津波とツイッターとマスコミと。
2010年3月4日今日、朝のNHK「生活ほっとモーニング」で津波に関する特集をやってまして。自分自身の知識不足もあるしと、ちょっと見てました。
そこで知ったのは「津波はバカにできない」という話でありました。
津波と波は全然違うもので、まず波はその波の一点が高いだけなわけですが、津波は高い一点から後にずーっと「高いまま」の状態が続くわけです。
で、これが町中に入ってくるときはそのスピードはパッと見は大したスピードには見えないんですが、実際上は秒速5メートルを超えるそうです。時速で言うと、約18㎞くらい。安物の自転車のちょっと早めの巡航速度という感じですので、
●人間の足ではギリギリ追いつかない速度。
なわけですね。
で、ここまで聞いても、あまり恐怖を感じないかも知れませんが、この津波は力があるので、時と場合によっては自動車などを浮かせて流してしまう可能性もあるわけです。ありとあらゆるゴミなどもドンドン流れてくる。
で、それがまた引き潮で逆戻りすることもあるわけです。
だから、かなり危険なんですよね。
それだけの水量が狭い道、あるいは湾内に入ってきたら大変なことになる場合もあるわけです。
で、それよりなにより大切なのは、
●津波は第1波より第2波の方が大きいことがある。
という部分。
ここ、大事なのは「ことがある」という部分なんですね。
「ことがある」というのは「ない場合もある」ということです。
なので、津波警報に慣れた地域の人でも、第1波が小さいと、安心してしまって、高台への避難をやめて、自宅に戻ってしまったりすることがあるって事なんですね。
実際、昔から津波に悩まされていた地域の人が、今回「第1波が来る時刻には避難したけど、大したことなかったから自宅に戻った」のです。
が、しかし、これは本当に危険なんだそうです。チリのように遠くからやってくる波というのは、太平洋のどこをどう通ってやってくるのかわからず、どんな波の形になっているかもわからないわけです。地震があったと言っても、どういう種類の地震かわからないとシミュレートして日本に届く波の形まではわからないので、いきおい「とにかく避難しておいてください」と言うしかないという部分も大きいようです。
だからやっぱり津波が来たときには、できるだけ高いところに避難しておく必要があるって事ですね。少なくとも表を出歩いたり浜辺に物見遊山で出かけたりはしてはいけない。
で、です。
実は話はここからでして、この津波がやってくるという事に関して、総務省の原口大臣がtwitterでさかんに呼びかけてたんですね。
その内容と、それにまつわる話は、以下のブログによくまとめられています。
原口大臣の津波ツイートと「マスメディア報道の可視化」
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100303/1267573940
基本的に、なにも大臣が自らツイートしなくても、公的な役人などがまめにつぶやけば良いという話ではあるんですが、twitterは、こういう災害時にこそ役立つメディアでして、それがまだ公的な仕組みに組み込まれていないから、原口大臣自ら国民の利益を考えて自主的にツイートされたということなわけです。
twitterでは「原口大臣のツイートには、国民を思う心が現れていた。」という意見へのリツイート(つぶやきの再送信)がとても多いように、僕は感じました。
しかし、この原口大臣の行為にかみついたのが、実はマスコミだったんですね。曰く「投稿者が総務相の名をかたる、なりすましの危険があったのではないか?」という、大臣がツイートする行為そのものへの批判だったわけです。
が、しかし、これは「そんなもん起こるわけないやん」と、やっていて思うわけですよ。原口さんはもう、毎日朝起きた時に「今日は予算審議です」とかマメにつぶやいてる人で、ツイッター上での知り合いも多い。やりとりもひんぱんにされている。だから、その同じアカウントから流れてきた情報が「なりすまし」になるなんて、考えられない。
でも、この記者は原口大臣にかみついたわけです。
で、その心は、結局、
●警報情報を流すのはマスコミの既得権益じゃ!
という、権利へのしがみつき発想が、その大もとにはあるとしか思えないわけです。
いま、ツイッター上で、いちばん面白い話は、やっぱりなんといっても記者クラブ制の問題点追求なんですね。マスコミでは全然流れない情報が、ツイッターでドドドドドーと流れていて、それが「世論」をどんどん変質させていってる。
そういう状況があるから、マスコミがものすごい危機感を持ってるわけですよ。自分たちの既得権益が侵される、奪われるのではないか?と戦々恐々としているということです。
このあたりの心情を、上記のブログからもリンクされてますが、ジャーナリストの江川紹子さんが、
江川紹子ジャーナル「新聞とツイッター」
http://www.egawashoko.com/c006/000320.html
というブログでいろいろ書かれてます。
ちょっと引用します。
(引用開始)----------------------------------
今回のような反応をみると、法廷メモを巡る問題を思い出す。
かつて、法廷で一般傍聴人はメモをとることが許されなかった。認められているのは、司法記者クラブに所属する大手メディアの記者だけ。それに異議を申し立てたのが、アメリカ人弁護士ローレンス・レペタさん。レペタさんは日本語が流ちょうで、ちゃんとメモも日本語で取れる。日本の経済事件の研究をするために裁判傍聴をしていたが、数字などは書き留めておかなければ忘れてしまう。なのでメモを取ろうとしたら、裁判長に禁じられた。それで、法廷メモ解禁を求めて、裁判を起こしたのだ。
1審、2審と敗訴。最高裁で争っている時、私はこの裁判を知って、支援を始めた。支援というより、レペタさんに勝ってもらわないと、私自身も困るのだ。私も以前は新聞社にいて、そういう問題があることにすら気がつかずにいたことに、とても恥ずかしい気持ちもあった。
裁判所がメモを禁じる理由は、今思い出してみても笑ってしまう。「法定内の静けさ(判決文では難しく「静謐」という言葉を使っていたっけ)が乱される恐れがある」とか、「証人が不安を感じて正直に証言しなくなる恐れがある」とか、およそ意味のない、様々な「恐れ」を作り出していたのだった(もちろん、メモを解禁した後、そのために法定内が紙にペンを走らす音でうるさくなったり、証人尋問ができなくなったりなどという事態は起きていない)。
当時、新聞社はメモ解禁に否定的だった。その理由を聞くと、ある知人の記者がこう言った。
「これまで自分たちだけで座っていた座布団に、誰か知らない人たちがお尻をのっけてきた、そんな感じがする」
そして今、様々な役所の資料がインターネットを通じて直接国民に公開され、大臣会見がフリーランス記者に開放され、今回のようにツイッターによるリアルタイムの情報公開が行われ……。気づいてみたら座布団に、次々にいろんな人がお尻を載せてきて、居心地が悪い、という気分に陥っている新聞社の人たちは結構いるのではないだろうか。
(引用終了)----------------------------------
この引用で、もっとも重要なのは、
「私も以前は新聞社にいて、そういう問題があることにすら気がつかずにいたことに、とても恥ずかしい気持ちもあった。」
という独白です。
新聞社にいると、既得権益を守ろうとすること自体が「問題なのだ」という問題意識を持てなくなってしまう、ということなんですね。
ツイッターを読んでいて感じるのは、そういうマスコミ業界にいてる人たちの環境が、徐々に慣れによる汚れで、どんどんダメになっていってしまっている状況です。
その中心に「記者クラブ制」という、官僚と報道のズルズルした「官報共同体」ができてしまっているという問題です。
マスコミというと、「NHKだけは大丈夫」とか思ってしまいがちですが、今回小沢さんの報道を見ていて、「ああ、やはりNHKも、ようは官報なんだなぁ」としみじみと思って、マスメディアのダメさかげんをあらためて実感したんですよね。つまり、NHKも「マスゴミ」のひとつなのだ、ということなんです。
このあたり、記者クラブ制の問題を、フリージャーナリストの岩上安身さんが、twitterでツイートされてたのを、少し長くなりますが、ちょっとまとめて引用します。
(引用開始)--------------------------------
●ちょっと続き。たぶん、記者クラブの主催する記者会見の現状というのは、多くの方にはピンとこないと思います。分かりやすく言うと中学生の「シカト」です。徹底的な無視です。そこに僕ら、クラブ外の記者が存在しないかのようにふるまう。そんな現場で、穴をあけていくのは、すごく疲れるんですよ。
●続き。では、彼らがみんな程度の低い、幼稚な人間なのか、といえば、もちろんそんなことはない。個別に会えば、まったく違う顔を見せるでしょう。僕にも、尊敬できる、魅力的な記者の友人・知人はたくさんいます。でも、会見の場という、「情報利権」にかかわる場では、まったく別の顔になるんですよ。
