仏教・神道・儒教集中講座
2005年7月5日 読書
ISBN:4198620202 単行本 井沢 元彦 徳間書店 2005/06/30 ¥1,575
いやー、おもしろかった。
これはもう日本人全員、必読の書だなぁ。
こういう本が読みたかったのですよ私は。
このクソ忙しいのに実質二日くらいで読み終えてしまった。
いやまぁ知ってる事もすごく多かったので読みやすかったというのもあるんだけど、とにかく日本人の「宗教心」や「道徳心」の中核を成す原理「仏教」「神道」「儒教」のことが、一気に一度に整理された形で、たった一冊で、しかもたかだか250頁程度でわかってしまうってのはすごいのではないかと思う。
井沢さんの書く本は、昔は過激な表現とかけっこうしていたので、そこをおもしろがってたところもあったんだけど、最近は僕自身も考え方がいろいろと多面的になってきたので、「井沢さん、内容はいいけど言い方がキツイからなぁ」とか思って、ちょっと敬遠してたところがあった。
でもこの本を読んでみると、昔とはずいぶん違う。
へー。
と思った。
なんて言うんでしょうか、「伝えなくちゃいけないことがあるから、とにかくそれから順に書く。あんまりカッカしてるヒマはない」って感じだ。内容は濃いんだけど、とにかく無駄なくさらりと日本人に関わる各種宗教の全体をザーッと解説してくれてます。
実にわかりやすい。
良いです。とても。
仏教にしても、インドの仏陀の教えのその前のインド哲学あたりから、中国を通って日本に渡って、日本国内で最澄やら空海、日蓮などにより、いかに「変質」してきたのかをバーーーーッと概観できていい。
阿弥陀如来信仰とはなにかとか、実によくわかった。私、自分ちが「浄土真宗」なのに、どういう教えの宗教なのか良くわかってなかったですよ。いやまぁ「浄土真宗」だから、そうなるんだけど。そうか、私は阿弥陀様の「浄土」へと「往生」する宗教に属してたんだ。
こういうことに気づくことすら、しないで済むというのが、いまの日本の宗教の危機的状況そのものなんだと思うのだけども、まぁあ、それはいい。
それより実はもっと大きな問題が、いまの日本人、なにが「仏教」で、何が「神道」で、何が「儒教」なのかすら、さーっぱりわかってないってことです。
考え方の違い自体を区別する知識すらない。そういうことですわ。
わかってない。というかわかる術がないんですがね。
もともと日本の歴史において仏教と神道はごちゃ混ぜにされてきてたしね。それに加えて儒教まで一緒くたに食べてしまってるんだから、そら食い合わせの悪いところもでるわなぁ。
だから、こうして、考え方の違いを明確に記述してくれてる本はありがたいのですよ。何せ無意識のレベルにまで刷り込まれてるのが、「宗教」って奴のやっかいなところですからなぁ。
ちゃんとこんがらがってる糸をていねいに解きほぐして、それぞれの色の糸としてキチンと対応するべきですわ。
もうずっと前から、日本の自殺者がやたらと増えていて、それは欧米のさまざまな考え方をいきなりわかったつもりで取り入れては消化しきれず、個人の心の中で矛盾が起きてしまっていることというのが、そうとうに大きいと私は思っていたのだけれど、考えてみれば、自分たちの生活の中に根付いてしまってる「仏教」と「神道」と「儒教」の違いもわかってないんだから、そら混乱するわなぁ。
僕はもともとずーっと「シントイスト」だと思ってたんだけど、それを自覚するためには、神道にある祟りや穢れの概念がいかに強烈に自分の意識の中に刷り込まれてしまっているのかを客観的に捉えなきゃ無理なわけですね。
で、僕はそれを自覚するためにキリスト教(プロテスタントやカソリック)やらユダヤ教やら、日本の葬式仏教ではない本来の仏教の基礎やらを、ちょっとずつ学んできたんですが。(自論の正しさを証明するには、適切な反論がどうしても必要なんです。ここがわかってない人が多いからなぁ。日本人は。)
いや、こういう本が最初からあれば、そんな手間なことしなくて済んだんじゃないかって思うなぁ。
ホントは井沢さんみたいな作家が論じるのではなくて、それこそ「葬式仏教」しかやれてない、腐った「日本仏教界」がトータルな「宗教学」でも構築するのが筋なわけですよ。本来は。
ところが宗教家の誰もそういうことを、しやがらない。
なめとんか、おまえらは、と僕は思うのですよ。
自殺者が3万人も毎年出てるのに、それをなんとかしようとは思わないのか、この怠け者が。と思う。本当にひどい。
しかしまぁ、それも徳川300年の檀家制度が悪いのか。しゃーないかなぁ。と、わからせてくれるのも、この本なわけです。ははぁ本地垂迹説ですか。はいはい。ははぁ廃仏毀釈ね。ああなるほど。てなもんで。
ま、私的には自分の心の問題の袋小路度合いが、いかにこんがらがってしまってるのかがハッキリわかった分、逆に「うぇー、どないしよ。」と頭を抱えて座り込みたくなってしまいますが、まぁ、普通の人は「そういうことやったんか、なるほどぉ。」とハッキリスッキリして心の澱みがグンと減ること請け合いです。
