どうせヒマなんだしと、今日はひとりで映画を見に行く。
メガヒット驀進中の「千と千尋の神隠し」。
しかし、なんつー抑圧映画だ。罪もない子供を無理やり働かせてそれを良しとしているだけの救いのない映画。救済も、問題提起も、解決策も、新しい視点も何もない。ただただ、子供を無理やり働かせているだけ。それが良いとも悪いとも言ってないし、なにより良いか悪いかも考えてすらいないし、たぶんそれを考える能力自体が作者には存在していないのだろうなぁということまで想像せざるを得ないほど、低脳なる内容。
しかも映画後半では、ブータレているだけの千尋が、何の対決も、自分の内面の葛藤も、時間の経過も、いっさいの理由もなく、突然に、「映画なんやし、なんか盛り上がりがないとカッコつかんやん」とばかりに、スーパーヒロインに変身する。「へーんしん!」という掛け声すらない。こんなもんストーリーにもなってない。
こんな映画を見て平気なのか? 日本人は? 平気やねんなぁ。ちっ。
ただ映画的なビジュアルが、動くキャラクターが面白いという、ただそれだけ。作者、宮崎駿は、おもろいキャラを動かしてみたかっただけの動画ヲタク。観客は、内容よりも、映像の動きが見たいという見世物小屋的欲求のみ。内容はなし。
いやまぁ、映画なんてそんなもんと言えば、そんなもんですけどね。キチンと深い感動を与えたい、あるいは、味わいたいとは思わんのか? 思わんのじゃろうなぁ。
なので評価。動く絵の面白さ10点、内容7点の計17点。もちろん100点満点でよ。本当は抑圧を世の中にバラまいているというような社会的害悪を計算したら、マイナスの点数をつけるべきなんだけど、そこは動きの面白さに免じて許してやる。(偉そうな書き方だけど、こっちは金払った観客なんだから、言う権利はある。未完成品見せられてPL法で訴えられても知らんぞとすら言いたい。)
僕は昔学校でシナリオ構造論とか勉強したことあるから言うけど、シナリオは評価以前。僕が教師だったら「なぁ宮崎よ、せめて自分が何を言いたいか整理してから書けよ。」と諭すように言う。つまりそのくらい幼稚。
話になりません。
たぶん、宮崎氏はシナリオもなしに、いきなり絵コンテ描いて、それで弟子達に指示出して映画作りしたんだろうなぁ。そういう作り手のお寒い台所事情まで、こちとらとしては、つい読み取れてしまう。
(たぶん僕の想像当たってるよ。そういうステップのすっ飛ばしでもしないと、ここまで中途半端なシナリオなんざ書こうと思っても書けないもん。いきなり絵コンテで具体的にしてしまうから、それだけで「シーン」が「生きて」しまうので切ったり整理したりができなくなるんよ。本当は未整理なのに。)
昨日見た、「猿の惑星」のティム・バートンは、監督を引き受ける前に何度も叩かれたシナリオを読んで、それに文句もつけ、意見も言って手直しさせてる。で、その後に、圧倒的な絵コンテの具体性で現場を仕切る。そういうやり方をしている。
そういう「構造」とか「作り方の手順」の違いが、映画の仕上がりをどう左右するのか。この2日間で、嫌が上でもはっきり見えてしまったなぁと思う。いやまぁ、「猿の惑星」だってせいぜい40点とか及第点ギリギリの映画なんだけどさ。でも基本も押さえてないのは、やっぱり偽物よな、偽物。
まさに、千と千尋のアホ隠し。いやばれてるけどね。
メガヒット驀進中の「千と千尋の神隠し」。
しかし、なんつー抑圧映画だ。罪もない子供を無理やり働かせてそれを良しとしているだけの救いのない映画。救済も、問題提起も、解決策も、新しい視点も何もない。ただただ、子供を無理やり働かせているだけ。それが良いとも悪いとも言ってないし、なにより良いか悪いかも考えてすらいないし、たぶんそれを考える能力自体が作者には存在していないのだろうなぁということまで想像せざるを得ないほど、低脳なる内容。
しかも映画後半では、ブータレているだけの千尋が、何の対決も、自分の内面の葛藤も、時間の経過も、いっさいの理由もなく、突然に、「映画なんやし、なんか盛り上がりがないとカッコつかんやん」とばかりに、スーパーヒロインに変身する。「へーんしん!」という掛け声すらない。こんなもんストーリーにもなってない。
こんな映画を見て平気なのか? 日本人は? 平気やねんなぁ。ちっ。
ただ映画的なビジュアルが、動くキャラクターが面白いという、ただそれだけ。作者、宮崎駿は、おもろいキャラを動かしてみたかっただけの動画ヲタク。観客は、内容よりも、映像の動きが見たいという見世物小屋的欲求のみ。内容はなし。
いやまぁ、映画なんてそんなもんと言えば、そんなもんですけどね。キチンと深い感動を与えたい、あるいは、味わいたいとは思わんのか? 思わんのじゃろうなぁ。
なので評価。動く絵の面白さ10点、内容7点の計17点。もちろん100点満点でよ。本当は抑圧を世の中にバラまいているというような社会的害悪を計算したら、マイナスの点数をつけるべきなんだけど、そこは動きの面白さに免じて許してやる。(偉そうな書き方だけど、こっちは金払った観客なんだから、言う権利はある。未完成品見せられてPL法で訴えられても知らんぞとすら言いたい。)
僕は昔学校でシナリオ構造論とか勉強したことあるから言うけど、シナリオは評価以前。僕が教師だったら「なぁ宮崎よ、せめて自分が何を言いたいか整理してから書けよ。」と諭すように言う。つまりそのくらい幼稚。
話になりません。
たぶん、宮崎氏はシナリオもなしに、いきなり絵コンテ描いて、それで弟子達に指示出して映画作りしたんだろうなぁ。そういう作り手のお寒い台所事情まで、こちとらとしては、つい読み取れてしまう。
(たぶん僕の想像当たってるよ。そういうステップのすっ飛ばしでもしないと、ここまで中途半端なシナリオなんざ書こうと思っても書けないもん。いきなり絵コンテで具体的にしてしまうから、それだけで「シーン」が「生きて」しまうので切ったり整理したりができなくなるんよ。本当は未整理なのに。)
昨日見た、「猿の惑星」のティム・バートンは、監督を引き受ける前に何度も叩かれたシナリオを読んで、それに文句もつけ、意見も言って手直しさせてる。で、その後に、圧倒的な絵コンテの具体性で現場を仕切る。そういうやり方をしている。
そういう「構造」とか「作り方の手順」の違いが、映画の仕上がりをどう左右するのか。この2日間で、嫌が上でもはっきり見えてしまったなぁと思う。いやまぁ、「猿の惑星」だってせいぜい40点とか及第点ギリギリの映画なんだけどさ。でも基本も押さえてないのは、やっぱり偽物よな、偽物。
まさに、千と千尋のアホ隠し。いやばれてるけどね。