謎が解けた。

2008年2月29日 ゲーム
またmixiから転載です。ゲームネタ。
なんというか、この話は、僕的にはかなりすっきりした気分なのです。もうずーっと、23年間、変な感じがしていたことが、すべてすっきりと解明できた気分で、便秘が治った気分。ああ、長い便秘やった。
でもまぁ、おそらく、この見方でほぼ間違いなし。実にスッキリ。
文中に「コメント」とかあるのは、mixiでコメントいただいて、それに応えた事を指しております。
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えー、ずっと、「スーパーマリオブラザーズ」というゲームが大嫌いで、どうしようもなかったんですが、先日書いた「乗る十字カーソル」の日記でコメントしたりしてるうちに、はたと、なぜ嫌いなのかの謎が全部解けました。

で、それが自分の中ではっきりとわかったので、冷静に「スーパーマリオブラザーズが嫌い」というのは撤回して、

●「スーパーマリオブラザーズは世紀のクソソフトである」

という断定に変更することにしました。
単に売れたから勝てば官軍で良いソフトだ、と言う事になってただけで、かなり、そうとうにまずい、よろしくない悪性ソフトだとわかりました。
とくに、発達期にある、幼児とか、あるいは、依存症になってしまっている人には、その健全な精神の発達を阻害する可能性が高いので、あまりやらせない方がよいだろうという推測・仮説も成立すると僕は思います。

謎のすべては、宮本茂という人にありました。

あの人、左利きのインダストリアル・デザイナーだったんですよ。そこに気がついてすべてがわかったのです。

スーパーマリオのシリーズには、全部と言って良いほど「ストーリー」がないんですね。

で、それを僕は「ストーリーを軽視している」のだと思っていたのですが、その見方自体が間違っていたんです。たぶん、宮本さんは「ストーリー」というものを「憎んで」いるんです。そういう仮説が成立した。
それですべてがわかったんです。

左利きの人にとっては、モノと自分との関わりに置いて「ストーリー=モノの扱い方の説明」は、自分を裏切る存在になりがちなのだ! ということなんですよ、ようは。

たとえば、ジュースのペットボトルがあったとします。その開け方を右利きの母親が、「こうやって空けるのよ」と言ったとします。で、そのとおりにやってみると思い通りにいかない。仕方がないから、自分なりのやり方をすると「いや、それは変よ。」と言われたりする。

つまり「ストーリー=モノの扱い方」は、つねに、自分を阻害するものとして存在してたんでしょう。だから宮本さんはストーリーが「嫌い」なんだ。

でも、大人になると「嫌い」とははっきり言えないから「まぁ、いいじゃない」って言い方になる。で、「無視する」という、最悪の態度を取ってしまう、ということなんでしょう。

無視というのは、ネグレクトと言って、正真正銘の「虐待行為」なんですね。で、宮本さんは「ストーリーを否定する」という事を、困ったことに、無意識でやってネグレクトしてるわけです。

このネグレクトがあるということを僕は勘づいたから、マリオが大嫌いだったんだとわかりました。

ようするに親と子の間にある、まともで健全な「コミュニケーションの感覚」というものが、まさに欠落してるという事なんです。
「ストーリーがない」というのは、そういう事なんです。

幼児が小学生に成長していく過程で、親が子供に絵本の読み聞かせをするとかするのは、とても大切な行為なんですね。
で、その読み聞かせは、「ものごとの説明」への納得感も含みます。つまり、この世は自分たちのために住みやすく作られているのだよ、という健全な精神の安定が、そういう親とのやりとりの中から形作られるわけです。

その基本のところが、レフター(左利き)の人は阻害されやすい。特に、「モノ」に対して、屈折してしまうでしょうね。
で、宮本さんは屈折しているからこそ、インダストリアル・デザイナーという方向に進んでいったんですよ。間違いない。

「スーパーマリオブラザーズ」の中にある、ものすごく気持ち悪い部分というのは、まさに、そういう「説明=この世の理解」に対する不信感みたいな事なんです。

その象徴として大きいのは、マリオの中にいくつも出てくる「キノコ」にはっきりと現れています。
キノコには毒キノコと食べられるキノコがあります。それは見ただけではわからない。

