この diary note で、リンクいただいている、裏picoさんの日記にフォトリーディングの講座に参加されたお話がありまして、それにずいぶんと刺激されました。僕もちょっとお金を貯めて講座に参加しようと思っておるのであります。(フォトリーディングは高いのよねぇ。11万円くらいするから。)

とは言うものの、では何故講座を受けたいか?というと、最近そろそろ自分の読書スピードに限界を感じ始めたからなのですね。
どうしても読書スピードを上げないと、自分の望んでいる状態に達成しないよなぁという事がひしひしと分かってきた訳なのであります。

ということで、多分フォトリーディングの講座は受けるということになると思うのですが、そういう気持ちになったのは何故か?ということと、ここに至るまでの読書ノウハウのまとめ、みたいな事が、意外に「速読までは必要ないけれど、ちょっとちゃんと読書はしていかなきゃなぁ」と思ってる人には役立つのかも?と思って、ちょっとまとめておきたいと思いました。

まずね。
何より、読書というのは、「するべきこと」なんですよね。
まずそれを意識しましょう。
「してない」という段階で問題だと思った方がいいです。

一生アホのままで良いと思う人は、ここから先は読まなくていいです。いやまぁアホのままの人生も、それはそれで幸せかもしれないので、別に悪いとは言いませんが。

で、読書に関して、いま僕が思うのは、読書には大きく4ステップの段階があって、それをキチンと意識・自覚して取り組んだ方が良いなぁ、という事なんですね。(で、これは速読とかの技術を学ばなくてもできる事なので、気になった方はやってみて欲しいです。)

そのステップは、

(1)読書目的の設定
(2)読書時間の確保
(3)読書マップの作成
(4)復習のためのノート

ということです。

娯楽のための読書も楽しいので、それはそれで良いのですが、そうではなくて、スキル習得とか知識習得のための読書ということを考えると、上記の4ステップは必要だろうなという気がします。

ということで順に説明していきますね。

まず、

(1)読書目的の設定------------------------------

です。
これは、いったい何のために読書が必要であるのか?ということを、自分に分からせるためのステップです。これは意外に難しくて、ここが明確になれば、何の技術の習得も関係なく、いきなり高速で本が読めるようになったりします。
たとえば、海外旅行に行くことになって、その前に旅先の情報を得ようとガイド本を読む場合など、かなり集中力が高まっていて、けっこうなスピードで読んでいたりするんですよね。自分では気づいてなかったりしますが。

なので、目的設定というのはかなり重要なんですが、これがまた不明確なままでも、別に死ぬことはないというような事で、ものすごく中途半端なままになっていることも多いのですよ。
だから、このあたりは、ノートに自分の夢を書き出してみたり、自分の興味があることをドンドンリストアップしてみたり、けっこう多様な取り組みが必要なステップだと思います。

で、人によっては「目的」自体が見つからない、という人もいてると思うんですよね。ありていに言ってしまえば、「人生で何をしたら良いのかが見つかっていない人」ですね。
これは、この無目的感自体が問題なので、それこそいろいろなアプローチでモチベーションアップを図った方が幸せですよと言いたいわけですが、それはそれとして、「何をしたら良いのかわからない」という人は、一度目的も定めずに本屋をブラブラしてみるのも手だと思いますね。

それこそ、本のタイトルを見ているうちに、思いもかけなかった事柄に興味が湧いてきて、ムクムクとやる気が出てくることもありますからね。

まぁあとは、いろいろノートに書き上げるのと、それこそテーマを決めない乱読も効果ありですわね。で、そういう自分のテーマを選ぶための乱読にこそ速読の技術が必要なんだ、という人もいてるでしょうね。それはそれで良いのだろうなと思います。

つぎ。

(2)読書時間の確保------------------------------

これですよね、これ。

速読の前に、必ず必要なノウハウがこれです。
とにかく、定期的に本を読む時間というものを、まず確保しないといけません。これは、速読の技術があろうがなかろうが、まず先に必要な事ではないか?という気がする。

僕は、まだ速読の技術がないので、せいぜい年間100冊前後をうろちょろしているレベルですが、それにしたって、

●通勤電車内での片道20分の読書時間

というものがあってはじめて、この冊数が達成できてるわけです。
最近は自転車通勤をするようになったので、通勤読書の代わりにキチンと読書する時間を取らねばと、通勤とは別に読書時間を取るようにしましたが、やはりそういう具合に自分で時間を決めて読書しないと、なかなか本は読めないようです。

ちなみに、意外な隙間時間として使えるのは、ポピュラーではありますが、トイレタイムと寝る前の数十分です。
トイレや枕元に、その場所でしか読まない本を一冊、あるいは数冊、ポンと置いておくだけで、けっこう読み進められるものです。大きく生活は変わらないけれども、読んでる本は増える、ということで、まずはお勧めしたいですね。

あとは喫茶店にこもる。
これはもう、一番有効な方法でしょうね。僕の通勤読書以外の読書時間では、一番多いものです。
こういう工夫とか努力もしないで速読の技術だけ追いかけても、それは全然意味がないよなぁって思います。

自営業で自宅で仕事をしてる人なんていうのは、それこそ通勤ということ自体がないので、本当に本を読む機会が奪われるんですよね。通勤時間の読書というのは、本当に大きくて、「電車の中では本を読むものである」という習慣を持つだけで、勤め人なら、かなりの読書時間を意識せずに確保できるんですね。手軽にかなりの大きなボリュームの読書時間が確保できる。これがものすごく大きいわけです。

なんだかんだ言っても、日本人の勤勉さや、モノづくりの品質の高さ、企業力の高さなどは、そこに努めている企業人の通勤読書力に支えられているところがものすごく大きいと思うんですよね。
で、だから、それなりのしっかりした企業で、「できるビジネスマン」と目される方は、まぁたいていちゃんと通勤読書をされてます。ムダに通勤時間を過ごしてないです。ここは本当にものすごく大きいです。