いま、もめてる靖国問題のことだって、問題の本質が、一気にパッとわかっちゃうよー。この本読まずにゴチャゴチャ言っててもだめでしょ、って感じ。ほんと。マジに。
おすすめします。
ぜひぜひ、多くの方に読んでもらいたい本ですな。
いやー、おもしろかった。
これはもう日本人全員、必読の書だなぁ。
こういう本が読みたかったのですよ私は。
このクソ忙しいのに実質二日くらいで読み終えてしまった。
いやまぁ知ってる事もすごく多かったので読みやすかったというのもあるんだけど、とにかく日本人の「宗教心」や「道徳心」の中核を成す原理「仏教」「神道」「儒教」のことが、一気に一度に整理された形で、たった一冊で、しかもたかだか250頁程度でわかってしまうってのはすごいのではないかと思う。
井沢さんの書く本は、昔は過激な表現とかけっこうしていたので、そこをおもしろがってたところもあったんだけど、最近は僕自身も考え方がいろいろと多面的になってきたので、「井沢さん、内容はいいけど言い方がキツイからなぁ」とか思って、ちょっと敬遠してたところがあった。
でもこの本を読んでみると、昔とはずいぶん違う。
へー。
と思った。
なんて言うんでしょうか、「伝えなくちゃいけないことがあるから、とにかくそれから順に書く。あんまりカッカしてるヒマはない」って感じだ。内容は濃いんだけど、とにかく無駄なくさらりと日本人に関わる各種宗教の全体をザーッと解説してくれてます。
実にわかりやすい。
良いです。とても。
仏教にしても、インドの仏陀の教えのその前のインド哲学あたりから、中国を通って日本に渡って、日本国内で最澄やら空海、日蓮などにより、いかに「変質」してきたのかをバーーーーッと概観できていい。
阿弥陀如来信仰とはなにかとか、実によくわかった。私、自分ちが「浄土真宗」なのに、どういう教えの宗教なのか良くわかってなかったですよ。いやまぁ「浄土真宗」だから、そうなるんだけど。そうか、私は阿弥陀様の「浄土」へと「往生」する宗教に属してたんだ。
こういうことに気づくことすら、しないで済むというのが、いまの日本の宗教の危機的状況そのものなんだと思うのだけども、まぁあ、それはいい。
それより実はもっと大きな問題が、いまの日本人、なにが「仏教」で、何が「神道」で、何が「儒教」なのかすら、さーっぱりわかってないってことです。
考え方の違い自体を区別する知識すらない。そういうことですわ。
わかってない。というかわかる術がないんですがね。
もともと日本の歴史において仏教と神道はごちゃ混ぜにされてきてたしね。それに加えて儒教まで一緒くたに食べてしまってるんだから、そら食い合わせの悪いところもでるわなぁ。
だから、こうして、考え方の違いを明確に記述してくれてる本はありがたいのですよ。何せ無意識のレベルにまで刷り込まれてるのが、「宗教」って奴のやっかいなところですからなぁ。
ちゃんとこんがらがってる糸をていねいに解きほぐして、それぞれの色の糸としてキチンと対応するべきですわ。
もうずっと前から、日本の自殺者がやたらと増えていて、それは欧米のさまざまな考え方をいきなりわかったつもりで取り入れては消化しきれず、個人の心の中で矛盾が起きてしまっていることというのが、そうとうに大きいと私は思っていたのだけれど、考えてみれば、自分たちの生活の中に根付いてしまってる「仏教」と「神道」と「儒教」の違いもわかってないんだから、そら混乱するわなぁ。
僕はもともとずーっと「シントイスト」だと思ってたんだけど、それを自覚するためには、神道にある祟りや穢れの概念がいかに強烈に自分の意識の中に刷り込まれてしまっているのかを客観的に捉えなきゃ無理なわけですね。
で、僕はそれを自覚するためにキリスト教(プロテスタントやカソリック)やらユダヤ教やら、日本の葬式仏教ではない本来の仏教の基礎やらを、ちょっとずつ学んできたんですが。(自論の正しさを証明するには、適切な反論がどうしても必要なんです。ここがわかってない人が多いからなぁ。日本人は。)
いや、こういう本が最初からあれば、そんな手間なことしなくて済んだんじゃないかって思うなぁ。
ホントは井沢さんみたいな作家が論じるのではなくて、それこそ「葬式仏教」しかやれてない、腐った「日本仏教界」がトータルな「宗教学」でも構築するのが筋なわけですよ。本来は。
ところが宗教家の誰もそういうことを、しやがらない。
なめとんか、おまえらは、と僕は思うのですよ。
自殺者が3万人も毎年出てるのに、それをなんとかしようとは思わないのか、この怠け者が。と思う。本当にひどい。
しかしまぁ、それも徳川300年の檀家制度が悪いのか。しゃーないかなぁ。と、わからせてくれるのも、この本なわけです。ははぁ本地垂迹説ですか。はいはい。ははぁ廃仏毀釈ね。ああなるほど。てなもんで。
ま、私的には自分の心の問題の袋小路度合いが、いかにこんがらがってしまってるのかがハッキリわかった分、逆に「うぇー、どないしよ。」と頭を抱えて座り込みたくなってしまいますが、まぁ、普通の人は「そういうことやったんか、なるほどぉ。」とハッキリスッキリして心の澱みがグンと減ること請け合いです。