●続き。「シカト」というのは、疎外されている人間に対して、憎悪の感情など抱いていない人でも、その人物と親しく話すだけで、今度は自分も疎外されてしまうという恐怖によって、広がっていきます。同じようなことです。クラブ外の記者というのは、排除の対象であり、アンタッチャブルなんです。
●続き。問題は、そうした排除の論理を徹底させている源をたどっていくと、大ボスにまでたどりつく、ということです。誰も遠慮して言いませんが、世界最大の発行部数を誇る読売新聞のトップである渡邉恒雄氏のトップダウン抜きにして、読売・日テレの、今の論調はありえない。組織として徹底しています。
●続き。昨日のシンポジウムで、安田弁護士が「権力が主力として頼みにするのは読売。読売は組織として動いている」と発言していましたが、同感です。なぜ、組織として動かせるのか。トップである渡邉氏の権力の振るい方の鍵があります。「渡邉恒雄 権力とメディア」の中の一節を引用すると…。
●続き。「渡邉は仕事でミスをした編集局幹部たちを次々と呼びつけ、自分の机の前に立たせたままで怒鳴りつけていた。(中略)『俺は才能のあるやつなんか要らん(中略)俺は社長になる。そのためには才能のある奴なんか邪魔だ。俺にとっちゃ、何でも俺の言うことに忠実に従うやつだけが優秀な社員だ」
●続き。講談社文庫版の398頁からの引用です。同様のエピソードや証言は、いくらでも収集できます。こうしたトップのもとで働く社員は、上を見上げるヒラメにならざるを得ない。逆らえば何もかも失います。記者クラブというカルテルの解体にトップが同意していなければ、現場の記者は何もできません。
●@mankin911>『俺にとっちゃ、何でも俺の言うことに忠実に従うやつだけが優秀な社員だ」
@mankin911> このメディアが小沢独裁と言うことほど滑稽なことはありません。
●@iwakamiyasumi その通り。小沢氏は選挙で落とせても、ナベツネ氏は落選させられないのです。
(引用終了)--------------------------------
ということなんですね。
これを読んでみれば、この「記者クラブ制」というものが、いかに独裁者にとって都合が良いかがよく分かります。
上の岩上安身さんのツイートの最後に書かれている一言が、我々一般国民には、もっとも重要な一言なんじゃないでしょうか。
つまり、
●小沢氏は選挙で落とせても、ナベツネ氏は落選させられないのです。
ということです。
まぁ、まだ新聞は「買わないでおく」という不買運動ができますが、官僚に至っては、生涯官僚のままです。
そして、その官僚が、あることないことを、NHKをはじめマスコミに公務員規則違反である「リーク」を垂れ流して、で、その「根拠のない誹謗中傷」で国民が選挙で選んだ国会議員を辞職させようとしたりするわけです。
これが、いま、この国に存在しているマスコミの実態なんですね。
彼らは、税金でしつらえられた国会内の記者クラブに堂々と席を持っていて(部屋代は支払っていません)で、広く国会外に出て国民の実態を取材することもなく、ただ官僚の流す「リーク」を競い合って(誇張ではなく、現在の新聞記者やテレビの記者は、官僚のリークを取る事をこそ「特ダネ」と勘違いしてるんです。まったくのバカです。)取ることこそが自分たちの仕事だと思ってるわけです。
官僚のリークを他社より早く「抜く」ことに命をかけてたりする。
ものすごい滑稽です。そういう状況は官僚の側からすれば、実にマスコミを操りやすい状況なわけですから。
同じくtwitterからの情報ですが、これまたフリージャーナリストの日垣隆さんのツイートを読んで唖然とした話。
(引用開始)----------------------------
●産経新聞の太田記者から電話。いろいろ聞かせてほしいという。「いいですよ」「ええとですね…」「実物を見て聞いたほうがいいんじゃないですか?」「あ、いや、うちは交通費出ないんです、もう」「それは取材とは言えないねえ」「伝聞でもいいです」「実物見なくて記事にできるの?」「うちでは」
(引用終了)----------------------------
と言う話。
●交通費が出ないから電話による伝聞だけで記事を書く。
これが新聞社の通常業務です。で、そんなアホなと思った他のユーザーから「本物の記者ですか?なりすましなんじゃないですか?」と聞かれて、日垣さん曰く、「他社も似たようなもんです。残念ながら本物。共同や時事や毎日も。」と答えておられる。
僕もいちおう、コピーライターという物書きをやっておりまして、いろんな機械のパンフレットを作ったりしてますが、そんな産業用の原稿だって取材しなけりゃ書ける物ではないのです。
伝聞だけで作られた、かなりええかげんな印刷物が新聞であり、映像表現がテレビのニュースである、ということなんですよ。
こんなアホな事があって良いのか?って思うんですよねぇ。
いちおう「調査報道」の流れも、いまでもちゃんと残ってはいてるとは思うんですけど、この「普段のニュースづくり」の現実を知ると、暗澹たる気持ちになりますな。
ま、おおむね、そういうことを感じた、津波とツイッターとマスコミとの話題でありました。
(こういう内容の濃い情報が日々、どんどこ流れているから、よけいにテレビや新聞よりツイッターを優先したい気持ちになっちゃうんですよね。しっかりしろよ、マスコミ!いやほんとに。)
そこで知ったのは「津波はバカにできない」という話でありました。
津波と波は全然違うもので、まず波はその波の一点が高いだけなわけですが、津波は高い一点から後にずーっと「高いまま」の状態が続くわけです。
で、これが町中に入ってくるときはそのスピードはパッと見は大したスピードには見えないんですが、実際上は秒速5メートルを超えるそうです。時速で言うと、約18㎞くらい。安物の自転車のちょっと早めの巡航速度という感じですので、
●人間の足ではギリギリ追いつかない速度。
なわけですね。
で、ここまで聞いても、あまり恐怖を感じないかも知れませんが、この津波は力があるので、時と場合によっては自動車などを浮かせて流してしまう可能性もあるわけです。ありとあらゆるゴミなどもドンドン流れてくる。
で、それがまた引き潮で逆戻りすることもあるわけです。
だから、かなり危険なんですよね。
それだけの水量が狭い道、あるいは湾内に入ってきたら大変なことになる場合もあるわけです。
で、それよりなにより大切なのは、
●津波は第1波より第2波の方が大きいことがある。
という部分。
ここ、大事なのは「ことがある」という部分なんですね。
「ことがある」というのは「ない場合もある」ということです。
なので、津波警報に慣れた地域の人でも、第1波が小さいと、安心してしまって、高台への避難をやめて、自宅に戻ってしまったりすることがあるって事なんですね。
実際、昔から津波に悩まされていた地域の人が、今回「第1波が来る時刻には避難したけど、大したことなかったから自宅に戻った」のです。
が、しかし、これは本当に危険なんだそうです。チリのように遠くからやってくる波というのは、太平洋のどこをどう通ってやってくるのかわからず、どんな波の形になっているかもわからないわけです。地震があったと言っても、どういう種類の地震かわからないとシミュレートして日本に届く波の形まではわからないので、いきおい「とにかく避難しておいてください」と言うしかないという部分も大きいようです。
だからやっぱり津波が来たときには、できるだけ高いところに避難しておく必要があるって事ですね。少なくとも表を出歩いたり浜辺に物見遊山で出かけたりはしてはいけない。
で、です。
実は話はここからでして、この津波がやってくるという事に関して、総務省の原口大臣がtwitterでさかんに呼びかけてたんですね。
その内容と、それにまつわる話は、以下のブログによくまとめられています。
原口大臣の津波ツイートと「マスメディア報道の可視化」
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100303/1267573940
基本的に、なにも大臣が自らツイートしなくても、公的な役人などがまめにつぶやけば良いという話ではあるんですが、twitterは、こういう災害時にこそ役立つメディアでして、それがまだ公的な仕組みに組み込まれていないから、原口大臣自ら国民の利益を考えて自主的にツイートされたということなわけです。
twitterでは「原口大臣のツイートには、国民を思う心が現れていた。」という意見へのリツイート(つぶやきの再送信)がとても多いように、僕は感じました。
しかし、この原口大臣の行為にかみついたのが、実はマスコミだったんですね。曰く「投稿者が総務相の名をかたる、なりすましの危険があったのではないか?」という、大臣がツイートする行為そのものへの批判だったわけです。
が、しかし、これは「そんなもん起こるわけないやん」と、やっていて思うわけですよ。原口さんはもう、毎日朝起きた時に「今日は予算審議です」とかマメにつぶやいてる人で、ツイッター上での知り合いも多い。やりとりもひんぱんにされている。だから、その同じアカウントから流れてきた情報が「なりすまし」になるなんて、考えられない。
でも、この記者は原口大臣にかみついたわけです。
で、その心は、結局、
●警報情報を流すのはマスコミの既得権益じゃ!
