9月になりました。

2003年9月1日
9月になったので、いろいろ気分を変えたくなった。
思いついたことをいろいろ試してみる。うーん、あんまりうまくいかんかな。

サムターン対策

2003年9月2日
最近は泥棒の手口がいろいろと多様化してるらしい。もう鍵を開けるとか、そういうことはせずに、マンションの玄関ドアの覗きレンズを外から外し、針金を突っ込んで内側の鍵のひねり部分をひっかけて開けるんだそうな。

まぁ、うちの部屋は、エレベーターの真正面の部屋なので、泥棒がガチャガチャやってると、誰かに目撃される可能性があるので、まず大丈夫だろうと思うのだが、それでもいちおう対策だけはしておくことにした。

内側のロック用の「ひねり」器具部分はサムターンと呼ぶらしいが、ここにペットボトルの底部分を切って底をアルファベットのCの字のようにくりぬいて、サムターンにかぶせてやる。

所要時間、まぁ5分くらいですか。
いちおうこれでサムターン泥棒対策にはなった。

あとは覗きレンズのところに「サムターン対策済み」と小さく小さくシールでも貼っておきたいのだが、さすがにそれはパソコンでプリントアウトとかが面倒なのでやめ。

別に泥棒に入られて盗られるようなものもないのだけれど、そういうことをやってる家がマンション内でふえた方が、泥棒は「ここのマンションは防犯意識高いからやめとこ」と思うはずなので、いちおうやっとくのだ。

なんせエレベーターのまん前ですから。ドアを開けた時にサムターンのところにペットボトルのカバーがついてるのを見たら、下見にきた泥棒が「チッ」と舌打ちすることを期待しているわけであります。

いちおう外から見てはっきりわかる暗号式のロックもつけてあるから、相当に入りにくいイメージはあると思うのよなー。

最近の泥棒って人間の命まで奪いかねないのがいてたりするからねぇ、いちおう対策だけはやっておこうと。まぁ乱暴な奴はガラス割って入るんだろうけどねぇ。

数週間前に真向かいの市営住宅に泥棒が入ったと聞いたので、まぁ念には念を、である。うちの近くってけっこう夜は人通り少ないしね。もしかしたら狙い目の地域かも、とかは思うのではあった。


バカの壁

2003年9月3日 読書
最初、新刊で出た時、タイトルが面白そうだったので、手に取ってみるが、内容があまりに幼稚だったので、買わずにいた。

すると、知り合いの何人もが「面白い」と言ってくるのである。「なんだとぉ、あれが面白いだとぉ。どーかしてるんじゃないか、君たち。」と思って、確認のために買ってみる。

ダメ。最初の50ページくらいを読んだところで、養老氏の知性の低さ、内容のなさ、書いてることの間違い、いいかげんさに呆れて、読み進むこともできず。とにかくやたらとおかしな記述が多い。

しょうがないので、結論部分を先に読んでみる。そしたら驚くなかれ、結論がない。「んー、よーわからん」という結論である。アホカ、お前は。伝えるべきこともないなら書くなよ。

果たして、こんな学者がいて良いものかと思って著者略歴を見てみると、どーも、今現在は何の研究もしてないようだ。

ははーん、だから何の症例等の具体的データすらないような、こんなカスみたいな本でも出さざるを得ないのかと納得する。ようするにこの人、いまや学者じゃなくて、エッセイストでしかないんじゃないか。だから内容が無くても書かないと生活できないんだ。悲惨だね。

ともあれ、海外の大学などに留学して、向うで数年間でも学問の基礎の基礎の基礎をやった人なら絶対にごちゃまぜにしないような事柄(政治と学問との関係など)を平気でごちゃまぜに書いていて、平然としている。良かったねぇ、養老クン、この本が外国語に翻訳されないで。いやー、良かった良かった。国内言論人万歳だ。

学者が現場を持たなくなったのに、学者面して学問とは、みたいなことを語るというのは、卑怯である。ちゃんと現場を持って、そのデータから書籍を作っているような人が山のようにいてるっていうのに。まぁ、そういうデータに裏付けられたような本っていうのは読む側にパワーがいるから売れないんだけどね。

