経営者は編集に口出しできない」という仕組みの話なわけです。記者である間は、自由に編集権を使って、意見を言ったり言わなかったり、情報の編集をしたりしなかったり、記事を作る側として振る舞えるけれども、いったん経営者側になったら、その権利はなくなりますよ、と言うことです。

これは、世界のあらゆるメディアで、報道における基本中の基本となる重要なルールとして定着しているものなんだそうです。

でも、そういう事を知らないからさ。我々日本人は。アジアの辺境の田舎者、土人だから。メディアがいかに重要なのか?ということを知らない。第二次世界大戦の時の日本の大本営発表が、いかに世界から劣った仕組みであったのかを、戦後何十年も経ってるのに、いまだに知らないって事なんですから。

(アメリカはGHQが統治していた時代に「大本営発表? おお、思想支配するのに、こんなに便利なものはねぇなぁ。」と思って、わざと改革せんかったわけですよ。で、アメリカの言うことを聞く人間を社主に据えた。それがナベツネ。だから読売新聞はいつまでたっても、えんえんキッシンジャーが出てきて、勝手な事を書いてるし、それを日本人の多くがありがたがってる。朝日の船橋洋一も都合良くあてがわれた「やとわれ主筆」くさい。まぁろくなもんではないんです。)

僕自身は、あんまり好きな雑誌じゃないけど、「サイゾー」という雑誌があって、あの雑誌は実は経営と編集の分離がちゃんとしてるらしいんですな。まぁ、これ以上は書かないけど。あの雑誌は、内容はくだらないけど、それでも自由闊達という感じはありますわね。

そういう風に、自分たちで積極的にクロスオーナーシップを確立しようとしてるようなところは良いのだけれど、5大新聞とテレビあたりは、もうどうしようもなくズブズブに「上の意向に従うサラリーマン記者」ばっかりで、ほんっとうに、もう、どうでもいい存在です。

いま我々にできるのは、本当にもう、「新聞の不買運動」くらいしかないわけですよ。
情報の収集のメインをtwitterと書籍に大きく、大きく、大きくシフトする以外に、まともな「頭」が作れないんです。

悲しいかな、それが現実なんですね。

尖閣問題なんてどうでもいい。それより記者クラブとクロスオーナーシップ規制。そっちが大事。そういう感覚を持てるかどうか。

ここを、しっかり考えましょう。

自転車に乗っていると、この国の壊れ具合が全部官僚が悪いからなのだ、というのが、ほんっとうに、よく解る。
今日は、またまた、自転車関連の書籍の紹介。

自転車ツーキニストの作法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4797358416

という本ですが、先日の日記、

●自転車は車道を走るのが、絶対に安全。歩道を走る自転車は命を失くすために走るようなもの。
http://hitoyomi.diarynote.jp/201010211533568379/

で紹介した名著、「自転車の安全鉄則」の続編というか、あの本で「ぐっとこらえて書かなかった、行政の人間への怒り」を、けっこうそのままさらけ出している本ですね。疋田さん、けっこう怒ってます。すごく穏和な方なんですけど、穏和な人が、「つい本音で毒を吐いてしまった。」という書籍ですな。

ともあれ、まずは「安全鉄則」を読んでないと、この「怒り」というのが、ものすごくまっとうな怒りなのだ、ということが、いまいちわからないかも知れないので、

●自転車の安全鉄則
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4022732474

を、まず、真っ先に、読んでください。

(読みもしないで、ヘラヘラ笑って軽く考えている奴はぶっ飛ばす、ひっぱたく、叱りつけるのに遠慮する必要はまったくないので、徹底的に叩きます。まず、読め。読まない奴は土人だ。土人のままでいたいなら読まなくてよろしい。)

とにかく、この二冊を読むと、日本の自転車環境が、いかにおマヌケで、どうしようもない悲惨な状況で、「なんでゼロどころかマイナスの状態から現状改革をしていかなければいけないのか?」という、絶望的状態にタメイキしか出ないんです。

が、その「最悪やなぁ…。」という環境が、完全に、100%、警察という官僚組織の無能、無知、バカの極み、低脳から生まれていて、そのアホさ加減のおかげで、日本の全国民が世界に類を見ない不幸な自転車環境に貶められているというのが手に取るように解ります。

っちゅうかね、この悲惨さは、実際に自転車で車道を走ってみないとわからんですよ。

みなさん、とにかく自転車で車道を走りなさい。いますぐにでも。それが順法なんだから。
で、法律を守れば、いかに道路行政がおかしいのかが、はっきりわかります。

で、そういう実感を持った上で、上記の二冊を読むと、この国の壊れ具合が、もう、完全に官僚の無能から発生しているのだというのが、嫌というほどわかりますって。

自転車問題と記者クラブ問題って、「世界の常識からはずれてしまっていることで、国民が多大なる損害を受けている」という意味で、まったく問題の本質が同じなんですよね。

それに加えて「とてつもない問題が、そこに存在しているのに、肝心の国民がイマイチ、その不利益に気づいていない」という「日本人が土人だからアカンのや問題」も、これまた同じなんです。

