やっぱり基礎が大事です。
2007年8月20日 映画 コメント (4)
ということで、またフラガールの紹介。我ながら好きやなぁ。
で、今日はメモリアルボックスの方のご紹介でありまして。
映画も好きだったんですが、このメモリアルボックスがまた良くて。
というのは、映画の中でフラを踊っていたフラガールたち、それぞれの練習風景とかのドキュメンタリーが入ってたからなんですね。それが良かったのです。僕が期待していた「フラガールたちの練習と青春群像」みたいなことは、こっちのドキュメンタリーの方で満喫できました。これがかなり僕的にはヒットでして、「ああ、メモリアルボックス買って良かったぁ!!!」と満足したのであります。
映画では、ほんと、フラガールたちってほとんど前に出てこないですから。蒼井優としずちゃんくらいのものだし。
でも、映画をご覧になった方はわかると思うのですが、この映画の魅力は、なんと言っても、クライマックスのフラガールたちの見事に踊りきる姿なわけです。まさに踊りが主役の映画なんですね。
確かに、蒼井優はキチンと踊りきってましたが、蒼井優だけじゃなくて、フラガール全員が、実に見事にフラ(というかタヒチアンダンスらしいのだけど)をちゃんと踊っていて、その全員が一斉にレベルの高い踊りを踊っているというところがまた、この映画の迫力を何倍にもしている、素敵なところなのです。
●この素晴らしいフラを、彼女たちは、いかにして身につけたのか?
というのが、このドキュメンタリーで描かれているわけなんですよ。これが実に良かったのであります。学びのステップをドキュメンタリーで見るって言うのは、本当に面白い。
当然、常磐ハワイアンセンター(現ハワイアンズ)という実在の施設があるわけですし、そこでフラを踊り、教えている方が教師となって、新人女優やら女優の卵やらを教えるわけです。
みんなそれぞれに、多少はバレエをやっていたとかですね、かじったことはあるとは言うものの、ほぼ全員が素人。まったくフラの経験がないというような人たちなんです。
それをクランクインまでの三ヶ月か、せいぜい踊りのあるシーンのクランクアップ前五ヶ月くらいで、映画のクライマックスを盛り上げるのにふさわしいくらいの素晴らしい踊りが、ひととおり踊れるくらいに仕上げないといけないわけです。
できるの? そんなこと?
って感じなんですよね。
人を感動させるってのは、そんな生半可なことじゃないですから。
で、こういう「学び」に関するドキュメンタリーとか、僕はもう、もともと、ものすごく興味を持って見てしまう人なんです。なので、どういう手順で教えていくのかとか興味津々だったんですが、いや、ここがやっぱりすごい。
もうね、ひたすら基本、なんですよ。
全然フラの振り付けとか教えない。
とにかく基本。
柔軟体操とか基本ステップとか、あるいはクラシックバレエの基礎とか。とにかく基本基本基本で、基本ばっかり徹底して練習させてるわけです。
「とにかく基本ができてなくては、振り付けに入れませんから。」
と、映画で松雪泰子が演じた「東京から流れてきた教師」のモデルにもなった、カレイナニ早川先生はおっしゃる。実際に何人、何十人ものダンサーを育ててきた人だから、やっぱり違いますわなぁ。どれだけ時間が無くて、促成栽培がしたくても、へんなテクニック的な教え方はしない。「基本からみっちり」。これだけ。いや、さすがであります。
で、フラというかタヒチアンダンスっていうのは、「腰フリ」が入るんですね。腰に腰ミノつけて踊ると、腰ミノが、実にあざやかに宙を舞う。
「フラガール」を見た人なら、あの腰ミノの動きの見事さはよくご存じだと思うのですが、この腰の動きというのが、なかなかできないらしくて。
もう、できない人は泣きそうな感じなわけですよ。同じように腰を動かしているのに、腰ミノがぴくりとも動かない。全然動かない。宙を舞わない。
できてない人には、これは辛いだろうなぁとは思うんですね。だって回りはできてるんだから。だけど、できてないものはできてないからしょうがないんだよね。先生とか指導助手の人とかは、ただひたすら「そのうちちゃんとできるようになるから」と言ってなだめて、で、また、ひたすら基本練習ばかりを繰り返す。そういう事なんですね。
