みんな頭おかしいんじゃないか?
2008年7月4日コメント (5)最近、コンビニの深夜営業自粛に関して環境への影響とかなんとか、訳の分からん事を言っとるんですが、とうとう、町村官房長官まで、こういう事を言い出した。
(記事開始)============================================
コンビニ深夜営業の自粛論に理解=町村官房長官
7月2日17時20分配信 時事通信
町村信孝官房長官は2日午後の記者会見で、二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出を抑制するため、コンビニエンスストアの深夜営業自粛を求める声が出ていることについて「低炭素社会の実現は、大量生産、大量消費を切り替える生活革命。一つのアイデアだ」と述べ、理解を示した。
町村長官は「CO2排出企業に(削減への)協力を求めており、国民一人ひとりに何ができるのかを問い掛けている。(コンビニ業界は)スケープゴートと短絡的に反応するのでなく、関係する業界の人も受け止めてほしい」と語った。
(記事終了)============================================
もうね、私はね、「みんな頭おかしいんじゃないか?」と思って、イライラしてしょうがない。
なんでコンビニの二十四時間営業をやめてCO2排出に効果があるのよ。わけがわからん。
私ゃ、もともと原子力発電っていうのが嫌いだったので、発電の仕組みとか調べてみたことがあるけど、原発って、一度動き出したらずっと動かし続けないとダメなんだよね。
だから深夜電力が余るんじゃないか。
だから「割安な深夜電力」てな存在があって、ムダに作ってる電気を、なんとかちゃんと使い切りましょうって話じゃないか。
夜に買い物しないって事は昼間にみんなが出かけるってことでしょ。
昼の電気のピークが上がったら、火力で足すしかないんやぞ。
アカンやん。
コンビニの深夜営業は、正しくエネルギー効率を活かした経済活動やないの。
コンビニの24時間営業みたいな人間の生活サイクルまで狂わせてしまう環境が良くない、と言うなら、まず原発反対を言え! と思う。コンビニは原発という電力供給から必然的に生まれた形態じゃないの。
だいたい、ネットカフェ難民みたいな貧困層の拡大みたいな事が出てきてるんだから、そういう仕事が欲しい人の職場まで奪うような事を安易に言うんじゃないよ、バカがって思う。
原子力発電は嫌いだけど、すでにできちゃったものは賢く使えってことでしょ。
もう、とにかく、話がおかしくて、狂ってるとしか思えないんよなぁ。
なんや、この話?
ものすごく気持ち悪い。
理屈になってない。
「電気つけてたら、地球に悪い。」というような、そういう単純な雰囲気論というか「気分」での論議でしかない。
昔なら、こういう事はちゃんと誰か論説委員でも誰でも専門家が「いや、それは全然意味ないですよ」とか普通に解説してたもんやけど、いまはそういうのが全然ないのよな。
なんで?
どうして?
こんなアホな論議がテレビや新聞に出ること自体、おかしいとは誰も思わないの?
最初に「コンビニへの24時間営業自粛」の話題が出た時に「ああ、しょうもな。こういうアホな話は、すぐ立ち消えになるでしょ」と思ってたのだけど、なんの事はない、町村君が話に乗ってる。
なんなんだよ、これは?
だいたいCO2排出権そのものが政治そのもので、科学とは何の関係もないって話で…、あ、このあたりは別の事だから、また改めて書かないといけないから、やめとこう。
とにかく、もう、私は訳分かりません。
世の中、狂ってしまったとしか思えないです。
(記事開始)============================================
コンビニ深夜営業の自粛論に理解=町村官房長官
7月2日17時20分配信 時事通信
町村信孝官房長官は2日午後の記者会見で、二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出を抑制するため、コンビニエンスストアの深夜営業自粛を求める声が出ていることについて「低炭素社会の実現は、大量生産、大量消費を切り替える生活革命。一つのアイデアだ」と述べ、理解を示した。
町村長官は「CO2排出企業に(削減への)協力を求めており、国民一人ひとりに何ができるのかを問い掛けている。(コンビニ業界は)スケープゴートと短絡的に反応するのでなく、関係する業界の人も受け止めてほしい」と語った。
(記事終了)============================================
もうね、私はね、「みんな頭おかしいんじゃないか?」と思って、イライラしてしょうがない。
なんでコンビニの二十四時間営業をやめてCO2排出に効果があるのよ。わけがわからん。
私ゃ、もともと原子力発電っていうのが嫌いだったので、発電の仕組みとか調べてみたことがあるけど、原発って、一度動き出したらずっと動かし続けないとダメなんだよね。
だから深夜電力が余るんじゃないか。
だから「割安な深夜電力」てな存在があって、ムダに作ってる電気を、なんとかちゃんと使い切りましょうって話じゃないか。
夜に買い物しないって事は昼間にみんなが出かけるってことでしょ。
昼の電気のピークが上がったら、火力で足すしかないんやぞ。
アカンやん。
コンビニの深夜営業は、正しくエネルギー効率を活かした経済活動やないの。
コンビニの24時間営業みたいな人間の生活サイクルまで狂わせてしまう環境が良くない、と言うなら、まず原発反対を言え! と思う。コンビニは原発という電力供給から必然的に生まれた形態じゃないの。
だいたい、ネットカフェ難民みたいな貧困層の拡大みたいな事が出てきてるんだから、そういう仕事が欲しい人の職場まで奪うような事を安易に言うんじゃないよ、バカがって思う。
原子力発電は嫌いだけど、すでにできちゃったものは賢く使えってことでしょ。
もう、とにかく、話がおかしくて、狂ってるとしか思えないんよなぁ。
なんや、この話?
ものすごく気持ち悪い。
理屈になってない。
「電気つけてたら、地球に悪い。」というような、そういう単純な雰囲気論というか「気分」での論議でしかない。
昔なら、こういう事はちゃんと誰か論説委員でも誰でも専門家が「いや、それは全然意味ないですよ」とか普通に解説してたもんやけど、いまはそういうのが全然ないのよな。
なんで?
どうして?
こんなアホな論議がテレビや新聞に出ること自体、おかしいとは誰も思わないの?
最初に「コンビニへの24時間営業自粛」の話題が出た時に「ああ、しょうもな。こういうアホな話は、すぐ立ち消えになるでしょ」と思ってたのだけど、なんの事はない、町村君が話に乗ってる。
なんなんだよ、これは?
だいたいCO2排出権そのものが政治そのもので、科学とは何の関係もないって話で…、あ、このあたりは別の事だから、また改めて書かないといけないから、やめとこう。
とにかく、もう、私は訳分かりません。
世の中、狂ってしまったとしか思えないです。
環境問題は、純粋に「政治」やねんけどなぁ…。
2008年7月7日環境問題のこと。
もう、何年も前からなのですが、こと「環境問題」に関しては、誰と話しをしてもかみ合いません。困った事です。
で、なんでかみ合わないのか、自分では分かってたんですけど、あまり説明しなかった事をちょっとチマチマと説明してみたくなりました。
いまさらって気もするんですがね。
まずね、「環境問題は科学じゃねーんだよ、政治なんだよ、セージ、わかってんの?」ちゅうことです。
ここがですね、どなたとも合わない根本原因なんですよね。
なんて言うんでしょうか、根本的に僕はまず「自然の事は分からない」と思ってるわけです。生命の不思議を解き明かした科学なんかありません。多少は分かってきてるけどね。
だから「科学的にこうだ!」と言われても「まぁ、そうですかね。」という感じで、あんまり真剣に聞いてない。
いやまぁ、あれですよ、確実に再現性のある話は「道具」として利用しますがね、それ以外の「検証されていない科学」って言うのは全面的に「仮説」であって、それを信用するかどうかは、「政治」でしかないって思ってるわけです。
わかるでしょうか? このあたりの感覚。
僕が、こういう感覚を抱いたのは、少なくとも1991年のソ連の崩壊前後の事なのですね。
というのは、ソ連がロシアになる前後にけっこうサミットってのが行われていたわけですが、「ソ連」がある間はサミット後の取り決めの発表の中にソ連との対応というか、社会主義圏とどう対応するか? という項目がいろいろと入ってたわけですよ。それこそアフガン侵攻の頃から、サミット参加国の1番最優先の議題になったり、3番目の議題になったり、いろいろしてたけど、まぁずっとアジェンダとして入ってたはずです。
で、ソ連が崩壊して、「あー、アジェンダのひとつが消えたよなぁ、どうするんだろ、サミットでは。」って思ってたわけです。
なんで、そういう事を思ったかって言うと、僕がテーブルゲーム好きだったからなんですね。テーブルゲーム。
つまり、具体的に言うなら「モノポリー」とかさ、そういう奴です。
けっこう遊んでたわけですよ、当時。友人の夫婦ものの家に集まっては、「人生ゲーム」をやったり、トランプで遊んだり、知ってる人は知ってる「クーハンデル」で遊んだり、もう、それこそいろいろやったわけです。
で、ああいうテーブルゲーム・カードゲームの類をいくつもやると、「取引」って事の重要性を、嫌でも体で学ぶのですね。
「おい、いま、あいつ一人の一人勝ち状態をほったらかしにしておいたら、俺たちに勝ちはないぜ。ちょっと組まないか?」ってところから、二位三位連盟を作るとかね。そういう事をすごく駆け引きする。
ちなみに、みんな双六ゲームとしか思ってない「人生ゲーム」でも、実は、この「取引」こそが勝負を決めるのですよ。で、私は実は「人生ゲーム」で負けた事がない。必ず1位か2位。なんでそうなるか? というのを説明すると長くなると割愛するけど、とにかく、ちゃんと取引してれば勝てるんです。
で、です。
この「取引」をするには、カードが必要なんです。
カードがなければ、取引をすること自体が出来ない。ただ指を加えて見てるしかないわけです。だから、カードは多ければ多いほどいいんです。
こういう事は、こういうカードゲームをやったことのある人なら実感としてわかる。
でも、テレビゲームだけしていても、このダイナミズムは分かりませんよ。だからテレビゲームだけしかしてない人間は「遊び」のなんたるか、なんか全然分かってないって事にしかなりません。
で、政治と取引って事は、本当に僕はゲームから学びました。
なので、ソ連の崩壊は、まず何より「社会主義圏の消滅」により、「国際政治の取引ネタ」が一つ消えた、という風にしか読めなかったのですね、私には。
いままでは、「ソ連に対して強行に出るかどうか」とか、そういうことを国と国との駆け引きの「カード」として使えたわけですよ。しかし、その、かなり大きなカードが一種類、ごそっとなくなってしまったわけです。あの時。
だからこれはトランプで言えば「ハートのスートが一組消えた」に等しい話だったわけです。
なので、ソ連消滅後のサミットのあとの共同声明が、僕はすごく興味があったんですね。で、それをしげしげと眺めて見た。
そしたら!
そこに「環境問題」が、どーーーんと登場してたわけですよ。
「ああああ、そうか! そうだったか!」と僕は思ったわけです。「環境問題かぁ、それはカードになる!」って事でした。
だって環境だよ? 誰にだって関係あるやん! どこの国でも、政治的に使える。「今サミットでは、××代表は、環境問題で○○という成果を勝ち取った!」とか言える!
