クロスオーナーシップ規制が、放送法改正から削られてしまいました。
しかも、削除要求を出したのが、民主党自身だというから、目もあてられん。
やっぱり寄せ集め政党っていうのは、こういう時に困るなぁ。前総務相の原口さんもすごく悔しいだろうと思う。
もう、ずっとここでメディアの問題を書いてますが、最初は自分がライターだから「いまのメディアっておかしくない?」という疑問からはじまった事なんですね。
たとえば、取材の基本である5Wと1H(いつ、どこで、誰が、何を、何故、どのように)とかを守った記事とかが全然ないとか、そういうような「基本ルールの壊れ」が気になった、というような事だったわけです。
で、おかしいなぁといろいろ思ってたら、twitterを通じて記者クラブ問題のあまりのひどさとか、クロスメディアオーナーシップの問題とかを知ったわけです。
これらの問題は、メディア自身の問題であって、メディアがメディア自身を叩くという自己検証能力がまったくないので、世間で全然知られていない問題だったわけです。
だから僕も全然知らなかった。twitterがなかったら「クロスオーナーシップ規制」という概念自体を知り得なかったと思うわけです。記者クラブの問題もテレビや新聞を観ているだけでは絶対にわからない。だって報道しないんだもん。
ということで、いまのメディアは「自分に都合の悪い問題は一切取り上げない」という、どうしようもないカスメディアだから、政治の側から、その規制をいろいろとやっていこうというのが放送法の改正の話なわけです。
で、クロスオーナーシップ規制というのは、ようするに「ひとりの社主がテレビとメディアとか複数メディアの権力を握ってはいけません法」なわけです。多様なメディア、多様な意見を持つメディア環境を作りなさい法律なんですね。
具体的には特定のオーナーに資本の集中が起こらないようにする規制なんです。
これはぜひとも必要で、日本以外の先進国には、まぁ常識的に存在するんです。しかし、日本にはない。
日本という国は、良く「横並びで、同じ価値観を共有していて、そこが強いところだ」などという意見もあったりしますが、それは大嘘で、メディアの金主が、横つながりで「このネタはこういう意見で統一しましょう」と結託してつながって、あとは、どの報道機関も同じ事を一斉に流すというアホな事しかしてないという、ただそれだけの事なんですね。
そのひどさは、たとえば、読売新聞のナベツネこと渡邉恒夫氏などは、記者上がりのくせに読売の経営権を握って、大物政治家の記者発表の時には、記者席にいるのではなく、その政治家の横に座って、記者達をにらみつけ、変な質問をしないか見張っていたというトンデモ野郎だったりするわけです。
こんな状況で「多様な意見」なんか生まれてくるわけがない。
しかも、このナベツネが経営者でもあるから、社の意見としてナベツネの意向に沿わない記事を勝手に書いたら、読売新聞では決して出世できないわけですよ。そりゃ、記者もサラリーマン化して、上の意向に沿った意見しか書きませんわね。
大手新聞社は全部同じです。
だから、いまなんかテレビで一斉に尖閣ビデオのネタをやってるけど、そんなもん、どんな裏があるかわかったもんじゃないんだから、どうでもよろしい。中国にせよ、韓国にせよ、北朝鮮にせよ、台湾にせよ、副島隆彦が唱えた「アジア人同士争わず」を、しっかり大方針として持っていれば、それでオーケーと僕は思っております。だって日本人に中国の事はいじれないんだから。でしょ? そんな事考えてもしょうがない。
そんな事より、こういう大騒ぎの中でクロスオーナーシップ制が放送法改正から削られたと言うことの方が、はるかに、はるかに、はるかに大問題で、そこをなんとかしなくてはいけない。
クロスオーナーシップ規制がキチンと働けば、何年か後には、欧米のメディアと同じように「報道機関は経営権と編集権の完全分離が不可欠」という世界の常識にも到達できるはずなんですね。
これは、簡単に言うと、「経営者は編集に口出しできない」という仕組みの話なわけです。記者である間は、自由に編集権を使って、意見を言ったり言わなかったり、情報の編集をしたりしなかったり、記事を作る側として振る舞えるけれども、いったん経営者側になったら、その権利はなくなりますよ、と言うことです。