今年の6月16日の日記、「基礎に手間取り飽きてまう」でも書きましたが
http://diarynote.jp/d/12917/20070616.html
ほんとうに、この「基礎のできていない状態」というのは辛いんです。自分にだけ才能がないような、「あいつらと俺とは別だ」みたいな気持ちになって疑心暗鬼になっていく。「できてない」というのは、そういう世界ですから。
で、それが「突然出来る」ようになるまでは、「できねー」っていうのが延々続くんですね。「多少マシになってきた」とかいうのが、いまいち実感できない。もうずっと、ひたすら「できない」なんですよ。
でも、そこを諦めずにがんばる。基礎を固める事に力を費やす。あわてて、基礎もできていないのに、ワンステップ省略して、振り付けを覚えようとしたりしない。基礎のステップと動作練習を繰り返す。ひたすら。
単純で、つまらなくて、飽きてしまうような単調な練習の繰り返しなんだけど、でも、それをえんえんやる。とにかくやる。ごちゃごちゃ考えない。ただひたすら基本をやる。
そうすると、ある日突然、腰ミノが宙を舞うんですね。ある日突然。ほんとに。
「ああっ! できたよ! できた!!!」
って彼女たちは喜ぶ。もう本当によろこぶ。心底うれしいんだと思う。もう本当にそれだけなわけです。うれしい。それだけ。
もうね、これが良くて。
僕もウクレレ練習してますが、はじめてロールが出来たときのうれしさとか、たまらないものがありましたしねぇ。ものすごい感激なんです。ほんとに。「できるようになる」っていうのは、本当にうれしいんです。
この練習プランを立てた、カレイニナ早川先生の言葉を引用すると、
「短い期間ですから、まず基礎からやりました。毎日毎日基礎ばーっかりやってましたら、みなさん不安になりまして、どうして?どうして?ってなってましたが、基礎が出来ていなくて、振り付けに入る事はできませんからね。しかし、(基礎ができて)振り付けに入りましたら、1時間で一曲、パシーッと入りましたものね。早い人は30分で入りました。やっぱり基礎が大切なんです。」
ってね。
いやぁ、「そうなんやろなぁ」って思うわけです。
僕なんか、ほんとうに基礎のできていない事柄の方が多いから、「そうだねぇ、その通りだねぇ」と、実感持って語ることはできないんですが、でもそうなんだろうと思う。基礎が出来てしまえば、振り付けなんて一発ではいる。そう思う。きっときっとそうなんだ。僕はそれほどの体験はないけど、でもやっぱり、そうなんだろうって思う。
でもねぇ、この基礎を身につける期間ってのを、やっぱり普通の人は耐えられなくて、あわてて「時間もないから、まず振り付けを覚えて…」って考えちゃうわけですよ。ほんと、わかってない人間はどうしてもそういう方向に行っちゃう。僕もそういう失敗ばっかりやってきたよなぁって思うんです。
で、基礎を飛ばしていきなり、振り付けを覚えると、練習の途中で、体が動かせなくて、というか、まぁ具体的に言うなら「腰ミノがふれなくて」かな? そういうことがひっかかってしまって「振り付けが覚えられない」になってしまうわけです。もうそれは悲惨ですね。「全然覚えられない!」にしかならないんだから。基礎が出来てないっていうのは、そういう事なんです。全然できない!っていう絶望感しかやってこない。
で、こういう場当たり的なやり方を普通だと思ってやって、その絶望感にぶち当たってしまうと、とたんに言い訳を言い始めるんでうすね。
「振り付けが覚えられなかったので、私は踊りに向いてない」とか。で、そういう言い方が、多分世間的にも成立してしまったりするんでしょうね。基礎ができていなくて、高度な事ができていないのを、難しい課題のせいにしてしまう。いや、それは確かにその通りなんだけど、でもそれは、振り付けが難しいんじゃないわけですよ。単に基礎が出来てないだけなわけです。