言えたらそれで良いわけです。それが政治ですから。
実際の「環境」とは、何の関係もおまへん。
まず、国際政治の取引のカードとして使える。
そこがすごく重要なわけです。
これがカードがなかったら、それぞれの国の利害の調整のやりようがないわけですよ。調整のつけようがない。いままでだったら「共産圏への○○の取組に協力する」ということと、軍事的協力をリンクするとかしないとか、そういう「モノサシ」でやってた事を、「環境への取組」を担保として使えるわけですよ。
よろしいですか? 国際的に文化も何も、根本から異なる国同士がですね、何らかの「取引」をしようとしたら、「共通の価値」として認識できるテーマがなかったら無理なわけですよ。で、そんなもの、そう簡単に見つかったりはしないんです。それこそ「共産主義の恐怖」とかだと西側諸国はまとまれたわけでしょ? でもそれがなくなったら、「共通貨幣」がなくなっちゃうのと同じなわけですよ。ものすごく不便なわけです。
だから、ソ連崩壊後のサミットで環境問題が(それまでもアジェンダにはなってたんだけど、)繰り上げ当選みたいに、ドーンと2番目だか3番目だかのテーマに「格上げ」されてるのを見て。「なるほどなぁ、国際政治っていうのは、こういう風に動くのか。」とかなり感心した覚えがあるわけです。
テレビゲームしかしてないと、これはわからんけど、ボードゲームとかカードゲームで、人間間の取引をいろいろ試してたりすると、すごくわかる。一発でわかる。(というか、元々私、前にも書きましたけど「倫社の帝王」でしたから、たまたまこういう事に敏感なだけかもわからんのですが。このあたりは実はちょっと不明。)
で、このサミット以降、僕の頭の中では、国際政治としての取り決め(決して科学的ではない。あくまで政治的取り決め。)からのトップダウンでの課題の割り振りがあって、それで各国で与えられた枠内での「やりくり」だけが環境問題になったのだ、という認識があったわけです。
これはもう、強烈にありました。
だから、環境関連の話をしていて、「科学的に正しいかどうか」とか、「倫理的に正しいかどうか」とかの話を真剣にしている人と会うと、もうその段階で話をする気が失せてしまってたんですね。
「いや、それは言っても話ははじまらんやろ」って思っちゃうんですね。「そうやなくて、割り振られた枠を、いかに屁理屈つけても獲得することとちゃうんか?」ちゅう話です。もう、ものすごく政治的。
たとえば、本当に環境の役に立つ技術があって、その普及を真剣に考えてる人がいてるなら、「科学的正しさ」とか「倫理的正しさ」とか、そんな事はどうでもよろしい。あなたが普及させたい技術がそれをクリアしてるなら、それで問題ないんです。そういう事は、大衆にはすぐわかる。だから、そういう事を言わずに、「温暖化防止」であろうが「CO2削減」であろうが、その「枠組(たいていは予算的枠組みだけどね)」を、「利用」して、普及させちゃえばいいんだって話なわけです。だって元々、大枠が政治でしかないんだからさ! それは。
僕はもう、そういう発想しかなかったわけですよ。もともと。
しかし、なんちゅうかねぇ、この環境の問題っていうのは、すぐに「科学的正しさ」とか「倫理的正しさ」とか、ごちゃごちゃ言う人が出てくるわけです。
どうでもええやん、そんな事。
知らんがな。
って思う。
世の中をうまく回す仕組みとか、アイディアとか、環境に絶対良いと思える「何か」があるんなら、それを、どんな政治的手段を使ったって、世の中に実現させちゃえば良いわけです。そういう信念が当人にあるなら、それでオーケーなわけ。
そんなものね、世界のホンダの本田宗一郎だってそうだったし、ソニーの盛田昭夫だってそうだった。それで良いんです。人間には限定性というのがあって、自分の立場からしか物事は判断できません。だからホンダならカーレースに出る!でしょう。それで良い。
僕は一時期、有機農業をやってる人達ともいろいろやってたりしてましたけど、そのやり方が良いと思うなら、話をこじつけてでも「うちのやり方がCO2削減につながるんだ!」とホラを吹いても、別に良いとすら僕は思うわけです。だって、先に大枠がきまっちゃってるんだから。四の五の言ってる場合じゃないでしょ? っちゅうことですわ。
でも、どうも、このあたりの話が、あまり通じないですね。
いや、まだに、こういう具合に具体的にちゃんと活動もしていて、「この方が良いのだ」という考え方ややり方を、内面的につかまえてる人は、尊敬できるし、僕からすれば「うまく立ち回ればいいのに…」って感じでしかないわけで、それは、まぁしゃーないって思うんですね。そこまで人間、ベンサム的に功利的に立ち回れるわけでもないですから。功利的に立ち回るにしたって、アイディアと行動力が必要で、誰にでも出来るというわけでもないですから。それはもうしょうがない。
こういう尊敬できる、キチンとした人とすら僕はかみ合わないわけですが、もっとひどい一群というのは、世の中にいてまして、そういうのとは、もうかみ合わないなんてものではないわけですね。
たとえば、別に環境問題に対して「これが良い」という解答や信念があるわけでもないのに、環境問題と「単なる反米意識」とが未整理に心の中でくっついていて、「アメリカはエネルギーの無駄遣いをしてる」とか言うタイプ。
いや、ちょっと頭整理してから言うてよって思う。ごちゃまぜやん。日本人がアメリカの事をゴチャゴチャ言うてもしゃーないやん。反米運動がしたいんなら、そういうグループに入ったら? とか思うだけ。
で、最近で言うと「エコな発言したら、かっちょ良い人なのよ。」的動き。あれがもうかなわん。なんじゃそりゃ? って思う。お前はパァ〜か? って思う。あ、パァなのか。
藤原紀香もなぁ、同じ関西人やから、心情的には好きな人なんやが、あの「いい人ブリ」だけはやめて欲しいなぁ。「スーパーで、エコ袋持って行き忘れて、スーパーでくれるプラスティックバッグを使う時は恥ずかしいと思っちゃいます。」とか言ってやがるんよな。
そういうお前が恥ずかしいから、そういう事を言うのはやめてくれ。
みんなが、自分なりの生活をしていて、みんなが適正なコスト計算をして、それで適正に回ってるのが今の社会で、その中でコスト的にも妥当なのがスーパーの袋なの。だからそれを「恥じる」必要なんか、最初から髪の毛の先ほどもない。
そんなら何か? スーパーでプラスティックバッグを使ってる大多数の9割以上の人間が「恥ずかしい」という精神的なマイナスを背負う事が環境貢献なんか? お前、世の中に「悪いこと」ばらまいてるだけやんけ。世の中を暗くしてどうすんねん。お前がガンや、アホ。ってしか思わないんですわね、私は。
ちなみに、エコ袋を持参するとですね、スーパーでくれるショッピング袋を家庭中の小さなゴミ箱に中敷き用に使うというような「再利用」がスポイルされます。ずっとエコ袋を持参すると、ああいう中敷き袋は、お金を出して買うしかなくなります。まぁスーパーは儲かっていいですけど。ああいうのは、買うとものすごく高いですから。買いたい人は買え。で、買ったそれは、一度しか使われませんわな? ショッピング袋みたいに家に帰るまでに使われ、家庭内でゴミ袋として使われという現実的なリサイクルの仕組みがなくなるだけでおます。アホくさい。
ちなみに、
●CO2が増えても、地球は温暖化しない。
●ショッピング袋を焼いてもいまやダイオキシンは出ない
●ダイオキシンは猛毒とは言えない
●ショッピング袋に環境を阻害する素材は含まれない(環境ホルモンなど)
だそうです。
このあたりは「科学」の話だから、僕は政治的な話の根拠にはしないですけど、科学的に考えても、別に問題はない。あるとするなら、
●埋蔵量に限界のある石油を燃やしてしまうショッピング袋に使っても良いのか?
という問題くらいでしょうけどね。
でも、あのショッピング袋を作るために使う石油って、そんなに大量か? 電車やバスなどの都市交通が整っている環境で「自家用車」で燃やしてるガソリンのムダに比べたら、とんでもなく少ない量だと思うけどねぇ。
まぁいいや。話がそれた。
ともかく。
上記のようなことでして、環境問題の話をしていて、誰かとまともに意見が合った事がないのであります。いやほんと。まじめにキチンと活動してるような人とも合わないし、ましてや、何も考えずに時流に乗らされてるだけの人とは絶対に合わない。
強いて「合う」人を言うなら、仕事上でおつきあいのある企業さんで、自社製品のエネルギー効率を真剣に高めているような人くらいかなぁ。そういう人なら話は通じる。政治の話も、まぁ通じる。まぁ事業部長以上、社長クラスになってしまいますが。
まぁ、面白いもんです。
ともあれ、マスメディアとか国内政治で出てくる「エコ」話は、もう最近ではあまりに鼻について聞いてられないですなぁ。
政治を利用するのはええけど、「新幹線に乗ったらエコ!」とか言うてる宣伝まで出てきてるからさぁ。まぁCO2排出権の証券化とかあるから、完全なウソとは言えないにしても、それはおかしかろう。人間活動は何らかの環境負荷はあるよ、そんなもん。
そうそう、「エセエコ」のかけ声で多い「地球のために」とかも「やめてくれー!」って思う。
そんなもん、人類が死に絶えても、地球は生き残るに決まっとるわ、ボケ。どこまで「人間様は偉い」と思いこんだら気が済むのやら。
「あんまり無茶したら、人間に跳ね返ってくるかもよ。わからんけど。」くらいの話やろが、もともと。いや、ほんまに。
まぁ地球は人類の事なんか気にしてません。人類は人類の事を気にしましょう。紀香クンみたいに、「みんなの迷惑」さえ増やさなけりゃ、まぁ全部オーケーでええんと違いますか? そのくらいの大ざっぱさで行こうよ。ほんとに。どうでもええやん、エコなんか。
マジに。
もう、何年も前からなのですが、こと「環境問題」に関しては、誰と話しをしてもかみ合いません。困った事です。
で、なんでかみ合わないのか、自分では分かってたんですけど、あまり説明しなかった事をちょっとチマチマと説明してみたくなりました。
いまさらって気もするんですがね。
まずね、「環境問題は科学じゃねーんだよ、政治なんだよ、セージ、わかってんの?」ちゅうことです。
ここがですね、どなたとも合わない根本原因なんですよね。
なんて言うんでしょうか、根本的に僕はまず「自然の事は分からない」と思ってるわけです。生命の不思議を解き明かした科学なんかありません。多少は分かってきてるけどね。
だから「科学的にこうだ!」と言われても「まぁ、そうですかね。」という感じで、あんまり真剣に聞いてない。
いやまぁ、あれですよ、確実に再現性のある話は「道具」として利用しますがね、それ以外の「検証されていない科学」って言うのは全面的に「仮説」であって、それを信用するかどうかは、「政治」でしかないって思ってるわけです。
わかるでしょうか? このあたりの感覚。
僕が、こういう感覚を抱いたのは、少なくとも1991年のソ連の崩壊前後の事なのですね。
というのは、ソ連がロシアになる前後にけっこうサミットってのが行われていたわけですが、「ソ連」がある間はサミット後の取り決めの発表の中にソ連との対応というか、社会主義圏とどう対応するか? という項目がいろいろと入ってたわけですよ。それこそアフガン侵攻の頃から、サミット参加国の1番最優先の議題になったり、3番目の議題になったり、いろいろしてたけど、まぁずっとアジェンダとして入ってたはずです。
で、ソ連が崩壊して、「あー、アジェンダのひとつが消えたよなぁ、どうするんだろ、サミットでは。」って思ってたわけです。
なんで、そういう事を思ったかって言うと、僕がテーブルゲーム好きだったからなんですね。テーブルゲーム。
つまり、具体的に言うなら「モノポリー」とかさ、そういう奴です。
けっこう遊んでたわけですよ、当時。友人の夫婦ものの家に集まっては、「人生ゲーム」をやったり、トランプで遊んだり、知ってる人は知ってる「クーハンデル」で遊んだり、もう、それこそいろいろやったわけです。
で、ああいうテーブルゲーム・カードゲームの類をいくつもやると、「取引」って事の重要性を、嫌でも体で学ぶのですね。
「おい、いま、あいつ一人の一人勝ち状態をほったらかしにしておいたら、俺たちに勝ちはないぜ。ちょっと組まないか?」ってところから、二位三位連盟を作るとかね。そういう事をすごく駆け引きする。
ちなみに、みんな双六ゲームとしか思ってない「人生ゲーム」でも、実は、この「取引」こそが勝負を決めるのですよ。で、私は実は「人生ゲーム」で負けた事がない。必ず1位か2位。なんでそうなるか? というのを説明すると長くなると割愛するけど、とにかく、ちゃんと取引してれば勝てるんです。
で、です。
この「取引」をするには、カードが必要なんです。
カードがなければ、取引をすること自体が出来ない。ただ指を加えて見てるしかないわけです。だから、カードは多ければ多いほどいいんです。
こういう事は、こういうカードゲームをやったことのある人なら実感としてわかる。
でも、テレビゲームだけしていても、このダイナミズムは分かりませんよ。だからテレビゲームだけしかしてない人間は「遊び」のなんたるか、なんか全然分かってないって事にしかなりません。
で、政治と取引って事は、本当に僕はゲームから学びました。
なので、ソ連の崩壊は、まず何より「社会主義圏の消滅」により、「国際政治の取引ネタ」が一つ消えた、という風にしか読めなかったのですね、私には。
いままでは、「ソ連に対して強行に出るかどうか」とか、そういうことを国と国との駆け引きの「カード」として使えたわけですよ。しかし、その、かなり大きなカードが一種類、ごそっとなくなってしまったわけです。あの時。
だからこれはトランプで言えば「ハートのスートが一組消えた」に等しい話だったわけです。
なので、ソ連消滅後のサミットのあとの共同声明が、僕はすごく興味があったんですね。で、それをしげしげと眺めて見た。
そしたら!
