ADSLへの道(1)

2001年5月21日
ということで、巨段新連載である。

常時接続、高速アクセスを実現してくれる、ADSL。それに向けて、この私シゲが、いかに悩み、困惑しながら、環境を整えていくのか?

その過程をドキュメンタリータッチでリアルにお届けする、新バーチャル体験PC学習マンガ日記である。

とまぁ、けっこう大変な意気込みで、いろいろ調べてADSLにしようと思ってたんだけどさぁ。

意外にというか、なんか実にあっさりつながっちまったんだよ。

でね、この日は、申し込んだイーアクセスからADSLモデムが届いた日なんだよん。11日に申し込んだから、10日。間に日曜日とかあるから、正味一週間しかかからなかったのだ。びっくり。

間にNTTの適合試験があるとかなんとかで最低でも2週間かかると言われてたのにさぁ。

実際に申し込んでみたら、プロバイダに登録してあったクレジットカードの申し込み日付が古くなってたのを再登録してくれとか、そんなようなことまでやってたのに、実質は1週間ちょいでした。

で、この日記書いてるのは24日の朝ですが、稼動は24日からと言われてたのに、NTTからは23日につながったと連絡が入って、実は23日からADSLになっちゃったんですねぇ、事務所の方の環境が。

うーん。契約して接続ってのもラク。なおかつ簡単で短期間納品。これってなかなかすごいんと違いますか?

通信速度とかなんとかよりも、インターネットでの申し込みとメールによる各種手続き確認の手軽さと、接続までの短期性に感心した。

ほとんど通販での衝動買いに近いですよ、これ。

ということで、ADSLへの道第一回はこれにて終了。

第二回があるかどうかは不明なので、よろしく。

では。

ADSLへの道(2)

2001年5月22日
(2)があるかどうかわからんといいながら(2)である。

で、(2)と書いておきながら、実は話しは前後して、(1)より時間的には前に戻る。

だいたい、マンションに引っ越して「インターネットマンション」であったのがすべてのきっかけなのである。

常時接続だ。気持ちいい。

たんにそれだけのことだったのである。
「おお、いくらつないでいてもかまわんやんけ、楽しい楽しい」程度だったのだ。

しか〜し。1度快楽を覚えた体は、そうそう昔の環境に戻ろうとはしないのである。

いちばんの問題は事務所だったのよねぇ。仕事場。

だいたい、仕事場の方が常時接続が欲しいわけですよ。調べ物したり、なんだかんだ。パソコンが古かろうとなんであろうと、インターネットの接続だけは、とにかく良い環境の方がいいくらいなのだ。

なのに、自宅の方が環境良くなっちゃったのよ。
この春から。

さぁ、そうすると、自宅でばっかし仕事がしたくなる。それはイカンわけですよ。全然意味ない。仕事場だって引っ越したばっかしだし。

それに自宅が常時接続とかだと、仕事以外の情報ばっかり見ちゃう。それこそ、この日記とか。

「これはイカン。仕事場も常時接続にせねば・・・」

というのが切実なる必然性になってきたのですよ。
とにかく仕事場も常時接続にしないと、これは大変なことになりますよ、って感じだった。

だいたいもう、いちいちダイアルアップで接続するのが、うっとおしくてしょうがないのであります。

しかも、電話代がかかるわけですよねぇ?
そんなところに金なんてかけたくないんだよ〜とか思った。

そんなこんなを考えると、結局事務所ではADSLくらいしかないんじゃないか? ということになっていったわけですわ。

ということで、(3)に続く。って、これもまたあるやないや、わかりません。ネタに困ったら書きます。今日は他にネタがありませんでした。はい。

では。


ADSLへの道(3)

2001年5月23日
ということで、ADSLへの道、その3回目。
たぶん今回で終わり。

でね、自宅が常時接続だから、事務所も常時接続にしたと。

それはいいの。

でも、速いのよ。ADSLは。
自宅の常時接続と違って、高速の常時接続なんだなぁ、これが。

うーん。いかん。
こんなものに一度慣れてしまったら、二度と元には戻れないぞ。ということです。

なので、ADSLを自宅にも入れてしまうかも知れない。あーもったいねぇ。

でも、プロバイダが同じで、アドレスもいっしょで、自宅でも事務所でも同じ環境でADSLしたいって場合に、何か優遇策はねぇのか? 安くしてくれい! とは思う。

知ってる人教えて!!!