養老クンみたいな世捨て人老人の酒場の愚痴みたいな内容の方が、誰もにわかりやすいというのはある。ま、その愚痴が面白いといえば面白いのか。私ゃどうでも良いが。

とはいえ、このタイトルをつけた編集者は天才よなー。日本人の「異文化は存在しないことになっている」というカッコつけの文化の問題に対して、「壁はあるんだ」と明晰にするというアプローチで日本人の文化意識をコロッと変えさせたと思うね。

すでに120万部っていうんだから、すごい。これはまさにタイトルの勝利である。編集者がどれほどの切れ者であるのか証明とも言える。まぁ、この程度の老人の愚痴でも、正しくタイトルをつける=(読み方の方向付けを読者に対して提示する)ということができれば、強力なるメッセージになるということですな。

しかし、養老のおっさんはほんとにボケナスである。一神教なら異文化は異文化のままに共存できるが、多神教では異文化は抑圧されるしかないのである。なぜなら地球はひとつであって、そこに考え方の違う人種がたくさん住んでいるからです。日本人用の地球と欧米人用の地球が別々にあるわけではない。

欧米の一神教というのは、異文化がぶつかり合ったからこそ「でも、この世を作った誰かさんがいて、この世で生きている私たちは同じ世界を共有しているではないか」という共通点のみを大切にした結果生まれているのである。そんなこと当たり前じゃないか。話にならないのである。

多神教の考え方は「あいつはあいつ、俺は俺」である。そこに交渉はない。没交渉推進思想である。そんなもので異文化が理解しあえると思うなよ、バカ。

バカの壁とは、養老猛司その人のことである。あ、自分で言ってるのかこの人「バカの壁とは自分の内側にある」って。まぁその意味ではその通りですなぁ。そのままバカをやってなさい。

まぁせめてエッセイとして面白けりゃ認めてもいいんだけどなぁ。でも、どう読んでもエッセイとして文章としての面白さがあるとも思えない。
これはそうとうにひどい本であります。こんな本を読むくらいなら、まず世界の宗教について概略をまとめてある書籍でもザクッと読む方が、はるかに、はるかに、はるかに、はるかに、有用である。

飲みに行く。

2003年9月4日
ライターの友人と、その知り合いで離婚後子供とふたりで暮らしている女性と三人で飲みに行く。

話しているうちに、男女関係の話題から、どんどん下ネタになる。

いや、いいんですがね。しかし、この年になるとどんどんあけすけになってしまうなぁ。でも真実が見えて面白い。


携帯電話って考えたら、その人のプライベートの中にまで入り込みまくりですよねぇ。
電話して風呂上りだったりするとドキっとします。

逆に最近多いのは、友人のもめごとの相談に乗っていて、その最中にもめごとの主から電話があるとか、そういうパターン。これまた困るよなぁ。だまってるしかないし。リアルタイムに状況を見せられるわけで。

なんか、どこかちょっとへんな感じがします。

心の旅、その一。

2003年9月6日
このあたりから数日、ちょっと内面的な心の旅に出た。いろいろ考えたんだよなー。

で、この日は知り合いと飲みに行っていろいろと刺激を受ける。うーん、人生いろいろなんだよなー。

ちょっと視野が広がる。

心の旅、その二。

2003年9月7日
日曜日だし、いろいろ気になっていることを考えたり、内面の問題を解決する方法を書いてある本を読んだりしてみる。

いま気になっている問題を書き上げ、現状の何が嫌なのかと、どうなりたいのかをその問題の左右に書く。これが自分の揺れている範囲。この範囲で人間は左右に揺れ動いていて、問題突破がなかなかできない。

次に、この左右のストッパーの「良い点」と「悪い点」を、それぞれ上下に書き足す。上が良い点で下が悪い点。こうすると、四つの良い点、悪い点がリストアップできる。

人間は、この現状の悪い点から将来の良い点に向かって進みたいと考えているのだけれど、無意識に「現状の良い点」から「将来の悪い点」に進むラインも考えてしまっていたりはするのであるそうな。

