マザーテレサが言った言葉で、「私は反戦の集いなどには出ないのです。平和を生み出すための集いになら参加しますが。」というのがあります。

これ、極めて素晴らしい考え方だと思うのですよ。

反戦の集いも平和の集いも同じようなものだと考えがちですが、実は全然別の事なんですね。で、大切なのは、平和のように「良いものを創る」という関わり方なわけです。

で、さて。

これを、もう少し普遍化させてみるとどうなるかというと、「皆が良いと思うことを促進していく」ということになります。

阪神大震災の時に、30年以上もの長期のローンを抱えたまま、住んでるマンションが半壊してしまって、その再建をどうするかで管理組合がいくつも紛糾したわけですが、それがうまく行ったところは「お互いの不利益を気づかうということではなく、共通のメリットをとにかく優先するようにした」という話がありまして、これもこのマザー・テレサの考え方に似ているなぁと思うのですね。

不幸をどうにかするのではなく、幸せを共有する。広げる。伸ばす。豊かにする。

そういうことですね。

で、そういう事を本当に、いついかなる時にでもできるようにしようとするなら、やはり「共通のメリットを優先する」という事になるわけです。

自分の心の中では5番目くらいにしか大事に思ってないことでも、みんなが同じように大事に思っているのなら、自分だけが一番大事に思っていることは少しおさえて、五番目を最優先課題にする、ということですね。

これが社会的な決まりなどを決めるのに、大切な方法なんだそうです。阪神大震災の時には、そういう話を聞いて、「なるほどなー」と思いました。

では、さて。

そういう事を考えていくと、親子関係というものを考える時にはどうしたら良いのでしょうか?

これねぇ、たぶん「自分の親について、キチンと考える」だと思うのですよ。

子供を持っている人は、子供の事を中心に考えるだろうけど、世の中には、いくら子供が欲しくても子宝に恵まれない人もいる。そう言うことを考えると、「親子関係の問題」を考える時には、「自分と親との関係をしっかりとつきつめて考える」ということをやれば、ほとんどの人と共通の話題になるんですね。

みんなが自分の話だと思って考えることができる。そういうとらえ方をすることが大切だと思うのです。

特に「その考え方って面白いよなぁ。」と思ったのが、手塚治虫の言ったセリフで、「人類はすべて、女性から生まれている。」という言葉。

なんてこたぁない、当たり前の事を言ってるように思えますが、これはそんなこんなを考えると、やっぱりすごい一言だよなぁって思うのです。

子供にいてない人間はいてても、親のいてない人間はいてないんです。

だから、自分と親との関係を、まず見つめ直すというのが、ファーストステップなんですね。いちばんの初歩なんだと思う。

で、それだけで、まぁおそらくはたいていの問題が解けるはずなんですね。ようは立場を入れ替えて見ればいいのだから。
そして、どんな人でも、このテーマに関してなら、話ができるんですね。はみだしっ子をつくらない。

これが平和を生み出す、物事を実現させる発想なわけです。

このテーマであれば、子供が欲しくてしょうがないのに、なかなか子宝に恵まれない夫婦だって、いろいろと考えられるし、学びも成長もありえる。

ところが、これが困った事に、子供を持った親の中には「子供を持ったことのない人間に子育てについて語ってもらいたくない」とかいう独善的な事を平気で言う人がとても多いのですよ。

独善的だ。ものすごく。

でもねぇ、こういう事を言う人は、それが独善的な発想だという事に欠片も気付いてないんですね。というか、多分気付きたくないんだろうな。そういう事を言う人は、多かれ少なかれ、児童虐待をやっている。

児童虐待なんてね、そんじょそこいらに転がってるわけです。ほんとうに些細なことが「虐待」なわけですよ。はたから見れば一発でわかる。子供を持って無かろうが、親子関係のあるべき姿なんて、すぐにわかる。誰だってみんな子供だったんだから。

そんじょそこいらに転がっていることだから、それをとやかくは言わないけれども、なんちゅうかなぁ、自分が独善の極み、わがまま勝手の極北の事を言ってるんだという事には気付いてもらいたいよなぁとは思うのですね。

親子問題は「子供から見た親」というテーマでなら、すべての人類が、共通に語れるってことですね。よりメジャーで立派で本道の論議がそこにはキチンとあって、たとえば、アダルトチルドレンの話だって、その観点から見るだけで全てが明らかにできるというたぐいの事なわけです。

逆に言えば、「数学」ではなくて「算数」レベルの話だ、と言い換えてもいいでしょう。算数ができてない人に数学がわかるわけがないのです。子育てで誰かに「それはアカンのと違う?」と言われたら、数学ばっかりやってて算数がわかってないんと違うやろか? と思わないとダメなわけです。

そらねぇ、四則演算のうちのひとつでも習得してないままに、高等数学なんかに手をだしたら、悩んで混乱して、おかしなことを口走ることにしかなりませんわな。

なので、「子供を持ったことのない人間に子育てについて語ってもらいたくない」という人には、本当に深く反省してもらいたいのよなぁ。子供が欲しくて欲しくて、それでも子宝に恵まれないというような夫婦を何組も見てますしなぁ。そう言うことを考えると、「子どもを持ったことがない人に…」とか発言する人は、そういう悲しみを抱えた人に対する思いやりすら持つ余裕がなくなっているということだから、生きてる価値さえないと思うのよなぁ。

「タフでなければ生きられない。優しくなければ生きている値打ちもない。」

というのはハンフリー・ボガードのセリフだけれども、まさにそれですね。
そういう人を思いやる心もなくして、何が親か、という事だと思います。そういう人は断罪されても仕方ないよなぁ。実際とんでもなくヒドイ事を言ってるんだし。

ひどいことを自覚して言うなら、まだ許せるんだけど、自覚してないのが問題なんだと思う。
子供のいてる人からは反感を買うんだけど、これはどうしても思ってしまうことなんですねぇ。ほんとに。

「子供のいてない人に教育について、語ってもらいたくない。」という言葉が、まさに児童虐待の温床なわけですよ。ほんとに。マジに。

で、そういう事を言う人がいるから、妊婦のための買い物のしやすい施設とかが生まれないわけですよ。自分で自分の首を締めてるような事にしかならない。ほんと。

これ、本当に大問題で、「子供のいてない人に教育について、語ってもらいたくない。」って一回でも言った事のある人は、心底反省してもらいたいんですよねぇ。この言葉って、みんなの水源地に毒薬を流してるのと同じなんだ。そこに気付いてない。

誰にでも親はいる。
人間である限り親から生まれている。

この当たり前の事実に立ち戻っていただきたいですわ。ほんまに。

このあたり、日本という国が何故「少子化」になっているのか、ということともつながるんですけど、そういう話はまた別の問題なので、別の機会に書きます。

ほんと、「子供のいてない人に教育について、語ってもらいたくない。」と言う人。あなた人間としてあるまじき発言してるんだから、ほんと、ちょっと自覚してよねって思うのよなぁ。マジに。人間の本道を自ら踏み外しておいて、何を偉そうに、ってことなんだけどなぁ。

わからんのやろなぁ。

「子から見た親」の話なら、どんな人間でも一緒に考えられるのよ。それこそ高校生でも。この開かれたテーマの立て方ができないという事こそが、あなたの問題なんだよ、ってことなんですね。ほんとに。

でも、わからない人には、そこがわからない。

困った事である。

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