おまーら、結局、顔で判断してるだけなんと違うんか?
2009年12月19日コメント (17)なんか、またやたらと小沢さん批判が出てて、で、ミクシでそういう反小沢の人の話を聞くと、とにかく「小沢が嫌い」という感情論が、かなり大きいように感じるんですね。
で、どうも言ってる事が筋が通ってない。
よーわからんなぁ、何なんやろ、この小沢さんの嫌われ方は。
と思って、その複数の人の意見を、それぞれ別々に聞いてみたりしたんですよ。
でも、それぞれに全然別の事を言っていて、全然共通項が見えないんですね。中国嫌いなのかなぁ?とも思って聞いてたらそうでもないし、複数の人が、全然別の理由で小沢批判をしてるわけです。
それも民主党の幹事長になったから、大きな権力があるわけで、それを正しく制限するべきだ、というような、まっとうな意見ではなくて、「小沢がやった、1か月ルール違反はとにかう問題だ」とか、「小沢の言ってる事は幼稚だ」とか、全然「権力の監視」になってないんですよ。
本当に権力の監視をするつもりなら、小沢さんの考えていることの内容をこそ精査しないとアカンのです。ようは、彼の「考え」を聞かないと批判ができない。
ところが、そこの部分は何も言わないわけ。なんかおかしい。
で、批判のツボがバラバラで、大きな威力になっていない。
あえて共通項を探すなら「とにかく小沢が嫌い」という一点だけという感じがする。
なんでこんなことになるんかなぁ?なんでなんやろ?と思ってつらつら考えていて、結果たどり着いたのは、
●小沢さんはブ男だから嫌われているのでは?
という、実にくだらないけれど、大衆の残酷さが如実に出る要素でありました。
どうもねぇ、小沢嫌いの人は、単純に「顔が嫌い」というところに行ってる気がするんですね。
いやまぁ、僕も昔は「人格は顔に出るという側面が大きかったし、それが重要だ」と発言していた時期もあるんで、そこは反省しなくちゃいかんなぁと思ってるんですが、しかし、いろいろな意見を集約していくと、いろんな仮説の中でも「小沢は顔が嫌われている」という仮説だけが、ピタリと整合してしまうんですよ。
「おまーら政治の話をしてるように見せかけて、ほんまは「顔の悪い男は嫌い」と思ってるだけの事やろ」
という結論にしか行き着かないんですよねぇ。
で、顔の悪い男は生理的に嫌われるから、「話を聞いてもらえない」わけですよ。
ようはそういうことなんだろうなぁと。
そういう結論に達しました。
なんだかんだ言って、あの能なしの小泉君が人気が高かったのは、まぁどっちかと言えば美男子の部類に入ってたからなんでしょうな。そういう気がする。
小沢さんは、自分でも「ぶおとこ」とおっしゃってますから、そういう面で損をしやすいということを重々承知なんでしょうね。だからこそ、いろいろな会見で、どうしても大きな基本的ルールとかの「筋」論を誠実に話すということしかできないんでしょう。
小泉あたりだったら、いくら無茶苦茶な内容で、中身がなくても、一発はったりをかまして「感動した!」とか「米百俵の精神!」とかのワンフレーズポリティクスでどうとでもなったわけですが。
だいたい、政府の緊縮財政をするとか減税をするとかもしないで「米百俵の精神」と、国民に耐乏生活を「先に」させたという時点で「こいつはダメだ」と僕は思ったんですが、それでも世間では小泉人気は落ちなくて、米俵百俵に関する本が売れたりしたわけですよ。
なんやねんこれはって思うんですけど、なんかそういう差があるように思いますなぁ。
僕は小沢さんの頭の中をキチンと覗いた上で、それで「その考えは、私は嫌いだ」と言いたいんですが、「顔が嫌い」だと、もともと話を聞かないですからな。だから「1か月ルール」みたいなどうでも良いことで、「とにかく攻撃」ということをする。
それはあまりに無茶やろ。
と思うのですが、小沢さんにしても同じことで、あまりに無茶だと思うから、憲法の基礎の話とかをするしかなくなっちゃうわけなんでしょうね。もともとブオトコで嫌われてるから「筋論」で話を通していくしかないわけで。
なんか不毛やなぁって思うんですよ。
もっとこう、なんていうの? これからの日本の方向性を、対米外交とアジア圏外交のバランスの取り方の中で、何を重視していくべきなのかとか、そういう大きなテーマで話を聞き出して、で、その考えの中から「いや、それは行きすぎだ」とかの批判をすべきなんじゃないのかなぁと。
その方が、本当の意味での「縛り」になって、効果的な権力の監視につながると思うんですがねぇ。
でも、そこまでする気自体がない感じなんですよ、いまの小沢批判って。
というか、これまでの小沢批判もそうだったし、これからもずっとそのままであるような気がする。
顔の好き嫌い「だけ」で判定してる人は、自分が「顔だけ」で判定しているとは思ってないんですよね。「なんだか知らないけれど嫌い」とか「なんかしらんけど好き」とかになってるので。
そういう相手と、キチンとした論議は無理ですからなぁ。
そこが小沢さんの先天的な政治家としての弱点のような気がする。
人間の行動は、顔に反映するから、顔も大事ではあります。しかし、「顔だけ」っちゅうのはアカンやろって思うんですなぁ。
でもどうも、小沢さんって、「顔だけ」で嫌われてる気がして仕方ないです。
あああ、やれやれ。
困ったことです。
ぶおとこでも、話くらいはちゃんと聞け!
