しばらく、こっちに書いてませんでしたが、また「mixi」からのコピペです。やっぱりmixiが好きだなぁ僕は。
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今日、ちょっと仕事でいろいろ会社案内とかのパンフレットを読んでいたら、表題の名言が目に入りました。

「現実を直視する心に、本当の理想が生まれる。」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

ゲーテですよゲーテ。「ファウスト」の。

なんかね、この言葉を目にして僕はハッとさせられたのです。

この数年、自分の内面をほじくりかえす作業を延々やってきてまして、で、幸せになるにはどうしたらいいんだ、理想を求めるというのはどういうことなのか? などなど、いろいろ考えてたんです。

で、理想をイメージすることの大切さとともに、現実直視することも重要で、僕はそれを、それなりにセットで考えてはいたんです。

「理想をイメージするにも、現実は直視せざるを得ないし。うーム」って感じだったわけですが。

でも、その「理想」と「現実」の確かな関係性を、このドイツの大作家の言葉で教えられたという気がしたわけですね。

そうか、現実直視があってはじめて、本当の理想をイメージできるのだよな、ってことなんですね。

これ、パッと聞くとなんでもないことを書いてるようですけど、僕はけっこうすごい事を書いてると思うのです。

だって「現実直視」というのは、人にもよるし、状況にもよりますが、たいていの場合「打ちひしがれざるを得ない不利な状況を、現実として受け入れる」ことを表すからです。

つまり、普通、たいていの人は、現実直視しちゃうと、そこでやる気を失って「ダメだこりゃ。あきらめよう。」となるのが普通だから、です。

でも、この格言は違うんですよね。現実を直視して、リスクやデメリットを、甘んじて受け入れて、打ちひしがれて、もうどうしようもないとなった、その後に出てくる理想こそがホンモノなんだ、としているわけです。

どんだけ「強い心」やねん! とつっこみたくなるんですが、でも、言わんとしていることの内容はそういうことなんですよねー。

全然可能性がない、あるいは可能性があってもごくわずかだ、というシビアな現実があって、それでもやっぱり理想を求めて努力しなければならないし、それこそが本当の理想なんだよって言ってる格言ですわね。

ああ、すごい。

で、逆に言うなら自分をとりまく現実=リスクを直視せずに心に描いた「理想」など、「妄想」と紙一重なんだなぁってことですね。ちゅうか「妄想」そのままか。

なんかねぇ、うまく自分の頭の中の考え方が整理できた気がしたんですよ。

現実をちゃんと直視する。イヤなところを見ないとか、そういう逃げを打たない。

でも、その気落ちするような現実に取り込まれてしまって、やる気をなくしたりもしない。そのハンデの大きい中から、最上の「理想」を紡ぎ出し、その方向へ向かうよう、自分をしつける。

なんかね、そういうことが「ああ、そういう手順か!」という感じで分かってきた気がするわけです。

いいなぁ、この言葉。さすが、大文豪は違うなぁ。

つくづくそう思います。
やっとだ。
やっと「自殺対策基本法」が成立した。

(引用開始)----------------------------------------------
自殺対策基本法:法案、参院委で可決
 国と自治体、事業主、国民に自殺対策の責務を課した「自殺対策基本法」案が8日、参院内閣委員会で、超党派の議員立法として提出され、可決された。同法案は9日の参院本会議で可決後、衆院に送られ、今国会で成立の見通し。自殺対策の法制化を巡っては、東京のNPO法人が中心になり、請願の署名活動を展開。わずか1カ月半で目標の3倍以上の10万1055人分の署名が集まるなど大きな反響を呼び、自殺問題の深刻さを改めて浮き彫りにした。