習い事って、たいていみんな同じなんですよね。基礎が出来てないと難しい。でも、「できた!」って実感がないと面白くないから、難しい課題を先にやろうとして、基礎練習をすっとばしてしまうんですね。で、基礎をすっ飛ばしてるから、全然できない。それで挫折する。で、挫折した理由に「●●は難しい」とか言う。
●●のところは何が入ってもいいわけです。「英語は難しい」でも「楽器演奏は難しい」でもなんでもいい。とにかく「難しいからできなかった」と言って、「僕の努力不足ではないよ。ほんとに難しいんだもん。」って言うわけです。
でもなぁ、ちゃんと出来てる人もいてるよ? って思うわけです。その出来てる人と出来てない人の違いって何? って思う。それをいつも思う。
で、その違いって、結局、基礎を大事にしてるかどうかなんよなぁ。とどのつまり。
で。
これは、多分、人生の全てに応用できる事なんだろうと思うわけです。
まず生きて行くには、「人生の基礎」をみっちりやらないといけないんじゃないか?って思うわけですよ。
「人生の基礎」というと何かというと、失敗したらそれを自分の責任として受け入れるとか、間違った事をしたときに「ああ、恥ずかしい」と感じるとか、ゴメンナサイと謝るとか、何かを教えてもらったらありがとうと感謝するとかですね。そう言うことが基本でしょう。基礎ね。
まず、そういう、「人生の基礎」をみっちり身につける、というか、味あわないといけないんじゃないかなぁって思うんです。
そういう人生に対する態度は人生のすべての事、それこそ、踊りでもなんでも、学習というものの伸びを促進する、良い成長剤にもなるんだと思うんです。
たぶんね、ちゃんとゴメンナサイとかありがとうが言える人は、何を習っても修得が早い。不思議な気もするけど、でもそういうものなんですね。たぶん「教え」という、すばらしいギフトを受け取る気構えができているかどうか? って事なんでしょうね。それができているかどうかで、「先生」の教えを吸収できるかどうかが決まってくるんだと思う。
だから、ありがとうとかゴメンナサイっていうのは超大事なんだろうと思うのですよ。
自分の失敗を認めるという基礎なくして学習は成立しないんですね。で、失敗した時に、ちゃんと「ああ、恥ずかしい」「カッコ悪い」と顔から火が出るくらい恥ずかしい思いを「実感」しないと「感じる」という心の基礎力がつかないし、それと同じ事で、回りのみんなに、「ありがとう」と感じる感謝の気持ちなくして、他者との結びつきはありえないわけです。当然、「師」から何かを学ぶって事もできるはずがないのです。
だから、先生の言う事を聞くという、1年生の課題ができてなくて、自分なりのやり方をする、という2年生の課題ができるわけがないのです。
でも、世の中、自分が基礎ができていないのを棚にあげて、「私の知らないところに、私の知らない正しさがあるなんて信じられない」と言うとか、国語のテストで「感じ方は自由だろ」と自由記述方式の設問を否定するとか、「誰かの正しいやり方に従うなんて、一番つまらない」とか言うとか、そういう「自分なりで良い」というような間違った個人主義ってのがのさばっててイライラします。
それでうまく行くなら別にそれでもいいんだけど、たいていうまく行ってないしね。ほんと。
結局、はずせない基本っていうのはあるのであって、その基本が出来ていないとその先は、何をどうやったって、たどりつけないわけです。どうしても絶対に、どうあろうと無理なんですね。
幸せになるためには、だから基本をみっちり、というのは外せないんだと思うのですよ。不幸というのは、ようするに基本が身に付いてないって事だと思う。ほんとうに。アダルトチルドレンの概念を学んでから、よけいそう思うようになりました。対人関係の基本やら、本当に大切な家族との関係やらの「基礎」が身に付いてなくて、何を学ぼうともうまく行くわけないよなぁって思う。
特に、こういう踊りとか、スポーツ系はよけい基礎が大事でしょうね。フルマラソンを走るためには、走るのも大事だけど、まず日々歩いてるとかの基礎がなきゃやばいと思う。一日に一万歩も歩いてないメタボ人間が、「毎日歩く」もしないままに走ったりしたら、腰を悪くするだけでしょう。腰を悪くしてしまったら、走るどころか、歩くのすら辛くなる。そういう事です。
