とにもかくにも内省の秋です。
いろいろ思うことありです。

人間ってさぁ、自分がいま、何のために、こんなアホなことやってんねやろ? と思うことってあるやんなぁ。

自分でもようわからんけど、どうしてもやっておかなアカン。そういう気持ちになること。

それはあるんよね。
なんなんやろな、これは。

聖なる予言

2001年9月2日

ジェームズ・レッドフィールドの精神世界をテーマにした冒険小説「聖なる予言」を読み始める。

小説としては大したことはないんだが、精神世界の考え方のガイドとして面白いっていうのはある。

それよりさぁ、2〜3日前になんとなく書いた、自分のショートショートの内容とかぶるところがあって、気持ち悪いんだよぉ。

「偶然の一致が増えてくる」っていうのが、この小説のうまい設定なんだけどさぁ。本当に偶然の一致があると怖くなっちゃうよ。

困ったね。

「つぼみは花になることを知らない。」
これ、好きな言葉です。

ぼくたちはつぼみが花になることを知っています。

でも、肝心のつぼみは、自分が美しい花として開くということを知っているのでしょうか?

つぼみである自分の体が崩れていく恐怖でいっぱいなのではないでしょうか?

自分がじぶんとして生きること、というのは、つまりは、そういう要素を含んでいる、ということです。

内省は続く。

2001年9月4日
あー、とにかくモワーっと考えた。
ドワーッと考えた。

そしたら、いろいろ見えてきたこともあって、そうかぁ、そうよなぁとか気付いたりしたこともあった。

内観とかそういうことかもね。けっこう大事なんだ、こういうこと。

まだまだ内省は続く。で、いっぱい考えたことを、身近な、いろんな人に話として伝えてみる。意見を聞く。ふーんそうなのか。なるほどなぁ。え? そんな風に思ってたん? ぎゃ!それは勘違いよぉ。なぬなぬ、ははぁ、さいでっか。えー、知らんかったわぁ。

と、長年付き合いのある方々、方々から、「へー。」と驚くような話をいくつも聞く。

なんでこういう話をいままでせんかったんかなぁ。ふーん。そうかなぁ。そうなのか。驚くばかりである。思っていた以上の多様な「自分」を教えてもらった気がした。

人間というのは、付き合い方が固定すると、その固定した付き合い方の範囲内の話しかしないんだねぇ。時たまこうして揺さぶりをかけると、思ってた以上に色んな人の色んな話が聞けるんだねぇ。

で、そういう話をいくつも聞くと、自分の考えてきたこととか、体験してきたこと、などなどなどなどが、自分では「普通やん」と思っていたけれども、とても特殊であったこともわかってくる。

ふへー、そうやったんか。世の中そんな風にいろいろあるんか。なるほどなぁ。

目が見開きっぱなしである。

なんというか、このひと月、ふた月、落ち込んだり、内省したりでまともに仕事をしてなかった気がする。

いや、そういう時があっても良いのさ。

ということで、今日は久方ぶりにまともな仕事の打合せ。

あー、以上。

javaスクリプト

2001年9月7日
雨も降っていたし、仕事を休みにしてしまった。

ふと思い立って、javaスクリプトをいろいろいじりだす。なんかホームページをどうにかしたいのだ。仕事用ではなくて、個人用に内緒のページを作りたいのだ。そういう気持ちがムクムクと湧いてきた。

いやまぁ、前からやろうやろうと思ってはいたんだけどもね。

どうもこの数週間、「前からやろうと思ってたこと」にばかり手をつけている。


うーん、やはり今年のウクレレ熱はなんだかおかしい。土曜日だし仕事は夕方少し出て軽く済ませた程度で、やたらと弾く。

ウクレレにはウクレレ的世界があって、それを話したらけっこうウケが良かったので、ここでも書いておきましょう。

まず、ウクレレの一番良いところは、実は、

●飾りになる。

ということなのであります。「こんなん楽器としての特性と違うやん!」とかつっこまないように。この「飾りになる」ということがどれだけ強力な特徴であるかをわかっている人は少ない。