 同法案は自殺の防止と自殺者の親族のケアが目的。自殺対策を社会的な取り組みとして実施することを義務づけている。【玉木達也】

毎日新聞 2006年6月8日 東京夕刊
(引用終わり)------------------------------------------

これが超党派の議員立法で成立したという点、請願の署名活動が、わずか1カ月半で目標の3倍以上集まったという点などが、この問題の真の深刻さを表している。

言い争っている場合ではないのだ。

そういう事だ。

しかし、この法案の「自殺者が出た後の家族のケア」は、まぁなんとかなっても、肝心の「自殺の予防」というものが、どこまでできるのか、真剣に悩んでしまう。

前々から書いてるけど、これは「社会の変化」について行けてない人が、それだけたくさんいてるという事なのだ。
大問題なのだ。そう簡単なことではないのだ。

欧米の「個人主義」というものは、いやおうなく我らの生活に入り込んでくる。嫌でもだ。

いくら実感がなくても、それは忍び寄ってくる。

で、その一番矛盾の大きい部分がパソコンの世界で、まさにWindows95が登場した前後から自殺者が一気に増えているのだ。

この社会の本質的な変化に気づけない人は、欧米文化のかたまりでしかないパソコンの世界を「異物」と気づけず、「新しい便利な道具」としか見ることができない。

だから、たとえばパソコンを買ったら買った人全員に付いてくる「個人責任」を、たんなる企業のお題目としか思えないわけだ。

世の中の流れとか、欧米の個人主義の成り立ちとか、パソコンのデータに関する個人責任のポジションとかを、キチンと勉強してない人には、本来ストレスにしかならない存在なのだ。

それが「パソコン」なのである。

それは、いくら日本人が日本人特有の「家電製品感覚」でパソコンを捉えたところで、世界規模で動いているビジネスが「パソコンはキャリアアップの武器」という「武器」感覚でしか捉えていないのだからどうしたってズレるのだ。

「パソコン」は武器なのである。
だから個人責任で使うのが当たり前なのだ。
他人を出し抜いて、自分だけ儲けたいと思ってる奴のために売られている商品なのだ。それが全世界的トレンドなのだ。

「5万円パソコン」とかが存在するというのは、ようするに、そういう「パソコンは武器だよ」という市場が全世界に広がっているから、世界市場という大規模が成立しているから安くできるという事の証明なのだ。

それを「家電製品」と同じようにとらえていたら、そら「うつ病」にもなってしまう。

この善良なる日本民族の精神性を、食うか食われるかが当たり前で、「死んだらそいつの実力不足」でチョンにされてしまうような欧米文化に何の説明も解説も勉強もなくさらしていたら、そら自殺者も出る。

そういうことでしかない。

一神教への理解度が低い日本人に、最小単位としての「個人」なんてものは、そう簡単にはわからない。キチンと一神教の基礎から「理屈」として学習して、「ああ、そうか、欧米の奴らはそんな風に考えるのかぁ」と相手の文化を客体化して捉えられるだけの見識と知識がなければ、そらストレスだらけなのだ。

勉強しなけりゃ、ストレスだらけになるのは、当たり前なのである。

だって、自分たちの根っからの文化の延長線上に生まれたものではないから。
欧米の一神教の「神と個人の契約」概念から生まれたものだから。

で、そういう日本人にはとうてい「実感」できないものを、「家電製品と変わらんやろ」と勝手な思いこみで使って、それで段々ストレスがたまってきて、結果として自殺とか「うつ病」とか、あるいは不平不満を社会や家族にぶつけるだけのしょーもない人間とかが出てくるのである。

この辺の基本の基本の根本を、キチンとみんなが学習しない限り、この自殺者の増加は食い止められないと僕は思っているのだけれど、果たして、この法案ではそこまで踏み込んで語っているのか。
まだ詳しく調べたわけではないけれど、それでも超党派の議員立法という点が実にうれしい。
これこそが「自分たちの身を守るための、本当の意味での防衛意識」であり、同胞の命を思いやる、真の愛国心なのだ。

こういう形以外の動きは、たいてい「政治的なトリック」である。本当に必要な法案は、国民の側から、立場を越えて出てくるのだ。それこそがホンモノなのだ。

ともあれ、もう何年も前からずーーーーっと言ってたことが、多少なりとも形になって僕は少しホッとしました。

で、世の中の動きというものが見えてない人は、本当に勉強して欲しいと思う。
日本の歴史と欧米の歴史を比較して学習するなどしない限り、この手のフラストレーションは、まず解消されません。

