「おくりびと」を見ました。
昨日、とくだん予定もなかったので、ふと思いついて「おくりびと」を見に行くことにしました。

とりあえずリンクはDVDの「おくりびと」ね。すでに発売されてます。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B001Q2HNOW

まだ劇場でやってるのかな? と思って検索してみると、いちばん近い劇場で上映中。そのままネットで座席指定してしまったということなんですが。

で、いざ出かけてみると、ファーストシーン、はじまって5分も経っていないタイトルバック前、本木君演ずる納棺士が、まるでお芝居のワンシーンのように美しく遺体に服を着せていく様子を見て、もうグッときてしまって涙が出そうになるのでありました。

なんちゅうかねぇ、それなりに人生を過ごしてきて、肉親を亡くしてる人なら、みんなグッと来るよなぁって思う。そういう映画です。

とにかくもう、最初から最後まで、ずっとそんな感じでグッと来るシーンの連続ですな。
劇場中で嗚咽やらすすり泣く声が、静かに流れ続けるという、そういう映画であります。こういう映画もめずらしいんじゃないの? って思う。

まぁ、単純に「遺体を棺に入れる」という作業だけの話なわけですよ。基本は。
人間、どんな状況であっても、とにかく少なくとも日本では火葬することになってるので、棺に入れないといけない。

ちなみに、キリスト教文化圏では土葬が中心ですね。なんせ復活の日に神様が死者全員を蘇らせて審判を下すわけですから。焼いてしまったら、その時に体がないって事になってしまうわけです。アカデミー賞での上映の時に、このあたりの説明とかどうしたのかな? とかは思いますねぇ。

でもまぁ、おそらく土葬であっても、棺を使ったりはするでしょうしな。「納棺」自体は、きっとあると思う。

で、納棺業者の社長である山崎努が「大丈夫、うちは仏教から、キリスト教、イスラム、ヒンズー教まで全対応だ。」ってセリフがあって、そこがかなり良かったのです。
このセリフのおかげで、ワールドワイドな作品になってるなぁって思うんですよね。外人さんから見て「納棺士というのは日本独特のしきたりなのか?」と思われなくて済んでる。あくまで「宗教を越えた商売」というような形になっているところが、この作品を愛らしいものにしてると、僕は思いましたな。

ま、途中、あまりに説明口調すぎるところがあったり、ラストシーンが理詰めすぎて、ちょっと優等生すぎる気もしないでもないですけど、まぁセリフ無しでラスト数分を盛り上げたのは実に映画的で良かったのではないかと思います。

作品云々という前に、人の死そのものが持つ日常性と重要性そのものが素晴らしいと言うことなんでしょうね。僕もボロボロ泣きました。
で、ただそれだけの映画です。
そして、それだけの映画だから良い映画って事でしょう。

劇場を出る時に、どこかのおばちゃんが「ああ、よう泣いてしもたわ。」と言うてはりましたが、まぁ、その通り。
で、この映画を見て、みんな泣くんだなぁと言うことがとても良く分かったというのが、これまた劇場で見る意味のある事なわけです。

ほんとに劇場で見て良かった。
DVDだと、このあたりの事が実感できないから困りものです。

ということで、オススメです。機会があれば、ぜひ劇場でご覧ください。

自民党も民主党も、ほとんど減税を言わない。

なんでやねん!
おかしいやろが!

せいぜい言ってるのは国民新党くらい。

なんで言わないかというと、多分、減税を言うと官僚が怒って、検察が刺すから。
実際小沢さんはイメージダウンになってしまった。

ようは国民がアホやからあかんのです。

「エコを推進する対策を盛り込みました!」とわかったような事を言うけど、そんな「庭の一部にだけ水を撒きました」みたいな対策をやってる場合やなかろう。政府の人間はパァか?

あ、パァやねんなぁ。
やれやれ。

官僚の退職金を大幅カットして減税したらええねん。
それが一番効果あるに決まってるがな。

なんで減税せんかねぇ。
定額給付金も、ものすごーく非効率な減税策のひとつ。
ただ、配るのに手間がかかりすぎ。

あんな手順のムダは排して、いきなり減税したらよろしい。役人の給与カットを税源にしたらええんです。

税金というのが、もっとも経済に貢献していないお金やねんから。
減税こそが、もっともまっとう、本筋、本道の基本的な経済対策やっちゅうねん。

誰もそういう事を言わない。

やれやれ。

困った国です。

推測は推測として書くしかないので、根拠のない仮説を書きます。

いきなり全番組降板というのは、尋常ではありません。こんなもの、どこからかのの圧力がなければ、するはずがない。

しかも、北野誠です。松竹芸能とABCです。どっちにとっても、かなり大きな看板です。吉本やないんやから。サイキックにせよ、ナイトスクープにせよ、北野誠の穴は、かなりのダメージです。