いま、もめてる靖国問題のことだって、問題の本質が、一気にパッとわかっちゃうよー。この本読まずにゴチャゴチャ言っててもだめでしょ、って感じ。ほんと。マジに。
おすすめします。
ぜひぜひ、多くの方に読んでもらいたい本ですな。
スターウォーズ・エピソード3 ついに帝国が誕生した。
2005年7月10日 映画忙しいさなかではあったのだけれど、やっぱり早く見たくて初日の夜中の上映でスターウォーズ・エピソード3を見ることにする。
旧三部作(エピソード4/5/6)でパルパティーンがシスの暗黒卿であることはわかっているのだから、物語の骨格は見えているようなものなのだけれど、旧作の最初の登場から28年が経っているし、新シリーズ(エピソード1/2/3)しか見ていない人も多いだろうから、意外にこの映画の「政治的側面」については、みんな無頓着なのかもしれない。
エピソード1が発表された時、旧三部作のイメージがある人は「駄作だ」と評価を下げていたようだったけれど、僕は「こらすごい」と感心していた。
まずエピソード1は、45分の小さな物語が三つ入ったテレビの特番みたいな形式になっていて、なにより「はじめてスターウォーズを見た子供」が楽しめるように工夫されていたからだ。
宣伝材料では子供のアナキンの写真がバンバン使われていて、子供を引っ張ってくるのを大切なプロモーションにしていた。映画館というところは、子供が一人で行く場所ではない。あくまで親に連れてきてもらう場所だ。だから子供に対してプロモーションすると、その両親までやってくるから、効果が三倍になるのだ。
で、だからといって子供向けの内容にしてしまっては親の側が面白くない。だから、エピソード1の時から背景の物語として、パルパティーン議員が、元老院で徐々に力をつけていく話が、キチンと入っていた。(子供のためのアナキンの活躍話は、だから、後半90分だけになっていた。それを中だるみと言う人もいたけど、まぁ全6作すべての構成を考えれば実に妥当なのですよ。それは後述します。)
で、実は僕としては、エピソード1/2/3は、この「政治話」こそが楽しみだったのである。
もう、エピソード1の冒頭の通商連合の反乱というものから「なんだこりゃ。陰謀の匂いプンプンじゃん。おもしれー。」なのであります。だって、通商連合の親玉のヌートガンレイなんて、どう見ても悪の親玉ではない。脇役も脇役、どうしようもないチンケさ。ようするにシスの暗黒卿にあやつられているだけなのだ。
「じゃあ、なんであやつるの?」という疑問があって、その疑問は、今回のエピソード3でやっとはっきりする。ヌートガンレイが死ぬのも、このエピソード3でだし。
「そういうことやったんか。」
と、私はやっと納得したわけです。その策謀がやっとはっきりして、うーむなるほどとまたまた感心したのでした。
新三部作の物語構成は、一般的には、
●なぜアナキンはダースベーダーになったのか。
というのが目玉なわけだけれども、僕的には
●パルパティーンが策謀でのし上がっていく過程
のほうに興味があったのです。
ひとりの権力者が全宇宙をあやつるまでに強大になっていく過程そのもの。それが面白い。
パルパティーンがエピソード2で非常事大権を得るシーンがあったけれども、あの時も元老院すべての圧倒的な歓喜のもとに「民主的」に「大権」がパルパティーンに与えられているのだ。
このことを、「大衆が同時に鑑賞すること」を使命として存在している「映画」という媒体でやっていることを意識して欲しい。映画っていうのは、もともと政治的な媒体で、共産国である中国や昔のソ連なんかでも映画は「大衆教育の道具」として、国が力を入れて産業にしていたのですから。
でルーカスは、その映画を「個人作家の表現道具」にしようとしてデジタル化を進めている。で、その個人的な映画(政治の道具ではない個人の表現手段)の中でパルパティーンが「民主的」に皇帝への道を歩む姿をキチンと描いているのだ。
つまり、こんなことは分っている人には当たり前だけれど、帝国や独裁者は、キチンとした「民主的な仕組み」にのっとって、民衆の歓喜の元に生まれるのだということです。今回ははっきりパルパティーンが永久初代皇帝として銀河連邦全体を「帝国にする」と宣言するシーンまで入っていて、そこでアミダラが「これで自由は死んだわ」と言う台詞まで入っている。
ようするに、こういう汚い政治とアホな民衆の関係になったらアカンよ、ということをこそルーカスは「個人的な自主製作映画監督」の立場で言いたかったのでしょう。政治の裏も考えずに周りに流されていると、自分自身の皇帝に暗黒卿をいただくことになっちゃうんだよ。注意しろよ、アホな大衆になるなよ。キチンと勉強して「個人」としての意見を持てよ、周りに流されるなよ、システムにからめとられたらダメだよ、と言っているのだ。
で、前のエピソード2の時にも感じていたのだけれど、こういう政治的なメッセージを、ルーカスは「子供たち」にこそ届けたいんだなぁと感じるのだ。