だから通勤してない人は本当にキチンと読書時間を確保しないとアカンのですよね。しかし、意識して読書時間を取るというのは、なかなか大変でして、僕も自転車に乗るようになってからは、穴埋めの時間確保に四苦八苦しております。ほんとうに通勤時間以外で本を読むというのは大変ですわ。

なので、そういう時間確保に大事なことは、まず、

●ムダ時間の削減

ということなんですね。
読書の有益性に比べたら、本当にムダな事をたくさんやってるんですよ、みんな。
たとえば、ネットのエロページの閲覧。
こんなムダなもんはないんですがね。
でも、やっちゃうんだよなぁ。
削りましょう。こういうものは。

あとは、
▼テレビ
▼ゲーム
が筆頭ですわな。

テレビとゲームは、はっきり言って、この10年でとんでもなく質が落ちました。本当に見るに値しないのが増えた。くだらんゲームも増えた。だから単なる習慣とかクセでやるのは、かなり危険です。質が低いですから。できる限り削りましょう。

で、もっと言ってしまうと、質の悪い作品が増えると、「質の良い作品を探す」ということ自体に、かなりの時間を取られるんですよね。これがまた時間がもったいない。なので、最近はテレビやゲームは、もうほとんど見てないし、やってないのでありますよ。よほど話題のものだけだなぁ。

あと、意外に難しいのが
▼スポーツ
ですなぁ。
なんかランニングマシーンみたいに読書しながらでもできるようなのなら、まぁ良いのですが、それ以外はなかなか読書できない。

もちろんオーディオブックを聞くという手はあるんですが、あれもねぇ、慣れるまでがなかなかですよ。まぁ、体を動かすことは健康のためにどうしても必要なことですから、このあたりは、今後の重要課題であります。

同じ理由で、

▼クルマの運転

というのも問題なんですね。本が読めない。アホになる。これもオーディオブックという解決策はあるし、実はオーディオブックは、本よりうんと情報量が多くて高速処理もできて印象にも残りやすくてメリットがかなり大きいんですが、入手しにくい、選択枝が狭いというものすごく大きなデメリットがあるので、完全な解決策とは言えないのであります。まぁ良いオーディオブックを「繰り返し聞く」というクルマ内での時間の使い方は良いと思いますが。それでもやっぱりクルマってのも読書には大敵ですな。

とにかく、なにはともあれ、速読より先に、まず「読書時間の確保」。これはもう絶対なのです。
時間割とか決めて毎日何時から30分だけは必ず本を読むとかしないと、なかなか読書量は増やせないんですよね。
で、ぶっちゃけ言ってしまうと、なんだかんだ言っても読書は「量」なんですよ。量を読んではじめて、「質」を判定できるようになるという側面があるので、量を読んでないと「良書」にたどりつけないんですね。

だから、まさに継続は力なり、なのであります。

で、つぎが、その「量」をいかに効率的にするか?というための、


(3)読書マップの作成----------------------------------


という事であります。

これは最近、自分の読書傾向が偏ってるよなぁという自覚から考え出した事なんですが、とにかく、(1)の「読書の目的」に沿って、キチンと「読むべき本のジャンル」というものをテーマ出ししとかないといけないんですね。

まず、自分の仕事の専門分野の本とかは、テーマ出ししとくべきだし、それ以外にも、教養として読んでおくべきジャンルも、リストアップしておいて、意識にとどめておかないとイカンよなぁ、ということなんです。

前は読みたい本があったら、どんどん買って、で、読むスピードが遅いものだから積ん読になってしまってたわけですが、最近それは金も空間もムダにするだけだよなぁと思って、書店で気になる本があっても、まずは書名のメモだけで終わらせまして、時間があるときに、この読書マップにマッピングするようにしてるんです。

「この本は、僕が身につけたいこのジャンルに分類できるわなぁ」とかやるんですね。
そうすると、いかに自分の興味が偏っているかがわかる。まぁ、そのまま偏ったまま突っ走るのも、ひとつの良い方法なんですが、それとは別に、「苦手克服」というのもチャレンジすると効果が大きいわけですよ。

たとえば、自分の能力が、いろんな面で、どれもこれも60点以上の力があるのに、一カ所だけ10点以下だったとします。
そうすると、こういう人は、いくら平均点で50点の人間でも、10点という極端に低い能力に引きずられて、実際には20~30点の能力しか発揮できない、なんてことがあるわけですよ。

たとえて言えば、アダルトチルドレンなんてのは、まさにこの「10点の足を引っ張る能力」と言えるでしょうし。マイナス点やもんなぁACは。やっぱし。なので、こういう問題は、キチンと学習して、さっさと卒業してしまうとかする。そうすると、他の60点の能力とかがどんどん生かせるようになっていくわけです。

で、そういうことを知るのに、読書マップを作っておくと効果が高いって事なんですね。

・社会
・政治
・投資
・金融
・歴史
・科学
・法律
・健康
・宗教
・英語
・自己啓発

などなど、なんでも良いわけですが、とりあえずは、まずは「ジャンル」を定めてマップにしておく、というのがなかなか賢いわけです。

で、もうひとつ言うと、ずいぶん、ずいぶん前に、この日記で書いた

田中角栄の勉強法
http://hitoyomi.diarynote.jp/200505031924190000/

でも紹介しました、

●同ジャンル多読

というのが役立つのです。

上記のジャンル設定をしたら、そういうジャンルの本を入門書から専門書まで、さまざまなレベルの本をまとめて10冊くらい買ってくるんですね。で、一時期に一気にまとめて読んでしまうわけです。

こうすると、実はものすごく効率的に知識が手に入ります。

というのは、同ジャンルの本だと「重複」がものすごく多いからです。同じ事をわかりやすく書いてる本もあれば、よりつっこんで書いてある本もあります。が、入門書から読んでいけば、そういう難しい専門用語や概念も無理なくわかっていけますし、何より何冊も読んでいくうちに、そのジャンルで重要なことを、何回も復習することになるわけです。嫌でも頭に残るわけです。