「基礎をすっ飛ばしたい。」
と思うのは勝手だけど、それをすっ飛ばしている限り、どうしたって絶対に、永遠にたどり着くべき所にはたどり着かない。これが、この数年ずっっっと考えてきた、人生の基本だなぁと、最近は思うのですよ。
逆に言うと、本当に賢い人は、まず基礎からキチンと固める。それが一番近道で早いと知ってるんでしょうね。親に教えられたか、良い先輩がいたか、そう言うことはわかりませんけど、賢い人は基礎をすっ飛ばさない。まず最初にみっちり基礎をやる。それさえやれば、後が自由自在で、「振り付けが一発で入る」ということを、体で知ってるという人がいてるわけです。
そういうことなんよなぁ…って最近はつくづく思うのです。
というのは、僕が歳を食って来たからです。
人生の残り時間は、それほど多くはない。
だからこそ、です。
だからこそ、基礎をていねいにやらなければならない。
いまからでも遅くない。
とにかく基礎からていねいにやらないといけない。
基礎を飛ばしたら、それこそ、ただ遠回りをするだけなのです。
ということで、もう一度、カレイニナ早川先生の言葉を書いておきたい。
「短い期間ですから、まず基礎からやりました。毎日毎日基礎ばーっかりやってましたら、みなさん不安になりまして、どうして?どうして?ってなってましたが、基礎が出来ていなくて、振り付けに入る事はできませんからね。しかし、(基礎ができて)振り付けに入りましたら、1時間で一曲、パシーッと入りましたものね。早い人は30分で入りました。やっぱり基礎が大切なんです。」
まず基礎。
ひたすらそれだと思う。
いろんな意味で、「フラガール・メモリアルボックス」
良かったです。
で、今日はメモリアルボックスの方のご紹介でありまして。
映画も好きだったんですが、このメモリアルボックスがまた良くて。
というのは、映画の中でフラを踊っていたフラガールたち、それぞれの練習風景とかのドキュメンタリーが入ってたからなんですね。それが良かったのです。僕が期待していた「フラガールたちの練習と青春群像」みたいなことは、こっちのドキュメンタリーの方で満喫できました。これがかなり僕的にはヒットでして、「ああ、メモリアルボックス買って良かったぁ!!!」と満足したのであります。
映画では、ほんと、フラガールたちってほとんど前に出てこないですから。蒼井優としずちゃんくらいのものだし。
でも、映画をご覧になった方はわかると思うのですが、この映画の魅力は、なんと言っても、クライマックスのフラガールたちの見事に踊りきる姿なわけです。まさに踊りが主役の映画なんですね。
確かに、蒼井優はキチンと踊りきってましたが、蒼井優だけじゃなくて、フラガール全員が、実に見事にフラ(というかタヒチアンダンスらしいのだけど)をちゃんと踊っていて、その全員が一斉にレベルの高い踊りを踊っているというところがまた、この映画の迫力を何倍にもしている、素敵なところなのです。
●この素晴らしいフラを、彼女たちは、いかにして身につけたのか?
というのが、このドキュメンタリーで描かれているわけなんですよ。これが実に良かったのであります。学びのステップをドキュメンタリーで見るって言うのは、本当に面白い。
当然、常磐ハワイアンセンター(現ハワイアンズ)という実在の施設があるわけですし、そこでフラを踊り、教えている方が教師となって、新人女優やら女優の卵やらを教えるわけです。
みんなそれぞれに、多少はバレエをやっていたとかですね、かじったことはあるとは言うものの、ほぼ全員が素人。まったくフラの経験がないというような人たちなんです。
それをクランクインまでの三ヶ月か、せいぜい踊りのあるシーンのクランクアップ前五ヶ月くらいで、映画のクライマックスを盛り上げるのにふさわしいくらいの素晴らしい踊りが、ひととおり踊れるくらいに仕上げないといけないわけです。
できるの? そんなこと?