だってエピソード1は1999年作。当時12・3歳くらいまでの子供が映画を見たでしょう。それから三年後に作られた「エピソード2」は、ラブ・ストーリーが主軸になっていて、12歳だったこどもも15歳になっている。恋愛がわかる年になっている。
そして、エピソード3は今年。長々続いた政治の話に決着点が着く。エピソード1を見た子供も18〜9になっているのだ。そういう子供たちにこそ「大衆の歓喜の中で生まれてくる暗黒皇帝」という存在の恐ろしさを伝えたいというのが、一番大きなテーマではなかろうか、と、僕は思うのですよ。
大衆の歓喜の中で皇帝が生まれる恐ろしさを直感し、「これで自由は死んだ」とすべてを見通せるアミダラのように、賢い人になって欲しいと。そういうことなんですわな。
「民主主義とは何か」と質問したとき、おそらく日本人は、ついうっかり「みんなで物事を決めること。具体的には多数決の事。」などとトンチンカンな事を言い出しかねない。
しかし、世界の常識、特に民主主義の本場アメリカの子供たちなら「民主主義とは、ひとりひとりの異なる意見を大切にすること」と言うだろうし「多数決で反対意見も存在しないのは、全体主義であって、民主主義ではない。危険だ。異なる意見があるのが民主主義だ。」と標準的に考えるはずである。
だから、この皇帝誕生のシーンは、さして目新しいものでもない。至極一般的な「全体主義の恐怖」を素直に映像化しているだけなのだ。
でも、日本人にとっては、このシーンひとつとっても、とても良い政治の勉強になるから、良く見ておこうね、わかってない人。
クローンというものがほとんどロボットと同列で、「命」としてとらえられてないところも実に常識的なんだけど、うまく扱ってると思う。この辺の「クローンは正当な生命なのかどうか」というところも、これまた宗教観その他含めて日本人にはなかなか理解できないところだけれど、まぁ世界の常識を知るには面白いです。
ともあれ、これでスターウォーズも完結。感慨深いです。
旧三部作(エピソード4/5/6)でパルパティーンがシスの暗黒卿であることはわかっているのだから、物語の骨格は見えているようなものなのだけれど、旧作の最初の登場から28年が経っているし、新シリーズ(エピソード1/2/3)しか見ていない人も多いだろうから、意外にこの映画の「政治的側面」については、みんな無頓着なのかもしれない。
エピソード1が発表された時、旧三部作のイメージがある人は「駄作だ」と評価を下げていたようだったけれど、僕は「こらすごい」と感心していた。
まずエピソード1は、45分の小さな物語が三つ入ったテレビの特番みたいな形式になっていて、なにより「はじめてスターウォーズを見た子供」が楽しめるように工夫されていたからだ。
宣伝材料では子供のアナキンの写真がバンバン使われていて、子供を引っ張ってくるのを大切なプロモーションにしていた。映画館というところは、子供が一人で行く場所ではない。あくまで親に連れてきてもらう場所だ。だから子供に対してプロモーションすると、その両親までやってくるから、効果が三倍になるのだ。
で、だからといって子供向けの内容にしてしまっては親の側が面白くない。だから、エピソード1の時から背景の物語として、パルパティーン議員が、元老院で徐々に力をつけていく話が、キチンと入っていた。(子供のためのアナキンの活躍話は、だから、後半90分だけになっていた。それを中だるみと言う人もいたけど、まぁ全6作すべての構成を考えれば実に妥当なのですよ。それは後述します。)
で、実は僕としては、エピソード1/2/3は、この「政治話」こそが楽しみだったのである。
もう、エピソード1の冒頭の通商連合の反乱というものから「なんだこりゃ。陰謀の匂いプンプンじゃん。おもしれー。」なのであります。だって、通商連合の親玉のヌートガンレイなんて、どう見ても悪の親玉ではない。脇役も脇役、どうしようもないチンケさ。ようするにシスの暗黒卿にあやつられているだけなのだ。
「じゃあ、なんであやつるの?」という疑問があって、その疑問は、今回のエピソード3でやっとはっきりする。ヌートガンレイが死ぬのも、このエピソード3でだし。
「そういうことやったんか。」
と、私はやっと納得したわけです。その策謀がやっとはっきりして、うーむなるほどとまたまた感心したのでした。
新三部作の物語構成は、一般的には、
●なぜアナキンはダースベーダーになったのか。
というのが目玉なわけだけれども、僕的には
●パルパティーンが策謀でのし上がっていく過程
のほうに興味があったのです。
ひとりの権力者が全宇宙をあやつるまでに強大になっていく過程そのもの。それが面白い。
パルパティーンがエピソード2で非常事大権を得るシーンがあったけれども、あの時も元老院すべての圧倒的な歓喜のもとに「民主的」に「大権」がパルパティーンに与えられているのだ。
このことを、「大衆が同時に鑑賞すること」を使命として存在している「映画」という媒体でやっていることを意識して欲しい。映画っていうのは、もともと政治的な媒体で、共産国である中国や昔のソ連なんかでも映画は「大衆教育の道具」として、国が力を入れて産業にしていたのですから。