なので、結局、表題のごとく、「自転車に乗っていると、この国の壊れ具合が全部官僚が悪いからなのだ、というのが、ほんっとうに、よく解る。」というところに結論が行かざるを得ないのですが、ただ記者クラブ問題に比べると、自転車問題は、

●道路交通法は、正しく守れば、大枠は問題ない。

という、「対応する法規がまだマトモ」というよりどころがあるだけ、まだマシなんですな。警察の「運用」がパァでアホで、無自覚で、無能で、キチガイで、どうしようもない、というのはあるけど、まぁまぁ法律はマシなのですよ。

逆に言うと、です。


●警察が法律を遵守していない。


という、とんでもない状況というのがある、というのが大問題なんですけどな。
日本中の警官が道路交通法を守っていない。違反している。ほぼ全員犯罪者ですわな。警官が全部犯罪者である、という、そういう状況です。

それはどういうことか?というと、ようは、

●警官が自転車で歩道をチンタラ走っている。

ということです。

あのなー、それ道路交通法の第17条違反やねんぞー。ほんまに。どうにかしてくれ。
まぁ、確かに「緊急の場合には、指定のある歩道なら走っても良い」と、後から付け加えられた64条で歩道通行を許してはおりますけどな。それはあくまで危険を避けなければならない緊急の時であり、なおかつ「自転車通行可」という条件の歩道のみなんですよ。

自転車通行可の歩道というのは、全国の歩道のうちの4割程度なんだそうです。ですから、まぁ、ほとんどの歩道は自転車が走ってはいかんのです。仮に走るにしても、「徐行」が義務づけられております。

ちなみに、では「徐行」というのは何㎞/時の事を言うのかは、規定がないので、疋田さんが警察に問い合わせたら「時速5~6km程度」というアホな答えが返ってきたそうです。
歩行者の時速が4kmくらいでして、それより1~2km/時は速くても良い、という見解なんだって。


ドアホ。


そんなもんね、自転車で5~6kmで走るなんていうのは、よっぽどのバランス感覚のあるサーカスの曲乗りが可能な人にしかできない程度の速度なんですよ。どんなにゆっくり走っても、時速10kmは出さないと自転車は倒れます。それなら、自転車から降りて、押して走った方がよっぽど楽。
(ちなみに自転車を押して歩く、走るというのは歩行者扱いなので、それは問題ありません。)

結局、自転車に乗りもせずに、気分と雰囲気で「徐行はまぁ5~6kmかな」と言うとるだけなわけです。テキトーな事を言うな!ボケ!国家公務員のクセしやがって嘘っぱちだらけやんけ。

1万円を切るような安物のママチャリだと、重量が20kg以上ありますから、それこそある程度のスピードがないと自立して走ること自体が無理なんですね。だから12~16km/時くらいのスピードは、絶対に出てます。普通のママチャリは。

で、もひとつ言うなら、重い自転車は止まりにくいんです。ブレーキをかけても止まらない。体重80kgとかの太ったおっさんおばちゃんあたりが、20kgの自転車に乗って、時速15-20kmくらいで走ってて、歩道を杖をついて歩いてる老人とか、まだ歩き始めたばかりの子ども、あるいは車椅子の必要な人とかにぶつかったら、これ、意外に大きな事故になりますからな。

だから、自転車は、もともと、歩道を走ってはいかんのですよ。車道を走りなさい、車道を。有無を言わさず、車道を走れ! 警察なら、警官なら、国民の安全のために、そう指導するのが当たり前で、世界中どこでもそれが普通になってるわけです。

歩道なんて、生活道路とつながってるんやから、よちよち歩きの子どもが、飛び出してくる事なんかザラですよ。で、自転車と子どもがぶつかったら、絶対転びますわね? 子どもは頭が重いから、頭から倒れます。悪くしたら死にますよ。

歩道を自転車で走るということは、そういう殺人者になる可能性がかなりある、ということなんですよ。あー恐ろしい。

だから、自転車は、車道を走れ。クルマの邪魔になってもかまいません。クルマがのさばってるほうがおかしいんだから。都市部である限り、かならず交差点が必要で、交差点がある限り、自動車の平均時速は、せいぜいがところ30km~40km程度にしかならないんですよ。だから、何もクルマのスピードを阻害しても、何の問題にもならんのです。どうしたって信号にひっかかるんだから。東京や大阪でも、田舎の都市でも同じ。半径20km以内の範囲なら、都市部の自動車はせいぜい30kmくらいでしか走ってないのと同じなのです。だから自転車が車道を走って、クルマの邪魔をしたって、別に何の問題もないんです。

