バカの壁

2003年9月3日 読書
最初、新刊で出た時、タイトルが面白そうだったので、手に取ってみるが、内容があまりに幼稚だったので、買わずにいた。

すると、知り合いの何人もが「面白い」と言ってくるのである。「なんだとぉ、あれが面白いだとぉ。どーかしてるんじゃないか、君たち。」と思って、確認のために買ってみる。

ダメ。最初の50ページくらいを読んだところで、養老氏の知性の低さ、内容のなさ、書いてることの間違い、いいかげんさに呆れて、読み進むこともできず。とにかくやたらとおかしな記述が多い。

しょうがないので、結論部分を先に読んでみる。そしたら驚くなかれ、結論がない。「んー、よーわからん」という結論である。アホカ、お前は。伝えるべきこともないなら書くなよ。

果たして、こんな学者がいて良いものかと思って著者略歴を見てみると、どーも、今現在は何の研究もしてないようだ。

ははーん、だから何の症例等の具体的データすらないような、こんなカスみたいな本でも出さざるを得ないのかと納得する。ようするにこの人、いまや学者じゃなくて、エッセイストでしかないんじゃないか。だから内容が無くても書かないと生活できないんだ。悲惨だね。

ともあれ、海外の大学などに留学して、向うで数年間でも学問の基礎の基礎の基礎をやった人なら絶対にごちゃまぜにしないような事柄(政治と学問との関係など)を平気でごちゃまぜに書いていて、平然としている。良かったねぇ、養老クン、この本が外国語に翻訳されないで。いやー、良かった良かった。国内言論人万歳だ。

学者が現場を持たなくなったのに、学者面して学問とは、みたいなことを語るというのは、卑怯である。ちゃんと現場を持って、そのデータから書籍を作っているような人が山のようにいてるっていうのに。まぁ、そういうデータに裏付けられたような本っていうのは読む側にパワーがいるから売れないんだけどね。

養老クンみたいな世捨て人老人の酒場の愚痴みたいな内容の方が、誰もにわかりやすいというのはある。ま、その愚痴が面白いといえば面白いのか。私ゃどうでも良いが。

とはいえ、このタイトルをつけた編集者は天才よなー。日本人の「異文化は存在しないことになっている」というカッコつけの文化の問題に対して、「壁はあるんだ」と明晰にするというアプローチで日本人の文化意識をコロッと変えさせたと思うね。

すでに120万部っていうんだから、すごい。これはまさにタイトルの勝利である。編集者がどれほどの切れ者であるのか証明とも言える。まぁ、この程度の老人の愚痴でも、正しくタイトルをつける=(読み方の方向付けを読者に対して提示する)ということができれば、強力なるメッセージになるということですな。

しかし、養老のおっさんはほんとにボケナスである。一神教なら異文化は異文化のままに共存できるが、多神教では異文化は抑圧されるしかないのである。なぜなら地球はひとつであって、そこに考え方の違う人種がたくさん住んでいるからです。日本人用の地球と欧米人用の地球が別々にあるわけではない。

欧米の一神教というのは、異文化がぶつかり合ったからこそ「でも、この世を作った誰かさんがいて、この世で生きている私たちは同じ世界を共有しているではないか」という共通点のみを大切にした結果生まれているのである。そんなこと当たり前じゃないか。話にならないのである。

多神教の考え方は「あいつはあいつ、俺は俺」である。そこに交渉はない。没交渉推進思想である。そんなもので異文化が理解しあえると思うなよ、バカ。

バカの壁とは、養老猛司その人のことである。あ、自分で言ってるのかこの人「バカの壁とは自分の内側にある」って。まぁその意味ではその通りですなぁ。そのままバカをやってなさい。

まぁせめてエッセイとして面白けりゃ認めてもいいんだけどなぁ。でも、どう読んでもエッセイとして文章としての面白さがあるとも思えない。
これはそうとうにひどい本であります。こんな本を読むくらいなら、まず世界の宗教について概略をまとめてある書籍でもザクッと読む方が、はるかに、はるかに、はるかに、はるかに、有用である。

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索