だから、効率的に知識を獲得したかったら、この同ジャンル多読というのはとても効果が高いです。

で、そのためにも読書マップを作って、読みたい本とかをリストアップしておくと便利なんですね。

僕はまだやってませんが、「今月はこのテーマを集中して攻めるぞ!」とかやったら、ものすごく効果が高いと思う。これも速読の技術以前にすごく効果のあるやり方ですので、やってみて欲しいです。

で、もうひとつ僕がいまやっていて効果があるなぁと思ってるのが、

●読了書名録の記帳

という奴です。
これは、読んだ本のタイトルだけを、ノートに付けていくというそれだけなんですが、読書量を増やすためにも、上記の「復習」のためにも効果が高いのですね。

最初は、とにかく何を読んだかの記録をつけるためだけに書いてたんですが、読み直すうちに、この記録がやる気を引き出すモチベーションツールになってきたし、また、読んで面白かった、あるいは再読して勉強したい本のチェック用に最適だと気づいたんですね。
それこそ、再読したい本に赤丸をつけるだけで良いわけです。それだけで再読作業がうんとラクになります。

で、今後は、「本を捨てる」ということもどんどんやっていかなくてはならないので、そのためのリストにもなるよなぁと思ってるんですね。
本を捨てるのはいいんだけど、前に読んで捨ててしまった本を、ついうっかりまた買ってしまってとか、やりそうで怖いんですよね。本を捨てると。だから、何を捨てたのかもちゃんと記帳しておきたいわけでして。そういう意味でも、これは役立つよなぁと思っております。

で、そうやって再読しようと決めた本に関しての話が、次のステップでして、


(4)復習のためのノート----------------------------------

ということになります。

これはもう、別におかしなことでもなんでもなくて、学校の教科書とノートの関係を思えば、それで良いのだと思います。
いろいろやってみましたが、やっぱり本来は、

●良書をキチンとノートを取って読む

というのがベストですわ。

でも、なんでもかんでもそんな事をしてたら、時間がいくらあっても足りません。
ですから、

●本自体に書き込みをして、本をノートとして使う

というのも大事です。
これを本格的にやった場合は、いろいろな自分の書き込みの再読が必要にもなってきますから、上の読了書名録のところに、別の印でもつけておくべきでしょうね。いや、僕はまだやってませんが。そういうやりかたもあるだろうな、ということです。

だいたい、本は、読んだだけなら単なる娯楽と同じでして、後で何らかの形で活かさないとメリットがないというか小さいわけです。

たとえば、いちばんそういうことがはっきりしてるのが、パソコンのプログラミングの解説書とかですね。一時期パスカルをよく使っていて、そういう本を良く読みましたが、それこそ、そういう本は「使ってなんぼ」なわけです。

ですから、

・線を引く、マーカーで塗る。

のは当たり前で、

・本の角を折る(ドッグイヤー:犬の耳という呼び方もされます)
・付箋を貼る

というのも、絶対の必要性があるんですね。

で、どんな本でも、この「線を引く」「耳を折る」「付箋をつける」はやらなくては意味がない。まぁ小説とかの娯楽本には不要ですが、それ以外はどんどんこういう「汚し」をすべきでして、これをしとくと、後で読み直しするときの効率が、ものすごく良いのです。

ああ、この本は良かったなぁ、という本は、ときたまひっぱり出して、このマーキングされた部分を繰り返し読むと良いのです。
マーキングしたということは、自分の中に何らかのひっかかりがあってマーキングしたわけですから、その「こころ」を思い出して、それがきっかけで、また次の新しいアイディアが湧いたり、別の知識獲得に意欲が湧いたりするわけです。そこが大事。

よく「本を汚すなんてできない」という人がいますが、これはぜひ改めて欲しいなぁと思います。本は汚してなんぼ。本当に良い本で、気に入ったのなら、もう一冊買えば良いだけのことです。

この「線を引く」という行為に関しては、例の三色ボールペン勉強法の斎藤孝さんが「線を引くという決断」が大事とされていて、そこが面白いなと思うんですよ。
線を引くなら、中途半端に「あとで消せるように鉛筆で…」てなことを考えてはいけないのです。
一期一会。その時の自分の気持ちを大切に、決断して、ズバッと線を引く。その本と自分との関係性を、そのときに決める。そういう決断をすることが大事なわけです。

だから、あの齋藤孝さんの勉強法は「三色ボールペン勉強法」なわけです。決して「三色の鉛筆勉強法」ではないわけです。
これ、かな~~~り重要なんです。
この4ステップの最初に「読書の目的」というのを立てましたけど、そういうテーマの立て方とも関係してくるわけです。

私には、この知識が必要だ。

という決断というか、関わり方をする。腹をくくる、ということですね。
そういう事が、まず必要な事でして、ボールペンで線を引くというのは、そういう自分の「決断」を毎回明確にしているということでもあるわけです。
だから、線は引かないといけない。

それから、ボールペンやマーカー、付箋は、いつも持ってるわけではないでしょうから、ドッグイヤーも大事です。気になるところがあったら、どんどん耳を折る。これはクセとか習慣とかにしといたほうが良いです。再読するのに、やっぱりかなり便利です。

で、ノートですが、普通のノートがベストとは書いたものの、実はそれは本当に選びに選んだ最強の一冊に対してやれば良いことで、そうではない本になら、フォトリーディングでも勧められている

●マインドマップ

が、かなり良いです。

本の内容をノートテイキングするのに、マインドマップという技術は、かなり有用なんですね。マインドマップ自体は、ふだんのメモ取りとかに使うには、かなりクセがあって、誰にでも使えるというようなものではないと、僕は思ってるんですが、こと読書のまとめのためのノート取り技術としては、実に相性が良いのです。

