わははははー。
長い間叱りつけてた奴がとうとう謝りやがった。

がははははははー。

おもろいなー。

ざまーみろー。

間違ってる奴は死んでかまわない。
生きてること自体が周りの迷惑だからな。

でもあんた死んでなかったじゃん!!!
死ぬことも、よーせんかったやん!!!

死ぬこともできんかったら、死ぬ気で謝るしかねぇってことさ。
死ぬよりゃラクだったろうが。
それが生きるってことさ。

こっ恥ずかしかったか?
情けなかったか?
くやしかったか?

その「嫌な感じ」を味わうことこそが「生きている喜び」ってもんなんだよ。「死んでる〜」とか言ってる間は絶対に味わえないのさ。

がはははははは。
なんてマヌケだ。
おもろいぞー。
もっと恥かけ。恥ずかしい思いをしろ!!!!

だははははは。
半年以上もかかりやがって。

まぁよろしい。
あやまったのは偉大なる進歩だ。
それはほめてやるぜ。
おめでとう。

まぁこれで君も精神年齢10歳から11歳くらいには成長したってことだ。

だはははははは。
まぁ愉快だ。

まぁ今後も恥ずかしい思い、情けない思い、嫌な感じを、もっともっともっともっと味わってくれ。
それこそが生きる喜びなんだからな。

嫌な感じを避けるな。そこにこそ宝の山はある。いや、そこにしか宝はないのだ。
そこをよーーーーくかみしめな。

がははははははは。

悔しかったら、もう二度と謝らないでいいように、徹底的な勉強をすることだよ。
いいかげんなことをいいかげんな気持ちで言わないことだよ。
物事をキチンと確かめてからしゃべることだよ。

そんな基本的なこともできてない奴は、この世に存在する価値は全くない。死んでかまわない。必要がないのだ。
そんな人間はいなくなっても悲しいとも思わない。生きてないんだから。いらん存在だ。

この世の生きている人間で必要なのは、自分の間違いをちゃんと反省し、間違った事を言った時に徹底的にこき下ろされて、恥ずかしい思いをし、もう二度とあんな恥ずかしい思いはしたくないと心底思った人間だけが必要とされるんだ。

だから百回でも私は言う。謝れない奴は人間のクズ。生きている価値など無し。死んでかまわない!!!!!わははははは。
そういうこった。

より良く生きるべし。
生きろ!
生きろ!
人間には、感じるという能力が備わっていて、これをどう扱うかで、人生は変わる。

基本的には感度をあげてやれば能力も幸せ度もあがるのだけど、物事はそう簡単でもない。

感じる能力が高いということは、喜びだけでなく、恥ずかしいと感じることや、心の痛みも敏感に感じるようになるわけで、自分の都合のいいほうだけを「選択して感じる」というわけにはいかない。残念ながら。

喜びをキチンと味わい、楽しむためには、恥ずかしい気持ちや嫌だなぁと感じる心もまた、自分の人生の一部として、しっかりと引き受けるしかないわけだ。

なので、この「嫌な感じは、嫌だなぁ」と、恥じ入る事を避けるとか、頭を打ったことを受け入れないとか、失敗したことを悔しく感じないとか、「意識的に嫌な感じは感じないようにする」てなことをしてると、感じる能力はいきおい下がる。

嫌なことを感じないということは、喜びも感じないということである。当然人生はつまらなくなる。当たり前の話だ。

悲しみを悲しく感じないようにすれば、当然喜びを嬉しく感じなくなるのである。

光があれば影がある。
当然のことなのだ。

真っ白な、夏の雲をスケッチするためには、影をこそていねいに観察して、描かなければならないのだ。そういうことだ。

恐ろしい事に、痛みを感じないようにしている人間は、当然ながら、他の人の心の痛みを「察する」という事もできない。人間関係が恐ろしく希薄になる。

希薄な関係ばかりになると、とても不安になって、家族や近親者や身近な人との深い関係に「頼る」ようになってしまう。そこにしか「自分」がないように思えるからだ。

でも、それは本来、自分が「感じない」ようにしているのが悪いのであって、いくら周りに手当してもらおうとしても、決して、絶対、どんなことがあろうと、永遠に、未来永劫、解決はしないのである。