そこに「環境問題」が、どーーーんと登場してたわけですよ。
「ああああ、そうか! そうだったか!」と僕は思ったわけです。「環境問題かぁ、それはカードになる!」って事でした。
だって環境だよ? 誰にだって関係あるやん! どこの国でも、政治的に使える。「今サミットでは、××代表は、環境問題で○○という成果を勝ち取った!」とか言える!
言えたらそれで良いわけです。それが政治ですから。
実際の「環境」とは、何の関係もおまへん。
まず、国際政治の取引のカードとして使える。
そこがすごく重要なわけです。
これがカードがなかったら、それぞれの国の利害の調整のやりようがないわけですよ。調整のつけようがない。いままでだったら「共産圏への○○の取組に協力する」ということと、軍事的協力をリンクするとかしないとか、そういう「モノサシ」でやってた事を、「環境への取組」を担保として使えるわけですよ。
よろしいですか? 国際的に文化も何も、根本から異なる国同士がですね、何らかの「取引」をしようとしたら、「共通の価値」として認識できるテーマがなかったら無理なわけですよ。で、そんなもの、そう簡単に見つかったりはしないんです。それこそ「共産主義の恐怖」とかだと西側諸国はまとまれたわけでしょ? でもそれがなくなったら、「共通貨幣」がなくなっちゃうのと同じなわけですよ。ものすごく不便なわけです。
だから、ソ連崩壊後のサミットで環境問題が(それまでもアジェンダにはなってたんだけど、)繰り上げ当選みたいに、ドーンと2番目だか3番目だかのテーマに「格上げ」されてるのを見て。「なるほどなぁ、国際政治っていうのは、こういう風に動くのか。」とかなり感心した覚えがあるわけです。
テレビゲームしかしてないと、これはわからんけど、ボードゲームとかカードゲームで、人間間の取引をいろいろ試してたりすると、すごくわかる。一発でわかる。(というか、元々私、前にも書きましたけど「倫社の帝王」でしたから、たまたまこういう事に敏感なだけかもわからんのですが。このあたりは実はちょっと不明。)
で、このサミット以降、僕の頭の中では、国際政治としての取り決め(決して科学的ではない。あくまで政治的取り決め。)からのトップダウンでの課題の割り振りがあって、それで各国で与えられた枠内での「やりくり」だけが環境問題になったのだ、という認識があったわけです。
これはもう、強烈にありました。
だから、環境関連の話をしていて、「科学的に正しいかどうか」とか、「倫理的に正しいかどうか」とかの話を真剣にしている人と会うと、もうその段階で話をする気が失せてしまってたんですね。
「いや、それは言っても話ははじまらんやろ」って思っちゃうんですね。「そうやなくて、割り振られた枠を、いかに屁理屈つけても獲得することとちゃうんか?」ちゅう話です。もう、ものすごく政治的。
たとえば、本当に環境の役に立つ技術があって、その普及を真剣に考えてる人がいてるなら、「科学的正しさ」とか「倫理的正しさ」とか、そんな事はどうでもよろしい。あなたが普及させたい技術がそれをクリアしてるなら、それで問題ないんです。そういう事は、大衆にはすぐわかる。だから、そういう事を言わずに、「温暖化防止」であろうが「CO2削減」であろうが、その「枠組(たいていは予算的枠組みだけどね)」を、「利用」して、普及させちゃえばいいんだって話なわけです。だって元々、大枠が政治でしかないんだからさ! それは。
僕はもう、そういう発想しかなかったわけですよ。もともと。
しかし、なんちゅうかねぇ、この環境の問題っていうのは、すぐに「科学的正しさ」とか「倫理的正しさ」とか、ごちゃごちゃ言う人が出てくるわけです。
どうでもええやん、そんな事。
知らんがな。
って思う。
世の中をうまく回す仕組みとか、アイディアとか、環境に絶対良いと思える「何か」があるんなら、それを、どんな政治的手段を使ったって、世の中に実現させちゃえば良いわけです。そういう信念が当人にあるなら、それでオーケーなわけ。
そんなものね、世界のホンダの本田宗一郎だってそうだったし、ソニーの盛田昭夫だってそうだった。それで良いんです。人間には限定性というのがあって、自分の立場からしか物事は判断できません。だからホンダならカーレースに出る!でしょう。それで良い。
僕は一時期、有機農業をやってる人達ともいろいろやってたりしてましたけど、そのやり方が良いと思うなら、話をこじつけてでも「うちのやり方がCO2削減につながるんだ!」とホラを吹いても、別に良いとすら僕は思うわけです。だって、先に大枠がきまっちゃってるんだから。四の五の言ってる場合じゃないでしょ? っちゅうことですわ。
でも、どうも、このあたりの話が、あまり通じないですね。
いや、まだに、こういう具合に具体的にちゃんと活動もしていて、「この方が良いのだ」という考え方ややり方を、内面的につかまえてる人は、尊敬できるし、僕からすれば「うまく立ち回ればいいのに…」って感じでしかないわけで、それは、まぁしゃーないって思うんですね。そこまで人間、ベンサム的に功利的に立ち回れるわけでもないですから。功利的に立ち回るにしたって、アイディアと行動力が必要で、誰にでも出来るというわけでもないですから。それはもうしょうがない。
こういう尊敬できる、キチンとした人とすら僕はかみ合わないわけですが、もっとひどい一群というのは、世の中にいてまして、そういうのとは、もうかみ合わないなんてものではないわけですね。
たとえば、別に環境問題に対して「これが良い」という解答や信念があるわけでもないのに、環境問題と「単なる反米意識」とが未整理に心の中でくっついていて、「アメリカはエネルギーの無駄遣いをしてる」とか言うタイプ。
いや、ちょっと頭整理してから言うてよって思う。ごちゃまぜやん。日本人がアメリカの事をゴチャゴチャ言うてもしゃーないやん。反米運動がしたいんなら、そういうグループに入ったら? とか思うだけ。
で、最近で言うと「エコな発言したら、かっちょ良い人なのよ。」的動き。あれがもうかなわん。なんじゃそりゃ? って思う。お前はパァ〜か? って思う。あ、パァなのか。
藤原紀香もなぁ、同じ関西人やから、心情的には好きな人なんやが、あの「いい人ブリ」だけはやめて欲しいなぁ。「スーパーで、エコ袋持って行き忘れて、スーパーでくれるプラスティックバッグを使う時は恥ずかしいと思っちゃいます。」とか言ってやがるんよな。
そういうお前が恥ずかしいから、そういう事を言うのはやめてくれ。
みんなが、自分なりの生活をしていて、みんなが適正なコスト計算をして、それで適正に回ってるのが今の社会で、その中でコスト的にも妥当なのがスーパーの袋なの。だからそれを「恥じる」必要なんか、最初から髪の毛の先ほどもない。
そんなら何か? スーパーでプラスティックバッグを使ってる大多数の9割以上の人間が「恥ずかしい」という精神的なマイナスを背負う事が環境貢献なんか? お前、世の中に「悪いこと」ばらまいてるだけやんけ。世の中を暗くしてどうすんねん。お前がガンや、アホ。ってしか思わないんですわね、私は。
ちなみに、エコ袋を持参するとですね、スーパーでくれるショッピング袋を家庭中の小さなゴミ箱に中敷き用に使うというような「再利用」がスポイルされます。ずっとエコ袋を持参すると、ああいう中敷き袋は、お金を出して買うしかなくなります。まぁスーパーは儲かっていいですけど。ああいうのは、買うとものすごく高いですから。買いたい人は買え。で、買ったそれは、一度しか使われませんわな? ショッピング袋みたいに家に帰るまでに使われ、家庭内でゴミ袋として使われという現実的なリサイクルの仕組みがなくなるだけでおます。アホくさい。
ちなみに、
●CO2が増えても、地球は温暖化しない。
●ショッピング袋を焼いてもいまやダイオキシンは出ない
●ダイオキシンは猛毒とは言えない
●ショッピング袋に環境を阻害する素材は含まれない(環境ホルモンなど)
だそうです。
このあたりは「科学」の話だから、僕は政治的な話の根拠にはしないですけど、科学的に考えても、別に問題はない。あるとするなら、
●埋蔵量に限界のある石油を燃やしてしまうショッピング袋に使っても良いのか?