僕はもう長らくナイトスクープも見てないし、サイキックに至っては聞いたことすらありません。しかし、昨日、ネットでサイキックの最終回(突然打ち切りになる一回前ね。)を聞いていて、「ああ、北野誠は制作の人間としっかり信用関係を築いているな」というのだけは感じ取れました。

通常、こういう場合、弾圧には闘うものです。

が、全番組降板です。

そうなると、考えられるのは「このままでは命があぶない」とスタッフが考えたという事でしょう。それは共演の竹内義和の「前を向いて、次を見ていかんとあかん時期や」という言葉がピタリと重なります。

そうなると、回りが誠の命を守って降板させた、というような事しか考えられないんですねぇ。ファンもいてるし、スタッフとの信頼関係もある。やりなおしならいくらでもできる。

ということなので、推測でしかないけど、ここまで大きな動静ということになると、やはり、近々あると言われてる選挙がらみとしか、僕には思えないです。北野誠も、かなり現政権に関して色々言ってたようですから。

北野誠が何を言ったかは、この際問題ではなくて、あきらかな言論弾圧があった、ということが問題なわけです。
で、こんなもの、弾圧するのは現政権側以外にはありえないって事ですね。

自民党なのか、公明党なのか、官僚組織の上の方なのか、マスコミの制作側ではなく上の方なのか、あるいは、それら全部のグルなのか、とにかく、そういう奴らによる超キツイ弾圧があったということでしょう。
それも、命の危険も考えられるような、です。

知ってる人は知ってますが、この数年で異常な状態で「自殺」した新聞記者とかがけっこういてるわけですよ。どう考えても自殺やないやろ! という死に方で。

で、そういう不審な死に方も、官僚がグルだと「自殺」でチョンなわけです。それ以上の追求は起こらない。

なんて恐ろしい国なんでしょうか、この日本という国は。

いま、そういう「旧体制」の側が、断末魔の悲鳴を上げている、ということです。だから北野誠程度でも排除したいということ何じゃないですかね。
田原総一朗とか、みのもんたとか、何も考えずに、上の意見をそのまま司会進行するだけ、みたいな人「だけ」にしておきたいんでしょうな。メディアという場所を。

そうはいかのきんたまなのだ。
少なくとも、わかる範囲では推測くらいは書いておくのだ。

根拠のない仮説は、どこまで行っても根拠のない仮説です。

でも、僕はこういう読み方をしました。あなたはどうですか?

で、こういう具合にしか読みようがない程度のオバカな運営をしているのが、いまの政権(自公連携+官僚べったり+垂れ流しマスコミ+業界団体)ということです。

もひとつついでに書いておくと、こういう政権に批判を突きつけた人がどんどん「犯罪者」に仕立て上げられてるわけですね。で、そういう「犯罪者にさせられた人」が、いまはネットのおかげで、ちょっとずつ発言力を持つようになってきてます。

佐藤優しかり、鈴木宗男しかり、植草一秀しかり。

前は、僕はまだまだ官僚の洗脳にやられていたし、官僚の側もある程度の分をわきまえていたので、鈴木宗男さんあたりに対しては「そういう上げられるようなことをしてるのがいけない」というスタンスでしたが、この間の西松建設の小沢秘書逮捕以降、そういう考えは変えました。はっきりと現政権そのものが良くない。そう考えるようになった。

で、上記の人たちは、そうやって「刺された」人たちですが、恐ろしいのは、そういう「刺すための仕組み」というのを、官僚どもは普通に法律の中に仕込んでいるということです。

たとえば、自動車の制限速度。

これを、どう考えても守れないくらい低くしておく。というか、実際そうなってます。なので、みんなが守っていません。これは自転車に乗っていると、よけいに良く分かる。法体系そのものが実用的ではないのです。

が。

実はそれこそが、きゃつらの狙い。
そういう状況だからこそ、しょっぴきたい奴だけをねらい打ちにできるわけです。
簡単に、恣意的に、犯罪者を創り出せる。

こんな恐ろしいことがあってよいのか? ってことです。

で、一度捕まると、そう簡単には現実社会に戻れません。

このあたりは、痴漢冤罪を題材にした映画「それでもボクはやってない」を是非ご覧ください。いまの司法や検察が、いかにヒドイものであるかがハッキリわかります。

植草一秀が、こんなヒドイ仕組みにからめとられて失脚したのかと思うと、なんて恐ろしい国なんだ! と思わずにはいられない。

で、そういう「邪魔者を消す」ために、痴漢冤罪事件がいくらでも起きてしまうような、ダメダメな仕組みが、そのまま温存されてるわけです。

いいですか!