そうだよねー。その通りだよね。と、その本を読んで思う。

「で、解決策は?」と思って読み進むと「そのリストのことは忘れなさい。そういう捉え方そのものがあなたの問題であって、そこにこだわっている限り解決はできない。」となっている。

おお、すごいよ、この本。そのとおりだよ。

んー、でも、じゃどしたらいいの?というとこれが書いてない。とにかく、「いままでと同じことをしてたら、それはダメ。変えてみれ。違うことしてみれ。」とか、そういうことしか書いてないのよなー。

それとその問題に関する書籍をたくさん読めとか。いやまぁ、その通りで正しいんだけど。うーん、いまいち釈然としない。

まぁとにかく無意識にまかせるという風にした方が、まぁ問題は解決されやすいわな。うん。

お仕事です。

2003年9月8日
月曜日になりましたので、事務所に出てお仕事をする。まぁちょろっとした仕事はあるんだけど、基本的にヒマです。
事務所の片付けなどして、さっさと帰る。

心の旅、その三。

2003年9月9日
どうにも「問題」が気になったので、仕事も休んで、いろいろ本を読んでみたりする。

知り合いにも相談。ネットでも相談。いろいろする。手当たり次第にいろいろやってみて考えてみる。

こういうのは、意外に集中してやった方が効果があるかもしんない。内面で前前から気になってたことだしねぇ。

昔のことをたくさん思い出す。日記とかも読み返してみる。ふーん、こんなこと考えてたんだ。へー。

なるほどなぁと自分を再発見する。

心の旅、その四。

2003年9月10日
どうも、考えていた「問題」自体の捉え方が間違ってたような気になってくる。

ちょっと「恐怖症」なのかなぁと思ってたけど、どうも違うんだよなー。別に怖いわけじゃないんだよなー。どっちかというと、つい怒ってしまったり許せなくなったりするのが現実的には問題なんだよなー、とか思う。

そうかぁ、「恐怖症」ということにしておけば、こういうことを考えなくても済むから、そういうことにしてたんだ、きっと、と気付きが出てくる。

ということで、答えは見えないけれども、とりあえず旅そのものはやめることにする。結論は出てないけど、それなりに問題はほどけてきたので。

で、ふと気付くと、昨日から全然寝てない。ずーっと考えてたんだよなー、すげー。とか思う。

ああ、911か。

2003年9月11日
朝というか昼近くまで寝てしまうが、まぁ仕事もヒマだし良いのだ。

目が覚めたとたんに、いろんな解決策というか、どうしたいかとかが、いっぺんに心に降って来る。「あ、そうか、俺はこうしたかったんだ。」とか、「あ、俺の状態はこういうことだったんだ」という気付きが、いくつもいくつも湧いて出てきた。

夢とか無意識とか、そういうのって、やっぱり大事だよねぇ。寝てる間に問題を整理してくれてるんだろうなぁ。

でも、そこに至るまでには、やっぱりたくさん考えないとダメなんだろうねぇ。

ということで、自分の問題に手一杯だったので、今日が例の911の日であることに思いも至らなかった。

んー、でも思うけど、人間、自分の心の幸せに全力投球してるほうが、正しいよなぁ。よその国のことなど、そう簡単にわかるもんじゃないんだから、まぁ、わからんことは「わからん」と保留にしておく気持ちのゆとりを持っておくべきだと思うね。

自分の心の中もわかんねーのに、よその国のことなんて、もっとわかんねーよ。
学術的な研究の結果とか確かめて読んで「あ、そーゆーものなのか」で良いんじゃないかなぁ。つくづくそう思うね。


この間からの「心の旅」で、何冊も本を読んだのだけれど、その中にはいままで読んだ本の再読とかも多かった。

で、昨日あたりから、そういうプライベートに読んできた本が、あまりにも自宅の部屋で雑然と積み重ねられていることが問題だと気付き、自宅の整理のついでに、仕事に関する書籍は事務所に移動させるようにしていた。