という、権利へのしがみつき発想が、その大もとにはあるとしか思えないわけです。
いま、ツイッター上で、いちばん面白い話は、やっぱりなんといっても記者クラブ制の問題点追求なんですね。マスコミでは全然流れない情報が、ツイッターでドドドドドーと流れていて、それが「世論」をどんどん変質させていってる。
そういう状況があるから、マスコミがものすごい危機感を持ってるわけですよ。自分たちの既得権益が侵される、奪われるのではないか?と戦々恐々としているということです。
このあたりの心情を、上記のブログからもリンクされてますが、ジャーナリストの江川紹子さんが、
江川紹子ジャーナル「新聞とツイッター」
http://www.egawashoko.com/c006/000320.html
というブログでいろいろ書かれてます。
ちょっと引用します。
(引用開始)----------------------------------
今回のような反応をみると、法廷メモを巡る問題を思い出す。
かつて、法廷で一般傍聴人はメモをとることが許されなかった。認められているのは、司法記者クラブに所属する大手メディアの記者だけ。それに異議を申し立てたのが、アメリカ人弁護士ローレンス・レペタさん。レペタさんは日本語が流ちょうで、ちゃんとメモも日本語で取れる。日本の経済事件の研究をするために裁判傍聴をしていたが、数字などは書き留めておかなければ忘れてしまう。なのでメモを取ろうとしたら、裁判長に禁じられた。それで、法廷メモ解禁を求めて、裁判を起こしたのだ。
1審、2審と敗訴。最高裁で争っている時、私はこの裁判を知って、支援を始めた。支援というより、レペタさんに勝ってもらわないと、私自身も困るのだ。私も以前は新聞社にいて、そういう問題があることにすら気がつかずにいたことに、とても恥ずかしい気持ちもあった。
裁判所がメモを禁じる理由は、今思い出してみても笑ってしまう。「法定内の静けさ(判決文では難しく「静謐」という言葉を使っていたっけ)が乱される恐れがある」とか、「証人が不安を感じて正直に証言しなくなる恐れがある」とか、およそ意味のない、様々な「恐れ」を作り出していたのだった(もちろん、メモを解禁した後、そのために法定内が紙にペンを走らす音でうるさくなったり、証人尋問ができなくなったりなどという事態は起きていない)。
当時、新聞社はメモ解禁に否定的だった。その理由を聞くと、ある知人の記者がこう言った。
「これまで自分たちだけで座っていた座布団に、誰か知らない人たちがお尻をのっけてきた、そんな感じがする」
そして今、様々な役所の資料がインターネットを通じて直接国民に公開され、大臣会見がフリーランス記者に開放され、今回のようにツイッターによるリアルタイムの情報公開が行われ……。気づいてみたら座布団に、次々にいろんな人がお尻を載せてきて、居心地が悪い、という気分に陥っている新聞社の人たちは結構いるのではないだろうか。
(引用終了)----------------------------------
この引用で、もっとも重要なのは、
「私も以前は新聞社にいて、そういう問題があることにすら気がつかずにいたことに、とても恥ずかしい気持ちもあった。」
という独白です。
新聞社にいると、既得権益を守ろうとすること自体が「問題なのだ」という問題意識を持てなくなってしまう、ということなんですね。
ツイッターを読んでいて感じるのは、そういうマスコミ業界にいてる人たちの環境が、徐々に慣れによる汚れで、どんどんダメになっていってしまっている状況です。
その中心に「記者クラブ制」という、官僚と報道のズルズルした「官報共同体」ができてしまっているという問題です。
マスコミというと、「NHKだけは大丈夫」とか思ってしまいがちですが、今回小沢さんの報道を見ていて、「ああ、やはりNHKも、ようは官報なんだなぁ」としみじみと思って、マスメディアのダメさかげんをあらためて実感したんですよね。つまり、NHKも「マスゴミ」のひとつなのだ、ということなんです。
このあたり、記者クラブ制の問題を、フリージャーナリストの岩上安身さんが、twitterでツイートされてたのを、少し長くなりますが、ちょっとまとめて引用します。
(引用開始)--------------------------------
●ちょっと続き。たぶん、記者クラブの主催する記者会見の現状というのは、多くの方にはピンとこないと思います。分かりやすく言うと中学生の「シカト」です。徹底的な無視です。そこに僕ら、クラブ外の記者が存在しないかのようにふるまう。そんな現場で、穴をあけていくのは、すごく疲れるんですよ。
●続き。では、彼らがみんな程度の低い、幼稚な人間なのか、といえば、もちろんそんなことはない。個別に会えば、まったく違う顔を見せるでしょう。僕にも、尊敬できる、魅力的な記者の友人・知人はたくさんいます。でも、会見の場という、「情報利権」にかかわる場では、まったく別の顔になるんですよ。
●続き。「シカト」というのは、疎外されている人間に対して、憎悪の感情など抱いていない人でも、その人物と親しく話すだけで、今度は自分も疎外されてしまうという恐怖によって、広がっていきます。同じようなことです。クラブ外の記者というのは、排除の対象であり、アンタッチャブルなんです。
●続き。問題は、そうした排除の論理を徹底させている源をたどっていくと、大ボスにまでたどりつく、ということです。誰も遠慮して言いませんが、世界最大の発行部数を誇る読売新聞のトップである渡邉恒雄氏のトップダウン抜きにして、読売・日テレの、今の論調はありえない。組織として徹底しています。
●続き。昨日のシンポジウムで、安田弁護士が「権力が主力として頼みにするのは読売。読売は組織として動いている」と発言していましたが、同感です。なぜ、組織として動かせるのか。トップである渡邉氏の権力の振るい方の鍵があります。「渡邉恒雄 権力とメディア」の中の一節を引用すると…。
●続き。「渡邉は仕事でミスをした編集局幹部たちを次々と呼びつけ、自分の机の前に立たせたままで怒鳴りつけていた。(中略)『俺は才能のあるやつなんか要らん(中略)俺は社長になる。そのためには才能のある奴なんか邪魔だ。俺にとっちゃ、何でも俺の言うことに忠実に従うやつだけが優秀な社員だ」
●続き。講談社文庫版の398頁からの引用です。同様のエピソードや証言は、いくらでも収集できます。こうしたトップのもとで働く社員は、上を見上げるヒラメにならざるを得ない。逆らえば何もかも失います。記者クラブというカルテルの解体にトップが同意していなければ、現場の記者は何もできません。
●@mankin911>『俺にとっちゃ、何でも俺の言うことに忠実に従うやつだけが優秀な社員だ」
@mankin911> このメディアが小沢独裁と言うことほど滑稽なことはありません。
●@iwakamiyasumi その通り。小沢氏は選挙で落とせても、ナベツネ氏は落選させられないのです。
(引用終了)--------------------------------
ということなんですね。
これを読んでみれば、この「記者クラブ制」というものが、いかに独裁者にとって都合が良いかがよく分かります。
上の岩上安身さんのツイートの最後に書かれている一言が、我々一般国民には、もっとも重要な一言なんじゃないでしょうか。
つまり、
●小沢氏は選挙で落とせても、ナベツネ氏は落選させられないのです。
ということです。
まぁ、まだ新聞は「買わないでおく」という不買運動ができますが、官僚に至っては、生涯官僚のままです。
そして、その官僚が、あることないことを、NHKをはじめマスコミに公務員規則違反である「リーク」を垂れ流して、で、その「根拠のない誹謗中傷」で国民が選挙で選んだ国会議員を辞職させようとしたりするわけです。
これが、いま、この国に存在しているマスコミの実態なんですね。
彼らは、税金でしつらえられた国会内の記者クラブに堂々と席を持っていて(部屋代は支払っていません)で、広く国会外に出て国民の実態を取材することもなく、ただ官僚の流す「リーク」を競い合って(誇張ではなく、現在の新聞記者やテレビの記者は、官僚のリークを取る事をこそ「特ダネ」と勘違いしてるんです。まったくのバカです。)取ることこそが自分たちの仕事だと思ってるわけです。
官僚のリークを他社より早く「抜く」ことに命をかけてたりする。
ものすごい滑稽です。そういう状況は官僚の側からすれば、実にマスコミを操りやすい状況なわけですから。
同じくtwitterからの情報ですが、これまたフリージャーナリストの日垣隆さんのツイートを読んで唖然とした話。
(引用開始)----------------------------
●産経新聞の太田記者から電話。いろいろ聞かせてほしいという。「いいですよ」「ええとですね…」「実物を見て聞いたほうがいいんじゃないですか?」「あ、いや、うちは交通費出ないんです、もう」「それは取材とは言えないねえ」「伝聞でもいいです」「実物見なくて記事にできるの?」「うちでは」
(引用終了)----------------------------
と言う話。
●交通費が出ないから電話による伝聞だけで記事を書く。
これが新聞社の通常業務です。で、そんなアホなと思った他のユーザーから「本物の記者ですか?なりすましなんじゃないですか?」と聞かれて、日垣さん曰く、「他社も似たようなもんです。残念ながら本物。共同や時事や毎日も。」と答えておられる。
僕もいちおう、コピーライターという物書きをやっておりまして、いろんな機械のパンフレットを作ったりしてますが、そんな産業用の原稿だって取材しなけりゃ書ける物ではないのです。
伝聞だけで作られた、かなりええかげんな印刷物が新聞であり、映像表現がテレビのニュースである、ということなんですよ。
こんなアホな事があって良いのか?って思うんですよねぇ。
いちおう「調査報道」の流れも、いまでもちゃんと残ってはいてるとは思うんですけど、この「普段のニュースづくり」の現実を知ると、暗澹たる気持ちになりますな。
ま、おおむね、そういうことを感じた、津波とツイッターとマスコミとの話題でありました。
