今月は少ないなぁ。読んだ順に書きますと、
(1)読書力
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4004308011/249-9767057-8485143
(2)何故追いつめられたネズミはネコを噛むのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4894512890/249-9767057-8485143
(3)バカとは何か
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980166/249-9767057-8485143
(4)英語落語で世界を笑わす
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4327452106/249-9767057-8485143
(5)人生が変る「潜在意識」の書き換え方
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4804717110/249-9767057-8485143
(6)BeとHaveからわかる英語の仕組み
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4537204362/249-9767057-8485143
(7)乳と卵
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163270108/249-9767057-8485143
※「バカとは何か」を忘れてたので追加しておきました。おもしろかったです。
です。読了したのはこれだけですな。
2月の後半から、英文法の再学習をはじめたので、そっちに時間を取られたというのが大きいです。
文法関連の書籍をいま2冊ほど平行して読み、それとは別に先日紹介した中学生用の英文法の参考書を頭から順に音読しながら良く分かってない部分を赤ペンチェックしつつ読み進めてるのであります。これに時間がかかって、通常の読書が全然できないのですよねぇ。あ、中学英語のドリルとかもいちおうやってるんですが。(これはほとんど進んでおりません。)
中学英語の参考書と、「中学英語をマスターした人に、より細かい部分がわかるように」と書かれた本とを読み比べ、なおかつ、この半年、ずっと音読暗唱してきた文例集を比較して確認しながら進めてるので、どの本も毎日数ページずつしか進まないのです。
ある程度例文が頭に入って、日本語から英語に自分なりに変換できるようになってくると、細かいところが不明になってくるんですよね。May I …? と Can I …?で、どう違うの?とか、must とhave to はどう使い分けるんだ? とか。
もう、いま疑問だらけでして。本当に。
そういう中で言うと、(5)BeとHaveからわかる英語の仕組み は、実にすごい本でした。英語文法というものそのものを、根本から考え直している。さすがは副島さんですなぁ。
他に読んでるのは「理屈で分る英文法」って本と「英会話に役立つ・基本単語のやさしいルール」って本です。全然読み進んでないけど。
「基本単語のやさしいルール」は、(3)英語落語で世界を笑わす と同じ著者、大島希巳江さんのご本です。
大島さんってすごくおもしろい人なんですよねぇ。「笑い」とかユーモアをテーマにいろいろと研究されていて、英語落語を自分独自で翻訳して演じてるわけですが、笑いには世界に通用するものとしないものがあって、落語の「オチ」でよく使われる駄洒落っていうのは伝わらないものの代表ですわね。なので、落語の内容そのものをご自分で改編してるんですよ。で、しかも自分で演じてる。すごい!
CDがついていて、聞いてるだけでも「けっこうこなれた英語だなぁ」とわかるんですよね。そういうところが、かなりおもしろい。
英語に関してはまた書きます。
あと、「乳と卵」に関しても、ちょろっと書きたいんですけど、まぁ、それはまたそのうち。
(1)読書力
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4004308011/249-9767057-8485143
(2)何故追いつめられたネズミはネコを噛むのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4894512890/249-9767057-8485143
(3)バカとは何か
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980166/249-9767057-8485143
(4)英語落語で世界を笑わす
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4327452106/249-9767057-8485143
(5)人生が変る「潜在意識」の書き換え方
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4804717110/249-9767057-8485143
(6)BeとHaveからわかる英語の仕組み
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4537204362/249-9767057-8485143
(7)乳と卵
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4163270108/249-9767057-8485143
※「バカとは何か」を忘れてたので追加しておきました。おもしろかったです。
です。読了したのはこれだけですな。
2月の後半から、英文法の再学習をはじめたので、そっちに時間を取られたというのが大きいです。
文法関連の書籍をいま2冊ほど平行して読み、それとは別に先日紹介した中学生用の英文法の参考書を頭から順に音読しながら良く分かってない部分を赤ペンチェックしつつ読み進めてるのであります。これに時間がかかって、通常の読書が全然できないのですよねぇ。あ、中学英語のドリルとかもいちおうやってるんですが。(これはほとんど進んでおりません。)
中学英語の参考書と、「中学英語をマスターした人に、より細かい部分がわかるように」と書かれた本とを読み比べ、なおかつ、この半年、ずっと音読暗唱してきた文例集を比較して確認しながら進めてるので、どの本も毎日数ページずつしか進まないのです。
ある程度例文が頭に入って、日本語から英語に自分なりに変換できるようになってくると、細かいところが不明になってくるんですよね。May I …? と Can I …?で、どう違うの?とか、must とhave to はどう使い分けるんだ? とか。
もう、いま疑問だらけでして。本当に。
そういう中で言うと、(5)BeとHaveからわかる英語の仕組み は、実にすごい本でした。英語文法というものそのものを、根本から考え直している。さすがは副島さんですなぁ。
他に読んでるのは「理屈で分る英文法」って本と「英会話に役立つ・基本単語のやさしいルール」って本です。全然読み進んでないけど。
「基本単語のやさしいルール」は、(3)英語落語で世界を笑わす と同じ著者、大島希巳江さんのご本です。
大島さんってすごくおもしろい人なんですよねぇ。「笑い」とかユーモアをテーマにいろいろと研究されていて、英語落語を自分独自で翻訳して演じてるわけですが、笑いには世界に通用するものとしないものがあって、落語の「オチ」でよく使われる駄洒落っていうのは伝わらないものの代表ですわね。なので、落語の内容そのものをご自分で改編してるんですよ。で、しかも自分で演じてる。すごい!
CDがついていて、聞いてるだけでも「けっこうこなれた英語だなぁ」とわかるんですよね。そういうところが、かなりおもしろい。
英語に関してはまた書きます。
あと、「乳と卵」に関しても、ちょろっと書きたいんですけど、まぁ、それはまたそのうち。
百歳まで歩く―正しく歩けば寿命は延びる!
2008年3月7日 読書
■走る前に歩こう!
百歳まで歩く―正しく歩けば寿命は延びる!
