2日目は川だ!志摩半島を東西に流れる宮川の中間点あたり、茶畑の多い度会(「わたらい」と読む)のあたりである。

川だ、川だ! と喜んで出かけたのだけれど、台風の後で増水しているとのことで、川幅がやたらと広い。

うーん、しゅんと落ち込む。これじゃ海と変わらん。

川の魅力は、ダイビングやサーフィンなど、本格的な単品遊びが得意な海とはちょっと違う。どっちかというとチマチマした楽しさがてんこもりになってる駄菓子屋のような場所である。

まず、流れがある。なので、それに流されるだけでも面白い。海のように波を待つとかの手間もいらない。浮けば流れる。

また、上流に向かって泳げば、その場で止まったままとか、けっこうな抵抗力でパワーのかかる遊びもできる。

それから川幅が狭い場所だと、流されながら、好きなところでサッと陸にあがれる。海のように沖まで泳いでヒーコラと浜まで戻る必要がない。

で、ここからは場所にもよるのだけれど、流れが複雑だと、少し潜っても流れに乗って深いところに潜れたりするし、川底の水温の差が面白かったり、川の深い場所浅い場所の変化が面白かったりもする。

また、岩の多い川だと、Aの大岩からBの大岩までの間で競争するなど、人間にわかりやすい目印があって、時間がたつほどにその3Dの構造が頭に入ってなかなかに遊べるのだ。大きな岩が流れの下でどのような形で存在してるのか? とかが頭にはいってくると、それだけでいろいろ楽しめたりする。なので、川はできるだけ複雑な地形のところの方が面白い。

それに加えて、川にはせせらぎ、流れの音がある。川べりに座って足を投げ出して、その足に川の流れを感じてボーッとしているだけでも至福の時間になる。

で、これらすべての遊びが体ひとつで楽しめる。ボードもいらないし、アクアラングもいらない。どれもチープな楽しさなんだけどね。

で、これに加えて川は淡水なので、泳いだ後に海水のようにベタベタすることもなく、また川原で何か料理を作るにしても、焚き木にする枯れ木やら雑草等が手に入りやすいし、山間の川なら、夏場でも自然の木陰がそこそこにあってビーチパラソルも不要な場合も多い。

まぁ、いいことばかりじゃなくて、川底は岩肌の場合もあるから怪我には注意しなくちゃいけないし、川は水温も低いし温度変化も大きいので足がつったりもしやすい。子供なんかにはライフジャケットが必須だったりする場所であるのは確か。

でもねぇ、そういうデメリットを越えてもやっぱり川が面白いのよなぁ。

ま、今回は増水してたので、上記の面白さのうちいくつかしか実現されなかったのだけれども、それでもやっぱり川が面白いというのが個人的意見。

ああ、川の面白さについて書いてたら、出来事に関して書く場所なくなっちゃったい!
まぁいいか。


弟のたま氏と甥っ子のじゅん君とともにきゃおさんのいてる志摩半島で、ちょっと遅めの夏のバカンス。

きゃおさんの日記はこちら
リンク

きゃおさんところの子供3人に甥っ子のじゅんくんがいて子供ばっかりなのが、落ち込んでる心には実に良い癒しだった。いいねぇ、こういう時に子供ってのは。

おかあちゃんがいないと泣く。砂遊びに没頭する。いたずらばっかりする。そんな「そのまま」が目の前にある。「そのまま」がそのままそこにあることが、どれだけ素晴らしいことか。

自分をごまかしたり、カッコつけたり、理屈こねたり、プライド守ったり。そんなことに時間を費やしてる自分って何だ? とか思う。もっとそのまま生きようや。ほんまに。

しかし、なんかずっと浜辺のパラソルの下にいてた気がする。うーん、どうも海は体にあわんなぁ。広すぎる。

メガトン爆弾

2001年8月24日
あー、今日はメガトン爆弾くらった。
落ち込むことはなはだしい。

でも、辛抱してガガガッと広告の仕事を一発仕上げた。こういう時は無理してもガガガッとやるのが良いみたいだ。

しかし、とてつもなく辛い。

何してたのか全然覚えてません。んーと、男友達とお好み焼きを食いに出かけたことだけ覚えてるけどねぇ。それだけだな。

この日は仕事帰りに、自転車で家の近くをブラつく。台風一過、けっこう風が気持ち良かったのだ。

しかし、このあたりはなんとも自転車でブラつくのが楽しい町ですなぁ。お店が点在していて、意外な場所に意外なお店があったりする。

各種の電車線路にはさまれた地域なので、街の中の浮島という感じもある。最寄駅はけっこう繁華街で多少、風俗店まであるし、ビジネス街のイメージもあるんだけど、いざ駅から10分も歩けば、そこは下町の風景が並んでる。