(こういう内容の濃い情報が日々、どんどこ流れているから、よけいにテレビや新聞よりツイッターを優先したい気持ちになっちゃうんですよね。しっかりしろよ、マスコミ!いやほんとに。)
すごい本が出た。
この本はすごい。
世界権力者 人物図鑑
By 副島 隆彦
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4537257431
著者は件の副島隆彦さん。
長らく氏の著作は紹介してなかったのですが、(というか、読んでなかった。)今回の、この著作に関しては、もうとにかく大絶賛で超強烈にお勧めです。従来の副島さんの著作も良かったけれど、それらとはレベルが違う。これはすごい。
なんちゅうか、明治の時の福沢諭吉の「西洋事情」「学問のススメ」に匹敵するんじゃないか? と感じました。
いや、幕末の、漂巽紀畧(ひょうせんきりゃく:ジョン万次郎のアメリカ生活の談話に絵をつけたもの)なみか。それに匹敵するくらい重要な本なんじゃないか? と思ったわけです。
(漂巽紀畧は、いま人気の「龍馬伝」で、リリー・フランキーが演じた河田小龍が描いてたアレです。)
まぁ、そう感じるくらいにびっくらこいた、すごい本なわけです。
とは言いつつ、内容はの方はというと、超カンタン、かつ単純。
というか、そういうわかりやすいシンプルさこそが、この本(というよりグラビア雑誌か?)の凄さの源泉なんですね。
いま地球上に生きている(一部故人有り)、世界政治を牛耳る権力者たちを、オールカラー・130頁で、76人、顔写真をドッカン、ずら~りと並べ、簡単に一言で解説してるだけなんです。
でも、それが見事に「世界」の一覧になってるわけです。これは本当にすごい。知的分野で、この「人物図鑑」という発想はなかった。そこがすごいのです。
しかも、その紹介写真にしても1頁まるまる全面写真だけ、なんてのが普通なんです。
まるでスポーツ新聞なみのレイアウト。
その重要人物たちの特異なキャラクター・悪人度までもがいやでもドーンと伝わってくる。フルカラー・ビジュアルのド迫力です。百聞は一見にしかずとはこのことかと、納得せざるを得ない内容。
それに加えて、その写真につけられた見出しが秀逸! 一言でその人物を言い表してます。
例を上げると、
●ディビッド・ロックフェラー→「この男が死ぬまで”世界皇帝”」
●ヒラリー・クリントン→「ちゃっかり国務長官になった”性悪女”」
●アル・ゴア→「本当は寒冷化している世界」
てな感じで、本当に「世界」を動かしている76人の人物の、「キンタマ」を握った一言(ヒラリーにキンタマはないけど:笑)になっておるのです。
また紹介内容も多岐にわたっていて、あのブッシュ大統領とコンドリー・ライスとの愛人関係を語る内容があったり、あるいはオバマ婦人であるミシェルとヒラリー・クリントンの女同士の権力戦いがあったりと、それこそテレビドラマの「渡る世間は鬼ばかり」なみの女同士の丁々発止のドラマまで盛り込まれておりまして、実に見事。
そこいらのおばちゃんでも楽しめる内容になっている、ということがすごい。
つまり、一般人誰もが、楽しみながら、世界の実態を一発で、情感込めて、短時間に学べ、しかも印象が強烈であるがゆえに、読んだ後でも「世界の構造」「地球の仕組み」を忘れず頭に叩き込んでおける、というものすごい本です。ものすごいインパクトです。
実際、その印象の強さたるや、本当に強烈です。
たとえば、「ジャパン・ハンドラー(日本操り班)」と呼ばれる、アメリカから日本に直接乗り込んできて、権謀術数を使って現政権に横やりやら、操りを仕掛けてきている人物たちには、
●ジェラルド・カーティス Gerald Curtis ←もう帰れ
●ロバート・フェルドマン Robert Feldman ←気持ちが悪い
と、クソミソ(笑)。でも、だからこそ「世界の構造」という大きな仕掛けが一発でわかるわけです。
もちろん、
「いやいや、そこまで単純化したらアカンやろ」
とも思うのですが、でもしかし、そうやって単純化してあると、ものすご~く理解がしやすい。それはそれはもう、子供の頃に夢中になって読んだ、ウルトラマンなどのスーパーヒーロー物の「怪獣図鑑」そのものなんですよね。「こいつはワル者や、こいつはエエモン(良い者)やねんで。」と絵本を見るように楽しめる。
こうして楽しめる読み物・絵物語になっていると、まぁ、買って隅から隅まで読んでも2時間かからない。だと言うのに、「この世界の構造」がストンと全部把握できてしまう。そういうことなんです。
重要なことは、この本には、いま日本が置かれている状況の、「マスメディア」には出てこない、「もうひとつ上の外側」がシンプルに描かれている、ということです。
テレビで見るオバマも、ヒラリー・クリントンも、ようは「部課長クラス」で、その上の上長がいてる。また、小沢さんや検察にも、それぞれ世界レベルの「上」がいて、そうやってこの地球は動いてる。
それは、良い悪いではなくて、単なる事実としてそこに厳然としてあるんですね。別に隠されているわけでもなんでもない。ちゃんとした政治知識や組織文化の色分けがわかっていて、海外メディアをしっかり読み込んでおけば、概略見えてくることなんです。
でも、我々日本人は、その基礎的知識がないから、とっかかりもなく、「日本の外側に存在している力」を把握する術すらがないわけです。
海外に住んだ事のある人なら誰もが言うのが、日本のテレビ・新聞の海外ニュースの少なさです。国内ニュースが最優先で、海外情報が全然紹介されない。紹介されないから、よけいにわからなくなる。そういう流れなんです。
日本以外の国々では、ニュースの時間は、まず海外のニュースから始まるそうです。まず全体把握があってから、「部分」である国内ニュースに入る。考えてみれば、それが当然なんですよね。
だから、我々日本人には、まずとにかくとっかかり、手がかりとして「世界のミニチュア」みたいなもの、ドラクエのワールドマップにあたるものが、まず必要だ、ということなんです。
そして、その「地球のミニチュア」として提示されたのが、この「世界権力者 人物図鑑」なのだ、ということです。
しっかり理解して欲しいのは、この「人物図鑑」のように、地球を手のひらの飴玉のように見る視点こそが、我々日本人には、まず真っ先に必要なんだ、ということなんですよ。
日本の中からマスコミを通じて、井戸の底から上を見上げるような、空の一部しか見せられない情報環境では、何もわからないし、わかるわけがないんです。
著者の副島隆彦さんは、もう10年以上も前から、ずーっと、「世界7、国内3」という「七三の構え」という考え方を提唱されています。
世界のどこの国であろうと、いくら自国の良さや、自分の国独自の文化を大事にしたいと思っていても、自分たちの都合を優先できるのはせいぜい3割だ、7割はどうせイヤイヤでも世界に合わさざるを得ないのだ、という割り切りの基準値、判断基準が「七三の構え」なんですね。
僕は、この「七三の構え」という考え方に強く賛同しているわけです。チリの地震が日本の津波になるように、地球は小さな手のひらの上のアメ玉であって、相互に関連し合いながら影響されながら動いていくしかないわけです。だから、いくら「海外3の国内7がいいなぁ」と思っていても、結局は「海外7の国内が3」にならざるを得ない。
そして、残せる「自分たちの文化」が3割しかないのであれば、それこそ真剣、慎重に、その良い部分を特定して、磨いていかなければいけない。そういうことなんですね。
で、その3割を残す厳しい目も、「どうせ世界が7割なのだ」というシビアな見方なくして育つわけがないのです。
そうでなくても、世の中には、「世界9の国内1がいい!」というようなグローバリズム(世界一国支配主義)かぶれとか、逆に「世界の事は1、2で良い。国内8~9が一番だ」というような歪んだ愛国主義とかがあふれてるわけです。
でも、そういう比率の歪んだ考えは、どうせうまく行かない。現実的に「73」くらいでしか、やっていけないんだから。現実問題、世界はつながってるんだから。だから「七三の構え」を取ってない考え方は、どうせ失敗するんです。
どうして、その比率を間違えてしまう失敗をするのかと言えば、ようするにこの「手のひらの地球」という視点、「世界構造の理解」という視点が欠けているからなわけです。
この「世界権力者人物図鑑」という本は、その最重要の「構造」を、どんな人でも、ほんとうにたった1~2時間で学習できてしまうという、とんでもない本なわけです。
まず、この基礎知識なしに、本当に大事な「自分たちの大切にしている3割」を守ることはできないんです。
小泉政権というのは、まさにこの知識が我々日本人に欠けていたが故に、「世界9国内1」にまで構造を叩きつぶされてきた時代だったとはっきりしてます。
この構造把握なくして、自国の良さを徹底して守る、「排外主義」やら「自国中心主義のセンチメント」が「何故起きるか」なんか絶対にわかるわけがない。
まず何より先に「世界の構造」を知ることが先決なのです。
世界の構造を知らずに自国中心主義を唱えるから、平気で「世界1の国内9」という非現実的な右翼意見に与してしまうわけです。その逆も又しかり。世界の構造を知らないから、グローバリストたちにいいように乗せられて、「海外9の国内1」とかになってしまう。どっちもダメ。どっちもバカ。パーそのものです。
まず世界構造を把握する。それはつまりは、気持ちよい生活をするためには、まず部屋の広さを把握して、そこから「泣く泣く」捨てるものを決めていくしかない、という事と通じる、絶対的な「手順」なんです。
その「部屋の広さ」を一発で理解できるのが、この「世界権力者 人物図鑑」というわけです。だからすごいのです。
副島隆彦さんは、もう、前々から「私の主著はこの本だ」と言って、まず真っ先に紹介されている本があって、それが