って感じなんですよね。
人を感動させるってのは、そんな生半可なことじゃないですから。
で、こういう「学び」に関するドキュメンタリーとか、僕はもう、もともと、ものすごく興味を持って見てしまう人なんです。なので、どういう手順で教えていくのかとか興味津々だったんですが、いや、ここがやっぱりすごい。
もうね、ひたすら基本、なんですよ。
全然フラの振り付けとか教えない。
とにかく基本。
柔軟体操とか基本ステップとか、あるいはクラシックバレエの基礎とか。とにかく基本基本基本で、基本ばっかり徹底して練習させてるわけです。
「とにかく基本ができてなくては、振り付けに入れませんから。」
と、映画で松雪泰子が演じた「東京から流れてきた教師」のモデルにもなった、カレイナニ早川先生はおっしゃる。実際に何人、何十人ものダンサーを育ててきた人だから、やっぱり違いますわなぁ。どれだけ時間が無くて、促成栽培がしたくても、へんなテクニック的な教え方はしない。「基本からみっちり」。これだけ。いや、さすがであります。
で、フラというかタヒチアンダンスっていうのは、「腰フリ」が入るんですね。腰に腰ミノつけて踊ると、腰ミノが、実にあざやかに宙を舞う。
「フラガール」を見た人なら、あの腰ミノの動きの見事さはよくご存じだと思うのですが、この腰の動きというのが、なかなかできないらしくて。
もう、できない人は泣きそうな感じなわけですよ。同じように腰を動かしているのに、腰ミノがぴくりとも動かない。全然動かない。宙を舞わない。
できてない人には、これは辛いだろうなぁとは思うんですね。だって回りはできてるんだから。だけど、できてないものはできてないからしょうがないんだよね。先生とか指導助手の人とかは、ただひたすら「そのうちちゃんとできるようになるから」と言ってなだめて、で、また、ひたすら基本練習ばかりを繰り返す。そういう事なんですね。
今年の6月16日の日記、「基礎に手間取り飽きてまう」でも書きましたが
http://diarynote.jp/d/12917/20070616.html
ほんとうに、この「基礎のできていない状態」というのは辛いんです。自分にだけ才能がないような、「あいつらと俺とは別だ」みたいな気持ちになって疑心暗鬼になっていく。「できてない」というのは、そういう世界ですから。
で、それが「突然出来る」ようになるまでは、「できねー」っていうのが延々続くんですね。「多少マシになってきた」とかいうのが、いまいち実感できない。もうずっと、ひたすら「できない」なんですよ。
でも、そこを諦めずにがんばる。基礎を固める事に力を費やす。あわてて、基礎もできていないのに、ワンステップ省略して、振り付けを覚えようとしたりしない。基礎のステップと動作練習を繰り返す。ひたすら。
単純で、つまらなくて、飽きてしまうような単調な練習の繰り返しなんだけど、でも、それをえんえんやる。とにかくやる。ごちゃごちゃ考えない。ただひたすら基本をやる。
そうすると、ある日突然、腰ミノが宙を舞うんですね。ある日突然。ほんとに。
「ああっ! できたよ! できた!!!」
って彼女たちは喜ぶ。もう本当によろこぶ。心底うれしいんだと思う。もう本当にそれだけなわけです。うれしい。それだけ。
もうね、これが良くて。
僕もウクレレ練習してますが、はじめてロールが出来たときのうれしさとか、たまらないものがありましたしねぇ。ものすごい感激なんです。ほんとに。「できるようになる」っていうのは、本当にうれしいんです。
この練習プランを立てた、カレイニナ早川先生の言葉を引用すると、
「短い期間ですから、まず基礎からやりました。毎日毎日基礎ばーっかりやってましたら、みなさん不安になりまして、どうして?どうして?ってなってましたが、基礎が出来ていなくて、振り付けに入る事はできませんからね。しかし、(基礎ができて)振り付けに入りましたら、1時間で一曲、パシーッと入りましたものね。早い人は30分で入りました。やっぱり基礎が大切なんです。」