ISBN:4344410459 文庫 田中 尚喜 幻冬舎 2007/11 ¥480
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344410459/249-9767057-8485143
最近は、長生きしようと決めているので、こういう本に興味が行く。この世は楽しくて素敵な場所だから、長くとどまっていたいのだ。
なんとなく買っただけなので、最初はスポーツトレーナーか何か、そういう人が書いた本なのかな? と思っておりましたが、そうではなくて著者は理学療法士さん。PTとか呼ばれたりもしますが。
理学療法士というのは、体の骨格やら筋肉やらの付き方の知識をキチンと頭に入れた上で、肉体的なリハビリテーションのサポートをされたりするようなお仕事ですね。
この理学療法士さんというのは、実は本当にすごくて、なんちゅうか体のエキスパート、という気がします。
前に付き合ってた彼女が、しょっちゅう腰が痛いという人だったので、やたらと腰をもまされていたのだけれど、一度医者に診てもらったら?という話になって、病院に行くと、お医者さんの診察はすぐに終わって、即理学療法士さんの診断に移ったのだそうです。
で、腰が痛いと言うと、「そこに立ってみてください」と姿勢のチェック。「あー、だいぶ体を反らせて立ってますね。」と体のゆがみを一発で判断。「これからしばらく腹筋の運動をしてください。」と言われ、それを一週間続けたら、見事に腰痛がなくなって、私も腰もみから解放された、という事がありました。
理学療法士さんってすごいなぁと感心してしまったのですよ。
で、いろいろ面白いなぁと思うところの多かった本なのですが、とにかく歩くという事を推奨されていて、大事なのはここだと思うのです。
(引用開始)-----------------------------
では、歩くために使われる筋肉の数はどれくらいなのでしょう。
歩くという行為には全身の筋肉が使われていて、歩行のときの推進力として使われる筋肉は、全身の筋肉の3分の2に当たります。全身の筋肉の数が400種類ですから、実に約260種類の筋肉が前に進むたびに使われていることに。加えて、二足歩行では体を支え、バランスを取るためにも筋肉が使われるので、歩行ほど参加する筋肉の数が多い日常動作もありません。
(引用終了)------------------------------
ということなわけです。要するに歩くという行為は筋肉を鍛えるためにとても良いわけです。
で、ここで言う鍛えるというのには、遅筋と速筋の違いという事があります。
(引用開始)-------------------------------
しかし最近では、こうした形状で筋肉を分類することはほとんどしなくなりました。トレーニングや体の動かし方を考えて筋肉を捉えることが主流になるにつれ、形状よりも性質による分類のほうが重要になってきたわけです。
瞬発力や持久力などで、筋肉を大きく2種類に分類する考え方です。筋肉の性質で瞬発力のある筋肉が「速筋(そっきん)」で、持久力がある筋肉を「遅筋(ちきん)として分けます。
(引用終了)-------------------------------
中年になったら、まずこの「遅筋」を鍛えなさいと、この田中さんはおっしゃる。
(引用開始)-------------------------------
困ったことに、中年になってスポーツジムで筋トレを始めた人に膝を痛める、腰を悪くするなどの故障が多発していますが、これはマシーンを使ったトレーニングなど速筋だけを集中的に鍛えた結果です。
(引用終了)-------------------------------
つまり持久力を支える遅筋が不足しているから故障するという話な訳です。このあたりを田中さんは「相撲」を例に出して話しておられます。
(引用開始)-------------------------------
相撲の練習では、昔からシコと鉄砲が基本です。なかでも柱に向かってゆっくり押し出す鉄砲が、遅筋を鍛えます。しかし、近年の相撲部屋では専用のトレーニングルームを設置しているところもあり、従来のシコと鉄砲を重視した練習より、トレーニングマシーンを使った練習が多く行われるようになりました。
その結果、遅筋よりも速筋がきたえられることになりました。で、最近の取り組みは瞬発力のある相撲が中心になり、持久力のある相撲が少なくなった。がっぷり組合ったまま水入りになるような、見応えのある相撲はなかなか見られないなぁ…、というのが、私の感想です。
また、昔に比べると、力士がケガで休場することが多くなりました。このことにも、遅筋を鍛える事がおろそかになっていると、理学療法士の立場からは推測しているのですが…。繰り返しますが、すばやく力強く収縮し、柔軟性において劣る速筋、その速筋を中心に鍛えていると、ケガをしやすいのです。
この力士の話を中高年のみなさんに置き換えても同じで、中高年も速筋中心ではなく遅筋を中心に動かすべきなのです。
(引用終了)-------------------------------
と、こうなるわけです。
このあたりは、陸上競技などで、ケガをしない体を作るための「マフェトン理論」を生み出したフィリップ・マフェトン博士の話と共通してますな。というか、田中さんは、マフェトン理論くらいは知ってるんでしょうね。
マフェトン理論については、
http://www.ne.jp/asahi/ja/asd/saitou/tore1.htm
が詳しいのです。
中年になって、筋肉が落ちてくると、ついついすぐに「スポーツジムで筋肉を鍛えなきゃ」とか思うわけですが、それはあまりに単純すぎる発想なんですね。
まず、キチンと歩くという当たり前の事をしないとダメなわけです。基礎工事を飛ばして高層建築はできないわけで、まず毎日数千歩くらいは歩かないと。
(歩き方に関しても田中さんはいろいろ書いておられます。一日一万歩って言うけどそんなに必要ないのではないか? それより姿勢をキチンとして歩くべきだとか、いろいろ。)
運動不足だと、ついつい「がんばって運動して取り返すぞ」とか思うわけですけど、その発想自体が間違ってるのですね。
そうじゃなくて、たとえば家の中で掃除や洗濯をマメにやるとか、買い物に毎日出かけるとか、そういう日常の普通の動きをたくさん増やすのが、まっさきに必要で、そういう歩くというような普通の動きで持久力が整えられて、それによって「長く体を動かしても疲れない」体の基礎ができる。それからランニングとかをすると、そういう順番があるわけですよ。運動してない人って、まず寝っ転がってテレビ見てるとか、パソコンにへばりついてるとかしかしてないので、まぁ、まずは家の中で動く、でしょうね。それから毎日歩く、でしょう。いきなりランニングじゃないよなぁ。
ものすごく基本的な話なので、引用はしませんが、筋肉というのは、拮抗筋と言って、つねに反対側に動かす筋肉がセットで存在してるそうなんですね。腹筋と背筋みたいに。で、そのバランスが崩れて、どちらかだけに頼ると体が歪んでしまって、僕の彼女みたいに、しょっちゅう腰が痛いとか言わなくてはならなくなるわけです。
これは、ようは「同じ動きばかりやってる」からいけないわけですよ。一日中運転してる仕事だとか、座って作業するだけの仕事とか。
同じ事ばっかりやってるから、筋肉バランスが崩れて変な負担がかかっておかしくなるわけです。でも、歩く動作だと使う筋肉の数が多いし、体のバランスを取るためには、それこそたくさんの筋肉をつねに連動させて動かさなければならない。だから「歩く」は体に良いわけです。
歩いてないから、走って済まそうっていうのは、だから根本的に完全に間違いな訳です。だって走る筋肉って特殊な動きですから。
歩くためには、重心を前に送り出す大臀筋やヒラメ筋を使う比率が高いのですが、これらの筋肉は遅筋の比率が高いそうです。でも走る時はハムストリングって言う遅筋の少ない筋肉ばかりをコキ使うことになるようです。
(引用開始)----------------------------
そして重心を前方に移動させることのできる筋肉には、もう一つハムストリングがありましたが、ハムストリングは大臀筋やヒラメ筋に比べると、遅筋よりも疲れる筋肉の速筋の割合が高く、歩行のスピードを上げる時や、走るときなどによく使われます。ハムストリングが使われる時は走る動作と同じで、体の前方に重心があり、膝がまがっていることなどがあります。大臀筋やヒラメ筋が体の後ろから重心を押し出すのに対し、ハムストリングは前から重心を引き寄せるのです。
(引用終了)----------------------------
だから、座り仕事しかしてない人間が「運動不足だし、走るか」とか言うのは、一番よろしくないというか、効率の悪い筋肉の鍛え方をしているとしか言えないわけですね。
まず「歩く」が先でしょ、って事です。注意しないと。
この本に書いてあったと思うのだけど(どこに書いてあったか、ちょっと見あたらない。他の本で読んだのかなぁ。)人体骨格標本とか見ていてもわかるんですが、腹回りの骨って、実は背骨しかありません。
これはどういう事かというと、人間の体は筋肉でこそ支えられているって事なんですね。で、拮抗筋の説明でもわかったように、それはバランスによって成立しているんです。すべての筋肉をおしなべて使うことによって、無理なく痛みのない、よい状態で体を支えていられるというわけです。
で、筋肉というのは、使わなければ減っていきますから、全体をまんべんなく利用するのが一番良いという事になるわけですが、そうするための一番効果的な方法が「歩く」だ、という事になるわけです。
で、てんびんばかりの釣り合っている状態なら、少しの力で傾きが生じますから、バランス良い運動に、あんまり激しい動きって必要ないって思うんですね。まぁ負荷はかけないといけないでしょうけど。で、速筋も鍛えないといけないけど。でもまぁおしなべて、全体をバランス良く使ってれば痛みもなく筋肉を保てるって事な訳です。
ちゅうことは、やっぱり歩くが一番だよなぁって思うのでありますよ。
これは、別の本で読んだのだけれど、人間の体重の7割は上半身にあるんだそうです。頭が重いですからね。だから、その重い頭のある上半身を支えるために、人間の体の筋肉の7割が下半身にあるんだと思う。
で、それらをバランス良く鍛えるには歩くのが一番だって事になるわけですよ。
とりあえず、基本的な考え方だけ紹介しましたけど、この本のいちばん面白いところは、年代別で、いろいろなエクササイズを提案してるところです。
年齢によって鍛えるべき筋肉は違ってくるんだそうです。40代になって20代のマネをしていても意味ないし、同じ動きばっかりやってても、年食ってから欠けがちになる筋肉を年齢に応じて補完してやるとかしてなければ、意味がないわけです。
なので、年齢別のエクササイズが図解入りで紹介されてるとかが、なかなか良いのであります。
ともかく、基本は歩く事ですわな。やっぱり。
そうそう、それと、WiiFitが良くできてると思ったのは、やっぱりこの本を読んだ後だったからなんですよね。あれは、体のバランスをチェックする装置の上で体を動かさせるし、トレーニングが何十種類も入っているのはとても正しい。雨でもやれるし記録はつけられるし、なかなか良いのじゃないかなと。
とまぁ、こんな事書いてますが、中年太りの場合は、運動より先に食う量を減らすことが最優先なので、そこは先にやりましょうね。運動は後でも良いのだ。
このあたりは例の「いつまでもデブと思うなよ」からの引用なんですけど、それはまた。
ともあれこの本はなかなか良かったです。
百歳まで歩く―正しく歩けば寿命は延びる!
