本が読めない。
2007年9月1日最近、あまり本を読んでません。
なんでかというと、理由は単純で、また英語の練習に時間を使ってるから。
やっぱりあれだねぇ、仕事しながら勉強とかしようと思ったら、一日に1時間くらいが限度やねぇ。そんなに、なんでもかんでも勉強できるわけではないですな。
で、冷静に考えてみると、自宅から事務所に向かう電車の中、約20分くらいというのが、実に貴重な「勉強時間」なのだなぁと思うのです。
片道20分、往復で40分。これに、外食した時の食後10分とか、寝る前の10分とか、そういう切れ端の時間だけしか読書や勉強に振り当ててないんですね。結局の所。
でも、毎日の事だから、累積効果はすごく大きいんです。自宅と仕事場と、2つの物理空間があるって事が、ここではすごく重要で、仕事をするために事務所に行かないといけないっていうのが、気持ちの切り換えにもなっているし、その切り換えの行き帰りの時間がクールダウンの時間でもあり、勉強時間にもなるって事なんですね。タイミング的に無理がない。
●仕事が終わる
●駅まで歩く
●歩きながら、仕事の行く末を考える
●電車に乗って、将来のために本を読む
というようなサイクルですね。これが出来上がってるんですね。多分。こういう人はビジネスマンには多いと思うんですけどね。こういうサイクルなしに、「勉強する」なんて事ができるはずがないって思うのです。
だから、会社に通う人は、これがひとつの大きなリソースになっているなぁと思うんですよ。通勤時間は必ず存在してるわけで、その強制性が良い意味で生きるんだと思う。これが、家にいてるだけだと、よほど意志が強くない限り、定期的に本を読むなんて、できないと思うんですよね。
自営業なので、自宅で仕事をすることもあるんですが、そういう日は本当に本が読めない。日常に埋没してしまうんよなぁ、どうしても。
で、いまは、この貴重なリソースを英語の練習に使ってるから、本が読めないわけです。つくづく時間というのは有限だよなぁって思う。
時間というのは、ようするに「環境」によって創造されるって事なんだよなぁって思うのですよ。いくら「本を読め!」と言われても、テレビがあって、家族がいて、雑談したり部屋の片付けしたりとか、そういう環境の中では、やろうと思っても、まずできない。
電車の中という「本を読むしか他にすることがない」という環境があるから、「本を読む時間」というのが生まれるわけですからね。ここが、恐ろしく重要なんだと思うのです。
この間の8/13日の日記にも書いた、「自分に優しくする」ってことですね。
http://diarynote.jp/d/12917/20070813.html
自分に優しくして、まず環境を整えてやる。そうすれば、多少は勉強も進むってことなわけです。
英語に関する勉強法の本も何冊も読みましたが、それなりに成果をあげてる人っていうのは、この「環境の力」のすごさを、ほんとうに良く知っていて、「家で勉強しようと思うな」「喫茶店に勉強道具を持ち込め」とか勧めてるんですね。ようするに「自主カンヅメ」です。他にすることがない環境に自分を閉じこめるわけですね。そうしないと人間、なかなか勉強なんかやらないって事です。
これ、言えてるのよなぁ。本当に。
考えてみれば、定期的に本を読むようになったのは、一人暮らしで、定期的にファミレスに通ってた時期というのがあって、そこで読むっていうのがすごく多かったんですね。食事のついでに読む。これが相当に大きかった。(最近はこの時間が減ってるのも難点。自分で作ったりするのが増えたので。)
やっぱり、本を読むっていうだけの事でも、環境が整ってなけりゃ、無理ですわね。
フリーで仕事をし始めた最初の一年、二年というのは、自宅で仕事をしていて、プライベートと仕事の切り分けが全然できなくて、ハッと気付くと読みたい本を読むという、基本的な事すら全然できてなくて「あー、ちゃんと集中して本を読みたい」とか思ってたんですね。