地に足つけて生きてる人が多いんやろなぁというのが、数メートルごとに感じられるのよね。たとえば庭木、たとえばゴミ箱、たとえば地域の掲示板などなど。

ほんと、自転車で移動するのが楽しい街です。はい。


台風だと言うのに、京都まで出て打合せをした日でありました。

十三で特急に乗り込もうとすると携帯が鳴って、友人からの連絡。

「今日は台風でなぁ、会社が半ドンになった。ヒマやし会わんか?」という内容。

そうよね、普通台風が来たら休むよね。台風が来るというのに、他府県まで出かけて仕事の打合せをしようという私も、得意先も尋常ではないよね。でも、尋常じゃないんだもん、しょうがないです。

で、打合せをしてると、その得意先の会社の社内放送ですら「本日2時30分、京都南部に暴風雨警報が出されました。できるだけすみやかに退出・帰宅してください。」とアナウンス。

であるというのに、その社内放送を聞きながら、僕とデザイナーさんと担当者の三人で、「今日はこれで終わりですし、ちょっと一杯行きますか。」という話になった。

もともとね、そんなに飲みに行くのが好きという人ではないのです。私。で、そのお二人も、仕事は仕事、プライベートはプライベートというタイプでベタベタ飲みにいったりする人でもないんです。

なのに。

どういうわけか。

暴風雨警報のさなか、ザザ降りの中、駅前の小さな居酒屋で、酒宴をしたのでありました。

何やってんねん! アホちゃうんか!とか思いつつ、飲んでたわけですが、宴たけなわという時に、どういうわけか「うちの娘の彼氏が霊の見える人でねぇ。」と妙な話に転がっていき、それまで一言も言わなかったお店の大将までが「いや実は私も見えるんですよ。」といきなり大怪談大会になってしまったのがまいった。

わしは見えへんっちゅうねん。怖いっちゅうねん。やめてくれっちゅうねん。

そんなこんなで、雨で冷たいのやら、怖くて冷えたのやらわからない背中で雨の電車に揺られて大阪まで帰ったのでした。


あー、この日は仕事場に出ましたが、さして作業なし。
この日も「千と千尋の神隠し」を思い出して腹を立ててたくらい。

料理したい年頃。

2001年8月19日
この数日前から、なんか料理がしたくなった。こんなこともめずらしい。なので、ちょっと料理本なんかを買ってあったりした。

で、日曜だしヒマなので、料理本見て材料確認して買出し。まぁ、もともと料理は嫌いではないのだけれど、かと言って、日々腕を磨くほどにマメでもない。

つーことで、料理は、レシピが簡単なものしか作りたいとは思わない。手間が少ない料理なら、繰り返しやろうとするからであります。

ちゅうことで、今日はじめてためしたのは、「トマト&牛肉どんぶり」。

湯むきトマトを半月に切ってごま油で形が崩れるくらいに炒め、そこに牛肉の切り落としを混ぜる。だし醤油などで味をつけて丼めしにかける。以上。バカみたいに簡単。

で、これがけっこううまかった。定番になるか?

どうせヒマなんだしと、今日はひとりで映画を見に行く。

メガヒット驀進中の「千と千尋の神隠し」。

しかし、なんつー抑圧映画だ。罪もない子供を無理やり働かせてそれを良しとしているだけの救いのない映画。救済も、問題提起も、解決策も、新しい視点も何もない。ただただ、子供を無理やり働かせているだけ。それが良いとも悪いとも言ってないし、なにより良いか悪いかも考えてすらいないし、たぶんそれを考える能力自体が作者には存在していないのだろうなぁということまで想像せざるを得ないほど、低脳なる内容。

しかも映画後半では、ブータレているだけの千尋が、何の対決も、自分の内面の葛藤も、時間の経過も、いっさいの理由もなく、突然に、「映画なんやし、なんか盛り上がりがないとカッコつかんやん」とばかりに、スーパーヒロインに変身する。「へーんしん!」という掛け声すらない。こんなもんストーリーにもなってない。

こんな映画を見て平気なのか? 日本人は? 平気やねんなぁ。ちっ。

ただ映画的なビジュアルが、動くキャラクターが面白いという、ただそれだけ。作者、宮崎駿は、おもろいキャラを動かしてみたかっただけの動画ヲタク。観客は、内容よりも、映像の動きが見たいという見世物小屋的欲求のみ。内容はなし。