という問題くらいでしょうけどね。
でも、あのショッピング袋を作るために使う石油って、そんなに大量か? 電車やバスなどの都市交通が整っている環境で「自家用車」で燃やしてるガソリンのムダに比べたら、とんでもなく少ない量だと思うけどねぇ。
まぁいいや。話がそれた。
ともかく。
上記のようなことでして、環境問題の話をしていて、誰かとまともに意見が合った事がないのであります。いやほんと。まじめにキチンと活動してるような人とも合わないし、ましてや、何も考えずに時流に乗らされてるだけの人とは絶対に合わない。
強いて「合う」人を言うなら、仕事上でおつきあいのある企業さんで、自社製品のエネルギー効率を真剣に高めているような人くらいかなぁ。そういう人なら話は通じる。政治の話も、まぁ通じる。まぁ事業部長以上、社長クラスになってしまいますが。
まぁ、面白いもんです。
ともあれ、マスメディアとか国内政治で出てくる「エコ」話は、もう最近ではあまりに鼻について聞いてられないですなぁ。
政治を利用するのはええけど、「新幹線に乗ったらエコ!」とか言うてる宣伝まで出てきてるからさぁ。まぁCO2排出権の証券化とかあるから、完全なウソとは言えないにしても、それはおかしかろう。人間活動は何らかの環境負荷はあるよ、そんなもん。
そうそう、「エセエコ」のかけ声で多い「地球のために」とかも「やめてくれー!」って思う。
そんなもん、人類が死に絶えても、地球は生き残るに決まっとるわ、ボケ。どこまで「人間様は偉い」と思いこんだら気が済むのやら。
「あんまり無茶したら、人間に跳ね返ってくるかもよ。わからんけど。」くらいの話やろが、もともと。いや、ほんまに。
まぁ地球は人類の事なんか気にしてません。人類は人類の事を気にしましょう。紀香クンみたいに、「みんなの迷惑」さえ増やさなけりゃ、まぁ全部オーケーでええんと違いますか? そのくらいの大ざっぱさで行こうよ。ほんとに。どうでもええやん、エコなんか。
マジに。
エコとか環境とか、もうけっこうです。
2008年7月9日えー、という事で洞爺湖サミットもあるので、書いてるわけですが、私がいつも思っていて、なかなか人と話が通じないことは、
●科学はすべて仮説
●再現性だけは保証される(繰り返し同じ結果は出る)
●科学で命はつくれない
という事であり、
●環境問題は政治の重要なカード
●だから無視はできない
●でも、だからと言って絶対ではない
ということです。
なので、環境問題でしゃかりきになってる人間を見るとバカにしか見えないし、かと言って無視するわけにも行かないって事ですね。まぁ国際的な大きな考え方の枠組みにはなってしまってるわけですから。
でもまぁ、たかがその程度ですよ。(と言いつつ、一度決まってしまった枠組みが、そう簡単に変わると言うことも、これまたほとんどないんですが。)
ちゅうことで、科学的な意味で言うと「地球温暖化防止!」と言う事自体が「さぁどうなんでしょうねぇ?」って事なんですよ。
地球の気候を研究してる人からすれば、「温暖化はしてますけど、もっと暑い時期もありましたよ。で、地球が温暖化してる時は、おしなべて豊作で、良い傾向なんですが。」という話です。
まぁ、そんなもんです。
だって政治だから。科学じゃないし。
温暖化防止なんてそんなもんです。
で、ゴアがやってた「不都合な真実」あれも政治的プロパガンダね。だってゴアがやってるんだもん! 当然やん!!!
コップにすり切りの水と氷を浮かべます。それが溶けて水はこぼれるでしょうか? こぼれません。
だから北極の浮いてる氷が溶けても陸地の水位は上がりません。
陸地の水位があがるのは、地盤沈下の問題が主です。
という事なので「不都合な真実」はかなりのウソがあります。
なのに、ノーベル賞をもらいました。なぜか?
ノーベル賞も政治だからですね。はい。
ノーベル賞は「科学者」という職業安定プライズです。環境科学って金は出るわ、スパンが長くて研究の結果がはっきりしないわで、良い金づるなんですよ。そういう事ね。
あと、ゴアさんは多分、原発関連の企業から支援を受けてるでしょう。だからCO2が問題だ!という「不都合な真実」をやる。
あの「不都合」は石油系企業にとって不都合なだけで、原発企業には追い風であります。
私は、基本、原発反対なんだけど、でも、現実問題としては、一気には減らせないだろうから、段階的に減らした方が良いなぁ、という人です。推進すべきは「多様なエネルギー」で、中規模小規模問わずコジェネはもっと増やして良いと思う。電線で電気を配るのが効率わるいので。
でも、新しいエネルギーがすべてをまかなうのもしんどいだろうし、火力とかもどんどん使おうって人です。状況にあわせて。
ちなみに、大気中のCO2自体、ものすごく少ない量なので、もともと温暖化に影響を与えるほどの力はないそうです。
それより重要なのは雲の影響、つまり水蒸気ですな。日陰ができたら日があたらないので寒い。そういう事だそうです。
あと温暖化は太陽のエネルギーが活発になってる事が主たる原因で、たかだか人間の活動程度で地球の温度がどうこうするってこともないようですね。アホクサ。
まぁ、科学的にはそういう話です。
でも科学的にはそういう事なんだけど、政治的にはまた別の話なんで、環境問題は政治だ、と正しく認識してから考えましょう、って事ですな。
あと、最近ではゴミ処理場が高温処理をするようになったので、もうゴミを燃やしてもダイオキシンは出ません。
が、しかし、ダイオキシンがだいたい体に悪いかどうかが実ははっきりしません。朝日新聞をはじめ、日本のマスコミは「悪いニュース」には飛びつくので、騒ぐだけ騒いだだけです。まぁほとんど体に悪い影響はないでしょう、という事だそうです。
このあたりは武田邦彦さんの本を読むと良く分かります。
ということで、「地球温暖化詐欺」という、イギリスのテレビドキュメンタリーがあるので、そのリンクを張っておきます。
まぁ科学的には、この人たちの言ってる事が正しいんだろうな、と思います。政治的にはあんまり力なさそうだけど。(笑)
http://video.google.com/videoplay?docid=-642469597858991670&;hl=en
http://video.google.com/videoplay?docid=-3254620128315043053&;q=&hl=en
http://video.google.com/videoplay?docid=8486751216888618909&;q=&hl=en
http://video.google.com/videoplay?docid=-8733072493656166413&;q=&hl=en
http://video.google.com/videoplay?docid=4354818942774262279&;q=&hl=en
いつなくなるか分らないし、早く見ておきましょうね。
●科学はすべて仮説
●再現性だけは保証される(繰り返し同じ結果は出る)
●科学で命はつくれない
という事であり、
●環境問題は政治の重要なカード
●だから無視はできない
●でも、だからと言って絶対ではない
ということです。
なので、環境問題でしゃかりきになってる人間を見るとバカにしか見えないし、かと言って無視するわけにも行かないって事ですね。まぁ国際的な大きな考え方の枠組みにはなってしまってるわけですから。
でもまぁ、たかがその程度ですよ。(と言いつつ、一度決まってしまった枠組みが、そう簡単に変わると言うことも、これまたほとんどないんですが。)
ちゅうことで、科学的な意味で言うと「地球温暖化防止!」と言う事自体が「さぁどうなんでしょうねぇ?」って事なんですよ。
地球の気候を研究してる人からすれば、「温暖化はしてますけど、もっと暑い時期もありましたよ。で、地球が温暖化してる時は、おしなべて豊作で、良い傾向なんですが。」という話です。
まぁ、そんなもんです。
だって政治だから。科学じゃないし。
温暖化防止なんてそんなもんです。
で、ゴアがやってた「不都合な真実」あれも政治的プロパガンダね。だってゴアがやってるんだもん! 当然やん!!!
コップにすり切りの水と氷を浮かべます。それが溶けて水はこぼれるでしょうか? こぼれません。
だから北極の浮いてる氷が溶けても陸地の水位は上がりません。
陸地の水位があがるのは、地盤沈下の問題が主です。
という事なので「不都合な真実」はかなりのウソがあります。
なのに、ノーベル賞をもらいました。なぜか?
ノーベル賞も政治だからですね。はい。
ノーベル賞は「科学者」という職業安定プライズです。環境科学って金は出るわ、スパンが長くて研究の結果がはっきりしないわで、良い金づるなんですよ。そういう事ね。
あと、ゴアさんは多分、原発関連の企業から支援を受けてるでしょう。だからCO2が問題だ!という「不都合な真実」をやる。
あの「不都合」は石油系企業にとって不都合なだけで、原発企業には追い風であります。
私は、基本、原発反対なんだけど、でも、現実問題としては、一気には減らせないだろうから、段階的に減らした方が良いなぁ、という人です。推進すべきは「多様なエネルギー」で、中規模小規模問わずコジェネはもっと増やして良いと思う。電線で電気を配るのが効率わるいので。
でも、新しいエネルギーがすべてをまかなうのもしんどいだろうし、火力とかもどんどん使おうって人です。状況にあわせて。
ちなみに、大気中のCO2自体、ものすごく少ない量なので、もともと温暖化に影響を与えるほどの力はないそうです。
それより重要なのは雲の影響、つまり水蒸気ですな。日陰ができたら日があたらないので寒い。そういう事だそうです。
あと温暖化は太陽のエネルギーが活発になってる事が主たる原因で、たかだか人間の活動程度で地球の温度がどうこうするってこともないようですね。アホクサ。
まぁ、科学的にはそういう話です。
でも科学的にはそういう事なんだけど、政治的にはまた別の話なんで、環境問題は政治だ、と正しく認識してから考えましょう、って事ですな。
あと、最近ではゴミ処理場が高温処理をするようになったので、もうゴミを燃やしてもダイオキシンは出ません。
が、しかし、ダイオキシンがだいたい体に悪いかどうかが実ははっきりしません。朝日新聞をはじめ、日本のマスコミは「悪いニュース」には飛びつくので、騒ぐだけ騒いだだけです。まぁほとんど体に悪い影響はないでしょう、という事だそうです。
このあたりは武田邦彦さんの本を読むと良く分かります。
ということで、「地球温暖化詐欺」という、イギリスのテレビドキュメンタリーがあるので、そのリンクを張っておきます。
まぁ科学的には、この人たちの言ってる事が正しいんだろうな、と思います。政治的にはあんまり力なさそうだけど。(笑)
http://video.google.com/videoplay?docid=-642469597858991670&;hl=en
http://video.google.com/videoplay?docid=-3254620128315043053&;q=&hl=en
http://video.google.com/videoplay?docid=8486751216888618909&;q=&hl=en
http://video.google.com/videoplay?docid=-8733072493656166413&;q=&hl=en
http://video.google.com/videoplay?docid=4354818942774262279&;q=&hl=en
いつなくなるか分らないし、早く見ておきましょうね。
人生とは良いものだ。
2008年7月12日 ●じぶんの心マップ コメント (1)いや、しかし、不思議な事っていうのはあるもんだなぁって話。
昨日は、担当している商品パンフレットの写真撮影のためにロケに出た日でした。
あまりロケに同行したりはしないのですが、昨日はたまたま。自然の風景と製品とをからめた写真も撮りたいと言う事で山奥の滝がある場所まで出かけて、精神的にかなりリフレッシュできたのでした。
意外に早く撮影が終わったので、事務所に戻った後、一緒に仕事をしているデザイナーさんと「たまには二人で飲みに行くか」という話になって出かけたわけです。
が、実は、30年に近い長い年月、このデザイナーさんとは一緒に仕事をしてるし、事務所も共同で借りていながら、二人で飲みに出かけるのは、ほぼ初めてという珍しさ。いつも他のスタッフと一緒にわいわいと、花見に出かけたり、旅行に行ったりはしてるし、仕事の行き帰りになんだかんだとお茶を飲んだり話し込んだりという事は多かったのだけれど、「飲む」と言うことはなかったわけです。
