少林サッカー

2002年6月27日 映画


ララふたたび

2002年3月29日 映画


いや、なかなかに面白かった。

ご存知の方はご存知でしょうが、PCなどで話題になったゲームが原作の映画であります。日本ではさほどでもなかったけれど、ヨーロッパではずいぶん売れて、社会現象にまでなったらしいのよねぇ。

で、ゲームの1作目を最後までやったことのある私としては、ぜひ見てみたかった映画ではあったのであります。

まず、原作ゲーム好きの人間が、まぁまぁ納得できるアクション&ビジュアルであったということ。これがまず良かった。違和感ないし、まさにゲームの雰囲気が良く出ていた。

しかし、それより大事なことは、単純に「肩のこらないアクション映画」として、そこそこ面白いということなのでしょう。ゲームをやったことのない男の人が見に行っても、けっこう楽しめると思う。

しかし、されど。それよりももっと大事なことは、映画版の主人公ララ・クロフトが、ずいぶんとはっきりした「ファザコン」に設定されているということなのであります。

なので、ファザコンの女性には超オススメ。

で、このファザコンがねぇ、意外に重要だったんだなぁ。この設定のおかげで、ララに行動の指針とか方向性が出るようになった。行動の説明とか動機付けとか要らなくなったんだよねぇ。

父からのメッセージが出てきたら、即それに従う。簡単よなぁ。わかりやすいよなぁ。

たまたま弟と甥っ子(小学五年生)とで見に行って、甥っ子も面白がってましたから、子供でもカップルでも、単なる映画好きでも、単なるゲーム好きでも、どんな人が見に行っても、それなりに楽しめる内容になってるところが、なかなかにgood!なのでありました。

これはけっこうおすすめしたいなぁ。軽い作品ではあるけれど。
どうせヒマなんだしと、今日はひとりで映画を見に行く。

メガヒット驀進中の「千と千尋の神隠し」。

しかし、なんつー抑圧映画だ。罪もない子供を無理やり働かせてそれを良しとしているだけの救いのない映画。救済も、問題提起も、解決策も、新しい視点も何もない。ただただ、子供を無理やり働かせているだけ。それが良いとも悪いとも言ってないし、なにより良いか悪いかも考えてすらいないし、たぶんそれを考える能力自体が作者には存在していないのだろうなぁということまで想像せざるを得ないほど、低脳なる内容。

しかも映画後半では、ブータレているだけの千尋が、何の対決も、自分の内面の葛藤も、時間の経過も、いっさいの理由もなく、突然に、「映画なんやし、なんか盛り上がりがないとカッコつかんやん」とばかりに、スーパーヒロインに変身する。「へーんしん!」という掛け声すらない。こんなもんストーリーにもなってない。

こんな映画を見て平気なのか? 日本人は? 平気やねんなぁ。ちっ。

ただ映画的なビジュアルが、動くキャラクターが面白いという、ただそれだけ。作者、宮崎駿は、おもろいキャラを動かしてみたかっただけの動画ヲタク。観客は、内容よりも、映像の動きが見たいという見世物小屋的欲求のみ。内容はなし。

いやまぁ、映画なんてそんなもんと言えば、そんなもんですけどね。キチンと深い感動を与えたい、あるいは、味わいたいとは思わんのか? 思わんのじゃろうなぁ。

なので評価。動く絵の面白さ10点、内容7点の計17点。もちろん100点満点でよ。本当は抑圧を世の中にバラまいているというような社会的害悪を計算したら、マイナスの点数をつけるべきなんだけど、そこは動きの面白さに免じて許してやる。(偉そうな書き方だけど、こっちは金払った観客なんだから、言う権利はある。未完成品見せられてPL法で訴えられても知らんぞとすら言いたい。)

僕は昔学校でシナリオ構造論とか勉強したことあるから言うけど、シナリオは評価以前。僕が教師だったら「なぁ宮崎よ、せめて自分が何を言いたいか整理してから書けよ。」と諭すように言う。つまりそのくらい幼稚。

話になりません。

たぶん、宮崎氏はシナリオもなしに、いきなり絵コンテ描いて、それで弟子達に指示出して映画作りしたんだろうなぁ。そういう作り手のお寒い台所事情まで、こちとらとしては、つい読み取れてしまう。