本当に痴漢を逮捕したいのなら、

「痴漢はこのように、一般人に隠れて痴漢行為をします」という解説ポスターを駅構内に張り出すはずなんですよ!
それをいまの警察はしていないんです!

つまり!

現政権は、痴漢を撃退するつもりはない、ってことです。
それよりも痴漢冤罪構造を温存しておいて、邪魔者を「刺す」と言うことに使おうとするってことです。

そこをしっかり認識していただきたいです。

ということで、ボクはサイキックのラジオ番組は、昨日初めて30分だけ聞きましたが、それでも完全に北野誠の味方になるしかなくなってしまいましたね。

いまの政権はそこまで恐ろしい、怖い政権です。

だから、本当にたたきつぶさないとダメです。これは。ホンマに。

いや、推測、仮説でしかないですけどね。

しかし、推測、仮説であっても、こういうところまで書けてしまうという事自体が問題ですわな。ネタがありすぎるって事です。

この一文だけでも、北野誠、佐藤優、鈴木宗男、植草一秀、小沢一郎の秘書、「自殺」記者数名と、現政権の被害者なのではないか? という例が6例も挙げられる。
いくらなんでも、そらアカンやろ。

そういう話ですな。

そういう話だと思います。
はい。

画期的ですな。

(引用開始)-------------------------------------
「痴漢捜査」を再検討 無罪判決受け警察庁
2009.4.16 20:50
 電車内での痴漢事件で、最高裁が防衛医大教授の男性被告に無罪を言い渡したことを受け、警察庁は近く、警視庁など痴漢事件の扱いが多い大都市圏の警察本部の関係部署担当者を集め、痴漢事件の捜査をめぐる現状について検討する会議を開く方針を決めた。

 警察庁の吉村博人長官が16日の定例記者会見で明らかにした。

 吉村長官は「無罪判決の理由は、被害に関する供述には疑いを入れる余地があるというもので捜査にストレートに影響するとはいえない」とする一方、「痴漢は目撃者の確保などの面で捜査が難しく、警察庁として捜査の現場がどうなっているか、警察本部や署と認識を一致させる必要がある」と述べた。
(引用終了)-----------------------------

ちゅうか、遅すぎ。
やっといまごろというべきか。
ここしばらく、政府関連のニュースでろくなものがなかったけれど、これは、まぁ良いニュース。
しかし遅すぎる。こういう判決が「画期的」と書かねばならないところが、すでに病んでいると私は思う。

前に痴漢えん罪事件を扱った映画「それでもボクはやってない」を、紹介しました。

http://hitoyomi.diarynote.jp/200702170455420000/

もう、ぜひぜひ、この映画を見ていただきたい。
いかに痴漢えん罪事件がひどい状況なのかを。

僕自身はそういう目にあってませんが、知り合いであやうく痴漢に間違われかけた人を二人も知ってるので他人事ではないのですよ。

で、そういう人の話を聞いて、よくわかったのは、


●本物の痴漢は、他の人間が犯人であるかのように行動する。


って事なんです。
人と人の隙間から、腕を伸ばして差し込んで、被害者が他の人を犯人と勘違いするような角度から痴漢を行う。

そういう事がわかりました。

でもね。


警察のボケナスは、そういう痴漢の実態自体を把握しとらん!

なんじゃ、この「見直し発言」は!!!!!

こいつら、いままで犯人を捕まえた事もなかったって事やん!

どういう事やねん!
え!おい!
おまえら仕事してないやろ!ボケが!

ちゅうことですな。

痴漢の実態すら知らなくて、痴漢が捕まえられるはずがない。なのに痴漢で捕まった人が後を絶たない。

なんでか!

警察が、


●犯行を認めない限り拘留し続ける


からです。
それはそれは恐ろしい仕組みなのです。

で。

実際にやってようが、やってなかろうが、「やりました」と言ったら自宅に帰れるという、そういう仕組みなんです!!!!!


その仕組み自体が問題なんじゃ! ボケ! カス!