ISBN:4344410459 文庫 田中 尚喜 幻冬舎 2007/11 ¥480
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344410459/249-9767057-8485143
最近は、長生きしようと決めているので、こういう本に興味が行く。この世は楽しくて素敵な場所だから、長くとどまっていたいのだ。
なんとなく買っただけなので、最初はスポーツトレーナーか何か、そういう人が書いた本なのかな? と思っておりましたが、そうではなくて著者は理学療法士さん。PTとか呼ばれたりもしますが。
理学療法士というのは、体の骨格やら筋肉やらの付き方の知識をキチンと頭に入れた上で、肉体的なリハビリテーションのサポートをされたりするようなお仕事ですね。
この理学療法士さんというのは、実は本当にすごくて、なんちゅうか体のエキスパート、という気がします。
前に付き合ってた彼女が、しょっちゅう腰が痛いという人だったので、やたらと腰をもまされていたのだけれど、一度医者に診てもらったら?という話になって、病院に行くと、お医者さんの診察はすぐに終わって、即理学療法士さんの診断に移ったのだそうです。
で、腰が痛いと言うと、「そこに立ってみてください」と姿勢のチェック。「あー、だいぶ体を反らせて立ってますね。」と体のゆがみを一発で判断。「これからしばらく腹筋の運動をしてください。」と言われ、それを一週間続けたら、見事に腰痛がなくなって、私も腰もみから解放された、という事がありました。
理学療法士さんってすごいなぁと感心してしまったのですよ。
で、いろいろ面白いなぁと思うところの多かった本なのですが、とにかく歩くという事を推奨されていて、大事なのはここだと思うのです。
(引用開始)-----------------------------
では、歩くために使われる筋肉の数はどれくらいなのでしょう。
歩くという行為には全身の筋肉が使われていて、歩行のときの推進力として使われる筋肉は、全身の筋肉の3分の2に当たります。全身の筋肉の数が400種類ですから、実に約260種類の筋肉が前に進むたびに使われていることに。加えて、二足歩行では体を支え、バランスを取るためにも筋肉が使われるので、歩行ほど参加する筋肉の数が多い日常動作もありません。
(引用終了)------------------------------
ということなわけです。要するに歩くという行為は筋肉を鍛えるためにとても良いわけです。
で、ここで言う鍛えるというのには、遅筋と速筋の違いという事があります。
(引用開始)-------------------------------
しかし最近では、こうした形状で筋肉を分類することはほとんどしなくなりました。トレーニングや体の動かし方を考えて筋肉を捉えることが主流になるにつれ、形状よりも性質による分類のほうが重要になってきたわけです。
瞬発力や持久力などで、筋肉を大きく2種類に分類する考え方です。筋肉の性質で瞬発力のある筋肉が「速筋(そっきん)」で、持久力がある筋肉を「遅筋(ちきん)として分けます。
(引用終了)-------------------------------
中年になったら、まずこの「遅筋」を鍛えなさいと、この田中さんはおっしゃる。
(引用開始)-------------------------------
困ったことに、中年になってスポーツジムで筋トレを始めた人に膝を痛める、腰を悪くするなどの故障が多発していますが、これはマシーンを使ったトレーニングなど速筋だけを集中的に鍛えた結果です。
(引用終了)-------------------------------
つまり持久力を支える遅筋が不足しているから故障するという話な訳です。このあたりを田中さんは「相撲」を例に出して話しておられます。
(引用開始)-------------------------------
相撲の練習では、昔からシコと鉄砲が基本です。なかでも柱に向かってゆっくり押し出す鉄砲が、遅筋を鍛えます。しかし、近年の相撲部屋では専用のトレーニングルームを設置しているところもあり、従来のシコと鉄砲を重視した練習より、トレーニングマシーンを使った練習が多く行われるようになりました。
その結果、遅筋よりも速筋がきたえられることになりました。で、最近の取り組みは瞬発力のある相撲が中心になり、持久力のある相撲が少なくなった。がっぷり組合ったまま水入りになるような、見応えのある相撲はなかなか見られないなぁ…、というのが、私の感想です。
また、昔に比べると、力士がケガで休場することが多くなりました。このことにも、遅筋を鍛える事がおろそかになっていると、理学療法士の立場からは推測しているのですが…。繰り返しますが、すばやく力強く収縮し、柔軟性において劣る速筋、その速筋を中心に鍛えていると、ケガをしやすいのです。
この力士の話を中高年のみなさんに置き換えても同じで、中高年も速筋中心ではなく遅筋を中心に動かすべきなのです。
(引用終了)-------------------------------
と、こうなるわけです。
このあたりは、陸上競技などで、ケガをしない体を作るための「マフェトン理論」を生み出したフィリップ・マフェトン博士の話と共通してますな。というか、田中さんは、マフェトン理論くらいは知ってるんでしょうね。
マフェトン理論については、
http://www.ne.jp/asahi/ja/asd/saitou/tore1.htm
が詳しいのです。
中年になって、筋肉が落ちてくると、ついついすぐに「スポーツジムで筋肉を鍛えなきゃ」とか思うわけですが、それはあまりに単純すぎる発想なんですね。
まず、キチンと歩くという当たり前の事をしないとダメなわけです。基礎工事を飛ばして高層建築はできないわけで、まず毎日数千歩くらいは歩かないと。
(歩き方に関しても田中さんはいろいろ書いておられます。一日一万歩って言うけどそんなに必要ないのではないか? それより姿勢をキチンとして歩くべきだとか、いろいろ。)
運動不足だと、ついつい「がんばって運動して取り返すぞ」とか思うわけですけど、その発想自体が間違ってるのですね。
そうじゃなくて、たとえば家の中で掃除や洗濯をマメにやるとか、買い物に毎日出かけるとか、そういう日常の普通の動きをたくさん増やすのが、まっさきに必要で、そういう歩くというような普通の動きで持久力が整えられて、それによって「長く体を動かしても疲れない」体の基礎ができる。それからランニングとかをすると、そういう順番があるわけですよ。運動してない人って、まず寝っ転がってテレビ見てるとか、パソコンにへばりついてるとかしかしてないので、まぁ、まずは家の中で動く、でしょうね。それから毎日歩く、でしょう。いきなりランニングじゃないよなぁ。
ものすごく基本的な話なので、引用はしませんが、筋肉というのは、拮抗筋と言って、つねに反対側に動かす筋肉がセットで存在してるそうなんですね。腹筋と背筋みたいに。で、そのバランスが崩れて、どちらかだけに頼ると体が歪んでしまって、僕の彼女みたいに、しょっちゅう腰が痛いとか言わなくてはならなくなるわけです。
これは、ようは「同じ動きばかりやってる」からいけないわけですよ。一日中運転してる仕事だとか、座って作業するだけの仕事とか。
同じ事ばっかりやってるから、筋肉バランスが崩れて変な負担がかかっておかしくなるわけです。でも、歩く動作だと使う筋肉の数が多いし、体のバランスを取るためには、それこそたくさんの筋肉をつねに連動させて動かさなければならない。だから「歩く」は体に良いわけです。
歩いてないから、走って済まそうっていうのは、だから根本的に完全に間違いな訳です。だって走る筋肉って特殊な動きですから。
歩くためには、重心を前に送り出す大臀筋やヒラメ筋を使う比率が高いのですが、これらの筋肉は遅筋の比率が高いそうです。でも走る時はハムストリングって言う遅筋の少ない筋肉ばかりをコキ使うことになるようです。
(引用開始)----------------------------
そして重心を前方に移動させることのできる筋肉には、もう一つハムストリングがありましたが、ハムストリングは大臀筋やヒラメ筋に比べると、遅筋よりも疲れる筋肉の速筋の割合が高く、歩行のスピードを上げる時や、走るときなどによく使われます。ハムストリングが使われる時は走る動作と同じで、体の前方に重心があり、膝がまがっていることなどがあります。大臀筋やヒラメ筋が体の後ろから重心を押し出すのに対し、ハムストリングは前から重心を引き寄せるのです。