ということで、僕は最近は、「まぁまぁそこそこ良かった」本に関してはマインドマップでノートというか、覚えを残してます。

しかも、松宮義仁さんという方が提唱している「シンプルマッピング」がかなり良いなぁと思って、読書のまとめには、これを使ってるんですね。

シンプルマッピングというのは、ものすごく簡単なマインドマップテクニックで、

▼文庫本サイズのA6ノートを見開きで1マップ用として使う

という、ただそれだけの技術なんです。こまかい話は省きますが、どこでも売っていて、気軽に鞄から出し入れしやすいA6ノート一冊に、読んだ本の内容をマインドマップにしてため込んで復習するというのは、なかなか効果的だと思います。いろんな「ステップ」を頭に残しやすいんですね。これは良いです。

読んで終わらせたら、それこそもったいないわけで、頭にキチンと入れて、知識を実践して、それではじめて本を読んだ意味が出てくるわけですから。
そういう用途に、このシンプルマッピングはとても実用的で良いです。一冊のノートに何十冊分の「概要」を圧縮して持ち歩けるのだから、効果は非常に高いと思います。


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とまぁ、こういう具合に、速読を学ぶ前に、読書をするために必要なステップというのはいろいろあるわけで、これらをやっただけでも速読を学ぶのと同じくらい効果があると思います。

が、逆に、ここまでやると、それこそ本を読むことの効果もよく分かるし「もっと読まなければ」とか「もっと読めば、もっと良い環境になるなぁ」とわかるので、どんどん速読の必要性も高まってくるわけです。いまのままだと、どうしても一年に100冊くらいが壁になっちゃうもんなぁ。

まぁ、あまり本を読まない人なら、まずは週に一冊、年50冊が目標だと思うんですが、それを達成したら、次は年100冊が目標で、それを達成したら、次のステップはもう速読しかないんじゃないかなぁ…というのが、僕の実感なわけです。

ま、ということで、速読、近いうちに講習を受けたいと思います。
とは言っても、まぁ来年になってからだと思いますけどね。

てなことでした。

「人買いがイヤだから近代化したのに派遣切りとはどういうことだ。」と思うなら、消費税の撤廃も検討しよう。
たまたま水木しげるの伝記的なマンガである

「のんのんばぁとオレ」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062603330

を読む機会があって、つらつらと世界にはまって楽しんでたのですが、昔は人買いというのが普通にいて、子どもが人買いに売られたりしてたんだよなぁって改めて思った。

水木しげるが子どもの頃に体験したことがベースになってるわけだから、まぁかなり切実な話だったんやろなぁと。実際に見たことがないので良くわからんのやけど。

でも、考えてみたら、テレビ放送と同時に生まれたような年代の僕が子どもの頃ですら、祖父が「あんまり遅くまで遊んでたらコトリがくるぞ。」と言ってたわけだから、僕が生まれる前あたりまで、普通に人買いはいたんやなぁと改めて実感したわけです。

ここでいう「コトリ」というのは、もちろん「小鳥」ではなくて「子取り」または「子盗り」なわけですが、子どもの私は「なんで小鳥が来たら怖いんやろか?」というのがあって、やたらと印象に残ってた言葉なんですね。

女衒とか、子どもを売るとか、人身売買っていうのが昔は普通にあって、で、そのせいで友達を失って悲しい思いをした話っていうのが文学なんかでは普通にあって。
いや女郎屋に女の子が売られるなんてのは、あまりにポピュラーな話題だったわけでしょう。

それが悲しくて、イヤだったから、ミンシュシュギとか、キンダイカというような訳の分らん洋物の仕組みと契約して、「友達をなくしてしまうような悲しい事」のない社会を手に入れようと、我々日本人は思ったわけでしょう。

なのに、いつのまにか、「派遣切り」とか、普通になってしまって、コトリがくるぞとおどして子どもをしつけたり、あるいは「●●したら、××がくるぞ」と、子どもに生活習慣を身につけさせようと自衛していた「生活の知恵」まで失ってしまって、これなら妖怪やらキツネや狸に化かされてた世の中の方がよっぽどましやったやんか、てなところまでおかしくなってしまった。

なんで、そういう生活の知恵まで捨ててキンダイカと手を結んだのやら、ということですわなぁ。

結局、最近の、やたら低賃金で虐げられてる人たちが出てきている事に対する、我々日本人の実感としては、
「人買いがイヤだから近代化したのに派遣切りとはどういうことだ。」
という理不尽さが根っこにあるんやわなぁって思う。
理不尽でしょ、それは。

理屈はわからんけど、実感としてイヤやなぁ、ということだと思う。
大衆がイヤやなぁと思うことは、やっぱりかなり間違ってるって事ですわ。

これが万博より後に生まれたような世代だと、祖父母と暮らすことも少なくなって、コトリや妖怪を生活の知恵で警戒するアタマも持っていない子どもばっかりになって、ハケンギリという新種の妖怪にパクっと食われてしもうたという、そういう事なんやろなぁ。
そんなことを思いました。

とは言うものの、この間読んだ本では、「格差社会というのはウソだ。日本の格差はそれほどひどくはない。派遣が悲惨なのは、格差が悪いのではなく、経済成長率が下がって、民間所得総額が下がり、そのしわ寄せが派遣に押しつけられてるから問題なのだ」ということが書いてあって、ポンと膝を打ったのですよ。

結局、ショーヒゼーという鵜飼いの鵜につけられたヒモみたいなものを武器とする、「自分の食い扶持すら稼がず、まっとうに働く人に寄生するタイプ」のカンリョーという超大型妖怪が日本に跋扈したから、このおかしなキンダイカという西洋妖怪に我々はからめとられてしまったわけですわ。

友達をなくしたくない日本人は、やっぱり人買いやら女衒やらは、すごく嫌いで、だからキンダイカと手を結んで労働基本法をつくったし、なんだかんだ言っても「友愛」とか言う、ものすごくあやふやなキーワードの方がやっぱり好きで、だから鳩山くんを応援してるのに、なのにまだショーヒゼーという鵜飼いのヒモが不況の原因なのだと日本の代表が気付いていないとう、そういう構造だなぁと、思ってるのです。