だから、自転車は全部車道を走れ。

であるのに、だ。


警官のバカを見てください。


日本中の警官のバカを見てください。


白チャリ(警官用の自転車)二台が、でかい顔をして、しかも二台が併走して(自転車二台併走は、車道であっても法律違反なんですよ。)、いつ子どもを頭からコンクリートにたたきつけるかわからないような事をして、平気なわけです。
(2台併走されると、道幅が狭くなるので、足もとのしっかりしない子どもには「逃げ場」がなくなって、かなり危険。あわてて変な方向に走って、ビルに頭をぶつけたら、やっぱり死ぬかも、なわけです。警官が子ども殺しに荷担しとるわけだ。最低。)

で。

警官がバカだと、「歩道を自転車で走っても良いんだ。」と思う人間が出てくるのは当然ですわね。だから、歩道は自転車天国になりますわ。
そしたらもう、歩道で子どもを「走らせる」なんてことはできなくなる。となると、よちよち歩きの間から、外に出て遊ばせようと思っても、それができない。大人がいつもついてないとダメ。抱きかかえるとか、そういう事をしなくてはいけない。
とりあえず安全なのは公園くらい、ということになる。

これ、ものすごくおかしいですよ。

思いませんか?

歩道は、歩行者のものです。歩行者だけが使えばよろしい。弱者のための道路なのです。そういう弱者保護の視点がまったく欠けてるわけです。

で、そういう「弱者保護の視点」が何故欠けたか? というと、その視点が「警察には存在していなかったから」なんですよ。わかります? この悲惨な状況。

警察は「クルマ」という図体だけがでかくて危険な「強いもの」の味方しかしてこなかったんですよ。公僕にあるまじき思想です。危険思想です。きゃつらは思想犯なわけです。火あぶりの刑にしてしまうしか、他に退治のしようがない「危険思想犯」なわけです。

警官は弱者保護を徹底せよ! それがお前らの役目じゃ! ボケ!

ということなわけです。

本当にどうしようもないんですね。


で、あまりにどうしようもない事なので、この間、大阪府警に「なんで警官が歩道を自転車で走るという道路交通法違反をするのか」という質問状をメールで送りつけたんですけど、2週間も返事がなくて、昨日やっと電話がかかってきた。


こらぁ! ちゃんとやりとりが残るメールで返事をしろ! ボケ!

と怒鳴り倒して電話を切りましたが、さてどうなるか。メールがこなかった場合は、またもう一度「警官が法律違反をしている」件に関して質問状を送るつもりです。


ということで、この件に関して、「その通りだよなぁ」と思う方は、どんどん警察にメールして、問題を追及しましょう。
アホは叱らないとダメです。自分に問題があるのだ、ということがわからないのですから。まず、それを気づかせないとだめです。

とくに自転車問題は、道路交通法にキチンと則って、警官が車道を自転車で走るだけで、かなりの問題が解決するんです。

たとえば、車道の路肩近くに自動車を止めている違法駐車。あれを、本当に徹底して警察に取り締まってもらわないといけない。自転車の無灯火はやたらと注意するんやけど、そんな事してるヒマがあったら、もっともっと違法駐車を徹底して取り締まれっちゅうねん。違法やねんから。

警官が車道を自転車で走るようになれば、この違法駐車が、いかに大問題であるかが、すぐにわかるんです。車道を走らんから、その問題に気づけないわけですよ。

何、警官が歩道を自転車で走っとんねん。なにをヨチヨチ歩きの子どもの邪魔しとんねん、ふざけとったら承知せんぞ。頭を銅にめりこませて、腹から世間覗かせたろか。それとも手と足とを固結びに結んだろか。ふざけるのもたいがいにせいっちゅうことです。

警官がこのように危険思想の、子ども殺し集団ですから、そら世間もおかしくなりますわ。
それは一重に、「無能」ということなんです。
ただそれだけのこと。
「無能」なのに、それに気づいてないんです。
この「無能なのに気づいてない」と言うことほど迷惑な事はないんですな。ほんとに。
警官はニコニコ笑って、「そこの自転車、危ないから、歩道に上がりなさい」とか平気でキチガイみたいな事を言いよりますからな。
ちゅうか、完全にキチガイなんですよ。はっきり。官僚は必然的にキチガイにしかならない構造なんです。世の中と「真剣」にはつながってませんから。税金で生きてる「居候」ですから。屁の役にも立たない屁理屈しか考えられない運命を背負ってるんですから。

記者クラブの問題も同じような事だし、検察審査会のおかしな動向も同じ事。
日本中がものすごく狂ってるのは、社会とつながっていないからキチガイになるしかない「居候」官僚が、そのままキチガイになってしまったというだけの事ですから、「おまえらはキチガイだ」と徹底的に市民の側から叱りつけないとしょうがないわけです。そうするしかない。でも、困ったことに日本人には「お上意識」というやっかいなものがあって、「お上はしっかりやってるから、まかせておけば大丈夫」とか思ってるわけですよ、一般国民の側が。
これが本当に間違いでしてねぇ。

世界史を見ても、いま現在の世界の先進国を見ても、「腐らない官僚組織はない」というのが常識中の常識なのに、その常識が日本にはまだ全然定着してないわけです。僕自身も自戒を込めて、そういう問題を意識したいと思うのです。