ギターとかだと、飾っておくにも邪魔なわけです。
だから、ついしまいこんでしまう。で、結局弾かなくなっちゃう。
でもウクレレは「飾り」として成立するから、棚とかそこいらに立てかけておくだけで「楽しい気分」にはなる。
で、いつでも手にとれるところにあるから、ちょっと弾いてみよっかな? となる。
これがいいんですよ。これがあるからウクレレはいい!
それこそ1コードだけ覚えて、ポロロンとかきならすだけでもかまわない。
それで充分「楽器を弾く心のやすらぎ」にはなっちゃう。

で、次に、

●弾けなくても良い。

ということがある。飾りですから。それだけで役に立ちますから。置いておくだけで、可愛らしいんですから。別に弾けなくてもいいんです。置いてあるだけで、空間がなごみます。これはすごいです。

そして、その他にも、

●ネックが細いので、弦を押さえるのがラク。(セーハラクラク。)
●フレットが狭いので随分離れた場所の音もラクラク出せる。
●低音部の響きをあっさりあきらめ高音部だけの和音に徹しているので、音が可愛い。
●開放弦の音の並びが、高音−中音−高音と一律ではないため、ただかき鳴らすだけで特徴ある響きがかなでられる。

というような数々の構造的魅力にも支えられまして、ウクレレという存在は、まさに、

●努力不要でらしさ追求。

という画期的ポジションを得ているのであります。

ここから、結局ウクレレユーザーというものは、「ウクレレの思想」ともいうべきものを生み出しておりまして、その思想そのものをウクレレと同等の気持ちで愛していたりすることが大変多いのです。

いわく、

●脱力。力入れない。きばらない。
●努力しない。がんばらない。
●決断しない。決めない。カタにはめない。
●上を目指さない。追求しない。
●意味なく現状を肯定する。理由などない。

ダラダラーっと、ズルズルーっとそのまま日常を過ごす感覚。
そういうのが、ウクレレ的世界でして、概してウクレレ好きは、そういう「ウクレレ的世界」自体をすごく好き。 わたしも好きです。

そんなこんなもありまして、ウクレレは、音楽を一曲弾くのではなく、ただ、弦をさわって、ポロポロンと鳴らすだけでホッとする。そういうところが良いのですね。
騙されたと思って、近くの楽器屋さんに行ってウクレレを何も考えずにポロロンと弾いてごらんなさい。それだけで、「わっ可愛い音」とか思っちゃうから。そういう具合に出来てるんやもん。よろしぃよぉ。

まぁ、そんなこんなで、ここのところ異様にウクレレを弾いている。

時間があくとジャカジャカやる。

本を読んで、飽きるとジャカジャカ。

ホームページ作って、飽きるとジャカジャカ。

自宅でゴロゴロしている時、あるいは落ち込んで気持ちが落ち着かないとき。そんなこんなを考えると、ウクレレは本当になぐさめになる。良い。ほんとにいいわ。これ。

ウクレレ。あなたもどうっすか? 一本。こりゃあ良いですよ。
お気に入りのウクレレだが、実は課題曲がひとつあった。

それは、前から気になっていた「CrazyG」というハワイのトラディショナルソング。

この曲、カッコいいんですよ。本当にハワイのトラデイショナルソングなのか? ほんまか? とか思うんですが、まぁ良い。

「Crazy G」についての解説は、
リンク
を、「Crazy G」そのものを聞きたいという方は、
リンク
の下の方にあるmp3のファイルをダウンロードして聞きましょう。

ともあれ、この一週間くらいちょくちょく弾くようにしてたので、なんと! 今日は楽譜見ながら弾いてみたら、ほぼ通しで最初から最後まで弾けてしまった。

おおーい、弾けちゃってるよぉ。

ウクレレは上手になっちゃダメなんだよぉ。万年ヘタクソこそが魅力なんだよぉ、とか思いつつ、「CrazyG」はカッコいい曲なので、ちょっとうれしい。

たぶん、通して弾き終わった後、小鼻がふくらんでると思う。そのくらい達成感高し。

んー、こういう達成感ってほんとうはウクレレの思想的ではないんだけどなぁ。まぁいいや。

次は暗譜だ・・・・っておい!練習しちゃってるよ。積み上げちゃってるよ。上を目指しちゃってるよぉぉぉ。ああ、ウクレレの思想に反するなぁ。

暗雲垂れ込める

2001年9月10日
この日、日本に近づいていた台風は、名古屋から東京に向かって影響をおよぼしていたわけですが、大阪ではその余波で、とてつもなく気持ちの悪い、暗雲垂れ込める夕方を迎えたのでありました。