民間所得総額を上げるためには、やっぱり正しい公共投資が必要やと思うなぁ。

で、そのためには、たとえば、高速道路の無料化は、いくら道路が混んでもかまわんから強行して、で、その代わりにパーキングエリアを山のように増設したり、駐車場を山盛り作ったり、高速道路の途中のパーキングエリアにクルマの預かり所を作って、ヘリポートで近くの駅まで送ってくれるサービス(クルマは代行運転で別便で空いてる時に届けてくれる)や、クルマ用リフトを作って下におろしたり上にあげたりして一般道につなぐような仕組みとかも作って、実質的に大量にクルマを流通させられる仕組みを導入すればいいのだ。
これらのサービスの料金は個別に取って、それに高い税金をかけて、道路整備の財源にしたらいいのだ。

ちゅうか、高速道路が不便になったら、そこにこそ「ニーズ」が生まれるんやから、すごいことですがな。市場ができるんやで?いくらでも稼げるやん。そうしたら成長率も上がるやん。
どっちかというと、そういう事が大事やと思うんやけど。

でも、みんな便利な方がええし、ちょっと高速料金払ってでも、空いてる道路を走りたいんやろなぁ。

なんかシリメツレツになってきたので、ここいらでやめます。

が。

鳩山くん、ショーヒゼーは据え置きとか言わずに撤廃するか、3%に戻そう。

それが外需ではなく、GDPの55%を占める膨大なる個人消費によってまかなわれている日本経済の内需を刺激して、経済発展にもっとも寄与する手法ですぜ。やっぱり。
GDPが増えたら、税収も増える。ショーヒゼーより、税収の自然増収の方がよろしい。

この「自然増収」を目指す事こそが、本来の官僚の役割やと、わかりきったことやのに、なんで誰もやらんし、言わないのか?本分をわきまえないもんは、いつのまにか人の道から外れてしまって人外のもの、妖怪になり果てていくのです。

いまや官僚は官僚ではなく「カンリョー」という超大型妖怪でしかない。

不況の時でも増収になってしまう「消費税のアップ」というカンリョーのエサにしかならんもんを増やそうと言う考えを、どうして誰もが正しいと考えるのか?
このあたりの目くらましを、ちょっとなんとかしたい。

そこいらあたりを、ほんまに真剣に討議すべきやと、私は思いますがねぇ。

最近、タイトルのとおり、「読書のスピードコントロール」というのが、えらく気になってきております。

というのは、長年小説は読まずにいて、ビジネス本とか、そういう「実用書」ばっかり読んできてたのに、ここのところ小説も読むようになってきたからなんですね。

小説は、夜寝る前の楽しみということで、枕元に置いてあるんですが、「読めたら読む」くらいの軽い気持ちでやりはじめたんですよ。
で、まぁ実用書じゃないんだし、ゆっくり読めばいいやと思って、たとえば全5章あるような小説なら、「今日は1章だけ」とか決めて読んでたわけです。ゆーっくり進むつもりで。

でも、こういう事をしてると、「はやく続きが読みたい!」ってなってくるんですよね。で、帰って寝る前に小説を読むのが楽しみになってくる。なんちゅうか、朝の連続テレビ小説とか毎日続くドラマがあるじゃないですか? ああいう感じになってくる。

で、そのくせ、昼間に電車の中で読む本とかの方は、今まで通りにビジネス本のたぐいだったりするわけですよ。いくら小説の続きが読みたくても、持って出なけりゃ読めないわけです。

で、寝る前のゆったり読書をやってると、今度はビジネス本の読み方がちょっと変わってきたんですね。
「こういう本は小説やないんやし、役に立てたいところだけを、どうチョイスするかやで。」という気持ちになりまして。で、ある日、電車の中で、「とにかく1頁10秒くらいのつもりで、ざーっと流し読みしてみよう。」と思ったわけです。

1頁10秒以下となると、1冊20~30分くらいで、いちおう全ページに目を通せるわけですが、そうなると、電車に乗ってる時間内で一冊に目を通せるということになるわけです。「ああ、時間的にもちょうどいいや。」と思ってやってみたら、まぁだいたい電車に乗ってる間で一冊目を通すだけはできたんですよ。

で、その全体に目を通した本を、今度は頭から順に読み直したんですけど、ここでびっくり現象が起きたんですねぇ。
というのは、読み直してみると、「あれ?、ここはもう読んだよ。」というところばっかりになってるんです。ざっくり20~30分で読んだのと、数時間かけて読んだ内容と、実質そんなに違わないんですね。多少言い回しのくどいところを、キチンと読んだかどうかの違いがある程度なわけです。

いやー、これにはびっくりした。

どうも、30分くらいで、とにかく流し読みしたところで、「得られるネタ」に関してはじっくり数時間かけて読むのと変わらんやんけ!ということなんですわ。

で、どうも、この流し読みがうまく行ったのは、夜の「楽しみ読書」をはじめたからこそ、という気がするんですね。読む楽しみとかモチベーションとかが一定の高さで保たれているから、ビジネス書を読むときに「ちょっとスピードをあげようか」というのがスッとできるんじゃないかなぁ?
なんかそんな気がします。

もちろん内容にもよりますが、読む目的さえ明確で、「読む楽しみ感覚」が維持できてれば、意外に速読って難しいものではないのかも?という気がしてきました。

逆に、じっくりゆっくり、味わいながら、楽しみながら読む本を、うまく生活時間に取り入れた方が、たくさんの本を上手に読みこなせるのかもしれないなぁと思えてきたのであります。

いやまぁ、まだそれほど、うまくコントロールできてるわけではないんですがね。
ま、そんなことで。

えー、財布を落としまして。

それも、仕事の仲間内、12人で大挙して秋の旅行に出かけた帰り。「ああ、楽しかったねぇ。」と、帰りの新幹線の中でコーヒーでも飲もうかと思った時に無いことに気付いたというタイミングでして、楽しかった旅行気分が一気に吹っ飛んでしまいました。

