三谷幸喜の作品がけっこう好きなのです。
けっこう見てるよなぁ。
「振り返れば奴がいた」だっけ?それから「王様のレストラン」「総理と呼ばないで」、映画では「ラヂオの時間」に「みんなのいえ」。で、どれが好きかというと、なんと言っても「古畑任三郎」なんです。
いろいろあるけどなー、やっぱりこれ。
でも、前のシリーズの最終話が、もう完全に終りって感じだったので、続編があるとは思ってなかったんですね。
知らない人のために書いておきますけど、前のシリーズの最終話っていうのは、ようするに劇場型犯罪という奴で公共交通機関の乗っ取り話なんです。
くわしくは書かないけど、ようはその犯人がとても知能犯で古畑とすごい知的バトルをするんですけど、結局事件がどんどん大きくなる。で、古畑が「私がいたからこの事件は大きくなってしまったのかも知れない。」と自分を否定した意見を言って終わったんですよ。
ああ、三谷さん、もう古畑は書きたくないんだなーと思って前のシリーズは見終えたのでした。
そしたら、今年の正月に、またまたしばらくぶりに古畑が戻ってくるじゃないですか。こらうれしいねーと思って、録画してまで見たわけで。
で、見た感想。これがねー、いやなかなか。よろしい。
まぁ、大感激ってほどでもないんだけど、なかなかに深いのであります。
知ってる人は知ってると思いますが、王様のレストランにも、前の古畑のシリーズにも出てきた「赤い洗面器」のギャグもまたまた登場したし、ファンサービスばっちりなんです。
でも、西村雅彦は登場しない。
片手落ちといえば片手落ちですが、まぁ、西村さんは事務所変ったりなんだかんだあったし、これは横に置いときましょう。
それより「うーむ」とうなったのは、ラストシーン。
ネタバレになるから書かない方がいいんだけど、あえて書いちゃいます。今回、犯人、死にます。それも自殺です。
これ、古畑のシリーズをちゃんと見ている人が聞くと「えっ?」って思うラストなんですね。
だって古畑はつねに言い続けてきたんです。「私は犯人を逮捕して、裁判にかけるのが仕事です。それまではその人に自殺させたり決してしません。」って。
それはもうシビアなくらい、ここのところは徹底してたんですよ。
で、これが古畑のひとつのポリシーであり、面白みでもあったんです。
ちょっと軽い感じはあるけれど、それでも「ルール遵守」「人命尊重」「徹底した仕事人」というスタンスです。テレビの中の探偵として、これはなかなか良い設定、アイディアだと思ってたんです。
菅原文太も津川雅彦も、前のシリーズでは死ななかったし、古畑によって自殺を阻止されてます。
ところが。
今回は犯人が自殺するのを黙って見過ごすんです。
それも死ぬと解かっていてわざと見過ごした可能性が高い。
なんせ犯人が自殺したとわかった瞬間に、いっさい古畑驚きませんから。椅子に座ったまま苦々しい表情をしてるだけです。
それより何より、前回のシリーズで自殺を予防された津川雅彦が、今回はゲストとして出てるんですが、その自殺を見過ごすシーンには、その津川雅彦が古畑とともにいてるんです。
こんなの完全に意図的ですよね。
でもね。これがなかなかに良かったのです。
ひとつの可能性を感じた。
どういうことかというと、もう、ワンクール13回とか12回とかのシリーズ設定で、設定に縛られた展開はしないぞ、という宣言でもあるということなんです。
もっとありていに言うなら、「田村正和ってもう60じゃん。」ってことです。今後は古畑やるなら、古畑に年を取らせるしかないんです。
でも、三谷さんはどうもそれを選んだようです。初期の設定を変えて、自殺も見過ごすダークな古畑に変った。それはつまり、主人公の成長を由としたということです。年相応に変っていくということです。
つまり。
今後も古畑が見れるってことですね。そこがすごく面白かったんです。僕には。
ということで、作品の質うんぬんより、そういう好きなシリーズが続いていく可能性を見せてくれたという意味で、これはうれしかった作品であります。
たとえばアメリカのコミックスのバットマンなんかも、年を食ったバットマンが、老体にムチ打って悪と戦い、しかしやはり体力的にしんどいから知的な推理で打ち勝っていくという設定のバットマン・ダークナイトというシリーズがあるんですが、まぁそういう展開もありなんだよなーということですよ。