(引用終了)----------------------------
だから、座り仕事しかしてない人間が「運動不足だし、走るか」とか言うのは、一番よろしくないというか、効率の悪い筋肉の鍛え方をしているとしか言えないわけですね。
まず「歩く」が先でしょ、って事です。注意しないと。
この本に書いてあったと思うのだけど(どこに書いてあったか、ちょっと見あたらない。他の本で読んだのかなぁ。)人体骨格標本とか見ていてもわかるんですが、腹回りの骨って、実は背骨しかありません。
これはどういう事かというと、人間の体は筋肉でこそ支えられているって事なんですね。で、拮抗筋の説明でもわかったように、それはバランスによって成立しているんです。すべての筋肉をおしなべて使うことによって、無理なく痛みのない、よい状態で体を支えていられるというわけです。
で、筋肉というのは、使わなければ減っていきますから、全体をまんべんなく利用するのが一番良いという事になるわけですが、そうするための一番効果的な方法が「歩く」だ、という事になるわけです。
で、てんびんばかりの釣り合っている状態なら、少しの力で傾きが生じますから、バランス良い運動に、あんまり激しい動きって必要ないって思うんですね。まぁ負荷はかけないといけないでしょうけど。で、速筋も鍛えないといけないけど。でもまぁおしなべて、全体をバランス良く使ってれば痛みもなく筋肉を保てるって事な訳です。
ちゅうことは、やっぱり歩くが一番だよなぁって思うのでありますよ。
これは、別の本で読んだのだけれど、人間の体重の7割は上半身にあるんだそうです。頭が重いですからね。だから、その重い頭のある上半身を支えるために、人間の体の筋肉の7割が下半身にあるんだと思う。
で、それらをバランス良く鍛えるには歩くのが一番だって事になるわけですよ。
とりあえず、基本的な考え方だけ紹介しましたけど、この本のいちばん面白いところは、年代別で、いろいろなエクササイズを提案してるところです。
年齢によって鍛えるべき筋肉は違ってくるんだそうです。40代になって20代のマネをしていても意味ないし、同じ動きばっかりやってても、年食ってから欠けがちになる筋肉を年齢に応じて補完してやるとかしてなければ、意味がないわけです。
なので、年齢別のエクササイズが図解入りで紹介されてるとかが、なかなか良いのであります。
ともかく、基本は歩く事ですわな。やっぱり。
そうそう、それと、WiiFitが良くできてると思ったのは、やっぱりこの本を読んだ後だったからなんですよね。あれは、体のバランスをチェックする装置の上で体を動かさせるし、トレーニングが何十種類も入っているのはとても正しい。雨でもやれるし記録はつけられるし、なかなか良いのじゃないかなと。
とまぁ、こんな事書いてますが、中年太りの場合は、運動より先に食う量を減らすことが最優先なので、そこは先にやりましょうね。運動は後でも良いのだ。
このあたりは例の「いつまでもデブと思うなよ」からの引用なんですけど、それはまた。
ともあれこの本はなかなか良かったです。
「大問題」とは複雑さのことである。
2008年3月11日コメント (4)ちょっと、健康と人間関係の話をまとめて書きます。
えー、本当はいろんな本のご紹介をして、引用文もキチンとつけて、説得力高く書きたいテーマなんですが、そういう事をしてると、文章が長くなっていけないので、最近いろいろ読んだ本から感銘を受けて「そうだよなぁ」とつくづく思ってる事を、実体験とかとからめて書きます。
それは、表題にある通り、
●「大問題」とは複雑さのことである。
という事なんです。
実はおそらく、世の中のさまざまな問題というのは、小さいうちなら、さして解決も対処法もつきあい方も難しいものではないわけなんです。
しかし、それをほおっておくと、いろんな問題と相互にからみあって、問題が問題に栄養を与えるような感じで複合化して「大問題」へと成長してしまうんですね。
このあたり、健康問題と人間関係というようなものは、意外につながっていたりするので、うまく切り分けないといけないのですが、でも実は問題が大きくなってしまってからでは、切り分け自体が難しくなりがちなんですね。そうなると、原因がどこにあるのか自体が見えにくくなってしまう。
たとえば、虫歯の治療をほおっておいて、痛みがあるのにほったらかしにしていて、そのストレスで、何かの小さな約束をついうっかり忘れて、誰かに不満足を与えたとかね。
そういう複雑さが生じてしまった時に、その人との人間関係がぎくしゃくしたときに、スッと「あの時は歯が痛くて忘れたんだよな。」と、小さな原因を思い出せる人はマレです。ほとんどいません。で、「ちょっと忘れたくらいで何さ」ってなったりするんですな、これが。
人間関係の部分でゴチャゴチャ考えてるヒマがあったら、本当は虫歯を治す方が正解なわけですよ、これは。でも、そういう小さな問題をほったらかしにしてしまうと、小さな問題の事を忘れてしまって、大きな問題にばかり注目してしまうんですね。
小さな問題なら解決できるけど、問題が複雑化して、複合化してしまった後だと、どうやって解決したらいいのかすら見えなくなっちゃうわけです。
上の例では虫歯だけを小さな問題の例に出しましたけど、他にも「前から部屋の片付けをしたいと思ってたんだけど出来てない」とか、「ここのところぐっすり寝てないのよな」とか、小さな問題っていうのは、実は誰でも山のように抱えていて、ひとつひとつは小さな問題で、全然解決に手間のかかるような事でもないんだけれど、ちょっとそのままになってしまってるとか、けっこう多いはずなんですね。
で、そういう小さな問題が複数、複雑にからみあってしまうと、たとえば人間関係とかいうような高度な問題にまでつながってしまって解決がものすごくやっかいになってしまったりするわけです。
たとえば、実は、この年齢になると年を食ってからの離婚とかも知り合いの中で多いし、そういう話をいろいろ聞いてもみたけれど、ようはそういう「複雑化してしまって解きほぐしようがなくなった」っていうのが多いように感じるのです。
小さな問題を小さいうちに解決しておけば、そんなに感情的にならなくてもよかったのにとか思うような話だらけでね。だから何か問題が起きたら、基本的な小さな問題にできるだけ小分けしてみないといけないし、何より、普段から小さい問題にこそ注力してなきゃいけないと思うのですよ。
それは、前に紹介した築山節さんの「脳が冴える15の習慣」とかを読んでいて、そう思ったのです。
たとえば、早起きするとか、ぐっすり寝るという、当たり前の小さな事を大事にしていれば、それが人間関係の大問題に発展したりはしにくいわけですよ。
あるいは食べものでも言えるのですが、たとえば砂糖の入ったお菓子とかは糖分が高いので、瞬時に血糖値があがって幸せで満足な気持ちになりますが、吸収も速いので、そのあと落ち込んだ気分になったりもします。人工的に情緒不安定を作ってるような部分があるわけです。
これも小さな問題ですけど、こういう小さな情緒不安定を日常的に繰り返していると、何か刺激がないと満足できないという気分になって、どんどん強い刺激を求める方向に動いてしまうかもしれない。(動かないかもしれない。そこは意志にもよるので不明ではあるけれど。でも影響がないとも言えない。)
また、毎日歩いてないよなぁ、という小さな問題があって、それに対処するために「ランニングして健康になろう」とか言うのも、これに似ている。まず「歩く」が先でしょ? って思う。問題をよけいに複雑化してるという気がする。でも、こういう発想をしてる人はとてもとても多いです。
「仕事でストレスがたまったから家ではゲームをする」とか「自分の生きがいが見つけられないから子供に賭ける」とか、すごく似てる。いや、それ、問題を複雑化してるだけなんと違うん? 歯が痛かったら歯医者に行こうよ。今治水塗って、ゲームして気を紛らわすとかしてても意味ないやん。って思うわけですよ。
「太ってきたから、運動しなくちゃ」って言うのも、本当はものすごくおかしい。太るのは食う量が多いからです。量を減らせば痩せます。何を食べたらいいのかとか、何を食べたらいけないのかとかありません。何でも食っていいです。何を食ってもいいから量を減らすことです。運動なんか関係ないです。枝葉末節です。
本当の問題は、実はすごく小さい事で、で、それは実はものすごく簡単な事なのです。屁みたいな事。