これは、世界のあらゆるメディアで、報道における基本中の基本となる重要なルールとして定着しているものなんだそうです。
でも、そういう事を知らないからさ。我々日本人は。アジアの辺境の田舎者、土人だから。メディアがいかに重要なのか?ということを知らない。第二次世界大戦の時の日本の大本営発表が、いかに世界から劣った仕組みであったのかを、戦後何十年も経ってるのに、いまだに知らないって事なんですから。
(アメリカはGHQが統治していた時代に「大本営発表? おお、思想支配するのに、こんなに便利なものはねぇなぁ。」と思って、わざと改革せんかったわけですよ。で、アメリカの言うことを聞く人間を社主に据えた。それがナベツネ。だから読売新聞はいつまでたっても、えんえんキッシンジャーが出てきて、勝手な事を書いてるし、それを日本人の多くがありがたがってる。朝日の船橋洋一も都合良くあてがわれた「やとわれ主筆」くさい。まぁろくなもんではないんです。)
僕自身は、あんまり好きな雑誌じゃないけど、「サイゾー」という雑誌があって、あの雑誌は実は経営と編集の分離がちゃんとしてるらしいんですな。まぁ、これ以上は書かないけど。あの雑誌は、内容はくだらないけど、それでも自由闊達という感じはありますわね。
そういう風に、自分たちで積極的にクロスオーナーシップを確立しようとしてるようなところは良いのだけれど、5大新聞とテレビあたりは、もうどうしようもなくズブズブに「上の意向に従うサラリーマン記者」ばっかりで、ほんっとうに、もう、どうでもいい存在です。
いま我々にできるのは、本当にもう、「新聞の不買運動」くらいしかないわけですよ。
情報の収集のメインをtwitterと書籍に大きく、大きく、大きくシフトする以外に、まともな「頭」が作れないんです。
悲しいかな、それが現実なんですね。
尖閣問題なんてどうでもいい。それより記者クラブとクロスオーナーシップ規制。そっちが大事。そういう感覚を持てるかどうか。
ここを、しっかり考えましょう。
しかも、削除要求を出したのが、民主党自身だというから、目もあてられん。
やっぱり寄せ集め政党っていうのは、こういう時に困るなぁ。前総務相の原口さんもすごく悔しいだろうと思う。
もう、ずっとここでメディアの問題を書いてますが、最初は自分がライターだから「いまのメディアっておかしくない?」という疑問からはじまった事なんですね。
たとえば、取材の基本である5Wと1H(いつ、どこで、誰が、何を、何故、どのように)とかを守った記事とかが全然ないとか、そういうような「基本ルールの壊れ」が気になった、というような事だったわけです。
で、おかしいなぁといろいろ思ってたら、twitterを通じて記者クラブ問題のあまりのひどさとか、クロスメディアオーナーシップの問題とかを知ったわけです。
これらの問題は、メディア自身の問題であって、メディアがメディア自身を叩くという自己検証能力がまったくないので、世間で全然知られていない問題だったわけです。
だから僕も全然知らなかった。twitterがなかったら「クロスオーナーシップ規制」という概念自体を知り得なかったと思うわけです。記者クラブの問題もテレビや新聞を観ているだけでは絶対にわからない。だって報道しないんだもん。
ということで、いまのメディアは「自分に都合の悪い問題は一切取り上げない」という、どうしようもないカスメディアだから、政治の側から、その規制をいろいろとやっていこうというのが放送法の改正の話なわけです。
で、クロスオーナーシップ規制というのは、ようするに「ひとりの社主がテレビとメディアとか複数メディアの権力を握ってはいけません法」なわけです。多様なメディア、多様な意見を持つメディア環境を作りなさい法律なんですね。
具体的には特定のオーナーに資本の集中が起こらないようにする規制なんです。
これはぜひとも必要で、日本以外の先進国には、まぁ常識的に存在するんです。しかし、日本にはない。