でルーカスは、その映画を「個人作家の表現道具」にしようとしてデジタル化を進めている。で、その個人的な映画(政治の道具ではない個人の表現手段)の中でパルパティーンが「民主的」に皇帝への道を歩む姿をキチンと描いているのだ。
つまり、こんなことは分っている人には当たり前だけれど、帝国や独裁者は、キチンとした「民主的な仕組み」にのっとって、民衆の歓喜の元に生まれるのだということです。今回ははっきりパルパティーンが永久初代皇帝として銀河連邦全体を「帝国にする」と宣言するシーンまで入っていて、そこでアミダラが「これで自由は死んだわ」と言う台詞まで入っている。
ようするに、こういう汚い政治とアホな民衆の関係になったらアカンよ、ということをこそルーカスは「個人的な自主製作映画監督」の立場で言いたかったのでしょう。政治の裏も考えずに周りに流されていると、自分自身の皇帝に暗黒卿をいただくことになっちゃうんだよ。注意しろよ、アホな大衆になるなよ。キチンと勉強して「個人」としての意見を持てよ、周りに流されるなよ、システムにからめとられたらダメだよ、と言っているのだ。
で、前のエピソード2の時にも感じていたのだけれど、こういう政治的なメッセージを、ルーカスは「子供たち」にこそ届けたいんだなぁと感じるのだ。
だってエピソード1は1999年作。当時12・3歳くらいまでの子供が映画を見たでしょう。それから三年後に作られた「エピソード2」は、ラブ・ストーリーが主軸になっていて、12歳だったこどもも15歳になっている。恋愛がわかる年になっている。
そして、エピソード3は今年。長々続いた政治の話に決着点が着く。エピソード1を見た子供も18〜9になっているのだ。そういう子供たちにこそ「大衆の歓喜の中で生まれてくる暗黒皇帝」という存在の恐ろしさを伝えたいというのが、一番大きなテーマではなかろうか、と、僕は思うのですよ。
大衆の歓喜の中で皇帝が生まれる恐ろしさを直感し、「これで自由は死んだ」とすべてを見通せるアミダラのように、賢い人になって欲しいと。そういうことなんですわな。
「民主主義とは何か」と質問したとき、おそらく日本人は、ついうっかり「みんなで物事を決めること。具体的には多数決の事。」などとトンチンカンな事を言い出しかねない。
しかし、世界の常識、特に民主主義の本場アメリカの子供たちなら「民主主義とは、ひとりひとりの異なる意見を大切にすること」と言うだろうし「多数決で反対意見も存在しないのは、全体主義であって、民主主義ではない。危険だ。異なる意見があるのが民主主義だ。」と標準的に考えるはずである。
だから、この皇帝誕生のシーンは、さして目新しいものでもない。至極一般的な「全体主義の恐怖」を素直に映像化しているだけなのだ。
でも、日本人にとっては、このシーンひとつとっても、とても良い政治の勉強になるから、良く見ておこうね、わかってない人。
クローンというものがほとんどロボットと同列で、「命」としてとらえられてないところも実に常識的なんだけど、うまく扱ってると思う。この辺の「クローンは正当な生命なのかどうか」というところも、これまた宗教観その他含めて日本人にはなかなか理解できないところだけれど、まぁ世界の常識を知るには面白いです。
ともあれ、これでスターウォーズも完結。感慨深いです。
続・カッチョ良かった日
2005年7月11日 ●ウクレレ コメント (2)久しぶりにウクレレの練習日。
発表会の次の日に練習があって、それから二週間ぶり。
みんなと顔をあわせるのも久しぶりなのであります。
でもなぁ、この二週間、とんでもなく忙しかったから、あんまり課題の練習が出来てないのよなぁ、と思いつつの出席。
で、基本練習とか、音階練習とかしてると、先生が「あ、そういえばね」と雑談を始めた。
「このあいだやったビタースィートサンバね、なんか聞いてた人たちから、『あの曲がやりたい』という声が出たらしくてね、『譜面はないですか』って問い合わせがあったんよ。」
というお話し。楽譜はCDから先生が耳コピーして起こしてるから、まぁ、問い合わせないとないよね。
「んー、こういう問い合わせがあったってことは、やっぱり大成功だったんじゃない?そういうことだよ。」とのこと。なかなかうれしいもんである。
で、どこのチームから問い合わせがあったのかと確認してみると、参加メンバーの中でも、すごくうまいチームからの問い合わせだったとわかり、なお感激でありました。
「おー、あのチームからかいっ。わしらも捨てたもんやないで。」
てな感じですな。
先生たちの間で評判良かったというような話はちょっと小耳にはさんでたけど、こういう事実で、その評価がわかるというのは、よりうれしいものであります。
マネしたくなるくらいカッコ良かったってことだもんなぁ。客観的評価だし。いや、うれしいもんであります。
とまぁ、そこまでは良かったのだけれど。
んー、どうも、演奏した僕らよりも、指導した先生の方がうれしいらしく、この日の練習がきつかったこと、きつかったこと。
とにかく、まずスピードが速い。
「え、うそ。まだ一回目やのに、このスピードでいくの?」とか、そんなんばっかし。