あと、いろいろ調べてみると、私が入ったイーアクセスは、ADSL各社の中では比較的遅いほうなのよね。やっぱり速いのは東京めたりっく。でも大阪ではまだまだサービス地域が整ってないし、僕が入ってるプロバイダが対応してなかったのだから、これはしゃーない。

ということで、この春から「常時接続」「高速アクセス」と両方を一気に体験してきて思ったことを少しまとめます。

●常時接続

これは家庭用には必須だと思った。誰もわざわざ、電話かけてまでインターネットなんかしねーよ!ということ。逆に、常時接続で、なおかつたとえばセットトップボックスなんかを使えばTVに表示とかもできるなら、実用性はグーンと上がる。

天気予報、新聞、最寄駅の時刻表など、意外に便利な使い方がけっこうある。あと、各種のASPサービス、たとえばデジカメ写真をあずかってくれるサービスなんかも、常時接続でTVで見られれば、これはけっこう便利。

で、そういうASPサービスで一番重要なインターフェースになりそうだなぁと思ったのが、意外にもカレンダーですな。ひと月をブロックで表示するブロックタイプのカレンダーにいろいろと書き込みとか表示ができるというのが良いと思う。これなら、使い方がよくわからん人にもわかりやすいはず。

●高速アクセス

これはひたすら動画が面白いなぁ。CM画像を見せてくれるホームページのリンク集とか、スターの記者会見とか、動画ニュースとか、見まくっちゃった。

あと、やっぱり検索が全然楽しい。常時接続+高速アクセスだと、それこそ、百科事典のクロスリファレンスをどんどこやってくのと同じになってしまう。仕事場では、これは必須になりそう。原稿書いてても、資料が見当たらなけりゃ、インターネットでチョロチョロっと検索すれば出てきちゃう。

どえりゃー時代になり申したのぉと、思わざるを得ないのであります。はい。

で、徹夜明け。

あまり体調がすぐれない。
で、このあと怒涛の「病院入院体験記」になるんですが、それは、26日の日記からにしましょう。

ともかく、この日は1日ずーっと寝てたなぁ。うむ。しんどかったのよ。やっぱし。

ま、てなことで。


怒涛の入院体験記(1)

2001年5月26日
25日の金曜日、明け方近く。仕事を終えて、帰宅する。

どうも体調がすぐれず、とくに腹具合がよろしくない。なのでとりあえずトレイに入ると、便がやたらと黒い。「うぬ?どこかでヘンなものでも食ったか?」と思ったが、とにかく、風呂に入りたくてたまらず、風呂に入る。

しかし、風呂に入ると頭がクラクラしていけない。なんだこれは?

ちょっとヤバイと思ったので、とにかく横になって家庭の医学の書を読む。

便が黒い。どうもこれは下血だ。下痢便なのはどうやら流行りの風邪らしい。あたまがフラフラするのは風邪のせいだな。では下血はどこからだ?