ってね。
いやぁ、「そうなんやろなぁ」って思うわけです。
僕なんか、ほんとうに基礎のできていない事柄の方が多いから、「そうだねぇ、その通りだねぇ」と、実感持って語ることはできないんですが、でもそうなんだろうと思う。基礎が出来てしまえば、振り付けなんて一発ではいる。そう思う。きっときっとそうなんだ。僕はそれほどの体験はないけど、でもやっぱり、そうなんだろうって思う。
でもねぇ、この基礎を身につける期間ってのを、やっぱり普通の人は耐えられなくて、あわてて「時間もないから、まず振り付けを覚えて…」って考えちゃうわけですよ。ほんと、わかってない人間はどうしてもそういう方向に行っちゃう。僕もそういう失敗ばっかりやってきたよなぁって思うんです。
で、基礎を飛ばしていきなり、振り付けを覚えると、練習の途中で、体が動かせなくて、というか、まぁ具体的に言うなら「腰ミノがふれなくて」かな? そういうことがひっかかってしまって「振り付けが覚えられない」になってしまうわけです。もうそれは悲惨ですね。「全然覚えられない!」にしかならないんだから。基礎が出来てないっていうのは、そういう事なんです。全然できない!っていう絶望感しかやってこない。
で、こういう場当たり的なやり方を普通だと思ってやって、その絶望感にぶち当たってしまうと、とたんに言い訳を言い始めるんでうすね。
「振り付けが覚えられなかったので、私は踊りに向いてない」とか。で、そういう言い方が、多分世間的にも成立してしまったりするんでしょうね。基礎ができていなくて、高度な事ができていないのを、難しい課題のせいにしてしまう。いや、それは確かにその通りなんだけど、でもそれは、振り付けが難しいんじゃないわけですよ。単に基礎が出来てないだけなわけです。
習い事って、たいていみんな同じなんですよね。基礎が出来てないと難しい。でも、「できた!」って実感がないと面白くないから、難しい課題を先にやろうとして、基礎練習をすっとばしてしまうんですね。で、基礎をすっ飛ばしてるから、全然できない。それで挫折する。で、挫折した理由に「●●は難しい」とか言う。
●●のところは何が入ってもいいわけです。「英語は難しい」でも「楽器演奏は難しい」でもなんでもいい。とにかく「難しいからできなかった」と言って、「僕の努力不足ではないよ。ほんとに難しいんだもん。」って言うわけです。
でもなぁ、ちゃんと出来てる人もいてるよ? って思うわけです。その出来てる人と出来てない人の違いって何? って思う。それをいつも思う。
で、その違いって、結局、基礎を大事にしてるかどうかなんよなぁ。とどのつまり。
で。
これは、多分、人生の全てに応用できる事なんだろうと思うわけです。
まず生きて行くには、「人生の基礎」をみっちりやらないといけないんじゃないか?って思うわけですよ。
「人生の基礎」というと何かというと、失敗したらそれを自分の責任として受け入れるとか、間違った事をしたときに「ああ、恥ずかしい」と感じるとか、ゴメンナサイと謝るとか、何かを教えてもらったらありがとうと感謝するとかですね。そう言うことが基本でしょう。基礎ね。
まず、そういう、「人生の基礎」をみっちり身につける、というか、味あわないといけないんじゃないかなぁって思うんです。
そういう人生に対する態度は人生のすべての事、それこそ、踊りでもなんでも、学習というものの伸びを促進する、良い成長剤にもなるんだと思うんです。
たぶんね、ちゃんとゴメンナサイとかありがとうが言える人は、何を習っても修得が早い。不思議な気もするけど、でもそういうものなんですね。たぶん「教え」という、すばらしいギフトを受け取る気構えができているかどうか? って事なんでしょうね。それができているかどうかで、「先生」の教えを吸収できるかどうかが決まってくるんだと思う。