でも、その簡単な事を、ほったらかしにしたり、省みたりしないから、どんどん問題が大きくなって複雑化して、完治不能になっていくんですね。
このあたりアダルトチルドレンの問題も同じであります。根っこは一緒。問題を小分けにして、別問題を別問題として、ちゃんと区分けして、医者に行く問題と、食い物の量をコントロールする問題と、親子の確執の問題と、自分の生き方の問題とを、全部別問題として個別に考えれば、実はそれぞれはあまり難しい問題ではなかったりするわけです。
でも、これを面倒だからと、ひっくくって一つの問題として考えてしまうから、うまくいかないわけです。
もう、実に良い例が、離婚して、結婚生活をふり返ってる友人の話。とにかくもう、問題がごちゃまぜ。人間関係の問題に、健康問題と、人生目標の問題と、部屋の整理の問題が無秩序にくっつきあっていて、分離不能になってるわけです。
でも、そういうもんなんよなぁ。自分の事をふり返ってもそう思うもん。
まず小さな問題をひとつずつ、つぶしましょう。
で、それは、たとえば健康問題でも、
●歩くことと走ることは別の課題である。
というような小さな小さな区別をちゃんとつけるかどうか、というようなところから始まるわけです。
で、もうひとつ言うなら、その小さな問題というのが、解決は簡単なんだけど、「取り組んでみると意外に大変」だったりするわけですよ。
たとえば虫歯を例に出したので、僕の実体験で言いますが、まず私は歯医者が大嫌いだったのです。
もう、基本的に怖い。
で、この、「怖い」というのが、まずひとつの小さな問題としてあったわけですが、こういう問題をほったらかしにしていたので、歯医者に行くこと自体を避けてまして、どんどん虫歯が増えました。
今現在は治せるところは全部治しましたが、神経を抜いたり、人工の歯が入っていたり、かなり悲惨です。そうとうにヒドイ状態です。そうなったのも、「歯医者は怖い」というところにとどまったままだったからなんですね。小さな問題を解決してなかったからです。
この小さな問題を解決してなかったから、実際、10年ほど前に、一本歯が抜けたのですが、それを抜けたままほったらかしにしまして、いざ治すときには土台となる骨格部分がかなりやせ細ってしまっていて、人工の歯を埋め込むインプラント手術ができなくて、ブリッジにするしかなくなっていたわけです。
で、歯が抜けていると、そちらの側では噛みにくいので、反対側でばかり噛みますよね。そうすると、体の筋肉のバランスが壊れて肩こりとかにもなりやすいし、また、ちゃんと噛めないので、消化が悪くてウンチがかたくなり、痔になるとか、いろいろ影響もでてくる訳です。
なにより堅いものを食べるのが苦手になるので、食べ物の好みも変ってしまいますし、そういう好みの問題なんかは、すぐに変化するのではなく、長い時間の間にゆっくりと「なんとなく」という理由にすらならない理由で変化していったりするわけです。
で、「最近、肩が凝るなぁ、胃腸の具合も良くないし」と思って、その理由を、今度は「トシかな」という風に納得させるわけですね。
でも、そういうのはちょっと問題を「大きくまとめすぎ」なんですよね。個々の問題はそれぞれに別問題で、それぞれに別の原因が複数存在しているわけです。
しかも、ある問題が別の問題の原因になっていたりもします。
で、この場合で言うと、テーマは歯なので、歯の問題のみに集中して考えると、やっぱり「キチンと直す」と言うことが大事なわけですよ。ほったらかしにしてるから、どんどんひどくなってるわけで。僕なんてもう、ずーーっと虫歯ができては治療に行っての繰り返しでしたから。
「でした」と言う言い方をしたのは、実は、いまではそういう悪循環からは抜け出せているからなんです。
どうしてかというと、「歯医者は怖い」という、一番最初の問題に注目して「怖いけれども健康のためには行かなければいけない」と自分の中で問題を明確化したからです。
別にこれ、「歯医者を怖がらないようにしよう」とかしたわけではないんです。いまでも歯医者は好きじゃないし、怖いです。
でも、怖がりながらでも、行き続けて、全部の歯を治しきってしまう、という事はできるのです。
この当たり前の事が、前はできてなかったんですね。痛い!と痛みが出てから、イヤイヤ出かけて「ああ、他にも虫歯がたくさんあります」と言われていながら、痛い歯だけ治したら、もう通院しなくなってたわけです。
「いや、それはアカンやろ!」
てなもんですけど、そうなるんですよ。いちばん最初の、いちばん小さな問題である、「歯医者は怖い」という問題に関して、「怖いけれども健康のためには行かなければいけない」という当たり前の解決ができてなかったから。
怖がりながらで良いわけですよ、歯医者に行くのは。別に「怖くないと思う」ように「なろう」としなくてもいい。ありのままの自分、怖がっている自分を認めて、怖がりながら行けば良いわけです。
でも、この当たり前の事が僕にはできてなくて、ずっと逃げてた訳ですね。で、虫歯がどんどんひどくなって、食べるものとか、顔の見栄え(治療途中で、歯が欠けたままにしてた時期もあったので)とか、肩こりとか、胃腸の不調とか、痔とか、そういう問題にまで複雑化させてしまってたわけです。
でも、「怖がりながらで良いから、とにかく完治しよう」と思って、ずっと歯医者に通い続けて、間にまた、「つい」行かなくなってしまった半年間を含めて、約3年かかって、去年の秋口に全部の歯を治した訳ですよ。
治していって、良くわかりましたけど、直すと気持ちいいんです。欠けていたところがまともになると、笑い方が変るしね。
抜けていた歯が入ると、食い物が噛みやすいし、食べていておいしい。
で、何よりうれしいのは、あの怖い歯医者に、もう定期検診以外はいかなくていいという事です。もう二度と虫歯になるのはゴメンなので、定期検診にもキチンと通ってるんですよね、いまは。
3か月に一度、検診してもらって、歯石を取り除いてもらって、ブラッシング指導をちょっと受ける。それだけ。
たったこれだけで歯の健康と、それにまつわるいろいろ全部が良い方向に調整できるわけで、実にありがたいし、うれしいのです。
でも、前はずーーーーーーっと、「無意識のストレス」という感じで抑圧感があったわけですよ。「歯医者に行かなきゃなぁ」とか、そういう「不機嫌のタネ」が。
そういうものを持っている、という事が、まず何よりいけない事なんですね。
それは「不機嫌な自分をそのままにしている」という事であり、自分を大切にしていないって事なわけです。
身の回りに不機嫌な人がいてる事ほど、うっとおしい事はないわけですよ。まず実は自分が一番うっとおしい。(笑)
だからまず、ご機嫌でハッピーな自分を、自分自身にプレゼントしないといけないし、そういう自分のハッピーさを自己管理していると言うことは、身の回りの人への最上のプレゼントになるわけです。
で、書いたように、たかだか、「解決策の見えている事」をするだけでも、何年もかかったりするわけです。
だから、まず、あんまり大きな問題とか複雑な問題に手をつけずに、小さな問題から手をつけるって言うのが良いのですよね。
問題というのは、複雑になってしまっているからこそ問題なわけですよ。
先に書いた友人の話で言うなら、それこそ、「もう、どうしてええかわからんわ」ってな事を良く言ってたし、まさにその通りでして。問題が複雑になってしまったら、本当に解決が難しいのです。
そう言うときは、ほんとに確実に解決できる、簡単で小さな問題を着実に処理して、自分を気持ちよくしてやるというような態度が必要だろうなと思います。
なんちゅうか、大問題を、いきなり逆転ホームランで解決しようとするとかは、やっぱりうまく行かないと思うのですよね。
だってそれは「できないことをできるようにする」という発想だから。
うーん。実は世間の偉人と呼ばれるような人でも、「出来ないことをできるようにした」って言う人はいてないんですよね。
「できることを、キチンとコツコツとやってきただけ」って言う事なんですよ。
まず、解決しやすそうな問題から手をつける。僕の例で言うと、「とりあえず、歯だけはなんとかせねばな。」と思った、という事です。他にも問題はいろいろあったけど、とにかく、これだけはなんとかしようと思った。
で、僕の場合なら、なにより「歯医者が怖い」と思っている自分を、ちゃんと認めたというところが実に大きいと、いまになって思います。怖がってる。オーケー。それでいいよ。怖いままでいいから、怖がりながら歯医者には行こう。そう思った。