読むと黒い色は距離があるからだと言う。ということは、胃か? でも、固い便も多少は出たが縦長に2色に割れたように色がついていた。ということは腸で血が出とる。

黒い下血で腸となると、十二指腸か。ということは、十二指腸潰瘍だなと見当をつけ、手当てなど読むとストレス性となっているからゆっくりするだけ。
うーむと考えて、とりあえず寝ることにする。とにかく寝てなかったのだからそれでしんどいってのもあったのだ。

で、1日まるまる寝倒す。連続13時間くらい寝る。下痢もしてるから、食べる気にもならず、スープを飲む程度にしていた。

そんでもって土曜日の夜中1時に目がさめるが、まだ本調子にならない。とりあえず横になっているが腹具合も落ち着かない。

8時ごろになって便意を催したのでトイレに入る。下痢のときはできるだけ便意をこらえた方が良いので昨日の朝以来のトイレ。

また、タールのように黒い便だった。なんじゃこりゃ。と松田優作みたいな気分になる。昨日よりひどいじゃん。やばいんと違うん? と不安になる。

なにより、トイレで座ったままだったのに、立ちくらみのような貧血状態になる。頭がフラフラだ。

これはおかしい。そうとうにヤバイのかも知れない。十二指腸潰瘍ではなかったのかも? と不安になる。

とりあえず病院に行こうと決めるが、この近所のことは引越ししたばかりで、いまひとつわかっていない。町医者の大きいところと市民病院があるのは前を通って知ってるけれど、どっちが良いのかもわからない。正確な場所も不明だし、位置をタクシーの運ちゃんに伝える自信もない。

そのあたりこのあたりに前から住む弟のたま氏に聞いた方が良いかもと電話する。というより、実は頭がフラフラしていて、ひとりで出かけるのが少し心配だったのである。チマチマしたことを判断したりするのが面倒になってきてた。

(このあたりは、たま氏の日記リンクを参照してください。)

とりあえず、迎えに来てくれることになったので、それからやっと少し落ち着いて、「そうか、出血多量で貧血状態なのか。それでフラフラするんだ。」ということに気付く。「頭のフラフラは風邪ちゃうやん!」と気付く。ここまで来ないと気付かないという事自体が怖い。頭が回ってないのだ。

鏡を見ると真っ青というか真っ白な顔色の自分がいて、やっと事態を把握。どひゃ〜、これはヤバイわ。唇真っ白。

たま氏のバイクで市民病院へ行くが土曜日は休診。もう一軒の町医者の方に向かう。ひとりでタクシーで来ていたら、ここでめげて座り込んでしまってたろうなぁ。

町医者とはいえ、そこそこ大きい医院で、けっこう人もたくさんきている。診察してもらうと、「下血?」と、ほんまかいなという顔をしている。このあたりの反応は町医者。下血なんてのは、そうそうないんでしょうなぁ、事態として。でも、やばいと思わなかったらわざわざ来まへんって、私は。とか思う。

「ほんとうに下血してるなら、手をだしてごらんなさい、そうしたら、赤い色がなくて・・・あら?」と、手の色を自分のと比べて、それではじめて「白いやんけ、この人」と驚いてらっしゃる。可愛らしいお医者さんやなぁと思う。

でも、そこから後はプロですな。即、尻の穴に指をつっこんで便の色を確認、至急に輸血の必要があるかも知れないし、悪くすると大腸ガンの可能性もあるし、そうなると一刻も早く手術をする必要があるから、回りの看護婦をどなりちらして急がせて総合病院への移管の手続きをテキパキとしてくれる。椅子にも座ってなかったもんなぁ。バッと部屋から出て連絡とかしてくれてたみたい。

「弟と来てるんです」と言うと、すぐに呼んでくれて、「これは命にかかわる。緊急に入院が必要じゃ。出血が止まらんかったら輸血して、どこで血が出てるかわからんかったら、、めくらめっぽう腹切らんとならん、すぐに総合病院へ行け!」と、ものすごく怖い顔して怒ってくれはりました。うむ、この人信用できるなぁという感じ。生きて帰って来れたら、この病院をかかりつけのお医者さんにしようとかノンキなことを考える。

このあたり、すでに頭がフラフラなので、逆に妙に肝が座ってしまっている。死んだら死んだ時のこっちゃ。とか考えてる。そうとう血が足らんかったんやねぇ。

ということで、この続きは日曜日の日記に続く。


怒涛の入院体験記(2)