痛い事を「痛い」と自分で感じること。

ここから逃げてる人間に未来なんかない。まったくない。ゼロである。

いや、それどころか、この「感じない病」は、まず周りを傷つける。痛みを感じないようにしているのだから、人を傷つけても、まーーーーったく平気になってしまう。

いくら「迷惑しているのだ」と伝えても、当人が「痛みを感じない」ようにしているのだから、話にならない。

で、ドンドン・バンバン傷つけまくりになる。
まぁ身近な人ほど傷つけられるわなぁ。興味を否定されたりとか、理不尽な言葉で否定されたりとか、そういうことが「普通」になってしまうのだね。

それもこれも、当人が「痛みを感じないように」しているのが問題なわけで。

感じないように生きている人間というのは、まさにゾンビで、これほど周りに迷惑な存在というものはない。

ところが、「感じないようにしている」人間は、この「感じないようにしていることそのものが、反社会的で、絶対に許されざること」であるということ自体がわかっておらん。

まぁわかりたくないんだから、しょうがないと言えばしょうがないんだろうけどなー。

官僚とか、実はその典型なんだよなー。「自分だけは傷つきたくない」と思うから、「自分で稼ぐのはしんどい。役人なら生活が保障される。」とかいう発想で役人になる。

まぁ、それはともあれ、「感じない」ようにしている人は、本当に諸悪の根源で、社会の迷惑で、人間のクズだと思うのですよ。生きてる意味ないやん。五体満足に生まれて来てるのに。

感じることは、生きていくことの基本中の基本だと思うので、ここだけは絶対に大切にしたいのであります。

ちゅうことで、いまごろになって夏ばてが来て、仕事へのやる気がでなくて困っております。
自分の悪いとこ、ダメなとこばっかり気にかかる。
でも、これをしっかり感じておかないと、次のステップに進めないので、ちょっとじっくり味わいつくそうと思うのであります。

嫌なこととか、ほんと、「味わってやるぞ」と思ってはじめて小さくなるものだしね。感じきって、味わい尽くせば、自分のものになって腹におさまる。

まず、それをしないとダメだよね、人間。
そう思うのであります。
はい。
私はあまり賢くない。
なので、いろいろ勘違いもするし、間違いもする。
そのたびに本を読んだり、人に意見を求めたりといろいろやる。
だから、いつも考え方や発言を修正しないといけない。

で、そうやって努力していくと、だんだんゆっくりと「本当の天才」とか「きちんとした秀才」というものがどういうものかわかってくるのですな。

はっきり言ってバカに天才は理解できない。無理だ。だから世の中を渡り歩いて行くには、やっぱり勉強がどうしても必要だ。経験則と礼節、人の良さだけではやっていけないのである。

ほんとうに優れたことをする人は膨大な知識の上にわずかなインスピレーションを上乗せして仕組み全体の整合性を持たせたまま完全な解決策を編み出したりするものなのだ。
そのすごさは、多分、ほんとうにキチンと勉強しないとわからないんだろうと思う。

あまり賢くない私ですら、多少の勉強をすると、もっとバカな人間から理解されにくくなる。

天才にはバカが理解できるが、バカには天才が理解できないのだ。これはもう絶対だなぁ。つくづく思う。

たくさん努力して、たくさん勉強した人は、いろんなことが分る。でも勉強してない人間は、とにかく、ただひたすらバカなだけだ。努力して勉強した人間から「こいつバカだよなー」と見られていることすら理解できない。

バカな人。ほんとうに勉強しなさいよ。バカは罪です。きっぱり。

で、最近よく思うのは、田中角栄ってやっぱりものすごい天才やったんと違うんか、ということである。
あえて「角栄モデル」と名付けるけど、いまの小泉の路線って、単に角栄モデルをつぶしてるだけで、その先にあるのはアメリカへの従属化だけやもんな。

たぶん「角栄モデル」は、「自分のことは自分でするモデル」で、日本がアメリカに頼らずやっていくモデルだったんだと思う。

だから角栄はロッキードでアメリカに潰された。

この数年というか十年以上、政・官・財の癒着とかなんとか言われてたことも、アメリカによる実にロングスパンの宣伝効果による角栄モデルの破壊に主目的があったのではないか?