いやまぁ、映画なんてそんなもんと言えば、そんなもんですけどね。キチンと深い感動を与えたい、あるいは、味わいたいとは思わんのか? 思わんのじゃろうなぁ。

なので評価。動く絵の面白さ10点、内容7点の計17点。もちろん100点満点でよ。本当は抑圧を世の中にバラまいているというような社会的害悪を計算したら、マイナスの点数をつけるべきなんだけど、そこは動きの面白さに免じて許してやる。(偉そうな書き方だけど、こっちは金払った観客なんだから、言う権利はある。未完成品見せられてPL法で訴えられても知らんぞとすら言いたい。)

僕は昔学校でシナリオ構造論とか勉強したことあるから言うけど、シナリオは評価以前。僕が教師だったら「なぁ宮崎よ、せめて自分が何を言いたいか整理してから書けよ。」と諭すように言う。つまりそのくらい幼稚。

話になりません。

たぶん、宮崎氏はシナリオもなしに、いきなり絵コンテ描いて、それで弟子達に指示出して映画作りしたんだろうなぁ。そういう作り手のお寒い台所事情まで、こちとらとしては、つい読み取れてしまう。

(たぶん僕の想像当たってるよ。そういうステップのすっ飛ばしでもしないと、ここまで中途半端なシナリオなんざ書こうと思っても書けないもん。いきなり絵コンテで具体的にしてしまうから、それだけで「シーン」が「生きて」しまうので切ったり整理したりができなくなるんよ。本当は未整理なのに。)

昨日見た、「猿の惑星」のティム・バートンは、監督を引き受ける前に何度も叩かれたシナリオを読んで、それに文句もつけ、意見も言って手直しさせてる。で、その後に、圧倒的な絵コンテの具体性で現場を仕切る。そういうやり方をしている。

そういう「構造」とか「作り方の手順」の違いが、映画の仕上がりをどう左右するのか。この2日間で、嫌が上でもはっきり見えてしまったなぁと思う。いやまぁ、「猿の惑星」だってせいぜい40点とか及第点ギリギリの映画なんだけどさ。でも基本も押さえてないのは、やっぱり偽物よな、偽物。

まさに、千と千尋のアホ隠し。いやばれてるけどね。

猿の惑星

2001年8月17日 映画
今日はあまりに仕事がヒマだったので、「まぁええわ、ヒマな時は映画でも見よう」と思い、弟と甥っ子の3人で「猿の惑星」を見に行く。

あーうー、まぁええんやないですか? 「猿の惑星」ですからな。生半可なラストでは面白くないとは思いますよ。

シナリオが二転三転したんやろなぁというのがイヤでもわかる作りでした。考えに考えたんだろうなぁ。途中のストーリーも「なるへそ」と納得させられたし。

監督のティム・バートンは元ディズニーの絵コンテライター。練ったシナリオを絵コンテで的確に映像化している、分業体制の素晴らしさを感じる。このあたりがハリウッドの濃いところだなぁ。監督がティムに決まる前に、何度も何度もシナリオが練りこまれてるもん。予算まで含めて。
いちおう盆休みも終わりということで、仕事場に出た。
が、することが何もない。
たまっていたメールのダウンロードと削除だけして帰る。

あー、なんで小泉さん、この日に参拝せんかったかなぁ。憲法違反という意味ではいつ参拝してもいっしょやん。

どうせ憲法は山盛り「違憲状態」があんねんから、ちゃんと考えなあかんねんし、ちゃんと15日に行ったらええのに。

憲法違反をうんぬんする人は、それやったら同じように自衛隊も違憲とか、田中角栄の裁判でアメリカの証言をタテにしたんは憲法違反やとか、一票の格差は違憲状態なのだとか、そういうこともひっくるめてトータルに憲法違反について考えるべきやと思うなぁ。なんで靖国参拝だけ取り上げて違憲とかなんとか言うかなぁ。憲法問題は、そんな瑣末なことだけを考える問題ではないよ。

だから、とにかくまず国のために死んでくださった方々に敬意を表するという、誰にでもわかる基本的な感情に焦点をあてて、そこから改革というものを全国民レベルで考えていこうとかさ、そういうメッセージを出すべきだったんじゃないの?