世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%87%E6%A8%A9%E5%9B%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6%E3%81%A8%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%EF%BC%8B%CE%B1%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%89%AF%E5%B3%B6-%E9%9A%86%E5%BD%A6/dp/4062563347/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1267838668&sr=8-2
なんですが、実はこの副島さんの、もっとも大切な本を、僕は持ってはいてるのですが、どうしても読了できないままなんですね。
なんでかというと、それは単純に、出てくる人間の数が多くて、しかも顔のイメージが湧かないからなんです。それは読んでいて辛い。いくら「読まなくちゃ」と思っていても、やっぱり読めない。
でも、この「世界権力者人物図鑑」なら、たった1時間強で、だいたい読めてしまう。
そのくせ、「ポピュリズム」「アイソレーショニズム」「リバータリアン」「マネタリズム」などなど、知っておくべき政治的概念もしっかりキチンと身に付きます。
また、アメリカだけでなくて、中国やBRICS、あるいは欧州の流れもざっくりとはつかめるようになっている。
だから本当にすごいんですよ、この本は。
この本の帯に「副島隆彦アメリカ研究30年の成果を凝縮」と書いてありますが、それはまさにそのとおりだと思うのです。欧米の新聞やらメディアの情報をたんねんにコツコツ毎日読み込み、分からないところがあれば欧米の人間に直接質問して知識の穴を埋めてきた副島さんだからこそ書けたすごい本だ、ということです。
ということで、これは30年に一度、出るか出ないかという名著ですので、みなさま、ぜひともお読みください。
っちゅうか、「お眺めください」かなぁ。
そのくらい気軽に読んでもらった方が、この本は真価を発揮しますな。
ということで、この本一冊で日本は変わる、というくらいすごいので、ぜひ読んでいただきたい。
超おすすめの一冊でありました。
この本はすごい。
世界権力者 人物図鑑
By 副島 隆彦
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4537257431
著者は件の副島隆彦さん。
長らく氏の著作は紹介してなかったのですが、(というか、読んでなかった。)今回の、この著作に関しては、もうとにかく大絶賛で超強烈にお勧めです。従来の副島さんの著作も良かったけれど、それらとはレベルが違う。これはすごい。
なんちゅうか、明治の時の福沢諭吉の「西洋事情」「学問のススメ」に匹敵するんじゃないか? と感じました。
いや、幕末の、漂巽紀畧(ひょうせんきりゃく:ジョン万次郎のアメリカ生活の談話に絵をつけたもの)なみか。それに匹敵するくらい重要な本なんじゃないか? と思ったわけです。
(漂巽紀畧は、いま人気の「龍馬伝」で、リリー・フランキーが演じた河田小龍が描いてたアレです。)
まぁ、そう感じるくらいにびっくらこいた、すごい本なわけです。
とは言いつつ、内容はの方はというと、超カンタン、かつ単純。
というか、そういうわかりやすいシンプルさこそが、この本(というよりグラビア雑誌か?)の凄さの源泉なんですね。
いま地球上に生きている(一部故人有り)、世界政治を牛耳る権力者たちを、オールカラー・130頁で、76人、顔写真をドッカン、ずら~りと並べ、簡単に一言で解説してるだけなんです。
でも、それが見事に「世界」の一覧になってるわけです。これは本当にすごい。知的分野で、この「人物図鑑」という発想はなかった。そこがすごいのです。
しかも、その紹介写真にしても1頁まるまる全面写真だけ、なんてのが普通なんです。
まるでスポーツ新聞なみのレイアウト。
その重要人物たちの特異なキャラクター・悪人度までもがいやでもドーンと伝わってくる。フルカラー・ビジュアルのド迫力です。百聞は一見にしかずとはこのことかと、納得せざるを得ない内容。
それに加えて、その写真につけられた見出しが秀逸! 一言でその人物を言い表してます。
例を上げると、
●ディビッド・ロックフェラー→「この男が死ぬまで”世界皇帝”」
●ヒラリー・クリントン→「ちゃっかり国務長官になった”性悪女”」
●アル・ゴア→「本当は寒冷化している世界」
てな感じで、本当に「世界」を動かしている76人の人物の、「キンタマ」を握った一言(ヒラリーにキンタマはないけど:笑)になっておるのです。
また紹介内容も多岐にわたっていて、あのブッシュ大統領とコンドリー・ライスとの愛人関係を語る内容があったり、あるいはオバマ婦人であるミシェルとヒラリー・クリントンの女同士の権力戦いがあったりと、それこそテレビドラマの「渡る世間は鬼ばかり」なみの女同士の丁々発止のドラマまで盛り込まれておりまして、実に見事。
そこいらのおばちゃんでも楽しめる内容になっている、ということがすごい。
つまり、一般人誰もが、楽しみながら、世界の実態を一発で、情感込めて、短時間に学べ、しかも印象が強烈であるがゆえに、読んだ後でも「世界の構造」「地球の仕組み」を忘れず頭に叩き込んでおける、というものすごい本です。ものすごいインパクトです。
実際、その印象の強さたるや、本当に強烈です。
たとえば、「ジャパン・ハンドラー(日本操り班)」と呼ばれる、アメリカから日本に直接乗り込んできて、権謀術数を使って現政権に横やりやら、操りを仕掛けてきている人物たちには、
●ジェラルド・カーティス Gerald Curtis ←もう帰れ
●ロバート・フェルドマン Robert Feldman ←気持ちが悪い
と、クソミソ(笑)。でも、だからこそ「世界の構造」という大きな仕掛けが一発でわかるわけです。
もちろん、
「いやいや、そこまで単純化したらアカンやろ」
とも思うのですが、でもしかし、そうやって単純化してあると、ものすご~く理解がしやすい。それはそれはもう、子供の頃に夢中になって読んだ、ウルトラマンなどのスーパーヒーロー物の「怪獣図鑑」そのものなんですよね。「こいつはワル者や、こいつはエエモン(良い者)やねんで。」と絵本を見るように楽しめる。
こうして楽しめる読み物・絵物語になっていると、まぁ、買って隅から隅まで読んでも2時間かからない。だと言うのに、「この世界の構造」がストンと全部把握できてしまう。そういうことなんです。
重要なことは、この本には、いま日本が置かれている状況の、「マスメディア」には出てこない、「もうひとつ上の外側」がシンプルに描かれている、ということです。
テレビで見るオバマも、ヒラリー・クリントンも、ようは「部課長クラス」で、その上の上長がいてる。また、小沢さんや検察にも、それぞれ世界レベルの「上」がいて、そうやってこの地球は動いてる。
それは、良い悪いではなくて、単なる事実としてそこに厳然としてあるんですね。別に隠されているわけでもなんでもない。ちゃんとした政治知識や組織文化の色分けがわかっていて、海外メディアをしっかり読み込んでおけば、概略見えてくることなんです。
でも、我々日本人は、その基礎的知識がないから、とっかかりもなく、「日本の外側に存在している力」を把握する術すらがないわけです。
海外に住んだ事のある人なら誰もが言うのが、日本のテレビ・新聞の海外ニュースの少なさです。国内ニュースが最優先で、海外情報が全然紹介されない。紹介されないから、よけいにわからなくなる。そういう流れなんです。
日本以外の国々では、ニュースの時間は、まず海外のニュースから始まるそうです。まず全体把握があってから、「部分」である国内ニュースに入る。考えてみれば、それが当然なんですよね。
だから、我々日本人には、まずとにかくとっかかり、手がかりとして「世界のミニチュア」みたいなもの、ドラクエのワールドマップにあたるものが、まず必要だ、ということなんです。
そして、その「地球のミニチュア」として提示されたのが、この「世界権力者 人物図鑑」なのだ、ということです。
しっかり理解して欲しいのは、この「人物図鑑」のように、地球を手のひらの飴玉のように見る視点こそが、我々日本人には、まず真っ先に必要なんだ、ということなんですよ。
日本の中からマスコミを通じて、井戸の底から上を見上げるような、空の一部しか見せられない情報環境では、何もわからないし、わかるわけがないんです。
著者の副島隆彦さんは、もう10年以上も前から、ずーっと、「世界7、国内3」という「七三の構え」という考え方を提唱されています。
世界のどこの国であろうと、いくら自国の良さや、自分の国独自の文化を大事にしたいと思っていても、自分たちの都合を優先できるのはせいぜい3割だ、7割はどうせイヤイヤでも世界に合わさざるを得ないのだ、という割り切りの基準値、判断基準が「七三の構え」なんですね。
僕は、この「七三の構え」という考え方に強く賛同しているわけです。チリの地震が日本の津波になるように、地球は小さな手のひらの上のアメ玉であって、相互に関連し合いながら影響されながら動いていくしかないわけです。だから、いくら「海外3の国内7がいいなぁ」と思っていても、結局は「海外7の国内が3」にならざるを得ない。
そして、残せる「自分たちの文化」が3割しかないのであれば、それこそ真剣、慎重に、その良い部分を特定して、磨いていかなければいけない。そういうことなんですね。
で、その3割を残す厳しい目も、「どうせ世界が7割なのだ」というシビアな見方なくして育つわけがないのです。
そうでなくても、世の中には、「世界9の国内1がいい!」というようなグローバリズム(世界一国支配主義)かぶれとか、逆に「世界の事は1、2で良い。国内8~9が一番だ」というような歪んだ愛国主義とかがあふれてるわけです。
でも、そういう比率の歪んだ考えは、どうせうまく行かない。現実的に「73」くらいでしか、やっていけないんだから。現実問題、世界はつながってるんだから。だから「七三の構え」を取ってない考え方は、どうせ失敗するんです。