そういう意味でおもしろかったなぁ。うん。
けっこう見てるよなぁ。
「振り返れば奴がいた」だっけ?それから「王様のレストラン」「総理と呼ばないで」、映画では「ラヂオの時間」に「みんなのいえ」。で、どれが好きかというと、なんと言っても「古畑任三郎」なんです。
いろいろあるけどなー、やっぱりこれ。
でも、前のシリーズの最終話が、もう完全に終りって感じだったので、続編があるとは思ってなかったんですね。
知らない人のために書いておきますけど、前のシリーズの最終話っていうのは、ようするに劇場型犯罪という奴で公共交通機関の乗っ取り話なんです。
くわしくは書かないけど、ようはその犯人がとても知能犯で古畑とすごい知的バトルをするんですけど、結局事件がどんどん大きくなる。で、古畑が「私がいたからこの事件は大きくなってしまったのかも知れない。」と自分を否定した意見を言って終わったんですよ。
ああ、三谷さん、もう古畑は書きたくないんだなーと思って前のシリーズは見終えたのでした。
そしたら、今年の正月に、またまたしばらくぶりに古畑が戻ってくるじゃないですか。こらうれしいねーと思って、録画してまで見たわけで。
で、見た感想。これがねー、いやなかなか。よろしい。
まぁ、大感激ってほどでもないんだけど、なかなかに深いのであります。
知ってる人は知ってると思いますが、王様のレストランにも、前の古畑のシリーズにも出てきた「赤い洗面器」のギャグもまたまた登場したし、ファンサービスばっちりなんです。
でも、西村雅彦は登場しない。
片手落ちといえば片手落ちですが、まぁ、西村さんは事務所変ったりなんだかんだあったし、これは横に置いときましょう。
それより「うーむ」とうなったのは、ラストシーン。
ネタバレになるから書かない方がいいんだけど、あえて書いちゃいます。今回、犯人、死にます。それも自殺です。
これ、古畑のシリーズをちゃんと見ている人が聞くと「えっ?」って思うラストなんですね。
だって古畑はつねに言い続けてきたんです。「私は犯人を逮捕して、裁判にかけるのが仕事です。それまではその人に自殺させたり決してしません。」って。
それはもうシビアなくらい、ここのところは徹底してたんですよ。
で、これが古畑のひとつのポリシーであり、面白みでもあったんです。
ちょっと軽い感じはあるけれど、それでも「ルール遵守」「人命尊重」「徹底した仕事人」というスタンスです。テレビの中の探偵として、これはなかなか良い設定、アイディアだと思ってたんです。
菅原文太も津川雅彦も、前のシリーズでは死ななかったし、古畑によって自殺を阻止されてます。
ところが。
今回は犯人が自殺するのを黙って見過ごすんです。
それも死ぬと解かっていてわざと見過ごした可能性が高い。
なんせ犯人が自殺したとわかった瞬間に、いっさい古畑驚きませんから。椅子に座ったまま苦々しい表情をしてるだけです。
それより何より、前回のシリーズで自殺を予防された津川雅彦が、今回はゲストとして出てるんですが、その自殺を見過ごすシーンには、その津川雅彦が古畑とともにいてるんです。
こんなの完全に意図的ですよね。
でもね。これがなかなかに良かったのです。
ひとつの可能性を感じた。
どういうことかというと、もう、ワンクール13回とか12回とかのシリーズ設定で、設定に縛られた展開はしないぞ、という宣言でもあるということなんです。
もっとありていに言うなら、「田村正和ってもう60じゃん。」ってことです。今後は古畑やるなら、古畑に年を取らせるしかないんです。
でも、三谷さんはどうもそれを選んだようです。初期の設定を変えて、自殺も見過ごすダークな古畑に変った。それはつまり、主人公の成長を由としたということです。年相応に変っていくということです。
つまり。
今後も古畑が見れるってことですね。そこがすごく面白かったんです。僕には。
ということで、作品の質うんぬんより、そういう好きなシリーズが続いていく可能性を見せてくれたという意味で、これはうれしかった作品であります。
たとえばアメリカのコミックスのバットマンなんかも、年を食ったバットマンが、老体にムチ打って悪と戦い、しかしやはり体力的にしんどいから知的な推理で打ち勝っていくという設定のバットマン・ダークナイトというシリーズがあるんですが、まぁそういう展開もありなんだよなーということですよ。
そういう意味でおもしろかったなぁ。うん。