それから、自分が論理ではなく「顔が嫌い」という感性だけでしか判定していないのだという自覚くらいは持て!と言いたいですわ。
いや、ほんま。「顔が嫌いやから話も聞かない」では、肝心の事が何もわからなくて、結局はみんなが困るんやから。なんとかして欲しいです。
で、どうも言ってる事が筋が通ってない。
よーわからんなぁ、何なんやろ、この小沢さんの嫌われ方は。
と思って、その複数の人の意見を、それぞれ別々に聞いてみたりしたんですよ。
でも、それぞれに全然別の事を言っていて、全然共通項が見えないんですね。中国嫌いなのかなぁ?とも思って聞いてたらそうでもないし、複数の人が、全然別の理由で小沢批判をしてるわけです。
それも民主党の幹事長になったから、大きな権力があるわけで、それを正しく制限するべきだ、というような、まっとうな意見ではなくて、「小沢がやった、1か月ルール違反はとにかう問題だ」とか、「小沢の言ってる事は幼稚だ」とか、全然「権力の監視」になってないんですよ。
本当に権力の監視をするつもりなら、小沢さんの考えていることの内容をこそ精査しないとアカンのです。ようは、彼の「考え」を聞かないと批判ができない。
ところが、そこの部分は何も言わないわけ。なんかおかしい。
で、批判のツボがバラバラで、大きな威力になっていない。
あえて共通項を探すなら「とにかく小沢が嫌い」という一点だけという感じがする。
なんでこんなことになるんかなぁ?なんでなんやろ?と思ってつらつら考えていて、結果たどり着いたのは、
●小沢さんはブ男だから嫌われているのでは?
という、実にくだらないけれど、大衆の残酷さが如実に出る要素でありました。
どうもねぇ、小沢嫌いの人は、単純に「顔が嫌い」というところに行ってる気がするんですね。
いやまぁ、僕も昔は「人格は顔に出るという側面が大きかったし、それが重要だ」と発言していた時期もあるんで、そこは反省しなくちゃいかんなぁと思ってるんですが、しかし、いろいろな意見を集約していくと、いろんな仮説の中でも「小沢は顔が嫌われている」という仮説だけが、ピタリと整合してしまうんですよ。
「おまーら政治の話をしてるように見せかけて、ほんまは「顔の悪い男は嫌い」と思ってるだけの事やろ」
という結論にしか行き着かないんですよねぇ。
で、顔の悪い男は生理的に嫌われるから、「話を聞いてもらえない」わけですよ。
ようはそういうことなんだろうなぁと。
そういう結論に達しました。
なんだかんだ言って、あの能なしの小泉君が人気が高かったのは、まぁどっちかと言えば美男子の部類に入ってたからなんでしょうな。そういう気がする。
小沢さんは、自分でも「ぶおとこ」とおっしゃってますから、そういう面で損をしやすいということを重々承知なんでしょうね。だからこそ、いろいろな会見で、どうしても大きな基本的ルールとかの「筋」論を誠実に話すということしかできないんでしょう。
小泉あたりだったら、いくら無茶苦茶な内容で、中身がなくても、一発はったりをかまして「感動した!」とか「米百俵の精神!」とかのワンフレーズポリティクスでどうとでもなったわけですが。
だいたい、政府の緊縮財政をするとか減税をするとかもしないで「米百俵の精神」と、国民に耐乏生活を「先に」させたという時点で「こいつはダメだ」と僕は思ったんですが、それでも世間では小泉人気は落ちなくて、米俵百俵に関する本が売れたりしたわけですよ。
なんやねんこれはって思うんですけど、なんかそういう差があるように思いますなぁ。
僕は小沢さんの頭の中をキチンと覗いた上で、それで「その考えは、私は嫌いだ」と言いたいんですが、「顔が嫌い」だと、もともと話を聞かないですからな。だから「1か月ルール」みたいなどうでも良いことで、「とにかく攻撃」ということをする。
それはあまりに無茶やろ。
と思うのですが、小沢さんにしても同じことで、あまりに無茶だと思うから、憲法の基礎の話とかをするしかなくなっちゃうわけなんでしょうね。もともとブオトコで嫌われてるから「筋論」で話を通していくしかないわけで。
なんか不毛やなぁって思うんですよ。
もっとこう、なんていうの? これからの日本の方向性を、対米外交とアジア圏外交のバランスの取り方の中で、何を重視していくべきなのかとか、そういう大きなテーマで話を聞き出して、で、その考えの中から「いや、それは行きすぎだ」とかの批判をすべきなんじゃないのかなぁと。
その方が、本当の意味での「縛り」になって、効果的な権力の監視につながると思うんですがねぇ。
でも、そこまでする気自体がない感じなんですよ、いまの小沢批判って。
というか、これまでの小沢批判もそうだったし、これからもずっとそのままであるような気がする。
顔の好き嫌い「だけ」で判定してる人は、自分が「顔だけ」で判定しているとは思ってないんですよね。「なんだか知らないけれど嫌い」とか「なんかしらんけど好き」とかになってるので。
そういう相手と、キチンとした論議は無理ですからなぁ。
そこが小沢さんの先天的な政治家としての弱点のような気がする。
人間の行動は、顔に反映するから、顔も大事ではあります。しかし、「顔だけ」っちゅうのはアカンやろって思うんですなぁ。
でもどうも、小沢さんって、「顔だけ」で嫌われてる気がして仕方ないです。
あああ、やれやれ。
困ったことです。
ぶおとこでも、話くらいはちゃんと聞け!
それから、自分が論理ではなく「顔が嫌い」という感性だけでしか判定していないのだという自覚くらいは持て!と言いたいですわ。
いや、ほんま。「顔が嫌いやから話も聞かない」では、肝心の事が何もわからなくて、結局はみんなが困るんやから。なんとかして欲しいです。