どうして、その比率を間違えてしまう失敗をするのかと言えば、ようするにこの「手のひらの地球」という視点、「世界構造の理解」という視点が欠けているからなわけです。
この「世界権力者人物図鑑」という本は、その最重要の「構造」を、どんな人でも、ほんとうにたった1~2時間で学習できてしまうという、とんでもない本なわけです。
まず、この基礎知識なしに、本当に大事な「自分たちの大切にしている3割」を守ることはできないんです。
小泉政権というのは、まさにこの知識が我々日本人に欠けていたが故に、「世界9国内1」にまで構造を叩きつぶされてきた時代だったとはっきりしてます。
この構造把握なくして、自国の良さを徹底して守る、「排外主義」やら「自国中心主義のセンチメント」が「何故起きるか」なんか絶対にわかるわけがない。
まず何より先に「世界の構造」を知ることが先決なのです。
世界の構造を知らずに自国中心主義を唱えるから、平気で「世界1の国内9」という非現実的な右翼意見に与してしまうわけです。その逆も又しかり。世界の構造を知らないから、グローバリストたちにいいように乗せられて、「海外9の国内1」とかになってしまう。どっちもダメ。どっちもバカ。パーそのものです。
まず世界構造を把握する。それはつまりは、気持ちよい生活をするためには、まず部屋の広さを把握して、そこから「泣く泣く」捨てるものを決めていくしかない、という事と通じる、絶対的な「手順」なんです。
その「部屋の広さ」を一発で理解できるのが、この「世界権力者 人物図鑑」というわけです。だからすごいのです。
副島隆彦さんは、もう、前々から「私の主著はこの本だ」と言って、まず真っ先に紹介されている本があって、それが
世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%87%E6%A8%A9%E5%9B%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6%E3%81%A8%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%EF%BC%8B%CE%B1%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%89%AF%E5%B3%B6-%E9%9A%86%E5%BD%A6/dp/4062563347/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1267838668&sr=8-2
なんですが、実はこの副島さんの、もっとも大切な本を、僕は持ってはいてるのですが、どうしても読了できないままなんですね。
なんでかというと、それは単純に、出てくる人間の数が多くて、しかも顔のイメージが湧かないからなんです。それは読んでいて辛い。いくら「読まなくちゃ」と思っていても、やっぱり読めない。
でも、この「世界権力者人物図鑑」なら、たった1時間強で、だいたい読めてしまう。
そのくせ、「ポピュリズム」「アイソレーショニズム」「リバータリアン」「マネタリズム」などなど、知っておくべき政治的概念もしっかりキチンと身に付きます。
また、アメリカだけでなくて、中国やBRICS、あるいは欧州の流れもざっくりとはつかめるようになっている。
だから本当にすごいんですよ、この本は。
この本の帯に「副島隆彦アメリカ研究30年の成果を凝縮」と書いてありますが、それはまさにそのとおりだと思うのです。欧米の新聞やらメディアの情報をたんねんにコツコツ毎日読み込み、分からないところがあれば欧米の人間に直接質問して知識の穴を埋めてきた副島さんだからこそ書けたすごい本だ、ということです。
ということで、これは30年に一度、出るか出ないかという名著ですので、みなさま、ぜひともお読みください。
っちゅうか、「お眺めください」かなぁ。
そのくらい気軽に読んでもらった方が、この本は真価を発揮しますな。
ということで、この本一冊で日本は変わる、というくらいすごいので、ぜひ読んでいただきたい。
超おすすめの一冊でありました。
少し前から、心とか気分、というものと、食べ物との間の関係がとても気になっております。
どうも、食べ物のチョイスひとつで、やる気や集中力、あるいは発想から生き方にいたるまで、かなり大きな影響があるように思われるのですね。
ところがこれが、自分で意識するのが、なかなかに難しい項目のひとつであるように思われます。
発想が後ろ向きになっていたりというような事は、自分でも注意してコントロールできるから、まだましなのですが、集中力とか、判断スピードというような事は、自覚症状は無いわけです。
同じ作業をするのに、15分しかかかっていない時と、30分以上かかっている場合があっても、主観的には「同じ程度難しかった」という意識だけだったりするとか、そういう事なんですね。
で、そういう要素は、どうもやはり、食べ物と密接に関係しているらしいという気がしてきてるのです。
たとえば、食と心の問題で言うと、食育の話があるのです。
学校給食が栄養素の偏った、ジャンクフードのようなものばかりだったイギリスの小学校では、給食を充実させることで、子供達の集中力や知能に、少なからざる影響があったらしいんですね。
また、菓子パンなど、あまりに小麦粉や砂糖の多い食品ばかりを食べていると、うつ病になりやすいという話もあります。
いや、実は自分の母親が更年期うつ病をやっているので、それをふと思い出すと、ウツが発症する前の数年間、いろいろな条件が重なって、やたらと菓子パンを多く食べていたなぁというのを思いだしていたりもするわけです。
で、どうも、いろいろ自分の体で人体実験(笑)をしてみた限りにおいては、どうもやはり白砂糖だけは、いろんな意味でよろしくないんですな。
まず何より、かなり強い中毒性があるように思うのです。
疲れている時とか、かなり仕事で頭を使った後など、やたらと甘いものが欲しくなるときがありまして、そういう時に甘いものを食べてしまうと、数日の間、ついつい繰り返し甘いものを続けて買ってしまったりしてしまうんですね。
これはやはり、どうにもよろしくない。
だいたい、糖分というのは、血糖値を急激に上げてしまいますから、そのことで気分も急速に良くなるんですね。しかし、この「急速」というのが良くないわけです。
物事には順序というのがあって、しかるべき適切なスピードで対処しないと、精神的に無理がかかりやすいし、急激に血糖値が上がった後は、これまた急激に気分が下がるという不安定さが裏腹にくっついて来てしまいますから、そのあたりがおそらくは問題なのだろうと思われるのであります。
ということで、最近は、血糖値を安定させつつ、集中力や免疫力も高まるようにと、やたらと野菜、フルーツ、魚を多く取るように意識してまして、あげく、なんとも自炊率がえらく高まってしまっております。
アップした写真は、最近よく作ってるメニューのうち、
●ツナとキュウリのマヨネーズ和え
●ニンジンとオレンジのマリネ
●トマトとタマネギのみじんぎりで作る蒸しトマト
であります。
この他、
●ほうれん草のおひたし
●キャベツの甘酢漬け
とかも、けっこうしょっちゅう作っておりまして、上記メニューのうちどれかが、いつも冷蔵庫にストックされてる感じなのであります。外食も最近は、焼きサバ定食だとか、回転寿司とか外食もどんどん魚メニューを増やしておるのであります。
で、どうもこういうことをやっていると、これがやはりかなり良いように思われるのですね。
なんというか、少なくとも、精神的に落ち込むことが、かなり減ってきたように思われます。
まだ、いろいろ「人体実験」の途中なので、なんとも言えないところも多いのですが、やはり「気分」というものと「食べ物」というものの間には、抜き差しならない関係性があるように思えます。
しかも、どうも、かなり「即効性」のある事柄であるように思われるんですよね。1時間や2時間では効果は見えてこないのですが、1~2日あれば、多少なりとも効果が出てくる、というような感じでしょうか。
第二次世界大戦の時、飛行機から自動小銃を撃つような飛行機乗り達は、出陣の前の夜に、目が良くなるというブルーベリーを山のように食べたらしいのですが、それで実際に効果があったらしいんですよね。ようするに食べ物の中に入っている栄養素が、体の機能に影響するまでに、まぁ1日くらいあればOKだ、という話のようなのです。
考えてみれば、風邪を引いたときに薬を飲むのも、いま流行のサプリメントを口にするのも、とどのつまりは「食べ物から栄養をもらう」という事と一直線につながってるわけです。
だから、日々、「食べ物」を薬と同じようなものと認識しつつ、「医食同源」で生活するのが、やっぱり賢いという話にどうしてもなっちゃうんですな。
朝起きたら、バナナ、リンゴ、ミカンなどのフルーツを取るとか。油を使うならオリーブオイルにするとか。魚をガスグリルで焼くとか。ジャガイモをレンジでチンして簡単なポテトサラダを作るとか。どうも最近はそういう事ばかりやってますなぁ。台所に立つとか果物ナイフを使うとかは、いままでは、は面倒で仕方なかったんですが、どういうわけか面倒と思わなくなってきた。なんちゅうか、その方が気分が前向きになるという感じがあるからだと思うのですな。
食と心に関しては、いままでに読んだ本で参考になったものを、いろいろ紹介しようと思ったんですが、なんか面倒くさくなっちゃって。とりあえず、概略、こんな感じです、ということを書きたかったので、まずはざっくりと全体像的な話を書いてみました。
ま、健康が一番だ、っちゅう話ですな。
いや、ほんまのところが。
どうも、食べ物のチョイスひとつで、やる気や集中力、あるいは発想から生き方にいたるまで、かなり大きな影響があるように思われるのですね。
ところがこれが、自分で意識するのが、なかなかに難しい項目のひとつであるように思われます。
発想が後ろ向きになっていたりというような事は、自分でも注意してコントロールできるから、まだましなのですが、集中力とか、判断スピードというような事は、自覚症状は無いわけです。
