今日、電車に乗ろうとしてエスカレーターに立っていると、後ろから誰かがぶつかってきた。

「なんだぁ」と思って、横を見ようとしたらすかさず「すみません」と声が返ってきた。

で、よくよく見ると、手には白い杖。目の見えない高校生くらいの男の子なのよねー。エスカレーターどんどん階段みたいに登ってたんだねー。

目が見えないから、とりあえず左側(大阪では左側を空けます。)をどんどん登ってきたわけだ。

でも目が見えないから誰かと肩くらいはこすってしまうかも知れない。でも、とにかくどんどんどんと登っていくわけよねー。

「ぶつかったら謝ればいいや」

って感じ。

ちょっと気になって、その後もしばらく目でその後姿を追ってたんだけれど、床の案内板を踏みながら、これまたどんどんホームを進んでた。自分がそういう案内板の上に立ってると気づいてない人にはドスンとかけっこうぶつかってるんだよなー。

たぶんぶつかるたびに「すんません」って声をかけてるんだろうなー。

なんかねー、かっこ良かったんだ、それ。
すげーかっこ良かった。
いいなぁ。いま思い出すと涙出そうだねぇ。

目が見えないのにエスカレーターをどんどん登ってくっていうのがまず、けっこう大変だと思うのよ。いつエスカレーターの終わりが来るかとか、慣れるまで大変だろうなと思う。

でも、それをやってるんだろうねぇ、普段から。慣れてたもん。

で、普通はぶつかる前に「すみません」って言って駆け上がっていくんだけど、彼にはそれができない。できないから、ぶつかってから素早く「すみません」と言うという技を見つけたんだと思う。

そういうのがもう全部ね、かっこいいんだ。
自分の環境とかに文句言うんじゃなくて、そのまま受け入れて、なおかつ目の見える人がどう思うのかという社会性まで考えて、それで自分の「やり方」を見つけ出してるんだよなー。

ああ、かっこいいよなー。
すげーかっこいい。

ああ、またホロリときちゃいそうだよ。
努力とコミュニケーションと、自分の強い意志と。
全部がかっこいいのだぁ。

階段で片側をあけるとかさ、床の案内板とかさ、そういう、「世の中にあるもの」も、そのまま使ってるしさ。それも最大限に。
そういうところもイカスよなぁ。

「あるもんは使わせていただきましょ」だ。

片側空けとか案内板とかは、つい「かっこだけ存在するもの」とか思いがちだけど、こんな風に積極的に使ってくれると「ああそうだ、凄く意味あるものだよねぇ」とか思いなおせるしさ。そういう「誰もに役立つもの」がそこにあるのだ、そういう社会に生きているのだ、と思えるということも豊かな感じがあってうれしいじゃないか。

そういうことまでひっくるめてカッコいいよなぁと思った。

当人はカッコとかなんとか考えちゃいないと思うけどさ。


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