なので、仕事がある人とかは、さっさと認めて帰るんですよ。
そういう仕組みなんですよ。

なんで、こんな仕組みがそのまま温存されてるかというと、たとえば植草一秀さんのように、現政権の政敵を批判したときなどに、「手軽」に犯人に仕立て上げて、失脚させることができるからです。

いや、そう言い切るのは無茶かもしれない。
無茶かもしれないけれど、現状のこのひどい仕組みは、そういう事に利用するために温存されていると言う以外に他に理由が考えられないのですよ。

あまりにひどい。

まぁ、あんまりグチャグチャ言っててもしょうがないので、このくらいにしときますが、まぁちょっとはマシになったという事だけは書いておきましょう。

でも、どうせ警察の無茶苦茶な「恣意的取り締まり方針」は、どうせそんなに変わらない。最低最悪のままなんでしょうな。

このあいだの西松建設事件が決定打になりまして、私的には、本当に信用度ゼロですから。
官僚・警察はカスです。
キッパリ。

最近、街の中を歩いていて、太っている人を見ると「やせなさいよ、そうしないと死ぬよ」と言いたくて仕方なくなってしまいます。

いや、まぁ、言わないですけど。

というのは、ひとつには

●自分が多少は痩せたから。

というのがあるわけです。

「痩せるのなんて、そんなに難しい事じゃないよ。とにかくせめて、毎日体重を測りなさいよ。それだけでも全然違うんだから。」
とか、すごく思ってしまう。例の「いつまでもデブと思うなよ」で紹介されたレコーディングダイエットもすごく効く。良い。

こういうのは全部、簡単なんだから、やりなさいよ。

って思うんですね。すごく思う。

で、それを思うだけでなく「ああ、言いたいな」とかになっちゃうのは、もうひとつの理由、

●知人で食い過ぎで死んだ人がいるから。

というのがあるんですね。

いい人だったなぁ。

ほんとに。

穏和で、優しくて。
趣味半分で映画を作ってらしたけど、すごく感性的にもすぐれてた。そういう人が、もう亡くなって10年くらいになります。

で、ほんとうに良く食ってて、焼き肉食った後にラーメンとか、ごく普通だったらしいんですね。
僕はそういう一緒にメシに行くという機会がほとんどなかったんでわからなかったんですが。

勤めてる会社の健康診断で「このままの食生活を続けてたら死にますよ」と言われていたのに、「食い過ぎで死ぬなら本望や」と、そのままの生活を続けてたそうで。

で、ある日、真面目な人なのに、出社しなくて、おかしいなぁと別の社員が家まで見に行ったら、玄関で倒れてたって。もう事切れてたらしい。

なんかね。

すごくもったいないって思うのですよ。
本当に良い人だったのに。
40歳でなくなるなんて。

で、そういうのがあるから、街で同じくらい太ってる人を見ると、もう本当に心から「ヤセなさい!簡単やから!そやないと死ぬよ!あんた!」って言いたくなる。

このあいだも松村邦洋が体重100kgでマラソンして倒れたとかあったけど、アカンって! まず痩せないと! 食の管理が先! そこが狂っているのに、マラソンみたいな激しい運動したらアカンって!

そういう事をすごく思う。

基本が先。
まず基本をしっかりさせる。
だいたい太ってる段階で、自己コントロールが出来ていないんだと自覚しなきゃダメだって事なんですよ。

こういう話を書くと、太ってる人は「それが出来たら苦労はせんわい!」と言って怒るに違いないんですけどね。でも、基本、何事をするにしても、

●簡単に出来る!

と思わない限り、絶対にできないですわね。できないというのは、「できない」と思っているからですから。
だからまず、「できる」と思わないといけない。
ここがなかなかチェンジしにくいところなんでしょうけど。
でもやっぱり、まず「できる」を前提にしないと話は始まらないわけでして。

あとは、自分の「考え方の変更」って事でしょうねぇ。
これがかなり大切だって思う。
松村邦洋も、今回のことでやっと懲りて、「健康のために痩せる」と言うようになりましたし。

最近わかったんですけど、やっぱり「満腹になるまで食う」というのをやってる限り、痩せられないですわね。

そうではなくて「満足するまで食う」に変更しないとダメなんですね。

満腹と満足は違う。
それをキチンと意識できるかどうか、なんでしょうね。

実は太っている人というのは、栄養失調だから太ってるんですね。体の栄養バランスが悪いから、欠けている栄養素を求めて、いつまで経っても体が「満足」してくれないわけです。

しかし、「満腹」になるまで食べる、という発想しかないと、ビタミンCが足りないのに、レモンを囓るのではなく、ご飯をかき込むと言うことをしてしまうわけです。ご飯に入ってるビタミンCなんて、大した量ではありませんから、たくさん食べないといけないわけですわね。

で、これが、鉄分やら、ミネラルやら、ビタミン何ちゃらとか、そういう微量栄養素すべてにおいて不足感が発生する。「満足してないぞー」と体が言う。でも、頭では「満腹」しか考えてないから、それらの微量栄養素の入ったものを食べるのではなくて、食べ慣れていてすぐ食えるものをとにかく腹に入れる。その結果糖質ばかりが体に入って、体が「うむ、まぁ余剰分は脂肪に変換して保存しておこう」と脂肪に化けると。そういう仕組みなわけです。