日本という国は、良く「横並びで、同じ価値観を共有していて、そこが強いところだ」などという意見もあったりしますが、それは大嘘で、メディアの金主が、横つながりで「このネタはこういう意見で統一しましょう」と結託してつながって、あとは、どの報道機関も同じ事を一斉に流すというアホな事しかしてないという、ただそれだけの事なんですね。
そのひどさは、たとえば、読売新聞のナベツネこと渡邉恒夫氏などは、記者上がりのくせに読売の経営権を握って、大物政治家の記者発表の時には、記者席にいるのではなく、その政治家の横に座って、記者達をにらみつけ、変な質問をしないか見張っていたというトンデモ野郎だったりするわけです。
こんな状況で「多様な意見」なんか生まれてくるわけがない。
しかも、このナベツネが経営者でもあるから、社の意見としてナベツネの意向に沿わない記事を勝手に書いたら、読売新聞では決して出世できないわけですよ。そりゃ、記者もサラリーマン化して、上の意向に沿った意見しか書きませんわね。
大手新聞社は全部同じです。
だから、いまなんかテレビで一斉に尖閣ビデオのネタをやってるけど、そんなもん、どんな裏があるかわかったもんじゃないんだから、どうでもよろしい。中国にせよ、韓国にせよ、北朝鮮にせよ、台湾にせよ、副島隆彦が唱えた「アジア人同士争わず」を、しっかり大方針として持っていれば、それでオーケーと僕は思っております。だって日本人に中国の事はいじれないんだから。でしょ? そんな事考えてもしょうがない。
そんな事より、こういう大騒ぎの中でクロスオーナーシップ制が放送法改正から削られたと言うことの方が、はるかに、はるかに、はるかに大問題で、そこをなんとかしなくてはいけない。
クロスオーナーシップ規制がキチンと働けば、何年か後には、欧米のメディアと同じように「報道機関は経営権と編集権の完全分離が不可欠」という世界の常識にも到達できるはずなんですね。
これは、簡単に言うと、「経営者は編集に口出しできない」という仕組みの話なわけです。記者である間は、自由に編集権を使って、意見を言ったり言わなかったり、情報の編集をしたりしなかったり、記事を作る側として振る舞えるけれども、いったん経営者側になったら、その権利はなくなりますよ、と言うことです。
これは、世界のあらゆるメディアで、報道における基本中の基本となる重要なルールとして定着しているものなんだそうです。
でも、そういう事を知らないからさ。我々日本人は。アジアの辺境の田舎者、土人だから。メディアがいかに重要なのか?ということを知らない。第二次世界大戦の時の日本の大本営発表が、いかに世界から劣った仕組みであったのかを、戦後何十年も経ってるのに、いまだに知らないって事なんですから。
(アメリカはGHQが統治していた時代に「大本営発表? おお、思想支配するのに、こんなに便利なものはねぇなぁ。」と思って、わざと改革せんかったわけですよ。で、アメリカの言うことを聞く人間を社主に据えた。それがナベツネ。だから読売新聞はいつまでたっても、えんえんキッシンジャーが出てきて、勝手な事を書いてるし、それを日本人の多くがありがたがってる。朝日の船橋洋一も都合良くあてがわれた「やとわれ主筆」くさい。まぁろくなもんではないんです。)
僕自身は、あんまり好きな雑誌じゃないけど、「サイゾー」という雑誌があって、あの雑誌は実は経営と編集の分離がちゃんとしてるらしいんですな。まぁ、これ以上は書かないけど。あの雑誌は、内容はくだらないけど、それでも自由闊達という感じはありますわね。
そういう風に、自分たちで積極的にクロスオーナーシップを確立しようとしてるようなところは良いのだけれど、5大新聞とテレビあたりは、もうどうしようもなくズブズブに「上の意向に従うサラリーマン記者」ばっかりで、ほんっとうに、もう、どうでもいい存在です。
いま我々にできるのは、本当にもう、「新聞の不買運動」くらいしかないわけですよ。
情報の収集のメインをtwitterと書籍に大きく、大きく、大きくシフトする以外に、まともな「頭」が作れないんです。
悲しいかな、それが現実なんですね。
尖閣問題なんてどうでもいい。それより記者クラブとクロスオーナーシップ規制。そっちが大事。そういう感覚を持てるかどうか。
ここを、しっかり考えましょう。