だいたい「自由」って何かわかってます? 英語で言えば、フリーダムとリバティがあるけど、その違いって何だかわかる?
わからない人の方が普通ですよ。

じゃ、それで我々はキチンと自由について考えられるのか? って言ったら、それは無理、なんだよ。無理なんだ、無理。
そこから理解しないとダメなんだ。
で、そういう根本がわかってないから、「生きてる実感」がわけわからなくなって、うつになったり自殺したり、児童虐待したりするわけよ。

デモクラシーと言えば、「民主主義」とみんな思ってるけど、デモクラシーって「主義」みたいなイデオロギーじゃないんだからね。福沢諭吉が「民衆交際」と訳したように、「いろんな考え方をつつき合わせましょう」というのがデモクラシーなんだ。

そういう根本の根本もわかってないから、「民主主義とは多数決の事だ」とか勘違いする人間が増えて、それでイライラが募る。「数の論理」なんて下品なものがデカイ顔してまかり通る。アホか。そんなものにデカい顔をさせたらダメなんだよ。それはデモクラシーじゃないんだ。

でも、そういう事もわかってないから、「みんなが同じことをすることが民主主義的幸せだ」とか思いこんで、大ヒット映画や大ヒットゲームにぶら下がる。

そんなもん幸せでもなんでもなくて、システムに心を食い荒らされてるだけなのに。

自分の幸せなら、「●●をしている時が私はとても幸せなのです」と、キチンと誰にでも(自分を含む全ての人間に対して)明快な説明ができなければならない。それが「個人」ということだ。

自分の幸せ観をキチンと実感・コントロールできもしなくて幸せになれるわけもない。それが出来ていないのは、自分の幸せとは何か? という「個人」の喜びについて考えていないからだ。

で、欧米的幸福観というものは、そういう「個人」の価値観をこそベースにしている。

そんなもの、「個人」があいまいな日本人には、よくわからないものなんだ。

でも、どうせ世の中は、そういう「個人」という単位に収束されざるを得ないんだ。

だから、身の回りの人との関係を豊かにし、家族と確かなコミュニケーションを保ち、児童虐待もせずに生きていくには、面倒でも(本当に心底面倒くさいのだけれど)勉強するしかないのだ。

この勉強もしない人間はどんどん不幸になるだけなのだ。

昔の日本なら、それでも良かった。
でも、もう無理だ。
小泉君がグシャグシャにしてしまった社会制度は、5年や10年、弱肉強食で心のゆとりもない社会に、この日本を作り替えてしまうだろう。もう待ったなしなのだ。

だから勉強していて、心ある人は、この自殺対策法の必要性を正しく認識して、そして超党派で議員立法で法律を作ったのだ。
アメリカの直接支配を受けてしまっている官僚たちの作文ではなく、血を流して生きている日本人そのものから「せめて最低限のセーフティーネット」が生まれてくるのだ。

状況は、そこまで悪化しているってことです。弱肉強食の世界にどんどん作り替えられて行ってるのに、どこにも「日本人による、日本人のための弱者救済策」が作られて来なかったってことです。

そういう意味で、超党派・議員立法での、この法律成案は、せめてもの救いだと思う。
本当に良かった。やっとここまできたか、という気分だ。

こういう本質問題もわからず、ただグローバル化の流れの中で、適当なコマーシャリズムに流されて、自分の本質を見失った人がどんどん増えていることに、私は心を痛める。

みんなはやく気付いてくれ。

そして、ちょっとでいいから勉強しよう。

自分の実感とは異なる現実が、嫌でも「日本より広い枠組み」として存在しているって事を勉強・認識しないと、人生が辛いだけだ。
つくづくそう思う。

そこは勉強するしかないんだよ。
欧米の文化は日本人には「実感」することは絶対できないのだから。学習して知識を頼りに身につける以外に方法はない。

一切ない。

まったくない。

どこにもない。

勉強せずに安心立命を得られる状況は、もうすでに、この国にはないのである。

それが現実なのだ。

きびしいことだけれど、それが現実だと知るしかないのである。
別に、買って読んだわけではないのだけれど、日垣隆という人のことが最近は気になっている。
書いている本はいろいろあって、深みはないのだけれど、ちゃんといろいろ実検証していたり、膨大な量の資料を読んでいたりするので、それなりにおもしろい。
おもしろいのだが、いまいち本を買うというところまで行かないのはなんでかなぁ。まぁ同世代だからかもしれない。