「心の旅」をしながら、実はけっこう仕事の関連の書籍とかも読み直してたりする。自分の内面の問題って、全部つながってるしねぇ。なにかひとつだけに特定できるというもんでもないから。

で、今日も書籍の整理をしつつ、事務所に持っていったほうが良い書籍などを自宅でピックアップしていると、ヨドバシカメラから電話が入る。

「ご注文いただきました、ディスプレイアームが入って来ておりますので、地下一階の売り場までお越しください。」
だと。

長げぇ。

待ち焦がれたよ。注文したの、8月の中頃だぞ。やっとかよ。

とか思いつつ、こうなると書籍数冊とアームと両方持って街なかを移動するのは辛いので、書籍を入れたショッピングバッグは部屋に置いたまま家を出る。

しかし、考えたらグッドタイミングかもね。ちょうどいろいろ整理してる最中だから。

ということでヨドバシで受け取って事務所に出る。

やっさもっさと取り付けをしてみるが、いい!。
これはいい!

三軸あって自由度の高いディスプレイアームにしたから、液晶画面を右に左に、上に下にと、自在に移動できる。なんだかとっても快適。

となりの人に画面を見せる時も、ひょいと移動させれば画面が相手の側を向く。わざわざ椅子を引いて場所を作ってとか、そういうの要らない。正しいよなぁ、これが。

それから、こりゃいいわと思ったのが、ネット検索で資料を見たり、紙の資料を見ながらいろいろ検討してたとして、「見たくない」と思った時にパソコンの情報も紙の資料と同じように、視界から外に出せること。

デジタルのデータを紙の資料のように扱える。

こんな用途で使うつもりはなかったけれど、たぶん、これは画期的に違う。机の上での作業の意識が変る。

だっていままで紙の資料の整理のために別の机に移動したり、あるいは喫茶店に出かけたりとかしてたんだもん。
資料読みとかがきっとすごく快適になるね。

最初は机を広く使いたいというだけだったけれど、いざこのアームをつけてみると、求めていたのは、それだけじゃなかったと、いろいろ気付く。

「なんかわからんけど、アームにしたい」と、モヤモヤと思ってたんですよ。
でも、つけてみて分かったわ。

「パソコンいらんわ」

というタイミングが、少なからずあるんですよ、私の仕事では。そういうことに無意識に気付いていて、それで「なんかしらんがアームじゃな」だったんだねぇ。

これで事務所の机で書籍を読みつつメモを取るとかが、すごく快適にできるようになる。
仕事の上ではパンフレットを何冊も読み比べるとかも必要だしねぇ。

紙だけ、デジタルだけという切り分けじゃなくて、どちらも平行して自由に取捨選択できる感覚が実に良いってことですね。

ようするにねぇ、おおげさに言うなら、本当は世の中全部がつながってるんだってことだよね。デジタルもアナログも情報は情報だし、自分の意識も必要に応じてフォーカスを自在に入れ換えている。