そう考えると公共の仕事には、「政・官・財の協力」が必要な分野も数多いのだということがパッと思い浮かぶ。

そういうことなんじゃないか?

田中角栄は不世出の大天才だった。このあいだ三十周忌があったらしいが、昔の田中派はみんな出てこなかったらしい。ほんとうに、この数年で政治的にはみんなコテンパンに潰されまくってしまったもんなぁ。

住宅金融公庫の仕組みを作ったのも角栄である。この仕組みなど、アメリカのモーゲージの金融的危うさと比べてみれば、はるかに合理的で優れているとも言える。(まぁ家の値段そのものが高止まりしてしまったのはよろしくないが。)

ともあれ天才の考えていることは、バカには理解できない。みなひたすらコツコツと勉強していくしか、本当は他に道はないのである。

そして勉強というのは、単に人より多く勉強に時間を割いて、コツコツ毎日、たとえ10分でも本を読み事実確認しながら検討を積み重ねるということでしかない。

首相の犯罪とか、造反議員とか、まぁレッテル貼りでうんぬんするのは、本当にダメだね。ダメだわ。ほんとうに。
レッテル貼りだけがうまくなるというのは、ひたすら「考えることの拒否」だよ。

重要なのは「レッテルはがし」だね。パッケージのデザインにだまされずに、ちゃんと品質をこそ見ることだ。

バカはレッテルはがしができない。
とにかく「わからなくて不安」なものには、次から次へとレッテル貼りをする。それで「勉強しなくていい安心感」を確保するんだよなぁ。

勉強するというのは、自分がバカであると自覚させられることそのものなんだよね。「わ、俺が間違ってましたすみません。」って感じ。

そこが勉強することの、けっこう辛い部分なんだ。
でも、バカは本当にこれができない。
辛いことを避ける。人によっては「そういう事を言うのは暴力だ」とかまで言う。

違うよ。おまえがバカなだけだよ。
そうホントのこと言うしかないんだけどねー。
ホントの事を言うと「暴力だ」とか非難されたりするのよなー。
困ったことだ。
バカがバカを自覚できなかったら、一生バカのまんまだよなー。
どうするつもりだよー。勉強しろよ、おまえバカなんだからってことなんだけどなー。

天才はバカのこともキチンとわかるし考えるけど、勉強途中の秀才にも至ってない私はバカの気持ちまで考えてる余裕なんてないのよなぁ。

で、多少でも勉強したら、その勉強した部分に関してはバカより数十倍明晰に問題把握ができている。だからバカが小理屈こねても「バカが」と完全に無視ができてしまう。(天才なら無視せずバカでもわかるように言い方を考えたりするだろうけど。私は天才ではなく「バカが努力して、ちょっとまともになった」程度なので余裕がないのである。脳みそがパンパン状態なのだ。天才みたいにゆとりはない。)