生徒全員、心の中で「は、は、速いぃぃぃ。」と叫んでるのがわかるような演奏。ついて行くのに必死。
まぁそういうような練習になりまして。
忙しくてちゃんと練習してこなかった僕などは、楽譜見ながら、それらしい音を出すとか、あるいは、変な音は出さないように気をつけるのが精一杯だったのでありました。
もうガタガタ。
「速いですよ、先生。」とか言っても。
「えっ? そうかな。」とか全然平気なのよね、先生。
舞い上がり過ぎ〜。
指導も「ちゃんと音が出ている」だけでは全く満足されません。
「これ、三拍子だしね、強拍のところは強く、弱いところは柔らかく弾いてね。そうしないと三拍子の良さが出ないし。」
とか、いつもだと全然指摘しない高度な表現のニュアンスにまでうるさく言ってるのですねー。
げーーーーっ、て。
先生、舞い上がり過ぎ〜。って。
まぁそんな事を思いつつ、練習が終わっての帰り道。みんなで「今日の練習、ちょっときつ過ぎですよねー」って話をしてたわけです。
そしたら、メンバーの中の男の子が一言。
「前回、先生、32/33ページまでが課題って言ってましたよね。でも今日34/35までやってたじゃないですか。」
と。
えっ。
ああ、そういえば。
いやまぁ、同じメロディの繰り返しが多い曲だから、出来なくはないんだけど、言われてみればそうよなー、練習してないところまで先に進んでたんやんかぁ!
というのがわかりまして。
先生、やっぱ舞い上がり過ぎ。
ひどいね、どうも。
そら練習してないページやもんなぁ。
途中でつっかえたりどたばたして当たり前やわなぁと、改めて思ったのだけれど。
でも、考えてみると、そうなると全員今日の課題曲の後半は、初見で弾いてるんだと思うと、そら恐ろしくなったのでありました。
こんなに底力がついてきてる人たちと、一緒にやっていけるかしらん。
えらいこっちゃなぁ。
いやほんま。
そんな恐ろしさを感じた日でありました。
発表会の次の日に練習があって、それから二週間ぶり。
みんなと顔をあわせるのも久しぶりなのであります。
でもなぁ、この二週間、とんでもなく忙しかったから、あんまり課題の練習が出来てないのよなぁ、と思いつつの出席。
で、基本練習とか、音階練習とかしてると、先生が「あ、そういえばね」と雑談を始めた。
「このあいだやったビタースィートサンバね、なんか聞いてた人たちから、『あの曲がやりたい』という声が出たらしくてね、『譜面はないですか』って問い合わせがあったんよ。」
というお話し。楽譜はCDから先生が耳コピーして起こしてるから、まぁ、問い合わせないとないよね。
「んー、こういう問い合わせがあったってことは、やっぱり大成功だったんじゃない?そういうことだよ。」とのこと。なかなかうれしいもんである。
で、どこのチームから問い合わせがあったのかと確認してみると、参加メンバーの中でも、すごくうまいチームからの問い合わせだったとわかり、なお感激でありました。
「おー、あのチームからかいっ。わしらも捨てたもんやないで。」
てな感じですな。
先生たちの間で評判良かったというような話はちょっと小耳にはさんでたけど、こういう事実で、その評価がわかるというのは、よりうれしいものであります。
マネしたくなるくらいカッコ良かったってことだもんなぁ。客観的評価だし。いや、うれしいもんであります。
とまぁ、そこまでは良かったのだけれど。
んー、どうも、演奏した僕らよりも、指導した先生の方がうれしいらしく、この日の練習がきつかったこと、きつかったこと。
とにかく、まずスピードが速い。
「え、うそ。まだ一回目やのに、このスピードでいくの?」とか、そんなんばっかし。
生徒全員、心の中で「は、は、速いぃぃぃ。」と叫んでるのがわかるような演奏。ついて行くのに必死。
まぁそういうような練習になりまして。
忙しくてちゃんと練習してこなかった僕などは、楽譜見ながら、それらしい音を出すとか、あるいは、変な音は出さないように気をつけるのが精一杯だったのでありました。
もうガタガタ。
「速いですよ、先生。」とか言っても。
「えっ? そうかな。」とか全然平気なのよね、先生。
舞い上がり過ぎ〜。
指導も「ちゃんと音が出ている」だけでは全く満足されません。
「これ、三拍子だしね、強拍のところは強く、弱いところは柔らかく弾いてね。そうしないと三拍子の良さが出ないし。」
とか、いつもだと全然指摘しない高度な表現のニュアンスにまでうるさく言ってるのですねー。
げーーーーっ、て。
先生、舞い上がり過ぎ〜。って。
まぁそんな事を思いつつ、練習が終わっての帰り道。みんなで「今日の練習、ちょっときつ過ぎですよねー」って話をしてたわけです。
そしたら、メンバーの中の男の子が一言。
「前回、先生、32/33ページまでが課題って言ってましたよね。でも今日34/35までやってたじゃないですか。」
と。
えっ。
ああ、そういえば。
いやまぁ、同じメロディの繰り返しが多い曲だから、出来なくはないんだけど、言われてみればそうよなー、練習してないところまで先に進んでたんやんかぁ!