このあたりは、自分の体の感覚を自分で感じながらやっていかないといけないので、本当に繊細な問題なんですが、まぁそういう事も、例の「いつまでもデブと思うなよ」には書いてあります。

僕の場合で言うと、昨年の春は69.8kgで、ほぼ70kgだったんですけどね。そこからちょっと節制して、去年の暮れには62.5まで減りました。
でも、最近また、65kg台に増えてきてるんだよなぁ。イカンイカン。多分甘いものを食べてるのがいけないんだと思いますね。甘いものを食べると、どうも食の管理がちゃんとできなくなっちゃう。砂糖はちょっと怖いです。

ともあれ、太ってる人には、本当に痩せてもらいたい。
で、それも太ってるうちに、あんまり運動とかを優先しないで欲しいですね。
まず「食」そこがポイントなのであって、食うから太るのだというのはちょっとちゃんと言って欲しいですよ。いくら運動しても、運動量以上に食ってたら痩せないって!当たり前でしょ、そんな事。

まぁ、最近また太ってきてるので、自戒を込めて、なんですが。

おいしいものを食って、満腹ではなく満足すること。
これですよ、これ。
なかなか手間ではあるんですけどね。

ま、健康で長生きが一番です。
ではでは。

この「ひとよみにっき」は、だいたい毎日60~70アクセスくらいあるんですよ。

ここの標準機能で、「カウンター増加数の推移」って機能がありますから、それによるとそういう事になるわけです。

で、このあいだの西松建設の時みたいに世間の動きに合わせて書いたものでもせいぜい120アクセスに上がるくらいなんですね。まぁ倍。

しかし、先日、4月5日に突然、224アクセスというとんでもない数字が出たんですよ。
「なんじゃこりゃ?」と不思議に思いまして、どんなキーワードでアクセスしてるのかと思ったら、「座頭市」でありました。
なんかテレビでたけしの座頭市が放映されたみたいなんですねぇ。
それで「座頭市」でアクセスする人が多かったんでしょうね。

検索された記事は、

座頭市DVD版/ラストシーンの裏の裏。(ネタバレ注意)
http://hitoyomi.diarynote.jp/200404020155510000/

でして、どうもいろいろ引用されたりしたらしいんですねぇ。「ネタバレ」っていうキーワードでひっかかってるみたいですな。

やっぱりテレビはすごいんだなぁとつくづく思う。
だから逆に、テレビで「アホな話」が流れて、それが常識になってしまうと、手が付けられないんだなぁって、またまた思うわけで。

困ったことです。

カレーが好きです。

ま、自分で圧力鍋使ってお手軽に作っちゃうのも良いのですが、町の中を歩き回って、おいしい店を見つけると、とても幸せな気持ちになったりもするのです。

いきなりちょっと余談になっちゃうんですが、カレーの店って言うのは、実は生き残りがしんどいんですね。なんでかというと、実は市販のカレールゥというのが、日本企業独特のノウハウの固まりで、そんじょそこいらのパパママ店では、そう簡単に太刀打ちできる味を作れないからなのですよ。知ってました?

ようするに、「家のカレーがいちばんうまい」というのが、マイホーム主義的な思想観とかそういう意味ではなく、単なる事実として「正解」になってるということなんです。

もっと話ははずれるけど、料理好きで知られるタレントのタモリが「うちのカレーがいちばんだ、って言う奴は信用ならん!」とか言ってたらしいですけど、それは考え方としては良くわかります。よくわかるんだけど、でも実は事実とはちょっと違うわけでありますね。

お店のカレーは、おうちカレーには、そう簡単には勝てない!

というのが事実なのです。

このあたりは、

カレーライスの謎―なぜ日本中の食卓が虜になったのか (角川SSC新書) (新書)
水野 仁輔 (著)

っていう本がすごく面白くて、買う気もないのに立ち読みでページをめくり出すととまらなくて、そのまま数十分で7割くらい読んでしまったので、買わなかったんですけど、すごく勉強になるので、僕の代わりに買ってあげてください。買わなくてごめんなさい。

で、本題に戻るのですが、その「生き残りがしんどいカレー店」を、まぁ自転車に乗って、大阪市内で時折思い出したように発掘していってるわけです。

あ、ということで、この日記のテーマは「自転車」なのです。やっとここで本題に入った。(笑)

春で天気も良いし、ブラブラと事務所近くの食べ物屋めぐりとかをしていて、ふと「あ、そういえば昔、ここらにおいしいカレー屋さんがあったよなぁ」と少し前に探し回ってみたんですよ。
「K」という店なんですがね。