2001年5月27日
日曜の日付ですが、まだ、土曜日の日記。(けっこう長くなっちゃったけど、許してね。)

さて、タクシーで川向こうの大きな病院に入る。すでに連絡が来ていたので、紹介状を渡すと、すぐにわかってくれて、看護婦さんが「しんどいですか?」と聞く。「ええ」と答えると、後ろから折りたたみの車椅子を出してくれる。

車椅子!? 重病人みたいやん? とか一瞬思うが、いや、重病人なんやワシは、とあらためて事態を把握しなおす。頭回ってないねん、血が回ってないから。

いざ車椅子に座ってみると、これはラク。そうか、しんどい時は歩くのもしんどいもんやねんなぁ。立ってるだけでもエネルギー必要やねんなぁとつくづく思う。ああ車椅子。押してもらって移動できる車椅子。ああラク。いま思うと、これが相当に良かったように思う。精神的にも病人としての自覚が持てたし、肉体的にも疲労せずにすんだから、メリットは非常に大きかった。侮れない道具である。

紹介してもらったのは、この総合病院の外科部長。最悪、開腹手術の可能性もあるから、外科に紹介されたんでしょうねぇ。そういう意味では、この時点での私は手術も覚悟してたし、大腸ガンの可能性もあるから、死ぬことも考えてたという状態。けっこう悲愴。

で、この外科部長と助手の看護婦さんはプロ。町医者の人みたいな可愛いところはナシ。カルテを読んで、指での触診(1日に二回も尻に指つっこまれたんだゼ。たまらん。)も当然みたいにやる。あわてることもない。ただ冷静に必要な検査項目を書き上げるのみ。

「出血はしているが、場所もわからん。だからまず検査ね。」

という答えのみ。とにかく具体的事実のみしか相手にしないという態度。プロやねぇ〜。でまぁ、尿・採血・肺活量・心電図・X線と、その総合病院の2階とか7階とかを移動しつつ検査を次々にこなしていったのでした。

で、やはり、一番のポイントは胃カメラ。

まいりました。降参です。これは強力かつ強烈でした。

「普通、前日は絶食と違うん? いきなり突っ込むつもりか? 緊急入院ちゅうのは、そういうことか? うう〜むむむむ。」と聞いた時はかなり焦りましたが、いざ胃カメラの番になったら腹はすわっておりました。

「少なくともこれで胃に何もないとか、そういうことはハッキリするやん。」と、自分に言い聞かせつつ検査室に向かったのであります。

まず、うがいの要領で喉にためておくタイプの麻酔。ふ〜ん、こんな麻酔するんや。診察台に横になってマウスピース。ファイバースコープが入る。

おえっ。

おえおえっ。

えづきまっせ。これは。これは苦しい。うげー。最初はムチャクチャに苦しいのだけれども、一度入るとちょっとラク。でも、途中で精神的に嫌だなとか思うとつい「おえっ」となる。よっぽどリラックスしてないと、アカンね、こりゃ。

とは言うものの、まさに医者が腹の中に顔をつっこんで覗いて見るのと同じだから、これほど安心感の大きい検査も他にはない。カメラを操作してるのは、カメラマンではなく、お医者さんなのだから。オエオエ言いながらも、カメラが胃を越えて十二指腸にまで進み始めた時は、「そうや! こんなに、オエオエ言うてるんやから、ついでに奥までしっかり見といてくれ! でも、できるだけ短時間で見てね。」とわけのわからんことを考えたくらい。

良くはわからないが、十二指腸を調べてた時などは腸をふくらませるためか、透明なグリス状のものを、胃カメラの操作している手元のところから注入。なななな、何すんねん、人の腹の中に何入れるねん! という感じでしたが。