というのがわかりまして。
先生、やっぱ舞い上がり過ぎ。
ひどいね、どうも。
そら練習してないページやもんなぁ。
途中でつっかえたりどたばたして当たり前やわなぁと、改めて思ったのだけれど。
でも、考えてみると、そうなると全員今日の課題曲の後半は、初見で弾いてるんだと思うと、そら恐ろしくなったのでありました。
こんなに底力がついてきてる人たちと、一緒にやっていけるかしらん。
えらいこっちゃなぁ。
いやほんま。
そんな恐ろしさを感じた日でありました。
ゴッホ展。混みすぎだよ〜。
2005年7月18日
最終日なので、見に行くことにする。
本当は彼女と行くつもりだったんだけどねー。結局無理になってしまったんで、母親と行くことにした。まぁ親孝行しとことか思って。
でもねー、45分も待たないとダメだったんだなぁ〜、これが。この暑いのに。信じられん。
まぁ、いちおう無料で水が配られたし、テントも出てたのでちょっとマシだったし、外で待たされたのは20分程度だったので、言うほど辛くはなかったんですが。
でも、結局美術館って最後まで立って見るわけで。しかも音声ガイド付きで見たから時間かかってしまってずーーーーっと立ちっぱなしでありました。
けっこうキツイですよ、これ。
どこが親孝行やねん!ってとこですが、見終わった後、母親、けっこうニコニコしてたから良しとするか。
本当は彼女と行くつもりだったんだけどねー。結局無理になってしまったんで、母親と行くことにした。まぁ親孝行しとことか思って。
でもねー、45分も待たないとダメだったんだなぁ〜、これが。この暑いのに。信じられん。
まぁ、いちおう無料で水が配られたし、テントも出てたのでちょっとマシだったし、外で待たされたのは20分程度だったので、言うほど辛くはなかったんですが。
でも、結局美術館って最後まで立って見るわけで。しかも音声ガイド付きで見たから時間かかってしまってずーーーーっと立ちっぱなしでありました。
けっこうキツイですよ、これ。
どこが親孝行やねん!ってとこですが、見終わった後、母親、けっこうニコニコしてたから良しとするか。
マンガは選んで読んでる。
2005年7月20日コミックバトンが回ってきたから書くけど、実はあんまりマンガは読んでない。読まなきゃと思ってる本が山積みなので、マンガを読んでるヒマがない。
それでもマンガは日本を代表する文化なので、もっと良くわかってないとなぁとは思ってるんだけど。
なので、
●リアルタイム:少年ジャンプ
●名作:バガボンド・ベルセルク・20世紀少年
●自分の楽しみ:ピュ〜と吹くジャガー
の三つで終わり。
ほかは読んでない。
このバトンもこれですべて語ってると思う。
いちおう世間の事もざっくりとは知っておかないといけないのでジャンプだけは毎週1時間ちょっとかけて全部読んでますけど。
で、マンガに関してはこれで私のすべてですなぁ。昔はたくさん読んだけど。いまは本のほうがいい。小説も読まないもんなぁ。
ということで答え。
Q1:あなたのコミックの所持数は?
たぶん100冊足らず。本棚の奥にあるからわからん。
10年ほど前に一気に数百冊捨てた。
Q2:今読んでいるコミックは?
ジャンプと上記の名作とかの新刊が出た時。でも、買うの忘れてることも多い。
バガボンドとかの名作は買って読んだら捨てます。名作はいつでも手にはいるので。本棚の空間がもったいない。
Q3:最後に買ったコミックは?