で、実際に怖いままだったし、いまでも怖いし、けっこう痛い事も多かったし、歯医者は今でも嫌いですけど、本当にもう、定期検診だけで良いので、うれしくて仕方ないです。最近は本当に歯に関してはうれしい。
噛むのが楽しくなってきたので、玄米を食べるようになってきたわけですが、これがまた、食物繊維たっぷりだし、胃腸の調子も良いし。肩こりがなくなったので、カバンを持って少し長めに歩いても疲れないんですよね。そういう事も有り難い。前はとにかく喫茶店に入らないと長く歩けなかった。
なんかね、そういう事なんですよ。小さな「自分の問題」を、「解決策が分ってる簡単な事だけやる」という感覚。それが相当、かなり重要な事のように思います。
玄米はどうも砂糖と違ってゆるやかに血糖値を上げるので、情緒不安定とかも減ってきたと思うんですよね。イライラすることも少なくなってきたかもしれない。でも、それもゆっくりとした変化で、急激に変るものでもないのですけど。
こういう事は、やっぱりすべてつながっているので、「できること」をやってると、とりあえずは何かが変って変化はしていくんですよね。一気には変らないけど。
だからやっぱり「大問題」とは複雑さの事で、複雑な問題なんて、簡単には解けないんですよね。そういうところに、あんまり注目しない方がいいような気がする。
それより、自分の問題に注目して、(「歯医者が怖い」というような内面の問題を含む)その解決に力を注ぐ、というのがいいと思うのです。(それも全力を注ぐのではなく、毎日少しだけ、とかがいいと思う。しんどいのは続かない。)
ま、最近思う事はそういう事です。
とにかく、やってはいけないのは、複雑化してしまった問題を一発逆転ホームランで解決しようとすることでしょうね。
「太って来たから運動する」とか、「仕事でストレスがたまったから家ではゲームをする」とか「自分の生きがいが見つけられないから子供に賭ける」とか、全部変。複雑なものをよけい複雑にしてるだけと思う。
太って来たら食べる量を減らす。運動不足で体がなまってると思ったら運動する。仕事でストレスがたまったら、仕事の仕組みを考え直す。自分の生きがいが見つけられないなら、見つけなくてもいいと開き直るか、自分を見つめ直すかする。そういうシンプルで簡単で当たり前の事が一番大事なんじゃないか? と思います。
で、解決できない難しい事は、ちゃんと「難しい」と認める事。
それから解決の仕方がわからない事は「わからない」とちゃんと認めること。
そうしないと「解決できる簡単な事」が見えてこないから。
で、「解決策がわからない事」に対して、「とりあえずの言い訳」をレッテルして、それで終わりにしないこと。「体の調子が悪いのはトシのせいだ」とか、大まかにくくった答えでほったらかしにするのは、やっぱりよろしくはないと思う。
「わからない」ことは「わからない」ままに置いておくようにすべきだと思うのです。「わからない」ことを「わからない」と認めるからこそ、人に「どうすれば良いのですか?」と質問もするようになるし、本を読んで調べたりもするようになるわけだから。
でも「わからない」事に「トシのせいだ」とかの言い訳レッテルを貼ってしまうと、もう、本も読まないバカになっちゃうのよな。何も考えてねぇだろ、お前! って人間になってしまう。
「わからん」ことはわからんままで良いから、わかってる事はやれば良いではないか? って思う。できる事はやったらええやんか、って思う。わかってる事に取り組むのは、そんなに難しいことでもないのです。わからないは分らないと直視する。で、そのまま認める。怖い事は怖いと直視する。で、そのまま認める。そういうシンプルさが大事だと思う。
実際、世の中、ほんとうは、そんなに複雑じゃないと思うんだよね。でも、その簡単な事を、直視しないから、問題が複合化して難しくなっておかしくなるように思うのです。ちゃんと区別しないとね。
関係する問題をくっつけて解決したらアカンよね。多分。
一個の問題は一個としてあって、それはそれで解決するのが、簡単やし、シンプルやし、達成もしやすいと思います。
太るのは食ってる量。運動とは直接には関係ない。
親の問題は親の問題。子供には直接関係はない。
自分の問題は自分の問題。自分で直視して自分で解決するしかない。他の人が解決してくれたりはしない。
基本的にはそういう事ですわな。ま、例外もあるし、状況でいろいろやろけど。で、まずは基本に立ち戻らないとねぇ。
ま、そんな事を想う、今日このごろです。
えー、本当はいろんな本のご紹介をして、引用文もキチンとつけて、説得力高く書きたいテーマなんですが、そういう事をしてると、文章が長くなっていけないので、最近いろいろ読んだ本から感銘を受けて「そうだよなぁ」とつくづく思ってる事を、実体験とかとからめて書きます。
それは、表題にある通り、
●「大問題」とは複雑さのことである。
という事なんです。
実はおそらく、世の中のさまざまな問題というのは、小さいうちなら、さして解決も対処法もつきあい方も難しいものではないわけなんです。
しかし、それをほおっておくと、いろんな問題と相互にからみあって、問題が問題に栄養を与えるような感じで複合化して「大問題」へと成長してしまうんですね。
このあたり、健康問題と人間関係というようなものは、意外につながっていたりするので、うまく切り分けないといけないのですが、でも実は問題が大きくなってしまってからでは、切り分け自体が難しくなりがちなんですね。そうなると、原因がどこにあるのか自体が見えにくくなってしまう。
たとえば、虫歯の治療をほおっておいて、痛みがあるのにほったらかしにしていて、そのストレスで、何かの小さな約束をついうっかり忘れて、誰かに不満足を与えたとかね。
そういう複雑さが生じてしまった時に、その人との人間関係がぎくしゃくしたときに、スッと「あの時は歯が痛くて忘れたんだよな。」と、小さな原因を思い出せる人はマレです。ほとんどいません。で、「ちょっと忘れたくらいで何さ」ってなったりするんですな、これが。
人間関係の部分でゴチャゴチャ考えてるヒマがあったら、本当は虫歯を治す方が正解なわけですよ、これは。でも、そういう小さな問題をほったらかしにしてしまうと、小さな問題の事を忘れてしまって、大きな問題にばかり注目してしまうんですね。
小さな問題なら解決できるけど、問題が複雑化して、複合化してしまった後だと、どうやって解決したらいいのかすら見えなくなっちゃうわけです。
上の例では虫歯だけを小さな問題の例に出しましたけど、他にも「前から部屋の片付けをしたいと思ってたんだけど出来てない」とか、「ここのところぐっすり寝てないのよな」とか、小さな問題っていうのは、実は誰でも山のように抱えていて、ひとつひとつは小さな問題で、全然解決に手間のかかるような事でもないんだけれど、ちょっとそのままになってしまってるとか、けっこう多いはずなんですね。
で、そういう小さな問題が複数、複雑にからみあってしまうと、たとえば人間関係とかいうような高度な問題にまでつながってしまって解決がものすごくやっかいになってしまったりするわけです。
たとえば、実は、この年齢になると年を食ってからの離婚とかも知り合いの中で多いし、そういう話をいろいろ聞いてもみたけれど、ようはそういう「複雑化してしまって解きほぐしようがなくなった」っていうのが多いように感じるのです。
小さな問題を小さいうちに解決しておけば、そんなに感情的にならなくてもよかったのにとか思うような話だらけでね。だから何か問題が起きたら、基本的な小さな問題にできるだけ小分けしてみないといけないし、何より、普段から小さい問題にこそ注力してなきゃいけないと思うのですよ。
それは、前に紹介した築山節さんの「脳が冴える15の習慣」とかを読んでいて、そう思ったのです。
たとえば、早起きするとか、ぐっすり寝るという、当たり前の小さな事を大事にしていれば、それが人間関係の大問題に発展したりはしにくいわけですよ。
あるいは食べものでも言えるのですが、たとえば砂糖の入ったお菓子とかは糖分が高いので、瞬時に血糖値があがって幸せで満足な気持ちになりますが、吸収も速いので、そのあと落ち込んだ気分になったりもします。人工的に情緒不安定を作ってるような部分があるわけです。
これも小さな問題ですけど、こういう小さな情緒不安定を日常的に繰り返していると、何か刺激がないと満足できないという気分になって、どんどん強い刺激を求める方向に動いてしまうかもしれない。(動かないかもしれない。そこは意志にもよるので不明ではあるけれど。でも影響がないとも言えない。)