で、この人の本で「いい加減にしろよ(笑)」という本があって、この本の中で日垣さんが、今大人気の細木数子にインタビューをしている。

細木数子に関しては、陰陽道の流れを汲む占いをやっておきながら、大殺界が三年と、「陰と陽」に割り切れない仕組みになっているところが、なんともはやウソ臭くて好きになれないのだが、このインタビューでは、その占いの裏側をキチンと見せてくれているところが面白かった。

と言っても立ち読みです。半分くらい読んで「ま、こんなもんでいいか」と思ってやめたんですが。

知っている人は知っていますが、細木数子という人は、安岡正篤の妻だった人です。

老いた安岡正篤をたぶらかしたのだ、とかなんとか悪い事を言う人もいるが、テレビで細木の言う事を良く聞いていると、ようは安岡正篤の受け売りなのである。

安岡正篤(やすおか まさひろ)なんて言っても、いまや知らない人の方が多いのかも知れないけれど、平成という元号を発案した人であり、昭和天皇が敗戦の時にラジオで流した玉音放送の元原稿作成に関わった人、という説明をしておけば、まぁ概略はわかるでしょう。

東洋文化や日本文化の研究家で、陽明学者でもあります。
陽明学というのは儒教の日本版ですな。でも陽明学は支配する側の理論だし、庶民は道教、算命占術やら高島暦とかのそういう「うらない」をこそ望むものですが、そっちの方の造詣も深い人だったわけです。

で、ちょいと考えれば分かるけれど、占いというのは別に未来予測が主たる目的なのではないのですな。将来への不安を「解消」することが目的なわけです。で、その確たる安心感を与える倫理観とか価値観をキチンと相談者に伝えられるかどうかがカナメなわけです。

安岡正篤氏は当然ながら、占いもやったろうけど、この相手を安心させる価値観の部分の知識が半端ではなかったはずなんですね。

で、細木は、この安岡氏に手取り足取り、占術から何から基本的な日本文化を構築している骨組みの部分を教授してもらっているわけです。

それが、この日垣さんの本にははっきりと書いてあって「そうかぁ、そうなのかぁ」と納得するわけであります。

「手取り足取り教えていただきました」とはっきり細木は言ってるからねぇ。

そら、人気出るよな。日本人の一番昔から受けついできた文化の部分の論理構築をキチンと受けついでる訳だから。おばぁちゃんから教えられた価値観ともずれない。安心できる。だから叱られてもみんな納得してしまうわけで。(あの程度の「叱り」に震え上がってしまったり、反発心を感じるのは自己評価が低い人だと思う。もっと自分を愛そう。)

まぁ安岡正篤と比べれば、細木なんざ小物もいいところで、陰陽のことわりを適当に解釈して大殺界を三年としているところなんかは、単に商売がうまいだけというか、まぁ実用に応じた展開を心得た人間なんだろうな、というだけの話なんですが。

そういう目で見ていると細木のおばさんは、実に可愛らしく見えてくるから不思議だ。
世間からとやかく言われてるけど、それでも、安岡正篤とは夫婦だったのだし、安岡正篤の思想体系の十分の一も受けついではいないのかも知れないけれど、それでも偉大だった人の考えを、なんとか生き残らせようとハッタリをかましている(で、それで稼いでいる)可愛いおばさんって感じだ。

結局、世の中というのは、人と人のつながりが世界を作っていて、その親分子分関係とか、教えを与えた人間と受けた人間との関係で見ていかないと、本当のところはよく分からないものである。

(いや、つながりが分かっていても、そう簡単には読めないんだけど、それでも大きな流れくらいは見える。)

