先日、

黒木昭雄さんがお亡くなりになった。警察によって暗殺された可能性は、かなり高いと私は記しておきます。
http://hitoyomi.diarynote.jp/?day=20101103

として、ジャーナリストに黒き昭雄さんがお亡くなりになった話を書きましたが、ニコニコ動画で、知り合いだったジャーナリストの方々が集まって、事件の真相について、いろいろと話をしておられました。

結局、司法解剖も行政解剖もされなかったらしいので、やはり事実は闇の中でさっぱりわからないというのが現実で、警察の不祥事を追求していたジャーナリストを、司法解剖にすらしなかった、という意味で、あまりに警察はずさん過ぎるという大問題は変わらないのですが、実際のところはやはり「本当に自殺した」という可能性がけっこう高いようです。

しかし、その自殺に至った経過を知ると、それこそ、まさに警察とマスコミによって「殺された」としか言いようのない、ひどい状況が存在してるんだなぁと思わざるを得ません。
僕が思っていた以上に警察とマスコミの癒着はひどく、状況としては、警察はずさんな仕事をし放題で、それを誰も正そうとすらしていないのだ、ということが見えてきました。これならまだ、「警察が自分たちの不祥事を隠すためにジャーナリストを殺そうとした」方がよっぽどマシなんですねぇ、情けない事に。
いまは、「警察がいくら不祥事を起こしても、マスコミがまったく書かない状況」だから、わざわざ黒木さんを殺害する必要がない、というそういう、もっともっと恐ろしい状況になっている、ということのようです。

だいたい、この黒木さんがジャーナリストになった経緯というのが「警察の腐敗をマスコミが追求しないから」なんですね。黒木さんは、もともと警察官だったそうなんですが、警察がいくら不祥事をしても、マスコミが取り上げないという状況に義憤を感じてジャーナリストになられたそうなんですよ。

しかし、現実問題として、各県の警察には、各地にその所轄警察詰めの記者クラブがあって、「サラリーマン記者」たちは、警察に記事ネタをもらわないと紙面を埋めることができないので、必然的に地元警察と癒着する、ということになって、マスコミが元々持っている公的機関の監視役という役目を果たさなくなってしまってるわけです。

この癒着状況が、それこそもう、日本全体に広がってしまってるわけです。

黒木さんは、その状況を打破しようと、わざわざ警官をやめてジャーナリストになり、数々の警官の不祥事を暴く記事を書こうとしてきたし、書いてきたわけです。

とくに最近では、岩手の殺人事件で、地元警察が犯人の誤認をしている可能性が非常に高いので、その件をしつこく追っていたわけです。
ところが、この事件が全然話題にならない。テレビや新聞で取り上げられないわけです。それこそ全然記事にも番組にもならない。

それで、ネットでこの問題をコツコツと書いては知らせておられて、やっと先日「ザ・スクープ」というテレビ番組で取り上げられたんだそうです。
このザ・スクープという番組も、実は記者クラブとは関係のない長野智子さんやディレクターの独自企画の番組だったそうで、ようは記者クラブはまったく相手にしなかったという事のようなんですね。

で、この「スクープ」で、全国に流れたんだから、ここから火がついて、警察の不祥事に注目が集まるかと、黒木さんはかなり期待しておられたらしいんですが、それがまったく後のアクションにつながらなかったわけです。

記者クラブに参加してるメディアが、一斉に無視をした、という状況なわけなんですね。

黒木さんは、そのメディア状況に、かなり絶望して自殺してしまった可能性が高いのではないか? という話なのです。

だから、先日僕は「黒木さんが死んだ原因がわからないのなら、警察に殺されたのだという疑いを持つことが市民自衛の手段として正しい」という意味の事を書いたし、おおむねはそういう言い方で正しいと思うのですが(実際司法解剖も行われていませんし)、でも現実としては、メディアがもう、本当にダメダメで、もし黒木さんが警察権力によって殺されているとするなら、



●殺されるかもしれないなら、警察批判記事は書かないでおこう。


というように考えるダメ記者しかいないのが現状だという悲惨さなわけです。
もう、ほんとうにどうしようもない。

いや、それどころか、もっと悲惨な状況もあるんですね。

というのも、黒木さんと同じく元警察官で、現在阿久根市の副市長である仙波敏郎氏に対して、ある新聞記者が「次はあなたかも知れないですよ。」と警告した、という話があるからです。

「殺されるかもしれませんから、注意してくださいね。」という意味の事を、黒木さんの事件を引き合いに出して注意した、という話があるのだそうです。

この記者は決して、「脅し」の意味で言ったのではなく、仙波氏を応援し守りたいという気持ちで言ったのだろうとは思うのですが、そういう事を言わざるを得ない状況がマスコミの側にはある、ということでもありますし、それだけ現場の記者が萎縮してしまっている証拠でもあります。

本来なら、警察批判を繰り返していたジャーナリストの死亡であるなら、キチンと司法解剖して、疑念をはらすべきなんですが、国民だれもがキチンと解剖によって死の原因が明らかにされるという仕組みに、日本はなっていないので、物事があやふやになってしまうし、「記者が自ら黙る」というような状況を見越して、わざと司法解剖をしていないという側面すらあるのではないか? という疑いもありますから、あらためて「国民に平等に死因特定の権利を!」と叫んでおきたいと思います。

黒木さんは、うつ病で医者にかかっていたのだ、という話もあります。その場合は、死亡診断書を医師が書いている可能性があって、それなら変死ではなく、病死となりますから、問題はないのかもしれません。そこはちょっと不明です。

しかし、黒木さんが警官をやめて、ジャーナリストとなり、活動を続けて絶望にいたったという過程のすべてに、警察の不祥事の問題と、それを正せない記者クラブの問題が大きく横たわっているわけですから、これは「疑惑」ではなく、はっきりと「警察と記者クラブの癒着構造によって社会的に殺された」という意味では、あさに警察に殺されたと言うにあたいする案件だと思います。

(それに加えて、うつ病の薬として、SSRが与えられていて、そのSSRの副作用によって死んでしまわれたのではないか?という薬害の問題も裏には存在しているのだ!ということを、日垣隆さんなんかは言っておられまして、2重3重に不幸だなぁと思います。日本人誰もに降りかかる、不幸な問題です。)

この間は、警官による自転車の歩道走行が道路交通法違反なのに、それが問題視されていないという事を書きましたが、そういう問題と根っこは完全に同じですね。正しい批判勢力がないから、組織が腐っていくということなわけです。

ということで、黒木さんの変死は、たんに警察の不祥事問題を取り上げていたという事だけではなくて、記者クラブ問題や、司法解剖の問題、うつ病治療薬SSRの問題まで含めて、大きな構図があまりに悲惨で暗い気持ちになります。

いまやたらと尖閣ビデオの問題が話題になってますけれど、そんな話より、こういう国内の法律の不備やら警察の不祥事、薬害問題の方がはるかに重要だと僕は感じます。
ひとりでも多くの人が、尖閣問題よりも、こういう身近に迷惑をこうむりかねない状況の方を気にするようになって欲しいなぁと、しみじみ思います。

そういうことであります。



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