また、毎日歩いてないよなぁ、という小さな問題があって、それに対処するために「ランニングして健康になろう」とか言うのも、これに似ている。まず「歩く」が先でしょ? って思う。問題をよけいに複雑化してるという気がする。でも、こういう発想をしてる人はとてもとても多いです。
「仕事でストレスがたまったから家ではゲームをする」とか「自分の生きがいが見つけられないから子供に賭ける」とか、すごく似てる。いや、それ、問題を複雑化してるだけなんと違うん? 歯が痛かったら歯医者に行こうよ。今治水塗って、ゲームして気を紛らわすとかしてても意味ないやん。って思うわけですよ。
「太ってきたから、運動しなくちゃ」って言うのも、本当はものすごくおかしい。太るのは食う量が多いからです。量を減らせば痩せます。何を食べたらいいのかとか、何を食べたらいけないのかとかありません。何でも食っていいです。何を食ってもいいから量を減らすことです。運動なんか関係ないです。枝葉末節です。
本当の問題は、実はすごく小さい事で、で、それは実はものすごく簡単な事なのです。屁みたいな事。
でも、その簡単な事を、ほったらかしにしたり、省みたりしないから、どんどん問題が大きくなって複雑化して、完治不能になっていくんですね。
このあたりアダルトチルドレンの問題も同じであります。根っこは一緒。問題を小分けにして、別問題を別問題として、ちゃんと区分けして、医者に行く問題と、食い物の量をコントロールする問題と、親子の確執の問題と、自分の生き方の問題とを、全部別問題として個別に考えれば、実はそれぞれはあまり難しい問題ではなかったりするわけです。
でも、これを面倒だからと、ひっくくって一つの問題として考えてしまうから、うまくいかないわけです。
もう、実に良い例が、離婚して、結婚生活をふり返ってる友人の話。とにかくもう、問題がごちゃまぜ。人間関係の問題に、健康問題と、人生目標の問題と、部屋の整理の問題が無秩序にくっつきあっていて、分離不能になってるわけです。
でも、そういうもんなんよなぁ。自分の事をふり返ってもそう思うもん。
まず小さな問題をひとつずつ、つぶしましょう。
で、それは、たとえば健康問題でも、
●歩くことと走ることは別の課題である。
というような小さな小さな区別をちゃんとつけるかどうか、というようなところから始まるわけです。
で、もうひとつ言うなら、その小さな問題というのが、解決は簡単なんだけど、「取り組んでみると意外に大変」だったりするわけですよ。
たとえば虫歯を例に出したので、僕の実体験で言いますが、まず私は歯医者が大嫌いだったのです。
もう、基本的に怖い。
で、この、「怖い」というのが、まずひとつの小さな問題としてあったわけですが、こういう問題をほったらかしにしていたので、歯医者に行くこと自体を避けてまして、どんどん虫歯が増えました。
今現在は治せるところは全部治しましたが、神経を抜いたり、人工の歯が入っていたり、かなり悲惨です。そうとうにヒドイ状態です。そうなったのも、「歯医者は怖い」というところにとどまったままだったからなんですね。小さな問題を解決してなかったからです。
この小さな問題を解決してなかったから、実際、10年ほど前に、一本歯が抜けたのですが、それを抜けたままほったらかしにしまして、いざ治すときには土台となる骨格部分がかなりやせ細ってしまっていて、人工の歯を埋め込むインプラント手術ができなくて、ブリッジにするしかなくなっていたわけです。
で、歯が抜けていると、そちらの側では噛みにくいので、反対側でばかり噛みますよね。そうすると、体の筋肉のバランスが壊れて肩こりとかにもなりやすいし、また、ちゃんと噛めないので、消化が悪くてウンチがかたくなり、痔になるとか、いろいろ影響もでてくる訳です。
なにより堅いものを食べるのが苦手になるので、食べ物の好みも変ってしまいますし、そういう好みの問題なんかは、すぐに変化するのではなく、長い時間の間にゆっくりと「なんとなく」という理由にすらならない理由で変化していったりするわけです。
で、「最近、肩が凝るなぁ、胃腸の具合も良くないし」と思って、その理由を、今度は「トシかな」という風に納得させるわけですね。
でも、そういうのはちょっと問題を「大きくまとめすぎ」なんですよね。個々の問題はそれぞれに別問題で、それぞれに別の原因が複数存在しているわけです。
しかも、ある問題が別の問題の原因になっていたりもします。
で、この場合で言うと、テーマは歯なので、歯の問題のみに集中して考えると、やっぱり「キチンと直す」と言うことが大事なわけですよ。ほったらかしにしてるから、どんどんひどくなってるわけで。僕なんてもう、ずーーっと虫歯ができては治療に行っての繰り返しでしたから。
「でした」と言う言い方をしたのは、実は、いまではそういう悪循環からは抜け出せているからなんです。
どうしてかというと、「歯医者は怖い」という、一番最初の問題に注目して「怖いけれども健康のためには行かなければいけない」と自分の中で問題を明確化したからです。
別にこれ、「歯医者を怖がらないようにしよう」とかしたわけではないんです。いまでも歯医者は好きじゃないし、怖いです。
でも、怖がりながらでも、行き続けて、全部の歯を治しきってしまう、という事はできるのです。
この当たり前の事が、前はできてなかったんですね。痛い!と痛みが出てから、イヤイヤ出かけて「ああ、他にも虫歯がたくさんあります」と言われていながら、痛い歯だけ治したら、もう通院しなくなってたわけです。
「いや、それはアカンやろ!」
てなもんですけど、そうなるんですよ。いちばん最初の、いちばん小さな問題である、「歯医者は怖い」という問題に関して、「怖いけれども健康のためには行かなければいけない」という当たり前の解決ができてなかったから。
怖がりながらで良いわけですよ、歯医者に行くのは。別に「怖くないと思う」ように「なろう」としなくてもいい。ありのままの自分、怖がっている自分を認めて、怖がりながら行けば良いわけです。
でも、この当たり前の事が僕にはできてなくて、ずっと逃げてた訳ですね。で、虫歯がどんどんひどくなって、食べるものとか、顔の見栄え(治療途中で、歯が欠けたままにしてた時期もあったので)とか、肩こりとか、胃腸の不調とか、痔とか、そういう問題にまで複雑化させてしまってたわけです。
でも、「怖がりながらで良いから、とにかく完治しよう」と思って、ずっと歯医者に通い続けて、間にまた、「つい」行かなくなってしまった半年間を含めて、約3年かかって、去年の秋口に全部の歯を治した訳ですよ。
治していって、良くわかりましたけど、直すと気持ちいいんです。欠けていたところがまともになると、笑い方が変るしね。
抜けていた歯が入ると、食い物が噛みやすいし、食べていておいしい。
で、何よりうれしいのは、あの怖い歯医者に、もう定期検診以外はいかなくていいという事です。もう二度と虫歯になるのはゴメンなので、定期検診にもキチンと通ってるんですよね、いまは。
3か月に一度、検診してもらって、歯石を取り除いてもらって、ブラッシング指導をちょっと受ける。それだけ。
たったこれだけで歯の健康と、それにまつわるいろいろ全部が良い方向に調整できるわけで、実にありがたいし、うれしいのです。
でも、前はずーーーーーーっと、「無意識のストレス」という感じで抑圧感があったわけですよ。「歯医者に行かなきゃなぁ」とか、そういう「不機嫌のタネ」が。
そういうものを持っている、という事が、まず何よりいけない事なんですね。
それは「不機嫌な自分をそのままにしている」という事であり、自分を大切にしていないって事なわけです。
身の回りに不機嫌な人がいてる事ほど、うっとおしい事はないわけですよ。まず実は自分が一番うっとおしい。(笑)
だからまず、ご機嫌でハッピーな自分を、自分自身にプレゼントしないといけないし、そういう自分のハッピーさを自己管理していると言うことは、身の回りの人への最上のプレゼントになるわけです。
で、書いたように、たかだか、「解決策の見えている事」をするだけでも、何年もかかったりするわけです。
だから、まず、あんまり大きな問題とか複雑な問題に手をつけずに、小さな問題から手をつけるって言うのが良いのですよね。
問題というのは、複雑になってしまっているからこそ問題なわけですよ。
先に書いた友人の話で言うなら、それこそ、「もう、どうしてええかわからんわ」ってな事を良く言ってたし、まさにその通りでして。問題が複雑になってしまったら、本当に解決が難しいのです。