あるいはまた、この手元のところからカテーテルのようなものを入れて、粘膜の採取なども、したらしい。非常に長い針金状のものをファイバーの中にシュコシュコと挿入していた。うへー、こうなるともう、食道も胃も、自分のものとは思えませんな。天下の公道です。開かれた道です。なんでも通っていきます。行き来してます。ああ〜、もうどうとでも好きにしてくれ! という感じ。

いや、ほんま、胃カメラはすごいです。ものすごいです。

でも、もう二度と飲みたくなぁ〜い。あんな苦しい思いをするのは嫌だぁ〜。特に、どうしても時たまオエエエエッとなった時に、付き添ってる看護婦さんから「落ち着いて落ち着いて。肩に力入ってますよ。力抜いて。はい、鼻で息しましょう。口で息するとしんどいですよ。」とか言われるのが子供になったみたいですごく情けない。いや、わかってるんです、落ち着こうとしてるんです。でもオエエエエってなるんです。とか思う。これが大変情けなくって嫌だ。

ともあれ、そうやって胃カメラと格闘していると、カメラを操作している先生が、「なんやこれ、潰瘍か?・・・・うん、十二指腸潰瘍。」とか看護婦さんに言ってるのが聞こえる。

「やっぱり十二指腸潰瘍やん。ワシの見立ての通りやん。心配することなかったんちゃうん?」とか、急速に安心してしまいました。やっぱり胃カメラ。苦しい思いをするだけのことはあるね。すごいね、とか思う。

その後、救急用のベッドに一時的に案内されて一休み。病院のパジャマを渡されたので、即、着替えて、とりあえず横になる。いや、本当にしんどかったのよ。貧血気味だったし。で、横になると、とにかくやたらと安心。結果は出てなくても、とにかく最善を尽くしてくれる医者と看護婦はすぐそばにいるわけだし、ベッドで横になってりゃ体もラクだし。「ああ、ええなぁ、ラクやなぁ。ほぉ〜。」とやたらと気持ちが落ち着く。

ま、たぶん胃カメラの時に肩に注射もされたんだけど、あれきっと精神安定剤か何かなんよな、それのせいでこんな気分なのよな、とも思いつつ、やたらとホッとした気分だったのであります。

で、しばらくすると、担当医の方が検査結果の報告に来てくださる。

「病名は、十二指腸潰瘍ですが、胃カメラで見たところ、すでにふさがりつつあります。ですから、手術も必要ありません。血圧も少し低くはなってますが、正常値の範囲ですから、必要ないでしょう。順調なら、月曜日には退院してもらえると思います。」とのこと。ひたすら、ひたすらホッとしたのでありました。

これにて入院体験記、一巻の終わり、めでたしめでたし・・・となれば良いのですが、実はまだちょっと続く。てへへ。ということで、また明日の日記へ。


怒涛の入院体験記(3)

2001年5月28日
さて、月曜日の日記なのに内容は土曜日の話。

最初は救急用の病室に入ったけれど、途中で正規の病室に移された。内科かな?

救急用の病室では、隣に若い人が寝てて、酸素吸入されつつ、点滴までされてて、なんとも悲惨だったのであります。実に救急。聞くともなく聞いてるとどうやら気胸らしい。しかも、熊本かどこかから出てきて大阪で一人暮らしで会社づとめという話。大変やなぁ、心細いやろなぁとつくづく思う。ついひと月くらい前まで僕もひとり暮らしだったから、他人事ではないし、知り合いにも九州から出てきて一人で仕事してる人間とかもいてるから、なおさらそう感じた。

こっちはいちおう弟も来てくれてるし、ベッドに入った途端に「周りには医者も看護婦もおる、最上の環境や。ああ安心。」と思ってホッとした安心感で満たされているというのに、そのすぐ隣にいてる人が、こういう状態なわけです。うまく言えないけれど紙一重というかなんと言うかだなぁと。