まぁ、一週間、キャッシュカードやクレジットカードの停止やら再発行の手続きやら、いろいろ大変だったんですが、実は結局は出てきたのであります。

いままで何度か財布は落とすわ、財布を入れていたポーチをなくすわ、携帯電話を落とすわ、いろいろなポカミスをしてるんですが、どういうわけか、そのままなくなってしまった事がほとんどないんですね。ありがたいことに。運が良いとしか言いようがないです。

しかし、思うに、「落としても戻ってくる」と思ってると戻ってきて、「落としても戻ってこない」と思ってると戻ってこない、というのがあるんじゃないかなぁと、今回は思いましたね。

というのは、いつも「財布は落としたら戻ってこない」と思っていると、財布に最低限のものしか入れないわけですよ。大事なものは別に分けて置いておいたりする。
でも、「落としても戻ってくる」と思ってると、財布になんでも入れちゃうわけです。実際今回も、ある企業さんへの入館証に電話番号が書いてあったので戻ってきたわけです。

でも、これが、「落としたら戻ってこないかもしれないから」と、現金は数千円しか入れてない、キャッシュカードも入ってないとかになると、誰の財布かもわからないから、拾い主も届ける事ができないわけで、「財布が戻ってこない」ということになるわけです。
だから、あんまり悲観的に考えて日々を行動するのはよろしくないなぁと思ったわけです。
意外にね、というか、日本は、かなり治安もいいし、人のものを盗んだりする人は少ないんですよ。たぶん。

で、落としたのに気付いたのが帰りの電車の中で、仕事の仲間内がみなさんいたので、いろいろ声をかけてくれたりしたわけですが、いやー、みんなそれぞれに対処が違いますねぇ。そこが面白かった。
まず、「落としたら、まずカード類の停止を真っ先に」と考える人もいてるし、ルートの徹底チェックを追求する人もいてるわけです。
それから面白かったのがカメラマンさんのノウハウで、「僕は財布に入れてるものは固定してるので、中身を全部写真に撮ってるんですよ。」というのがありました。落としてしまったら、何が入ってたかがわからない訳ですよ。どのカードを止めたらいいのかがわからない。

またある人は、一度落とした経験があるそうで、落とした時に連絡するべき電話番号等を全部キチンと自宅に置いてあるという人もいてたんですね。

いやー、みなさん苦労されてる。

僕は今回の経験から思ったのは、名前と携帯番号の入った名刺を、一枚だけは財布に入れておくべきだなぁということでした。たまたま入館証に事務所の電話番号を書いてあったから良かったものの、そうでなかったら、戻ってこなかった可能性もあったと思うんですよね。

というのは、今回、実は新幹線の新岩国からこだまに乗って、広島で乗り換え、のぞみで新大阪まで帰ってきたんですが、落としたのはこだまの中だったんですね。僕は新岩国の改札に入る前に落としたのだろうと思ってたのですが、それでもとにかく、のぞみの車掌さんと新大阪の遺失物係の人には問い合わせて、万全を期してたつもりだったんです。

でも、こだまで落としてたら、のぞみの車掌さんはこだまの事までは調べないし、こだまは岡山どまりでしたから、新大阪まで財布が行くことはなかったわけです。完全にルート・可能性をひとつ見落としてたんですね。

こういうルートの見落としをしてたら、見当違いのところしか探してないわけだから、永遠に出てこないって事にもなるわけですから、やっぱり財布に連絡先を入れておくべきなんですよ。それがいちばんだって事になる。
もちろん、いろいろ個人情報をさらしてしまう危険もあることはありますが、まぁそこはあまり心配してもしょうがないですわね。それより財布が戻ってくるようにしておく方が賢いと思います。

ちゅうことで、財布を紛失する前にしておくべきノウハウとして、

●携帯番号などの書かれた名刺を必ず一枚、目立つところに入れておく。
●どんなカード類をいれているのか、写真で撮影しておく。
●カード類の停止番号等の連絡先を財布以外の携帯電話やメモ等に入れておく

というのが大事で、紛失してしまったら、

●まずルートの徹底追求、徹底チェックをする。(意外にモレあり。)
●ルートの徹底追求・チェックをして、どうしても見つからないとはっきりしたら、カード類の停止を。
(カード類は落とした日時にさかのぼって停止してくれるので、あまり急いで止めなくても大丈夫です。)

ということではないでしょうか。
特に、「自分の名刺を一枚、目立つところにいれておく」というのは重要な気がします。キャッシュカード等を見れば「この人が本人なのだな」とわかりますし。親切な人なら、すぐに連絡してくれるはずで、落として5分、こっちが落としたことを気付いてない時に電話をもらえるかもしれません。

あとは、もし、拾ってくれた人がまったくの個人だったら、連絡先をキチンと聞いてお礼しなきゃいけませんが、気が動転してると、つい忘れてしまうかもなので、そこは注意したいですなぁ。

ま、そんなことで。

昨日は、はじめてIKEAに行ってきたのであります。

大阪の場合、IKEAは鶴浜ということになりまして。
まぁ前から気にはなってたんですが、一度は行っておかねばと思い、難波はOCATの正面玄関(西側)のシャトルバス乗り場から出発しました。

実際に行ってみると、実に広いですなー。
まずは二階の家具の展示場に行って、どんな家具があるかを確かめる。それから階下に降りて、食器やら額やらのちまちました生活小道具をチョイスしたら、巨大倉庫に出かけて組み立て家具を、それぞれの棚からピックアップするという流れになってるそうで。

でも、別に家具が欲しかったわけではなく、娯楽がてらの物見遊山だったので、一種のエンタテインメントとして楽しみました。

しかし、さすがはフィンランドの有名企業でして、どの家具を見ても木の厚みがしっかりとあって、品質はぴかいち。本が好きなので書棚などもいくつか見ましたが、棚板の厚みと左右幅のバランスなど実に良い感じ。「よーわかってるなぁ」と感じさせる製品ばかりなのでありました。