空は赤黒いくせに、街の風景は真夜中のように暗く、なぜか東の空には巨大な虹が現れるという、異様な雰囲気に包まれました。

まるで11日のアメリカ同時テロを予告するかのごとくに不吉な空だったことを記憶しているのであります。

で、私はというと、とくだん変わりなく。
なにしたのかも覚えがないというていたらく。
あた〜。

強いて言うなら、ウクレレを弾いては、どんどんクレイジーGを暗譜しはじめてた時です。我ながらすごい。とか考えてた。

我ながらお気楽さがすごい。

アメリカ同時テロ

2001年9月11日
ニューヨークの貿易センタービルにジャンボが突っ込む。

信じられない出来事である。まさか「ハイジャック+自爆」と、ルール違反をふたつ掛け算したら、こんなド恐ろしいことになるとは思いつきもしなかった。

しかし、そういう攻撃を思い付ける「心」がこわい。 心はなんでも可能だけれど、そんな風に展開させはいけない。違うやろ、その頭の使い方は!

でも、それに加えて思うのは、「ジャンボが街に落ちたらどうなんねん?」という、機械技術の裏側に常に存在する暴走の危険を、想像すらしていなかった自分の「心」の怖さ。

そういう技術の恐怖みたいなことを、ちゃんと「怖い」と直視してたら、こんなに簡単に民間機を乗っ取られて、ミサイルにさせることもなかったろうにとも思う。

技術を信じすぎてました、私。

君もそうと違うんか? ん? と、普通に飛行機で仕事や海外旅行に出かけている人たちみんなに問い掛けたい。まさか武器になるようなモンに乗ってるとはついぞ考えたこともなかったんと違う? あー、くわばらくわばら。

こんなこと、「思いつきもしなかったよ」と誰もが思うし、その通りなんだけど、その裏には自分達が想像している以上の「技術への信頼」とか、「経済社会への信頼」というものがある。それを前提にしなければ、われわれの生活は成り立っていかないのだというのを痛感する。

そういうようなことも含めて、今回の事件は、ことアメリカと中東という地球上の地域的な問題ではなくて、「人類の内面と外面の葛藤」という感じがして、僕は見ていて辛いし、とても考えさせられる。

テロはいかん。どんなことがあってもだめだ。

しかし、ファンダメンタリズムというのは徹底した内面追及の文化で、アラーの命令に従えば英雄として永遠の地が約束される。彼らはそれを信じてビルにぶつかっていく。そして、一度境界線を越えた人間はどこまでも行く。神の命令に従い英雄になりたい人間なら、数多く殺した方が英雄なんだから。

逆にアメリカは異民族同士がむすびつくために、内面は問わず、外面の「経済」や「軍事」を伸ばしてきた国なんだろう。
「人類の葛藤」そのものという気がする。

アメリカは異民族が同居する実験国家だ。異なる民族に同じ宗教は通じない。ブードゥーを信ずるものも、アメリカ人ならOKだ。となれば、いきおい法律、経済、軍事など、人の心の外側をこそ大事にするのは必定だろう。

ブッシュがテロリストの支援者も報復の対象と明言しましたな。
そうなるよな。アメリカやもんな。異民族の寄り集まりやもんな。
明確な報復攻撃とかなかったら国民が納得せんもんな。
つらいな。

世の中大変。

2001年9月12日
テロのおかげで、世の中大変である。
でも、ちょっと仕事があったので、いちおう事務所には出てちょこっとは仕事した。

でも世の中大変である。

帰って来れない。

2001年9月13日
得意先の担当者が、アメリカ出張に行っていて、帰って来れない。

はじめてのアメリカ出張で、このテロである。可哀想と言うしかない。英語も不得手。まぁ勉強する意欲は持ってたみたいだから、ものすご〜く良い勉強の機会にはなってるだろうけどねぇ。大変だなぁ。

とはいえ、その人が、「はじめてのアメリカ出張」であったがゆえに、いろいろな仕事が「帰ってからにしましょ」と言われて伸び伸びになってたんだよ〜! また伸びちゃうよ〜。あー、売上下がる!