だから、もっとバンバン、アホでキチガイな官僚に文句を言って叱りつけてやらないとダメなんですね。とにかくそういう事です。

尖閣より検察問題。

2010年11月13日
尖閣問題は、もともと領土問題なので、あんな話はどうにもならんし、どうしてもいかんし、触らないに限る話なのに、なぜか、えんえんテレビでやってる。

つまりこれは良くも悪くも「やらせ」なのであって、おそらくその心は、前田元検事の問題やら、検察審査会の問題やらが、糊塗することができなくなってきたので、「矛先転換!」と持ち出されたんじゃないか? と疑ってしまう。

尖閣の問題は、クルマにたとえれば、他のクルマとの接触事故の問題であり、ビデオの話は、クルマで言えばバックミラーがちょっと見にくい位置にずれてしまいました、という話でしかない。

しかし、検察の問題は、ブレーキがきかないとか、あるいはアクセルとブレーキの取り付け位置が間違ってました、というレベルの大問題なわけでしょ? 検察機構というのは、民主主義のエンジンコントロール装置のひとつなんだから。

アクセル、ブレーキ、クラッチが、それぞれ頭文字でABC。役割が違って、それを適切に踏むからクルマは動く。おそらく、この仕組みは、電気自動車になっても、大きくはそれほど変わらないはず。(クラッチはなくなるでしょうが。)

民主主義において、そのABCに対応するのが司法、立法、行政の三権分立。検察は、その司法と行政をつなぐ重要なギアなのに、それが完全に摩耗してたのがわかった、という話が、フロッピーデータの改ざん問題やら、検察審査会のうじゃうじゃ出てくるおかしな問題たちなわけです。

バックミラーが多少見にくいとか、曇ってた程度なら、手でちょろっと直せば良いという程度の問題。しかし、アクセルとブレーキの取り付け位置がおかしいとか、ギアが摩耗したということだと、専門家に頼まないとダメというレベル。もともと、重要性が全然違うと思う。

そういう意味で、マスコミの取り上げ方が、根本的におかしいと思うし、検察問題をこそ、もっと徹底的にやらなアカンやろと思うんですがね、いかんせん、いまは官僚とマスコミがなれ合いなので、すぐにこういう「矛先転換報道」がなされるのよなぁ。検察の問題なんか、ここのところ全然取り上げなくなっちゃったもんな。それはアカンやろと思うのですが、どうにもおかしな事は続く。

困ったことです。

先日、

黒木昭雄さんがお亡くなりになった。警察によって暗殺された可能性は、かなり高いと私は記しておきます。
http://hitoyomi.diarynote.jp/?day=20101103

として、ジャーナリストに黒き昭雄さんがお亡くなりになった話を書きましたが、ニコニコ動画で、知り合いだったジャーナリストの方々が集まって、事件の真相について、いろいろと話をしておられました。

結局、司法解剖も行政解剖もされなかったらしいので、やはり事実は闇の中でさっぱりわからないというのが現実で、警察の不祥事を追求していたジャーナリストを、司法解剖にすらしなかった、という意味で、あまりに警察はずさん過ぎるという大問題は変わらないのですが、実際のところはやはり「本当に自殺した」という可能性がけっこう高いようです。

しかし、その自殺に至った経過を知ると、それこそ、まさに警察とマスコミによって「殺された」としか言いようのない、ひどい状況が存在してるんだなぁと思わざるを得ません。
僕が思っていた以上に警察とマスコミの癒着はひどく、状況としては、警察はずさんな仕事をし放題で、それを誰も正そうとすらしていないのだ、ということが見えてきました。これならまだ、「警察が自分たちの不祥事を隠すためにジャーナリストを殺そうとした」方がよっぽどマシなんですねぇ、情けない事に。
いまは、「警察がいくら不祥事を起こしても、マスコミがまったく書かない状況」だから、わざわざ黒木さんを殺害する必要がない、というそういう、もっともっと恐ろしい状況になっている、ということのようです。

だいたい、この黒木さんがジャーナリストになった経緯というのが「警察の腐敗をマスコミが追求しないから」なんですね。黒木さんは、もともと警察官だったそうなんですが、警察がいくら不祥事をしても、マスコミが取り上げないという状況に義憤を感じてジャーナリストになられたそうなんですよ。

しかし、現実問題として、各県の警察には、各地にその所轄警察詰めの記者クラブがあって、「サラリーマン記者」たちは、警察に記事ネタをもらわないと紙面を埋めることができないので、必然的に地元警察と癒着する、ということになって、マスコミが元々持っている公的機関の監視役という役目を果たさなくなってしまってるわけです。

この癒着状況が、それこそもう、日本全体に広がってしまってるわけです。

黒木さんは、その状況を打破しようと、わざわざ警官をやめてジャーナリストになり、数々の警官の不祥事を暴く記事を書こうとしてきたし、書いてきたわけです。

とくに最近では、岩手の殺人事件で、地元警察が犯人の誤認をしている可能性が非常に高いので、その件をしつこく追っていたわけです。
ところが、この事件が全然話題にならない。テレビや新聞で取り上げられないわけです。それこそ全然記事にも番組にもならない。