となると、まず、どこに飲みに行けばいいのか思いつかない。とりあえず事務所の近くをうろちょろ。「入った事はないけど、ここが良いんじゃない?」てな店を見つけて入ったわけです。
で、そうして話してみると、お互いに、意外なところで「ああ、そうだったんですか」という話が、けっこう出てきたわけですね。
このデザイナーさんとは、昔同じ会社に勤めていた時期もあったので、当時の話をちょろちょろっとしてみると、お互いに同じ出来事の別の側面を知っていて「へぇ」ってな事があったり。新たな発見ありまくり。
で、そういう話が出た後で、「あ、そうそう、今日良いものをもらったんだよ。」と言って、そのデザイナーさんがカバンからコピー用紙を一枚取り出したのです。
「なんですか?」と覗いてみると、数年前に二ヶ月に一度定期的に制作していた雑誌広告シリーズがズラリと並んでいたのです。
長々と続いたシリーズだったので、印象深い広告シリーズだったのですが、でも全部がそろってるのを見たことなどなくて、こっちが驚いたくらい。
聞けば、その広告を出してる企業さんの経理の方が、「このシリーズ好きだなぁ」という事で個人的にファイリングしてくださっていたものだったのであります。
「今日、ロケの前に寄ったら、これを見せてくれて、こっちが感激したよ。」と、そのデザイナーさん。いや、僕もうれしいですよ、これは。
「いやー、ありがたいですねぇ。」としみじみと見ていたら、お店の大将が興味津々で覗いてきたのです。
というのも、世界のクルマをテーマにしたシリーズだったので、クルマ好きには目を引く内容だったからなのですね。
で「いいですねぇ」としばらくお店の大将とスタッフの人と4人で雑談。で、また、デザイナーさんと、昔話に戻ったのですが。
ここからが不思議な話で、まぁそういう流れだから昔一緒に勤めていた会社の人たちの話にもなってしまうわけです。で、共通の知り合いの話をしていたら、突然、お店の大将が「え? A社のKさんですか? いや、それ、うちの常連さんですよ。」との一言。
「ええええー!!!」
てなもんです。いや、なんで? あの人の会社、この店からかなり離れてるし。みたいな話になって。でも実は僕は意外にそのKさんが会社とは別の顔で、けっこう飲み歩いたりしてるのは知ってたりしたわけです。「え?Kさんってそういう人だったの? いや知らなかった。なんでシゲ君知ってるの。」って感じでありまして。
いやまぁ、なんでか、そういうプライベートな部分って、私、そこそこは知ってるんですよ。深入りはしないけど。薄く、浅く、広くって感じ。
ともあれ、まぁ、なんちゅう奇遇だ、ということなので、その大将に「今日のことは、Kさんには内緒にしといて。で、今度Kさんが来たら、電話して。偶然のふりして、すぐに来るから。」とサプライズを仕掛けて帰ったのですが。
いやまぁ、なんとも不思議な出来事でした。
で、自宅に帰ってみると、仕事で「良いお仕事をしていただいて、本当に感謝しております」とすごく丁寧なお礼のメールが届いていて、これもまた感激。で、その仕事の内容が実は世界の最先端の仕事だったりして(このあたりの事も実は書きたかったのだけれど、長くなるので割愛。)、しみじみと自分のやってきた事がずーっと積み重なって形になってるのを知らされて、「人生って良いものだなぁ」と感じた日だったのです。
「ありがとう」は「有り難い」であって、「そうそう、有ることじゃないよ。」という意味ですから、まさに本当にありがたい出来事ばかりで。ありがとうございます、です。
いや〜、本当に人生って良いものだなぁと、感じざるを得なかったのでありますが。
まぁ本当に、こんな事もあるんですなぁ。いや、おもしろい。
昨日は、担当している商品パンフレットの写真撮影のためにロケに出た日でした。
あまりロケに同行したりはしないのですが、昨日はたまたま。自然の風景と製品とをからめた写真も撮りたいと言う事で山奥の滝がある場所まで出かけて、精神的にかなりリフレッシュできたのでした。
意外に早く撮影が終わったので、事務所に戻った後、一緒に仕事をしているデザイナーさんと「たまには二人で飲みに行くか」という話になって出かけたわけです。
が、実は、30年に近い長い年月、このデザイナーさんとは一緒に仕事をしてるし、事務所も共同で借りていながら、二人で飲みに出かけるのは、ほぼ初めてという珍しさ。いつも他のスタッフと一緒にわいわいと、花見に出かけたり、旅行に行ったりはしてるし、仕事の行き帰りになんだかんだとお茶を飲んだり話し込んだりという事は多かったのだけれど、「飲む」と言うことはなかったわけです。
となると、まず、どこに飲みに行けばいいのか思いつかない。とりあえず事務所の近くをうろちょろ。「入った事はないけど、ここが良いんじゃない?」てな店を見つけて入ったわけです。
で、そうして話してみると、お互いに、意外なところで「ああ、そうだったんですか」という話が、けっこう出てきたわけですね。
このデザイナーさんとは、昔同じ会社に勤めていた時期もあったので、当時の話をちょろちょろっとしてみると、お互いに同じ出来事の別の側面を知っていて「へぇ」ってな事があったり。新たな発見ありまくり。
で、そういう話が出た後で、「あ、そうそう、今日良いものをもらったんだよ。」と言って、そのデザイナーさんがカバンからコピー用紙を一枚取り出したのです。
「なんですか?」と覗いてみると、数年前に二ヶ月に一度定期的に制作していた雑誌広告シリーズがズラリと並んでいたのです。
長々と続いたシリーズだったので、印象深い広告シリーズだったのですが、でも全部がそろってるのを見たことなどなくて、こっちが驚いたくらい。
聞けば、その広告を出してる企業さんの経理の方が、「このシリーズ好きだなぁ」という事で個人的にファイリングしてくださっていたものだったのであります。
「今日、ロケの前に寄ったら、これを見せてくれて、こっちが感激したよ。」と、そのデザイナーさん。いや、僕もうれしいですよ、これは。
「いやー、ありがたいですねぇ。」としみじみと見ていたら、お店の大将が興味津々で覗いてきたのです。
というのも、世界のクルマをテーマにしたシリーズだったので、クルマ好きには目を引く内容だったからなのですね。
で「いいですねぇ」としばらくお店の大将とスタッフの人と4人で雑談。で、また、デザイナーさんと、昔話に戻ったのですが。
ここからが不思議な話で、まぁそういう流れだから昔一緒に勤めていた会社の人たちの話にもなってしまうわけです。で、共通の知り合いの話をしていたら、突然、お店の大将が「え? A社のKさんですか? いや、それ、うちの常連さんですよ。」との一言。
「ええええー!!!」
てなもんです。いや、なんで? あの人の会社、この店からかなり離れてるし。みたいな話になって。でも実は僕は意外にそのKさんが会社とは別の顔で、けっこう飲み歩いたりしてるのは知ってたりしたわけです。「え?Kさんってそういう人だったの? いや知らなかった。なんでシゲ君知ってるの。」って感じでありまして。
いやまぁ、なんでか、そういうプライベートな部分って、私、そこそこは知ってるんですよ。深入りはしないけど。薄く、浅く、広くって感じ。
ともあれ、まぁ、なんちゅう奇遇だ、ということなので、その大将に「今日のことは、Kさんには内緒にしといて。で、今度Kさんが来たら、電話して。偶然のふりして、すぐに来るから。」とサプライズを仕掛けて帰ったのですが。
いやまぁ、なんとも不思議な出来事でした。
で、自宅に帰ってみると、仕事で「良いお仕事をしていただいて、本当に感謝しております」とすごく丁寧なお礼のメールが届いていて、これもまた感激。で、その仕事の内容が実は世界の最先端の仕事だったりして(このあたりの事も実は書きたかったのだけれど、長くなるので割愛。)、しみじみと自分のやってきた事がずーっと積み重なって形になってるのを知らされて、「人生って良いものだなぁ」と感じた日だったのです。
「ありがとう」は「有り難い」であって、「そうそう、有ることじゃないよ。」という意味ですから、まさに本当にありがたい出来事ばかりで。ありがとうございます、です。
いや〜、本当に人生って良いものだなぁと、感じざるを得なかったのでありますが。
まぁ本当に、こんな事もあるんですなぁ。いや、おもしろい。
いや違う。警官が多すぎるんや!
2008年7月20日コメント (4)この間の14歳少年のバスジャック逮捕。
あれを「うまくいった!」と手放しでよろこんでる記事が出てたが、そうやろか? これ、「異様に警官が多い」という現実を、そのまま表してるだけでないか? 毎日新聞の記事を、そのまま全文引用します。
(引用開始)-----------------------------------
バスジャック:幸運と機転でスピード決着
「おれにも14歳の子どもがいる」。愛知県の東名高速道路で起きた高速バス乗っ取り事件で、県警の捜査員はそう言って山口県宇部市の中学2年の少年(14)を説得した。通報から少年の身柄確保まで約1時間。少年は県警の調べに「最初から乗客を傷つけるつもりはなかった」と供述しているというが、長引けばどんな事態に展開したか分からない難事件は、幾つかの幸運と乗客や捜査員の機転でスピード決着した。
「ナイフを持った若い男がいる」。始まりはJR東海バス(名古屋市)に寄せられた1本の電話だった。
同社の名古屋駅発東京駅行き高速バス「スーパーライナー」号が16日正午に名古屋駅を出発してから約50分後。名古屋インターから東名高速道路に入ったころ、バスに乗り合わせた同社の男性社員(42)が手にナイフを持った少年が運転席に近づくのに気づいた。社員は悟られないように小声で、携帯電話で会社に連絡した。
同じころ、初動捜査を担当する県警機動捜査隊の車両が別事件の捜査でたまたま高速道の名古屋、豊田東、岡崎の各インター付近にいた。さらに偶然にも、県警捜査1課特殊班と機捜隊が高速道近くの同県日進市で誘拐事件を想定した訓練をしていた。
県警には会社からバスの詳細なデータが伝えられ、近くに居合わせて指令を受けた各捜査車両が一斉にバスを追いかけた。
通報から約30分後の午後1時20分ごろ、まず県警高速隊のパトカーがバスを前後に挟み、減速、停止させた。その間に機捜隊や特殊班の覆面パトカーが追いついた。ベテラン捜査員2人が窓越しに少年の説得に当たった。
「東京に行くんだ」と叫ぶ少年。「分かった。ここは邪魔だから移動しよう」
捜査員は近くの(美合みあい)パーキングエリアにバスを誘導。バスの周囲には50台を超える警察車両が集結した。別のベテラン捜査員がバスのドア越しに少年を説得した。
捜査員は「おれにも14歳の子どもがいる」と少年に呼びかけた。少年は「親に見捨てられた」と打ち明けた。「ナイフを置け」。捜査員の説得に応じ、少年は乗員乗客11人を解放した。捜査員らが車内に突入すると、少年は抵抗もしなかった。
県警幹部は「立てこもりの訓練を重ねている捜査員たちがたまたま県内のいい位置にいた。すべてがいいように働いた」と振り返った。【飯田和樹】
(引用終了)-----------------------------------
シゲです。ここで大事なのは、ここだ。
======================
同じころ、初動捜査を担当する県警機動捜査隊の車両が別事件の捜査でたまたま高速道の名古屋、豊田東、岡崎の各インター付近にいた。さらに偶然にも、県警捜査1課特殊班と機捜隊が高速道近くの同県日進市で誘拐事件を想定した訓練をしていた。
======================
良いですか。「たまたま近くにいた」警官が
●名古屋
●豊田東
●岡崎
の各インターにいたんですよ。
しかも! その担当していた事件はほったらかしにして、か、あるいは人員の一部を割いて、この突発的に起きた事件に対処したわけです。どんだけ「余剰人員」を、ひとつの事件に割り当ててるねん!ちゅう話ですがな。
しかも!
人員のムダは、それだけではなくて、
●県警捜査1課特殊班
●機捜隊
という2つもの部署の人間が、近所で「誘拐事件を想定した訓練」をしていたわけですよ。「ふたつの部署の合同訓練」ですよ!通常訓練じゃないんだ。ようするに、いつもの訓練に加えて合同訓練もやってるってことだ。
どんだけ訓練しとんねん。訓練がムダとは言わんが2つの部署って!
それだけの人間がぞろぞろと、「たまたま」出動できるくらいに街の中にいてるって事です。
お前ら、どんだけヒマやねん!
税金の無駄遣いしとったら、しょうちせんぞ!