同じ作業をするのに、15分しかかかっていない時と、30分以上かかっている場合があっても、主観的には「同じ程度難しかった」という意識だけだったりするとか、そういう事なんですね。
で、そういう要素は、どうもやはり、食べ物と密接に関係しているらしいという気がしてきてるのです。
たとえば、食と心の問題で言うと、食育の話があるのです。
学校給食が栄養素の偏った、ジャンクフードのようなものばかりだったイギリスの小学校では、給食を充実させることで、子供達の集中力や知能に、少なからざる影響があったらしいんですね。
また、菓子パンなど、あまりに小麦粉や砂糖の多い食品ばかりを食べていると、うつ病になりやすいという話もあります。
いや、実は自分の母親が更年期うつ病をやっているので、それをふと思い出すと、ウツが発症する前の数年間、いろいろな条件が重なって、やたらと菓子パンを多く食べていたなぁというのを思いだしていたりもするわけです。
で、どうも、いろいろ自分の体で人体実験(笑)をしてみた限りにおいては、どうもやはり白砂糖だけは、いろんな意味でよろしくないんですな。
まず何より、かなり強い中毒性があるように思うのです。
疲れている時とか、かなり仕事で頭を使った後など、やたらと甘いものが欲しくなるときがありまして、そういう時に甘いものを食べてしまうと、数日の間、ついつい繰り返し甘いものを続けて買ってしまったりしてしまうんですね。
これはやはり、どうにもよろしくない。
だいたい、糖分というのは、血糖値を急激に上げてしまいますから、そのことで気分も急速に良くなるんですね。しかし、この「急速」というのが良くないわけです。
物事には順序というのがあって、しかるべき適切なスピードで対処しないと、精神的に無理がかかりやすいし、急激に血糖値が上がった後は、これまた急激に気分が下がるという不安定さが裏腹にくっついて来てしまいますから、そのあたりがおそらくは問題なのだろうと思われるのであります。
ということで、最近は、血糖値を安定させつつ、集中力や免疫力も高まるようにと、やたらと野菜、フルーツ、魚を多く取るように意識してまして、あげく、なんとも自炊率がえらく高まってしまっております。
アップした写真は、最近よく作ってるメニューのうち、
●ツナとキュウリのマヨネーズ和え
●ニンジンとオレンジのマリネ
●トマトとタマネギのみじんぎりで作る蒸しトマト
であります。
この他、
●ほうれん草のおひたし
●キャベツの甘酢漬け
とかも、けっこうしょっちゅう作っておりまして、上記メニューのうちどれかが、いつも冷蔵庫にストックされてる感じなのであります。外食も最近は、焼きサバ定食だとか、回転寿司とか外食もどんどん魚メニューを増やしておるのであります。
で、どうもこういうことをやっていると、これがやはりかなり良いように思われるのですね。
なんというか、少なくとも、精神的に落ち込むことが、かなり減ってきたように思われます。
まだ、いろいろ「人体実験」の途中なので、なんとも言えないところも多いのですが、やはり「気分」というものと「食べ物」というものの間には、抜き差しならない関係性があるように思えます。
しかも、どうも、かなり「即効性」のある事柄であるように思われるんですよね。1時間や2時間では効果は見えてこないのですが、1~2日あれば、多少なりとも効果が出てくる、というような感じでしょうか。
第二次世界大戦の時、飛行機から自動小銃を撃つような飛行機乗り達は、出陣の前の夜に、目が良くなるというブルーベリーを山のように食べたらしいのですが、それで実際に効果があったらしいんですよね。ようするに食べ物の中に入っている栄養素が、体の機能に影響するまでに、まぁ1日くらいあればOKだ、という話のようなのです。
考えてみれば、風邪を引いたときに薬を飲むのも、いま流行のサプリメントを口にするのも、とどのつまりは「食べ物から栄養をもらう」という事と一直線につながってるわけです。
だから、日々、「食べ物」を薬と同じようなものと認識しつつ、「医食同源」で生活するのが、やっぱり賢いという話にどうしてもなっちゃうんですな。
朝起きたら、バナナ、リンゴ、ミカンなどのフルーツを取るとか。油を使うならオリーブオイルにするとか。魚をガスグリルで焼くとか。ジャガイモをレンジでチンして簡単なポテトサラダを作るとか。どうも最近はそういう事ばかりやってますなぁ。台所に立つとか果物ナイフを使うとかは、いままでは、は面倒で仕方なかったんですが、どういうわけか面倒と思わなくなってきた。なんちゅうか、その方が気分が前向きになるという感じがあるからだと思うのですな。
食と心に関しては、いままでに読んだ本で参考になったものを、いろいろ紹介しようと思ったんですが、なんか面倒くさくなっちゃって。とりあえず、概略、こんな感じです、ということを書きたかったので、まずはざっくりと全体像的な話を書いてみました。
ま、健康が一番だ、っちゅう話ですな。
いや、ほんまのところが。
田原総一朗がtwitterをはじめた!
2010年3月21日コメント (19)今日、twitterを見ていると、フリージャーナリストの上杉隆さんが、「田原総一朗さんがtwitterをはじめた」とコメント。急いでフォローする。
田原さんっていうのは、これがなかなかに食えない人なんだなぁ。
なんちゅうか、コウモリ人間というか、権力者の側と大衆の側を実に尻尾をつかませずに上手に泳ぐ。
だいたい、田中角栄が「アメリカの陰謀で失脚させられたのだ」という論調は、考えたら田原総一朗さんの「アメリカの虎の尾を踏んだ男達」だっけ?そういう小論から出てきたものだし。
なんでそういうことを知ってるの? あるいは書くの?ってことです。基本的には大衆の味方なんでしょうね。テレビで、官僚主導の「大本営発表」のお先棒担ぎを率先してやってるのは、あくまで「食い扶持稼ぎ」って事なんですかね。よーわからん人だわ。
なんだかんだ言っても、あの検察にはめられた鈴木宗男だって、田原さんには一目置いてたりはするんよなぁ。大枠では官僚やテレビ局の言いなりになるけど、ところどころで大事な情報をちょろりちょろりと出してくれる「内通者」にもなってくれてるという感じがする。
そういう意味で田原さんがtwitterを始めたのは、けっこう面白いですな。いきなり「生方を切った民主党は中央集権的だ!」とか、官僚の代弁発言やってますが。(笑) どこまで本気かわからん人やからなぁ。ああ、ややっこしい。
ともあれ、このふた月くらい、twitterでフリージャーナリストの方々を追いかけていると、テレビや新聞の論調とはまったく異なる、新しい、これからの日本の未来が見える、という感じがします。
郵政選挙の時は、ネットの力も大した事なくて、キチンとした論議が起こらなかったわけですが、それから数年を経て、アルファブロガーと呼ばれる筆力のある個人の書き手が出てきて、ある一定のオピニオングループを生み出したと思うのですよ。
そして、2010年、今年に入って、twitterとustreamという、個人で発信できる「メディア」によって新聞・マスメディアだけでない新たなジャーナリズムが、急速に、ものすごい勢いで勢力を持ち始めた、ということなんだと思います。
実際、このふた月くらいのマスコミの小沢攻撃に対するtwitter上でのフリージャーナリストの方々の取材やら情報提供やらは、小沢批判一色だったマスコミのていたらくとは全然違って、量も質も、ものすごいものだと思いました。本当にすごかった。
知らなかったことをたくさん、たくさん学んだ、という感じでした。
たとえば東京地検特捜部が、小沢を逮捕する!とか言っても、もともと、東京地検特捜部という部署自体が、戦後のGHQの肝いりで、旧軍需物資の隠匿を取り締まる「隠退蔵事件捜査部」として発足したという部署で、本来、そんな部署、いまだに残しておく必要があるか? という部署なのだという話。
なんで、そういう部署が「正義の味方」面して大手を振っているのか?ということですわね。
しかも、出自が、もともとアメリカとのつながりの強い部署である上に、歴代の責任者が必ずアメリカへ長期に渡る出向をしている。大使館とかね。やたらとアメリカとのつながりの大きな部署なわけですよ。なんじゃこりゃ?ですわ。
で、この特捜が流す「リーク」が欲しいものだから、記者クラブの連中は、ひたすら特捜の言いなりになって、誰が言ったかわからないような、あやふやな情報をテレビ・新聞で垂れ流すという始末。誤報とか平気で垂れ流してたわけです。
で、こういうアホな状況が、それこそ、逐一、twitterやらustreamやらで、バンバン紹介される。また、それを知ったフォロワーたちも「これはひどい!」「どうなってるんだマスコミは!」と批判の嵐ですわな。
こんなもん、もう、止めようがないですよ。
いままで必死になってマスコミの側が隠してたような事柄も、どんどん白日の下にさらされていくでしょう。
twitterを読んでて、「へぇ、そうだったの?それはひどいねぇ。」と思ったのは、小沢さんが特捜に事情聴取された日の小沢さんの記者会見。
ネットではustreamで会見の模様が全部生中継されたわけですけど、テレビでは会見がはじまった途端に、中継は中断。スタジオにカメラは戻ってしまって、ひたすら「政治とカネ」の問題をえんえん批判する内容を流し、小沢さんの説明をほとんど流さなかったらしいのですな。で、その後、テレビのコメンテーターが言った一言が「小沢さんは説明不足」だそうです。
どういうことやねん!(笑)
ギャグか。
なんかこれ「ミヤネ屋」での話らしいですけど。まーひどいですわな。国民の知る権利を圧殺しておいて、「小沢さんは説明不足」はなかろう。
結局問題は、政治家の会見という「一次情報」を独占している「記者クラブ」が問題なわけです。どんな情報をメディアに流して、どんな情報を流さないでおくかは、それこそ「記者クラブ」に参加している大手マスコミの上層部のさじ加減ひとつなわけですよ。
しかし、民主党政権に変わって、そこいらも多少は変化がありまして、まずフリージャーナリストの人たちが「我々も国民の知る権利のために会見参加したい」と申し入れたわけですが(というか、これは何年も前から申し入れしてたけど、聞き入れられなかったわけです。情報独り占めの優先権を絶対手放したくなかったわけですよ。マスコミが。)、