それで、ネットでこの問題をコツコツと書いては知らせておられて、やっと先日「ザ・スクープ」というテレビ番組で取り上げられたんだそうです。
このザ・スクープという番組も、実は記者クラブとは関係のない長野智子さんやディレクターの独自企画の番組だったそうで、ようは記者クラブはまったく相手にしなかったという事のようなんですね。

で、この「スクープ」で、全国に流れたんだから、ここから火がついて、警察の不祥事に注目が集まるかと、黒木さんはかなり期待しておられたらしいんですが、それがまったく後のアクションにつながらなかったわけです。

記者クラブに参加してるメディアが、一斉に無視をした、という状況なわけなんですね。

黒木さんは、そのメディア状況に、かなり絶望して自殺してしまった可能性が高いのではないか? という話なのです。

だから、先日僕は「黒木さんが死んだ原因がわからないのなら、警察に殺されたのだという疑いを持つことが市民自衛の手段として正しい」という意味の事を書いたし、おおむねはそういう言い方で正しいと思うのですが(実際司法解剖も行われていませんし)、でも現実としては、メディアがもう、本当にダメダメで、もし黒木さんが警察権力によって殺されているとするなら、



●殺されるかもしれないなら、警察批判記事は書かないでおこう。


というように考えるダメ記者しかいないのが現状だという悲惨さなわけです。
もう、ほんとうにどうしようもない。

いや、それどころか、もっと悲惨な状況もあるんですね。

というのも、黒木さんと同じく元警察官で、現在阿久根市の副市長である仙波敏郎氏に対して、ある新聞記者が「次はあなたかも知れないですよ。」と警告した、という話があるからです。

「殺されるかもしれませんから、注意してくださいね。」という意味の事を、黒木さんの事件を引き合いに出して注意した、という話があるのだそうです。

この記者は決して、「脅し」の意味で言ったのではなく、仙波氏を応援し守りたいという気持ちで言ったのだろうとは思うのですが、そういう事を言わざるを得ない状況がマスコミの側にはある、ということでもありますし、それだけ現場の記者が萎縮してしまっている証拠でもあります。

本来なら、警察批判を繰り返していたジャーナリストの死亡であるなら、キチンと司法解剖して、疑念をはらすべきなんですが、国民だれもがキチンと解剖によって死の原因が明らかにされるという仕組みに、日本はなっていないので、物事があやふやになってしまうし、「記者が自ら黙る」というような状況を見越して、わざと司法解剖をしていないという側面すらあるのではないか? という疑いもありますから、あらためて「国民に平等に死因特定の権利を!」と叫んでおきたいと思います。

黒木さんは、うつ病で医者にかかっていたのだ、という話もあります。その場合は、死亡診断書を医師が書いている可能性があって、それなら変死ではなく、病死となりますから、問題はないのかもしれません。そこはちょっと不明です。

しかし、黒木さんが警官をやめて、ジャーナリストとなり、活動を続けて絶望にいたったという過程のすべてに、警察の不祥事の問題と、それを正せない記者クラブの問題が大きく横たわっているわけですから、これは「疑惑」ではなく、はっきりと「警察と記者クラブの癒着構造によって社会的に殺された」という意味では、あさに警察に殺されたと言うにあたいする案件だと思います。

(それに加えて、うつ病の薬として、SSRが与えられていて、そのSSRの副作用によって死んでしまわれたのではないか?という薬害の問題も裏には存在しているのだ!ということを、日垣隆さんなんかは言っておられまして、2重3重に不幸だなぁと思います。日本人誰もに降りかかる、不幸な問題です。)

この間は、警官による自転車の歩道走行が道路交通法違反なのに、それが問題視されていないという事を書きましたが、そういう問題と根っこは完全に同じですね。正しい批判勢力がないから、組織が腐っていくということなわけです。

ということで、黒木さんの変死は、たんに警察の不祥事問題を取り上げていたという事だけではなくて、記者クラブ問題や、司法解剖の問題、うつ病治療薬SSRの問題まで含めて、大きな構図があまりに悲惨で暗い気持ちになります。

いまやたらと尖閣ビデオの問題が話題になってますけれど、そんな話より、こういう国内の法律の不備やら警察の不祥事、薬害問題の方がはるかに重要だと僕は感じます。
ひとりでも多くの人が、尖閣問題よりも、こういう身近に迷惑をこうむりかねない状況の方を気にするようになって欲しいなぁと、しみじみ思います。

そういうことであります。



少し前に朝のNHK「あさイチ」でやってた、「ほめる力」のすごさの特集。

イチおし 人生を変える驚異の“ほめパワー”
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2010/11/01/01.html

これがなかなか面白かったので、ちょっといろいろ書きます。

この番組を見て、一番面白いなーと思ったのが、実は「自分を自分でホメるホメ日記を書く」というものだったんですよ。これは面白いなーと思いました。これは、かなり多くの人の問題を解決するぞと感じたんです。

というのは、まず、前々から書いてますけど、アダルトチルドレン(=ACと略記します。)の問題ですね。

ACは、まず何より自分がACであることに気づいてなくて、自分を「普通」だと思ってるわけですが、そのACと「普通」の人の大きな違いが「自己肯定力」にあるんですね。

単純に言ってしまうと、

●失敗しなければいい。(AC)
●成功したい(ふつう)

という願い方の違いがあるわけです。
人間が、何をするにしても、何かを成功させるためには練習が必要で、練習の過程は失敗だらけなわけです。ですよね?