ともあれ、私もそう賢いわけではないので、バカの相手をするより、まず自分のバカさ加減に気づいて、より正確な真実の理解へ近づくことだと思っております。

ほんと、勉強した人間にはバカは丸見えである。
なにからなにまでお見通しなのだ。
でも、そういうことすらバカにはわかってない。

やっぱりバカでは、天才は理解できないのだ。

甘く見ていた。

2005年10月25日 ■時事
最近つくづく思うのは、真に権力を持つものの力に強大さだ。

いまの小泉政権などマスコミの付和雷同と民主党のすり寄りがなければ成り立たない。

夏の政変など、あれは憲法違反である。本来なら良識あるマスコミがいっせいに「小泉、狂ったか」と書いて当然の事なのだ。だからそうなると思っていた。

しかしマスコミこそが権力に買われた犬に成り下がっていた。このあたりを甘く見ていた。

マスコミが弱くても対立政党が叩くかと思ってたら党首戦でアメリカべったりのミニ小泉みたいな前原が党首になった。だからそういう首相の憲法違反みたいなことを全然追求しない。

民主党もアメリカに買われてしまってたんだなぁと唖然とするばかりである。

これだけおかしなことが起きているのに、日本の一般大衆は何も気づかない。政府の間違いを正す役目を野党が担わず「小泉政権を越える改革をする」なんて言ってたら話にならない。政治そのものが単なる儀式にしかならないじゃないか。

そういうおかしなことをおかしいと感じない感覚は、結局、毎日毎日の積み重ねから来ていたんだなぁと思う。
マスコミが結局はずっと「小泉礼賛」をやってきたからだ。

ずっと、「ここ一番という時には、民衆はだまされずに自分の得になるほうを選ぶ」と思っていたから、ものすごい敗北感である。

権力者は小泉でもブッシュでもなく、石油流通を握るロックフェラーだろう。持ってる金の量が桁違いなんだなぁとつくづく思うだけだ。

いままで「証拠もないのにごちゃごちゃ書くのはイカン」と清廉潔白なジャーナリズムの基本に則って考えてたけど、こうもあからさまに法の精神を踏みにじったりしている現状を見ていると証拠がなくても書かなくては仕方ないという気になってきた。

マスコミも政治もコントロールできるようになってしまったら、戦争だとて計画的に起こせる。このまま行くと、反北朝鮮、反中国の風潮が自動的に作られ、アジア人同士が争って、ぶっ壊れた都市をアメリカの企業が立て直すというつまらない結果しかやってこない。

戦争はおしなべて「在庫処理」である。爆弾の在庫処理でビルを潰して、立て直して建築業の在庫も、ありとあらゆる商材の在庫処理も行える。だから簡単にはなくならないのだ。

あとはいかにその損な役割から逃げるかだ。戦争の場所など、別にどこだっていいのだ。在庫処理さえできれば。そんな損な役回りは引き受けないほうがいい。

ソ連が潰れて、アメリカが帝国になった段階で、「ああ徳川政権と一緒や」と思った。徳川帝国が誕生したときにやったのは、敵対する能力のありそうな藩のいじめであった。

なんくせつけて、従わなかったら潰すのである。それを何度か繰り返して、もう敵が出てこないようなところまで圧倒した後に参勤交代という財力の無駄遣い政策を出して、未来永劫徳川政権が続く仕組みにしてしまった。

いまのアメリカのやってることは徳川家康と一緒である。そんなもん、徳川家康の歴史を見れば簡単にわかる。

だから日本は、あの戦国時代を無事に生き延び、織田、豊臣、徳川すべての政権に仕えて、しかも権力者からのキツイ徴税にも、農業の技術改革で見事に対応し、徳川政権の中でも発言力を増して行った加賀の前田藩のようになるべきだというのが、私の基本的なスタンスだった。

日本の物作り能力には、そこまでの力があるのだ。現場の力で生き抜いてきた国民なのだから、そこでがんばるしかないだろうと思っていた。

アメリカの属国の立場はキチンと守った上で、兵役・戦役だけはうまくかわし、アメリカが弱った時に後ろからアメリカの首を絞める。そういう存在であるべきだと思ってた。

でもなぁ、最近は徳川家康も読まないんだよな、みんな。どんどんアメリカの策謀にはまっていって、それに気づかないだけ、なんだよなぁ。後ろから首を絞めるなんて発想すら持てないくらいにバカになってる。