日をずらすっていうのは、近隣諸国に配慮して、というそれだけでしょ? そんなん内政干渉もええとこやから関係ないのに。なんかすごい中途半端。腰がひけてると思う。我々日本人が何を大切にすべきなのか? がまずあって、それが固まってから他国とどう関係性を結ぶか? と違うんかなぁ。順番が大事やわ。

小泉さんに関しては期待もしてないし、揶揄する気もないけど、この「靖国前倒し参拝」だけはいただけませんなぁ。また政治があいまいで、わかりにくいものになっちゃった。大変残念ですね。


ということで、休みなのだしと、少し前から数ページずつ、かみしめるように読んでいた「日本人のための宗教原論」(小室直樹・著 徳間書店・刊 1800)を一気に読了させる。

これはキリスト教、仏教、儒教、イスラム教という4大宗教のエッセンスを博覧強記の小室直樹大先生の明解なる解説文で紹介してくれてある本であります。

小室直樹さんの本は、前に紹介した「痛快!憲法学」でもそうだけど、非常にわかりやすくて、適切な例が引かれていて、難しい話でもスコンと頭に入ってくるのがうれしくて仕方ない。

小室直樹氏の博覧強記ってのは尋常ではないので、たとえば仏教の「空」の概念を解説するのに、非ユークリッド幾何学が出てきたりする。で、そんなわけのわからんものが出てくるのに、その方がはっきりくっきりと「空」の概念がわかってしまうという、とんでもないすごさ、なのであります。

ようするについでに「非ユークリッド幾何学って一言で言うと何か?」みたいなことまで、1ページくらいでまとめてくれてたりするわけです。この博覧強記さは、そらもうとんでもないと思います。

このたった一冊で4大宗教の本質の本質、根っこの根っこ、真骨頂の部分がスコーンと頭に入ってしまうからすごい。たとえ話のレベルが違うんよなぁ。もう実に最適のたとえ話を持ってくるというか。わかりやすさは、とにかくすごい。

でも、分かりやすいからと言って、頭に残りやすいというのとは違うのですね。具体例の具体的な人物名とか用語とかは、その時はわかっているけど、読み終わったら忘れてしまうこと必定。なので、固有名詞とかが多少なりとも頭に焼きつくように、毎日少しずつ、前後しながら、ちょっとずつ読んできたのです。

ちょうどいま、靖国問題とかも話題になってるし、「宗教原論」を中心に、靖国関連の書籍とか、東京裁判関連の書籍なんかにもちょっと手を伸ばしてみたりしてる。

(この数日、ほとんどボーッとして過ごしていたので、記憶にあるのは、本屋に出かけて本を買って読んでたというようなことだけなのですなぁ。ちょっとヘン。)

ともあれ、そういう各種書籍もつまみ食いしかしてないし、この宗教原論も途中までしか読んでなかったんだけど、なにはともあれ「面白さ」という意味では、やっぱり小室先生がグンバツであります。

お勧め。

今日は仕事場に出る予定であった。なんだかんだとパラパラと小さい仕事はあるもので。
で、さて出かけようかと思い、出かける前にノートパソコンでメールチェック。
すると、得意先の担当者から出していた原稿のチェックが戻ってきていて、それが全部チマチマした直しばっかり。大きく僕が書かねばならないようなところはない。
事務所のデザイナーさんに電話して相談したら、「この程度はこっちでやっとくわ」ということで、今日はお休みすることにした。

で、お休みすることにしたら、なんとこの3日くらいは得意先もみなさんお休みなので、結局盆休みが開始されたということになってしまった。

なんつーか成り行きでこうなるってのもなぁ。まぁええか。やる気出んし。

夏バテ記憶喪失4

2001年8月12日
あああああ、さっぱり思い出せないぃぃぃぃ。
何してたんやワシは?
あ、日曜日だし、たぶんソニックアドベンチャー2をシコシコやってたんだな。そういうことだわ。
しかしなんか無意識の中をさまよい歩いてる感じやなぁ、この数日。

夏バテ記憶喪失3

2001年8月11日
ありゃ?何してたっけか?
あ、夕方に仕事場にでかけたんだ。
で、それだけだ。

夏バテ記憶喪失2

2001年8月10日
うげげげ。これまた記憶になし。
たぶんこの日も仕事はしてたな。

夏バテ記憶喪失1

2001年8月9日
おおおお、記憶にないぞ。さっぱり。
なんか仕事はしてたんだけど。

昨日の環境報告書の校正を、とどけに出かけた。
それだけ。
昼間やたらと眠く、帰ったら11時に寝て朝4時に起きた。なんか体の調子が変わりつつあるのかも知れない。
あーいまいちの日。さる会社の環境報告書ってやつの校正をした。

夜友人と会う。

そんだけよなぁ。

< 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 >

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索