「だめ」
と断られたわけです。
記者クラブがフリーを排除した。
しかし民主党は事業仕分けでもそうですが、報道のオープンを売り物にしてるわけなので、twitterなどから「それはおかしい」等の声も高まり、たとえば岡田外務大臣、亀井金融大臣、枝野行政改革担当相とかは、記者クラブ会見とは別に、政府主催でオープンは記者会見を開きだしたわけです。
(ちなみに小沢一郎さんは、昔から記者クラブ制に反対してオープンな記者会見をされてるそうです。)
亀井さんの会見なんて、すごく面白くて、ITメディアとかJCASTニュースとかのネット系の記者を呼んで会見して「ITメディアって何ですか?」とか聞いてきたりしてる。存在自体を知らないわけですよ。実に面白い。
で、そういう独自会見でフリージャーナリストの方々が、それこそマスコミの一方的な報道とは全然切り口の違う取材をどんどん独自にやっている。
これが面白くないわけがないのですな。
そんなね、記者クラブの記者達の、妙なバイアスのかかった情報より、iPhone の動画撮影機能で、リアルタイムに紹介される小沢さんの記者会見の方が、よっぽど面白いって。当然ですやん。
このまま記者クラブ制の殻の中に閉じこもってたら、マスコミが国民からそっぽを向かれるのは、至極当然な話。もう、先は見えております。
具体的に、僕の知る限りそういう、新しい時代のジャーナリズムを、twitterを通じて双方向でやりとりしながら組み上げようとしている方々は、以下の方々。
●上杉隆
http://twitter.com/uesugitakashi
●岩上安身
http://twitter.com/iwakamiyasumi
●畠山理仁
http://twitter.com/hatakezo
●津田大介
http://twitter.com/tsuda
他にも、優れた方はたくさんいらっしゃいますけど、とりあえず僕が注目していて、ちょっとお勧めしたいのは、この4人の方々でしょうか。
で、それぞれにフォロワー数も半端じゃなくて、上杉さんで5万人近いフォロワー数。岩上さんで1万5千。
しかも、このフォロワーの人たちが「このツイートは重要!」と思ったら、リツイートと言って、この人達の意見を自分のフォロワーたちに流すわけですよ。
通常、twitterは「100人以上フォローしてからが面白い」と言われてますから、1万人のフォロワーのうちのほとんどは、これまた100人以上のフォロワーがいてるわけです。だから、本当に重要だ、と感じられたツイートは、1万人×100人で、100万人に伝わるってこともザラってことです。影響力が半端ではない。
だから、もうマスメディアは死に体だって言うのですよ。アホな閉鎖環境のままでいてたら、多分自分の首を絞める事にしかならない。
で、上記の上杉隆さんは、この中でも、その「記者クラブ制」の問題点を徹底的に追求してる方ですね。いまやもうスーパースターに近いです。
でも、岩上安身さんも、すごく精力的に取材活動をしてくださってるし、何より熱血漢であり、誠実さが伝わってきます。確か僕と同い年くらいの方なんですよね、岩上さんは。心情的にもすごく親近感を感じます。
人間、まず、「誠実であること」が大事なんですよね。文章を書く、ということは、自分の誠実さを相手に伝えるためにすることだ、という定義があって、それはとても正しいと思うのです。
不誠実なのは、とにかくダメです。
他の方もそれぞれにしっかり活動されてます。
でまぁ、こういう粒ぞろいのジャーナリストの方々が、八面六臂の活躍をされている状況の中に、田原さんのような「食わせ者」までが、twitter界に乗り込んできた、というわけで、これが面白くないわけがない。タイムラインをただ眺めてるだけでも、とんでもなく面白いわけです。新聞やテレビとは、まったく違う論調がガンガンに流れるんですから。
田原さんのツイートはこちら。
●田原総一朗
http://twitter.com/namatahara
いろんな人が、いろいろに意見を言う環境。
あー、いい時代になったなぁ。良かったなぁ。と、本当に心底思いますわ。
iPhone生活一週間。
2010年3月29日
使っていた携帯が、実は3Gですらない2Gという古い仕様だったおかげで、この3月末でサービス自体が終わる(電波が止って、携帯自体が使えなくなる。)ということで、携帯を買い換えるしかなく、どうせ買い換えるならと、思い切ってiPhone導入に踏み切ったのであります。
で、そのiPhoneを手に入れて1週間。
いやー、これはなかなか良いです。すごく気に入ってしまっております。
というのは、前に使っていたSONYのpalm機、CLIE PEG-TH55 と、仕様的に通じるところがたくさんあるから、という気もしておるのであります。(写真を参照ください。左がTH55、右がiPhoneです。似てるでしょ?)
実は、まず液晶の画面解像度が同じ。480x320なんですね。5年以上も昔の「電子手帳」と解像度が同じとはどういう事だ!と思ってたんですが、TH55でも480x320でかなり便利だった記憶があるので、まぁ良いかと思うのであります。
というか、iPhoneの場合は人差し指と親指で画面を拡大縮小できるピンチイン/アウトという操作が加わったおかげで、画面解像度以上の便利さがあるのですねぇ。インターネットのブラウズも、実に快適です。
この画面解像度の例が代表例なんですけど、とにかく、palm機でいろいろやっていたノウハウとか文化、快適だったことが、全部蘇って、そのまま生きてる感じがあって、palmファンだった僕としては実に楽しい。
たとえば、iTunesというパソコンとの同期ソフトで各種のオリジナルソフトのインストールをする、という仕様なんかも、まさにpalmと同じ。まぁ、palmの時代と違ってネット機能が標準でついてますから、いきなりAppStore経由で、iPhone本体でソフトが入手できるという点はまったく違いますけども。
その他、デジカメをスケジューラーとともに持ち歩くような感覚とか、mp3プレーヤーも一体化してる便利さとか、なんだかんだがすごく似ていて、そのくせ、当然の事ながら、すべてにおいてTH55より、うんと便利になっているというのがとんでもなく素晴らしい。
TH55の時より、ちょっと不便だなぁと思うのは、
●外部メモリ(SDメモリ等)のスロットがない
●graffity等の文字入力の仕組みがちょっと弱い(フリック入力も悪くはないのだけれど。)
●外付けのキーボードがない
という点くらい。(と言いつつ、外付けキーボードがないのは僕的にはかなり辛い。)
でもまぁ、palmではないのだし、もともと「palm」を期待していたわけでもなくて、あくまで「携帯電話」としての入手だったので、抵抗は少ないのであります。(まぁ、ちょっと気に入らないけど。)
そんな事より「ああ、久しぶりにpalmをいじるような楽しみが戻ってきた!」という、期待していなかった楽しみが増えて、逆に拾い物感覚の方が大きいのであります。
いやまぁ、「電子手帳」的な出来としてはpalmとあんまり変わらない気はするんですがね。
ともあれ、大いに気に入っておるのであります。
いや、なかなか楽しい。
で、そのiPhoneを手に入れて1週間。
いやー、これはなかなか良いです。すごく気に入ってしまっております。
というのは、前に使っていたSONYのpalm機、CLIE PEG-TH55 と、仕様的に通じるところがたくさんあるから、という気もしておるのであります。(写真を参照ください。左がTH55、右がiPhoneです。似てるでしょ?)
実は、まず液晶の画面解像度が同じ。480x320なんですね。5年以上も昔の「電子手帳」と解像度が同じとはどういう事だ!と思ってたんですが、TH55でも480x320でかなり便利だった記憶があるので、まぁ良いかと思うのであります。
というか、iPhoneの場合は人差し指と親指で画面を拡大縮小できるピンチイン/アウトという操作が加わったおかげで、画面解像度以上の便利さがあるのですねぇ。インターネットのブラウズも、実に快適です。
この画面解像度の例が代表例なんですけど、とにかく、palm機でいろいろやっていたノウハウとか文化、快適だったことが、全部蘇って、そのまま生きてる感じがあって、palmファンだった僕としては実に楽しい。
たとえば、iTunesというパソコンとの同期ソフトで各種のオリジナルソフトのインストールをする、という仕様なんかも、まさにpalmと同じ。まぁ、palmの時代と違ってネット機能が標準でついてますから、いきなりAppStore経由で、iPhone本体でソフトが入手できるという点はまったく違いますけども。
その他、デジカメをスケジューラーとともに持ち歩くような感覚とか、mp3プレーヤーも一体化してる便利さとか、なんだかんだがすごく似ていて、そのくせ、当然の事ながら、すべてにおいてTH55より、うんと便利になっているというのがとんでもなく素晴らしい。
TH55の時より、ちょっと不便だなぁと思うのは、
●外部メモリ(SDメモリ等)のスロットがない
●graffity等の文字入力の仕組みがちょっと弱い(フリック入力も悪くはないのだけれど。)
●外付けのキーボードがない
という点くらい。(と言いつつ、外付けキーボードがないのは僕的にはかなり辛い。)
でもまぁ、palmではないのだし、もともと「palm」を期待していたわけでもなくて、あくまで「携帯電話」としての入手だったので、抵抗は少ないのであります。(まぁ、ちょっと気に入らないけど。)
そんな事より「ああ、久しぶりにpalmをいじるような楽しみが戻ってきた!」という、期待していなかった楽しみが増えて、逆に拾い物感覚の方が大きいのであります。
いやまぁ、「電子手帳」的な出来としてはpalmとあんまり変わらない気はするんですがね。
ともあれ、大いに気に入っておるのであります。
いや、なかなか楽しい。