それが自然な態度だってことですな。

だから、仕事は仕事で割り切るとか、プライベートは仕事に持ち込まないとか、そういうのはちょっとウソだという感じがしてきた。

やっぱり風邪で熱がある時は、まともな仕事はできないんだしさ。本当は全部ぴったりと寄り添いながら、くっついて存在しているし、つねに連携しながら、物事は起きている。

心の旅を経て、現実に戻り、そして、ディスプレイ用のアームスタンドの自由さを見て、そんなことを思うのであった。

することなし。

2003年9月13日
このところ土日にすることなしですなー。
つまらん。
この日はただボサっとしてました。

何がうれしかったかは内緒。

でも、何もしてなかった一日ではあった。
メール書いたり、ネット見たり、本を読んだり。

ほんと、それだけしかしてなかったなぁ。


この日は世間的には、阪神優勝なんでしょうが、私的には、あんまり感慨がない。野球ってあんまり好きじゃないから。

ということで、一人でぼーっとしててもつまらないので、噂の「座頭市」を見に行くことにする。

なんつーか、北野映画って今まで見たことなかったんですね。観たいなとは思いつつ、あんまりアートされたら面白くねぇよ、ということで。

で、「座頭市」は、北野監督初の娯楽作品ということなので、見に行きました。

単純な感想を言うと、いやー、なかなか面白かった、なんですけどね。
で、凝った感想を書き出せば、すごく色々言えるんだけどね。映画好きですから。音の使い方とかさぁ。うまいのよなー。カット割もさぁ、大胆なんだよなー。映画好きが見ると、「おっ」とか思っちゃうよな、これは。わざとかどうか知らないけど、ルール無視とか平気だし。

だから、総合して言うと「マニアック度の高い娯楽作品」ということになりまして、僕のいつものパターンで言うと、こういう作品にはすごーく高い点をつけたくなってしまう。

作家としての表現と大衆娯楽としての責任の両方をキチンと果たしているという意味では、高い評価を与えたいのです。

でもなー、これは個人的好みでしかないけど、ちょっと「計算しまくりよなぁ」というところが鼻につくというのはありますなぁ。

とにかくすごく計算されてる。演出からカット割から編集から、テーマの持っていき方から、ギャグのバランスから、マスコミ受けする話題づくりまでひっくるめて。

いやまぁテレビの世界の人ですからね、そこいらあたりの計算がピシッとしてるのは当たり前って言えば当たり前なんだけど、あまりに計算があざとくて、ちょっと息苦しい感じはあったかなぁ。おおらかさに少し欠ける。

いやまぁ、基本は評価高いんだけど。
79点かな。私、よっぽどでないと、80点は出さないんですけど、それに近いです。
なかなか大したもんです。

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でもねぇ、作品が計算づくというのもあるけど、ビートたけしという人は、とにかく「したたか」な人だなぁと思いますです。

ビートたけしの映画デビュー作は?って質問すると、よっぽどの映画好きの人でも「戦場のメリークリスマス」とか言うのよな。

いやー、そうじゃないんすよ。実は。この人、ツービートで人気絶頂の時に、松竹系でつまんない喜劇にゲスト出演してるのよな。ゲスト出演。
それが最初。

人気絶頂の時だからさ、主演で行っても良いはずなのに、ゲスト出演なのよなぁ。

だから多分、その時から映画をいずれは作りたいと思ってたんだよね。きっと。いきなり人気者が主役とかで映画の現場に入っていったら、スタッフから煙たがられるでしょ?なんかそういう「計算」だった気がするのよなぁ。

で、目立たず目立たず、ちょっとずつ映画界に馴染んでいって、人脈作って、それから満を持して「戦場のメリークリスマス」だったわけですよ。

ものすごーーーく計算してるのよね、この人。

で、実は「北野映画」だってそうなんだよねー。ようするに、小予算で海外で賞を取るというのは、日本国内で小予算で映画を作ってる映像作家たちと同じ戦略なんですね。
きっと誰かからそういうやり方を聞いて、キチンとその通りにやってきたんだと思う。

で、地固めして、地固めして、それでやっと、「娯楽作品」を撮ったってことですわな、きっと。
これが最初からこういう作品を撮ってたら、あんまり評判は良くなかったと思うのよなぁ。「ビートたけし」のイメージがあるもんね、国内では。
で、ある程度予算を出してもらえるのは、やっぱりまずは国内ですからなぁ。

そういう意味で計算がキチンとあるんだろうなぁということで、したたかだなぁと思うのです。

だから、これは本当の意味で「北野武メジャーデビュー第一作」なんだと思うのですよ。撮りたい「娯楽作品」を撮った、という意味で。

あの金髪だって、わざと撮影に入る少し前からやってたんだけど、当人が「早めにテレビとかで金髪見せちゃってさ、眼をならしといたんだよ」とか言ってる。

「あー、やっぱりか」と思ったもんね。金髪にしてみて、それから座頭市を金髪にするアイディアを思いついたように世間には見せてるけど、絶対に違うね。最初に金髪の座頭市のアイディアがあって、それからどう展開するかを考えたんだよね。