(たぶん僕の想像当たってるよ。そういうステップのすっ飛ばしでもしないと、ここまで中途半端なシナリオなんざ書こうと思っても書けないもん。いきなり絵コンテで具体的にしてしまうから、それだけで「シーン」が「生きて」しまうので切ったり整理したりができなくなるんよ。本当は未整理なのに。)

昨日見た、「猿の惑星」のティム・バートンは、監督を引き受ける前に何度も叩かれたシナリオを読んで、それに文句もつけ、意見も言って手直しさせてる。で、その後に、圧倒的な絵コンテの具体性で現場を仕切る。そういうやり方をしている。

そういう「構造」とか「作り方の手順」の違いが、映画の仕上がりをどう左右するのか。この2日間で、嫌が上でもはっきり見えてしまったなぁと思う。いやまぁ、「猿の惑星」だってせいぜい40点とか及第点ギリギリの映画なんだけどさ。でも基本も押さえてないのは、やっぱり偽物よな、偽物。

まさに、千と千尋のアホ隠し。いやばれてるけどね。

猿の惑星

2001年8月17日 映画
今日はあまりに仕事がヒマだったので、「まぁええわ、ヒマな時は映画でも見よう」と思い、弟と甥っ子の3人で「猿の惑星」を見に行く。

あーうー、まぁええんやないですか? 「猿の惑星」ですからな。生半可なラストでは面白くないとは思いますよ。

シナリオが二転三転したんやろなぁというのがイヤでもわかる作りでした。考えに考えたんだろうなぁ。途中のストーリーも「なるへそ」と納得させられたし。

監督のティム・バートンは元ディズニーの絵コンテライター。練ったシナリオを絵コンテで的確に映像化している、分業体制の素晴らしさを感じる。このあたりがハリウッドの濃いところだなぁ。監督がティムに決まる前に、何度も何度もシナリオが練りこまれてるもん。予算まで含めて。
この日も思い切り悩みつつ動いてたんだけど、そんなこと書いても面白くないので、別の話題。

えー、アメコミが好きです。それもDCじゃなくてマーベル。いや違うな。DCでなら、スーパーマンよりバットマンが好きで、マーベルならX−MENよりスパイダーマンが好きということかな。

で、そのスパイダーマンです。なんか近々映画になるそうで、その宣伝を、

リンク

でやってるというのを知った。予告編のムービーとかあるんだよねぇ。自宅は遅い(64Kbps)けども、いちおう常時接続環境なので、20MBの高画質のものをダウンロードして見た。

いやぁ、良いです。ビルの谷間をスパイダーマンがスウィングしながら移動してます。これです、これ。こういう映像が見たかったんです。いいなぁ。

スーパーマンはビルの上を飛び越してしまうんです。まさに超人でして、人間味がない。スパイダーマンはクモの糸を使ってスウィングしますから、ビルの谷間ばっかり移動するんです。ビルを飛び越えたりしない。つまり、人間の視線から離れないスーパーヒーローなんですな。そこが好き。

ちゃんとスパイダーマンの嫁さんになるMJこと、メリージェーンも登場するみたい。アメリカでのスパイダーマンの人気って、このメリージェーンに支えられてるって側面もありますからね。なんせ、スーパーモデルでスパイダーマンの家庭の家計を支えてるのはこのMJでして、単なる社会的ボランティア活動でしかないヒーロー稼業を続けられるのはMJがいてるから・・・というところが、スパイダーマンという作品世界のリアルなところだったりするのです。

でも、どうも映画版のストーリーは、まだ主人公のピーターパーカーが学生時代の話みたいなんだけどなぁ。最初の恋人のグウェンは出て来ないのかしらん? グウェンの死があって、それではじめてMJとの恋物語が始まるのに、うーむ。どないなるんやろ? 興味津々ですな。

余談ですが、バットマンに至っては超能力すら持ってない、ただの金持ちのぼんぼんです。金に物を言わせて、秘密基地は作るわ、秘密兵器は作るわ、秘密の乗り物は作るわという、ただそれだけの嫌な奴なんです。しかも、博識で悪党どもが洒落で書いたシェイクスピアの引用付きの脅迫状を読んで、「その引用の仕方は間違っている」とかチェック入れる、ものすごく嫌な奴なんです。でもねぇ、そういうヒーローの方が好きなんだな、これが。

ちなみにスパイダーマンも最初は放射能グモに噛まれて得たスーパーパワーをプロレスみたいな見世物小屋で稼ぐために使うんです。だからあのコスチュームはプロレス用なんですな、最初から。