そういう意味で言えば、最近話題の日銀総裁の福井氏バッシングも、簡単にはその本質は見えない。

村上ファンドにつながってたからうんぬんと世間では騒いでいるけれど、それはあくまで「一般大衆用の建前」であって、本当はそういう問題ではない。

そこには「政治と金融人との対決」という、ものすごく深くて複雑なテーマが横たわっているのだ。

中央銀行総裁というのは、一応法律上は日銀法30条において「みなし国家公務員規定」に掛かっており、公務員扱いなのだそうだ。

で、公務員であり通貨発行権も握っている総裁が、特定ファンドに個人資金を委託していて良いのか? という問題が今回の争点である。「自分が得するように通貨発行量をさじ加減したんとちがうんけ、おめーはよー。」という話だ。

これが、実はとても黒い。
みなさまあまり意識しておられないが日銀は「株式会社」なのである。日銀の場合は、政府が55%出資する規定があるから公的機関と言われているが、でも逆に言うなら45%の一般株主がいるということです。

で、45%だと議決権がないから経営に関係はないと言うことになってるんだけど、ここの裏の情報が一つ入ると話はとたんにややっこしくなる。

ちゅうのは、「世界の中央銀行はその多くが株式会社であり、共通の資金源である超巨大金融ネットワークにすべて組み込まれている可能性がある」という話なのである。

さぁ大変だ。
世界の中央銀行を同じ資本家が握っているとしたら、地球規模の通貨発行量が、特定の金融家の一存でどうとでも変更できるってことになる。

インフレもデフレも自由自在であります。
だっていまは金本位制じゃないから。
印刷で通貨量はどうにでもなる。
ありていに言ってしまえば、アメリカの軍事力が担保になって印刷物経済というのが成立しているのである。

だから福井くんは日本におけるお札の発行管理人というだけの話なのだ、という事なのである。

この手の金融人は、たいていタックスヘイブン、南の島の小さな独立国家の「無税の銀行」にお金を預けてます。小さな国はそれでバランスを取ってるわけですが、そういうタックスヘイブンにプールされてるお金は、地球全体の通貨量の半分以上になっているという話もあります。

そこまで膨大な金があると、どういう事をするかというと、大国と大国のトップを金で買います。小泉君も買われた口です。そうでなけりゃ、あんな弱小派閥にしかいなかった小泉君が数年で最大派閥になるわけもありませんわな。

で、どこの国のトップも金で買い、大臣クラスとか、ある程度の決定権のある人間を洗脳したりなんだかんだで手なづけて、で、最終的には戦争も計画的に起こします。

たとえばイラクの攻撃をするためには兵站線のことを考えたら、通常の基地配備では無理なので、周辺国に何年も前から基地移動を頼んでます。三年四年計画でないと無理なんですな。
そらそうだって思う。

政治も民主主義もへったくれもありません。金で人を動かして戦争を起こすのです。
なんでか? というと、それは公共事業だからです。街を潰すのに爆弾を使えば武器商人が儲かります。アメリカはもともと「防衛」が「国鉄」みたいなもんだから、これはどうしてもそうなる。
で、その街が潰れた後には、ありとあらゆる産業が入って行けます。ゼロから全てを作り替えるのだから実に巨大な利権です。

なので、基本的に戦争を起こす場所は、まぁどこだって良いわけです。ただ、どうせなら、戦争の後に自分たちが考える「自由な資本主義経済」が導入できれば良いというだけの話なので、標的になるところは、まだそういう仕組みが整ってないところが多いのかもしれない。

で、結局は我々日本人も、その昔、そういう具合に、世界を牛耳る人間たちにあやつられて戦争をおっぱじめたような役回りをさせられてしまったのです。

このあたりは、もうちゃんと証拠があって、笑ってしまうくらいですが、真珠湾攻撃のあった当日、アメリカのルーズベルト大統領をはじめ、政府の主要な人間たちはホワイトハウスに婦人連れで集まってお茶会を開いているんですな。どんなお茶会であるかというと、「日本軍の真珠湾攻撃に関する無線の傍受会」だったのであります。