本って言うのは、けっこう重いので、木で書棚を作る場合は、木が重みでたわまないように、しっかりと計算して作らないと大変なことになっちゃうんですよね。そのあたりが実に安心。さすがは欧米の昔ながらの生活の歴史をしっかりと受け継いでるよなぁと感心するんですね。

が、しかし。

IKEAは、自分で組み立てる「組み立て家具」を全世界レベルで大量販売することでローコストで良い品を提供するというコンセプトのお店だから、いかんせん、あまりに製品が「ユニバーサル」なんですな。
日本のチマチマした、特殊事情には、実はフィットしていない。

折りたたみテーブルがあったので「良いな」と思って見てみたら、広げた天板の部分に蝶板がむきだしになる構造であったり、つっぱり棒式の家具で良い感じのものを見つけたら「つっぱり」ではなくて、天井にネジ止めする方式だったり、なんだかんだと日本の住宅事情や日本人の感性にはフィットしにくい部分がやたらと多い。

テーブルも四つ足タイプばかりで、椅子から立ち上がるためには椅子を後ろへどーんと引かねばならないタイプばかり。
日本の場合だと、リビングもそれほど広くはないから、テーブル脚は、逆T字足とか、横H字足とかの方が良いわけですよ。テーブル脚に自分の足が当たらず、スライドさせて横に出せるから。

そのほかソファだって、狭い家だと肘掛けは不便。どの方向からでもすっと座れるデザインでないと、部屋の空間活用にかなりの不便さを強いられるのでありますね。

ベッドにしてもヘッドボードがついてるものは、上記の「肘掛けが邪魔」というのと同じ理由で、あまり良いとは言えないのですよ。

ヘッドボードなんて「まくらが落ちないようにする」「背をもたれかけて座る」という役割くらいしか役に立たないのだから、壁にピタリとつけて配置すれば、せいぜい6畳程度の広さの日本の住宅の場合まぁ元々不要です。逆にヘッドボードを変な方向に配置してしまうと、ものすごく空間をふさいで生活空間や体の動きが制限されてストレスのもとになってしまうくらいです。

ということで、じっくり商品を見ていったけれど、「買ってもよいかなぁ」と思えた家具は、本当に数点あるかないか。
これなら国内の有名家具メーカーの製品から探したり、ネットショップで買った方がうんと選択の幅も広いし、なにより生活空間にフィットしますな。

ベッドもテーブルもソファも、ようは欧米の文化の受け売りで、マンションから畳の和室がなくなってきたのが、やっとここ数年という日本の市場においては、まだまだ歴史の蓄積がなくて、本当に生活実感にフィットするような良い商品が生まれていないというのが実際のところなのです。

ということで、広い広いIKEAを、ずいぶんと歩き回って、たくさん家具を見ましたが、感想としては、表題のとおり、「品質もセンスも良いが、買う物がないのがIKEAかな。」というのが正直なところなんですな。あの品質であの価格っていうのは画期的やと思うけど。

でもまぁ、おおむね、椅子はどれもこれも良かったです。どれを買ってもはずれはないかも。
椅子はIKEAで買っても良いかなぁ。
同行した友人の意見では「お店をやってる人が仕入れるには最適の商品と違う?」という事でしたが、いや、確かにその通り。

結局買ったのはレジ前にあった商品持ち帰り用の手提げ袋の一番小さい奴(59円)だけ。いやー、ものすごいローコストエンタテインメントやわ。

まぁそういうお店であります。

愛車、TREK FX7.5 を購入して、ちょうど一年となりました。

一年間乗ってみて思ったのは、かなりしょっちゅう乗ってたなぁということ。

最初は、10月の頭には買おうと思いつつ、なかなか買えずで、11月の終わりに納車になって、「こんな寒いときから乗り始めるなんて辛いねぇ。」と思ってたのですが、いざ乗ってみるとそれはさほど辛くはなかった。

まぁもちろん、2月の、ものすごく寒い時期に2週間ほど乗らなかった時もあったけど、春や秋でも、雨続きと、出張などの仕事の都合で一週間以上乗れない事はあるし、そう考えるとだいたい月に10日はずっと乗っていたという感じになります。

夏のあまりに暑い時も、さすがに熱中症を心配して1~2週間ほど乗らない時がありましたが、やっぱりコンスタントに月に10日くらいは自宅と事務所間の片道10km、往復20kmを走っております。

月200kmとして、年間2400kmくらいですかね。まぁ、ころあいなのではないでしょうか。

一年たったいまふり返ってみると、季節ごとでの乗り方の違いがあって、とくに冬場の乗り方に意外にノウハウが必要でありました。
というのは、冬場の方が、「汗対策」に悩まされたということなんですね。

冬場は寒いですから、風をふせぐために厚着をします。そうなると、服の中が蒸れて、汗をすごくかくのですよ。走ってる間は暑いくらいなんです。
問題は手の先が冷たいということですが、これは防寒用に作られた、しっかりした手袋をすれば解決しました。

でも、汗の問題はけっこうやっかいで、走ってる間はいいですが、事務所に着いたときとか、途中で書店や喫茶店などに立ち寄った時に汗で体が冷えてしまうんですね。なので、冬場は着替えのシャツを持ち歩いたりしてたし、移動もとにかく出発点から到着点まで一直線になりがちなんです。寄り道をしづらいわけですね。

「今年もそういう時期が近づいてきたんだなぁ」と秋の「フラフラ寄り道移動」を楽しんでいた私としては、ちょっと残念に思いつつ、そういう年間を通じての自転車の乗り方の基本ノウハウがそれなりに溜まっていることに感慨深いものを感じるのでありました。

「冬走る時に汗対策が必要」

という意外性と同時に、同じような意味で、

「夏場は意外に汗対策は不要」

というのもかなりの意外さだと思います。

というのは、自転車に乗ると「風にあたるので、体は冷える。」という側面がかなり大きいからです。夏の暑い日は、とにかく止るのがイヤ。走っていれば多少は風が体に当たるので涼しくて気持ちよいのですが、信号待ちで止っていたりすると風も吹かず、アスファルトからの熱気と太陽の直射日光の熱が体に直接あたる上に、走って体があたたまっているものだから、止った途端にいきなり暑く感じて「助けて~。早く走らせて~。」ってなるわけですな。