とほほ。

仕事がねぇ!

2001年9月14日
本来なら、いまいろいろやっとかないといけない仕事が2〜3あるんだけど、担当の人がアメリカで足止め食ってるから、進めようがなかったりする。

いつもなら電話で「次の打ち合わせいつにしましょうか」とかやってるんだけどなぁ。

まぁ、いいや、なんか神様が休めって言ってる気がするから。
休んどこ、こういう時は。

祝日だというのに。

2001年9月15日
祝日だというのに、ちょっと内科関連の医者に行く。春に十二指腸潰瘍もやっちゃったしそのフォロー。こんな日でもやってるのは偉い。

祝日だというのに、アメリカのニュースに釘付けである。TVに関しては、どうみても祝日の雰囲気ではない。

祝日だと言うのに、他になにもすることがない。またまたjavaスクリプトとかごちゃごちゃいじくる。そんなもんかな。

日曜日だというのに、何もすることがない。あー、たぶんこの日もjavaスクリプトとかいじくってたな、きっと。

テロ事件に関しては、やはりえんえんと報道が続く。当然ですわな。前例がなさすぎたもん、今回の事件は。

アメリカで足止め食ってた得意先の担当者の方が帰ってこられました。ま、ニュースとしてはそんなとこだなぁ。

図書館に行く

2001年9月18日
ちょっと仕事での調べものがしたくて、図書館まで出向く。新聞の記事等を2時間ほど調べてたのだが、毎度思うが、図書館の新聞室ほど保存管理の仕組みが完成している場所はないなぁ。

まず今月の新聞は全部5日分ずつにまとめられていて、そのまま読める。で、先月から一年前までの分は上旬・下旬でファイルされていて、その単位でまとめて読める。それから何年分かは知らないけども、数年分は縮刷版があって、それより古いのはマイクロフィルムになっている。

よく出来た仕組みだと思うんだよねぇ。これはねぇ、たとえばその時々の広告にいたるまで保管されてたりするから、資料的価値はすげー高いんだと思う。なにか調べたい事柄があったら、いまはインターネットでなんでも調べられるんだけど、時たま図書館の新聞室には来たいよなぁとつくづく思うのであります。

日本の新聞社に関しては、なんだかんだと批判したいことが山盛りあるけど、そんなことを無視しても良いくらいに、図書館の新聞保管のシステムは素晴らしいです。

みなさん、もっと活用しましょう。

肩痛い。

2001年9月19日
朝起きると、肩が痛い。

カタイタイ。
下腿体。
固い鯛。
意味わからん。

痛いので仕事休みにした。

しかし、何か体は動かしたほうが良さそうな気がしたので、ちょっと出歩き、肩ほぐしのための器具とか買う。クエスチョンマークの形をしてて、手でツボを押す指圧器みたいなやつ。

これ、意外に効きますね。感心した。

首痛い。

2001年9月20日
昨日、肩が痛かったので、四十肩と思い込み、
それで伸ばしたほうが良かろうと伸ばしてたら、
これは四十肩ではなくてどうも寝違えだったらしい。

寝違えの場合はそっとしとく方がいいんだってさ。
バカしました。

あまりに痛いので、鍼灸のお医者さんに行ったら、マッサージするために体に触ったとたんに「全身ガチガチにコってますよ。」と言われた。うぐ〜、そうだったのか。なんかすごい抑圧とかあるかもなぁワシ。

でも、一般的に自分が「コっている」と気付けない大人は多いらしいです。特に男。みなさん気をつけましょうね。


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