ちゅう話ですがな。
そら、この間のアキバの事件があった後やから、世間的には「若い人は追いやられていて、怖いからなぁ」という風にしか見ないかも知れませんが、はっきり言って、警官多すぎの方がはるかに問題ですよ。
ムダな税金を取られるから、若いワーキングプア層にお金が回って行かなくなるんやから。
おまえら警官がワーキングプアを作ってる一因やないか。現実問題として。
この記事を書いた飯田和樹くん。君もそういう事を記事にしなさい。多分、ニュースのネタを欲しがる上の人から「警察を批判するような記事は書くな。事件の情報がもらえなくなるから!」と叱られるだけやろうけど。
でも、そんなマスコミなんか、クソである。ちゅうことですな。そこまで考えて記事を書きなさい。いいね、飯田くん。
このあいだも、大阪の街を、夜中の12時くらいに歩いていたら、何の事件かはわからないけど、警官が7〜8人集まってたのですよ。で、何があったのか? と思ってちょっと覗いてたら、目撃者とおぼしき人間の話を総合してみると、ようはただのケンカなわけですよ。それも、どうもそれほど大きなケンカでもない感じ。
そんな事に警官が7〜8人も必要か?
前にも書きましたが、大阪の明るい明るい道路で、平然と「自転車の無灯火チェック」をしてくる警官。あれも、決して一人ではないんですよ。つねに最低二人の組になってるわけです。
そんなに人数が必要か?
14歳のバスジャックにしても、アキバの事件があったから、みんな怖がって警察に即電話、という事になってしまったのだろうけど、ほんの数年前なら、バス内の大人数人で取り押さえた後、こんこんと説教して、現場の大人たちの判断で「まぁ警察に突き出すのは可哀想やからやめといたろ」になったかどうかとか、そういう種類の話ではないのか? と思う。
この記事の最後には、
「バスの周囲には50台を超える警察車両が集結した。」ってなっとるのよ。
数多すぎやろ。
違うか?
多すぎへんか?
違うか?
14歳の子供に、警察車両50台かよ。
それ、税金の無駄遣いでなかったら、いったい何や?
え?
なんか、アキバの事件の後で「おお、いまこそアピールする絶好のチャンス!」と見込んでのパフォーマンスでしかないというのは、見え見えやと思うのやが。
でも、「凶悪犯罪を未然に防ぎました!!!」というような報道にしかなってないのが、マスコミの能力の低下も含めて、私的には、ものすごく不自然で「嫌だなぁ」と思う、今日この頃ではありました。
あれを「うまくいった!」と手放しでよろこんでる記事が出てたが、そうやろか? これ、「異様に警官が多い」という現実を、そのまま表してるだけでないか? 毎日新聞の記事を、そのまま全文引用します。
(引用開始)-----------------------------------
バスジャック:幸運と機転でスピード決着
「おれにも14歳の子どもがいる」。愛知県の東名高速道路で起きた高速バス乗っ取り事件で、県警の捜査員はそう言って山口県宇部市の中学2年の少年(14)を説得した。通報から少年の身柄確保まで約1時間。少年は県警の調べに「最初から乗客を傷つけるつもりはなかった」と供述しているというが、長引けばどんな事態に展開したか分からない難事件は、幾つかの幸運と乗客や捜査員の機転でスピード決着した。
「ナイフを持った若い男がいる」。始まりはJR東海バス(名古屋市)に寄せられた1本の電話だった。
同社の名古屋駅発東京駅行き高速バス「スーパーライナー」号が16日正午に名古屋駅を出発してから約50分後。名古屋インターから東名高速道路に入ったころ、バスに乗り合わせた同社の男性社員(42)が手にナイフを持った少年が運転席に近づくのに気づいた。社員は悟られないように小声で、携帯電話で会社に連絡した。
同じころ、初動捜査を担当する県警機動捜査隊の車両が別事件の捜査でたまたま高速道の名古屋、豊田東、岡崎の各インター付近にいた。さらに偶然にも、県警捜査1課特殊班と機捜隊が高速道近くの同県日進市で誘拐事件を想定した訓練をしていた。
県警には会社からバスの詳細なデータが伝えられ、近くに居合わせて指令を受けた各捜査車両が一斉にバスを追いかけた。
通報から約30分後の午後1時20分ごろ、まず県警高速隊のパトカーがバスを前後に挟み、減速、停止させた。その間に機捜隊や特殊班の覆面パトカーが追いついた。ベテラン捜査員2人が窓越しに少年の説得に当たった。
「東京に行くんだ」と叫ぶ少年。「分かった。ここは邪魔だから移動しよう」
捜査員は近くの(美合みあい)パーキングエリアにバスを誘導。バスの周囲には50台を超える警察車両が集結した。別のベテラン捜査員がバスのドア越しに少年を説得した。
捜査員は「おれにも14歳の子どもがいる」と少年に呼びかけた。少年は「親に見捨てられた」と打ち明けた。「ナイフを置け」。捜査員の説得に応じ、少年は乗員乗客11人を解放した。捜査員らが車内に突入すると、少年は抵抗もしなかった。
県警幹部は「立てこもりの訓練を重ねている捜査員たちがたまたま県内のいい位置にいた。すべてがいいように働いた」と振り返った。【飯田和樹】
(引用終了)-----------------------------------
シゲです。ここで大事なのは、ここだ。
======================
同じころ、初動捜査を担当する県警機動捜査隊の車両が別事件の捜査でたまたま高速道の名古屋、豊田東、岡崎の各インター付近にいた。さらに偶然にも、県警捜査1課特殊班と機捜隊が高速道近くの同県日進市で誘拐事件を想定した訓練をしていた。
======================
良いですか。「たまたま近くにいた」警官が
●名古屋
●豊田東
●岡崎
の各インターにいたんですよ。
しかも! その担当していた事件はほったらかしにして、か、あるいは人員の一部を割いて、この突発的に起きた事件に対処したわけです。どんだけ「余剰人員」を、ひとつの事件に割り当ててるねん!ちゅう話ですがな。
しかも!
人員のムダは、それだけではなくて、
●県警捜査1課特殊班
●機捜隊
という2つもの部署の人間が、近所で「誘拐事件を想定した訓練」をしていたわけですよ。「ふたつの部署の合同訓練」ですよ!通常訓練じゃないんだ。ようするに、いつもの訓練に加えて合同訓練もやってるってことだ。
どんだけ訓練しとんねん。訓練がムダとは言わんが2つの部署って!
それだけの人間がぞろぞろと、「たまたま」出動できるくらいに街の中にいてるって事です。
お前ら、どんだけヒマやねん!
税金の無駄遣いしとったら、しょうちせんぞ!
ちゅう話ですがな。
そら、この間のアキバの事件があった後やから、世間的には「若い人は追いやられていて、怖いからなぁ」という風にしか見ないかも知れませんが、はっきり言って、警官多すぎの方がはるかに問題ですよ。
ムダな税金を取られるから、若いワーキングプア層にお金が回って行かなくなるんやから。
おまえら警官がワーキングプアを作ってる一因やないか。現実問題として。
この記事を書いた飯田和樹くん。君もそういう事を記事にしなさい。多分、ニュースのネタを欲しがる上の人から「警察を批判するような記事は書くな。事件の情報がもらえなくなるから!」と叱られるだけやろうけど。
でも、そんなマスコミなんか、クソである。ちゅうことですな。そこまで考えて記事を書きなさい。いいね、飯田くん。
このあいだも、大阪の街を、夜中の12時くらいに歩いていたら、何の事件かはわからないけど、警官が7〜8人集まってたのですよ。で、何があったのか? と思ってちょっと覗いてたら、目撃者とおぼしき人間の話を総合してみると、ようはただのケンカなわけですよ。それも、どうもそれほど大きなケンカでもない感じ。
そんな事に警官が7〜8人も必要か?
前にも書きましたが、大阪の明るい明るい道路で、平然と「自転車の無灯火チェック」をしてくる警官。あれも、決して一人ではないんですよ。つねに最低二人の組になってるわけです。
そんなに人数が必要か?
14歳のバスジャックにしても、アキバの事件があったから、みんな怖がって警察に即電話、という事になってしまったのだろうけど、ほんの数年前なら、バス内の大人数人で取り押さえた後、こんこんと説教して、現場の大人たちの判断で「まぁ警察に突き出すのは可哀想やからやめといたろ」になったかどうかとか、そういう種類の話ではないのか? と思う。
この記事の最後には、
「バスの周囲には50台を超える警察車両が集結した。」ってなっとるのよ。
数多すぎやろ。
違うか?
多すぎへんか?
違うか?
14歳の子供に、警察車両50台かよ。
それ、税金の無駄遣いでなかったら、いったい何や?
え?