それでちょっと贅沢だと思ったけど、自宅とは別に事務所を持つことにしたんです。支払いとか大変なんだけど、とにかく一人の時間をキチンと確保しないとどうしようもないって気持ちだったんですね。「いつ電話がかかってくるかわからない」とか思ってると、本当にプライベートに行動するって事が気持ち的にしんどくなるんです。
で、イメージとしては、事務所で仕事に関係する資料や、自分の興味ある本をしっかり読み込むって事を考えてたんですけど、実際には「自分の興味ある本」は事務所では読めないんですね。仕事するから。仕事の資料を読むとかだけしかしない。
結局、行き帰りの電車の中が最も重要な読書時間になってしまったということですね。
それと、プライベートと仕事の切り分けをキチンとすると、確かにイライラは格段に少なくなったんですが、意外にも重要だったのは、「通勤での徒歩時間」だったんですねぇ。つまり「歩く」という事です。
通勤すると、嫌でも歩きます。毎日。
これが良いわけです。
大阪人なので、梅田や難波を少しうろちょろしてから帰るとかすると一日一万歩というのは、それほどしんどい目標ではなくなるんですね。普通に通勤するだけで必ず4〜5000歩くらいは確実に歩きますから。一万歩なら、それに1時間弱歩く時間を足してやるだけのことでして。
なので、事務所を持って公私を切り分けたから、精神的に楽になったというのもあるけれど、なにより「嫌でも毎日歩くようになった」という環境の力が、これまた精神の安定に与える力は、もの凄く大きいわけです。
ここしばらく、田舎の生活もいろいろ体験してきたからわかるけど、田舎の人は歩かないんですね。もうずっと車だから。車がなければ生活が成り立たないから。でも、それはかなり不健康だと思う。やっぱり毎日歩かないとなぁ。
歩くという有酸素運動をしてなくてイライラして運動不足になってくると、どういう事を考えるかというと、激しい運動をして取り返そうとか思うわけですよ。歩くのではなく走るとか、あるいはジャズダンスに行くとか、週に一度でいいからヨガを習いに行こうとか、そういう「一気に取り返す」っていうのを考えてしまう。そういう発想になってしまうんですよねぇ。
でもねぇ、まず毎日歩くってのが基礎でして。歩くという基本的なところができてないと、体を壊すのが多い。これが。スポーツ選手なんてそんなのばっかりだし。老人の長生きの秘訣も、ひたすら「歩く」なんよねぇ。まず歩くのが基本。
で、歩いてると、これからの事とかをいろいろ考えて、「ああ、こういう事をしたいなぁ」とか無理のない、自然な欲求としての目標とかも湧いてくるんですね。で、それに沿って知識を得ようとか思うわけです。うまくつながっていく。そういうつながりみたいな事がすごく大事だなぁって思うのです。
とは言うものの、ほんと、英語の練習をしだして本を読まなくなってしまったので、やばいなぁと思っておりまして、「自主カンヅメ」して本が読める喫茶店等を、いまは物色してるところなんですね。
そうそう、あと、もうひとつ本を読まなくなった理由というのがあって、それは、「読書のまとめ」というのをやりだしたって事ですねぇ。
読んだら読みっぱなしはいけない。ちゃんと復習して頭に入れないと意味がないし、その知識を実践で活用して効果を実感して体得していかないと何のために読書してるのかわからなくなってしまいますからね。
ということで、本のまとめとかやりだしたら、これが効果は高いんだけど、時間がけっこうかかるので、またまた本が読めなくなってしまってるのです。
もともと、飛ばし読みも含めて、月に10冊程度しか読んでなかったのが、もういまや月に一二冊が限界になってます。恐ろしく少ない。これじゃいかんよなぁって思う。
速読とか習いにいこうかしらとすら思うんですけどね。うーむ。
ま、とにかく、いまはそんな感じであります。