んーたぶん20世紀少年の19なんだけど、まだ読んでない。
というのは18を買うのを忘れてたことに後から気づいたので。
最近はもうダメだね、この作品も。浦沢さんならアトムかなぁ。いまは。「プルートゥ」ね。あれは立ち読みとかで読んだよ。さすがに。
(鉄腕アトムは本棚に残ってる数少ないマンガ本の中のひとつ。)
ベルセルクも続けて読む気がそうとうなくなってる。
本質的には「蝕」で終わってると思う。
バガボンドは絵がすごい。マンガ特有の「流線」を、できるだけ使わずに表現するようにしてるんだそうだ。井上雄彦はすごいよなー。スラムダンクもすばらしかったと思います。はい。
その後のスラムダンクも面白いイベントだったよなー。
行きたかったなぁ。
Q4:よく読む、または思い入れのあるコミック
だから、
●リアルタイム:少年ジャンプ
●名作:バガボンド・ベルセルク・20世紀少年
●自分の楽しみ:ピュ〜と吹くジャガー
だけ。
あと強いて入れるなら「横山光輝の歴史もの」。
あれはいいよー。勉強になるよー。項羽と劉邦も三国志も史記も徳川家康も読んだ。けっこう原作に忠実らしいのよなー。いい。
Q5:バトンを渡す5名
渡しません。
まぁあれだ、マンガはそうとうな名作だけでいい。ちょっと作家も雑誌も多すぎてついていけないし、そんなチマチマした作品まで追いかけてられない。小説も読まない人なのに。創作ものはまぁ選んで名作だけ読めばいいよ。
それより創作もの以外のいろんな実用書やら学問書やらなんだかんだを読んで知識の「幅」を広げた方がいいと思う。そのほうが知的興奮度は高いなぁやっぱり。
あ、あと、ドラえもんとドラゴンボールだけは、日本人の常識として読んでおかないとダメって気はするけど。
それでもマンガは日本を代表する文化なので、もっと良くわかってないとなぁとは思ってるんだけど。
なので、
●リアルタイム:少年ジャンプ
●名作:バガボンド・ベルセルク・20世紀少年
●自分の楽しみ:ピュ〜と吹くジャガー
の三つで終わり。
ほかは読んでない。
このバトンもこれですべて語ってると思う。
いちおう世間の事もざっくりとは知っておかないといけないのでジャンプだけは毎週1時間ちょっとかけて全部読んでますけど。
で、マンガに関してはこれで私のすべてですなぁ。昔はたくさん読んだけど。いまは本のほうがいい。小説も読まないもんなぁ。
ということで答え。
Q1:あなたのコミックの所持数は?
たぶん100冊足らず。本棚の奥にあるからわからん。
10年ほど前に一気に数百冊捨てた。
Q2:今読んでいるコミックは?
ジャンプと上記の名作とかの新刊が出た時。でも、買うの忘れてることも多い。
バガボンドとかの名作は買って読んだら捨てます。名作はいつでも手にはいるので。本棚の空間がもったいない。
Q3:最後に買ったコミックは?
んーたぶん20世紀少年の19なんだけど、まだ読んでない。
というのは18を買うのを忘れてたことに後から気づいたので。
最近はもうダメだね、この作品も。浦沢さんならアトムかなぁ。いまは。「プルートゥ」ね。あれは立ち読みとかで読んだよ。さすがに。
(鉄腕アトムは本棚に残ってる数少ないマンガ本の中のひとつ。)
ベルセルクも続けて読む気がそうとうなくなってる。
本質的には「蝕」で終わってると思う。
バガボンドは絵がすごい。マンガ特有の「流線」を、できるだけ使わずに表現するようにしてるんだそうだ。井上雄彦はすごいよなー。スラムダンクもすばらしかったと思います。はい。
その後のスラムダンクも面白いイベントだったよなー。
行きたかったなぁ。
Q4:よく読む、または思い入れのあるコミック
だから、
●リアルタイム:少年ジャンプ
●名作:バガボンド・ベルセルク・20世紀少年
●自分の楽しみ:ピュ〜と吹くジャガー
だけ。
あと強いて入れるなら「横山光輝の歴史もの」。
あれはいいよー。勉強になるよー。項羽と劉邦も三国志も史記も徳川家康も読んだ。けっこう原作に忠実らしいのよなー。いい。
Q5:バトンを渡す5名
渡しません。
まぁあれだ、マンガはそうとうな名作だけでいい。ちょっと作家も雑誌も多すぎてついていけないし、そんなチマチマした作品まで追いかけてられない。小説も読まない人なのに。創作ものはまぁ選んで名作だけ読めばいいよ。
それより創作もの以外のいろんな実用書やら学問書やらなんだかんだを読んで知識の「幅」を広げた方がいいと思う。そのほうが知的興奮度は高いなぁやっぱり。
あ、あと、ドラえもんとドラゴンボールだけは、日本人の常識として読んでおかないとダメって気はするけど。