こんなものね、もともと表現力が低く、ルールの明確性が必要な「ゲーム」という枠組みの中でアイテムとして登場させる方がどうかしている。ルールの明確性が壊れる。でも、そういうものがメインアイテムとして登場する。まさに右利き用に作られた社会で生きる左利き人間の恨み節としか僕には思えない。

そういう事を、多分宮本さんは自覚していないんですな。無自覚にやってる。そして「ストーリー=この世の説明」という、人間が成長するために、まず最初に信用しなければならないものへの不信感だけで、モノ作りをやろうとしてる。

それは根本的に間違いですわ。ダメ。それは。

コミュニケーションは通じさせるために行うものなのだ。だから右利きと左利きの間にこそ、より深い理解のために、より多くの説明とストーリーが必要なのです。なのに、その「説明」を拒否してるだけなんですね、この「スーパーマリオブラザーズ」というゲームは。

それが、なぜか一気に理解できた。

スーパーマリオブラザーズを遊んでいて楽しいのは、そういう「言葉による説明」がない、純粋な幼児向けの遊び感覚のみなんです。
たとえば「高い高い」をするとか、メリーゴーランドでくるくる回る感覚とか。そういう「感覚的な面白さ」だけしかない。つまり「幼児専用」なんです。大人をそういう幼稚感覚に戻すことしかしていない。

(より詳しく説明すると、スーパーマリオブラザーズにおいては、キャラクターがジャンプしている時に、キャラクターが空中で左右移動ができます。現実的にはあり得ない動きです。ジャンプしている時に「もっと遠くまで行け」とか、「あ、ここでまっすぐ下に落ちたい」とか思っても現実では無理です。でもマリオはそういうおかしな事ができる。その物理法則の無視の感覚が面白いというのがマリオというゲームのすべてで、他に良いところはまったくありません。つまりそういう現実にはない感覚に身をゆだねているのが面白いというだけですから、お酒の酩酊状態とまったく同じです。つまりドラッグと同じ。こんなものに浸っていてはバカになります。断定します。発達心理学の過程を考えても、そういう事にしかなりません。)

なので、「スーパーマリオブラザーズ」をやって身に付くのは、そういう「説明への拒否感」だけです。つまり「説明の否定=現実社会への拒否」です。これほど精神に悪い影響を与えるものはないですな。

1985年発売ですから、23年たってるのか。

23年たって、やっとまともに冷酷に批判できるようになりました。
こういうゲームがスタンダードになってしまったことも、ゲーム業界が発展する事を阻害した一因ですね。任天堂の現社長、岩田さんが「ゲーム市場がシュリンクしている」と発言したのが数年前ですが、そのシュリンクの原因を作ったのが、このスーパーマリオブラザーズでしょう。
最初から「世界の説明」を否定していたのだから、長くずっと愛されるというのは無理だったって事でしょう。最初から閉じてたんだから。

23年間ずっと釈然としなかった事が全部一気に納得できた。

世界で最も売れたゲームが、もっともゲーム業界に悪い影響を与えたってことで、その理由は「ストーリーの拒否=世界の拒否」だったって話ですな。

もう、マリオは大嫌いではなくなりました。
もともとカスであったというだけだったのですわ。
その理由がわからないので「嫌い」と言うしかなかった。それだけの事だったんですね。

ストーリーを軽視してるんではなくて憎んでるんだよな、要するに。可哀想に。

そういうことが明確にわかりました。

ちなみに、任天堂では、本当にストーリーもののゲームづくりが弱いです。まぁ「メトロイド」くらいじゃないかなぁ、それなりにストーリーがあるのは。

ま、他の人の意見は知らないですが、僕としては明確に、

●「スーパーマリオブラザーズは世紀のクソソフトである」

を断言できるようになりました。かなりこれで気持ちがすっきりした。
ダメですよ、あんなソフトで遊んでは。精神に悪い影響しか与えません。はい。

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