横にいた弟に、「これもまぁ、休めっちゅうこっちゃ。休まないかんわな。」と言うと、「ほら、それがすでに間違ってるねん。『休まないかん』やなくて『休みたい』やろうが。体が休みたがってるのに、それがわからんようになってるのがマズイんやから。」と言われて、「うむ、まさにその通り。」と思ったりしていたわけで。一人暮らしだと、そういうことに気付くのが不得手になったりするのよね、結局。

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さて、正規の病室に移されると、こっちは風景としては救急用の病室とは違って、えらくアットホーム。老夫婦のだんなさんが入院していて、奥さんが付き添いでリンゴをむいてたり、新しい入院患者だということで、「まぁこれでもどうぞ」とお菓子を手渡してくれる人がいたり。

そんなこんなで、気分も「救急」から「安静」になった。ドタバタと入院用の下着とかも母親から届き、母親も弟も「これで一安心」と帰っていったわけです。

自分でも「家にいてると、つい仕事したりしてるもんなぁ。病院に入ったら、パソコンも持ってきてないし、メールも書かれへん。強制的休養という奴で、これはこれで強力な<養生>にはなるよなぁ。容態が急変しても、手術でもなんでもすぐに対応できるわけやし、うーむ入院ってのはなかなかに優れたシステムやねぇ。」と思ったりしてたわけです。

だが、しかし。

現実っちゅうもんは、そんな甘いものではなかったのでありました。

実は同室の入院患者さんたち、これ、ほとんどがガン患者さんでした。考えたら大きな病院の内蔵疾患専門の病室にいるのだから当然なのだけれど、2回3回と手術していて、「1回入院したらいつも何ヶ月と時間がたってる」とか言ってる人ばかり。

一度ガンを切って、再発して、そこを放射線治療で焼いたら、こんどは皮膚がただれてきたので、皮膚移植の形成手術をするとか、えらくガラガラ声の人だなと思ったら、抗がん剤とか放射線治療の副作用だったとか、そんなんばっかし。

どっしぇ〜!
すんまへん、十二指腸潰瘍程度で入院して。という感じ。

コソ泥で捕まって、大部屋にほおりこまれたら、部屋の主が完全犯罪の一歩手前で捕まった、伝説の銀行強盗の大親分だったというような状態になってしまっていて、肩身の狭いことはなはだしい状態だったのでありました。

「いや〜、ガンと聞いた時は、もうアカンとか思って、覚悟もしたけど、最近は医学の進歩でなかなか死なせてくれませんな。」とか平気で言うてる。いやね、そら確かにそうなんかも知れませんけどね、横で聞いてる私ゃ笑って聞いて良いのかどうか判断に迷いますって。そうでなくてもストレスは潰瘍に悪いっていうのに、こんなところにいたら、なおさらストレスたまるぅぅぅ〜!! たーすけて〜! であります。

まさか、こういう人たちの前で「いやぁ十二指腸潰瘍でして、明日退院です。」とか気楽に言えるほど、私ゃ肝っ玉据わってないです。会話のネタすらない。はやくお家に帰りたいよ〜であります。まさに針のむしろ。

それに、回りの話を聞いてると、大病はやはり家族その他を不幸にするというのがリアルにわかってしまう。

僕の隣で寝てた人など、奥さんが乳がんで入院し、それを看病していたが、疲れて旦那さんも入院、結局娘さんが看病していたけれど、けっこう長引き、奥さんが亡くなった後は、その娘さんが看病疲れからうつ病になったことがわかって治療、そうこうしているうちに、その旦那さんも舌ガンが発見されたので早めに手術をすることになったとかで、もうたてつづけなわけです。何かに取り付かれたように、家族みんなが病気になってるような人で、程度の差こそあれ、入院してる人はみんなそういう「悪い方に転がっている」人ばっかりなわけです。