自国がマスメディアから政治体制に至るまで、完全に握られているのに、それにも気づかずに、アメリカのイスラム圏叩きに「反対!」とか言ってたりして。よその国を見てる場合じゃないって言うのに。

ほんと、この9月の選挙結果には落ち込みました。「ここまでみんなアホやったんか」ということで。

でもどうもあきらめるにはまだはやいのかもなぁとも思う。
自民党圧勝と言っても得票数をみれば、本当に僅差なのだ。管理される属国として、いつのまにやら小選挙区制なんかを導入させられちゃったからこんな結果になったけど、まだまだ小泉以外を選ぶ人は多い。52:48くらいの差なんだよなー、得票数で見ると。

ともあれ、アメリカの石油メジャーや金融を掌握しているロックフェラーこそが帝王なのであってブッシュや小泉は手駒でしかない。そんな奴見たこともないから、「よーわからん」と思ってたが、この世の中の異常さを見るにつけ、「あやつってなかったら、こんなことは成立しない」とはっきりわかったので、もうあからさまにする。

半端じゃない資金と組織力がなければ、こんどの選挙戦みたいなことできないわなぁ。それをつくづく思った。

今回は本当にあからさまだった。郵政改革反対を唱えたものでも、「未来ビジョンがない」という理由だけだった野田聖子あたりは、なんだかんだ言っても議員生命はながらえた。

しかし、アメリカの要望をまとめた年次改革要望書の存在にまで言及し、「小泉政権はアメリカの言いなりになりすぎだ」とまっこうから反アメリカの理由を持ってきた小林こうきは、小池百合子を対立候補に持ってこられ、議員にもなれなかった上に、選挙が終わった翌日だったかに、スタッフの選挙違反で挙げられてしまったのである。

こんなもん「なんかなんくせつけておとしめてやる」ことを前提に選挙期間中ずっと監視してなきゃできんじゃろう。見せしめなんじゃないかねぇ。そうとしか思えない。ひどいもんだ。

果たしてこれが法治国家か。小室直樹じゃないけど、「すでに憲法は死んでいる」だなぁ。まったく。

ま、愚痴はやめよう。
絶望していたとしても、絶望しながら、前に向かってただ歩くのである。歩くことをやめてはいけない。それだけのことだ。
ISBN:4774124737 文庫 樋口 健夫 技術評論社 2005/09/23 ¥1,029

えー、最近ミクシィでこの手帳の著者の樋口さんとお知り合いにならせていただいた。感激である。

樋口さんは、「アイディアマラソン」の提唱者である。毎日一個とか二個とかアイディアを出すことを自分の課題として、それを毎日繰り返しましょう、という提案である。

私は、これを素晴らしいと思うのだ。

良い発想があると、昨日まで不可能に思えていたことが、誰にでも出来る簡単な事になったりする。未来が開ける。

基本的に、樋口さんの提案しているのは、そういう方向性での「アイディア」なのだ。

もう前々から、何冊も樋口さんの書籍は読ませてもらっているが、その膨大なアイディアから、生まれてくる、なんて言うのかな、生きるための前向きな力みたいなのが、すごく好きだ。

で、一時期、僕もマネして毎日発想をメモしてたのだけれど、これがどうにも続かなかった。バインダー手帳であるシステムダイアリーで、一件一枚のカードでやったのが失敗の元だったんだねぇ。

読み直しはしにくいわ、場所はくうわ、全然良くなかった。

で、今年はその樋口さんが監修して、まさに「アイデアマラソン」専用の手帳が発売された。

これがなかなかにいい。見開きで14個、一冊で最大千個のアイディアが書けるようになっているうえに、スケジュール帳としてもつかえるというものなのだ。
こりゃいいやと思って使いはじめてるけど、なかなか快適。

それはそれとして。

まぁ、あれだね。腹立つこともいろいろあるけど、腹立ててるヒマがあったら、発想をひねり出すという作業をいくつもやるほうが健全だわね。
そう思った。

前向きに行こう。前向きに。

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