それで、人気出て、金儲けして、鼻高々になって、目の前で銀行強盗が逃げていって、警官に「お前の力なら捕まえられる!捕まえてくれ!」と言われても「金にならんことはせん!」と無視するんですな。でも、その銀行強盗が、めぐりめぐって、世話になってるおじさんを殺すわけです。そこではじめて「人より優れた力はみんなのために使わなければならない!」という責任を痛感して、そこからスーパーヒーローに転じるのであります。

このあたりのリアルさがねぇ。好きです。私。

みんなのいえ

2001年7月22日 映画
しかし、3連休ともなると、さすがにヒマ。なので、ひとりで映画「みんなのいえ」を見に行く。

いやまぁ、「千と千尋の神隠し」って手もあったのかも知れないけども、どうせ混んでるに決まってるしさぁ。面白さの程度も「もののけ姫」から想像がついたのでやめにする。

で、「みんなのいえ」がどうだったかというと、うーん、やっぱり「ラジオの時間」の方が良かったかなぁ。三谷幸喜の作品って、好きでけっこう見てるんだけど、「みんなのいえ」はあんまりお勧めじゃないねぇ。一般的には。

でも、個人的には実は満足してたりする。家を作るデザイナーと大工の対立の物語だしさ。何かを「作る人」の話は、ただそれだけで好きなんだよ。内容なんかなくてもいいの。作るってのは面白いんだ。興味のない人にはどうでもいいと思うけど、「作ってる」人には面白いことっていうのがいろいろあってさ。そういうのがそこはかとなく出てるのが良かったんだよ、この映画。

なので、お勧めはしないけど、好き。

ダイナソー

2001年1月21日 映画
今日も、何も読まず。でも、映画を見た。
「ダイナソー」。

知り合いに映画館に勤めている人間がいてるので、よくタダ券をもらう。なかなか映画に行くヒマもないのだけれども、それでも時間ができたら、ひとりでサッと見るようにはしてるのであります。

「ダイナソー」は、前に上記の彼に「トイストーリー2」の試写会の券をもらってひとりで見に行った時に予告編をやっていて、同じCGを使った映画なのに、はるかにダイナソーの方がアピール度が高かったので、「トリストーリーよりダイナソーが見た〜い!」になっておったのですね。

なので、実はけっこう楽しみに出かけた。

ただ、期待してたのは「技術の見せびらかし映画」だったので、そういう意味では肩透かしをくらわされたんですね。

いや、技術は確かにすごかったんだけど、それよりなにより、ごく普通の「娯楽映画」としての側面の方がはるかに大きかった。そういう意味でけっこうはまってしまったのでありますね。

CGの技術を観察して、ま何かの勉強のつもりで見に行ったんですが、完全にストーリーの方にはまってしまった。そういう意味では良い映画でしょう。

お話自体は陳腐とまでは言わないにしても、とても単純かつ、ありきたりとも言えるのですが、「絶滅してしまった恐竜」を題材に、「恐竜絶滅の原因となった隕石落下後」のストーリーを展開していることがポイントです。

どうしようもなくなった状況の中で、何も持たず、ただ筋肉と皮膚の動きだけ=「裸の生き物」が主役として動く、ということが、この映画のキモなわけです。体を守ってくれる何物もないわけです。

まぁ、ストレートに「サバイバル映画」ですので、6年たった今でも、いまだに阪神大震災のことを思い出してしまう私としては、あんまり冷静には見てられなかったんですけどね。

隕石が落下して、火の粉の中を逃げ惑う主人公の恐竜の姿を見た時には、なんか胸が痛んでしまった。だって、1月17日から2日しかたってないしねぇ。なので、評価は公平とはいえないのかもしれないんですけども。

でも焼け焦げた大地を筋肉と皮膚の塊である恐竜が歩いていくというのは、それだけで、なにか「サバイバル」の本質、生きる力をビジュアル化してるように思えましたねぇ。つい、がんばれ!とか応援したくなってしまう。

なのでけっこう好きです。この映画。

ええもん見せてもーて。それもタダで。あー、すんまへんなぁ。という気分。金払ろて見に来たら良かった。そしたらもっとジーンと来たかもしれまへん。

いやまぁ、ちょっと阪神大震災6年つーのが影響大なんですけども。
なんか言うに言えんウルウル感が湧いてしまったですわ。

「どんな状況になっても諦めたりしないのよ!」っつーのが、なんか、やっぱり良いなぁ。単純やけど。それはつくづく思う。

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