走ってさえいれば、8月でも、かなり涼しいのです。スピードはそれほど必要じゃないんですよね。薄着だから、風が直接体にあたるわけです。気持ちが良い。

ちゅうことで、結局は「走っている時の風」を体で受け止めるか、厚着で遮断するかの違いが、これだけの差を生むわけです。

風とともに走る。

という自転車のあり方が、一年を通じて楽しめる仕組みを生み出してくれるわけなんですね。
いや~、これは素晴らしい。
あらためて、良いものに出会えたと実感しますなぁ。

自転車好きで有名なSF作家の高千穂遙さんが、言ってた言葉に「自転車があって良かった」というのがあるんですが、この言葉、すごく実感としてわかる。

「自転車があって良かった」

ほんとうにそう。
良かったよなぁ、人類が自転車というものを発明していて。
本当に良かったよなぁ。

しみじみ、そう思うのであります。

古墳に入る。
古墳に入る。
一人暮らしをしている母が、最近どうも歩いていない様子だったので、とにかく連れ出して歩かせねばと思っておりました。

まず、歩く、というのが健康の基礎の基礎ですからね。

と、思っていたら、家の近所の歴史ある風物を、案内人が紹介しながら歩いて回るツアーというのがあると、駅貼りのポスターで出ておったので、「これは渡りに船」と参加しました。

僕が住んでいる地域というのは、けっこう古くからの歴史のある場所でして、意外な神社や地蔵堂などが、けっこう由緒あるものであったりするのですね。
もともと、全国的にも有名な神社があったりするので、昔は大変な観光地だったわけです。なので、観光名所になるような事柄がどんどん集積してきたのではないかと思われるんですね。まぁ、広島ではお好み焼きのビルができていて、ビル一棟にたくさんのお好み焼き店が同居しているお好み村があるようなものでしょう。

それに、大阪という土地がもともと、昔から都のあった土地であるということもあります。とにかく古い歴史ならてんこ盛りなわけですね。

というわけで、自宅の近所の名所旧跡の歴史やら言い伝え、故事来歴などを個人的に調べている人たちが、ボランティアで案内ツアーを企画した、というのが、このツアーでありました。

土曜日、朝の9:40分に集合して、お昼まで、えんえん2時間歩き通し。子どもの頃から見知った地域の裏路地を歩きながら、素通りしていた地域、地域の珍しい建物やら石碑やらを解説してもらうと、いや、いかに自分が何も知らずにこの土地で暮らしていたのかと驚くばかり。
良く知っている、なじみの小さな神社でも、その裏側を回った場所にこそ、由緒正しき文物があったりするということを、まったく知らなかったりするわけであります。

「へぇ~、そうやったんや!」

と、驚くばかり。

で。

今回のツアーの最大の目玉は、

●古墳巡り

というものでありまして、いつもは立ち入ることのできない古墳に、入って中を見ることができるということなのであります。

ご存じの方はご存じでしょうが、通常「古墳」と言いますと、天皇の墓ということで、宮内庁管轄でして、そう簡単に入ることは出来ません。というか、学術調査団すら入れてもらえないというとんでもない場所なのであります。

なのに、このツアーでは、その古墳に入れるという。
「ええええ?どういう事?」とか思ってたんですが、お話しを聞いてみると、古墳と言ってもいろいろで、天皇の墓ではなくて、その部下の墓であったりもするそうで。
で、そういうものは特段保護されることもなく、いつのまにか個人の土地になっていて、切り崩されて開かれ、普通の施設が建っていたりもするわけです。

で、今回歩き回った地域には、もともと大中小の3つの古墳が仲良く存在していたらしいのですが、大きな古墳はすでに小中高大の一貫教育されている、有名なお嬢様学校の敷地になっておりまして、小さな古墳も、もう跡形もありません。

しかし、中型の古墳だけは、いまもそのままの形で残っていて、今回はそこに入れるということだったわけです。
街なかに、いきなり自然の小山があるわけで、あまりにオープンにしてると、まぁそれこそゴミだらけになるか、あるいは小山の上からご近所をのぞき見るか、ろくな事にはならないですし、いつもは柵はされてるし、入り口もカギがかかっていて入ることもできません。

しかし、今回は、現在の持ち主である、この地域の保存会法人の許可を得て見学入場ができるというわけであります。

実際、僕が子どもの頃にはすでに柵もカギもされておりましたから、存在は噂に聞いていても、どこにあるのかすら良く分かっていない始末。古墳の回りはすべて住宅に取り囲まれていて、一般道に接しているのは入り口部分だけですから、そこに、それなりのサイズの古墳があるという事自体忘れ去られている、という感じなのであります。

という事で、今回はじめて古墳に入ったわけですが、まぁようするに小山。高さで言えば2階建てから3階建ての家くらい、広さで言えばちょっとしたマンションの敷地くらいのものでして、可愛らしいといえば可愛らしい、どうでもいいと言えばどうでもいい「裏山」でしかないのでありますね。

とは言うものの、前方後円墳の後円の頂上には、「天皇が来られたことがあります」という意味の石碑があって、自然も手つかずで残っていて、実に良い雰囲気。近隣の方々への配慮もあって、10~20分程度ぐるりと見て回っただけですが、なんとも言えず心落ち着く空間で、本当ならもっと長くいたいなぁと思わせる場所でした。

聞けば、日本中の樹木の標本が見渡せるというほどに多様な木々が植わっており、都市部のど真ん中だというのに、この近辺の野鳥の重要な飛来場所にもなっているということで、たったこれだけの空間であっても、残っていることの意義をしみじみと感じ入った場所ではありました。

たった半日ではありましたが、自分の住む街の印象がガラリと変わった、なかなかに有意義な体験でございました。

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