で、そういうしたたかな計算というのが、すべてフィルムから見える。全部計算。いっさいの遊びはない。すべてのカットが計算なんだよねー。

で、その計算というのは、「最悪、映画の基本みたいなことも、守りたくなかったら守らなくてもいいんだから、気にしなくても大丈夫だろ」というようなことまで計算しているという計算なんだよねー。

これを天才と見るか、いやらしいと見るかなんだけど、うーん、僕は半々という見方ですね。天才なんだけど、いやらしさも感じてしまいます、ということです。

ともあれ、誰が見ても楽しめる映画になってるのは、やっぱり絶賛すべきですな。
映画は誰もが見るからこそ楽しいのですよ。じいちゃんばぁちゃん、大人も子供も。カップルも。
ま、今回、カップルが見るにはちょっと辛いという気もしなくはなかったけど、まぁ合格点ですわ。

やっぱり大衆演劇とかわかってる人だからさぁ、そういう大事なところは外さないというのはすごいよね。

あと「ちょっとなぁ」と思ったところもあるけど、それは秘密日記に書こう。ネタバレだし。

朝から打ち合わせ。

2003年9月16日
朝の10時から打ち合わせだった。

ある企業の周年パーティーの司会用のシナリオを書くというもので、大枠はプロデューサーとイベントディレクターが決めている。今日は彼らふたりの話しを聞いて、それを時間配分を考えながら文字に起こして行くという作業をするための打ち合わせだ。

このディレクターさんとは前から顔見知りではあったのだけれど、一緒に仕事をするのは始めて。で、いろいろやりとりをしていくと実に優れている人だということが分かって来る。

いやー、すごいね。

二言三言、話をすれば現場のイメージがパァ〜っと浮かんでくる。すごく臨場感があふれている。それだけ現場主義だってことでもあるんだけど。

結局「何をしたら良くないか」ということと、「何をしたらどんな印象になるか」ということの引き出しがすごく多いってことなんでしょうね。

これだけ方向性のはっきりした演出方向が決まっていればシナリオに起こすのもラクラクだ。ほいほいっと引きうける。

結局イメージ力なんだよなー。想像力というか。その場に集まるお客様がどう感じるかのシミュレーション力というか。

そのイメージがどれだけ緻密なのか、ということなのだ。やっぱり。

うむ。


原稿書き

2003年9月17日
いつもだと、考える作業があるから、昨日打ち合わせた内容を、今日原稿に起こす、なんてことはまずないのだが、今回はイメージが完全に固まっているので簡単。すぐ作業に入れる。

というか、実は昨日事務所に戻ってから、思い付くままに打ち合わせた内容をテキストに整理しておいたのだけれど、それがもうほぼ司会用原稿になっていた。

今日はそれの肉付け作業みたいなもんです。

昼からの作業でさっさかさーとほぼ出来あがる。ま、ほんとうに司会者のしゃべるセリフの部分だけなんだけどねー。こんどはこれの時間配分とか、見やすく箱割りにして演出との連携とかをまとめて書き込んでやらないと現場で使える台本にはならんのだよなー。

でもまぁ、それは細目潰しの仕事なので、明日以降にすることにした。

どういうわけかわからないんですが、私、いつもいまぐらいの季節、秋のかかりにゲームがしたくなるんですねぇ。

なんだかよくわからないんですけど、やたらとゲームがしたくなる。不思議。

で、なんとなくゲームショップを覗いてみたら、あの一時期話題になっていたラチェット&クランクが、驚くなかれ、980円で売っているではないか!

http://www.yomiuri.co.jp/hochi/game/2002/12/1203.htm

そうよなー、このソフト、プレイステーション8周年記念とか言って、本体に同梱パックまでして大量販売されてたからなー、そらぁそれだけ大量に出回れば、中古価格は安くなるよなー。