ということは「失敗しないようにしよう」という考え方は、その考え方を持った時点でアウトだ、ということがはっきりとわかります。

スポーツであれ、音楽であれ、練習するというのは失敗を繰り返す、ということなわけですから。

しかし、この「失敗をくりかえす」ということに、ACは、なかなか耐えられないわけです。

なぜか? というと、それは自己肯定力が低いからなんですね。「失敗しても俺は俺。なにもしてない俺でも、俺はすばらしい。」という気分を維持できないからなんです。

自分に自信がないから、ひたすら失敗を避けるし、これが困ったことに、自分が一番大事だ、と思っている事でこそ「失敗したくない」と思うものだから、ずーっと一生、自分が一番大事だと思ってる事で失敗をし続けてしまったりするわけです。

だから、物事がうまくいかないで困ってる人は、まず何よりも失敗してもめげない強い力を持つ必要があって、そのためには、「自己肯定力」を高める必要があるんですね。

普通、というか、まともで良い家庭で育った子供なら、とにかく何度かは親にほめられてがんばったという経験があって、その経験がタネになって失敗してもめげずにがんばるスキルというのが身に付くわけです。たくさんホメられたか、少ししかホメられなかったかの差はありますが、おおむねそれが基準です。

しかしACは、その経験がないので、「叱られない」ように、「失敗しない道」を選ぼうとします。

こうなると、努力が一切できなくなっちゃうんですね。

だから、こういう人種は、(というか、もともと僕もそういう人間でした。)まず自分をほめる必要があるわけです。

「よくがんばってるな、えらい!」「そこまでの努力はなかなかできないよ。」「失敗してもあきらめないんだねぇ。えらいなぁ。」とか。
こういうことをしっかり明確に言葉にして、文字にし、それを自分で読むということをすると、自己肯定力が高まる、ということなんです。

実は、このNHKの番組では、まず他者にほめてもらう事の効果の高さをいろいろ実験で見せた後に「褒められることは、脳においては『喜び』となり、『報酬』としてとしてお金などと共通に受け取られていることが明らかになった」という最近の研究結果を紹介してたんですね。

つまり、お金がもらえるからバイトをするのと同じように、ホメられたいから、良い行動をする、ということがある、ということなんですね。「ホメ」が「お金」と同じだけの力を持つ、ということなんです。

で、この効果を紹介した上で、「実は自分で自分をほめても、その効果はあるのだ」とホメ日記を紹介していたんですね。

おお、そりゃすごい!ということですよ。無からお金を生み出せるようなもんですから。

なので、実際、自分でも小さなメモ帳を持ちあるいて、気づいたときに、できるだけ自分をホメるようにしはじめたんですが、これが意外に効果が高いんですね。

自分で自分をほめるわけですから、「あきらかにおべんちゃら」みたいな事は、こっぱずかしくて書けないわけですよ。自分でほんとうに「これはなかなか大した事なんじゃないの?」という事をほめる。そうするとウソじゃないということが自分でわかってるわけですから、気持ちよいんですね。
これはなかなか良いなぁと思って、これは、多くの人と分かち合うべきことだよなぁと思ったので、書いた、ということです。

で、それと同時に最近思うのは、「夢」を持つことの重要性ですね。

いくらホメても、もともとの目標が小さいとホメるネタがなくなっちゃうんですよね。

しかし、大きな夢を持っていると、なかなか達成されないがゆえにがんばりやすいわけです。

夢は、小さい夢だと、すぐにかなってしまうので、あまり面白くありません。たとえば、スポーツするなら、それこそイチロー選手をめざすとか、そのくらい大きい方が良いわけです。大きい夢は、なかなか叶わないだけに、日々努力をするんですね。目標を小分けにして、小さな小さな単位にして、そしてそれをホメて実行すると。そういう組み合わせですね。どうも、それが良いように思います。

ちょっととっちらかった内容になりましたが、なんか最近は、そういう事をよく考えております。



昨日は大阪で、今日は東京と名古屋で、



「検察・マスコミの横暴を抗議する市民デモ」



が、あったそうです。
例のフリージャーナリストの岩上安身さんのやってるユーストリームでその様子が見れます。

東京(渋谷) 11月21日分
http://www.ustream.tv/recorded/10993161

東京は、11月5日にもデモがありまして、それを知った人が「うちでもやろう」と自主的にやりはじめたらしいですね。これはYoutubeに動画があります。
東京 11月5日分
http://www.youtube.com/watch?v=ds_DU90T7KY
この時で1200人の参加だったようです。