「おお、バカがダマされて攻撃しにきよるぞ。アホやなーこいつら。」てなもんです。

真珠湾をドカーンと攻撃してくれれば、世論を味方につけて、日本を攻撃できるわけですな。
だから喜びまくっていたわけです。「おお、これで金融界からの要望に応えられる!」てなもんなわけです。

そんなもん、飛んで火にいる夏の虫でんがな! 攻撃なんかしたらアカンがな! てなもんですが、多分おそらく日本の軍部のトップクラスも、当時金で買われてたのだろうと思われますな。もうどうしようもない。

なんでこういうことがわかるかと言うと、アメリカには公的文書を何十年か経ったあとには公開しなくてはならない、という法律があって、やっと十年ほど前から、アメリカ国内のジャーナリズム精神あふれるジャーナリストが、「当時の資料を公開せよ」と国家に対して迫ったからなのであります。

別に日本人が頑張って明らかにしたわけじゃないよ。ってことですね。

アメリカってのは嫌な国だけど、こういう具合にフェアなところもちゃんとある。だからそういう部分はちゃんと信じないとダメだなぁって思うのだ。

単に「アメリカなんか嫌いだ」とか言うのは本当にバカ。そういう奴が「真珠湾攻撃やむなし派」になってしまうのですよ。まぁたいてい世の中そうなっている。
だって、戦争したい側は、わざと怒らせるんだもん。あるていど、わざと「理不尽なこと」を見せつけておいて、国民感情を怒りの方向に向かわせておくのですね。

北朝鮮の拉致問題も怪しいよなぁ。日本人と北朝鮮の間に溝を作るのが目的という気すらする。
小泉君の参拝問題も同じなんじゃないのか? ボーダレスな世界金融人から「日本と中国の間で戦争の火種を、いまから仕込んでおいてね。」ということなのかも知れない。だって小泉君、あまりにかたくなだもんな。

911の時も「ああ、バカだなぁ、乗せられて攻撃した奴がいてるんだなぁ。先走りしてバカが」と思った。これは、上記のアメリカの情報公開法による真珠湾の話を聞いていたから、真っ先に思ったことでした。
で、それを見た現地の一般人が「アラーの思し召しだ!」とかやってる映像が流された。あれもやらせだったのかも知れないけど、ともかく溝を深くするための演出計画があって、それに乗せられてるだけなのである。
悪い奴はいつもほくそえんで、夫婦でお茶会をしているのだ。だまされる側は「アメリカ嫌い」とか怒ってる一般大衆である。

で、福井君に関してに話は戻るけれども、福井君は実は日本がバブルになった時、景気動向を調整する部長かなにかの、一番重要なポジションにあった人で、まさにバブルを演出した人間と言えるのですよ。

で、バブルがはじけた後にゼロ金利に誘導する役目の実動部隊にいたのも福井君なんだそうです。

日本企業をバブルで借金漬けにし、そのあと株価をガタガタに下げさせた後、外資がドーンと買いに入る。バルクセールの下準備をしていたという可能性があるわけですよ。
まさに日本人を裏切った悪辣非道な奴だ、というウワサがある。

ウワサだけどね。

まだまだ裏はいろいろあると思うので、(裏には裏があるのがこの世界なので、あんまり裏の話の暴きに関わりたくはないけど、まぁ概略ということで。)このくらいにしておきたいのですが、ようは、こういう概略の事を知るためには、いろいろな知識を幅広く身につけておくことが大事だよなぁってことです。

真珠湾攻撃をさせられてしまったり、メディアに乗せられて雰囲気で「嫌米」とかやってても意味ない。
どんどん勉強する以外に他に方法はないわけです。

で、最初の日垣さんの話に戻るんだけど、この人、ものすごい量の本を読んでるのよなぁ。ホントに、そこは感心する。
細木数子ともちゃんと対談して内実をえぐってるし。ちょっと注目株なのです。いやまぁ言ってることは浅いので、まだ一冊も本は買ってないけど。

でも、立ち読み程度でも、このくらいはわかるって話でありました。

勉強しよう。勉強。

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