そういうことがわかってからは、「うげー!!やめてくれぇ、不幸がうつるぅ〜〜! はやくここから出してくれぇ」という思いで満杯になってしまったというワガママさ。

「ガン、ガンって言ってるけど、なんでガンになるのかはいまひとつわかってない部分もあるやんけ。もしかしたら細菌による感染かもしらんやんけ。そう考えたら、病院にいてること自体が怖いわい。」と。あー、ワガママ。ほんまにワガママ。自分が無事とわかった途端にこれです。

で、退院してから十二指腸潰瘍について調べてみると、実際、十二指腸潰瘍ってヘリコバクター・ピロリ菌という菌による感染が基本的な胃・十二指腸内壁のただれ等を作っているというような話があって、ウゲー、やっぱりか!とか思うのであります。

くわしくはリンクをごらんあれ。


病院になんか入らないのが一番。健康なのがなにより。もっともっと気をつけなければと思いましたねぇ。

ちなみに、追跡調査をすると、胃潰瘍・十二指腸潰瘍になった人は、その後けっこう長生きするんだそうです。

んー、なんかわかるような気がする。どうせ入院するなら、潰瘍程度でサッと入ってサッと出て「病気嫌い〜〜!!!」という人間になるのが一番のような気がする。

ここのところ自宅も事務所も引越しして、環境も激変したし、精神的にもまいってたのでしょうが、これでどこの病院が安心かとか、そういうこともわかったし、健康体制もバッチリになったということにしておこう。うむ。

そんなこんなの入院体験記でありました。
では。

今日から仕事。まだまだ調子悪い。でも仕事はしないとね。

難波・日本橋あたりで、打合せがあったので、出かける。が、ちょっとパソコンショップに寄ったりして、少し長めに歩いたら、えらく疲れた。

下の方の棚を見て立ち上がるとちょっと立ちくらみ。うーむ、まだまだ本調子ではないのだなぁ。と思う。とにかく疲れる。



おかゆが食いたい。

2001年5月30日
仕事場には出ているけれど、腹具合が悪いので、おかゆが食いたくてしょうがない。胃腸が弱ってるから当然なのだけど、街なかでそうそうおかゆは食えない。

しょうがないので、コンビニでパックのおかゆと紙の深皿とプラスチックスプーンを買ってきて事務所で食べる。とりあえず、こういう柔らかいものを食うとホッとする。気分だけかも知れないけれど。

何パックも買って、仕事の合間合間に食う。潰瘍は間食した方が良いらしい。それ、わかる。わかる自分が情けない。

後は牛乳とか、小さな惣菜とか。

で、医者からもらった薬が実に効く。飲んでしばらくは胃のあたりのゴロゴロした感じ、胸焼けしてる感じがスッとする。

とにかく柔らかいものが食いたい。おかゆ、いいなぁ。なんでおかゆのパックなんて売ってくれてたりするんやろ、感激やわ、とか思う。

もしかしたら、胃腸の具合の悪い人が、それだけ多いってことかしらん? と思って、「それはそれで問題やで。」とかも思い直す。

病気で気持ちフラフラね。


どうにも、仕事の進む率がやたらと悪い。腹に力が入らないと集中力が続かない。10分も集中すると、気分転換をしたくなる。胃がごろごろした感じ。下腹も張った感じ。とにかく効率が悪い。

ひとり暮らしで、それに加えて、ひとりで事務所の切り盛りをしているという状態から、4月に入っていきなり、自宅は母親と二人暮し、事務所は自分を含めて5人の所帯になった。気の抜き方とか、精神的にうまくバランスが取れてなかったのを痛感する。

とくに自分でも気付いてなかったのだが、自宅に戻って雑誌を読んだり本を読んだりしている時に母親に話しかけられるというのが、そうとうに大きなストレスになっていたことに気付く。

家で読書する時間とかが、とても大事なストレス解消になってたんですなぁ。自分にとって。それを中断させられると辛いというわけです。

そういう自分の内面がわかってなかったなぁと思う。これから、本を読むときは部屋にこもって一人で読もう。そういう時間はキチンと確保するようにしよう。

そういうこと、けっこう大事かも。

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