で、昨日の土曜日は大阪でもデモがありました。
大阪 20日
http://www.youtube.com/watch?v=QorqRWhbmCw
http://www.youtube.com/watch?v=KEM83GEnNHY&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=ITGiO04ZMy8&NR=1

大阪のデモの様子を報告しているブログもありました。
●ニュース逆さ読み[デモは体にいい]
http://blog.livedoor.jp/nkmrrj04fr/archives/51881528.html

大阪のデモは、僕も参加したかったんですけど、急に仕事の打合せが同時刻に入ってしまって参加できませんでした。

23日には、新潟と福岡でもやるそうですよ。完全に全国レベルですな。いいやー素晴らしい。
連絡の中心になってるのは、このページかな?
http://togetter.com/li/70588
よくはわかりませんけど、知りたい人は自分でいろいろ調べて参加するのも良いのではないでしょうか。

ともあれ、心ある人、事情を解ってる人、マスコミの嘘っぱちや官僚のごまかしが見抜ける人が、とっても増えてきたようです。うれしい! 胸が熱くなる。いやほんと。

まったく、やっとまともな世の中になってきました。ツイッター、ユーストリームの威力ですな。東京のデモは、3000人くらい集まったそうですよ。

あ、当然というか、いまのマスコミは腐ってますから、こういう市民連帯による「マスコミ批判」の大規模デモがあった事自体が報じられておりません。
自分に都合の悪いことはとりあげない。社会の公器でなきゃいかんのに。まったく…。(ちゅうか、マスコミがそういうひどさだから、このデモが起きたわけですが。)

ですから、テレビなんか見てても、世の中の実際の動きなんか、さーっぱりわからないんですよ。尖閣ビデオも、多分、こういう「マスコミや検察批判」の動きを封じ込めようとする悪巧みという気がします。尖閣ビデオなんか、どうでもいいのだ。まず、マスコミと検察をどうにかしろ。そっちが先。

ということで、デモで叫ばれたシュプレヒコール集。


●若者よマスコミなんか信じるな~!

●マスコミは真実を報道しろ~~!!

●国民はマスコミにだまされるな~!

●嘘つきマスコミは恥を知れ~!

●検察と特捜を解体しろ~!

●おかしいぞ!検察審査会!

●記者クラブを廃止せよ~!

●マスコミはウソをつくな~!

●日本政府は国民のために働け~!

●冤罪をなくせ~~。

●ウソツキマスコミは恥を知れ~~~~!

●検察はどこの国の機関だ~~~!

●マスコミは国民の味方ではありませ~ん。

●小沢一郎は真っ白だ~!

●小沢一郎は無実だ~!

●小沢一郎に仕事をさせろ~!

●政治家を、罪に落として、出世かな。(川柳の読み上げ)

●ウソの報道をするな~!

いやー、良いシュプレヒコールだなぁ。うむうむ。
タイトルの「『若者よマスコミなんか信じるな~!』いいシュプレヒコールだなぁ。」というのは、ツイッターで見かけた、とても共感できるつぶやきを、そのままタイトルとして選んだものです。

ま、現実の日本は、こういう具合になってきてるんです。もう、この流れは止められんでしょう。どうするつもりかね? マスコミのバカやマヌケな官僚たちは。いやほんと。

あ、そうそう、ついでに言うと、柳田法務大臣の「失言問題」も、証拠捏造などの検察不祥事解明に関して、それを暴くための「検察の在り方検討会議」に、郷原信郎さんとか、江川紹子さんなど、検察批判にするどい、気骨のある人が選出されたことへの危機感が、法務官僚にあるという話もあるのですよ。

なんせ、この「検察の在り方検討会議」は、柳田法務大臣直属の諮問機関ですからね。この人の集まりをどうしてもつぶしたいという検察や裁判所などの焦りから、ああいう記事になっている可能性がかなりあります。

マスコミ記事には裏がある。

という事です。

尖閣もいっしょ。

2010年、11月の現在において、大事なのは、尖閣よりも、柳田発言問題よりも、「検察の不祥事と、マスコミ批判を徹底無視する官僚+マスコミ=「官報複合体」のおかしさを暴くことです。

まず、これが何よりも最優先で必要です。
そういうおかしな構造があるのだ!ということを、我々国民が気づき、最優先の問題として、議題に掲げ続けることが大切です。

なので、もう一度書きます。



●マスコミの報道には裏がある。


ということなんです。
そこを、絶対に忘れてはいけません。

いままで、全然取り上げなかったのに、急に柳田法相への一斉攻撃がはじまった、というのは、そういう可能性がかなり高いってことです。
(とはいえ、柳田さんって、かなり中途半端でよくわかってない人だしねぇ。で、よく解ってないから、いきなりものすごく強硬な郷原さんや江川さんを人選しちゃったんでしょう。でも、この会議はつぶしちゃいけません。郷原さんと江川さんは、検察改革にはなくてはならない人たちです。はい。)

