今日は、mixiに書いた日記を、一部修正して転載。
あまりに印象深いことだったので。

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えー、実は先日、仕事の上で賞をいただきまして。それもある社団法人の広告賞のカタログ部門の部門金賞でして、得意先でも「ずっと金賞が欲しかったのに取れなくて」と言われていたものをいただけたのですよ。

で、本日5月28日(月)は、その広告賞の金賞の授賞式だったのです。

東京は、総武線信濃町駅そばの明治記念館が会場だったんですね。いやなんちゅうか格式を感じる、良い場所だなぁとおもったんです。
明治神宮外苑も近いし、木々の緑も美しくて。

「信濃町かぁ、いい場所だなぁ。」とかね。

しかし、あなた、そんなこたぁ、どうでもいいんですよ。

それより今日の、強烈な「死」のニュース2つ!
●松岡大臣自殺
●ZARD坂井泉水40才脳挫傷で死亡
の方がショックだったのですよ。

って言うのはね、この二人、二人とも、「信濃町の慶応病院」で亡くなってるのですよ。

なに、それ!
慶応病院って信濃町の駅の目の前じゃん!
私ゃ、今日、目の前で「ああ、これが慶応病院ね」とか見てたっていうの!

で、なんで私が、信濃町に出かけた日に、そういう事が起きるの!

それも松岡大臣とZARDですよ。同時ですよ。そこに私の金賞ですよ。何がなんだかどうなってるのか、わけわかりません。怖いです。

もうね、あまりに強烈でして、多分一生忘れられそうにない一日でありましたです。はい。

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まぁ以上なんですが、ここでは追加して、一言書くと、この賞がいただけたのも、ほめられて「ありがとうございます」と言ってたからだと思うのですよねぇ。

ほめられて「ありがとうございます」と言うということは、「ほめられてうれしい」という立場表明になります。

ちょうど、ここで書いた「ほめられて謙遜するのではなく、まずありがとうと言おう」と、「ありがとう」を言い続けていたクライアントさんからの仕事が、この賞を取れたクライアントさんですから。

人間として一番素晴らしいのは、愛情を与える人間なわけですけれども、その前に「与えられた愛情を正しく受け取れるかどうか」というのもありまして、ほめられたら「ありがとう」と言うというのは、まさにその「受け取り方」の問題なんですね。

それを言わずに謙遜するっていうのは、ようするに愛情の拒否なんですよ。実は。
世の中は愛にあふれているのに、拒否しているのがACなんですね。

で、「ありがとう」と言うというのは、正しく愛情を受け取る事なので「お、嫌がってないな」と、また愛情がいただけるわけです。まず「受け取り方」ってのがあるって事なんですけどね。

で、この「受け取り方」を正しくキチンとやっていると「ほめてやったら喜びよる。嫌がってはいないんだな」というのがはっきりしますから、クライアントさんがまた「面白い仕事」や「大きな仕事」を持ってきてくださるわけです。

つまりは、「ありがとうございます」の連続の結果が、この金賞になったのだなぁ、と思うわけです。

だからやっぱり、愛情は、正しく受け取らないといけないんですね。

あと、間違いを指摘されたら、やっぱり「指摘いただき気付くことができました。ありがとうございます。」だろうなぁって、つくづく思うのです。
これも最近、とても大きな気づきがありまして、また書きますけど、叱ってくれる人なんて、そうそういてないわけですよ。だから「叱り」も本当に大きな愛情なんですね。

だからやっぱり間違いを指摘されたら「ありがとうございます」って言わないといけない。

いや、実は、これはまだまだ僕にはできてませんけどね。
でも、そうやっていかないといけないと思います。

ま、そんな事で。

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