でも、ないわけです。
どこにもない。
跡形もない。

ありゃー、やめちゃったのかなぁと思ってあきらめてたんですが、しばらくして、「あ、そういえば、あのお店、梅田の大きなビルの地下に支店を出してたよなぁ」と気がついたわけです。

で、このビルがたまたま、ウクレレを習ってるお仲間の職場があるビルだったのを思い出して、ウクレレ教室の時に、

「ねぇ○○さん、あそこのビルに勤めているんでしょ? あそこにKというカレー屋さんって、まだあるんですか?」

と尋ねてみたわけです。そしたら、

「あ、Kでしょ? あのお店、たぶん夜逃げしたんだと思いますよ。ある日急にやらなくなりましたから。」

と、衝撃的な話を聞かされたのであります。

「ええええ! ほんまに? あんなにおいしくて、あんなに話題で、いつも夜とか満席で予約せんとアカンかった店やのに?」と私。

「ああ、そうですねぇ、夜に高価格帯でやってはりましたよねぇ。でも、うちのビルのあたりの再開発がずいぶんと予定より遅れてしまったから、予定よりお客さんが来なかったんだと思いますよ。他のお店は、お昼の定食とかお弁当とかでなんとか生き残ってらしたんですけど、あの店は、お昼にそういうのもしてなかったし。」

という、えらく詳しい情報まで入りまして。
たぶん、本店ともども、「夜逃げや!」と、消えてなくなったんだろうなぁと。

そういう寂しい情報が手に入ったわけであります。

で、今日もまた、その、昔おいしいカレー屋さんがあったあたりを自転車でちんたらと走っていたら、こんどはある食堂の宣伝看板に、上記の「K」とはまた別の「R」というお店の名前が小さく書いてあったのです。

いわく。
「この地で20年前に営んでいた<R>のカレー。食堂と名前を変えてからも、その味は引き継ぎ、いまも××カレーとして提供しています。」
となっていたのであります。

「えええええ! ? この店、あの<R>やったん?」

てなもんであります。

昔昔、僕がまだ会社勤めをしていた頃、ちょうどこのあたりを毎日うろちょろしていたわけで、その当時の「おいしいカレー屋さん」2軒のうちの、もう一軒が生き残っていた、という話なわけです。

おおおおお、それはうれしい!

「K」のカレーと、「R」のカレーは、どちらも独自性の高いよそでは食えない「お店カレー」そのものの代表のような味だったんですね。
「K」のカレーはフルーツやらなにやらがしっかり煮込んであってこってりしながらも独特の風味で、トッピングにスルメやらイカの塩辛やらを出していた個性派。(これだけで「K」ってどこのことか、わかる人には分かってしまうなぁ。まぁいいか。)
「R」の方は、本当にインド風の小麦粉を使わないスパイスたっぷりの辛くてさらりとした香り豊かなカレー。
どっちも家庭ではまねできない味で、実においしかったのですよ。

その20年前に良く食べたカレーの、もう片方の雄が生き残っていたとは!

昔はその「R」はカレー単品で勝負していたので、「あれでは経営が苦しかろう。いつつぶれてもおかしくないよなぁ」と思っていたのです。だから見かけなくなっても「まぁしゃーないわなぁ」と思っていたのです。

逆に「K」の方は、雑誌等にも紹介されたりして、支店も出して、家庭料理風のお昼の低価格路線からゆっくりと夜の高級ディナーカレーへと変身していってたので、利益率等からも「K」こそが安泰と思ってたわけです。

でも、20年たって、その「K」が夜逃げしていて、「長くはなかろう」と思っていた「R」が生き残っていた、という事の方が不思議で面白く、久しぶりに「R」のカレーを食べてやろうと思ったわけです。

入ってみると名前を「食堂」に変更しているだけあって、内装も自然派風に変えてるし、お昼の定食とかもしっかりとメニューにある食堂そのものになってたわけです。

「ほほう、こういう具合にリニューアルして生き残ってたのかぁ」と思って、でも、定食など頼むはずもなく、とにかくカレーを注文したのです。

すると!

これがまた驚きでしたなぁ。昔の味そのままではないのです!
進化してる!