まぁ、柳田さん個人の資質は、とりあえず横に置いておいて、柳田さんが直接取り仕切ってる
「検察の在り方検討会議」だけはつぶさせてはいけません。
そういう事であります。

昨日、名古屋市の市議会リコールに関する署名が署名数が規定に達しなかったので、不成立になったというニュースが流れました。

しかし、何が「1万2000票不足でリコールが不成立に終わった」や。ニュースを聞いていて、事情を多少は知ってる人間として非常に腹が立った。

このリコールを請求する署名というのは、180万市民のうち36万人にもおよぶ署名がなければ成立しない。しかも、それを1ヶ月で達成しないといけないという、ものすごくハードルの高い事を決めているわけです。

で、河村たかしおよび、彼の恒久10%減税、市会議員給与の半減(年俸1600万円を800万円に、という話で世間並みにしましょう、ということです。800万でもかなりの高給で、本来ボランティアでやるべき政治を「職業化」してることこそが、本来は問題なのだ、と河村氏は主張してる。)を求める人たちは、それを大きく上回る46万人分もの署名を1ヶ月で集めきったわけです。

このあたりの事情を知っている人間からすると、ニュース報道における「1万2000件足りず、リコール不成立」という言い方が、非常にゆがんでいると思うわけです。

事情を知らない人が、「1万2000件足りず、リコール不成立」と聞いたら、名古屋市民はあまり怒ってなかったのか、という印象にしかならないわけです。

しかし実際は全然違う。36万人を大幅に上回る46万もの署名が集まったわけですよ。市民の市議会に対する不満は、とんでもなく大きいということです。

ところが、恒久的に10%減税したり、給料を半分に減らされたらかなわん、と思ってる市議側は、市議のOBで占められる選挙管理委員会を通じて、驚くなかれ、12万件にもおよぶ署名を「無効扱い」にしたという事なんです。

こんなもの、この選挙管理委員を徹底糾弾するのが本来の姿です。

その無効というのが、どういう無効性かというと、リコール署名を募っている発起人から署名を求められたのか、それともその発起人を手伝っている委託者から署名を求められたのかを書く欄があって、そこが空白のものが問題だ、という実にくだらない理由。

発起人から直接求められた場合は空欄でも良いが、代理の人間から頼まれた場合は、その代理人の名前が書かれていなければならないという、おかしなルールがあるからなんですよ。
確かにルールはルールだから、仕方ないと言えば仕方ない。

しかし、今回の名古屋のリコール署名は、全国から注目が集まっていて、全国から応援に出かけた人も多いわけです。つまり、その無効にされた12万件というのは、そうやって応援に出かけた人の民意も反映している、ということなんですね。

でも、それを、この選挙管理委員会は無視した。

しかも、その全国で注目されているリコール請求を、大手マスメディアは「1万200件足りず、不成立」と、完全に選挙管理委員の側に立って報道した、ということなわけです。

これは、いま名古屋で起きていることが、全国に飛び火をしてはかなわない、という官僚たちや全国地方自治体の議員・役人の思惑があるからです。

しかし、この話は、ここまで説明しないと、そのひどさというものは、多くの人に伝わらないんですね。

大事なことは「何を言っていないか」なんです。

良く、「メディアリテラシーが大切だ」とか、わかったような事をほざく学者とかいますが、そんなもの、もっとも重要な、肝心のポイントを「言わない」ままだと、問題点に気づくことすらできないわけですよ。

この名古屋市のリコール不成立のニュースが、「1万2000件足りずに不成立」と報道される事自体が、明白で意図的な「問題点隠し」なわけです。

しかし、それに気づける人は、この問題にずっと注目してた人だけでしょう。よく知らずに聞き流す人の方がかなり多い。「名古屋の住民は怒っていないんだ」と思う人の方がどうしても多くなってしまう。

これが官僚+マスメディアによる情報支配の実態なわけです。
こういう言い方で現実の国民の動きが封じられているのです。

かなり悪質な情報操作が行われている、ということであって、それは延々と糾弾し続けないと、みんな訳が分からなくなってしまいます。事態は、あまりにひどいと言わざるを得ない。
こんな馬鹿げた報道は、メディアリテラシーでどうにかなるようなレベルではない、ということです。
メディアリテラシーで判定できるくらいのゆがみなら、誰も本気で怒らないよ。実際。

あまりにひどい。
そう言うしかありません。

だから、このニュースの正しい見出しは、この記事の表題にした

「名古屋のリコール不成立は、市会側に立つ選管の悪質な妨害工作によって11万票が無効扱いされたせいです。」

くらい書くのが本来のはずなんですね。

まぁ、100歩ゆずっても、

「名古屋市リコール不成立。署名46万件中12万件が無効票扱い。」まででしょう。36万件が目標数だ、というのは署名した人みんなが知ってたはずですからね。これなら、事態の本当の姿がはっきりする。

なのになんで、

「名古屋市リコール不成立。1万2000件足りず」が全国紙の見出しになるのか?っちゅうことですわ。
非常に不愉快であります。

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