本、読まなきゃなぁ〜。うーむ。どう環境を作ろうかしら。
なんでかというと、理由は単純で、また英語の練習に時間を使ってるから。
やっぱりあれだねぇ、仕事しながら勉強とかしようと思ったら、一日に1時間くらいが限度やねぇ。そんなに、なんでもかんでも勉強できるわけではないですな。
で、冷静に考えてみると、自宅から事務所に向かう電車の中、約20分くらいというのが、実に貴重な「勉強時間」なのだなぁと思うのです。
片道20分、往復で40分。これに、外食した時の食後10分とか、寝る前の10分とか、そういう切れ端の時間だけしか読書や勉強に振り当ててないんですね。結局の所。
でも、毎日の事だから、累積効果はすごく大きいんです。自宅と仕事場と、2つの物理空間があるって事が、ここではすごく重要で、仕事をするために事務所に行かないといけないっていうのが、気持ちの切り換えにもなっているし、その切り換えの行き帰りの時間がクールダウンの時間でもあり、勉強時間にもなるって事なんですね。タイミング的に無理がない。
●仕事が終わる
●駅まで歩く
●歩きながら、仕事の行く末を考える
●電車に乗って、将来のために本を読む
というようなサイクルですね。これが出来上がってるんですね。多分。こういう人はビジネスマンには多いと思うんですけどね。こういうサイクルなしに、「勉強する」なんて事ができるはずがないって思うのです。
だから、会社に通う人は、これがひとつの大きなリソースになっているなぁと思うんですよ。通勤時間は必ず存在してるわけで、その強制性が良い意味で生きるんだと思う。これが、家にいてるだけだと、よほど意志が強くない限り、定期的に本を読むなんて、できないと思うんですよね。
自営業なので、自宅で仕事をすることもあるんですが、そういう日は本当に本が読めない。日常に埋没してしまうんよなぁ、どうしても。
で、いまは、この貴重なリソースを英語の練習に使ってるから、本が読めないわけです。つくづく時間というのは有限だよなぁって思う。
時間というのは、ようするに「環境」によって創造されるって事なんだよなぁって思うのですよ。いくら「本を読め!」と言われても、テレビがあって、家族がいて、雑談したり部屋の片付けしたりとか、そういう環境の中では、やろうと思っても、まずできない。
電車の中という「本を読むしか他にすることがない」という環境があるから、「本を読む時間」というのが生まれるわけですからね。ここが、恐ろしく重要なんだと思うのです。
この間の8/13日の日記にも書いた、「自分に優しくする」ってことですね。
http://diarynote.jp/d/12917/20070813.html
自分に優しくして、まず環境を整えてやる。そうすれば、多少は勉強も進むってことなわけです。
英語に関する勉強法の本も何冊も読みましたが、それなりに成果をあげてる人っていうのは、この「環境の力」のすごさを、ほんとうに良く知っていて、「家で勉強しようと思うな」「喫茶店に勉強道具を持ち込め」とか勧めてるんですね。ようするに「自主カンヅメ」です。他にすることがない環境に自分を閉じこめるわけですね。そうしないと人間、なかなか勉強なんかやらないって事です。
これ、言えてるのよなぁ。本当に。
考えてみれば、定期的に本を読むようになったのは、一人暮らしで、定期的にファミレスに通ってた時期というのがあって、そこで読むっていうのがすごく多かったんですね。食事のついでに読む。これが相当に大きかった。(最近はこの時間が減ってるのも難点。自分で作ったりするのが増えたので。)
やっぱり、本を読むっていうだけの事でも、環境が整ってなけりゃ、無理ですわね。
フリーで仕事をし始めた最初の一年、二年というのは、自宅で仕事をしていて、プライベートと仕事の切り分けが全然できなくて、ハッと気付くと読みたい本を読むという、基本的な事すら全然できてなくて「あー、ちゃんと集中して本を読みたい」とか思ってたんですね。