しかも同梱パックだもんなー。愛着持ってずっと持っておく、なんて人は少ないよなー。

てなことを考えながら「こりゃお得」とばかり買ってみる。
この値段なら、もしつまらなくても損したとか思わないもんなー。こりゃいいや。てなもんである。

で、やってみました。

んん?このテイスト。
この世界観。
この操作性。
コンビによるキャラクター設定。

これはまるまる「ジャック×ダクスター」そのままじゃないか。

http://www.mainichi.co.jp/life/hobby/game/sinsaku/2001/10/20.html

おおおお、わし、「ジャック×ダクスター」大好きだったんだよー。うれしー。
この秋は、このゲームで決定だなー。骨までしゃぶりつくしてやるぞー。

…仕事が進まなくなること、ほぼ確定ざんす。
シナリオはできていたのだが、肝心のチェックするべきプロデューサーが東京に出かけていてコンタクトできない。
なので、とりあえず、司会のセリフをペタペタとエクセルのセルに貼って行く。

私、実はビデオのシナリオとか、こうしたイベントのシナリオとかは、まずたいていエクセルで書くのであります。

縦の一列ごとに、時間、舞台の様子、司会のセリフ、演出の解説、BGMという具合にテーマをわけた表組みにするわけです。

訂正や変更・修正も簡単だし、実際に演出する人などが、現場で参照するにもひと目でパッとわかるので、もうシナリオ書くなら絶対エクセルと思ってる。

ずいぶん昔に僕みたいに片手間にシナリオを書くような人間ではなく、フルタイムのシナリオライターさんから、「ワードとかではシナリオを書くのが大変で」という話を聞いて「いやいや、エクセルでやらはったらラクでええんですよ。」という話をしたら、「表計算ソフトで脚本を書くぅ?」と驚かれてしまいました。

ありゃ、そんなに変なことしてたでしょうか、私。

でもねぇ。エクセルって実は図形とかも扱えるから、舞台の俯瞰図を作って貼りつけとくとかもできて、シナリオ書きには無茶苦茶便利なのよなー。

そんなこんなを解説したら「はっはぁ〜。なるほどねぇ〜。ふむー」と大いに、大いに感心されてしまったのであります。

あの人、あれから何で原稿書いてるのだろうか。
ああ、でもテレビとかのシナリオって、いまだに現場では縦書きだからなぁ。
ワードで縦書きで書いてるんだろうなぁ。

ある程度のお年の俳優さんとかタレントさんだと、縦でないと読めない、とかおっしゃるみたいですからなぁ。いや、実際横で書くとセリフの覚えも悪くなるらしい。

ラジオの仕事なんかだと、台本見ながら読むだけなんだけど、その時でも横書きだとどこまで読んだかわからなくなるとか、けっこう大問題らしいのよなー。習慣というのはおそろしい。

そんなもんどっちでもええやろ。
横でも縦でも読めるようになっとけ、プロやったら。

と私は言いたいのだが、(それも相当にきつく叱りたい。縦書きでは数字や英語が扱いにくくてしょーがないんだよ。縦書きを強要する奴は基本的にバカだと思うことにしている。)まぁ、あまり極端なことも言えないので、しょーがないかなぁとも思う。

最近ハヤリの英語混じりのしゃべくりができるDJさん向けのシナリオとかは、横でないと絶対に書けないんだよねー。
こういう人に縦書きを渡すというのも、これまた拷問だろうしねぇ。

このあたりシナリオ問題はむずかしいのである。

ふへー。

攻略本

2003年9月20日 ゲーム
仕事も急がなくなったので、ラチェット&クランクの攻略本を買ってくる。

ゲームは攻略本を買う人である。
本当は、そういうのナシでじっくり楽しめば良いのだが、なかなかそれだけのんびりした時間というのはないのである。手っ取り早く楽しんでしまいたい軟弱者なのだ。

隠し要素やらマップやらを見て「へぇ〜」である。「よーできとるなー、このゲーム」てなもんである。

こりゃあ楽しめそうだ。

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