ちょっと落ち込んだ事があったので、友人と飲みに行く。
英語にまつわる問題だったので、ちょっと愚痴半分に相談してみる。
その男、いちおう英検準一級で、貿易業務をやってた時期もあるもので。
で、話していてわかったのは、ようは僕にかなり英語の「感覚」が身に付いて来たことが問題だったのだなぁと言うこと。
和製英語の言葉っていうのが、前は「雰囲気と気分」で理解できてたのに、いまは「理解しよう」という気持ちより先に「なんか気持ち悪くてすっきりしない」が先に来るようになってしまってるんですな。
ある程度英文に触れていると、なんかそういう和製英語って「すっきりしなくて気持ち悪い」という感覚を無性にかき立てさせてしまうものらしい。あー、確かに。しょうがないよなぁ、こればっかりは。もうすでに感覚が切り変わってしまってるから、元にも戻らんのかなぁ。うーん。ちょっと困った。
もう、「雰囲気と気分」での、ナンチャッテ英語は、理解できなくなってしまってるんやなぁ、多分。前は「わかって」たのに。と思う。
別にTOEIC900点以上とか、そういう最低限の実力ができた、というわけでもなく、中学英語の基礎文法が、それなりに体に入った、という程度だから、「英語ができる!」と言えるほどでもなく。実に中途半端なのだ。
これまで、仕事で英語の良くできる方と話しているときに、その人が、英語に関して、いつも「いやー、その表現はちょっと…。」と不快感を示したりするんですよ。でも、そのくせ、「こういう言い方なら良いと思うんですが」と言う対案は出さなかったりして、困ったもんだなぁ、ああいう態度は、と思ってたんだけど、考えてみたら今回は、自分がそうなってしまっていて、驚く。で、「それはちょっと…」とつい言ってしまった、その人の気持ちが、痛いほどわかる。
生理的に気持ち悪くなってたんや!あれは!!!
知らんかった!
そうだったのか!
であります。
でもネイティブやないから、「これが正解!」とまでは言えなくて、すごく中途半端な、グダグダした思いになってしまうシンドサなんやなぁ。と気付く。
ああ、大変やなぁ。しみじみ。
学習をして、何かを身につけていく過程で、どうやらこういう事はどうしても起こる事みたいですなぁ。そういう事がわかっただけでも、昨日の友人との雑談は有効でした。
あー、しかし、これはこれで大変な問題であります。
そういえば、前はなんともなかったのに、電車の中とか、誰かが鼻風邪をひいてズズズズーと鼻をすすってたりすると、もう気持ち悪くて仕方なくなるんですよね、私。あれ、すごく気持ち悪い。なんでかわからんけど。
前は別に気にもならなかったのに、最近では耐えられなくなってきていて、電車とかだと車両を移ったりするんですよ。そこまで気持ち悪くなってしまってる。
で、つらつら考えるに、どうも英語の聞き取りの練習とかを一定期間やって以降に、この感覚になってきたように思うんですよね。いまはまだ蕎麦屋さんでの「すすり音」は耐えられるんですがね。そのうち耐えられなくなるんやろか?
英語のできるビジネスマンが、よく、「海外へ向かう飛行機の中でスープをすする音を立てるのは最悪だから辞めて欲しい」とかキツク言ってるのも同じ事なんだろうなぁって思うんですよ。多分、生理的に嫌悪感が出ちゃうんだろうなぁ、きっと。たぶんそうなのだろうと思う。
で、それは多分、英語のthの発音とかzの発音とかを聞き分けるような練習をしてることの反動なんだろうと思うのですよね。
でも、それが余裕もって聞き分けられるようになったら、「鼻すすり」が気にならなくなるんだろうか? いや、無理なんと違うかなぁ? 生理的嫌悪感はそのまま残ってしまうような気がする。
どうなんやろ?
未知の領域なので、さっぱりわかりません。はい。
英語にまつわる問題だったので、ちょっと愚痴半分に相談してみる。
その男、いちおう英検準一級で、貿易業務をやってた時期もあるもので。
で、話していてわかったのは、ようは僕にかなり英語の「感覚」が身に付いて来たことが問題だったのだなぁと言うこと。
和製英語の言葉っていうのが、前は「雰囲気と気分」で理解できてたのに、いまは「理解しよう」という気持ちより先に「なんか気持ち悪くてすっきりしない」が先に来るようになってしまってるんですな。
ある程度英文に触れていると、なんかそういう和製英語って「すっきりしなくて気持ち悪い」という感覚を無性にかき立てさせてしまうものらしい。あー、確かに。しょうがないよなぁ、こればっかりは。もうすでに感覚が切り変わってしまってるから、元にも戻らんのかなぁ。うーん。ちょっと困った。
もう、「雰囲気と気分」での、ナンチャッテ英語は、理解できなくなってしまってるんやなぁ、多分。前は「わかって」たのに。と思う。
別にTOEIC900点以上とか、そういう最低限の実力ができた、というわけでもなく、中学英語の基礎文法が、それなりに体に入った、という程度だから、「英語ができる!」と言えるほどでもなく。実に中途半端なのだ。
これまで、仕事で英語の良くできる方と話しているときに、その人が、英語に関して、いつも「いやー、その表現はちょっと…。」と不快感を示したりするんですよ。でも、そのくせ、「こういう言い方なら良いと思うんですが」と言う対案は出さなかったりして、困ったもんだなぁ、ああいう態度は、と思ってたんだけど、考えてみたら今回は、自分がそうなってしまっていて、驚く。で、「それはちょっと…」とつい言ってしまった、その人の気持ちが、痛いほどわかる。
生理的に気持ち悪くなってたんや!あれは!!!
知らんかった!
そうだったのか!
であります。
でもネイティブやないから、「これが正解!」とまでは言えなくて、すごく中途半端な、グダグダした思いになってしまうシンドサなんやなぁ。と気付く。
ああ、大変やなぁ。しみじみ。
学習をして、何かを身につけていく過程で、どうやらこういう事はどうしても起こる事みたいですなぁ。そういう事がわかっただけでも、昨日の友人との雑談は有効でした。
あー、しかし、これはこれで大変な問題であります。
そういえば、前はなんともなかったのに、電車の中とか、誰かが鼻風邪をひいてズズズズーと鼻をすすってたりすると、もう気持ち悪くて仕方なくなるんですよね、私。あれ、すごく気持ち悪い。なんでかわからんけど。
前は別に気にもならなかったのに、最近では耐えられなくなってきていて、電車とかだと車両を移ったりするんですよ。そこまで気持ち悪くなってしまってる。
で、つらつら考えるに、どうも英語の聞き取りの練習とかを一定期間やって以降に、この感覚になってきたように思うんですよね。いまはまだ蕎麦屋さんでの「すすり音」は耐えられるんですがね。そのうち耐えられなくなるんやろか?
英語のできるビジネスマンが、よく、「海外へ向かう飛行機の中でスープをすする音を立てるのは最悪だから辞めて欲しい」とかキツク言ってるのも同じ事なんだろうなぁって思うんですよ。多分、生理的に嫌悪感が出ちゃうんだろうなぁ、きっと。たぶんそうなのだろうと思う。
で、それは多分、英語のthの発音とかzの発音とかを聞き分けるような練習をしてることの反動なんだろうと思うのですよね。
でも、それが余裕もって聞き分けられるようになったら、「鼻すすり」が気にならなくなるんだろうか? いや、無理なんと違うかなぁ? 生理的嫌悪感はそのまま残ってしまうような気がする。
どうなんやろ?
未知の領域なので、さっぱりわかりません。はい。