なんか、アキバの事件の後で「おお、いまこそアピールする絶好のチャンス!」と見込んでのパフォーマンスでしかないというのは、見え見えやと思うのやが。
でも、「凶悪犯罪を未然に防ぎました!!!」というような報道にしかなってないのが、マスコミの能力の低下も含めて、私的には、ものすごく不自然で「嫌だなぁ」と思う、今日この頃ではありました。
今月は、先月読んだ本をまとめるのが、無茶苦茶に遅くなってしまいました。読んだのは以下の10冊。順番は特にありません。内容の似たものを、まとめて紹介します。
(1)誰でも天才になれる科学的な勉強法
(2)なぜ日本人は学ばなくなったのか
(3)大人の英語教室
(4)寝る前30分を変えなさい
(5)朝ノートの魔法
(6)朝日記の奇跡
(7)仕事ができる人は何故筋トレをするのか
(8)レバレッジ人脈術
(9)宇宙に上手にお願いする方法
(10)宇宙にもっと上手にお願いする方法
[勉強関連]--------------------
●誰でも天才になれる科学的な勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4844062034/249-9767057-8485143
学習する方法というのを考えるのに、ぜひ読んでおくべきだ! と思ったのが、この本。脳学者(とでも言うのか?)で人気の池谷裕二さんの著書。この人の本は何冊か読んでますが、この本がベストでしょうね。「進化した脳」とか「海馬」とか、あんまり面白くなかった。
この本には具体的に「どういう勉強の仕方が、もっとも効率的か」ということがわかりやすく書いてあるのがいいです。
まぁ、ひたすら復習なんですけどね。
高校生向けに書かれているし、受験生には必読。親も読んだ方が良いでしょう。
95頁しかない薄さで、たった715円なのだから、アマゾンで取り寄せても読むべき本でしょう。日本人全員必読の書、という事にしてもまぁ良いです。
この本も勝間和代さんのお勧め本なんだよなぁ。さすがに勝間さん、大事な本はキチンと押えている。
●なぜ日本人は学ばなくなったのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879433/249-9767057-8485143
これは前に感想を書きましたが、またあらためて。齋藤さんの本はどれも好き。
●大人の英語教室
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4413009428/249-9767057-8485143
この本は英語の文法を学ぶための副読本というような本です。たった500円ですが、僕としては、ものすごく学ぶところの多い本でしたね。
ただ、中学英語の基礎的な英文法をキチンとやってないと、この本だけ読んでも、よけいこんがらがるだけかも知れません。
前に「現在完了ってネーミングが間違ってるよなぁ」と言う話を書きましたが、
http://diarynote.jp/d/12917/20071101.html
この本の著者の鬼塚 幹彦さんは、まさにそういう事をよくわかってる人で「文法は、英語を理解するための道具にしかすぎないのだから、あるものを上手に使えば良いのです。世間に流通している言葉があるなら、それを使った方が簡単。道具と割り切りましょう。」というような趣旨の事を書かれていて。「そりゃそうだ」と深く納得しました。
とまぁようするに、そういう初学者が気になる点や、ひっかかってしまうような事をポイントを押えて書かれていて、実に有り難かったのです。
中学英語の文法を一通り復習した後に、この本を読むと、すごく良いと思います。
[朝・早起き関連]-------------------------
●寝る前30分を変えなさい
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4584130744/249-9767057-8485143
●朝ノートの魔法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4562041420/503-1393334-5299133
●朝日記の奇跡
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4820716484/503-1393334-5299133
最近、朝にキチンと起きようと努力してまして、なんとか6時台には安定して起きれるようになってきたので、「朝の時間の活用法」の本を集中して読んでおるのであります。どの本も、まぁまぁ面白かったです。
読んだら実践する。
それが大事ですわね。
[その他]---------------------------------
●仕事ができる人は何故筋トレをするのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980867/503-1393334-5299133
という事で分類に入らない本です。筋トレをやりましょう! という啓蒙書ですね。一時期筋トレはけっこうやってたんですが、半年ほどブランクが空いてしまったので、とりあえず腕立て伏せから、またやりなおす事にしました。筋トレは家の中でいつでも出来るのが良いですね。
●レバレッジ人脈術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478002754/503-1393334-5299133
これは、例の如くレバレッジシリーズの本田直之さんの本。
えー、いろいろ面白いですが、とりたてて紹介するような内容があったわけでもないでしょう。実に面白い考え方をいくつも提案されてますので、「人脈」というものに興味を持たれている方はぜひ。
●宇宙に上手にお願いする方法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763197371/503-1393334-5299133
●宇宙にもっと上手にお願いする方法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763198106/503-1393334-5299133
えー、例のごとく、「引き寄せの法則」みたいな話の本です。正編と続編ってところ。
僕は個人的に、この手の本が好きなんですけど、まぁ、趣味みたいなもんですね。面白い本ですが、超強力にプッシュするほどの本でもないかなぁ。
今月はこんなところでした。
(1)誰でも天才になれる科学的な勉強法
(2)なぜ日本人は学ばなくなったのか
(3)大人の英語教室
(4)寝る前30分を変えなさい
(5)朝ノートの魔法
(6)朝日記の奇跡
(7)仕事ができる人は何故筋トレをするのか
(8)レバレッジ人脈術
(9)宇宙に上手にお願いする方法
(10)宇宙にもっと上手にお願いする方法
[勉強関連]--------------------
●誰でも天才になれる科学的な勉強法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4844062034/249-9767057-8485143
学習する方法というのを考えるのに、ぜひ読んでおくべきだ! と思ったのが、この本。脳学者(とでも言うのか?)で人気の池谷裕二さんの著書。この人の本は何冊か読んでますが、この本がベストでしょうね。「進化した脳」とか「海馬」とか、あんまり面白くなかった。
この本には具体的に「どういう勉強の仕方が、もっとも効率的か」ということがわかりやすく書いてあるのがいいです。
まぁ、ひたすら復習なんですけどね。
高校生向けに書かれているし、受験生には必読。親も読んだ方が良いでしょう。
95頁しかない薄さで、たった715円なのだから、アマゾンで取り寄せても読むべき本でしょう。日本人全員必読の書、という事にしてもまぁ良いです。
この本も勝間和代さんのお勧め本なんだよなぁ。さすがに勝間さん、大事な本はキチンと押えている。
●なぜ日本人は学ばなくなったのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062879433/249-9767057-8485143
これは前に感想を書きましたが、またあらためて。齋藤さんの本はどれも好き。
●大人の英語教室
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4413009428/249-9767057-8485143
この本は英語の文法を学ぶための副読本というような本です。たった500円ですが、僕としては、ものすごく学ぶところの多い本でしたね。
ただ、中学英語の基礎的な英文法をキチンとやってないと、この本だけ読んでも、よけいこんがらがるだけかも知れません。
前に「現在完了ってネーミングが間違ってるよなぁ」と言う話を書きましたが、
http://diarynote.jp/d/12917/20071101.html
この本の著者の鬼塚 幹彦さんは、まさにそういう事をよくわかってる人で「文法は、英語を理解するための道具にしかすぎないのだから、あるものを上手に使えば良いのです。世間に流通している言葉があるなら、それを使った方が簡単。道具と割り切りましょう。」というような趣旨の事を書かれていて。「そりゃそうだ」と深く納得しました。
とまぁようするに、そういう初学者が気になる点や、ひっかかってしまうような事をポイントを押えて書かれていて、実に有り難かったのです。
中学英語の文法を一通り復習した後に、この本を読むと、すごく良いと思います。
[朝・早起き関連]-------------------------
●寝る前30分を変えなさい
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4584130744/249-9767057-8485143
●朝ノートの魔法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4562041420/503-1393334-5299133
●朝日記の奇跡
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4820716484/503-1393334-5299133
最近、朝にキチンと起きようと努力してまして、なんとか6時台には安定して起きれるようになってきたので、「朝の時間の活用法」の本を集中して読んでおるのであります。どの本も、まぁまぁ面白かったです。
読んだら実践する。
それが大事ですわね。
[その他]---------------------------------
●仕事ができる人は何故筋トレをするのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980867/503-1393334-5299133
という事で分類に入らない本です。筋トレをやりましょう! という啓蒙書ですね。一時期筋トレはけっこうやってたんですが、半年ほどブランクが空いてしまったので、とりあえず腕立て伏せから、またやりなおす事にしました。筋トレは家の中でいつでも出来るのが良いですね。
●レバレッジ人脈術
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4478002754/503-1393334-5299133
これは、例の如くレバレッジシリーズの本田直之さんの本。
えー、いろいろ面白いですが、とりたてて紹介するような内容があったわけでもないでしょう。実に面白い考え方をいくつも提案されてますので、「人脈」というものに興味を持たれている方はぜひ。
●宇宙に上手にお願いする方法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763197371/503-1393334-5299133
●宇宙にもっと上手にお願いする方法
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4763198106/503-1393334-5299133
えー、例のごとく、「引き寄せの法則」みたいな話の本です。正編と続編ってところ。
僕は個人的に、この手の本が好きなんですけど、まぁ、趣味みたいなもんですね。面白い本ですが、超強力にプッシュするほどの本でもないかなぁ。
今月はこんなところでした。
エコほど怪しい主張はない。
2008年7月29日
偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書 (た-5-1))
By 武田 邦彦
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980808/503-1393334-5299133
いやー、もうね、みなさん、この本はぜひとも読んでください。
アホらしいてエコなんてやってられませんわ、ちゅう話ですから。
著者は「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の武田邦彦さん。「なぜウソが」より、こっちの本の方が、いろいろな問題が整理して書かれているので分りやすいし、納得もしやすいです。
本の構成としては、
(1)世に言われる「環境に良い」とする行動
→検証:良いか悪いかの判定
(2)その細目解説
という構造になっていまして、
●レジ袋を使わない→ただのエゴ
●割り箸を使わずマイ箸を持つ→ただのエゴ
●ペットボトルより水道水を飲む→悩ましい
●ハウス野菜・養殖魚を買わない→ただのエゴ
●石油をやめバイオエタノールに→ただのエゴ
●温暖化はCO2削減努力で防げる→防げない
●冷房28℃の設定で温暖化防止→意味なし
●温暖化で世界は水浸しになる→ならない
●ダイオキシンは有害だ→危なくない
●狂牛病は恐ろしい→危なくない
●生ゴミを堆肥にする→危ない
●プラスチックをリサイクル→危ない
●洗剤より石鹸をつかう→よくない
●無毒・無菌が安全→危ない
●古紙のリサイクル→よくない
●牛乳パックのリサイクル→意味なし
●ペットボトルのリサイクル→よくない
●アルミ缶のリサイクル→地球に優しい
●空き瓶のリサイクル→よくない
●食品トレイのリサイクル→よくない
●ゴミの分別→意味なし
と、これだけの項目を検証した上でダメの判定を出してます。
まえに、「バカの壁」がダメダメの本だという話を書きましたが、あの本の中で養老孟司氏は「官僚が科学的検証もせずに温暖化対策のためにCO2削減と言うのはおかしい。まず、科学的に確かめてから動け」みたいな事を言ってたんですよね。で、僕はそれを読んで「アホか、こいつは。それを科学的な数値で『それは間違っている』と判定するのが科学者の役目やんけ。そういう事を言いたいなら自分で数字や論文を出せ。官僚は政治的に決定したことしか出けへんのや。そういう役割違いの事を言うな。」と思ったわけです。
でも、この武田邦彦さんは違いますね。ちゃんと自分で数字を調べてきて、「これがこの数字で、こういう分布になるのだから、意味はない。」という事をキチンとやってます。これこそ科学者です。自分のやるべき事をやっている。正しい。そういう意味で、まず大きなところで信用できる人です。
ただまぁ、ちょっと個人的主張も入ってる感じはありますけどね。でもおおむね正しい。