それでちょっと贅沢だと思ったけど、自宅とは別に事務所を持つことにしたんです。支払いとか大変なんだけど、とにかく一人の時間をキチンと確保しないとどうしようもないって気持ちだったんですね。「いつ電話がかかってくるかわからない」とか思ってると、本当にプライベートに行動するって事が気持ち的にしんどくなるんです。
で、イメージとしては、事務所で仕事に関係する資料や、自分の興味ある本をしっかり読み込むって事を考えてたんですけど、実際には「自分の興味ある本」は事務所では読めないんですね。仕事するから。仕事の資料を読むとかだけしかしない。
結局、行き帰りの電車の中が最も重要な読書時間になってしまったということですね。
それと、プライベートと仕事の切り分けをキチンとすると、確かにイライラは格段に少なくなったんですが、意外にも重要だったのは、「通勤での徒歩時間」だったんですねぇ。つまり「歩く」という事です。
通勤すると、嫌でも歩きます。毎日。
これが良いわけです。
大阪人なので、梅田や難波を少しうろちょろしてから帰るとかすると一日一万歩というのは、それほどしんどい目標ではなくなるんですね。普通に通勤するだけで必ず4〜5000歩くらいは確実に歩きますから。一万歩なら、それに1時間弱歩く時間を足してやるだけのことでして。
なので、事務所を持って公私を切り分けたから、精神的に楽になったというのもあるけれど、なにより「嫌でも毎日歩くようになった」という環境の力が、これまた精神の安定に与える力は、もの凄く大きいわけです。
ここしばらく、田舎の生活もいろいろ体験してきたからわかるけど、田舎の人は歩かないんですね。もうずっと車だから。車がなければ生活が成り立たないから。でも、それはかなり不健康だと思う。やっぱり毎日歩かないとなぁ。
歩くという有酸素運動をしてなくてイライラして運動不足になってくると、どういう事を考えるかというと、激しい運動をして取り返そうとか思うわけですよ。歩くのではなく走るとか、あるいはジャズダンスに行くとか、週に一度でいいからヨガを習いに行こうとか、そういう「一気に取り返す」っていうのを考えてしまう。そういう発想になってしまうんですよねぇ。
でもねぇ、まず毎日歩くってのが基礎でして。歩くという基本的なところができてないと、体を壊すのが多い。これが。スポーツ選手なんてそんなのばっかりだし。老人の長生きの秘訣も、ひたすら「歩く」なんよねぇ。まず歩くのが基本。
で、歩いてると、これからの事とかをいろいろ考えて、「ああ、こういう事をしたいなぁ」とか無理のない、自然な欲求としての目標とかも湧いてくるんですね。で、それに沿って知識を得ようとか思うわけです。うまくつながっていく。そういうつながりみたいな事がすごく大事だなぁって思うのです。
とは言うものの、ほんと、英語の練習をしだして本を読まなくなってしまったので、やばいなぁと思っておりまして、「自主カンヅメ」して本が読める喫茶店等を、いまは物色してるところなんですね。
そうそう、あと、もうひとつ本を読まなくなった理由というのがあって、それは、「読書のまとめ」というのをやりだしたって事ですねぇ。
読んだら読みっぱなしはいけない。ちゃんと復習して頭に入れないと意味がないし、その知識を実践で活用して効果を実感して体得していかないと何のために読書してるのかわからなくなってしまいますからね。
ということで、本のまとめとかやりだしたら、これが効果は高いんだけど、時間がけっこうかかるので、またまた本が読めなくなってしまってるのです。
もともと、飛ばし読みも含めて、月に10冊程度しか読んでなかったのが、もういまや月に一二冊が限界になってます。恐ろしく少ない。これじゃいかんよなぁって思う。
速読とか習いにいこうかしらとすら思うんですけどね。うーむ。
ま、とにかく、いまはそんな感じであります。
本、読まなきゃなぁ〜。うーむ。どう環境を作ろうかしら。