昔の味をベースに野菜などを盛り込んで、親しみやすさやボリューム感が加わった、実においしいカレーに変貌していたわけです。

なるほどなぁって思う。

お店を見てみると、前はご主人が一人でやっていて、たぶんいまは奥さんであろうと思われる人と二人でされてるんですが、他に従業員がいるわけでもなく、手を広げずに、基本は守りながらも、メニュー展開を増やすなどして、小さな変革を少しずつ加えてきた感じなわけです。
実際お店の名前も変わってるしね。

でも、やってることは、昔から変わらず。
というか、昔の味をベースに、地域のお客さんに愛されるように工夫し、発展させた味なわけですね。「本格派インドカリー」から、「本格派インドカリーを親しみやすく」に展開させた感じなんですね。
ちょっとずつちょっとずつ、お客さんの顔を見ながら変えてきた感じなわけです。

そうか、そういう事なんだなぁと、しみじみと思ったわけです。

「K」の方は、経営的に進化させたわけです。お店のカレーの味は基本的には同じでした。おいしいことはおいしいんですけど、お昼の定食的な、しんどいばっかりで、利益率の悪い展開をするのではなく、夜のディナータイムにシフトさせて、付加価値高価格路線にシフトしてたわけです。実際、後期は「彼女と二人でカレーディナーというのもおしゃれ」みたいな世界に進んでたわけです。

で、その流れで、大きなビルの地下の、グレードの高い店舗を借りて姉妹店まで作ったわけです。味に自信があったんでしょうね。実際おいしかったし。それでそのまま「経営的進化」をさせてしまったんですね。

でも、「R」の方は違った。メニュー展開を変えて、味を進化させた。経営的には、いまだにあまり効率良くないと思うんだけど、でも味は変えてないんですね。で、その実、カレー単品の値段は、少し値上がりしてるくらいなんです。ミニサラダのついたセットメニューを作ったりしてメニューにバラエティを出して単価アップも狙ってるし。

でも、アルバイトも使ってないから、混んでくるとお客さんが自分でお皿をカウンターに戻してあげてるというような状態にまでなっていたりして、経営的にはあんまり優れているとは言い難い。

でも、生き残ってるのは、「R」の方なんですよねぇ。

ようは経営的進化より、本質的進化の方が長続きしてるって事です。

そこが、すごく面白かったんですね。

いや、「R」のようなやり方が正しいというわけでもないと思うのですが、それでも、ビジネスにおける進化の方向性みたいな事を考えると、一考の余地のある出来事だよなぁと思わざるをえないのです。

もともと、カレー屋さんっていうのは、経営が難しいんです。家庭のカレーに勝つのは並大抵ではないのです。
だからこそ、この2つの例は面白いよなぁと、100年に一度の大不況の年に感慨深かったということです。

電車や車で移動してたのでは、これは分からなかった事なんですよねぇ。

自転車で移動してるからこそ発見できた変化なのでありまして。

そういう意味でもすごく面白かった出来事なのでありました。

ま、そういう事であります。

夜中の2時半とかに、裸になってて、見てる人もいないのに「公然わいせつ」なのか?

暴れて、警官に逆らった罪だったとしたら「公務執行妨害」やろ。「公務執行妨害」ではないのだから、さして暴れてはおらん。

ましてや、公園のど真ん中だ。ほんとに誰が見るの? 夜中の公園だぞ? ブルーシートで寝泊まりしてるホームレスの人くらいじゃん。

なのに「公然わいせつ」で逮捕だとよ。
ふざけるなよ警察。
その「恣意的判断での逮捕」をやめよ!

これはどう考えても、警察とかが暴走してるとしか思えないのだよ。私には。
この間の北野誠の件も似たような事なんじゃないか?


政局がらみ。


いくら偉そうにしても、筋が通ってないのは通ってないのだから、それはおかしい。

花見で調子に乗ったおっさんが裸踊りしても、警察は逮捕なんかせんじゃないか!
普通は、そういう泥酔で警察につかまっても、「まぁうるさいし、虎箱で一晩寝かせとけ」で終わるってだけでしょ? そうでしょ?飲み助のあなた? 違いますか? 僕はそこまで泥酔したことないからわからないけど。

「警察24時」とかの番組とかでも、そうなんじゃない?

じゃ、なんで草なぎ君だけ「逮捕」なの?

やっぱ、草なぎ君は、超人気者だったから「逮捕」されただけじゃん。

「おらおら、警察は偉いんだぞ」って言いたいだけだ。

そう考えるしか、他に解釈のしようがないよ。

なんなんだ、この事件は。本当に。

この間の西松建設問題の小沢秘書逮捕といい、今回の逮捕といい、「とにかく逮捕するんだ!警察は偉いんだ!一般人がつべこべ言うな!」と主張してるようにしか見えない。

検察や警察が、あまりにおかしい。

本当に。

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と、さっき書いたのですが、ちょっとネットで調べたら「公然わいせつで家宅捜索」とあった。

なんだ、それ?

そんな事が許されていいのか?

あまりにおかしくないか?