それと、環境問題に関しては「地球の温暖化は悪いことではない」とする派の人もいますが、武田邦彦さんは、そこのところまではあんまり調べてない感じですなぁ。「温暖化するのはよろしくないが」という立場に立っておられる。
あと、その主張自体が本当に正当なのかどうかが不明なIPCC(気候変動に関する政府間パネル:Intergovernmental Panel on Climate Change) も無条件に信用してる節がありますね、武田邦彦さんは。でもまぁ、そのあたりは小さな問題か。
武田邦彦さんは、どうやらもともとの専門分野が資源材料工学でありますから、レジ袋の削減に関する記述なんか、もう実に見事です。
引用すると長くなるので、要約しますと、もともと石油はそのままの成分で燃やして活用していたと。で、それでは煙もすごいからと成分を分けて使うようになったと。で、省いた素材は焼却処分していたのだそうです。
しかし、それがムダだから、何か活用方法はないのか? という事で、あのレジ袋が生まれたんだそうです。だから発電したり、プラスチック製品を作ったり、車を走らせてる限りは必然的にその「余り」が出るわけですから、上手に活用すれば良い、という事にしかならないわけです。
つまり豆腐とオカラの関係なわけですから、豆腐の消費量を減らさなければ、オカラの削減はできまへんって事なわけです。
それをどういうことか、どこでも「レジ袋不要運動」とかやって環境に良いとか言ってるわけですな。ものすごく無意味です。いくらレジ袋を使うのをやめても、石油活用の程度が変わらないのなら、同じだけの「あまり」が出ますからな。
で、結局、モノを買うという事は、必然的に「捨てる」と言うこともするわけで、レジ袋は家庭内のゴミ箱用ゴミ袋、ゴミ出し用ゴミ袋として活用されます。必要なものは必要だから、結局それはお金を出して買うわけで、得をするのはスーパーだけです。いままで無料で配ってた袋を有料で売り、しかもエコバッグとかいうおかしなものまで売りつけられる。ものすごく得です。実にあほくさい。
しかも!ですよ。焼却する際に高温で焼かないと一酸化炭素とか良くないガスが出るわけですが、そのためには水分を含んだ生ゴミを燃やすのは効率悪いわけです。そう言うときに、レジ袋にくるまっていたらより効率的に燃えるのですな。
いまは、高性能焼却炉の技術がすごく発達していて、家庭用のゴミを全部まとめて焼却しても、
●二酸化炭素と水の気体
●灰(飛び灰:水銀・鉛・カドミウム・ヒ素)
●スラグ(土の成分)
●メタル(銅・鉄など)
の4つの成分にキチンと分かれるそうです。
下手なリサイクルとかをするより、こうした廃棄物は燃やした方が管理も的確で安全だそうです。家庭用生ゴミをリサイクルして、堆肥にして、変な毒性の物質がたくさん土壌に蓄積する方が怖い、家電リサイクルもその法の隙間をついて、中古品が処分能力もない海外に流れてしまっては、そっちの方が問題と武田邦彦さんはおっしゃる。
こういう法規制というのは、官僚が「政治(一般大衆の支持)」で決めてるところが大きくて、ダイオキシンだって、別にさほど危ないわけでもないのに「危険をあおる」のが好きなマスコミが騒いだせいで規制する法律が出来てしまったという事な訳です。
まぁ、そういう規制があると、それで企業も儲かる部分がありますからなぁ。持ちつ持たれつって事になるのかも知れませんが。
ともあれ、前から僕が書いてたように、「環境問題は政治問題」であるという事を、科学者の立場から「それはおかしい」と明確にしてくれている、という点で、この本は実によろしいのであります。
世間で「常識」が生まれてる時に、「ちょっと待て。そんなおかしな『常識』はなかろう」と警告を出すのは素晴らしいと思います。人間って回りに流されやすいですからね。
この本、後半数十頁は、武田邦彦さんの、地球規模を見据えた哲学というか考え方をまとめた論文というかエッセイになっていて、その一節に、
●心が満足していれば、物を買わなくても、充実した毎日が送れる。
という結論が書いてあって、「ああ、素晴らしい!」と思うのでありますよ。
これは、なかなかに良いから、ちょっと引用しましょう。
(引用開始)-------------------------------------------
「ところで、先生は結局どうしたらよいと思いますか?」と、環境の講演をするとよく聞かれます。そんなとき、私は、
「好きな人がいれば、1杯のコーヒーでも夢のような2時間を過ごすことができる。もし好きな人がいなければ、電気街に行ってパソコンを山ほど買い、一人で家にこもるしかない。」
と答える事にしています。
要は、心が満足すれば人間はそれほど多くの物を必要としませんが、心が貧弱であれば何とかして心の隙間を物で埋めようとします。物が増えるというのは、(略)現代社会が人間的ではなく、生きがいを見つけにくく、心が満足しないことが原因していると私は感じています。
(中略)
リユースする、リサイクルするというのは、目の前にある物が気になって仕方ないからです。新しい物を買いたい、でも何となく環境も気になる、それならリサイクルをすると言えば、心が軽くなるから新しい物を買うことができる…そういう心の動きになるのです。
(引用終了)-------------------------------------------
という話。
まさにこれだなぁって思うのです。物を買うから捨てなければならなくなるわけです。できるだけ買わないようにすればいいんです。
前に携帯の電池が悪くなって買い換えたんですが、そういう時って前の古い携帯はそのまま手元に残るんですよね。「キカイ」として、「モノ」としては手元に残る。
これが私は、なかなか捨てられない人でねぇ。だから、できるだけ新しいキカイは買わないように、買わないようにしてるんです。テレビだっていまだにブラウン管式の小さなものしか持ってません。それで充分だし。十分だよテレビなんか。アホと貧乏人が見る道具でしかないって思ってるし。(賢い使い方・見方はあるんでしょうけど。)
そんなこんなを考えると、日本人の6割がアダルトチルドレンだとか言われてるし、みんな「モノ依存」してるのかもなぁ、とかも思います。
エコを言う前に、まずモノを買わない。で、モノを買う前に自分の心をキチンと覗く。そして、まず「自分」を大切にして、精神的満足感を得る。これが大事でしょうねぇ。本当にそう思いますですよ。
ま、そういう事まで考えさせられる良書でありました。おすすめです。
By 武田 邦彦
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980808/503-1393334-5299133
いやー、もうね、みなさん、この本はぜひとも読んでください。
アホらしいてエコなんてやってられませんわ、ちゅう話ですから。
著者は「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の武田邦彦さん。「なぜウソが」より、こっちの本の方が、いろいろな問題が整理して書かれているので分りやすいし、納得もしやすいです。
本の構成としては、
(1)世に言われる「環境に良い」とする行動
→検証:良いか悪いかの判定
(2)その細目解説
という構造になっていまして、
●レジ袋を使わない→ただのエゴ
●割り箸を使わずマイ箸を持つ→ただのエゴ
●ペットボトルより水道水を飲む→悩ましい
●ハウス野菜・養殖魚を買わない→ただのエゴ
●石油をやめバイオエタノールに→ただのエゴ
●温暖化はCO2削減努力で防げる→防げない
●冷房28℃の設定で温暖化防止→意味なし
●温暖化で世界は水浸しになる→ならない
●ダイオキシンは有害だ→危なくない
●狂牛病は恐ろしい→危なくない
●生ゴミを堆肥にする→危ない
●プラスチックをリサイクル→危ない
●洗剤より石鹸をつかう→よくない
●無毒・無菌が安全→危ない
●古紙のリサイクル→よくない
●牛乳パックのリサイクル→意味なし
●ペットボトルのリサイクル→よくない
●アルミ缶のリサイクル→地球に優しい
●空き瓶のリサイクル→よくない
●食品トレイのリサイクル→よくない
●ゴミの分別→意味なし
と、これだけの項目を検証した上でダメの判定を出してます。
まえに、「バカの壁」がダメダメの本だという話を書きましたが、あの本の中で養老孟司氏は「官僚が科学的検証もせずに温暖化対策のためにCO2削減と言うのはおかしい。まず、科学的に確かめてから動け」みたいな事を言ってたんですよね。で、僕はそれを読んで「アホか、こいつは。それを科学的な数値で『それは間違っている』と判定するのが科学者の役目やんけ。そういう事を言いたいなら自分で数字や論文を出せ。官僚は政治的に決定したことしか出けへんのや。そういう役割違いの事を言うな。」と思ったわけです。
でも、この武田邦彦さんは違いますね。ちゃんと自分で数字を調べてきて、「これがこの数字で、こういう分布になるのだから、意味はない。」という事をキチンとやってます。これこそ科学者です。自分のやるべき事をやっている。正しい。そういう意味で、まず大きなところで信用できる人です。
ただまぁ、ちょっと個人的主張も入ってる感じはありますけどね。でもおおむね正しい。
それと、環境問題に関しては「地球の温暖化は悪いことではない」とする派の人もいますが、武田邦彦さんは、そこのところまではあんまり調べてない感じですなぁ。「温暖化するのはよろしくないが」という立場に立っておられる。
あと、その主張自体が本当に正当なのかどうかが不明なIPCC(気候変動に関する政府間パネル:Intergovernmental Panel on Climate Change) も無条件に信用してる節がありますね、武田邦彦さんは。でもまぁ、そのあたりは小さな問題か。
武田邦彦さんは、どうやらもともとの専門分野が資源材料工学でありますから、レジ袋の削減に関する記述なんか、もう実に見事です。
引用すると長くなるので、要約しますと、もともと石油はそのままの成分で燃やして活用していたと。で、それでは煙もすごいからと成分を分けて使うようになったと。で、省いた素材は焼却処分していたのだそうです。
しかし、それがムダだから、何か活用方法はないのか? という事で、あのレジ袋が生まれたんだそうです。だから発電したり、プラスチック製品を作ったり、車を走らせてる限りは必然的にその「余り」が出るわけですから、上手に活用すれば良い、という事にしかならないわけです。
つまり豆腐とオカラの関係なわけですから、豆腐の消費量を減らさなければ、オカラの削減はできまへんって事なわけです。
それをどういうことか、どこでも「レジ袋不要運動」とかやって環境に良いとか言ってるわけですな。ものすごく無意味です。いくらレジ袋を使うのをやめても、石油活用の程度が変わらないのなら、同じだけの「あまり」が出ますからな。
で、結局、モノを買うという事は、必然的に「捨てる」と言うこともするわけで、レジ袋は家庭内のゴミ箱用ゴミ袋、ゴミ出し用ゴミ袋として活用されます。必要なものは必要だから、結局それはお金を出して買うわけで、得をするのはスーパーだけです。いままで無料で配ってた袋を有料で売り、しかもエコバッグとかいうおかしなものまで売りつけられる。ものすごく得です。実にあほくさい。
しかも!ですよ。焼却する際に高温で焼かないと一酸化炭素とか良くないガスが出るわけですが、そのためには水分を含んだ生ゴミを燃やすのは効率悪いわけです。そう言うときに、レジ袋にくるまっていたらより効率的に燃えるのですな。
いまは、高性能焼却炉の技術がすごく発達していて、家庭用のゴミを全部まとめて焼却しても、
●二酸化炭素と水の気体
●灰(飛び灰:水銀・鉛・カドミウム・ヒ素)
●スラグ(土の成分)
●メタル(銅・鉄など)
の4つの成分にキチンと分かれるそうです。
下手なリサイクルとかをするより、こうした廃棄物は燃やした方が管理も的確で安全だそうです。家庭用生ゴミをリサイクルして、堆肥にして、変な毒性の物質がたくさん土壌に蓄積する方が怖い、家電リサイクルもその法の隙間をついて、中古品が処分能力もない海外に流れてしまっては、そっちの方が問題と武田邦彦さんはおっしゃる。
こういう法規制というのは、官僚が「政治(一般大衆の支持)」で決めてるところが大きくて、ダイオキシンだって、別にさほど危ないわけでもないのに「危険をあおる」のが好きなマスコミが騒いだせいで規制する法律が出来てしまったという事な訳です。
まぁ、そういう規制があると、それで企業も儲かる部分がありますからなぁ。持ちつ持たれつって事になるのかも知れませんが。
ともあれ、前から僕が書いてたように、「環境問題は政治問題」であるという事を、科学者の立場から「それはおかしい」と明確にしてくれている、という点で、この本は実によろしいのであります。
世間で「常識」が生まれてる時に、「ちょっと待て。そんなおかしな『常識』はなかろう」と警告を出すのは素晴らしいと思います。人間って回りに流されやすいですからね。
この本、後半数十頁は、武田邦彦さんの、地球規模を見据えた哲学というか考え方をまとめた論文というかエッセイになっていて、その一節に、
●心が満足していれば、物を買わなくても、充実した毎日が送れる。
という結論が書いてあって、「ああ、素晴らしい!」と思うのでありますよ。
これは、なかなかに良いから、ちょっと引用しましょう。
(引用開始)-------------------------------------------
「ところで、先生は結局どうしたらよいと思いますか?」と、環境の講演をするとよく聞かれます。そんなとき、私は、
「好きな人がいれば、1杯のコーヒーでも夢のような2時間を過ごすことができる。もし好きな人がいなければ、電気街に行ってパソコンを山ほど買い、一人で家にこもるしかない。」
と答える事にしています。
要は、心が満足すれば人間はそれほど多くの物を必要としませんが、心が貧弱であれば何とかして心の隙間を物で埋めようとします。物が増えるというのは、(略)現代社会が人間的ではなく、生きがいを見つけにくく、心が満足しないことが原因していると私は感じています。
(中略)
リユースする、リサイクルするというのは、目の前にある物が気になって仕方ないからです。新しい物を買いたい、でも何となく環境も気になる、それならリサイクルをすると言えば、心が軽くなるから新しい物を買うことができる…そういう心の動きになるのです。
(引用終了)-------------------------------------------
という話。
まさにこれだなぁって思うのです。物を買うから捨てなければならなくなるわけです。できるだけ買わないようにすればいいんです。
前に携帯の電池が悪くなって買い換えたんですが、そういう時って前の古い携帯はそのまま手元に残るんですよね。「キカイ」として、「モノ」としては手元に残る。
これが私は、なかなか捨てられない人でねぇ。だから、できるだけ新しいキカイは買わないように、買わないようにしてるんです。テレビだっていまだにブラウン管式の小さなものしか持ってません。それで充分だし。十分だよテレビなんか。アホと貧乏人が見る道具でしかないって思ってるし。(賢い使い方・見方はあるんでしょうけど。)
そんなこんなを考えると、日本人の6割がアダルトチルドレンだとか言われてるし、みんな「モノ依存」してるのかもなぁ、とかも思います。
エコを言う前に、まずモノを買わない。で、モノを買う前に自分の心をキチンと覗く。そして、まず「自分」を大切にして、精神的満足感を得る。これが大事でしょうねぇ。本当にそう思いますですよ。
ま、そういう事まで考えさせられる良書でありました。おすすめです。