そう言うときは、ほんとに確実に解決できる、簡単で小さな問題を着実に処理して、自分を気持ちよくしてやるというような態度が必要だろうなと思います。
なんちゅうか、大問題を、いきなり逆転ホームランで解決しようとするとかは、やっぱりうまく行かないと思うのですよね。
だってそれは「できないことをできるようにする」という発想だから。
うーん。実は世間の偉人と呼ばれるような人でも、「出来ないことをできるようにした」って言う人はいてないんですよね。
「できることを、キチンとコツコツとやってきただけ」って言う事なんですよ。
まず、解決しやすそうな問題から手をつける。僕の例で言うと、「とりあえず、歯だけはなんとかせねばな。」と思った、という事です。他にも問題はいろいろあったけど、とにかく、これだけはなんとかしようと思った。
で、僕の場合なら、なにより「歯医者が怖い」と思っている自分を、ちゃんと認めたというところが実に大きいと、いまになって思います。怖がってる。オーケー。それでいいよ。怖いままでいいから、怖がりながら歯医者には行こう。そう思った。
で、実際に怖いままだったし、いまでも怖いし、けっこう痛い事も多かったし、歯医者は今でも嫌いですけど、本当にもう、定期検診だけで良いので、うれしくて仕方ないです。最近は本当に歯に関してはうれしい。
噛むのが楽しくなってきたので、玄米を食べるようになってきたわけですが、これがまた、食物繊維たっぷりだし、胃腸の調子も良いし。肩こりがなくなったので、カバンを持って少し長めに歩いても疲れないんですよね。そういう事も有り難い。前はとにかく喫茶店に入らないと長く歩けなかった。
なんかね、そういう事なんですよ。小さな「自分の問題」を、「解決策が分ってる簡単な事だけやる」という感覚。それが相当、かなり重要な事のように思います。
玄米はどうも砂糖と違ってゆるやかに血糖値を上げるので、情緒不安定とかも減ってきたと思うんですよね。イライラすることも少なくなってきたかもしれない。でも、それもゆっくりとした変化で、急激に変るものでもないのですけど。
こういう事は、やっぱりすべてつながっているので、「できること」をやってると、とりあえずは何かが変って変化はしていくんですよね。一気には変らないけど。
だからやっぱり「大問題」とは複雑さの事で、複雑な問題なんて、簡単には解けないんですよね。そういうところに、あんまり注目しない方がいいような気がする。
それより、自分の問題に注目して、(「歯医者が怖い」というような内面の問題を含む)その解決に力を注ぐ、というのがいいと思うのです。(それも全力を注ぐのではなく、毎日少しだけ、とかがいいと思う。しんどいのは続かない。)
ま、最近思う事はそういう事です。
とにかく、やってはいけないのは、複雑化してしまった問題を一発逆転ホームランで解決しようとすることでしょうね。
「太って来たから運動する」とか、「仕事でストレスがたまったから家ではゲームをする」とか「自分の生きがいが見つけられないから子供に賭ける」とか、全部変。複雑なものをよけい複雑にしてるだけと思う。
太って来たら食べる量を減らす。運動不足で体がなまってると思ったら運動する。仕事でストレスがたまったら、仕事の仕組みを考え直す。自分の生きがいが見つけられないなら、見つけなくてもいいと開き直るか、自分を見つめ直すかする。そういうシンプルで簡単で当たり前の事が一番大事なんじゃないか? と思います。
で、解決できない難しい事は、ちゃんと「難しい」と認める事。
それから解決の仕方がわからない事は「わからない」とちゃんと認めること。
そうしないと「解決できる簡単な事」が見えてこないから。
で、「解決策がわからない事」に対して、「とりあえずの言い訳」をレッテルして、それで終わりにしないこと。「体の調子が悪いのはトシのせいだ」とか、大まかにくくった答えでほったらかしにするのは、やっぱりよろしくはないと思う。
「わからない」ことは「わからない」ままに置いておくようにすべきだと思うのです。「わからない」ことを「わからない」と認めるからこそ、人に「どうすれば良いのですか?」と質問もするようになるし、本を読んで調べたりもするようになるわけだから。
でも「わからない」事に「トシのせいだ」とかの言い訳レッテルを貼ってしまうと、もう、本も読まないバカになっちゃうのよな。何も考えてねぇだろ、お前! って人間になってしまう。
「わからん」ことはわからんままで良いから、わかってる事はやれば良いではないか? って思う。できる事はやったらええやんか、って思う。わかってる事に取り組むのは、そんなに難しいことでもないのです。わからないは分らないと直視する。で、そのまま認める。怖い事は怖いと直視する。で、そのまま認める。そういうシンプルさが大事だと思う。
実際、世の中、ほんとうは、そんなに複雑じゃないと思うんだよね。でも、その簡単な事を、直視しないから、問題が複合化して難しくなっておかしくなるように思うのです。ちゃんと区別しないとね。
関係する問題をくっつけて解決したらアカンよね。多分。
一個の問題は一個としてあって、それはそれで解決するのが、簡単やし、シンプルやし、達成もしやすいと思います。
太るのは食ってる量。運動とは直接には関係ない。
親の問題は親の問題。子供には直接関係はない。
自分の問題は自分の問題。自分で直視して自分で解決するしかない。他の人が解決してくれたりはしない。
基本的にはそういう事ですわな。ま、例外もあるし、状況でいろいろやろけど。で、まずは基本に立ち戻らないとねぇ。
ま、そんな事を想う、今日このごろです。
いそがしいけど、おもしろい。
2008年3月28日ちょっと書き込んでなかったので、書きます。
最近、やたらと忙しいのです。
数年前から、お得意の印刷会社さんと一緒になって、ネット経由で仕事を取る仕組み作りに、いろいろと関わってきたんですが、いやー、やっぱりインターネットはすごいわ、と言うしかない。
いろいろな会社さんから発注がきて、そのお手伝いをしてるわけですが、本当に世の中には、いろんな優れた会社があるんだなぁって感じ。取材して原稿をまとめるというのをやってますが、それもまた面白い。
日本は本当に、9割の中小企業が頑張ってる国で、政府とか大企業とか見てても、本当の姿って見えないんじゃないかなぁって思う。
小さくて優れてる会社は「うちはうち、よそはよそ」っていうのがはっきりしてるから、世間の常識とか通用しないんですよね。
だから、世間の常識に沿って「○○は××ですけど、そのあたりはどう工夫されてますか?」とか聞くと、「いや、○○は××だと考えてる限り、うまくいきませんから、うちではこうしてます。」とかを、普通にさらりと言われるわけです。企業文化になってるんでしょうねぇ。
一部上場会社から、二部にこれから上場しようとしてる会社、上場しても得はないと考えてる会社、などなど、実にいろいろありますな。で、得意分野がそれぞれに違っていて、それは他社を圧倒してたりする。
かなり忙しいんですが、それがまたいろいろと面白いです。
この世はやっぱり面白いと思う。
最近、やたらと忙しいのです。
数年前から、お得意の印刷会社さんと一緒になって、ネット経由で仕事を取る仕組み作りに、いろいろと関わってきたんですが、いやー、やっぱりインターネットはすごいわ、と言うしかない。
いろいろな会社さんから発注がきて、そのお手伝いをしてるわけですが、本当に世の中には、いろんな優れた会社があるんだなぁって感じ。取材して原稿をまとめるというのをやってますが、それもまた面白い。
日本は本当に、9割の中小企業が頑張ってる国で、政府とか大企業とか見てても、本当の姿って見えないんじゃないかなぁって思う。
小さくて優れてる会社は「うちはうち、よそはよそ」っていうのがはっきりしてるから、世間の常識とか通用しないんですよね。
だから、世間の常識に沿って「○○は××ですけど、そのあたりはどう工夫されてますか?」とか聞くと、「いや、○○は××だと考えてる限り、うまくいきませんから、うちではこうしてます。」とかを、普通にさらりと言われるわけです。企業文化になってるんでしょうねぇ。
一部上場会社から、二部にこれから上場しようとしてる会社、上場しても得はないと考えてる会社、などなど、実にいろいろありますな。で、得意分野がそれぞれに違っていて、それは他社を圧倒してたりする。
かなり忙しいんですが、それがまたいろいろと面白いです。
この世はやっぱり面白いと思う。