なんかすごくヘンな世の中になってるぞ。

ということで、いつも読んでるアルル中田安彦さんのブログでも、この件をとりあげていたので、ちょっとリンクしときます。

http://amesei.exblog.jp/9636233/

で、思うんだけど、薬物だの政局だのかなり裏がありそうなんですが、こういう騒ぎの時に、けっこう重要な事件が裏で起きていて、それを隠すために騒ぎが起きてる、なんてこともあるんで、他のニュースにも気を配っておきたいと、私は思いました。

とにかく、いま、世の中、かなりヘンです。

もう、マスコミの報道を聞いていると、微妙に話がずれていて、イライラする。
「草なぎ君に同情92%」などと書いているけど、そういう話ではないでしょう。

●「酔っぱらい防止法」(正式名称:酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律)という昭和36年に公布された、ちゃんとした法律があって、それで「保護」するのが当然であるのに、夜中の3時の公園という「目撃者」自体がほとんどいないような環境で「公然わいせつ」を適用して逮捕しているという異常。

●著名人であり、逃亡の怖れも懸念されにくいのに、逮捕(逃走および証拠隠滅を防ぐための身柄拘束)に踏み切っていること。

●「公然わいせつ」という社会性を問うべき罪での逮捕(しかも現行犯逮捕)なのに、家宅捜索を行っていること。(公然わいせつの証拠が自宅にあるわけがない)

●よほどの大罪を犯した人間の場合にしか報道されない移送のシーン(赤坂署→原宿署)が、まるでわざわざマスコミに取材させる便宜をはかったかのように行われたこと。

と、これだけおかしな事がある。

なのに、「警察がおかしい」というマスコミ報道が出てこない。
代わりに出てくるのが、せいぜい「草なぎ君に同情92%」です。

あのね。

92%なんて数字がね、

草なぎ君個人の問題として出てきてるわけじゃないっていうのよ。

そうではなくて、「警察への不信」でしょって事です。

少なくとも、今回の事件は上記の4点に加えて

●「大衆の警察への不信感」を報道しないマスコミの報道統制

という大問題があります。

このあたりは、静かに怒りながら、ネットを通じて庶民が共有すべき事実でしょう。

おそらく、苦情の声は警察にもマスコミにも、どんどん届いているはずですが、「草なぎ君に同情92%」などという妙なガス抜き報道に納得してはいけないと思います。

正しくは「警察への不信」です。

テーマをずらしてはいけません。テーマを正しく把握しましょう。

「草なぎ君に同情92%」は権力側のガス抜き行為でしかない。問題は「警察への不信」です。

まったく冗談じゃありません。

うーん。
地デジキャラを見て、よけい頭が痛くなってきた。
これなら陰謀があった方がマシだ。

どうにも草なぎ君事件は読めない。わけわからん。

で、事件の表面だけを読むと、いちばん理解しやすいのが、

●たまたま現場がアホで「公然わいせつ」を適用して逮捕してしまった。
●たまたま上司もアホでそのまま逮捕をOKにしてしまった。
●スマップメンバーとわかっていながら逮捕状況も確認しないまま逮捕情報を流した。
●なんとなく「もしかしてクスリでもやってるんじゃないか」と家宅捜索をした。
●たまたま赤坂署が手狭だったので原宿署に移送した。

という、「全部たまたま、偶然が重なっただけです」読み方なんですなぁ。
そんな事はありえんやろ、と僕は思ってたのですが、それがもし本当なら…

●警察は組織として死んでいる

という事にしかならないわけですよ。
ここまでたまたまとか偶然とかのテキトーが連続するなんて言うのは。
それは陰謀論より恐ろしい話でして。
組織がまともな判断力もないままに暴走してるっちゅうことですからなぁ。

実際、赤坂署は、次の日市民からの抗議で業務に支障を来したわけですしなぁ。最初の「公然わいせつで逮捕」に無茶があったのがいけないわけなのだから、どこかで的確な判断をする責任者が「酔っぱらい防止法」での保護に切り換えるべきだったはずなわけです。

でも、その判断がまったく働かなかった。
最後まで「公然わいせつ」で押し切った。
「テキトーやけど、かまわんのじゃ。わしゃ公的権力なんや。公的権力が権力を使って何が悪い。」
という厚顔無恥をやった、という事にしかならないわけですよ。
ようするに「単なるアホ」と言うことですな。

という事なら、本当にいまの警察は腐りきっていると言うことにしかならない。
芸能事務所間の抗争とか、政局がらみであったほうが、よほどマシなわけです。それは組織として秩序だった行為なんやから。

でも、だんだん、「単に組織として腐ってるだけ」に思えてきましたなぁ、これ。
かなりひどい末期的状況という事にしかならない。

どうにかしてくれ。

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