だから、ありがとうとかゴメンナサイっていうのは超大事なんだろうと思うのですよ。
自分の失敗を認めるという基礎なくして学習は成立しないんですね。で、失敗した時に、ちゃんと「ああ、恥ずかしい」「カッコ悪い」と顔から火が出るくらい恥ずかしい思いを「実感」しないと「感じる」という心の基礎力がつかないし、それと同じ事で、回りのみんなに、「ありがとう」と感じる感謝の気持ちなくして、他者との結びつきはありえないわけです。当然、「師」から何かを学ぶって事もできるはずがないのです。
だから、先生の言う事を聞くという、1年生の課題ができてなくて、自分なりのやり方をする、という2年生の課題ができるわけがないのです。
でも、世の中、自分が基礎ができていないのを棚にあげて、「私の知らないところに、私の知らない正しさがあるなんて信じられない」と言うとか、国語のテストで「感じ方は自由だろ」と自由記述方式の設問を否定するとか、「誰かの正しいやり方に従うなんて、一番つまらない」とか言うとか、そういう「自分なりで良い」というような間違った個人主義ってのがのさばっててイライラします。
それでうまく行くなら別にそれでもいいんだけど、たいていうまく行ってないしね。ほんと。
結局、はずせない基本っていうのはあるのであって、その基本が出来ていないとその先は、何をどうやったって、たどりつけないわけです。どうしても絶対に、どうあろうと無理なんですね。
幸せになるためには、だから基本をみっちり、というのは外せないんだと思うのですよ。不幸というのは、ようするに基本が身に付いてないって事だと思う。ほんとうに。アダルトチルドレンの概念を学んでから、よけいそう思うようになりました。対人関係の基本やら、本当に大切な家族との関係やらの「基礎」が身に付いてなくて、何を学ぼうともうまく行くわけないよなぁって思う。
特に、こういう踊りとか、スポーツ系はよけい基礎が大事でしょうね。フルマラソンを走るためには、走るのも大事だけど、まず日々歩いてるとかの基礎がなきゃやばいと思う。一日に一万歩も歩いてないメタボ人間が、「毎日歩く」もしないままに走ったりしたら、腰を悪くするだけでしょう。腰を悪くしてしまったら、走るどころか、歩くのすら辛くなる。そういう事です。
「基礎をすっ飛ばしたい。」
と思うのは勝手だけど、それをすっ飛ばしている限り、どうしたって絶対に、永遠にたどり着くべき所にはたどり着かない。これが、この数年ずっっっと考えてきた、人生の基本だなぁと、最近は思うのですよ。
逆に言うと、本当に賢い人は、まず基礎からキチンと固める。それが一番近道で早いと知ってるんでしょうね。親に教えられたか、良い先輩がいたか、そう言うことはわかりませんけど、賢い人は基礎をすっ飛ばさない。まず最初にみっちり基礎をやる。それさえやれば、後が自由自在で、「振り付けが一発で入る」ということを、体で知ってるという人がいてるわけです。
そういうことなんよなぁ…って最近はつくづく思うのです。
というのは、僕が歳を食って来たからです。
人生の残り時間は、それほど多くはない。
だからこそ、です。
だからこそ、基礎をていねいにやらなければならない。
いまからでも遅くない。
とにかく基礎からていねいにやらないといけない。
基礎を飛ばしたら、それこそ、ただ遠回りをするだけなのです。
ということで、もう一度、カレイニナ早川先生の言葉を書いておきたい。
「短い期間ですから、まず基礎からやりました。毎日毎日基礎ばーっかりやってましたら、みなさん不安になりまして、どうして?どうして?ってなってましたが、基礎が出来ていなくて、振り付けに入る事はできませんからね。しかし、(基礎ができて)振り付けに入りましたら、1時間で一曲、パシーッと入りましたものね。早い人は30分で入りました。やっぱり基礎が大切なんです。」
まず基礎。
ひたすらそれだと思う。
いろんな意味で、「フラガール・メモリアルボックス」
良かったです。